Muw&Murrue

 安眠の為のエトセトラ
 そーっと、マリュー・ラミアスは部屋のドアを開けるとひょっこり室内に顔を出した。照明は暗く、薄明るい廊下から中をうかがう彼女は、なかなか目が慣れず室内の様子をとらえられない。
 やがて、暗闇に慣れた目が捉えたのは、膨らんだベッドだった。
(眠ってるわね・・・・・)
 靴を脱いで、女は素足で極力音をたてないように注意し、そろりそろりとベッドに近づく。ゆっくり覗き込むと、気持ちよさそうな寝息を立てて、彼女の恋人が眠っていた。

 伏せられた瞼を彩るまつげが、思っていたより長い。端正な顔立ちは起きてしゃべっている時より、ずっとまじめで誠実そうに見えた。

(なんて・・・・・そんなこと言ったら怒るわよね、きっと。)

 内心くすくす笑いながら、マリューは小さな動きで上着を脱ぎ、シャツを畳み、ストッキングを引き抜き、ブラジャーを外すとキャミソールにショーツ、という下着姿になる。
 寝る時は大抵こんな恰好だ。たまに、Tシャツを着てたりするが、空調は寒くないし問題ないだろう。

 さあ、ここからが本番だ。

 恋人はベッドを占拠し、自分が寝られそうなスペースは発見できない。それでもどうにか潜り込まなくては。
(と、まずその前に・・・・・)
 彼女はぺたぺたとベッドに近づき、そーっとマットレスに手をついて男の顔を覗き込んだ。かすかにななめ上を見上げて、寝息を立てる男の顔を、飽くことなく眺める。
 本当に彼が寝ているのかを確かめるためだ。
 だが、マリューは思わず、改めて恋人の貌を見て溜息を洩らしてしまった。
 実際の話、ここまで端正だと、思っていなかったのだ。彼女の一人や二人、いやもっといただろうし、女の人が放っておかないだろうなとも思う。
 そんな人が、自分を特別に思っていてくれていたなんて。

(私はムウの容姿にときめいたわけじゃないけど・・・・・こうもカッコいいと思ってなかったわ・・・・・)
 大体、行動がカッコつけで、適当でいい加減なのだ。それが、純粋な、ムウが生まれ持っている容姿にフィルターを掛けているとそう思う。

 黙っていれば・・・・・というようなものだ。

(それはともかくとして。)
 まじまじと、それこそたっぷり15分は彼の顔を眺めた後、マリューは小さく身震いした。今、自分はとんでもない格好でここにいるのだ。いくら温かいとはいえ、このままでは風邪をひいてしまう。彼女は素早く、ベッドの上にあるムウの寝姿をチェックし、壁際の、広げられた左腕の下辺りに狙いをつけた。あのあたりなら、ちまっと丸くなれば収まりそうだ。もっとも、彼が寝返りを打たないことが条件だ。

(起きてないわよね・・・・・)

 そっと右手を伸ばし、彼の体を乗り越えようとしながら、マリューはもう一度ムウの顔を見た。薄く開いた唇からは規則正しい吐息しか漏れてこない。ぎゅっと唇を噛み、彼女は意を決してムウの体の向こう側に手をついた。
 きしり、とかすかに音を立ててベッドが沈む。寝ているムウに細心の注意を払いながら、彼女はじりじりと左膝をベッドの上に乗せた。スプリングが再び沈み、安物のベッドの所為か、ぎしり、と音がした。

(大丈夫大丈夫・・・・・)

 ぐい、と左膝に力をこめて体を持ち上げ、素早く右膝をベッドに乗せる。それから、ひどくぎこちない動作で右足の指をベッドのふちにかけると、えいやっっと彼女は体を持ち上げた。

 どうにかこうにか、彼の体をまたぐことに成功する。思ったより狭いスペースに、体を横たえようと、順繰りに足と手を収容して、マリューはほっと息をついた。後は上掛けをかぶって何事もなかったようにそこに収まればいいのだ。
めくりあげた毛布から、ムウの体温がふわっとマリューを包み、いい加減冷えていた肩に温かい。

(じゃあ、おやすみなさい・・・・・)
 くふくふと小さく笑い、マリューは愛しい人の体温の横に陣取ると、あくびをして柔らかな眠りの渦に身をゆだねた。


 それから数時間後。


 寝がえりを打とうとしたムウは、自分の腕が動かないことにぎょっとなって飛び起きた。
「!?」
 慌てて左腕を持ち上げると、だるい上に、冷たく、しびれていた。そして、その原因を作った存在を認めて、目が点になる。
「い・・・・・いつの間に・・・・・」

 凄い勢いで爆睡していたと言え、こんな狭い場所に自分の恋人が気持ちよさそうに寝ているのに気付かなかったなんて。
 ムウは、暖かそうに布団に顔を埋めているマリューをしげしげと眺めた。無防備で、頭から喰いたくなるような体付きをしている。じわ、と心の奥に火がともり、どきり、と心音が鳴る。
「一体何のつもりで、こんな可愛いことしたんだか・・・・・」
 確か、別れ際に「今日は遅くなるからムウは先に寝てて」なんて言ってたくせに。
「それも全部計算ですか、マリューさん?」
 罪のなさすぎる顔で眠る恋人に、ムウはそっと身を寄せた。指先で、彼女の白い頬を撫でる。
「マリュー・・・・・」
 目を細めて彼女を見つめ、吐息に混ぜて名前を呼ぶと、ムウは薄く開いた彼女の唇に顔を寄せた。
 ちう、と触れるだけのキスをする。

 案の定、これだけではマリューは起きそうもない。
 扇情的な恰好で眠り続ける女の姿は、男のろくでもない部分を刺激するに十分だった。

「起きないと・・・・・やられっちゃうよ?」
 くっくと喉の奥で笑いながら、ムウは彼女に気づかれないように、そーっとタンクトップの裾に指をかける。案外簡単にまくれ上がり、白い肌と丸みを帯びた大きな胸が姿を現した。
「マリューさーん」
 くすくす笑いながら、ムウは見える脇腹や、胸をかすめるように撫でていく。それでもマリューは起きようとしない。
「しょーがねぇなぁ・・・・・」
 触れるか触れないかの接触をしていた掌が、ゆっくりと女の肌に触れ、形を確かめるように撫でていく。その掌の感触に気づいたのか、ぱちり、とマリューの眼が開いた。
「おはよ。」
 にっこり笑うムウは、目を瞬き見上げてくる彼女を組み敷こうとした。ぼんやりしたままの彼女を、「起きないほうが悪い」とあっさりいただいてしまおうと思ったのだ。
 だが。
「ムウっ!」
「へ?」

 その瞬間、ぱしり、と手首を握られて男は硬直した。よく見れば、目の前の女が眉間にしわを寄せてムウをにらんでいたのだ。
 とっさに彼は「勝手に俺の部屋のベッドに忍んできたんだから、何されても文句ないだろ!?」ともっともらしい理由を告げようとするが、それを制して、マリューの声が飛んだ。

「貴方、熱い!」






「大丈夫?」
「だいじょばない。」
「・・・・・・・・・・・・・・・。」
 確かに自分はおかしかった、とムウはぼんやり天井を見上げながら思った。いくら疲れてたとは言え、あんなに大胆な女の侵入を自分が許すはずがないのだ。
 マリューだから、無意識のうちに警戒を解いていた、というのは十分にある。だが、それ以上に、彼女が隣で寝ていて、自分の「男センサー」が無反応なのは、おかしいのだ。

 ということは、それらよりもまず先に、体力の回復が重要だと、本能が爆睡行動を取らせていた。それはなぜか。
 つまり。

「38・9度・・・・・」
 体温計を見て、マリューが溜息をついた。赤い顔をした男が、ぼーっと天井を見上げているのに、また溜息が出る。
「まったく・・・・・私には無理するな、無理するな、って口癖みたいに言うのに。」
 それで、貴方の方が倒れてたんじゃ、世話ないわね。
「おっしゃる通りで・・・・・」
 ウイルス性のものではなく、過労からくる発熱。
 そう診断された瞬間から、高熱にぶっ倒れるあたり、この男もいい加減、自分に関して相当鈍感にできているようだ。タイプで言うなら、「具合が悪い」という事実を突きつけられてから、倒れるタイプだ。
「何か欲しいものある?」
 本人としては、十分しっかりしているつもりらしいが、いつもの反応の三分の一程度の回転速度で、ムウが何やら答えた。
「何?」
「マリューが欲しい」
 食べるものか、水か、毛布か、と身構えていたマリューはぜいぜいしながら言われたセリフに心底呆れかえった。べしり、と額を叩いて「治ってからね。」と形容しきれないような、壮絶な笑みを浮かべてみせる。
「そのセリフ・・・・・絶対忘れんなよ・・・・・」
 イイコトする途中だったんだから・・・・・。
 熱に濁った眼差しがマリューを捉え、不服そうに告げる男に、マリューはくすぐったくなった。
「あら?そんな事言っていいのかしら?」
「あ?」
 うふふふふ、と不敵な笑みを浮かべるマリューに、ムウは何となく嫌な予感がした。関係ないが、女に主導権を取られるのは、どうにも苦手なのだ。
「貴方を生かすも殺すも私次第なのよ?」
「・・・・・・・・・・・・・・・。」

 普段から、イヂワルしすぎたかな・・・・・。

 愉しそうなマリューを前に、ムウは近くて遠い過去の自分の所業を思い返す。一方彼女はつんつん、とムウの額を突っついて、「マリューさまに逆らうと酷いわよ〜?」とにこにこだ。
「どう酷いんでありましょうか?」
「ご飯抜きとか?」
「それから?」
「・・・・・放置?」
 それは嫌だ。
「他には?」
「え?」
 熱に浮いた眼差しで、淡々と質問を繰り返され、彼女は言葉に詰まった。

 はて?他にどんな「ひどいこと」があったろうか??

「俺を縛り上げて、あんなことやこんなことしちゃうとかないの?」
 くすぐり攻撃だろうか、とぼんやり考えていたマリューは、ムウの口から出てきたセリフに赤くなる。
「そんなことしませんっ!!!」
「そーなの?」
 ぞくぞくする、と小さく震えながら、ムウは上掛けを引っ張り上げてマリューを見遣る。
「今の俺、体力ないから、好きなよーに出来ちゃうけど?」
「馬鹿なこと言わないでください!!!!」
 まったく、熱出してもそれしかないんですかっ!!!

 思わず椅子を蹴立てて立ち上がるマリューの、その細い手首をムウはそっと掴んだ。くっと引っ張られてよろける。
 ベッドに座り込む形になったマリューを見上げて、ムウはにんまりと笑った。

「でも、物は試しに、一回やってみたくない?」
「・・・・・・・・・・・・・・・。」

 何故だろう。何でこの人、熱出して弱ってるのにこんなに偉そうなんだろうか。

「貴方は病人なんですから、健康体の私の言うことを聞きなさい。」
 ぽかり、と金髪の頭を叩いて、マリューは呆れたように溜息をつくとベッドから立ち上がった。
 ちぇー、なんて唇を尖らせ、子供じみたしぐさをするムウに、マリューは「本当にしてほしいこと無いの?」と念を押すように尋ねた。
「今のところは・・・・・。」
「そう。じゃあ、大人しく寝てるのよ?」
「待ったっ!」

 さっさと部屋から出て行こうとするマリューに、不意にムウが声を荒げた。何事?と振り返る女に、男はいたって真面目な顔をして見せた。
「あった。して欲しいこと。」





「・・・・・・・・・・ムウ?」
「あに?」
「非常に言いにくいんですけど。」
「ん?」
「寝ないんですか?」
「だって、寝たらマリューさん、出てっちゃうでしょ?」
「・・・・・・・・・・・・・・・。」
 俺が寝るまで傍にいてくれ。

 そう望まれて、マリューは「しょうがないわね。」なんてちょっと優位にたった位置から承諾した。だが、それを聞いたムウがし始めたことは、まず部屋のテレビをつけて、バルトフェルドから貰ったコーヒーを濃いめに淹れて飲んだことである。
「あのね、ムウ・・・・・私が貴方と約束したのは・・・・・」
「俺が寝るまで傍にいる、だろ?」
 眠気覚ましの、ブラックガムを噛みながら、ムウはぜーぜー言っている。

 この男は底なしの馬鹿かもしれない・・・・・。

 そんな考えが脳裏によぎり、マリューは頭痛がした。
「そうですけど!!寝る気がない男につきあう義理はないとおもうんですけど!?」
「でも約束は約束だろ?」
 にやにや笑うムウはベッドに寝っ転がり、枕に頭を乗せているのに、眠るそぶりすら見せない。
 なんだって私は、こんな男のたわごとに付き合っているんだろうか?

 そんな思いが込み上げて来て、「寝る気がないんなら、帰ります。」とマリューはきっぱりと言い切った。
 大体、休めていないから、熱を出したのだ。過労なのだ、過労。
「私が居たことで、一佐が睡眠を十分にとれないのであれば、私がここにいることは、非常に重大な問題だと捉え、退去します。」
 きっぱり告げて立ち上がろうとする女に、ムウは「待って待って待って!」と慌てた声をかけると手首を掴んだ。

 それが熱くて、マリューはさらに眉間に深く皺を刻んだ。

「貴方、熱上がってるんじゃないんですか!?」
「分かってるって!だから、寝るから、ホント。今すぐ。目ぇつぶるからさ。傍にいて。」
 真剣な蒼のまなざしに、そんなことを言われて、マリューはぐっと言葉に詰まった。
「本当に寝るんでしょうね?」
「がんばります。」
「・・・・・・・・・・・・・・・。」
 溜息をこぼし、マリューはもう一度椅子にかけ直すとムウが指をからめて握り締める掌を、そっと握り返して彼の顔に視線を落とした。

 瞼を閉じて、口をつぐむと、昨日の夜、たっぷり15分は眺めていた彼の寝顔の件を思い出す。
 あれはほんのマリューの出来心だった。仕事で遅くなるのは分かっていたし、彼は連続勤務で疲れているというのも知っていた。だから、ともすればいつまでも起きて自分を待っていて、自分の休息時間を減らしかねない男に、先に寝ているように言ったのだ。

 そして、いざ部屋に戻ってみると。

(妙に寂しかったのよね・・・・・・。)

 思い出して、マリューは知らずに苦笑した。一人で横になったベッドががらんと冷たく広くて、思い出さなくてもいいことを思い出したのだ。
 彼がいなくなってしまった、直後の事とか。

 寂しかった、急に会いたくなった、欲しくなった・・・・・等々、いろいろ理由は付けられるが、ただ単にマリューは怖くなっただけかもしれない。

 彼が本当にこの艦に居るのだろうか、と。

(こんなんじゃダメよね・・・・・。)
 規則正しく聞こえてくるであろう、ムウの寝息を期待しながら、マリューはきゅっと彼の手を握り締める。自分にはまだ仕事があるのに、ここでこうしているわけにいかないのに・・・・・。
 それでも、ムウの、この手が緩むのを待ってからでないと、ここから出ていける気がしない。

 そんな風に、つらつらと過去と今を織り交ぜて、彼のことを考えているうちに、30分は経っただろうか。

(寝ちゃったかな?)
 こちらに体を向けて眠るムウを、マリューはそーっとのぞき込み溜息をつく。それからそっと立ち上がろうとした瞬間。
「マリューさん」
「きゃあ!?」
 ぐいっと手を引っ張られて、マリューは声の主を振り返った。
「どうしよう、眠れないわ、俺。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
 呆れてものも言えない、とはこういう状況を言うのだろう。





「羊が52匹・・・・・羊が53匹・・・・・羊が」
 甘い声が耳元で羊の数を数えている。手を握っている恋人をちらと見上げて、目が合い、ムウは慌てて眼を閉じた。
「まだ寝てないんですか?」
 同じ声だが、トーンが違う。冷やかなそれに、ムウはがくがくと首を振った。
「い・・・・・いやぁ・・・・・なんでだろうねぇ・・・・・。」
「あたりまえです!寝る前にコーヒーなんかがぶ飲みして!!」
 羊を数えるのをやめて、マリューがべしり、とムウの額を叩いた。
「いやまあぁ、そうなんだけどさぁ・・・・・。」
 うろ〜っと視線を泳がせるムウをよそに、今触れただけでも、彼の額がまだまだ熱いことに気づき、マリューはきゅっと唇をかみしめた。
 こうなったら、軍医殿に何か薬を処方してもらった方がいいに決まっている。
「ちょっと手を放してくれます?軍医に薬を処方してもらってきますから。」
 栄養剤の注射をされ、一応薬も貰った。だが、眠れないのでは仕方ない。処方されたこれを持って行って、新たに睡眠を促進するようなものを混ぜてもらおう。
 そう考えて立ち上がりかけるマリューの腕を、再びムウが捉えた。
「それじゃ約束が違うだろ?」
「・・・・・はい?」
 思わず半眼で言えば、「俺が寝るまで傍にいる約束だろが。」熱に浮いた眼差しがそう、訴える。
「でも寝られないんでしょう!?」
「だーから、努力するって。」
 ほらほら、羊数えて数えて。
「・・・・・・・・・・・・・・・。」
「何事も薬に頼るだけじゃだめだって。な?」
 なんで半病人に言われなきゃならないんだ?
 遠い眼をしながら、それでも恋人に甘いマリューは、大仰にため息をついて、再び椅子に座りなおした。



「羊が398匹・・・・・羊が399匹・・・・・羊が400匹。」

 マリューの脳内は、すでに愛らしい羊の群れができている。その先頭で羊飼いよろしく、赤いベストを着たマリューはからんからん、と手に持ったベルを打ち鳴らしているのだ。
 その様子を夢見るように眺めながら、彼女は我にかえって、己の手を握り締める恋人を見た。

 じっと耳を澄ませると、規則正しい寝息が聞こえてくる。

 眠ったのだろうか?
 本当に?

 念のため、羊を数えながら、マリューはそっと握り締めていた手を放してみた。するり、と拍子ぬけしそうなほど簡単にムウの手が離れ、マリューはようやく解放された、と大きく伸びをした。
 まったく。とんでもないことをしてくれたものだ。
 さあ、これで仕事に戻れる・・・・・と、椅子を立とうとした瞬間、「マリュー」と低い声で呼ばれ、彼女は驚いて振り返った。
「ムウ?貴方・・・・・」
「寝てたけど、手ぇ離されて目が覚めた。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」

 もはや、何と言っていいかわからない。
「あのね、ムウ・・・・・」
 ふあああああ、とあくびをして、ムウがにっこりと笑みを浮かべた。
「お願いだから、一旦部屋に戻らせて?PC持って戻ってくるから、ね?」
 引きつった笑顔を浮かべるマリューに、ムウはいっそ清々しい口調で答えた。
「だめ。」


 時間にしたらどれくらいだろうか?
 ほんの10分?いや、20分?
 わからないが、多少眠ったことで、ムウは益々眠りからほど遠くなったようで、マリューの手を掴んだままごろごろしている。
 熱があって、体がだるくて、睡眠を欲しているはずなのに。
 なのに、まあ、よくこんなに意識がはっきりしてるものだ。
 そんなことを考えながら、マリューはぼーっとつけっぱなしのテレビを眺めていた。
 観ていたのではない。眺めているのだ。
(これは監禁ってことにならないかしら・・・・・体の良い監禁よ・・・・・そうよ・・・・・なんで私がここで、こんな見たくもないテレビを眺めているんだろう?ていうか、何かおかしいわよね、どこかおかしいわよね、絶対変よ、これは・・・・・)
「マリュー?」
 自分の内なる世界に生きる、400匹の羊たちが、心配そうにマリューを見ている。そんな妄想の海からはっと我に返ったマリューは、くいっと手を引っ張るムウを見下ろした。
「どうかしたのか?」
「・・・・・・・・・・。」
 怒る気にもなれず、マリューはそっとムウの額に掌を押しあてた。
 少し、熱が下がっているような気がする。だが、まだまだ平熱以上だろう。
「いい加減寝てくれませんか?ムウ・・・・・」
 減なりして言えば、「いや、俺もそう思うんだけどね。」と何度目になるかわからない、同じ答えが返ってくる。
「寝る気あります?」
 思わず半眼で言えば、へらっと笑った男が「マリューさんの方が疲れてるね。」とのんびり答えた。
「・・・・・・・・・・。」
 何をばかな、と言おうとして、不意にマリューは黙り込んだ。

 確かにそうだ。

 おもしろくもないテレビを眺め、することも何もない。手持無沙汰。相手が寝るのを待っている状態。
 これで、自分が眠くないと言えばウソだろう。

「そうですね。」
「え?」
 唐突に納得されて、ムウは逆に驚く。あっという間にマリューは立ち上がり、上着を脱ぐと「詰めてください」と病人に笑顔を見せた。
「ちょ、ちょっと!?」
「今日はもう、有給ってことにします。」
「有給!?」
「おやすみなさい。」
「ええ!?ちょっと・・・・・マリューさん!?」
 さっさと布団にもぐりこみ、湯たんぽもしくは毛布よろしく、普段より体温の高い男にきゅっと抱きついた。
「マリュー!?って、おい、マリューさんってばっ!!」

 思わず彼女をひきはがそうとするが、さんざん羊を数え、暇疲れをしていたマリューは、あっさり眠りの淵を転がり落ちていく。自分を抱きしめ、くうくうと気持ちよさそうな寝息を立て始める女を無下にできず、ムウは唖然としたまま彼女を眺めた。

「ったく・・・・・」
 こんな風に寝られちゃ、手も出せない。
「なんだんだよ、もー」

 溜息をつくが、ムウはかすかに笑うと彼女をぎゅっと抱きしめ返した。昨日から、この女には振り回されっぱなしな気がする。
 自分に都合のいいように、あんな約束までしたのに、結局彼女を手中に収めるどころか、逆に抱き枕にされて。

「まあいいか。」
 くすくす笑いながら、ムウは彼女を腕にしたまま、そっと目を閉じた。





「ね・・・・・。」
 それから、数分後。ムウは地獄の苦しみの中でうめく。

 あのまま気持ちよく寝られるかな?などと思っていた自分が浅はかだった。

「寝られない・・・・・」
 体は睡眠を欲している。欲しているのだが、腕の中の女が、余りに抱き心地がよくて、良い香りがして耐えられない。たまに起こそうかと思うが、罪のない寝顔を見て思いとどまる。

 眠いんだか、眠くないんだか、やりたいんだか、やりたくないんだか。

「何これ・・・・・気持ち悪い・・・・・どうにもならない欲望のはざまで気持ち悪い・・・・・」

 意を決して彼女にのしかかろうとするが、抱きつく彼女が可愛くて、起こせない。かといって、起きだして自分で何とかする(・・・・・)にも、体力が付いていかない。そもそも欲望ばかり高くても、熱があって体は重たいのだ。

(なんだよこれはーっ!!!!!)

 心のうちで絶叫しながら、ムウは葛藤に疲れ果て、がっくりと眠りに落ちるまで一人もんもんと眠れぬ時間を過ごすのだった。


 余談だが、彼がきちんと回復するのはこれから三日後の話である。




(2009/02/09)

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