Muw&Murrue
- 雨の報告
- 「あ、スイマセン、こんな時間に。そちらに・・・・・マリュー、帰ってませんか?」
『え?』
俺の言葉に、マリューのお母さんは、酷く驚いた様子で眼を丸くした。
『いいえ。来てないわよ?』
「そう・・・・・ですか。」
通信機の前で、手を握り締める。出てきた自分の虚ろな声に、俺はいかに、マリューが自分の生活に溶けていたかを、改めて思い知った。相手を気遣う余裕すらなくして、唇を噛んで俯く。
『帰って・・・・・来ないの?』
お義母さんの声が、酷く遠くに聞こえる。
「はい・・・・・・。」
『ムウくんの所に?』
「・・・・・・・・・・・・。」
それに、お義母さんは、深いため息を零した。
『まったく、あの子ったらこんな大事な時に・・・・・。』
だから、なんじゃないのだろうか、と俺は反射的に思った。
だから・・・・・・・。
「あの・・・・・彼女、何か言ってませんでしたか?俺と、結婚するのが嫌だとか。」
それに、お義母さんは大慌てで首を振った。
『まさか、そんな。有り得ないわ!だって、あんなに嬉しそうに貴方を私たちに紹介したのよ!?結婚したくないだなんて、そんなこと、あるわけないでしょ?』
諭すように、叱るように言われ、俺は何とか笑って見せた。そう、思いたい。でも、なら、どうして。
マリューはここに居ないのだ?
『あの子の、あんな嬉しそうな顔、彼――――――。』
そこで、はっとお義母さんは言葉を切った。鋭く、俺の胸に棘が刺さる。
「・・・・・・・前のカレシを連れてきて以来、ですか?」
『・・・・・・・ええ。』
さすが、マリューの母親だ。はっきりと、物を言う。
彼女の恋人の話は、俺は何も聞いていない。
ただ、俺と同じモビルアーマー乗りで、死んだことだけしか知らない。
彼が生きていた時間に、一体マリューは何をしていたのか。
それを訊いたところで、何になる?
『まったく・・・・・あの子ったら・・・・・。』
と、彼女は居間の壁に掛かるカレンダーを眼にし、はっと息を飲んだ。
『・・・・・・ムウくん・・・・・・。』
掠れた声が、俺の名前を呼んだ。
『ひょっとしたら・・・・・あの子・・・・・・。』
次の日の昼に、俺はマリューのお母さんの前に立っていた。白いポーチのある玄関。そこの扉を開けて、彼女は俺にメモを差し出した。
「ムウくん。」
「はい。」
それを手に、出かけようとする俺に、お義母さんは何かを言いかけ、止めた。そして、側にある傘立てから一本、赤い傘を抜いて、俺に差し出した。
空は、今にも泣き出しそうな、冬の曇天だった。
「気をつけてね。」
声に滲む、つらそうな色合いに、俺は笑って頷いた。それが、笑顔に見えたかどうかは、疑問だが。
車に乗り込み、緩やかにスタートさせる。十分もしないうちに、しとしとと雨が降り出し、俺はハンドルを握り締めた。
メモに書かれた場所まで、あと三十分は掛かる。
フロントグラスにあたる雨粒を、ワイパーが拭い、唇を噛み締めてそれを眺めていた俺は、ふいに切なくなった。
この手に、彼女を抱き締めたい気持ちが、大きく膨らんでくる。
「・・・・・・・なぁ、マリュー・・・・・・。」
冷たい雨が、細い彼女の身体を叩いている気がして、俺はアクセルを踏み込んだ。しぶきを飛ばして、車が加速する。
「泣くな・・・・・。」
こんな冷たい雨の日に。たった一人で泣かないでくれ・・・・・・。
雨よけくらいには、なってやるから。
俺が・・・・・・・・。
朝から天気が悪く、冷たい風がびゅうびゅう吹いていた。葉の落ちた、灰色の木々が支える、曇天。泣き出すとわかっていて、私は傘も持たずにホテルを出た。タクシーも拾わず、バスにも乗らず、ひたすら歩いて、午前中にはそこに着いた。冬なのに、薄手のワンピース姿の私は、周りから酷く奇妙に見えただろう。
でも、構うもんか。
それに。
ここは、アナタを喪ったあの日と同じくらい静かで、誰も居ないのだから。
ずっと前に、ここを訪れたあの日と、空も景色も全く同じで。
私は膝を折って、冷たい石に座り込むと、その墓標をしっかりと抱き締めた。
むき出しの両腕に、その石は、予想以上に冷たくて、痛かった。
それでも私は、その墓標をただ、抱き締める。
決めたのだ。
今日一日を、アナタに捧げると。
眼を閉じると、ゆっくりと時が逆巻き、私はあの頃の私へと引き戻される。あの頃の・・・・・アナタのマリュー・ラミアスに戻る。
そうしなければ、いけない。ケジメを付けないと。
じゃなきゃ、私はムウの愛に、応えてはいけない気がしたのだ。
私はあの日、この墓標に誓った。もう二度と、誰も愛さないと。私の愛は、全てアナタに捧げると、そう誓ったのだ。
なら、ムウに感じる思いは何なのだろう?
愛、ではない?
それをどうしても確かめたくて。ここで、アナタだけを愛しているマリュー・ラミアスが、ムウ・ラ・フラガを愛せるのか。
それを、確かめたい。
私は、悲しみも、幸せも呼び出して、閉じ込めていた、アナタのマリューに戻る。
眼を閉じ、アナタに抱かれていると、雨が降ってきた。
冷たい冷たい、冬の雨。両手が凍える、氷の雨。
それが、私の身体を濡らし、心を濡らし、全身を冷たく冷やしていく。
そう。
これも、あの日と同じ。
あの時、何時間も冬の雨に打たれる私を、父が迎えに来た。無言で、冷え切った身体を抱きしめて、車に乗せて、家に連れ戻した。
でも、今日は誰も来ない。
誰も、私がここに居る事を知らない。
雨の中で、私は冷たい頬に、熱い涙を流した。これで、ようやく、私はアナタの愛に殉じることが出来る・・・・・・。
そんな死にたがりの私を打つ涙雨が、ふと、止んだ。
それは、冬の雨の墓地には、全然似合っていなかった。
墓のまん前で、両足を投げ出して座る、真っ赤なワンピースの女が、しっかりと墓石を抱きしめているのだ。
傘も差さず、両腕をむき出しにして。
墓場に似合わないその赤い服は、多分、アイツが好んだ服なのだろう。俺も、好きだ。
雨が降るそこを、彼女を目指して歩く。近づくにつれて、彼女が青白い顔で、眼を閉じて静かに泣いていることが分かった。
血の気が無く、このまま消えていきそうに見えた。
でも、俺はそんな彼女の邪魔をする権利を持っていない。だから、せめて、とそっと傘を差し出した。せめて。この凍えそうな雨からだけは、彼女を遠ざけたくて。
ゆるゆると、彼女が濡れたブラウンの髪のまま、俺を見上げた。
「・・・・・・・・・誰?」
「風邪を引きそうな女を、放って置けないバカな男、だよ。」
そう、と彼女は答えた。そのまま、墓石を抱く腕に、力を込める。俺は、冷たい視線を、その墓標に向けた。
なんなんだ、アンタ。
俺は、唇を噛み締めて思う。
なんなんだ、アンタ。死んだくせに、どうしていつまでもマリューを掴んで放さない?
どけよ。
そこは、俺の場所だ。
そんな、冷たい怒りに気付いたのか、マリューが非難するような眼で、俺を見た。
「やめて。」
庇うように、墓石にすがる。
「ありがとう。でも、もういい。」
傘から身体を遠ざけようとする彼女に、俺は静かに訊いた。
「どうして?」
「死ぬの。私・・・・・・。」
「なんで?」
「・・・・・彼を裏切れない。」
「・・・・・・・・そっか。」
聞きたくないと思っていた台詞だったが、意外と平気だった。俺は、しゃがんで、冷たいマリューの体を抱きしめる。
「やだ・・・・・・・。」
逃れようとする彼女を、強引に引き寄せて口付ける。
「・・・・・・・じゃあ、一緒に死のう。」
びくん、と微かに彼女の身体が震えた。それに構わずに、俺は続ける。
「いいよ。愛し続けろよ。彼の為に、死んでもいい。でも、その時は、俺も死ぬ。」
そして、俺は君を愛し続ける。
「・・・・・・・・・・・。」
君は、冷たい墓石にすがりつき、俺を見上げた。
「やだ。」
涙に濡れた褐色の瞳。その瞳に笑いかけ、拳を墓石に押し当てた。
「俺はお前に謝らないし、お前を哀れんだりしない。ただ、俺は生涯をかけて、お前からマリューを奪ってみせる。長い時間をかけて、お前を倒してみせる。」
これ以上、俺のマリューを泣かせてみろ。俺は、お前を許さない。
マリューの凍えた唇が震え。
冷たく固まった腕が、ぎこちなく、解かれる。
伸ばされた先が、俺で。
彼女の肩越しに、雨に濡れる墓石が見えて。
俺はただ、彼女の冷たい体を抱きしめ返した。
「・・・・・・・たい。」
「ん?」
「帰・・・・・・・りた・・・・・・い。」
「ああ。」
うえええ、とマリューが声を上げて泣きじゃくり、俺にしっかりとしがみ付いた。
ようやく、俺のマリューが戻ってきた。
その彼女を抱き上げ、そっと囁やく。
「今度は、晴れた日に来ような。お弁当でも、持ってさ。」
三人で、話そう?
それに、酷い勢いで、彼女が頷いた。
「まったく!ムウくんに心配かけて!」
「お母さん・・・・・。」
濡れて冷え切った私を、母はバスタオルで包んでくれた。いつかの、あの日のようだ。
父に連れられて帰った、真っ青な私を、母はさっそく沸かしたお風呂に入れてくれた。
「ほら、お風呂沸かしといたから、早く体、温めなさい?」
「俺、マリューの荷物、取ってきます。」
私を送り届けたムウが、再び出ていこうとする。その彼に、私は慌てて抱きついた。
「いや・・・・・・。」
「え?」
タオルをかぶったままの頭のまま、しがみ付いて。放したくなかった。今は、どうしても側に居て欲しい。その私に、ムウはそおっと口付けた。軽いのに、長くて甘いキス。
「マリューが上がるまでには、帰ってくるよ。」
一緒に入れないでしょ?
「ほらマリュー!迷惑かけないの!」
くしゃっと私の髪をかき回し、ムウが、掴む母に私を引き渡す。
「ほんと、ごめんなさいね、ムウくん。」
「いえ。ちゃんと帰るから、な?」
しょんぼりする私に、ムウは笑って手を振った。閉まる扉に、溜息が漏れる。彼が消えただけで、私の不安が倍増した。
「まったく、甘ったれなんだから!」
ほら、早くしなさい!
母に引きずられ、私はバスルームに追い立てられた。
「お母さん・・・・・・。」
「何?」
扉の前で、私は情けない顔をした。
「ちゃんとムウ、帰ってくるかな。」
それに、母は呆れたように笑った。
「何言ってるのよ!それでも、戦艦の艦長さんだったの!?」
チェックアウトを済ませて、ホテルを出る。マリューの荷物は、たった一個のショルダーバックだけだった。その中には、お財布と手帳しか入っていない。
本当に、身一つで出てきたのだ、と俺は呆れてしまった。彼女の思い切りのよさはよく知っているが、まさかここまでとは・・・・・。
駐車場まで下りて来て、赤い傘をたたんで乗り込もうとした時、携帯が鳴った。
「はい。」
『あ、ごめんなさい。今、いいかしら?』
お義母さんからだ。
『マリューったら、三十九度も熱出しちゃって。風邪薬の買い置きが無いの。何か、買ってきてもらえる?』
「分かりました。」
まるで子供だな、と俺は笑いを堪える。それが伝わったのか、お義母さんは、ああ情けない、と溜息を零す。
『本当に、あんな問題だらけの娘でいいの?ムウくんなら、いくらでも素敵なお嫁さん、貰えるわよ?』
それに、俺は声を上げて笑った。
「なら多分、彼女が一番素敵なお嫁さんなんですよ。」
俺が一番に惚れてますから。
それに、あらあら、とお義母さんが笑う。
『そう言ってくれるのは、貴方くらいよ?』
わがまま姫は、貴方のご帰還を心からお待ちしてますから、お早くお戻りくださいね。
その台詞に、俺はにっこり笑って見せた。
お風呂を上がっても、ムウは帰ってきてなかった。ふらふらする足取りで、台所の母に尋ねる。
「ムウは?」
それに、振り返った母が、眼を怒らせた。
「早くベッドに行きなさい!」
「ムウは!?」
その私の口に、母は体温計を突っ込んだ。
三秒後に、ぴぴっと鳴る。
「ほら見なさい!三十九度も熱があるわよ!?」
「それはお風呂上りだから・・・・・・。」
「最新の体温計は、状況設定ができるのよ!」
知らないの、と差し出されたそれは、お風呂上り五分後モードになっている。
「・・・・・・・ムウは?」
背中を押され、二階へと連行される。それでもめげずに私が聞けば、母は思いっきり私を睨んだ。
「ちゃんと帰ってきますから、早く寝なさい。」
「やだ・・・・・・・。」
呟くと、この子はっ!と怒鳴られてしまった。
「誰の所為でムウくんがホテルまで行ってると思ってるの!?全部マリューの所為でしょ!?わがまま言わずに大人しく待ってなさい!」
布団に押し込まれ、私はくらくらする頭のまま、母を見上げた。
「・・・・・・・ムウに逢いたい・・・・・・。」
ぼろっと涙が零れた。それに、母はいくらか和らいだ顔をした。
「風邪をひいて、不安になる気持ちも分かるけど、マリューはもう、十分大人でしょ?戦艦の艦長だった。」
「役立たずだったわ。」
最後の最後まで、最愛の人にまで、その身を犠牲にさせた。
「帰ってきてくれたでしょ?」
「でも、そうさせたのは、私のミスで、甘さで」
良い募る私の額に、母は柔らかい手を乗せた。
「ムウくんは、そうは思ってないはずよ?」
「・・・・・・・・・・。」
「大丈夫よ、マリュー。彼は、ちゃんとマリューの所に戻ってきてくれる。マリューに愛想を尽かしたりはしないわよ。」
だって彼、お父さんそっくりですもの。
それに、私は頬を膨らませた。
「似てないわ。」
「そうかしら?お母さんがもうちょっと若かったら・・・・・。」
「やめてよ!」
少し、調子が戻ってきた。狂っていた調子が、少しずつ・・・・・。
「今に、ちゃんと帰ってくるわよ。」
それに、私は何とか頷いた。
しばらくうとうとしていたマリューは、触れる手の暖かさに眼を開けた、ぼんやりした視界に、恋人の姿が映る。
「・・・・・・・・・・・。」
ふわっとマリューの顔に、安堵した、嬉しそうな笑顔が広がった。それに、ムウは微笑んでみせる。
「具合、大丈夫か?」
そっと聞けば、彼女はムウの手を取って握りしめる。
「ん。」
「そっか。」
「・・・・・・ごめんなさい。」
素直に、彼女は謝った。それに、ムウはほんとだよなぁ、と大げさに溜息を付いた。
「俺って、すっごく優しいと思わない?」
それに、更に情けない顔で、マリューがごめんなさい、と謝る。
「ダメ。許さない。」
「じゃあ、どうすれば?」
そうだな、と彼は笑う。
「キスしてくれたら、許してあげる。」
それに、マリューは手を伸ばしてムウを引き寄せ、口付けた。
「ごめんなさい。」
「まったく。俺の奥さんはどうしてこう、突拍子もないかな。」
ますます惚れちゃいそう。
そう言って、ムウはマリューをぎゅっと抱きしめた。
「入るわよ?」
暖かいスープを作って持ってきたマリューの母は、静かにノックしてドアを開けた。そして、その光景に寂しそうな、そしてどこか嬉しそうな笑みを浮かべた。
「まぁ・・・・・・・。」
そこには、ベッドで眠るムウの胸に顔をうずめ、ぎゅうっと彼のシャツを掴んでしがみ付いたまま眠る我が子の姿があった。
「こんな姿、お父さんには見せられないわね。」
あの雨の日。マリューを迎えに行った父は、娘からここまでされてはいなかった。
それに、彼女はちょっと寂しそうに笑った。
「マリューの帰る場所は、ここじゃなくて、彼の所になっちゃったか。」
悔しいけれど、仕方ない。
「ほらマリュー、ムウくん、起きて。スープ作ったから食べなさい?」
冬の冷たい雨は、もう直ぐ止むだろうと、天気予報が告げている。その予報通り、雲が切れ、金色の光が差し込んでくる。
暗くなってゆく外に、マリューの父の車が止まる。
それに、彼女はあらあらと笑った。
「マリュー、起きないとお父さん、卒倒しちゃうわよ?」
戦後系は全部そうだけど、もっとも設定捏造(爆)
(2004/12/30)
designed by SPICA