Muw&Murrue

 コトノハ
 そこにはただ、無節操に草が生え、風が吹くとそよぎ、空を見上げれば、雲が流れていくだけの野原になっていた。
 周囲をほんの少し林が覆ったその野原の真ん中に、吹いてくる柔らかい五月の風を受けながら、金髪の男が一人、立っていた。

「なんもねぇな。」

 そう呟いて、男は地面に視線を落とす。これから夏に向けてぐんぐん伸びるであろう若い草が、さわさわと太ももを撫でているのが見えた。
 その若い草の先っちょにはバッタが止まっていて、男が歩を進めると、ぽん、と弧を描いて飛ぶ。
 羽虫がふわっと舞い上がり、太陽の光に羽が透けた。

 その足元から、再び男は視線を前に向ける。

 さわさわと葉ずれの音を立てる木立以外、何も見えない。


「・・・・・・・・・・。」


 確かにそこに、あったのに。


「ムウ・・・・・。」
 後ろから声を掛けられて、彼は振り返った。白くて、つばの広い帽子を被った、栗色の髪の女が、サンダルにワンピース姿で歩いてくる。
「そんな格好で歩いてたら、虫に食われるぞ。」
 笑いながら言うと、肩をすくめた彼女が、彼の隣に並んだ。

 木々の葉が、吹き抜ける風に舞う。

「・・・・・悲しいとか、」
 ぽつりと、男が漏らした。
「悔しいとか・・・・なんでとか・・・・・。」
「・・・・・・・。」
「そういうのが溢れるのかと思ったんだけどな。」
 そうでもなかったよ。

 呟いて、ムウは空を仰いだ。

 目を閉じて、思い出そうとするが、もう、炎のはぜる音も、焦げ臭い匂いも思い出せない。
 辛うじて、闇を染めた炎の深紅だけが、鮮やかに浮かび上がった。

「何も無いな。ここには。」
 乾いた声で告げると、そっと女の手を握り締める。
「何も無い。」
「そうでもないわ。」
 その彼の手を引っ張るようにして、一歩、彼女が前に出た。
「ここで、貴方は暮らしていたのでしょう?」
 振り返ってニッコリと笑う。
「ここで。この場所で。この空間で。」
「・・・・・・・・・・。」
 女はぱっと手を放した。
「貴方の時間に、私は居ないけど、貴方の場所に、私は来たわ。」
 さくさくと草を踏んで歩き、女は天を仰ぐ。
「ここで、子供の貴方が遊んでたのだと思うと、なんか・・・・嬉しい。」
「・・・・・・・・・。」
「家の間取りとか、覚えてる?」
 振り返る彼女が、あまりにも楽しそうだから、ムウはちょっと苦笑すると彼女の後を追った。

 何も無い草原に、見えない「家」を思い描く。

「この辺りが玄関で・・・・こっちがホールかな?その奥が食堂で・・・・こっちが居間かな?」
「ムウの部屋は?」
「・・・・・・・・多分・・・・・2階か3階・・・・。」
 広い建物を前に、女が頬を膨らませる。
「嫌味なくらい広い家ね。」
「マリューさんちはどんなの?」
「教えてあげない。」

 ここはこうで、あれはこうで、こっちには薔薇が咲いていて、ここには温室があって・・・・・。

「・・・・・・・・・・・。」

 ざわっと風が吹き抜けて、ムウは言葉を切った。薔薇のアーチがあったという、ムウの母親の庭の前で、マリューは彼を振り返った。

 痛いものを噛み締めるような顔で、ムウが自分の背後と、それから今まで説明した間取りの辺りを見渡していた。

「どうしたの?」
「・・・・・・・いや。」


 嫌な記憶を消していく。戦闘の支障となりそうなものを。
 辛い思い出を。

 そうやって、記憶操作をされたエクステンデッド。


「・・・・・・・・・記憶操作・・・・・か。」
「え?」

 どうしたことだろうと、ムウは苦笑した。


 辛い事や、嫌なこと。面白くないことばかりの少年時代だと、ムウはずっと思っていた。父も母も、つまらない人だとずっとずっと思っていた。

 ラウが火をつけたくなるのも当たり前だと、そう思ったこともある。

 何より、自分の「血」が嫌で、若い頃は無茶ばかりして、なんとか自分を「フラガ」姓の属する者ではない者として確立したかった。

 とにかく、自分をめちゃくちゃにした「家」が嫌いだった。


 なのに。



「ムウ?」
 はは、と彼は乾いた声で笑う。
 目の奥が痛くて、それを誤魔化すように、彼は空を仰いだ。


 なのに、もう一度戻ってきたこの場所に見る幻影は、どれもこれも優しいもので。

 母の作ったお菓子の甘い匂いとか。庭木をいじるたびに怒った庭師の顔とか。初めて自転車をくれた父の嬉しそうな顔とか。窓から身を乗り出して遊ぶ自分に青ざめた顔で怒る侍女とか。

「ムウ・・・・・・・。」

 どれもこれも、どれもこれも、優しくて、柔らかくて、惜しくて。

 悲しい思い出など、まるで消されてしまったかのように、少しも思い出さない。

 歯を食いしばって耐えるムウの腕に、マリューはそっと手を乗せた。
「ムウ?」
 その彼女を、彼は力いっぱい抱きしめた。


「言いたい事が・・・・・あった。」
「ええ。」
「今でも山のようにある。」
「そうね。」
「・・・・・・言えばよかった事もあるんだ。」
「うん。」
「どうして・・・・・・言えなかったんだろう。」


 ありがとうとか。
 愛してるとか。
 楽しかったとか。


「なんで・・・・・。」

 掠れた声に、マリューはそっと目を閉じる。彼の身体に回した腕に、力を込める。

「遅いことなんか無いわ。」
「・・・・・・・・。」
「言えなかったのなら、言えばいい。伝えたかったのなら伝えればいい。」

 相手はもう居ないけど、きっと伝わるわ。


 にこっと笑うマリューに、ムウは一瞬目を丸くして、それから困ったように笑った。

「ガラじゃない。」
「じゃあ、私が。」

 背筋をただし、真っ直ぐに立つと、マリューは勢いよく頭を下げた。


「私に、ムウ・ラ・フラガさんをくださいっ!」
「馬鹿!逆だろうが!!!」
 思わず笑って、彼女を抱きしめる。
「じゃあ、ムウがやって!」
 しがみ付く彼女を抱きしめて、ムウは視線を広い広い草原にそそぐ。


 幻の、夢の中の、在りし日の我が家。


「父さん・・・・・母さん・・・・・彼女が、俺が二度、命懸けで護った女です。」
「・・・・・・・・・。」
「俺が選んだ、この世でたった一人の愛する女です。」
「・・・・・・・・。」
「この女以外、欲しくないんだ。」


 何もいらない。

 燃えた家の残骸を見て、そう、冷たい心でムウは思った。もう何もいらないと、そう思った。



「・・・・・・・・俺はいまでも、父さんも母さんも、愛してます。」


 でも今は、許そうと思う。
 ラウのことも。レイのことも。


 風が吹いて草木が揺れる。
 五月の草原に見えるのは、ただ、幼き日の柔らかな思い出だけ。



「ねえ。」
「・・・・・・ん?」
「私がお嫁さんで、許してくれるかしら?」
 お義父さまとお義母さま。

 それに、ムウはいつものように笑った。

「ダメっていったら、駆け落ちな。」



 また来よう。
 ここに。

「今度は・・・・・子供でもつれて来ようか。」
 ぎゅっとつながれたムウの手を、きゅっとマリューが握り返した。
「ええ。」


 ただ優しく、風が二人を包んだ午後だった。



















この話が凄い好きだと言ってくださった大FANのKさまに捧げますv(今でも好きです〜vv←届かない叫び/笑)

(2005/10/27)

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