Muw&Murrue

 Rouge
 戸惑いながら惹かれあう。求める者でもなく、求められる者でもないのに。


 アカツキのマニュアルを抱え込み、自室で端末を叩きながら色々調整をしていたネオは、呼び出し音に顔を上げた。
「どーぞ。」
 適当に答えると、「失礼します。」と軽い声が響いてきた。振り返ると、この大天使様の艦長が立っていた。
「どうかしたのか?」
 艦長自ら出向いてくるなんて、と驚いて眼を見張れば、彼女は持っていた保温パックを取り出した。
「一佐。ご飯、食べてらっしゃらないでしょう?」
「あ・・・・・・・。」
 モニターの時計を確かめると、既に食堂の給仕時間を過ぎていた。
「取っておいてくれたのか?」
「私もギリギリだったんです。」
 微笑み、彼女はそれをネオに差し出す。
「さんきゅ。」
 答えてそれを受け取り、中のスープとハンバーグとパスタに目を細めた。今更ながらにお腹が空いて来て、ネオは画面のファイルを保存し、食事にすることにした。
 ふと顔を上げると、マリューがまだ傍に立っている。
「何?」
「え?あ・・・・・・・いえ。」
 見惚れていたマリューは、慌てて視線を逸らすと、それじゃあ、と小さく呟いた。

 一瞬だけ見せた躊躇いのようなものに、ネオはどきりとする。

「艦長もコーヒーかなんか飲んでくか?」
 背中を向けかけていたマリューが、そっと振り返り、視線を外したままのネオの横顔にぶつかった。
「インスタントでよければ、淹れるけど。」
「・・・・・・・・・・・・・。」

 用事が無いときに居ては行けない、なんて規則は、アークエンジェルには存在しない。
 もちろん、この二人の間にも。

「喜んで。」
 答え、マリューは使っていないベッドにちょこんと腰を下ろした。



「どぞ。」
 淹れてくれたコーヒーはインスタントで、砂糖とミルクが多めに入っていた。ついでにソーサーにチョコレートが乗っていて、どうしたんです?とマリューが笑いながら訊ねた。
 デスクに戻ってハンバーグに齧りついていたネオは、「ピンクの髪のお姫様に貰ってね。」と肩をすくめて見せる。
「ま、甘いものは嫌いじゃないしね。」
「コーヒーはブラックなのに?」
 指摘されて、ネオははっとマリューを振り向いた。特に気にする様子も無く、彼女は膝の上にコーヒーを置くと笑いながらチョコレートの紙を剥いていた。


 ムウって奴が、そうなのか?


 そんなセリフが喉まででかかった。でも、折角微笑んでいる彼女の笑みを、凍らせたくなくて、ネオは気付かない振りをする。
「艦長は甘いもの、好きなのか?」
 舌の上で溶けていくチョコレートを楽しみながら、マリューが「うん?」と顔を上げた。
「そうね・・・・・嫌いじゃないわよ?」
「じゃ、今度ケーキでも食おうか。」
 一緒に。
 ぱくぱくと食事を続けるネオの背中を見詰めながら、マリューは目を伏せた。
「そうですね。」
 今、アークエンジェルは議長の動向を探るために宇宙へと上がる準備をしている。ここを離れたら最後、いつまたこの地に戻ってこられるのか分からない。
 ケーキでも食おうか、という約束を、果せるのかも危うい現状だ。
 コーヒーに写る世界を見詰めて、マリューは唇を噛んだ。約束が、反故にならない世界が来ればいいのに。
「この辺りに美味しいケーキのお店とか・・・・・・。」
 言いかけて、振り返ったネオはぼんやりとカップの中を覗き込むマリューに言葉を切る。
 食事を終えて、保温パックに蓋をすると、ネオはカップを手に一瞬だけ考え込んだ。

 立ち上がり、ゆっくりと彼女に近寄ると隣に腰を下ろした。

 軋んだスプリングの音に、はっとマリューが顔を上げ、コーヒーを手に笑うネオにぶつかった。
「なんなら、俺のチョコレートもやろうか?」
「え?」
「疲れたって、顔に書いてある。」
 そうですか?と誤魔化すように笑い、マリューは小さくため息を付いた。
「・・・・・・・・・・・・。」
「悪かった。」
 ぽつりと呟かれ、「え?」とマリューは顔を上げる。同じようにカップの中を見詰めたネオが少しだけ寂しそうに切り出した。
「勝手な約束、なんてしたくないよな?」

 大丈夫。直ぐに戻ってくるさ。

 同じ声音のセリフが脳裏を過ぎり、マリューは動揺を悟られないように細く息を吐き出した。

「これで許して。」
 微かに笑うと、ネオは自分のチョコレートを、マリューのソーサーの上に置く。
「約束。」
「ん?」
 ず、とコーヒーをすする彼に、チョコレートを眺めていたマリューが囁いた。
「約束しましょう。」
「・・・・・・・・・・・。」
 顔を上げたマリューが、そっとネオの瞳を覗き込んだ。
「一緒にケーキ、食べるって。」
「・・・・・・・・・・・・・。」
「帰ってきて、一緒に。」



 その約束を、俺は護れるだろうか。



 小さな約束すら、護れなかった『過去』がネオにはある。
 反故にした、罪が。



「・・・・・・・・・・・・・・。」
「ロアノーク一佐。」
 見詰めてくる褐色の瞳に、ネオはなんと答えればいいのか、迷った。

 はい、と答えるべきか。
 いいえ、と答えるべきか。

 そもそも、約束なんかしなければいいのでは、ないのだろうか。

 何も約束しなければ、破られる事も無い。
 がっかりする事も無い。



 縛られる事も、無い。





 だから――――――。





「分かった。」
「・・・・・・・・・。」
「約束な。」
 ネオはそう、答えていた。それに、少しだけマリューの顔が明るくなった。

 護れない約束なら、最初からしないほうが、お互いのためだ。

「ええ、約束。」

 だから、俺は約束する。

 護れない約束なんかじゃ、無いから。


 必ず果そうと思うから。


「じゃあ、これはその証というコトで。」
 ネオから貰ったチョコレートの包みを剥いて、丸いそれを口に放り込む。微笑む彼女が、本当に嬉しそうだったから、ネオは奥歯を噛み締めた。

 これは、『俺と君の約束』だよな?

 ムウと君の、約束じゃなくて。

 君のその笑顔は、俺のものだよな・・・・・・?

「ネオ?」

 止める間も、かわす間も無かった。

 唇が触れて、マリューは驚いたように眼を見張った。軽い口付けが離れ、空色の双眸が自分を映していた。
「あ・・・・・・・・・。」
 少しだけ頬を赤くし、マリューは困ったように俯く。不意打ちの、久々の感触に心が震える。
「艦長。」
 促され、手に持っていたカップを取り上げられる。デスクにそれを置いたネオが、改めてマリューを見た。

 軽かった口付けは深さを増し、強く抱き合ったまま溶けるようなキスを続ける。頭の芯がぼうっとしたように痺れ、気付くとマリューはベッドに押し倒されていた。
 二人とも、息が上がっていた。
「チョコレートの味がする。」
 ぼうっとネオを見上げていたマリューが、彼のその一言に、はっと我に返った。
「あ・・・・・・・貴方って人は・・・・・。」
 続く台詞は、落ちてきた口付けに遮られた。

 何も考えられなくなる。
 ただ、求めるように口づけて抱きしめて・・・・・・。



 伸ばした手の先にいある、確かな存在を、マリューは強く抱きしめて目を閉じた。
 素肌に刻まれる体温の全てを、逃すまいとして。




 温かい感触に、そっとマリューは目を開け、間近で自分を見詰めている存在に、息を飲んだ。
「あ・・・・・・・・。」
 何か言おうとして、喉が乾ききり声が出ないことに気付く。起き上がったネオが、水を持って戻ってきた。
 飲もうと手を差し出した彼女を制し、一口口に含むと、まだ臥せっているマリューに口付けた。

 喉を、冷たい感触が流れていき、ほっと彼女は溜息を漏らした。
「まだ欲しい?」
 囁くように言われて、彼女は首を振った。手を伸ばして、ネオの腕を掴む。もう一度彼女の横に戻ると、そっと自らの腕でマリューを閉じ込めた。
「艦長。」
「うん?」
 目を閉じて自分にすがる、柔らかい存在を、強く抱きしめて、ネオは喉まででかかった言葉を飲み込んだ。


 これは、恋の始まりでいいのか?


「ごめん。」
「え?」

 そう、言える権利をネオは持っていない。彼女の中には死んでしまった恋人が、今でも強く生きていて、そして、その人を通して、ネオは見られていると、身体を重ねても知っているから。
 例えそうじゃないと彼女が叫んでも、無意識のうちに投影してる。


 だから、これは恋の始まりじゃない。


 彼女に、してみれば。


「口紅、取れちまったな。」
「あ・・・・・・。」
 化粧なんかしなくたって、十分にキレイなマリューだが、口元がすっかり色褪せてしまっていた。
「俺の所為だよな。」
 くすくす笑って額に口付けられ、二人で分けた時間を思い返し、「もう!」とマリューが頬を赤くした。
 俯き、「廊下、大急ぎで戻ります。」と呟く彼女の髪に指を滑らせて、ネオは「わりぃ。」と呟いて目を閉じた。


 彼女にしてみれば、これは恋の始まりでもなんでもない。


 でも、俺にしてみれば、これは恋の始まりで正しい。


「なあ。」
「うん?」
「君の口紅の色とメーカー、後で教えて。」
「どうして?」
 ふっと、ネオは笑った。
「同じの買って、置いとくから。」


 確信犯な台詞に、マリューが「バカぁ!」と叫び、ネオは目を細めた。



 連敗続きの戦場で、久々に、落としがいのあるターゲットだな、と。

 そう思いながら。





(2005/12/30)

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