Muw&Murrue

 強風波浪注意報
 迂闊だったと、急速に真っ暗になる空を眺めて、ムウは苛立たしそうに頭を掻いた。
 オフィスにあるテレビが、何度も何度も繰り返し台風情報を流している。
 機体の調整が思った以上に長引いてしまって、ようやく帰れると思い、大急ぎでオフィスまで取って返した時は、大型で、非常に勢力の強い、とうたわれる台風の被害を最小限に食い止めようと、政府が「外出禁止命令」を出してしまった後だった。

 帰れない。

 がっくりとうなだれて、ムウはとりあえず自分の家の状態を確かめるべく、自分の奥さんに電話を掛けてみた。


 1・・・・2・・・・・3・・・・・。


 7・・・・8・・・・・9・・・・。

「おいおいおいおい。」

 数え続けるコール音は止まる事を知らず、ムウは一旦受話器を置くと、もう一度掛けてみた。

 結果は一度目と同じ。

 途端、ムウの背中がざわっと冷たくなった。窓の外は真っ暗で、恐ろしく波が高いのが、遠いフェンスの向こうに見えた。真っ黒な雲が渦巻き、いつもは陽気な太陽の下で葉を揺らす木々が、斜めにしなっているのが見える。

 雨に煙る敷地内。

 大慌てでヘリやらなにやらを格納庫に収納していく作業員の、よく目立つ黄色のレインコートが引きちぎられそうな勢いでなびいているのが見えた。

 サイレンがなっている。

「・・・・・・・・・・・・・・。」

 刻々と激しさを増す外の様子に青くなって、ムウは次に奥さんの携帯に電話を掛けた。

「・・・・・・・・・・。」

 4・・・・・5・・・・・6・・・・

「頼むよ・・・・・。」

 10・・・・・11・・・・・12・・・・・。


 だが、無常なコール音はやがて留守番電話サービスへと繋がってしまった。
 早口で「俺だけどとにかく連絡くれ!」と怒鳴り、ムウはオフィス内を行ったり来たりした。

 今日は一日中雨で、時折強い風が吹くような天気だった。どこかへ出かけるには、かなりの気力が要されるだろう。
 実際、急ぎの調整を残してなければ、ムウは今日は休むつもりだったのだ。

 台風が直撃するのは、昨日から知っていたし。朝のニュースで厳戒態勢をとるようにと何度も何度も繰り返し言われていた。
 窓に板でも打ち付けるか、と冗談半分に言ったのは、朝、ベーコンエッグとトーストを齧っていた時のこと。

 そんな天候で、マリューがどこへ行くというのだ?

 そこで、ふと、ムウは嫌な予感がした。
 まさかマリューは、朝、自分が言った「板でも打ち付ける云々」を本気にしたのではないだろうか?
(この天気の中、ホームセンターに・・・・・。)

 行かないとは言えないのがマリューである。

 慌ててムウは駅前に新しく出来た、大型のホームセンターに電話をしてみた。閉店作業真っ最中で、従業員をあらかた帰してしまったそこでの対応は素っ気無い。

 当たり前だ。

 午後3時には店を閉めたというのだから。

 現在は5時30分。

(出かけるとしたら車だけど・・・・・それは俺が乗ってきちまったし・・・・。)
 二台も車が持てるほど、贅沢な生活はしていない。だとしたら、マリューはバスで出かけたのだろうか。

 そう思った瞬間には、ムウは交通局へと電話を掛けていた。

 ここは軍事関係の島である。公共の施設や乗り物は全て彼が居る軍本部の建物で行われていた。
 もちろん、バスの運行状況も、この軍本部の交通局で管理されている。
 伊達に一佐じゃない。
 スムーズに内線は繋がり、バスの運行状況を確認する。職員は丁寧に、四時半には、全ての路線が封鎖完了の連絡が入り、ようやく今、全てのバスが戻ってきたということを説明してくれた。

 四時半に最寄のバス停で下ろされたと仮定して、板を持ったマリューが家に辿り着くのに一時間も掛からない。

「・・・・・・・・・・・・。」
 じゃあ、彼女は一体?

 夕飯の買い物に駅前のスーパーにでも行ったのだろうか?

 片っ端から電話をしてみるが、どこも先ほどのホームセンターと同じく三時には閉店している。残っているのは、この台風に備える、一部の従業員と警備員だけであった。

 何せ、小さな島だ。
 朝からこの天気では客足ものびなかったのだろう。

 あっさり閉店しやがって、と適当な事を思いながら、ムウは途方にくれてがたん、と力なく自席に腰を下ろした。

 気が付いたら連絡をくれ、と言ってるのに、携帯はうんともすんとも言わない。
 がたがたと揺れる窓の向こうは、夕暮と相まって、不気味な暗さだ。
 たたきつける雨と風の轟音が、大嵐の様相を呈してきている。


 どこにいるんだ?
 家に居るのか?
 ああ、それともどこかで足止めを食らっているのだろうか・・・・??


「一佐ぁ。」
 そんな一人どんより落ち込むムウに、のんびりした声が掛かった。
 振り返ると、さっきまで一緒に機体の調整をしていたマードックだった。
「今日はここに泊まりってことで、食堂側で夕飯のメニューくばってるんっすが、」
 何にしやす?
 メニューを差し出すマードックは、彼を一瞥した後、溜息を付いて頭を抱え込むムウにぎょっとした。
「ど、どうしたんで?」
「や・・・・・・ちょっとな。」
 彼女の行き先を必死に考えているムウはしかし、上の空だ。

 もう一度電話を掛けようか・・・・・。

「晩飯、どうしやす?」
「適当なので良いよ。」
 携帯を握り締めて見詰める一佐に、マードックは触らぬ何とかにたたり無し、と小さく頷いた。
「じゃあ、後でもってきやすね。」
「悪いな・・・・・。」

 首を捻りながらオフィスを出たマーッドックはそのまま食堂へと歩いて行く。

 珍しいこともあるもんだ。あのフラガ一佐が頭を抱えているなんて。
 しかもオフィスの電話の前で。

 こりゃ何かあったか?とつらつら考えながら廊下をいくと、ふと、向こうから歩いてきた人物が目に止まった。
 思わず彼は手を振って、その人物に駆け寄った。
 幸い、とばかりに、一佐の様子がおかしいと告げると、え?と目を丸くする。
 お腹でも痛いのか、という人物に、ならおかゆでもたのみますかい?なんて言いながらマードックは、その人物を促して、連れ立って食堂へと向かった。





 埒が明かない。

 待っても電話は鳴らないし、掛けても掛けても通じない。
 いい加減、待ちくたびれた男は、すっくと立ち上がるとダッシュでオフィスを出た。





「一佐?」
 彼が廊下を走っている時に、先ほどマードックと冗談めかしてお粥話をしていた人物が、鍋焼きうどんを持ってオフィスに顔を出す。
 だが、明かりのついた室内に、彼の姿は無い。
「?」
 とりあえず、その人物は鍋焼きうどんをムウの机に置くと、自分用のを前に溜息を付いた。

 よっぽどお腹が痛いのだろうか?



「ムウさん!?」
 ムウと同じように、警報の発令で家に帰れなかったキラが、格納庫でちょっと早めの晩御飯を取ろうとしていた。と、突然飛び込んできたムウの姿に、彼は眼を丸くした。
「な・・・・・何してるんですか!?」
 今日の作業はもう終りである。
 仲良くなった整備の連中と、格納庫の隅でシートを広げてカレーを食べようとしていたキラは、皿を置いて彼を追う。
 リフターを動かし、ムラサメの一機へと搭乗しようとするムウを、キラは慌ててとめた。
「何してるんですか!?」
「何って、これなら台風如きに吹っ飛ばされたりしないだろ!?」
 そりゃそうだ。
 最新鋭機なのだから。
「って、何ですか!?災害救助の命令は出てませんよ!?」
「俺的には出てる。」
「はあ?」
 腕力ではムウに敵わないが、全力で腕を掴んで引きとめながら、キラは珍しく慌てているムウに問いただす。
「何があったんです!?」
「マリューが居ない。」
「・・・・・・・・・・は?」
 間の抜けた返答に、物凄い勢いでムウが彼を振り返った。
「だから、マリューと連絡が取れないんだよ!!」
「え・・・・・・・・。」
 きつく奥歯を噛み締めて、いらいらと額に手をあてて、ムウは呻くように続けた。
「家の電話にも出ないし・・・・携帯も繋がらない。」
 焦ったような視線で見られて、キラは数回瞬きをした。
「携帯?」
「そうだ。」
 じゃあな、と背中を向けて、再びリフターを動かそうとするムウを、キラは慌てて押し留めた。
「じゃ・・・・じゃあ、もう一回!もう一回だけ電話!!」
「あ?」
 お願いします、と真剣に見詰められて、ムウは溜息を付いた。
「そんなことしてるうちに、手遅れになったらどうするんだよ!?」
「じゃあ、僕が掛けます!」
 オレンジ色のつなぎのポケットから自身の携帯を取り出して、キラはおもむろにマリューに掛けた。

 時間の無駄だと思う反面、繋がって欲しいと切に願う。

 息を飲むムウはその時、微かに響く電子音に、え?と耳を疑った。
 格納庫のどこかから、耳慣れたメロディーが流れてくる。
「マリューの・・・・携帯?」
「どこから鳴ってるか分かる〜?」
 奥に居る整備班にキラが声を掛けると、一人が箱の陰からバックを取り出して掲げた。
「ここからみたいです〜!」
「え・・・・・・・・・?」


 それは、マリューのハンドバックであった。



「どこ行ってたの?」
 オーブ軍の制服を着たマリューが、ふうふうしながら鍋焼きうどんを食べていた。
「おほはったはら・・・・・。」
 ひゃひに食べひゃった。

 ちゅる、と麺をすすって、それから顔色悪く、ぜーぜーと肩で息をするムウを気遣わしげに見上げる。
「やっぱり、お腹痛いの?」
「・・・・・・・だ。」
「え?」
「何でここに居るんだ!?!?!」

 ばっと顔を上げて、ムウは力任せに彼女に抱きついた。
「きゃっ!?」
 キャスターの付いた椅子だったため、そのまま、がーっとオフィスを縦断する。
 どん、と壁にぶつかり、背中が痛かった。抗議の声を上げるが、ムウはしかしマリューを抱きしめて放さなかった。
「ちょっと・・・・・何?」
「何じゃない!!!」
 噛み付くように怒鳴られて、真っ青な瞳で睨まれる。
「・・・・・・・・・変よ、あなた。」
「なんでここに居るんだよ!?」
 再び詰問されて、はあ、とマリューは眉を寄せてつぶやく。
「エリカさんからアークエンジェルのことについて頼まれて。」
 朝、ムウが出た後に連絡があって、家を残してくるのは嫌だったのだが、バスにのってここまで来たのだと彼女は話した。
「・・・・・・・・・一言・・・・・・。」
「ちょっと予定より時間掛かっちゃって。貴方が帰る前には家に着いてる予定だったから。」
 時計を見て、大慌てで本部に上がってきたところで、マードックに会ったのだという。
「そうしたら貴方、腹痛だって言うじゃない?だから」


 その台詞は、突然降って来た口づけの前に断ち切られた。


「ム・・・・・・・。」
 言葉を継ごうとする彼女に間を与えず、彼は何度も何度も口付ける。
 噛み付くようなそれに、マリューの脳内が痺れてくる。
 気付けば、マリューは、しっかりムウの背に手を回してしがみ付いていた。
「ムウ・・・・・・。」
 上がった吐息のまま、マリューは咎めるようにムウを睨むが、その倍の鋭さで睨み返されてしまった。
 思わず、マリューが首をすくめる。
「どれだけ心配したか分かってるのか?」
「え?」
「こんな天気で、電話してもしても繋がらない。電話が掛かっても来ない。行きそうな場所には居ない!」
 語気が強くなっていく。
「どこにいるかさっぱり判らない状態で、天気ばっかり悪くなって!!俺がどれだけ心配したと思ってるんだよ!!!!」
「・・・・・・・・・・・・・・。」

 怒鳴られるいわれは無い。

 マリューだって急な仕事だったし、時間感覚が麻痺していたのだしそれに、彼に会いに行こうとしていたではないか。

 自分の正当性を口にしようとして、でも、マリューは少しだけうろたえ、潤んでいるムウの瞳の前に閉口した。



 心配・・・・・してくれたんだ。
 死ぬほど。



「俺は怒ってるんだけど。」
 ぎゅ、と抱きつくマリューに、ムウが怒りを込めて告げる。だが、聞かず、マリューはそっと目を閉じた。椅子から半身を乗り出しているマリューを、変な格好で抱きとめながら、ムウはようやく詰めていた息を吐き出した。
 微かに震えるそれに、マリューがしがみ付く腕に力を込めた。
「ごめんなさい。」
 その彼女を、引き摺り下ろし、ムウは床に座るときつくきつく抱きしめた。
 抱き心地の良い体が、両腕の中にすっぽりと納まっている。

 暖かくて、頭を下げるとかすかな吐息が耳に触れた。

 生きている暖かさと鼓動。


「馬鹿。」
「ごめんなさい・・・・・・。」
 彼女の顎に手を掛けて、ムウはそっと、安堵を込めて、優しく甘く口付けた。








 震えるくらい幸せだな。

 久々の艦長室で、二人並んで横たわりながら、マリューは半身を起こした。毛布を引き寄せて、大好きな人の寝顔を見つめる。

 こんなに大好きで、愛してて、大切な人が、自分と同じ感情を自分に抱いてくれているのだと思うと、甘い気持ちが心の奥から膨らんできた。

「初めて見たなぁ・・・・・・・。」
 そっと呟いて、ちょん、と鼻の頭を突付いてみる。
「あんな風にうろたえてる貴方。」
 くすくす笑っていると、「ん・・・・。」と掠れた声が耳を打ち、マリューはそっと微笑んだ。
「おはよ。」
「何時・・・・?」
 霞んだような瞳が、辺りを彷徨う。
「まだ二時よ。」
 ん〜、なんて寝ぼけた声が上がり、ふわ、と持ち上がったムウの腕が、マリューを絡め取った。
 触れた先から温度と鼓動を分かち、それが心地よくて、そっとマリューは目を閉じる。
「台風・・・・・まだいんのかな・・・・。」
「そうねぇ。」
 欠伸を噛み殺すマリューを、ムウはきつく抱き締めた。
「なあ、マリュー。」
「何?」
 ムウの手が、背中を滑り、マリューは息を飲むと、微かに体をこわばらせた。
「テレビつけてさ、まだ台風がいたら、」
 ちゅ、と音を立てて、首筋に口付ける。そのまま、舌を這わせ、更に震える彼女にムウは甘く囁いた。
「もっかいしない?」
「・・・・・・・・・いなかったらしないんですね?」
 挑戦的に言われて、ムウはキスを繰り返し、身体を滑らせる手を止めず、彼女をその気にさせながら笑った。
「多分ね。」
「・・・・・・・・・・・。」

 悪戯を続けるムウの手を取り、口付けると、マリューは手を伸ばした。

 ムウの向こう側にあるモニターの電源を入れる。




 単調な深夜の台風情報が流れた。



「・・・・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・・・・。」



 それを一通り眺めた後、二人は顔を見合わせて、くすっと笑う。
「さあ・・・・どうしようか?」
「・・・・・意地悪しないで。」
 呟く彼女の頬に手を伸ばし、ムウは深く口付けた。

 そのままお互いに溺れていく。

 付けっぱなしのモニターから流れてくる情報は、どんな意味も持たず、二人には聞こえてすらいない。

 ムウの背中と、組み敷かれ、伸ばされたマリューのキレイな腕が、モニターの青い光に浮き上がる。
 艶めく吐息が溢れるそこに、テレビのアナウンスが被った。



 午前七時には、台風一過の秋晴れが広がるでしょう、と。



(2005/11/02)

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