Muw&Murrue

 闇の時間
 必死になって渡ってきた海を、今度は逆走することになるとは。

 アラスカへ向かったあの航路はなんだったのだろうと、艦橋を出てエレベーターに乗りながら、マリューは深くため息を付いた。

 何か意味があっただろうか。

 若い命を犠牲にして、この艦とストライクを必死になってアラスカに届けようとした意味が。

 辿り着いた先で待っていたのは、ただの「死」。死なないために戦っていたのに、と、苦しくて熱い物が胸の中に込み上げてきて、マリューはぎりっと唇を噛んだ。

 今更。
 今更何を言っても無駄なのだ。

 起きてしまった事も、時間も、もう戻らない。失った命も、もう二度と戻ってなど来ない。

 だからと言って、全てを割り切るには、あまりにも時間が足りなかった。

 でもせめて。

(・・・・・・・ごめんなさい・・・・・・。)

 きつくきつく、マリューは腕を掴んで、つめを立てる。制服越しに肌に食い込む痛みの、この何百倍もの痛みを背負って、「彼」は死んだのだ。

 トール・ケーニヒ。

 彼の思いは幼かった。でも、その思いは純粋で、護りたいとそう、願った心から出たものだった。
 なのに、彼が護ろうと思ったものは、「軍」からみれば要らないものだった。簡単に、捨ててしまえるほど。

 そして、トールからしてみれば、マリューはその「軍」の人間だったのだ。

 なんと詫びたらいいのだろう。なんと言って、彼に謝ったら良いのだろう。あなたが命を賭けたものは、本当は意味の無い要らないものだったなんて、どう謝っても許してなどもらえない罪の気がする。
 いっそ、自分など死んでしまえばよかったのでは・・・・・・。

「艦長。」
 涼やかな音を立てて、エレベーターが到着を告げ、ドアが開く。居住区に下りて来た彼女は、ドアの前で声を掛けられ、顔を作る前に、表情を見られてしまった。

 うかつだったと、体が震える。

 今にも泣き出しそうな、歪んだ顔を、大急ぎで俯け、マリューは押しのけるように前に立つ人物の側をすり抜ける。走り出したくなるのを我慢して、早足でそこを抜けようとして、逆に腕を取られてしまった。
「・・・・・・少佐。」
 重い口調でそういうと、彼は何も言わずに彼女をエレベーターに引きずり込む。
「な・・・・・!?」
 さっさとドアを閉めてボタンを押した。
 行き先は、ここから一区画上である。
「・・・・・・・・・・・。」
 腕をとられ、でも酷い顔をしてる自覚があるので、何も言わずに黙っていると、ふいにムウがなんでもない調子で言った。
「デッキからさ、面白い物が見れるんだよ。」
「え?」
 遠慮がちに彼を見上げる。自分を心配するような、そんな顔にぶつかるかと思いきや、彼はただ、いつもと変わらぬ、飄々とした様子で自分を見下ろしていた。
「面白いもの・・・・・?」
 音をたてて扉が開き、彼はマリューの手を引いて歩いて行く。数段上にある上部デッキのドアを開くと、冷たい夜風が身体を取り巻き、目の前を氷の山が通り過ぎるのが見えた。
「ひゃ・・・・・。」
 思わず身体を引くマリューに、ムウは振り返って笑った。
「大丈夫ですか?艦長?」
「だ、大丈夫です・・・・。」
 まだ凍れる海を越えてはいないから、氷山があるのは当たり前なのだが、モニターで見るのと間近に見るのとでは迫力が違った。

 辺りを闇が支配している。その中で、アークエンジェルの灯に照らされる白氷は異様なほど不気味だった。

 戦闘時に感じるのとは別の、妙な緊張感と不安が、マリューの胸を占め、知らず彼女はムウの手を探り当てるとぎゅっと握った。

「恐い?」
「ええ・・・・・。」
 くす、とムウが笑う。それに、はっとマリューは我に返った。
「って、あの、少佐・・・・これは・・・・・。」
「こっち。」
 自分から彼の手を握っている事実に思い当たり、マリューは真っ赤になってそれを振りほどこうとした。だが、少佐はそれを許さない。
 繋いだ手に力を込めて、彼は手摺へと彼女を導いた。

 吐く息が白い。

 いくらか凍っているデッキに足をとられないよう気を付けながら、二人は緩やかに流れていくアラスカの夜の海を見た。
 全天を黒に近い紺の闇が覆い、瞬かない星が散らばっている。そして浮かぶ氷山にアークエンジェルのライトが当たり、不気味で巨大な白い塊がよく見えた。
「恐くて・・・・・。」
 手を繋いだまま、ムウが言う。
「不気味で、綺麗だと思わないか?」
「・・・・・・・・・。」
 ぶるっとマリューは心の内側から上ってくる恐怖に体を震わせた。
「あれ?綺麗じゃない?」
「き・・・・れいですけど・・・・私、夜の海って苦手で・・・・。」
「あ、ホラ。」
「え?」
 一つの氷がゆっくりと通り過ぎ、そして、アークエンジェルの駆動音とは別の、なにかかすかな音がする。
「艦長、あれあれ。」
「えええっ!?」
 氷のすぐ脇から、突然水飛沫が上がり。
「き、きゃああああああっ!?」
 巨大な物体が月光の下で跳ね上がった。
「クジラ、クジラ!」
「いやあああああっ!!」
 彼女たちの目の前で、海中を住処にするクジラが浮き上がり、空に身体を跳ね上げ、身を捻って再び着水する。最後に、キレイなかたちの尾っぽが黒々と海面から立ち上り、蠢く様子がはっきりと見て取れた。

 真っ暗な闇の中、目の前に現れた巨大な生き物に、半歩身を引き、目を丸くするマリューを後ろから抱きとめて、ムウは声を上げて笑った。
「しょ、少佐!!わ、笑い事じゃありません!!」
 真っ赤になって怒鳴られて、でも、ムウはおかしくておかしくて仕方が無い。
「艦長・・・・・水棲生物苦手?」
 くっくっくっ、と必死で声を殺すムウに、マリューはわめく。
「き、嫌いとか苦手とかそういう問題じゃありません!い、いきなり現れたら誰だって驚くでしょう!?普通!!」
「仲間だとおもったのかねぇ、この艦を。」
「少佐!!」
「ああ、はいはい、ゴメンってば。ただこれを見せたくて。」
「・・・・・・・・。」
 睨むと、喰えない笑顔を返された。
「凄いと思わないか?」
 言われ、マリューはそっと視線をクジラが消えた海中に戻した。
「あんなでっかいもんがさ、泳いでるんだぜ?この海ん中をさ。」
「・・・・・・・・・・。」
「あれだけの巨体、陸では支えられない。だから、ここが、あいつ等が生きて、死んでいく場所で、そして、俺達が生きられない場所・・・・・なんだよな。」
 それにマリューは顔を上げた。
 遠くを見るムウに、目を細める。

 ここが、生きて、死んでいく場所。

 それを、彼らはちゃんと知っている。

 彼らは決して、陸上に上がってこようとは思わない。なぜなら陸で生きられない事を、知っているから。

 本能で。

「・・・・・・・・そろそろ戻ろうか。」
 促すムウに、マリューはもう一度海を見る。
 氷の塊と、夜と、水平線と、星と、くじらを思う。
「もう少し、ここに居ますわ。」
「おいおい、風邪引くぞ?」
「平気です。もともと、寒いの、慣れてますから。」
 ふん、とムウは吐息を漏らすと、「じゃあ。」とぎゅうっとマリューを後ろから抱きしめた。
「っ!?」
 温かい腕が、マリューの身体に絡まる。
「ひっついてた方が暖かいだろ?」
 耳元で言われて、マリューの体温が上がる。拒絶しようとして・・・・そして不意に、それは酷く無意味な事のように思えた。
「・・・・・・そうですね。」
 呟き、軽く、彼女はムウの身体に体重を預けた。
「クジラ、また跳ねないかな・・・・・・。」
「ひょっとして、物凄くラッキーだったんじゃありません?あれ、見れたの。」
「う〜ん・・・・・多分ね。」
「一生の思い出?」
「なんだ、だったらもっとちゃんと見とくんだった。」
「何見てたんです?」
「驚くかんちょーの顔。」
 思わず抱きしめる腕をつねってやった。

「俺達は・・・・・どこへ行くんだろうな・・・・・。」
 不気味な夜を見ながら、ムウがぽつりと零した。
「・・・・・・・・さあ・・・・・どこでしょうね・・・・・。」
 それに答えるマリューは目を閉じる。


 ただ幸せに生きて、死んでいける場所。


 それが、ここなら良いのに。

 この腕の中なら良いのに。

「・・・・・・・・・・・・。」
 そう言ったら、少佐は迷惑がるかしら?

 それでもマリューは思うのだ。
 もう少しだけ、わがままかもしれないが、もう少しだけこのままでいさせてください、と。



 生き物を、夜の闇が包んで行く。

 それぞれの思いを抱きかかえて。



(2005/07/20)

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