Muw&Murrue

 Fly Me To The Moon
「おとーしゃん、起きなきゃ、めーにゃにょ。」
 ぺちぺちと顔を叩かれて、ムウは片目を開けた。覗き込んでくるふっくらした白い頬と、紅葉の手が映り、途端に顔がにやけてくる。
「リューナ。」
 三歳の娘は、ムウのお腹の上に乗って、にこにこ笑っている。
「もうちょっと寝かせて欲しいなぁ。」
「めーでしゅよー、だってほら。」
 そう言って、リューナは得意げに枕元から目覚まし時計を取り出した。
「とけいさん、おひげなのー。」
「おー、リューナ、覚えてたのかー。」
 アナログの時計は八時二十分を指している。文字盤に目玉のシールを貼ったムウは、「おひげさんになったら起こしてくれな?」とリューナに頼んだのだ。

「だからね、おじかんー。」
 とくい、と胸を張るリューナを見て、眼を細めて笑うと、「ん。だな。」とムウはゆっくりと起き上がった。


 太陽はとっくの昔に水平線の彼方に沈み、西から満月が昇ってくる。リビングの掃き出し窓を開けて、その前にちょこんと座ったリューナが、海の夜風に吹かれて月を見上げている。
 着替えを終えたムウが、「何見てるんですか?」とリューナの側にしゃがんだ。
「おとーしゃん。」
「んー?」
「きらがね、ちゅきにね、うしゃぎがいるってゆったの。」
 その言葉に、ムウがくすくす笑った。
「ああ、そうらしいな。」
「おとーしゃん、うしゃぎ、ちゅれてきて。」
 くり、と振り返った彼女が、青空色の瞳をキラキラ輝かせてそう告げる。それに、ムウが目を細めて微笑んだ。
「ん・・・・・そーだなぁ、お父さん、ウサギ捕まえられるかなぁ。」
「ちゅかまえてね!ぜったいちゅかまえてね!!!」
 ムウの着ているオーブ軍の制服を掴んでリューナが必死に懇願する。その頭をくしゃくしゃ、としてムウが「そーだな。」とにっこり笑った。
「お父さん、頑張ってみるな。」
「うん。」
「っと・・・・・・。」

 腕にはめていた時計からアラームが響き、ムウは顔を上げる。立ち上がると、ソファーの上から鞄を持ってリューナに右手を差し出した。

「ほいじゃ、行こうか、お姫様?」
「うん。」



 青白い満月の灯に照らされて、住宅街は明るかった。助手席のリューナは、夜のお出かけが嬉しくて、ぺったりと両手を窓ガラスに押し当てて、流れる街の様子や、妙に明るい海をしげしげと眺めている。
「何か見えるか?」
 あんまり熱心なので、ムウは先ほどと同じ質問をしてみた。
「うみ、きらきらだね。」
「・・・・・・・・・・。」
「おとーしゃん、うみしゅき?」
「好きだよ。」
「リューナもしゅきー。」

 えへへへ、と笑うリューナが可愛くておかしくて、ムウは笑いを噛み殺す。

「きれいだねー、うみ。おっきいねー。」
「ああ、そうだな。」
「おちゅきしゃまもおおきいのー?」
「大きいよー。」
「ねえねえ、あそこからリューナみえるかなぁ?」
 はしゃぐ娘が、人差し指で満月を指した。
「・・・・・・・・見えるかもな。」
「ほんとう!?リューナ、じゃあ、おとーしゃんも、こやってて、ふってね?」
「・・・・・・・・・・。」
「ぜったいね!やくそくね!」

 おちゅきしゃまから、リューナ、おとうしゃんみえるかにゃー?

「・・・・・・・・ああ。」

 うふふ、と笑うリューナに、ムウはそっと柔らかく囁く。

「お父さんも、ちゃんとリューナのこと、探すからな?」




「あらあら。」
 オーブにある宇宙ステーション。そのエントランスには月行きのシャトルを待つ人であふれていた。大半が軍服を身にまとって、小さな鞄を足元においている。
 その中で、大きな窓の前に立っていたマリューは、向こうから歩いてきた夫に小さく笑った。
「寝ちゃったの?」
「もう九時半だもんな。」
 足元に荷物を置いて、片手で抱っこしていた娘をマリューに渡す。
「仕事は?」
 ムウの台詞に、彼女は肩をすくめた。
「もうやること無いから、帰ってくれ、って言われたわ。」
 それに、ムウが笑ってマリューのお腹の辺りを見た。
「ていうか、八時まで仕事するなよ。」
「今日は午後からだったの。」
 やれやれ、うちの奥さんは働き者だ。

 溜息とも付かない息を付くムウを見て、マリューが眼を細めた。現在彼は、きちんと制帽を被って、制服を着ている。
 久々に見る姿だ。

「月から手、振ってくれって頼まれたよ。」
 にっこり笑うムウの、優しいそれに、マリューの瞼が熱くなる。
「ちゃんと振ってよ?私も振るから。」
「・・・・・・・・ん。」

 娘を抱えたまま、マリューがそっとムウに身体を寄せた。温もりごと、しっかりと抱きしめる。

 それからそっと離れて、ひざまづくと、リューナを抱く彼女のお腹に手を当てた。

「ごめんな、お父さん、こんな時に側に居なくて。」
「・・・・・・ほーんと、駄目なお父さんですねぇ。」

 少しだけ膨らみかかっている彼女のお腹に向かってムウはそれでも続ける。

「そう・・・・駄目なお父さんだけどさ。お前が護ってくれな?」
「お腹の子供に頼んでどうするんですか。」
 くすくす笑うマリューに、立ち上がったムウがそっと口付けた。

「他の野郎に君を任せるのはイヤだから。」
 それなら、俺の息子に頼む。
「はいはい。」

 くすくす笑っているものの、滲んだ目尻の涙は隠せなくて。そっと延びてきた指が、それを見つけて拭う。

「長いな・・・・・・・。」
 一年も逢えないなんて、さ。
 苦く零された台詞に、マリューが緩やかに首を振る。
「お 仕 事 よ?それに・・・・・・L4宙域に、貴方は興味があるでしょう?」
「・・・・・・・・・・・。」
「いってらっしゃい。」

 アナウンスがこだまし、人々がざわめきだす。はあ、と溜息を付いて、「出来れば行きたくないんだけどなぁ。」とムウが零した。
 不意に、マリューがムウの袖を掴んだ。
「・・・・・・この子が生まれる時には・・・・・戻ってきて。」
 連絡するから。
 不安げな褐色の瞳に、ムウは力強く頷く。
「もちろん。そこは絶対産休にしてもらうから。」
「産休って。」
「・・・・・・・マリュー。」
「・・・・・・・はい。」
「後、頼むな。」

 強請るように、マリューが顎を上げ、そっとムウがキスを落とした。

 アナウンスと喧騒が静かに広がる、広い広いエントランス。そこで二人は暫く、巨大なガラスの向こうに見える、真っ白な月を背に、キスを続けるのだった。






 数ヵ月後。

「あれ?」
 飯でも食いに行くか、と市街へと出たムウは、ビルのパネルが切り替わり、ラクス・クラインの新曲が流れるのを見た。
「へえ。」
 噴水のある小さな公園で、人々がパネルを見上げている。
「お姫さんの新曲かぁ。」


 古い歌のカバーらしく、緩やかにジャズ調の曲が流れ出す。


 小さな酒場で、ピアノとサックス、それからベースだけを伴奏に、髪の毛を結い上げたラクスが、落ち着いた赤のドレスを身に纏い、スタンドマイクの前で歌いだす。


 Fly Me To the moon
 And let me play among the stars


 こんな曲調も歌えるんだと感心しながら見ていると、ふと、ムウの視線が画面に釘付けになった。

 照明の暗い室内で、酒瓶の並ぶ棚を後ろに、丸いテーブルが映る。そのテーブルに、真っ白な、レースのフリルの付いたドレスを着た少女が座っていた。引いたカメラが映すのは、少女の向いに座る羊の縫い包み。

「・・・・・・・・・・・。」

 それは紛れも無く、リューナだった。

 リューナは羊相手に物憂げに、悲しそうにしたり、時々くふふ、と笑ったりしている。それから羊を掴んで立ち上がり、すたすたと板張りの床を進んで歌うラクスの前に進み出た。

 両手を広げる。

「ねえ、私を月に連れて行って?」

 そんなテロップが下に出て、しゃがんだラクスがにっこり笑う。

「大事な人が月に居るの。だから連れて行って?」

 ひょい、とラクスが彼女を抱き上げて、歌いながら店を出る。ぺらぺらの月と摩天楼が、後ろに飛び去り、舞台が掃けて、草原になる。

 二人は歌いながら楽しそうに草原の中を歩いて行く。巨大な白い月が、青空にぽっかりと浮かんでいた。



 ずっと変わらずに愛して欲しいってこと
 つまりね? 私は貴方を愛してるって事!


「・・・・・・・・・。」

 画面が二人を俯瞰で映し出し、やがてパンして、巨大な月を大写しにする。

 サビが何度もリフレインし、やがてゆっくりと画面がフェードアウトした。

 黒い画面に浮かぶ字幕を、ムウは暫く呆けたように見上げていた。

「Fly Me To The Moon・・・・ね。」
 やがてぽつりと呟くと、嬉しくて、笑い出し、ムウはくしゃりと前髪を掴んだ。

 目を閉じると、笑っていたリューナが見えて、胸がほっこりと暖かくなる気がした。


 その日、仕事が終わってから衛星電話でマルキオ邸に身を寄せているマリューへと電話をすると、得意げな顔でリューナが「ふらーみーとぅーじゃむーん♪」と歌いだすのだった。


 あと数ヶ月。あえない日々が続きそうだが、マリューから送ってもらったPVを糧に頑張ろうと思うだった。




(2006/09/11)

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