Muw&Murrue

 午後三時のテラス
 いつの間にか眠っていたらしい。
 いい匂いがして眼を開けると、暗くて、ムウ・ラ・フラガは首を傾げた。
 三秒ほど考え込んで、ああ、と気づく。

 読みかけの雑誌を顔に乗せたまま、眠ってしまったのだった。

 雑誌をどけると、強烈に眩しい、午後の光が目を射り、思わず手を翳して伸びをする。
 海風が、肌に気持ちよかった。

「おはよう。」
 そう言って、すぐ側の大きな窓を開けて、マリュー・ラミアスが白いスカートを翻してテラスに出てくる。
「ん〜・・・・・。」
 ボケた返事を返すが、彼女が持っているお茶と、ちんまり据えられたテーブルの上のお菓子に姿勢を正した。
「相変わらず鼻がいい事で。」
「顔と性格もいいと思うんですけど?」
 のびてくる恋人の手を、ぺちっと叩くマリューはしかし、ふんわり笑っていた。

 海を見下ろすテラス。そのテラスの下から、子供の笑い声が響いてきて、さらにその先の海岸を、桜色の髪の少女と、栗色の髪の少年がのんびり歩いているのが見えた。

 のどかなのどかな昼下がり。

「ちょっと甘いかしら。」
 マリューが作ったのは、簡単なクッキーだ。ココアパウダーが入っているそれは、確かにちょっと甘かった。
 が、暫く海を眺めた後、持っていた雑誌をぽん、と横にやって紅茶片手にクッキーを齧ってる恋人にしてみれば、それほど甘くは無いとの事だった。
「ムウって甘党よね。」
「まあね。」
「いつから?」
 ちょっと考え込んで、首を捻る。
「ガキの頃、ケーキとか大好きだったから、多分ずっとだな。」
 そして何かを思い出したのか、くすくす笑っている。
「なあに?」
「うん?いや・・・・・・・。」
 一回だけ、とムウは話し始める。
「一回だけさ、学校の調理実習でケーキつくったんだけどさ、ありゃ酷かったなと思って。」
 それは随分ハードな課題だなと、マリューは紅茶を飲みながら目を丸くした。
「子供の頃?」
「ああ、多分・・・・・10歳くらいかな?」
 言いながら、にまにまするから、マリューも気になって身を乗り出す。

 関係ないが、マリューは紅茶に砂糖をたっぷり入れるほうだが、ムウはコーヒーも紅茶も砂糖は入れない。
 これも、可笑しな話だと、マリューは常々思っている。

 ちょっと渋めの紅茶を飲んで、ムウが続ける。
「俺を入れて男三人と、女の子三人で一組でさ、ケーキつくるんだけど、まあ、皆出来ない出来ない。」

 とにかくいい加減で大雑把な少年三人に、小麦粉を計らせたりバターを測らせたりしたものだから、一気に実習室の調理台はすさまじいことになったらしい。

「混ぜたりこねたりってのは楽しかったんだよな。けどさ、ああだこうだ女に言われるのが腹立ってさ。」

 好き勝手にやり始める少年3人と、計画的に物事を指示したいタイプの少女3人が対立するのは時間の問題だった。

「そのままやってりゃいいのに、妙にムキになって、俺達は俺達で独立するんだ!とかいいだしてさ、作りかけの生地を半分ボールに移し変えて。」
「・・・・・・・・それって目分量?」
「ああ。」
 惨劇が眼に見えるようだ。

 お菓子、というのもはまず正確性が物を言う。ちゃんと測った分量でやらない限り、固まらなかったり、膨らまなかったりする。
 そういう失敗を嫌というほど経験してきたマリューだけに、その先が目に見えるようだった。

「あとはもう、適当に卵放り込んで、砂糖入れての大騒ぎ。それをやるにも一々女の子と喧嘩してさ。その砂糖は俺達のだ、とかその生クリーム返して、とか。挙句出来上がったのは、ココアパウダーなんか入れてないのに、何故か茶色くなったケーキ!」
 膨らし粉が入ってなかったから、もう、座布団みたいなのな。

 それを思い出して、一人大笑いするムウに、マリューは「も〜。」と吹き出す。

「女の子たち、先生に言い訳したでしょ?フラガ君たちが協力してくれませんでしたって。」
 それに、ムウは「よくわかったなぁ。」と感心したように頷いた。
「そうそう。一人なんか泣き出しちまってさ。で、先生に呼ばれて男三人で調理室の後片付けだよ。」
 膨れっ面で箒を振り回すムウを簡単に想像できて、マリューは声を上げて笑った。
「笑い事じゃないって。」
 そういうムウも笑っている。
「で、そのないた女の子が、フラガ少佐の初恋の人ですかぁ?」
 それに、ムウはしれっと返した。
「残念。俺の惚れた女の子はきっちりケーキ、作ってたぜ。」
 へえ、とマリューは息を飲んだ。
「そんな騒動でよく覚えてたわね。」
「だって、そのこケーキ屋の娘だもん。」
「・・・・・・・・・・ムウ?」
 オチが見えた気がして、マリューは軽く恋人をにらんだ。
「その子が好きだったのは、もしかして、毎日ケーキが食べられるから〜、とか?」
「あ、ばれた?」

 そのまま顔を見合わせて二人で吹き出す。

「も〜!」
「可愛いモンでしょ。」
「信じられません。」
「そういうマリューはどうなのさ?」
「え?」
 真っ直ぐに見られて、マリューはくすぐったそうに笑った。
「私は、調理実習で作った物を、好きな人にあげるタイプですよ?」
「上げたんだ。」
 頷くと、何上げたの?と興味深々といった風体で聞かれ、マリューはくすっと笑った。
「確か、チョコレートだったかしら?」
「・・・・・・・・・・・・・。」
「バレンタインが近かったから。」
 目を伏せて紅茶を飲むマリューを、じいっとムウが見詰めて、「へ〜」と面白くなさそうに返事を返した。
「あら?ご不満ですか?」
「・・・・・・調理実習中、ず〜〜〜っとその男の事考えてたんだろ?」
 ぱく、とクッキーを口の中に放り込むムウに、マリューは涼しく答える。
「そういうチョコレート、あなたもたくさん、もらったんじゃありません?」
 それに、危うく飲んでいた紅茶を吹き出すところだった。
「オイ・・・・・。」
「違います?」
 にこにこ笑っていわれて、ムウはまいったと両手を上げた。
「でも俺・・・・・そういうチョコレート本命からもらったこと無いなぁ。」
「本命を作らなかったからでしょ?」
 痛いところを付いてくる。それにめげずに、ムウはひたっとマリューを見た。
「そうだけどさ。でも、今でも、本命からは貰ったことなんだよなぁ・・・・。」
「私は上げたことありますわよ?本命チョコ。」
 余裕で返されて、ムウはぐっと唇を噛む。だめだ。ここで負けるわけには行かない、と変なところで頑張ったりする。
「俺、本命がいるのに、貰ってないんだよなぁ、マリューさん?」
「誰です?本命って。」
 私が知ってる人ですか?

 軽く首を傾げてみせるマリューを、繁々と眺めた後、ムウはニッコリ笑うと、くいーっと彼女の腕を引っ張った。

「わかった。じゃあ、俺、もう二度とチョコレートとか、甘いもの欲しいって言わない。」
 それから、引き寄せた極上に甘いヒトに、思いっきり甘く笑ってみせる。
「代わりに、マリューで我慢する。」

 しまった。

 あっという間に唇を塞がれて、マリューは全身で拒絶しようとするが、しっかり抱きしめられて身動きなんて出来ない。


「どんなものより、マリューのが甘くておいし。」
 にこっと笑っていわれて、真っ赤になったマリューが「もう!」と唇を尖らせるのだった。


 そんな風に、午後三時のテラスはどこまでいっても平和だった。




(2005/08/11)

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