Muw&Murrue

 溶けない愛をささげましょ
『プラントとの国交回復にともない、来たる10月20日にオーブはプラント側に対し・・・・。』

 流れるニュースを後ろに、その日マリューはソファーに座って新聞を広げていた。
 今日はマリューは非番である。
 不規則な勤務体制の所為で、一緒に暮らしているムウと、休みが重なる事は、二人が一緒に休みを取らない限りまずない。

 大好きな人を送り出し、洗濯も終わって、お昼ご飯の準備をするまでの短い時間を、マリューはのんびりと過ごしていた。

 開け放した窓からは、10月も半ばだというのに信じられないくらい温かい風が吹き込んできて、微かに夏の香りがする。
 太陽はいつまでも煌いていて、改めてオーブは常夏の島なのだと思い知らされる。

 新聞をめくりながら、マリューは、ずいぶんとこの国の気候に自分も馴染んだものだなと、感慨深そうに窓の外を見た。

 自分が生まれ育った場所は、この時期にこれほど温かい事はない。風が冷たさを増し、翌月には雪が降る日も混ざりだす。
 なのにこの国ときたら、まあ、年中きらきらと太陽が輝いていて。

 真っ青な空を流れていく、目に痛いくらい眩しい羊雲を見詰めながら、マリューは今朝、ムウが言っていた言葉を思い出した。

 やっぱりこの時期になると寒くなる北半球に住んでいた彼も、玄関を出て吹き付ける熱風に、呆れたような顔をしていた。
「まあ・・・・・月基地にいた頃よりはましだけどさ・・・・こうも季節感がないと逆に変な気分になるよな。」
 今日も暑いなぁ〜、なんて呟く彼に、マリューは笑って「二年もしたら慣れるわよ。」と告げた。
「・・・・・・・・・・・。」
 振り返った彼の、空色の瞳が揺れた。それにマリューは吹き出した。
「朝から馬鹿なこと考えないの。」
 ちゅ、と頬っぺたに口付けると、それもそうかなと彼は伸びをする。
「だな。俺も、時間をかけて馴染んでくよ。」
 じゃあな。
 今度はムウが、マリューの頬に口付けを贈る。
「はいはい。・・・・・・気をつけていってらっしゃい!」
「ん。」

 車に乗り込むその背中を思い出し、マリューは小さく笑う。二度と無いと思っていた、この日常に心が温かくなる。

 時間をかけて馴染んでいく。

 そう、どんなことにも。

「さってと、お昼何にしようかしら。」
 残っていたコーヒーを飲み干して伸びをするマリューは、ふと、新聞の端っこに目を止めた。
「・・・・・・・・・・・。」
 カレンダーを見て日付を確かめる。
「・・・・・・・どれどれ。」
 まさかな、と思いながら、マリューは浮かした腰を下ろすとその欄に目を走らせた。


 06 10 11 12 29 41


「・・・・・・・・あれ?」

 どきん、と胸が高くなって、マリューは目を瞬いた。急に動悸が苦しくなってくる。

「あれ?ちょっと・・・・。」
 何度も目を擦り、食い入るように新聞を見詰める。


 06 10 11 12 29 41


「・・・・・・・・・・・・・。」
 さあああ、と血の気が失せる感じがして、マリューはよろめくように椅子から立ち上がると、ダッシュで階段を駆け上がった。





 その日の夕方。

 まだぼんやりする頭のまま、西日が差し込むオレンジ色の居間で、マリューはお昼前と同じようにソファーに座っていた。
 ただし眺めているのは新聞ではなくて貯金通帳である。

 お給料日まで程遠く、振込みなんて有るはずも無いそこに、臨時で振り込まれた金額が記載されていた。

「まあ・・・・・・三等だし・・・・・。」
 でも、結構大きめな金額だ。
「・・・・・・・・・・・・。」
 貯金通帳を眺めるマリューの、午前中からのドキドキは収まる事を知らない。

 そう。

 数日前、マリューはモルゲンレーテの仕事の関係で、エリカと街に出ることがあった。用事は直ぐに片付き、二人でご飯を食べて、その帰りに、エリカが「寄りたい所がある」と言い出したのがきっかけだった。

「宝くじ?」
 駅前のブースには、人がすでに並んでいる。
「そうそう。毎年年末にね、売り出すのよ。」
 いそいそと車から降りるエリカが、そういうものを買うような人に見えなかっただけに、マリューは驚いたのだ。
「あたるんですか?」
「運がよければね。」
 うきうきするエリカの様子に、結構現実主義のマリューは、あきれたように苦笑した。そして、道路わきにとめた車に残ってその様子を眺めている時に、ふと年末の宝くじとは違う物を見つけたのだ。

 6つの数字を選ぶだけ。

 そう謳われるそれは、一回が三時のおやつ代くらいだった。

「・・・・・・・・・。」
 楽しそうに並んでいる人たちの、そのうきうきした空気が、見ているマリューにも少しだけ感染した。

 おやつ代くらいなら・・・・・。

 エリカが買い終わるのと同時に車を降り、マリューは一枚だけそのくじを買ってみた。
 店頭で数字を選ぶ時の、どきどきや、あたるかしら?とエリカと話す時のわくわくした気持ち。それからあたったら何をしようかしら?という会話が弾んで、その日は随分と楽しかった。
 それだけで、買ってよかったような気がする。

 それで満足していたマリューなのだが。


「まさか・・・・・当たるとは思わないわよね、普通・・・・・。」


 マリューが買った数字は自分の誕生日と、ムウの誕生日と、それからムウから口付けられて告白された日である。
 数字が一個、外れてしまったがそれでも三等なのだからすごい。
 大体、10と11と12が並んでいる番号なんてあまり買う人がいなかったせいか、結構金額が大きかった。

 そう。
 当たった人の頭数で配当金を割るのである。

「・・・・・・・・・・・・・。」
 しばらくぼんやり座っていたマリューだが、段々金額を見詰めるうちに実感がわいてくる。
 そうなると、これからどうしようかという思いが膨らんできた。

 これを買うきっかけをくれたのはエリカだ。

(まずは、エリカさんとリュウタくんと一緒に食事にでも行こう・・・・それから、ああ、どうしよう、この家のローン返済に当てた方がいいわよね・・・・ムウとも相談しようかな・・・旅行って手もあるけど長期の休みはなかなか取れないし・・・・・)

 そういえば。

 ふとマリューはカレンダーを見た。
 来月末は、ムウの誕生日だ。

「・・・・・・・・・・・・・・・。」


 ムウの居ない11月29日を、私はどうやって過ごしていたっけ。


 思い返してマリューは苦笑する。誰にも何も言わず、一人で心の中でお祝いしていたような気がする。
 無駄なことで、後ろ向きな事だとわかってはいても、それでもこの日に大切な人がが生まれたのだとそう思うだけで、嬉しかったのを覚えている。

 でも、今年は違う。

 なら。

「・・・・・・・・・・・・。」

 ローンも旅行も、お金を溜めていけば、きっと出来るようになる。二人の時間は沢山あるのだ。

 でも、帰ってきた彼の、「今年」の誕生日は一度しかない。

 マリューは貯金通帳を大事に抱えると、うん、と一つ強く頷いた。





「一佐〜、サインお願いしやす〜。」
「お〜。」
 下から声を掛けられて、ムウはアカツキのコックピットから顔を出し、リフターを降ろす。
「で、何のサイン?」
 渡されたのはプラントの工場への発注書のようだった。
 つい先日、オーブはプラントとの国交の正常化に成功し、少しずつだがプラントの技術が流れ込んできている。
 アークエンジェルは元はオーブ軍ではないため、クライン派のファクトリーと密接なつながりがあり、地球では手に入らないようなものは、全てそちらから取り寄せていた。
 だが、今回の正常化にともない、おおっぴらに物が入ってくるようになった。
 これ幸いと、マードック達整備班が注文した物に目を通して、ムウは呆れたように肩をすくめた。
「資源の乏しい地球で、確かにこれだけ頼みたくなるのは判るが・・・・何だよこの、中古って。」
 ざっと目を通し、尋ねるムウに、書類を覗き込んだマードックは「ああ、」と頷いた。

 エンジン部品や、核融合炉に必要なプロテクター素材、様々なパーツなどに混ざって、「中古」と銘打たれた物が紛れ込んでいる。

「それは、ザフトの坊主から頼まれたんですよ。」
「ああ?」
 持っていたボールペンで耳の上辺りを書いていたムウは眉を寄せる。
「なんでも改良すれば地球でも十分使用できるとか何とかいってやしたぜ。」
「や、それはそうとしてだな。」
 なんでこんなもんが軍で必要なの?
 真顔で訊かれて、マードックは肩をすくめる。
「さあ。」
「さあって・・・・・こんなん受理されるのか?」
「するのが一佐の仕事でしょうが。」
「・・・・・・・・・・・。」

 そうだった。

「わけの分からん物が入ってて気になるのなら、それが何で必要な物なのかどうか、検討してサインするのが、ロアノーク一佐の仕事でしょうが。」
 呆れたように、無精ひげの整備員に言われて、そりゃそうだよなぁ、とムウが溜息を付いた。
「俺そういうの向いてないんだよねぇ・・・・・。」
 肩を落とすムウに、マードックは豪快に笑う。
「確かに、一佐にゃ荷が重いですね。」
「・・・・・アスランだしさ、受理していいかな?」
「艦長に怒られてもいいんなら、どうぞ。」
 経費削減しろって言われてませんでした?

 や〜れやれ。

 とりあえず書類を持って、ムウは「これ」が本当に必要なのかどうか、アスランに訊きに行くために、工廠を後にした。





 少年の居場所を探してモルゲンレーテ内を歩き回っていたムウは、ようやく一つのオフィスに彼の姿を見つけて溜息を付いた。
「アスラン・ザラ〜!」
 声を掛けると、パソコンをいじっていたアスランが顔を上げる。眼があった瞬間、その翡翠色の瞳が、吃驚したように大きくなった。
 急に顔色が変わったアスランに、ムウが人の悪い笑みを浮かべる。
「何だ〜?真昼間っからエロ画像でも見てたのか?」
「ち、違いますよ!」
 慌ててウインドウを閉じるアスランに、気の無い足取りで近づく。
「ど、どうしたんですか?ロアノーク一佐。」
「や、これなんだけどさ。」
 先ほどマードックから渡された書類をアスランに差し出す。
 ざっと目を通し、まずいかな〜、という顔でアスランがムウを見上げた。
「俺は別に受理してもいいんだけどさ。ほら、上がね。うるさいだろ。」
 一応使用目的を訊きたいんだけど。

 珍しく仕事熱心な彼に、アスランは小さく深呼吸すると、用意していた解答を口にする。

「MSの訓練として、どうしてもオノゴロでは出来ない事が一点、あると思うんです。」
「・・・・・・・まあ、確かに。」
「中古ですが、これを改良すれば、必ず模擬戦闘で役に立ちますし、あって損は無いと思うんですが。」
「誰が改良するんだ?」
 最もな言い分に訊ねると、「それは俺が。」とあっさりアスランが答えた。
「お前が?」
「はい。ラミアス艦長の許可もいただいてます。」
「マリューの?」
 目を丸くするムウの前で、見てください、と先ほど閉じたウインドウを開いて見せる。
 そこには「改良案 B」とされた、それの図面が展開していた。
「まだまだやる事は沢山ありますけど、プロトタイプとしてはこれでいけると思うんです。あとのプログラムはキラがどうにかしてくれるでしょうし、それには中古の」
「ああわかったわかった!」
 専門的な事は何一つわからないムウが、慌てて止めに入る。
「マリューが監修してんなら、文句ねえよ。」
 サインしとく。
「ありがとうございます。」
 ほっと小さく溜息をつくアスランに、しかしムウは気付いていない。近くのデスクに書類を置いてサインをする男の名前を見ながら、ふとアスランが気になっていた事を訊ねた。
「あの・・・・・ロアノーク一佐。」
「ん〜?」
「何故・・・・フラガ一佐にしないんですか?」
「・・・・・何の脈絡もねえ事をさらっと聞くな、君は。」
「ええ!?」
 あわあわするアスランに、ムウは苦笑した。
「アカツキを受け取ったのも、アークエンジェルに残るって決めたのも、守りたいものを探してたのもネオ・ロアノークだから、だよ。」

 ここに居る事を選んだのは、ムウ・ラ・フラガじゃない。

「せめて、ネオ・ロアノークとして出来る事を・・・・・ってな。」
「・・・・・・・・・。」
 書類を手に、じゃあ提出してくるわ、と言うと、ムウは彼に背中を向けた。



「アスランくん。」
 背中を向けた長身の男の言葉を、ぼんやり反芻していたアスランは、その声に顔を上げた。ムウが出て行った入り口に、彼の恋人が立っている。
「どう?上手くいってる?」
 近寄る彼女に、アスランは図面を出して説明する。
「設計図のほうは大体出来ました。中古の方も、何とかなりそうです。」
「そう。よかった。」
 ほっと息を付く彼女に、アスランは遠慮がちに呟く。
「でもあの・・・・・本当に・・・・?」
「ああ、心配しないで。実際訓練に役立つのだし。」
「でもプロトタイプは・・・・・。」
 言いにくそうにするアスランに、マリューはひらひらと手を振った。
「大丈夫大丈夫。中古はアークエンジェルの予算の範囲内だし、その後の改良費は私が個人で負担するから問題はないでしょ?」
 これで進めて。
「・・・・・・・・・・でもあの・・・・・。」
「いいのいいの。このプロトタイプが上手く行けば、モルゲンレーテで別予算を組んでもらえばいい話だし、そうならなくても、「これ」は色々と役に立つと思うから。」
 そういうのに個人投資したと思えば問題ないわよ。
 そう言って、からから笑うマリューに、そういうものですか・・・・?とアスランは溜息をついた。
「じゃあ・・・・・これでやりますね。」
「足りないパーツはバルトフェルド隊長を通せば何とかなるわ。その際の費用はモルゲンレーテに提出しちゃ駄目よ?」
「はい。」
「じゃ、よろしくね。」
 ニコニコ笑って、足取り軽く出て行くマリューに、アスランはアークエンジェルの艦長はやっぱり只者じゃないなと、こっそり思うのだった。



 こうして、プラントから中古の「ある物」がアスランの元に届き、マリューとアスランは日夜それの改良に励み始めた。
 でもその事に付いてマリューは一言もムウに言わなかったし、ムウはムウでマリューと仕事をする事はあまり無いので、「それ」に関しての話題はあまりのぼらなった。

 淡々と日常が過ぎて行きそして。




「・・・・・・・・・・・あの、マリューさん?」
 擦り寄ってくる彼女に、ムウは困惑し、逃げ場が無いとわかっていながらも、ベッドのギリギリ端まで移動する。
 対するマリューは真剣な顔でムウを見上げている。
 当然の如くパジャマは床に落ちてるし、マリューの頬は赤く染まっている。
「お願い・・・・・。」
「はあ!?」
 これ以上下がると落ちてしまう場所で、そのやわらかい体を抱きとめて、ムウは絡まってくるマリューに混乱する。
「お願い、もっかい・・・・・。」
 そう言って擦り寄ってくる彼女とは既に、結構な回数してたりする。
「ち、ちょっと!?ストップ、マリューさん!?」
「ダメ・・・・。」
「じゃなくて!!」
 がっしり肩を抑えて睨みつけると、マリューはちょいちょいと手招きした。
「何?」
 顔を寄せた瞬間、思いっきり口付けられた。
「ん〜〜〜!?」
 いつもとは逆で、組み伏せられるムウは、積極的過ぎるマリューに更に更に混乱する。
「な、なんだよ、おい!?」
「ダメ!・・・・・まだ・・・・・。」
「ま、まだって、ちょっと、マリュー!?ば、やめ・・・・!?!?!?」


 そんな事を繰り返した、数時間後。


(勝った・・・・・・・・。)
 意味不明な勝利宣言を胸に、ムウはほーっと溜息を付く。執拗に絡まり、身体を重ね続けた相手の方が、先にダウンして眠っている。
 その横顔に、あはは、とムウは乾いた笑みを浮かべた。
(っつーか俺も限界かも・・・・・)
 外は白々とあけてきている。

(こんな明け方まで・・・・・なんてほんと無茶してた頃以来・・・・・・。)

 ばふ、と枕に顔を埋めて、ムウは目を閉じる。

 つか、マリュー・・・・・なんであんなに・・・・・・。





「!?」
 がばっ、とマリューが跳ね起きたのは、ムウが眠ってから30分後だった。慌てて辺りを見渡し、隣で眠るムウをしげしげと眺める。

 パイロットって侮れない・・・・・・。

 などとわけの分からない事を思いつつ、マリューは恋人が良く眠っているのを確かめて、そっとベッドを抜け出した。
 時刻は午前五時を少しまわった辺り。そろそろ玄関で待っていた方がいい。

 戦艦勤務が長かった所為か、ムウは周囲の空気に敏感だった。
 日常的な事に関して・・・・・そう、例えば新聞配達員が新聞を届けたりとか、マリューが台所作業をしている時とか、そういう気配に反応して彼が目を覚ます事はあまり無い。

 ただし、それとは別の、「非日常」のこととなると、恐ろしく敏感だったのだ。

 どんなに下から「朝ごはん!」と叫んでも起きて来ないのに、庭先から野良猫が飛び出して「きゃっ!?」と声を上げただけですっ飛んでくる事もあるのだから恐れ入る。

 そんな相手だから、今日これからする事がばれるのは時間の問題だった。

 でもマリューはギリギリまで内緒にしておきたかったのだ。
 だから、自分も身体を張って、彼を体力ギリギリまで落とし込んだのだが。

 そっと家のドアを開けて、門から表に出る。早朝の清々しい空気の中で、昨日の事を思い出し、マリューはう〜んと唸った。

 あれで彼がダウンして寝てるとは思えないし・・・・・・。

 その時である。

「あ・・・・・・・。」
 朝焼けに染まる空をバックに、一台のトラックがカーブを曲がってこちらに向かって走ってくるのが見えた。まだ水平線ギリギリの太陽の光を、左頬に受けたマリューが、笑顔で運転手に手を振った。





 一面真っ白な校庭には、足跡一つ無い。

 マフラーを顎まで巻いた、ダッフルコートのころんとした子供三人が、キラキラした目でその校庭を見詰めている。
 二股にしか分かれていない手袋は、新品で、ムウのは深い紺色だった。
「俺・・・・・・・雪合戦が良い。」
「いいな、それ。」
「ちげーよ、馬鹿!」
 はあ、と吐き出した息が白く空中に漂い、それが朝早い冬の透明な太陽に光った。
 ふっふっふ、と小さく笑うムウに、友人二人の視線がそそがれる。
「まずは――――――っ!!」
 だっと勢いよく駆け出し、真っ白な校庭に、ムウの足跡がてててて、と描かれていく。
「こうだああああっ!!」
 くる、と振り返ると彼は真後ろに倒れこんだ。うずうずしていた二人の友達が、きゃーっと歓声を上げて走ってくる。
「おりゃーっ!!」
「とーっ!!」
 奇声を上げて、まるっこいダッフルコートの子供三人が、雪の積もった校庭にダイブしていく。

 自分の体の跡が、新雪にくっきりと刻まれていく。

 倒れこんだ冷たい雪の上で見上げた空は、どこまでも透明で、深く、遠くムウには見えた。
「すっげ・・・・・・・。」
 凍える息が、目の前を通り過ぎていき、冷たさと音の無い静けさに、ムウは小さく震えると、見上げる宇宙はもっと寒いのかなとぼんやり考えた。

 雪が降ると音が無くなって、小さな宇宙が来るんだって、母さんが言ってたっけ・・・・。

「!?」
 べしゃ、と顔に雪を落とされて、慌ててムウは飛び起きた。名前を叫んで顔を拭うと、つぎつぎと雪玉が飛んでくる。
「やったなああああ!」
「やれーっ!!」
 きゃあきゃあと、はじけるような笑い声が朝早い学校の校庭に響き渡る。

 外は凍るほどに寒いのに、体中ぽかぽかして、朝食の時間も忘れて・・・・・・。




「・・・・・・・・・・・。」
 ぽか、と目を開けたムウは、外から響いてくる笑い声に目を瞬いた。
 夢の名残かと思ったが、そうではないらしい。
「・・・・・・・・・・。」
 随分と懐かしい夢を見たのは、外の子供らの声の所為か。
「って・・・・・子供?」
 おや?と首を傾げてムウは落ちていたパジャマを拾うと、カーテンの閉まっている窓へと近寄った。ベッドにはマリューはいない。

 今日は珍しく二人とも休みだから、遅くまで寝ているのかと思ったのに・・・・。

 カーテンを開け、うーんと伸びをしながら窓を押し開ける。ガラス越しにくぐもっていた子供たちの声が、大きく響き、ムウは今日も良い天気だし、暑いな、と思いながら下を見た。

 その瞬間。

「ネオだーっ!!」

 べしゃ、と顔面に冷たい物がぶち当たった。

「んなっ!?」
 つめてっ!?!?ていうか、痛っ!?

 鼻っ面に当たった物を振り払い、ムウは窓枠から身を乗り出して下を見た。


 結構な広さのある庭の向こうには、海があり、いつもと変わらぬ光景が広がっている。
 太陽は相変わらず、陽気に輝いているし、寝起きに思ったとおり、今日も暑くなりそうだ。
 11月も、末だというのに。

 二階から見下ろす庭には、青々とした芝生が生え、風にのんびり揺れている・・・・・はずなのだが。

「なっ・・・・・・・・・。」

 あいにく、今日に限ってその光景は無かった。

「おはよう!ムウ!」

 唖然として庭先を見詰めるムウに、半袖にスカートの恋人が手を振った。
 手には柄の長いスコップを持っている。

「それから・・・・・・・。」

 大きく息を吸って、彼女が叫んだ。

「はっぴーばーすでーっ!!!」




 いつもの見慣れた庭先の一角が、真っ白だった。
 そう。
 雪、である。

 そこだけ大量に雪が降ったかのように、小さな雪原が現れ、そこに巨大な物があった。

 真っ白で、マリューの腰くらいの高さがあるそれは、ムウの居る二階から見ると、何なのか一目瞭然だった。

 白い、雪で出来た、直径5メートルはありそうなバースデーケーキ。
 ご丁寧に、クリームの飾りまで付いた上に、ちゃんと自分の名前まで作られている。

「これ・・・・・・・・。」
 窓から見下ろしていると、マリューがニッコリ笑った。

「お誕生日、おめでとう、ムウ!」

 その瞬間。

「ネオーっ!!!」
「ムウさん!!!」
「ロアノーク一佐ああああっ!!!!」

 ケーキを取り囲むように立っていた子供も大人も、口々に彼の名を叫んだ後、物凄い数の雪玉がムウをめがけて飛んで行った。

「いてっ!?つか、つめてぇよ、馬鹿!!ていうか、誰だ!?顔面狙ってんの!?キラかっ!?!?」


 べしゃべしゃと柔らかい雪玉の洗礼を受けるムウを、マリューは目を細めて眺め、はじけるように笑った。

「つーか、お前らなあああ!!!」
 ばん、と窓を閉めたムウが、大急ぎで着替えて降りてくる頃には、小さな雪原で雪合戦が起きていた。

 きゃあきゃあと子供たちのはしゃぐ声が響く中で、ムウはアークエンジェルの主だったクルーと、その前に立つマリューに小さく笑った。
「これ、何だよ。」
 指差した先には、なんと、人工降雪機が置いてあった。
「これは確か、MSの雪原での模擬戦闘用に開発してるもの、じゃなかったっけ?」
 丁度一ヶ月くらい前に、中古の物をプラントに発注してたような気がするんですけど。
「ええ。それのテストということで。」
 ニコニコ笑うマリューと、すいません、と手を合わせるアスランに、そういうことかとムウは気付く。

「これ、やるためにわざわざ?」
「まさか。そんな事、私が許可するわけ無いでしょう?」
「・・・・・・・・。」
 ね〜、ノイマン君?

 なあんてすっとぼけるマリューに、ムウは肩を震わせて笑いを噛み殺す。

「ふ〜ん、テストねぇ・・・・・・。」
「はい。」
 巨大な雪のケーキに、目を細める。
「マリュー。」
 改めて、ムウは彼女を見た。真っ直ぐに、真剣に。
「ありが」
「くらえええええええ!!!」

 その瞬間、ムウの後頭部に雪玉が炸裂した。

「おまえらーっ!!!!」
「ネオが怒ったーっ!!」
「にげろー!」
 きゃああああああああ。


 すっかり子供たちの玩具にされているムウなのだった。





「ご苦労様でした。」
 居間のソファーにぐったりと座り込んでいるムウに、マリューは笑いを噛み殺しながら告げる。紅茶を淹れて持っていくと、「どうも〜。」と仏頂面を返された。
「ずるいよな、あいつ等・・・・・。」
 朝、巨大な雪のケーキを作るのに手を貸してくれたアークエンジェルのクルーは、そのままマリューが用意したちょっと豪華な朝食を食べて、仕事に戻って行った。まあ、無理も無い。みんなそれぞれやる事があるのだから。
 お昼頃には子供たちと、ラクスやマリュー達だけが残り、庭先に突然現れた雪野原でムウは子供たちにせがまれて散々遊び倒したのである。

 子供たちのパワーに圧倒されて、夕方にはくたくたになってしまったムウだが、ふと、溶け残っているケーキを見ながら、微笑んだ。

「全く・・・・・いいだけ騒いで帰ってくんだからさ。」

 仕事場に戻って行ったキラやアスランや、その他のクルーに文句を言ってるにもかかわらず、ムウはどこか嬉しそうで、マリューはくすっと小さく笑うと彼の肩にもたれかかった。
「迷惑でした?巨大なケーキ。」
「物凄くね。」
 紅茶を飲む彼を見上げて、マリューは「あら。」と声を上げる。
「昔言ってませんでした?おっきいケーキが欲しいって。」
「・・・・・・・それでこの騒ぎ?」
 くしゃっと彼女の髪の毛を掻き乱し、されるがままになりながら、マリューは静かに言った。

「貴方の口癖。」
「ん?」
「・・・・・・・・不可能を可能にってやつ。」
 見上げるマリューの褐色の瞳が、微かに揺れた。
「私にだって出来るのよ、って事を言いたくて。」
「・・・・・・・・・・・。」


 雪の降らない赤道直下に、さまざまな人の手を借りて、今日、この日に私は雪を降らせたわ。


「貴方がアークエンジェルを護るために、不可能を可能にするのなら、私たちはいくらでも貴方のために協力は惜しまないわ。」
 不可能を可能にしてみせるくらい。
「・・・・・・・・・・。」

 西日の差し込む居間で、マリューはふふん、と不敵に笑って見せた。

「これが、私からのプレゼント。」
「・・・・・・・・・・・・。」
「手を貸してくれる仲間と、居てもいいと許されるこの場所と、時間よ。」



 確かに誰も居なかったし、居たいと思える場所も無かった。



 ネオのときも、ムウのときも。護りたいものなど無い人生だったかもしれない。でも、命を賭けて護った物と場所があって、それを改めてムウは愛しいと思う。

「誕生日おめでとう。」

 呟いて、マリューが笑った。

 貴方のために、ここがあるわ。



 ここを護るために。

 生まれたのかもしれない。

 理由なんて、それだけで十分だ。



「マリュー。」
「ん?」
「サンキュ。」
 力いっぱいムウはマリューを抱きしめた。



「明日には溶けちまうかなぁ。」
 茜色の雲が流れていく空の下の溶け残ったケーキを見詰めて、ムウが呟く。
「どうかしらね〜。」
 サンダルを突っかけて、マリューが庭に出た。冷たいケーキを救い上げて、「冷たい〜。」なんて言いながら丸めていく。

「・・・・・・ねえムウ。」
 小さな雪だるまを手に、振り返ったマリューが笑った。
「これは溶けちゃうけど、私の愛は溶けないから。」
 覚悟してね?
「それより俺は、オーブンの中のケーキの方が気になるんですけど。」
 笑いながらキッチンに向かう彼をマリューが慌てて追いかけた。
「ダメ!つまみ食い禁止!!」
「お〜、うまそ〜!パウンドケーキだよな?」
 食っていい?
「ダメー!!こら、ムウ!!」


 常夏の島に残された、真っ白なケーキの上の雪だるまが、ぱたりと倒れる。

 雪だるまが見上げる先に、銀色の一番星が光っていた。





(2005/11/29)

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