Muw&Murrue

 ただいまが足りない
 繰り返される「おかえり」と「ただいま」に、一つだけ足りない物があった。

 貴方の「ただいま」が足りなかった。




 とりあえず、オーブは撃たれないですんだ。
 焔を上げて燃え上がる移動要塞に、ネオはアカツキの中でほっと息を付く。
 デスティニープランも、肝心の議長がいなければ早急に進むことも無いはずだ。

 時間が有れば、プランの欠陥も浮き彫りになる。もともと議長のカリスマによって押し進められたプランだったわけだし。

 議長を倒したオーブ軍は、世界的に非難されるだろうか。

 まあ、それも、頭が冷えれば分かる事だ。



 とにかく、時間が無かった。

 ゆっくり考える間を、議長は人々に与えなかったからだ。

 でも、彼が居なくなった今、人は考えるだろう。



 あとは、自分たちの問題だ。

 オーブが何故、デスティニープランを呑めなかったのか、それを発表すれば、少しは事態も収まる。

 議長が居たら、それすらも満足に出来なかったわけだし。



「うっしゃ。引き上げるぞ。」
 まだ呆然と燃え上がる要塞を見詰めている、生き残りに声を掛けると、はっと彼らが我に返る。
「要を落とされたんだ。ザフトに戦意はねぇよ。後は我が歌姫が丸く治めてくれるだろうさ。」
「そうですね。」
 どこかぼんやりした声で、キラが答えた。
「・・・・・・・・・・・・。」
 最後に議長と話がしたいと、フリーダムで突っ込んで行ったキラを、ネオはモニター越しに見詰める。
「何があったのか・・・・・・訊かんがな。」
「・・・・・・・・・はい。」
「ま、そのうち教えてくれ。」
 機体を反転させると、ジャスティスがミネルバへと向かっていくのが見えた。

 彼はあの艦に居たのだから、当然だろう。
 交戦し、半壊させたインパルスのことも、気になるのだろうし。

 ザフトの艦隊が動くのが見える。残存部隊をまとめているのだろう。率先しているのは、どうやらジェネシスが撃たれる事を、アークエンジェル側に警告した奴の率いる部隊らしい。

 その後のザフトの指揮を執るのはミネルバか?

「って、あの壊れ具合じゃな。」
 なら、ミネルバの艦長辺りがどうにかするのかもしれない。

 ラクスによる停戦の呼びかけを聞きながら、ネオは漂う巨大な家を見上げた。


 二年間、空けっぱなしにしていた。


「・・・・・・・・・・・・・。」


 酷い事をさせたなと、ネオは苦く笑う。

 この艦が生き残っているという事は、彼女は自身の手でドミニオンを沈めたのだろう。
 かつての同僚が、アークエンジェルに居なかった事を考えると、彼女はドミニオンと共に散ったのかもしれない。

 悲しいかな、そういうのが恐ろしく似合いそうな女性だった。

 最後まで、不器用なまま。

「って、俺もかな・・・・・?」
 苦く笑う。彼女を護りきらなければとただその一点で、ローエングリンの前に立ったのだから。

 アークエンジェルのカタパルトデッキが口を開けるのが見える。

 そうやってそこに戻るたびに、また彼女の笑顔が見られるんだなと、何度嬉しく思ったことか。
 キスしてからは尚更。

 戻ってくる覚悟の上でのキスだったのにと、収容されるムラサメの後に続きながら思う。
(一応・・・・・戻ってくるには来たが・・・・・・許してくれるかな。あの艦長さんは。)

 艦内を誘導される。
 いくつものシャッターを通り抜けて、格納庫にたどり着く。
 収容される先で、グリーンランプが確認されると、わらわらと整備員が出てくるのが見えた。

 無重力空間を降りてくるパイロットを、彼らが迎え、拍手が起きた。
 雨の音にも似たその喝采に、口笛も混ざる。

 歓声を聞きながら、ネオもまた、アカツキのハッチを開けると、ヘルメットを脱いだ。



 乾いて冷たい空気が頬を撫でる。襟足を払うと、髪の毛がぐっしょり汗で濡れているのが分かった。
「あっち〜。」
 襟元を緩めると、こもっていた熱が逃げて、急激に冷たい空気が体の中に流れ込んでくる。
 それが気持ちよくて、手でぱたぱた仰いでいると、叫ぶような声が自分の名前を呼ぶのを聞いた。

 アカツキのコックピットの前に突っ立っているネオは、格納庫上部の手摺から身を乗り出している女を見た。

 彼女は泣きそうな顔をしていた。

「何泣いてんの?」
 そういうと、彼女は口をへの字に曲げる。
「泣いてません!」
「そうか?」
「・・・・・・・・・・・・。」

 ごし、っと彼女が目元を拭うのが見える。

「なあ。」
 遠くにいる彼女に声を荒げて叫ぶ。
「キスしたんだけど。」

 天井の高い格納庫に、それは大きくこだました。

 下方にいる整備員が、上空を見上げるくらいには。

 マリューの頬が真っ赤になるのが見えた。

(馬鹿っていわれるかな?)
 そのまま見詰めていると、彼女は身を乗り出して、ぽん、と手摺を蹴った。

「キスしてっ!!!!」

 叫んだ彼女が、涙を散らしたまま、真っ直ぐに飛んでくる。
 ネオもまた、ハッチを蹴って彼女に向かって飛んだ。

 格納庫のど真ん中で二人は手を取ると、しっかりと抱き合った。

「馬鹿っ!」
「はいはい。」
「大ッ嫌い!」
「だな。」
「待たせすぎよ!!」
「悪かった。」


 マリューが顔を上げる。涙に歪んだその顔は、もう、泣きそうなのと笑顔とごちゃ混ぜになっていた。
 それが可愛くて、ネオは吹き出す。
 ますますマリューの顔が歪んだ。
「ムウ!」
 咎めるように『自分の名前』を呼ばれて、ムウは目を細めた。
「ただいま。」
 涙に濡れた、柔らかい、褐色の瞳を見つめる。
「ああもう、また泣く。」
 みるみるうちに、目尻に涙が溜まる彼女を、あやすように抱き寄せて、ぽんぽんと背中を叩いた。
「ただいま。」
「うん。」
 すがりつく彼女の首筋に顔を埋める。
「ただいま。」
「うん。」
「・・・・・・・ただいま。」
「うん!」
 身体に響くくぐもった声に、ムウは苦笑した。
「あの・・・・・マリューさん?」
「・・・・・・・・。」
「ただいまって言ったら、返す言葉があるでしょうが。」
 顔を上げたマリューは、そっとムウのほほに手を当てる。
「ダメ。」
「なんで。」
「足りない。」
 目を丸くするムウに、マリューはぎゅっと唇を噛んで恋人を見上げた。
「二年分、ただいまが足りない!」
「・・・・・・・・・・・。」

 目を丸くした後、ムウは思わず吹き出し、力いっぱいマリューを抱きしめた。



「ただいまただいまただいまただいまただいまただいまただいまただいまただいまただいま。」

「まだ〜〜〜〜っ!」
「うっそ、まだ?」
「まだ。」
 息を吸い込んで続ける。

「ただいまただいまただいまただいまただいまただいまただいまただいまただいまただいま。」


 続けるうちにおかしくなって、ムウは途中で吹き出した。腕の中でマリューも肩を震わせて笑っている。
「つかさ、二年分の『ただいま』が足りないんなら、二年分の『おかえり』はどうしてくれるんだよ?」
 今度はおかしくて涙を零すマリューの額に、額を当てて、ムウはちょっと意地悪く聞いてみる。
「私は一回でいいんです。」
「なんだよそれ!?理不尽だろ?!」
「待たせた罰です。」
 ほら、ただいまは?
 首を傾げて見上げる彼女に、ムウは「ふ〜ん」と目を細めると

「ただいま。」

 低く耳元で囁くと、あっというまにマリューの唇を塞いだ。

「何するんですか!」
「ただいま、一回に付き、キス一回ね。」
「はあ!?」
「ただいま〜〜〜〜〜。」
「んぅう!?」



 ただいま、の度に口を塞がれて、マリューは「おかえり」を返せない。何度かムウの胸元を叩いてみたが、一向に止まらず、だんだんどうでもよくなってきて、それ以上に嬉しくて、マリューは緩やかに格納庫の底を目指して降りていきながら、何度も何度も口付け続けた。



 足が、床に触れ、マードックを始めとする整備班の円の真ん中に降り立つ。
 長めのキスをした後、ようやくムウがニッコリ笑った。

「ただいま。」

 しん、と冷たいそこに彼の低い声が響き、マリューは肩を落とし、泣き出しそうな顔でムウを見上げた。





 足りなかった。

 沢山の「ただいま」が有ったのに、欲しかったそれだけが、世界中のどこを探しても見つからなかった。



 でもいまここに、それは奇跡のように存在する。



 マリューは大きく息を吸い込むと、一番言いたかった言葉を吐き出した。









「おかえりなさい、フラガ少佐!」










 それに、わっとあたりに歓声が沸き起こり、拍手となんだか訳の分からない祝福が始まる。
 叩かれるムウはあちらこちらから「果報者」とか「うらやましいです!」とか野次を飛ばされ、怒ったように、でも笑うと、自慢するかのようにマリューを横抱きに抱き上げた。
「お前ら、いいだろ〜!?」
「ムウったらっ!!」
  溢れる人の輪に、ムウの帰還を見ようと集まったほかのクルーも混ざって、格納庫は大混乱になった。
 その中で、自分を振り回す彼にしがみ付いて、マリューは弾けたように笑う。

 歓声とおめでとうと、もうなにがなんだか分からない渦の中で、抱き上げたマリューに、ムウは掠めるようにキスをした。
「待たせた。」
「うん。」
「でも・・・・・・・・・。」

 ムウの首筋にしがみ付くマリューの耳に、彼は唇を寄せると、そっと告げた。

「もうどこにも行かない。」



 帰ってきてくれた。

 ここに。

 ちゃんと約束を護って。

 帰って来るって言ったから、帰って来たのだ。




「ただいま。」
 身体に馴染むその声に、マリューはそっと目を閉じると、はしゃぐ空気に混じって呟いた。
「おかえりなさい。」

 それから、彼女は自分から、たった一人の愛しい人へと口付けを贈るのだった。






(2005/10/05)

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