Muw&Murrue

 涙の行方
 油に汚れたグローブを脱いで、床にたたきつける。目一杯唇を噛んで、それから漏れそうになった嗚咽を噛み殺した。
 肩を震わせて、激情が通り過ぎるのをやりすごす。

 泣くまいと、握り締めた拳は真っ白になり、まだ若かい女は、硬く目をつぶって感情の波を押さえつけた。

 自分の技術を認められて、整備士として派遣された工廠で、待っていたのは新機体の開発・・・・ではなく、従来あるMAの整備だった。

 女性も何人か居るが、大半は男ばかりのそこで、彼女はいくらかの不満を胸に働いていた。

 自分がしたいのは、こんな仕事ではない。こんな旧型を整備したところで戦況が変わるわけではない。ザフトに対抗できるのは、もう、こんな作業ポッドを改良しただけのような物では駄目なのだ。

 その、新たな戦力を引っさげて、戦場に切り込めば、貧窮していく故郷を・・・・・地球を救えるかもしれない。
 その思いだけで、彼女は士官学校に飛び込み、技術者となるべく奔走した。

 それが、何が悲しくて、旧型の整備をさせられなくてはならないのだ。



 自分にはもっと出来ることがある。
 もっと・・・・・そう、こんな事ではなくて―――――。



 そんな根性で働いていたから、かもしれない。



「お前、やる気あるのか?」
「え?」
 顔を上げると、金茶色の瞳をしたMAのパイロットが自分を見下ろしていた。何かを見透かすようなその瞳に、どきりとする。
「やる気、ないのなら止めろ。」
 機体の下に潜って作業をしていた彼女は、そう言ってさっさと格納庫を出て行こうとする男を追いかけた。
「ちょっと・・・・・。」
 思わず声を荒げる。階級は同等。歳も同じくらいだ。
「じゃなきゃ、これ以上『俺の機体』に触るな。」

 何だと?

 これまで散々、壊れても壊れても整備し、寝る間も惜しんで調整してきたのに、そういうのか!?

 かっとなって、彼女は声を荒げた。

「それは・・・・どういう意味ですか。」
 茶色の髪の毛を後ろで一本に縛った男は、「だからそういう意味だよ。」とそっけなく答えた。
「気に入らない部分があるのなら、言って下さい!」
「言ったって直らない。」
「バカにしないでください!」

 力を入れて、整備をしたのだ。それを―――――

 その瞬間、振り返った男が、鼻で笑うと、彼女を睨み付けた

「それはこっちの台詞だね!」
「な・・・・・・。」
「機銃の角度もなって無いし、機体のレスも下がりっぱなし!何回も言わせるな!お前もプロならコンマ何秒の調整でもして見せろ!」
「ですから、なんども言いますけど、そんな調整は無理なんです!」
「無理でも何でもやれ!」
「わがまま言わないでくださいっ!!」
「俺達はっ!!」
 その瞬間、男は彼女の胸倉を掴み上げた。
「俺達はな・・・・・お嬢ちゃん・・・・・命を賭けてるんだ・・・・・。」
「・・・・・・・・・・・・。」
 怒りのこもった視線を間近でぶつけられる。彼女は目を見開いた。
「わがままでも・・・・・・撃墜王になりたくてやってるのでも・・・・・殺したくて戦ってるのでもない・・・・・快楽で、趣味でやってるんじゃない・・・・・・。」
「・・・・・・・・・・・。」
「お前がっ」
 息が、詰まる。
「お前如きの『やる気の無さ』で、俺は死ぬ気はないんでねっ!!!!」
 ばっと突き放されて、彼女は尻餅を付いた。
「二度と『俺の機体』に触るな。」
「・・・・・・・・・・・。」
 吐き捨てて、男はそのまま格納庫を出て行く。立ち上がった彼女は、そのまま自室へと直行した。




 そうだ。

 そうだった。

 自分の整備する機体に乗るのは、自分と同じ命なのだ。そこにある思いも、そこで戦おうとする意志も、同じなのだ。

 なのにどうだ?

 自分はMAをバカにしてなかったか?

 時代遅れだと。
 型遅れだと。

 不満だらけで仕事をしていた。


 それは、その機体に乗る『命』に死ねと言ってるのと同じ事で。


 一通り考え込み、彼女は立ち上がると、作業着のまま、部屋を飛び出すと廊下を駆け出した。




「すいませんでしたっ!」
 謝っても何も変わらないと思う。でも、マリューは自分の担当する機体のパイロットに思いっきり頭を下げた。
「もう一度だけ・・・・・機体の整備をさせてください!」
 顔も上げずに声を張る彼女に、男は唇を噛む。
「俺の注文は変わらないよ。」
「はい。」
「命、賭けてるから。」
「はい!」
 制服の襟を寛げて、仏頂面をしていた男は、数秒間、彼女の頭を見た後、おもむろに手を伸ばして、ぐしゃっと髪の毛をかき回した。
「!?」
「・・・・・・・悪かったよ。」
「・・・・・・・・・。」
「俺も言いすぎ・・・・・かもしれないけど。でも俺は、それは譲れないんだ。」
 顔を上げると、少しだけ笑った男が立っていた。
「ラミアス少尉。」
「はい。」
 手を差し出す。
「駄目ならまた、クビだからな。」

 今度は、それに応えられる仕事をしよう。

「はいっ!」
 彼女はしっかりとその手を握り返した。


 二人一組の二人三脚。それは段々信頼へと繋がり、パイロットのスコアは徐々に上向きなって行った。
 相変わらず怒鳴られる事もあったが、たまに褒められる事もあって、マリューはMAの整備の没頭するようになって行った。
 被弾すると、その箇所を割り出し、弱い部分を重点的に改良していく。
 エンジンの新プランを持ち出し、二人ではしゃいだ事もある。

 やがて、その基地の格納庫では、鬼のラミアスの怒鳴り声が名物になろうとしていた。

 そんな彼女の技術が認められて、マリューは開発局に転属となった。


「なんだ。転属かよ。」
「あ・・・・・・。」
 顔を上げると、ドアの前に仏頂面のパートナーが立っていた。
「そうですよ。」
「残念。」
「大丈夫ですよ。イズミにはしっかり、引継ぎしておきましたから。」
「・・・・・・・・。」
 後輩で優秀な一人に、マリューは機体の癖や、パイロットの癖や、その他自分が使っていたマニュアルの全てを渡していた。
「強引な奴ですけど。」
 ぱたん、とトランクの口を閉めて、マリューは立ち上がった。
「いい仕事、するやつです。」
 絶対に中尉のお目にかないますよ。
 にこにこ笑うマリューに、男は少し笑うと手を差し出した。
「・・・・・・・・・・。」
 無言で、マリューはその手を握り返す。
「ありがとう。」
「私の方こそ・・・・・・ありがとうございました。」

 命と、パイロットのあり方を、学んだ。
 戦場に出て行くものの覚悟と、帰って来た時の安堵と。

「・・・・・・・・あのさ。」
「はい。」
 手を放し、珍しく制服のスカート姿の彼女に、男は目を細めた。
「また会えるかな?」
「そうですね。移動と言っても月の都市ですから、問題は有りません。」
 機体の事で何かあったら、遠慮なくおっしゃってください。
「そうじゃなくて。」
「?」
 こほん、と咳払いをすると、男はそっとマリューの額に口付けを落とした。
「!?」
「俺の・・・・彼女として・・・・・。」
 ぽかんとした後、照れたような男の顔に、マリューは真っ赤になって俯くのだった。




 技術開発局で、マリューは先の経験を生かし、パイロットを護れる機体を開発するように心掛けた。
 従来のものよりも強度の強いセーフティーシャッターを作り上げ、薄いのに耐熱・対銃弾防御をより強化させた。
 コックピット周りに衝撃吸収材を配置したり、アラートの感度も上げる。

 護りたい命。

 その代表である彼と付き合うようになって、更にマリューは命について考えるようになった。

 戦うのは避けられない。彼はパイロットだから。だったら、そのパートナーである自分は全力で後方支援をしなくては。

 大事な仲間を失い、彼が辛そうな時は、メンタル面でも支えようと、惜しみなく愛を注いだ。抱きしめて、自分の前でだけは泣いてと、促した事もある。

 この人の命のために、私は有ろう。


 会えなくても、彼を思って頑張り、彼もまた、彼女の居る世界を護ろうと戦う。
 幸せを分けて、二人は楽しかった。

 精一杯、今を生き続けた。





 二人が、永遠に会えなくなるその最後の時まで、二人は互いを支え続けた。







 戦争をしているんです。プラントと地球。ナチュラルとコーディネイター。

 そう、キラ達に言ったときと、事態は180度変わってしまった。
 何と戦っていたのか、分からなくなる。

 アラスカで見捨てられた多くの命。
 その一つでも護りたくて、自分は頑張ってきたはずなのに。

 目を閉じると、自分を叱り飛ばした「彼」の姿が見えた。


 君の不満で、命を捨てる気は無い。


(じゃあ、貴方は何のために、命を賭けていたの・・・・・・・?)


 あの時は軍のためだと思っていた。そう思っていたから、戦えた。
 でもどうだ?
 その軍は・・・・・・そう願う心すら利用して、えげつない作戦を決行した。

 戦局的には大勝利だ。
 数字だけ見れば、近来稀に見る勝利だろう。

 だが、残ったのはただの空虚な想いばかりだった。

 一人を護ろうと、心を砕いて整備をした。その機体もろとも、大量破壊兵器は命を吹っ飛ばしたのだ。

 ならもう・・・・・MSやMAなんて物は必要ないのではないかと思われてくる。

 じゃあ、それに乗って戦った彼は・・・・・・?

「・・・・・・・・・・・。」
 頭を抱えていると、不意にブザーが鳴った。薄暗い艦長室の灯をつけて、マリューは立ち上がった。
「はい。」
「フラガだけど。」
「あ、はい。」
 ドアを開けると、目の前に長身のパイロットが立っていた。自分より二つ年上の男。
「何か?」
「うん。これからなんだけど・・・・・・・。」
 そのまま、ムウはマリューの瞳を覗き込むと、小さく溜息を吐いた。
「艦長。」
「はい。」
 そのまま、ムウは彼女をしっかりと抱きしめた。
「しょ、」
 ドアが閉まり、ムウが後ろ手にロックをかける。そのまま、ムウは艦長室の電気を消すと、部屋のど真ん中でマリューを抱きしめた。
「少佐・・・・・・・。」
 身を捩る彼女を抱きしめて、ムウはそっと囁く。
「そんな顔、するなよ。」
「え?」
 ぽんぽんと背中を叩く。
「泣きたいんだろ?」
「・・・・・・・・・・。」
 ぎくっとマリューの身体が強張った。その微かに震えた感触に頷くと、ムウはそっと彼女を促してソファーに座らせた。
「周りは暗いし、部屋には俺しか居ない。」
「・・・・・・・・・・。」
「見るな、っていうなら見ないから。」
 だから、頼むからもう我慢しないでくれ。

 耳朶を打つ、柔らかい声音に、マリューの心が震えた。少しからかうようにムウが続ける。

「それとも、俺じゃ駄目か?」
「え?」
 微かに顔を上げると、マリューを抱きしめる男が、首筋に顔を埋めた。
「なら、身体だけ貸してやるから。」
「・・・・・・・・・・・・。」
「艦長が泣ける相手だと思ってさ。」


 目の奥が熱くなって、痛くなって、涙が溢れてくる。ムウの肩に、マリューは顔を埋めて泣いた。


 自分の大切だった人は、死んでしまった。
 でもそれは、戦争という中では仕方の無いことだった。

 戦うからには、殺すからには、撃たれる覚悟を持たなくちゃならないから。

 命令の果てに亡くなったのなら、それも仕方の無いことだ。



 そう思って、マリューは『本当の涙』を押し隠した。



 本当は。

 でも本当は、声を上げて叫びたかった。

 どうしてと。
 帰ってきてと。
 彼を返してと。

 戦争なんかどうでもいい。戦局なんて知ったことか。彼を返してくれるのなら、コーディネイターに勝利をくれてやっても構わない。


 それを飲み込んだのは、自分は連合の士官で、連合の為に戦う戦士だから。


 でも。


 ムウの腕の中で、マリューは泣きじゃくる。
 必死に戦ってきたものに裏切られた痛みを、吐き出す。

 こんなにあっさり切られてしまうのなら。なら、戦った意味がどこにある?

 心を砕いた意味が、どこに・・・・・・・。



 彼が死んだ意味がどこに!?



「マリューさん。」
 そっとムウが彼女に囁いた。ムウの腕の中で、別の男を思い、悔しさを思い、嗚咽を噛み殺すマリューが、ぎゅっとムウの背中に回した手に力を込めた。
「少佐・・・・・・・・・私・・・・・。」
「うん。」
「そんなに・・・・・・無能ですか・・・・・。」

 言葉が、止まらない。

「そんなにっ・・・・・駄目な艦長ですかっ・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・。」
「私はっ。」
 彼、は。

 顔を上げて、涙を零した目で、ムウを見る。
「死んでもいい命ですか!?」
「・・・・・・・・・・・。」
 ムウの胸元を握り締めて、ぼろぼろと涙を零す彼女の額に、彼はそっと口付けた。
「―――――違うよ。」
 ムウは両手でマリューの頬を包むと、こつん、と額に額を突き合わせた。
「死んで欲しくない。」
「・・・・・・・・・・・・・・。」
「死ぬな。」
「・・・・・・・・・・・・。」
「死なないでくれ。」

 強く、繋ぎとめるように抱きしめられて、マリューは暖かい腕の中に身を委ねた。そのまま、優しく包んでくれる少佐の腕に目を閉じた。


 不意に、大切だったあの人が瞼の裏に見えた。

 声は届かない。

 だが、彼は確かに一つ頷くと「死ぬな。」と笑顔で呟いた。




 俺は君の、その涙だけで十分だよ・・・・・・・・・。






 ムウはマリューに口付ける。

 誰も居ない艦橋で、これから戦い出るその直前に。彼女を護るのは自分だと、その意志を表すかのように。

 応えながら、マリューは思う。

 ずっと隠していた「あの人」への涙を受け止めて、「死ぬな」と言ってくれたこの人の為に、自分は戦おうと。



 それがきっと、亡くなった彼に繋がる道でもあるだろうから。



「艦首上げ20。ローエングリン、スタンバイ。」

 連合の艦はもう、そこまで迫っている。下に飛び交う砲火とフリーダム、それにジャスティスの姿が見える。

 艦橋窓から、青い空が見えた。

 その先には、命を飲み込む宇宙がある。


 これから向かう先には、困難しか待っていない。

 でも。

「ローエングリン、撃ぇーっ!」

 陽電子の渦が、艦を加速させる。



 希望を抱えて、白亜の艦が高く高く、飛翔して行った。



(2005/12/30)

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