Muw&Murrue

 薄氷
 食堂に灯が付いている。
 食いっぱぐれたムウ・ラ・フラガは、自分同様、食事の時間に間に合わなかった間抜けがいるんだ、と知らず苦笑した。
 整備に没頭するあまり、すっかり食事を取ることを忘れていた。
 そんな似たような輩がまだ居たのか。
「あれ?」
 だが、入って出た第一声はビックリした響きが混ざっていた。
 まさか、彼女、が居るとは思わなかったのだ。
「珍しいな、こんな時間に。」
 宇宙だから、昼も夜も関係ないが、一応地球標準時刻というのが存在する。それでいうなら、今はもう、深夜の一時過ぎだ。
 ザフトも地球軍も、今は結構おとなしい。そうなると、自然と自分たちの行動も大人しくなる。
 過酷な勤務も、アラートもだいぶ減り、ささやかながら、安定した勤務が出来るようになっていた。
 だから。
 勤務体制が真面目な、アークエンジェルのトップが、なにやらごそごそ冷蔵庫の側で動いているのに、ムウは驚いたのだ。
 ぱっと顔を上げた彼女・・・・マリュー・ラミアスが気まずそうに笑った。
「書類整理してたら、食べ損ねちゃって。」
 生活基準が安定している・・・・ということは、食堂のシフトも安定している、ということで、時間外に食事の用意をしてくれる人員が居ないという事態も起きてくる。
 だから、自分で作ろうと、冷蔵庫を物色していたのだと、マリューは困ったように答えた。
「少佐も、ですか?」
「ん。ま〜ね。」
 とっととカウンターを乗り越えて、マリューの隣に立ち中を覗き込む。
「何かある?」
「明日の朝ご飯用に仕込まれた材料・・・・ならあるんですけど・・・・。」
「この艦のトップ二人が深夜につまみ食い?」
 にやっと笑って言われ、マリューは思わず吹き出した。
「それは外聞が悪いわ。」
「他に無いの?」
「これから調理するのなら・・・・・。」
「出来る?」
 物凄く失礼な質問だ。マリューは軽くムウをにらむと、ぽかりと彼の頭をたたいた。
「少佐こそ、出来ます?」
 彼はにっこりと微笑んだ。
「出来るんなら、君にそんな質問はしないよ。」
 もっともだ。
 マリューは一つため息を付くと、食材を手にあれこれ考え、
「お腹、すいてます?」
 冷蔵庫に語りかけるように訊いた。
「凄く。」
「じゃあ、簡単に手早いものがいいですよねぇ。」
「それで腹に溜まるんなら尚更。」
「美味しくて?」
「だったらパーフェクト。」
 思わずマリューはムウを振り返ると、思いっきり彼を睨んだ。
「私は食堂のコックじゃありません。」
「知ってるよ。」
 本当かしら?
 まだ不満顔にムウを見上げる恋人に、彼はさらっと言ってあげる。
「俺の奥さんになる人。」
 ぱっとマリューの顔が赤くなった。
「卑怯者!」
 叫んで手を振り上げると、その手をとって、ムウはちゅっとマリューに口付けを贈った。
「卑怯でナンボ。」
 あははは、と笑うムウに、マリューは絶対勝てないのだ。大げさに溜息を付くと、彼女はその辺の食材を適当に掴んで立ち上がった。
「ジャガイモのチーズ焼きでいいですか?」
「マリューの手料理なら、なんでもいいよ、俺は。」
 そのまま、食堂のほうには戻らず、彼は厨房の台の横に丸椅子を引っ張ってきて、腰を下ろした。ついでに食堂の明かりは消してしまう。
「や、二人でここに居るんなら、あっちは別にいいだろ?」
「節電ですか?」
「そうそう。」
 これは方便である。ムウとしてはマリューの手料理を他の食いっぱぐれた野郎どもに食わせるなんて勿体無い事はしたくない。
 だから、なるべく目立たないように、食堂は閉まってますよ、を演出するために灯を消したのだ。
 そんな方便に、マリューは感心したような眼差しをムウに送っている。
 ああ、なんて純粋で可愛いんだろう。
 てきぱきと調理を開始する未来の奥さんを横目に、ムウは腕を組んでその上にうつぶせた。
 横に傾いだ顔のまま、じーっとマリューの手際を見ている。
 ちらっと、そんな眠たそうな格好をしているムウを確認したマリューは包丁を動かしながらくすっと笑ってしまった。
 時々、この食えない年上の男は、まるで子供としか言いようの無い事をする。
 いつもは飄然としていて、時には冷たくて、絶対女性関係では派手な過去があると思われるのに、たまに見せるこんな子供っぽい仕草とのギャップがおかしくて、それがマリューは大好きだった。
 眉をしかめたくなるような、女性関係も、許せてしまいそうになる。
 ジャガイモを平たく切りながら、そんなことを考え、思わず笑ってしまった。それに、聡いムウが「何?」と訊ねてくる。
「何でもありません。」
「そ〜お?なぁんか、俺のこと馬鹿にしてない?」
「可愛いな、って思っただけですよ。」
 怒られるかな?と思いながら、マリューは手元を見たままさらっと言ってみた。
 反応が無い。
 ちらっと彼を確認すると、顔を全部腕の中に埋めたムウの、後頭部が見えた。くすんだ金髪に隠れた耳の、先の方が赤い。
 あらら、照れてるんだ。
 そう思い当たると、益々可愛くて、仕返し、とばかりにマリューは声を上げて笑った。
「どうして俺のマリューさんは、そういう台詞を苦も無く吐けるかな〜。」
 苦笑いをした彼が顔を上げ、マリューは笑った。
「そういう貴方も、こっちが赤面しそうな台詞、簡単に言えるじゃない。」
「そりゃ、男だもん。」
 変な理屈。
 バターを塗った耐熱皿に、ジャガイモを並べて、出来合いのピザソースを掛けていく。それにチーズを被せてオーブンで焼けば出来上がりだ。
 ついでにミンチでも炒めて間に挟もうかしら。
 そう考えたマリューが冷蔵庫を再び開ける。その姿を見ながら、やはり突っ伏したままのムウが、何気なく訊ねた。
「マリューはさ、結婚しようとか思ったことある?」
 唐突な質問に、持っていたひき肉を取り落としそうになる。
「何?いきなり・・・・・。」
 困惑のまま恋人を振り返ると、彼は、うん、とだけ呟いて、黙ってしまった。マリューはほうっと溜息を付く。
「女26よ?まあ・・・・色々あるわよ。」
「そっか・・・・・・。」
 ひき肉のパッケージを破り、フライパンに油をひく。塩コショウを手に、手早く炒めていく。たまねぎのみじん切りでも入れようかしら?
「なんで結婚しなかったの?」
 恐る恐る、といった感じで聞かれ、マリューは苦笑した。
「信用ならない男だって気付いたのか?」
 重ねて訊かれてくすっと笑う。
「・・・・・・・かもね。」
「若気の至り?」
 妙につっかかるな、とそう思いながら、マリューはふと視線を遠くにやった。
「・・・・・・・・そうね。たった一つの・・・・・大事な約束も護れない人だったから。」
 やあだ、たまねぎ、目にしみるわ。
「・・・・・・・・・・・・。」
 心地よい音を立てて、包丁を動かす彼女に、ムウは俯く。やっぱりな、と唇を噛んだ。
「俺はさ、その約束護れると思うか?」
 たまねぎをフライパンに放り込み、飴色になるまで炒めながら、マリューはつとムウを振り返った。
「不可能を可能にする人が、可能を不可能にしないでください。」
 もっともだ。
「可能なこと?」
「簡単なコト。」
 炒めたそれらを、ジャガイモの上に乗せながら、マリューはムウに微笑んだ。
「簡単なのに、どうしても願うこと。」
「じゃあ、俺からもマリューに約束して欲しいな。」
「何を?」
 楽しそうにオーブンに皿を押し込むマリューに、ムウはそっと言った。
「誰を踏みつけても、幸せになって欲しい。」
「・・・・・・・・。」
 ぱたん、と扉を閉めて、時間を設定する。マリューは無言で振り返ると、側にあった丸椅子を引きずって、ムウの前に腰を下ろした。同じように腕を組んでそこに伏せる。

 トップ二人が、食堂の調理台の上に、だらしなく伏せっている。

「誰を踏みつけても?」
「うん。」
「誰を?」
 そう言って、マリューは手をのばすと、ムウの鼻の頭に指を置いた。
「貴方も?」
「ああ。」
 暫く沈黙した後、おもむろにマリューがムウのおでこを弾いた。
「貴方を踏みつけたら、私は幸せにはなれないわ。」
「そうかな?」
「・・・・・・・・確かに、私は一人でも生きて行けるだけの技術はあると思う。その気になれば、働けるわ。でもね、一人で生きるよりは、二人で生きた方が楽しいでしょ?そして、二人よりも、三人の方がもっといい。四人なら尚いいわ。・・・・・そうするには、貴方が必要なの。」
 酷く真面目に言われて、ムウはおかしくて吹き出した。
「それってプロポーズ?」
 くっくと肩を揺するムウに、マリューは不敵に笑って見せた。
「違うって言ったら?」
 今度は、ムウが手を伸ばし、マリューの額を弾いた。
「バカ。」
「バカは貴方よ。」
「・・・・・・・・俺と一緒になったら、不幸にしかならないぜ?」
 ひたっとマリューを見て、ムウが苦く口にする。
「薄い氷みたいな幸せを、思いっきり破壊するような、そんなものを俺は背負ってる。・・・・・いや、背負わされた。」
 それでもいいっていうのか?
 その台詞は、ひどく自嘲気味で、全然ムウらしくなかった。だから、マリューは殊更笑ってみせる。
「二人で背負えば、軽くならない?」
「君には背負わせたくない。」
「どうして?」
 どうして?決まっている。
「君には幸せになって欲しいから。」
 話が堂々巡りをしていることに、ふとムウは気づいた。その幸せは、ムウが居なくては駄目なのだと、マリューはさっき言ったばかりだ。
「今は・・・・・・・。」
 伏せったマリューが、静かに切り出した。
「今は、まだわからないけど・・・・。」
「うん。」
「私は・・・・・・貴方となら、幸せになれる気がするの。」
「・・・・・・・・・。」
「ねぇ、ムウ?貴方は、私と一緒になったら、幸せになれる気がする?」
 そこで、二人の会話を止めるように、レンジが鳴った。
 彼女が立ち上がる。
 その仕草だけで、ムウは妙に寂しくて、慌てたように言った。
「なれると思う。」
 遠くなりかけたマリューが、ぱっと振り返ってにっこり笑った。
「なら、いいじゃない。」
 そうして、彼女は熱々に熱した皿と二人分のフォークを持ってムウの前に戻ってきた。
「いただきます!」
「いただきま〜す。」

 薄暗い灯の下で、向かい合った二人が、一つの皿を突付いている。

 ここは戦艦で、外は宇宙で、戦場で。

 それでも今は、少しだけ平和で。

「なあマリュー、あれやって。」
「何?」
「あ〜ん、ってヤツ。」
「バカ!」

 だから、少しだけ平和だから、二人はほんの少しだけ、『これから』を考える。
 これから、二人でどうしようかを考える。

 考えて、そしてどうなるのか。
 それは全然分からないが。

 薄い氷のような、平和だけど。

「なあなあマリューさん!」
「もう!・・・・・はい、あ〜ん。」
「あ〜〜〜〜〜ん」

 いつかは、壊れない平和な時がやってくるはず。
 その時を信じたい。



 信じたい。






(2005/03/06)

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