Muw&Murrue

 レッドランプの在り処




 ただ恐いとそう思う。

 ヒトではなくなるのが。




 いつの間に切ったのだろう。
「・・・・・・・・・・。」
 整備中だろうか。
 切れた掌に血が滲むのを、ネオは奇妙な物でも見るような眼差しで見詰める。
 けっこうすっぱり切れているらしく、どんどん血が溢れてくる。だが、それを見て、どんな感情も浮かんでは来なかった。

 目を閉じて、記憶の底をかき回し、ようやく彼は「痛い」という記憶を呼び覚ます。
 だが、それはもう、ただぼんやりとして、ハッキリしなくなっていた。



 痛い、という感覚が薄れていく。

(本当はそれを消したかったんだろうさ。ジブリールは。)
 力いっぱい拳を握り締めて、ネオはぎりっと奥歯を噛んだ。
 零れ落ちていく深紅が、爪を立てたムウの指を滑っていく。床に、ぽつりと、真っ赤な雨を降らせる。
 それを、ネオは暗い眼差しで見やった。



 開発途中で『廃棄』された実験体があった。



 『痛みを感じない強化人間』。
 『恐怖を感じない強化人間。』
 『ヒトとしての感情を全て廃棄させられた強化人間。』

 写真と実験データしか見なかったが、彼らはもはや『人』とは呼べない存在だった。

 感情の無い死んだ目。無表情を極めた顔。そして、血だらけになっても、骨が砕けても、握り締めた銃だけは離さず、ぎらついた目のまま『戦い続けた』彼ら。


「・・・・・・・・・・。」

 ふいに思い出したその映像に、ネオの背中がざわついた。
 同じなのかもしれない。

 駒に最も必要ない『痛み』を奪われた自分は。


「ネオ?」
 声を掛けられて、アークエンジェルの廊下で立ち尽くしたままだった彼は、はっと顔を上げた。
 線の柔らかい、触れると壊れてしまいそうな女が自分を見上げていた。
「ん?」
 彼女の目から逸らすように傷ついた手を隠す。
「どうした?」
 笑って聞けば、少し首を傾げたような格好で、彼女が嬉しそうに笑った。
「よろしければ、お茶でもご一緒に、と言おうと思ったのですけど?」
 かしこまって言われ、ネオは微笑を返す。
「ん。いいよ、分かった。後から行くよ。」
「ええ。」

 とりあえず、この手の怪我をなんとかしなくては。

 痛みは無い。

 いや、違うな。

 彼女に背を向けて、ネオは急速に冷たい顔になる。

 痛みが無いんじゃなくて、痛い、と思う部分を破壊された、ということだ。



 自室に向かって歩いて行くネオを見送り、マリューは艦長室に戻ろうと踵を返した。その時、目の端が鮮やかな花を捉えて、立ち止まる。
「え?」

 真っ白な廊下に、一つ、赤い花が咲いていた。

「・・・・・・・・・・・・・・。」

 それが、ぼつぼつと廊下に一列に並んで咲いている。
 ネオの、歩いて行った方向に向かって。



 気付いている事が、マリューにはあった。

 ネオが、何かを隠している・・・・・そう、マリューは直感で悟っていた。

 それがなんなのか、分からない。分からないけど。

 連なっている血の痕に、マリューは胸の中に苦いものが広がるのを感じた。





「どうぞ。」
「サンキュ。」
 艦長室のソファーに腰を下ろしたネオに、マリューはカップを渡す。
「熱くない?」
「んにゃ。」
 入っている液体を飲み干すネオを見たまま、マリューは「それ。」とネオの掌に巻かれた包帯を指差した。
「あ、ああ。ちょっと怪我してさ。」
 本当は何時傷ついたかも分からない。でも、ネオはもっともらしく「整備のときにちょっと。」などと言って笑って見せた。
「痛い?」



 少しも痛くない。



「ん?あ、ま、大した事無いし。」
「・・・・・・・・・・・。」

 マリューの瞳が、暗さを帯びるのを、ネオは見た。見透かすように、彼の青い瞳を、彼女の褐色の瞳が飲み込んでいく。

「そうだ、カガリさんからね、出発の時にチョコレート貰ったの。」

 ふいっと彼から目を逸らしたマリューが、その場から立ち上がり、デスクへ向かう。
「ロアノーク一佐、甘いものお好きでしょう?」
 振り返らずに聞く彼女に、唇を噛んでいたネオは「ああ。」と答えた。
「じゃーん、これ、おいしそうでしょ?」
「ん。」

 振り返って、箱を見せるマリューに、ぎこちなく笑う。そんなネオの様子に構わず、マリューは彼の背後に立つと、背中に抱きつくような姿勢でチョコレートの入った箱を、ネオの前に差し出した。
「あ、美味そうだな。」
「でしょ?」
「お疲れのようだから。
 ぽん、と両肩に手を置いて、マリューが後ろからネオの顔を覗き込んだ。
「さんきゅ。」
 あ、でも艦長のが疲労してるんじゃないのか?

 笑いながら箱に手を伸ばし、ネオは振り返って、一個をマリューに差し出した。

 差し出して、彼はそこに凍り付いた。

 目をまん丸にしたマリューが、強張った顔で彼を見ている。

「どうした?」
「・・・・・・・・・・・・。」
「艦長?」
 ただ事では無い様子に、あわてるネオの目の前で、みるみるうちに、マリューの目尻に涙が溜まっていく。呆気に取られるネオに、マリューが、ぎこちなく笑った。

「ねえ・・・・・・。」
「何?」
「痛くないの?」
「え?」

 何のことだ?

 顔をしかめるネオの肩から、マリューは手をずらした。指先まで真っ白で、小さく震えているその掌を、ネオに向ける。

「っ・・・・・・・・。」



 彼女の掌の指の間に、小さな鋲が一つ、挟まっていた。

 それで刺されて気付かない訳がない、というような、代物。

「いつから?」
「あのな、マリュー。」
「ねえ、いつから?」
「・・・・・だから、な?なんでもないんだよ。」
「嘘よ!!」

 気付くと、マリューは悲鳴のような声で叫んでいた。

「痛くないわけないわ!これで刺されて、気付かないなんてわけないわ!?」
 そうでしょ!?

 詰め寄られて、ネオは奥歯を噛み締める。

「どうして?・・・・・・ねえ、なんで痛くないの?ねえ・・・・・ムウ!!!!」
「っ」

 その名で呼ばれて、ネオは力いっぱいマリューを抱きしめた。

「ねえ・・・・・何されたの?・・・・・痛まないなんて・・・・ねえ?どうしちゃったの?あなたの・・・・・何を奪って行ったのよ!?」
 あいつらは!!!!
「マリュー!!!!」
 強く名前を呼ばれて、彼女はびくっと身体を強張らせると、糸が切れたように、ネオの胸に顔を埋めて泣きじゃくった。
 その柔らかい塊を、ネオは愛しさをこめて抱きしめる。
「平気だ。」
「・・・・・・・・・・。」
「だから、泣くな?」
「・・・・・・・・・なんで黙ってたのよ。」



 自分がヒトで無くなるのが、恐かったから。



「ネオ?」

 痛みが分からない。
 自分の痛みが分からない。
 そして、自分の痛みが分からない奴が、他人の痛みを理解することなんか、出来るわけが無いから。

 ただ恐かった。
 無意識のうちに、マリューを傷つけて、そして、傷つけたことにすら、気付けなのいのではないかと。

「俺は・・・・・痛みを感じる部分を壊されたんだよ。」
 そっとマリューの頬に手を当てて、ネオは笑う。
「『痛い』ていうのがどういう感触か、もう分からないんだ。」
「・・・・・・・・・・・・・。」

 今にも泣きそうな顔をするマリューに、ネオはなんでもないとわからせようと、笑う。

「でも、逆にいいのかもな。」
「・・・・・・・え?」
「戦って怪我しても、痛くないのなら、戦い続けられるからさ。」


 その瞬間、マリューは反射的にネオを突き放した。

 真っ直ぐにデスクに向かう。


「マリュー?」

 机の引き出しから取り出した何かが、彼女の手の中で閃くのをみて、ネオははっと気付いた。

 彼女の手に、カッターが握られていた。

「待て!?おい、マリュー!!」


 彼が手を伸ばすのとほぼ同時に、机の上に血の花が咲いた。


「おい!!」
「あなたが言ってるのはこういうことでしょう!?」
 怒り任せに彼女の手首を掴んだネオを、マリューは真っ青な顔で睨んだ。
 切った掌から、血が溢れて、ネオの指をこぼれていく。
「・・・・・・・・・・・・・。」
「傷ついて・・・・・あなたは痛くないのかもしれないけれど、私はっ・・・・・・。」

 ぼろぼろと涙を零したまま、マリューは叫ぶ。

「私は斬られるより遥かに痛いわ!!!!!」
「・・・・・・・・・・・・・。」



 ねえ、貴方は痛くない?



「・・・・・・・・・・・ゴメンな。」

 ネオの喉から、掠れた声がこぼれた。

 そのまま、苦しそうに眉を寄せて、血の溢れる傷口に、自分の唇を寄せて、口付ける。

「分かってよ・・・・・。」
 泣きそうなマリューの声が、ネオの何かを撃つ。
「ゴメン・・・・・。」


 彼女が傷ついて、それすらも分からないかもしれないと、そう思った。だが、いま、こんなにもはっきりと、『痛み』を感じる。

 忘れていたはずの痛みが、彼女を前に甦る。

「・・・・・貴方の痛みは、私が引き受けるわ。」
「・・・・・・・・・・・・。」
「だから・・・・・傷ついたら、真っ直ぐに帰ってきて。」
 私が貴方の警告灯になるから。

 たまらず、ネオは彼女を引き寄せると、深く深く口付けた。





「手・・・・・・。」
「うん。」
「消毒しなきゃな。」
「貴方の肩も。」


 どちらも直ぐに消えてしまう傷跡かもしれないが、でもこの『痛み』だけは消えないだろう。


 どちらにも残る。

 大切な人を失うかもしれないという、痛みが。


























元フラマリュサイト管理人Kさまの一言から生まれ作品><
その節はお世話になりました!
触覚とか味覚とかが壊れているムウさん〜っていう設定だった筈が、それを見事に無視して痛覚にしてる当たりどうよ!?(笑)



(2005/09/10)

designed by SPICA