Muw&Murrue

 歌姫と憂鬱
「フラガ大尉!」
 部屋を出て食堂に行こうとしていたムウは、廊下の端から声を掛けられて振り返った。
 厳しい表情の少尉が、こちらに向かって靴音高く歩いてくる。

 うわー、面倒なのに見つかっちまったなぁ〜、とムウは頭に手をやった。

「少尉・・・・・どうした?」
「先ほどの件ですが。」
 真っ直ぐに見返してくる彼女の瞳は、ユーモアの欠片も柔らかさも無い。
 あるのはただ真っ直ぐで、りんとした強さだけ。

 その瞳に見られると、いやでも自分が軍人だと言う事を思い知らされる。

「あ・・・・・どの件?」
「ラクス・クラインの件です。」
 声がとがる。
「あ〜。」
 ムウの脳裏に先ほどの艦橋でのやり取りが甦った。
「フラガ大尉はどのようにお考えですか。」
 率直に言われて、「どうって。」とムウは肩をすくめた。
「俺は艦長の意見に従うだけだけど。」
「・・・・・・・・。」
 む、と眉を寄せるナタルに、ムウは思わず苦笑した。
「何?艦長があのお姫様、どっかで降ろすって本気で考えてるのか?」
 言い当てられて、ぎくり、とナタルの身体が強張るが、だがそれは一瞬ですぐに元に戻る。
「艦長は随分甘い方に思われます。」
「・・・・・・・まあねぇ。」
「あのように擁護したいなどと・・・・・彼女はクラインの娘ですよ。」
「そーだね。」
「有益に処理するに越した事はありません。」
「だよね。」
「大尉っ!」
 めんどくさそうに答えるムウに、ナタルが眉を吊り上げた。
 それに、ムウが口を開いた。
「そー思うんなら、俺じゃなくて艦長に進言すれば良いだろ。」
「・・・・・・・・。」
 それは、と口ごもるナタルが、ムウを見上げた。
「・・・・・・上官の『お二人』がどのようなお考えなのか、私は知りたいだけです。」

 つまり、俺までそんな『甘ちゃん』な事に賛同してるのかどうかが知りたいというわけね。

 はあ、と溜息をつき、ムウは目を細めた。

「少尉。」
「はい。」
「俺達は軍人だ。」
「はい。」
「優先させる事が何か、何て事は言われなくても判ってるつもりだ。」
 はっとナタルの身体が強張った。
「そんなことで一々絡むな。」
「・・・・・・しかし。」
 声を荒げるナタルが、続ける。
「艦長がそれを分かってらっしゃるようには思えま」
「バジルール少尉。」
 語を荒げられて、ばっとナタルが姿勢を正した。
「・・・・・・・・・・アンタにはわかんないんだろうけどさ。」
「は。」
 腕を組んで、ムウは冷たい眼差しでナタルを見やった。
「『そうしたくない』って艦長が思う、って事はよっぽどアンタより艦長は『そうしなければならない』事態を正確に理解してると思うぜ。」
「・・・・・・・・・。」
「ただの甘ちゃんが大尉になれるかね。」
 肩をすくめて、ムウは「じゃあな。」と手を振ると歩き出す。
「だから・・・・・。」
 その背中にナタルはぽつりと漏らす。
「『そうしたくない』などと思うことが甘いのだ。」




 あのピンクのお姫様がどうなるかなど、ムウにしてみれば正直どうでも良いことだった。ナタルの言うとおり、彼女はコーディネイターで、クラインの娘である。地球軍からすれば、格好の獲物だろう。

 そんな立場の娘だ。同情はするが、助けてやる義理は無い。

 同時に、利用してやろうと思うことも、自分には関係の無いことだ。

「・・・・・・・・・・・・。」
 ナタルほど軍に忠誠を誓ってるわけでも無いし、マリューほど少女の心情に心を砕くほど甘くない。

 なのになんであんなこと。

 自分にしてみれば、珍しく艦長を擁護するような台詞だったなと、ムウは自嘲気味に笑った。

「・・・・・・・・・・。」

 気分があまり良くなくて、苛立つように溜息を吐き、ムウは廊下を曲がる。と、右手に後部デッキの展望室へ続くドアを見つけ、いらいらを払拭しようと彼はそちらに向かった。
 軽い音を立ててドアが開く。

 うわ・・・・・失敗した・・・。

 そこにはガラスに手を突いて全天に広がる宇宙を眺めているマリューが立っていた。

 思わず回れ右をしてそこを出ようかと躊躇する。それより早く、人の気配を感じたマリューが入り口を振り返った。
 軽く右手をガラスに置いたまま、目を見開く。
「あー・・・・・悪い、邪魔した。」
 適当に笑って誤魔化し、その場を出て行こうとするムウに、「あ、いえ。」とマリューの方が慌ててガラスを放した。
「私はもう、戻りますので。」
 大尉、どうぞ。

 軽く浮かんでいた足を地面に下ろし、疲れたようにマリューが溜息をつくのを、ムウは見た。

「お疲れさん。」
「あ。」
 つい、と側に寄ったムウに、ぽん、と肩を叩かれて、マリューは困ったように笑った。
「ありがとうございます。」
 深呼吸をして、背筋を正すマリューに、ムウは思わず口を開いた。
「副長さんからさっきさ。」
「え?」
「・・・・・・・・あのお姫様のこと、ちゃんと上層部に引き渡すようにって念を押されちまったよ。」
「・・・・・・・・・・・。」
 ちくりと、どこかが痛むような顔をして、マリューがムウを見上げる。
「私が信用ならないって事ですか?」
「ま、直訳するとそうなんだろうな。」
 硝子の向こうに広がる宇宙を見たまま、ムウはあっさり言ってのけた。
「良くも悪くも、規律が第一と考えてる人だからさ、副長は。」
「・・・・・・・・それが、正しいんですよ。」
 小さく笑って言われて、マリューはすっとムウの側に立つと、再び冷たいガラスに手を当てた。
「そうできれば・・・・・・楽なんでしょうけどね。」
 遠い目をするマリューにムウは乾いた声で笑った。
「艦長は背負い込み過ぎだからな。」
「・・・・・・・・・・。」
 振り返り、男は真っ直ぐに女を見た。柔らかい視線に、マリューが戸惑う。
「気にすること無いんじゃないのか?」
「・・・・・・・・・・。」
「あのお姫さんを助けた、ってだけで艦長は感謝されるべきだろうさ。」
「・・・・・・・・・。」
「その後どうなるかなんて、俺達がタッチするような事じゃないだろ?」
 そうですけど、とマリューは小さくつぶやく。その肩を、ムウが再び叩く。
「考えるなって。仕方ない事なんだからさ。」
「・・・・・・・・・。」
「あのまんま放置しておいて、彼女が死んでしまうよりも、なんとか生きる道があるんだから、そっちの方が良いに決まってるだろうが。」
 それでも、納得がいかないという表情で、マリューは唇を噛んだままうつむく。
「じゃあ何か?」
 ムウはおどけたように眉を上げる。
「艦長は全宇宙の人間に幸せになってもらわないと気がすまないって言うのか?」
 それに、ようやくマリューが顔を上げた。
「そういうわけでは・・・・・・・。」
「じゃあ、何?」
「・・・・・・・・・・・。」

 なんであの少女の行く末を心配する?
 心配して、どうして行き詰まって落ち込んでる?
 たかだかコーディネイターの少女一人で内部分裂してどうするんだよ?

「月基地に連れて行くことで、決定済みなんだから、あと艦長が考える事は何も無いだろうが。」
「・・・・・・・・・・・・。」

 そうなのだ。
 そう。
 分かってる。

 俯くマリューの栗色の髪の毛を眺めながら、ムウは溜息をつくと、再びガラス窓に目をやった。
「余計な物は純度を鈍らせる。」
「・・・・・・・・・。」
「そうなったら、死ぬのはアンタとこの艦のクルーだぞ。」
「大尉は?」
「俺はアンタの戯言に付き合って死ぬ気は無いよ。」
「・・・・・・・・戯言、ですか。」
「そー。」
 くしゃっとマリューの髪の毛を掻き乱し、男は視線を落とすと、その褐色の瞳を覗き込んだ。
「だからさ。」
「・・・・・・・・・・・。」
「な?」

 諦めてくれ。

 まるで子供にするように言われて、マリューはぎゅっと手を握りしめた。

「わかりました。」
 ふい、と視線を逸らし、マリューはムウに背を向ける。それから、とん、と床を蹴ってドアまで辿り着くと振り返る。

「艦長として出来ることが無い事は分かりました。」
「・・・・・・・・。」
「でも。」
 顔を上げて、マリューは真っ直ぐにムウを見た。
「マリュー・ラミアスとしてなら、出来ることがあると思いますから。」
「え?」

 背中を向けて、後部デッキを出て行く彼女に、ムウは目を瞬く。

「・・・・・・・・それって辞表覚悟ってこと?」

 呟き、参った、というように男は額に手を当てた。

「・・・・・・馬鹿な女。」

 そう思うが。

「・・・・・・・・・。」

 心のどこかが、少しだけ解けるような、そんな感触がムウを包むのだった。




(2006/03/11)

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