Love2Guilty

 真実≠事実
 12月24日。

 世間ではクリスマス・イヴと呼ばれるこの日は、恋人達のイベントである。

 浮き足立ったカップルが、映画やショッピングやなにがしかの冬のイベントに参加し、高級なレストランやお洒落なバーで楽しんだ後、甘い時間を過ごすために豪華なホテルに泊まって緩やかな夜を過ごすことになる、一日ことである。
 そんな浮かれた冬の一日を、宝月茜刑事は死体とともに過ごしていた。
「・・・・・・・・・・。」
 いや、正確に言えば、死体を前にした監察医とともに過ごしている、というところだろうか。
「じゃあ、直接的な死因は絞殺、ということでいいんですね?」
「ええ。決定してもらって構いません。」
「・・・・・・・・・・。」

 今日の法廷で王泥喜法介弁護士は「被害者は毒を自ら飲んだ可能性がある!」と発言していた。

 彼は証言者の「犯人は絞殺されたのではなく、毒殺されたのだ。」という発言を受けてのことだが、検死報告には毒物が体内から検出されたなどという報告は上がってきていない。
 だが、証言者は頑として、「彼が毒飲んで自殺するところを見た」と言い切っている。
 検察側としては、被害者の首を絞めたのは被告人で、目撃証言をしている証人は嘘を言っているとそう考えている。

 だが、毒の入っていたコップは空で、被害者の指紋しか検出されていない。
 中に毒物が入っていたことはカガク的に立証済みだから、問題はその「中身」がどこにいったのかだ。

「毒物反応は・・・・・?」
「死因、に繋がるような反応はありませんが、死体の人差し指と親指に遅効性のものが付着してました。」
「・・・・・・・そこだけ、ですか。」
「はい。」
「・・・・・・・・・。」

 駄目だ。考えても分からない。
 ただ分かったのは、被害者は毒を飲んで自殺したわけではない、ということだけだ。

「ありがとうございました。」
 新たに書いてもらった検死報告書を手に、茜は監察医に頭を下げると部屋から出た。
(まったく、あのワガママ検事さん・・・・今更こんなこと調べさせて何をする気なのかしら・・・・。)
 クリスマス・イヴに何が哀しくて死体とご対面しなければならないのか。
 何か考え込むような表情で、法廷から戻ってきた牙琉響也検事は、その足で警察を尋ねてくるとじきじきにもう一度被害者を調べてほしいと頼んできたのである。

 刑事クンが気になったところを重点的にね。

 にっこりとしか形容のしようのない笑顔でそう告げられ、夕方を過ぎてあたりが暗くなるまで調べてみたが、取り立てて何も出てこなかった。
 いや、人差し指と親指の毒物反応以外は、だが。

「あー・・・・・なんか腹立ってきた・・・・・。」
 被害者は絞殺されているのだ。
 それは間違いない。
 ということは、やっぱり犯人はアイツしかいないだろう。

 自分達がとっ捕まえた容疑者の事を思い返しながら、茜はかりんとうの袋を取り出すと乱暴に開けて口に放り込むんだ。
 糖分が足りないから、苛々するのだ。
「・・・・・・・・・・・。」
 大学病院を後にし、タクシーを拾おうと大通りに出ると、目の前に聳えるビルの壁面の、巨大液晶画面に、本日一番のイライラを茜に提供している人物のアップが映った。

 ガリューウエーブのボーカルに熱愛発覚!

「・・・・・・・・・・・・。」
 そんな文字が躍る画面は、夕方のニュース内でやっている芸能コーナーのメインの話題らしい。
 お相手は、女優でファッションモデルの女の子で、ハリウッド進出の話もあるという、今もっとも人気の女性だ。
 思わず足を止めて、暗い街に巨大に光るパネルを見詰めていると、ガリューウエーブのギルティーツアー・ファイナルの話題へと話が広がっていった。
(確か、今日だって言ってたわね・・・・検事・・・・・。)

『なんでも今日のコンサートに、お相手の彼女も来るということで、なんと、当局きっての芸能通の彼がなんと、現場に潜入しています!』

 彼、で通じるほど有名な少し小太りの男が画面に映り、その後ろに暗い闇の中でライトアップされたコンサート会場が映った。
 あそこに検事がいる。今頃リハーサルやら何やらで大忙しなんだろう。いや、それとももう、スタンバってる所だろうか。

(六時開演なのよね・・・・・。)
 時刻は五時半。もう、リハは終わっているだろう。

 お相手の彼女と響也がどこで出会ったのか、どんな場面を目撃されているのか、それらを嬉々として語る芸能レポーターを横目に、茜は苛々したように手を上げると、タクシーを拾って乗り込んだ。
 響也は今日のコンサートの途中で、八時からの歌番組にもライブ会場から生出演することになっている。
 そして、明日には法介と裁判だ。
(何考えてんのかしらね、あの検事さん・・・・・。)

 本当は十一月中に解散する予定だったガリューウエーブだが、ファンの後押しもあり、紅白に出場した後、ギルティーツアーの最終日でもある大晦日に、カウントダウンをかねたその公演で解散が決定している。

 その間にも、事件は山のように積みあがり、裁判をこなさなくてはならない。

 人の人生を左右する、裁判。

 その場に臨む検事が、手を抜いているとは思わない。実際、手なんか抜いてないから、今日のこの時間まで、動けない自分の代わりに茜を動かして、真相の究明に乗り出しているのだ。
 それが分かるから、茜もこうやって手を貸している。じゃなければ、幾ら上司とはいえ、ここまでする義理もないし、茜なら手を貸す前にトンズラしている。

 響也がどれだけ忙しいか、現場や裁判所で会う茜は良く知っていた。だから、思うのだ。
 こんな時に恋愛なんぞして、また面倒ごとを抱え込むのかと。

「・・・・・・・・・・・そうよ。」
 そういう意味で苛々するのよ。
(確かに、色々馬鹿みたいに真面目に仕事してるとは思うけど・・・・だからって恋愛まで真面目にすることないのよ。)

 あんなちゃらちゃらしてじゃらじゃらしてるくせに。
 そういう軽い男だと・・・・思ってるのに。

 持っていたかりんとうの袋に手を突っ込んで噛み締める。不機嫌絶頂でそんな事を考えていると、不意に茜の携帯がなった。
 慌てて指先をなめて、鞄を探り、携帯を取り出す。ディスプレイも見ずに出ると。

『やあ、刑事クン。』
「・・・・・・・・・・・・。」

 今、一番怒鳴ってやりたい相手ののんびりした声が聞こえてきた。

「牙琉・・・・検事・・・・。」
『お疲れ様。どうだい?その後の調子は。』
 きらびやかな検事の笑顔が嫌でも思い出されるその声に、茜は脱力すると同時に怒りを覚えた。

 ていうか、ライブの直前に何電話してるんだ、この男はっ!

「ええまあ、ぼちぼちっていうか、進展なしっていうか。」
 投げやりな声でそういうも、検事は気付かないのか『やっぱりね。』と変わらぬ調子で切り返してくる。
『毒物反応は?』
「死体の親指と人差し指から遅効性のものが。それ以外にはないということです。」
『・・・・・・・・・。』
 それに対して、何か考えるところがあるのか、電話の向こうの相手は沈黙してしまった。
 暫く二人の間に静寂が広がり、車のエンジン音と、流れていく夜の街を見ていた茜に、おもむろに響也が『ありがとね、刑事クン。』と礼を述べた。
『これで、ようやく事件の輪郭が見えてきたよ。』
「・・・・・・私には全く分からないんですけどね。」
 皮肉を込めて言えば、『だろうねぇ。』とのんびりした声が聞こえてくる。

 どこまで人を苛々させれば気が済むんだ、この男っ!!!

「じゃ、失礼します。」
 やっぱり協力するんじゃなかった。命令でも他の奴に行かせればよかった。クリスマス・イヴに死体とご対面なんて、ありえないっつーんだ、馬鹿!

 悔しくて力いっぱい携帯の電源を落とそうとしたとき、『ああ、そうそう!』と聞きたくもない響也の声が耳朶を打った。車は所轄署の入り口まで来ている。

『車から降りてちょっと待っててくれるかな。』
「は?」
 携帯を片手に、料金を支払い、領収書を貰っていた茜は、眉間に皺を寄せて車から降りた。ふと顔を上げると、スモークガラスに覆われた、黒塗りのバンが一台、目の前に止まっている。
「?」
 と、突然ドアが開き、サングラスをした男が降りてくるではないか。

 冬の夜でも、警察署の街頭に照らされて光る、特徴的な髪型。
 長い足と、高い背。
 そして、決定的な、歩くたびに響くじゃらじゃらいう音・・・・・・。

「検事!?」
「かーくほ。」
 綺麗な笑みを浮かべ、ファーのついた黒のコートを着込んだ長身の男は、あっさりと茜の腰に手を回して彼女を捕まえた。
「ちょ!?」
「さっきの報告と、それから僕の明日の進め方を聞いてほしいんだよね。」
「はあ!?」
 そのまま、引きずるようにして彼女を黒のバンの中に押し込める。
「って、牙琉検事!こ、コンサートは!?」
「あと二十分で開演だね。」
「ええええええ!?」
「大丈夫大丈夫。法定速度を護っても十分に着く距離だよ。」
「で、でもなんで!?」

 そんなときにわざわざ出て来て、自分を拉致していく、その意味が分からない。

 茜が響也を振り切って逃げていくと思っているのか、彼はしっかりと茜の腰に腕を回して胸元に引き寄せている。
 微かに薫る香水の香りに、目を白黒させていた茜は、続く響也の台詞に口をぽかんとあけてしまった。
「だって、今日はクリスマス・イヴだろ?」
「・・・・・・・・・・え?」
「ガリューウエーブは沢山の女の子と、特別な一夜を過ごすためにライブをやるけどね。」
 牙琉響也一個人としても、特別な人と過ごしたいってわけ。
「・・・・・・・・・は?」
 どういう意味だ、それは。
 目を点にする茜を他所に、響也は離れようともがく彼女を見下ろして、ファンなら泣いて喜びそうな笑顔を向けた。
「今日は、刑事クンと過ごしたいな、ってこと。」
「な・・・・・んでですか?」
「そりゃ、決まってるだろ?」
 特別な人だから。

 にこにこ笑う男を前に、茜は絶句してしまった。まさか、本人を目の前にして、そんな事を言うとは思っていなかったのだ。

「だ・・・・・だってあんた・・・・・こ、恋人は!?」
「は?」
 眉間に皺を寄せる響也に「今日のニュースでやってたじゃない!」と茜が眉を吊り上げる。
「ああ、あれ。」
 それに思い当たる節があるのか、理解したように一人頷く響也は、続いて爽やか過ぎる笑みを茜に向けた。
「これからあの記者、訴えるんだけど。」
「っ!?」
「検事相手に、でっち上げもいいとこな記事ばら撒くとは・・・・チャレンジャーだよね。」
 あの記者、フリーなんだけどさ。色々下調べも済んじゃったよ。忙しいのに、この僕がじきじきに。
「・・・・・・・・・・・。」
 呆れてものも言えない。
 どんだけ身の回りを忙しくすれば気が済むのだろうか、この男は。
「ただちょっと楽屋で雑談してただけってのに、熱愛だなんて大きく書き出して・・・・迷惑も良いところだよ、まったく。」
 まだぶちぶち文句を言う響也の、不本意ながら腕の中で「でも火のないところに煙は立たないっていうんじゃないだろうか。」と茜はぼんやり考える。
 茜が知っている牙琉響也という人間は、検事であり軽薄そうでじゃらじゃらしていて、でも絶対に己を信じていて真面目で一途なところがあるとも思っている。
 そして、真実に負けない強さが有る、とも。

 そんな彼と、女優の恋人。

(・・・・・・・・・。)

 絵的には似合っている気がするが、自分の知っている検事にはどうにも不似合いなような気もする、が。

「100パーセントありえない、と立証できるような証拠でもあるんですか?」
 気付くと茜の口から、そんな台詞が飛び出していた。
「え?」
 そこに混じった、微かに苛立つような色に、驚いたように響也が目を見張る。はっと我に返り、慌てて「検事が訴訟を起こして、負けてたら話しになりませんから。」と茜は付け加えた。
 視線を泳がせたまま、いい加減離してくれないかな、と響也を押す茜を抱えたまま、彼は狭い車内の天井を見上げた。
「確かに、100パーセント何もなかったと立証できるような証拠はないね。」
「・・・・・・・。」
「現に、僕はあの子と親しくしているところを撮られているわけだし。」
 反証するだけのものがないのも確かだねぇ。
 ほう、と溜息を付く響也に、「早まらなくて良かったですね。」と適当な答えを返すと、以外にも検事からさも楽しそうな笑いが返ってきた。
「?」
 思わず首を傾げる茜に、ひとしきり笑った後、響也は腕に抱えている女の顔を、イタヅラっぽく覗き込んだ。
「でも、ないなら作れば良い。」
「・・・・・・・・・は!?」

 何を言い出すのだ、この男は。

 証拠の捏造・・・・で、あれほど大変な目にあったばかりだというのに、なんということを言い出すのだろう。

「ちょっと!?」
 ひいては成歩堂を追い込んだ事件の事を思い出し、突き動かされるように声を張り上げる茜に、「別に捏造するわけじゃないさ。」と響也は更に笑みを深めた。
「・・・・・・・・。」
「今の法廷のシステムは知ってるだろう?疑わしきは罰せず、だ。」
 だが、そこを足がかりにして押し通せることもあると思わないか?
「特に人の気持ちってのは、白黒はっきり出来るようなものじゃない。」
「・・・・・・・あの、検事?」
「さ、着いたよ。」

 もしかして・・・・・私、嵌められようとしている!?

「行きません!!!」
 横引きのドアを開けて、凍えた空気の満ちた外へと茜を引っ張り出そうとする響也に、彼女は必死で抵抗した。
「どうして?」
 落ち着き払った響也の声が憎たらしい。一足先に外に出ている響也が、寒そうに身を震わせると、やけに優しい眼差しで茜を見た。
「僕は刑事クンをライブにご招待しただけだけど?」
「絶対違います!」
 それに、茜は力いっぱい反論する。
「ここで・・・・・検事は私を使って別の証拠を作り上げる気なんですよね?」
 そんなのに協力できません!
 眉を吊り上げる茜に、「僕はそんなこと考えてないさ。」と更に更に笑みを深める。そのまま、奥の座席に移動しようとする茜の腕をとって、思い切り引っ張った。
「きゃっ!?」
 よろけた彼女が、斜めに響也の胸元に倒れこんでくる。
「ちょ!?」
 それに、サングラスをかけた男がにやっと笑うと、彼女の額に口付けを落とした。
「!?」
 その瞬間、暗い茂みの奥で、銀色の光が炸裂したのに、彼女は気付く。ざああああ、と茜の身体から血の気が引き、続いてそれが怒りを伴って一気に逆流した。
「検事!?!?!?!?」
 力いっぱい怒鳴ると、平然とした男が、「さ、楽屋までおいで。」と倒れこんでいる茜を抱きかかえた。
「ちょっとー!?」
 静かなコンサートホール裏口に、茜の絶叫が響き、再び銀色の光がばっと暗闇を切り裂く。
「な、な、な!?」
 じたばたと暴れる、軽い彼女を抱えたまま、検事は「真実なんてものは案外こんなもんだよ。」とのんびりした口調で告げた。
「写真は確かに、その時の真実を映し出す。だが、そこにあるのは『事実』だけで、『真実』たりえない。」
「はあ!?」
 冷たい空気の中移動をし、裏口から中に入る。楽屋まで彼女を抱えて歩きながら、「そういうことだよ。」と響也は抱いている茜をみやった。
「明日書かれる記事は、真実ではない。でも、事実の一部では有る。そして、人の心ってのは、白黒はっきり出来ないってことだよ。」
「・・・・・・・・・・。」
「君と僕がただならぬ関係で、結婚秒読みなんて書かれたら、それは確かに大嘘だけど、でも、じゃあ、そこにある写真が物語る事実はどうなる?僕が君を抱いている、という事実は。」
「・・・・・・・・・・・。」
 ひきつった笑みを浮かべる茜に、響也はトドメの一言を発した。
「その事実は変わらなくて、それを楽しんでる僕が居るのも事実。そうなるとさ。ほら、さっきの女優との噂、あれを覆せると思わない?」
 そして僕は刑事クンに好意を持ってるんだからさ。
「でっち上げです、そんなの!!嘘っぱちの記事じゃないですか!!」
 とりあえず、茜は無駄と知りつつ叫んでみた。案の定、余裕の笑みの響也の前に無駄だった。
「だから、そこが人の心の面白いところでね。」
 さっきから言ってるだろ?黒白はっきりしないんだって。
「刑事クンは僕のことが嫌いかもしれない。でも、ね?」

 本当に、毛嫌いしてる?

 楽屋の中に通され、締め切った密室で二人、向かい合う。被告人を追い詰めるときのような、鋭い色の滲む彼の瞳に、茜は押し黙った。

「言って?大っ嫌いなら、そう。」
 殴ってくれても良いよ?

 にこにこ笑う響也を前に、茜は拳を握り締めると、唇を噛んで振り上げた。








 ガリューウエーブのコンサートが始まり、かなり前の方の客席で、茜は無言で彼らを見詰めていた。
(何よ・・・・・・・。)
 どこかの席に、例の噂になった女優さんがいるのだろう。だが。
(なんなのよ、嬉しそうにしちゃって・・・・・!)
 茜は頬が赤くなるのを隠すように、わりと暗い会場で顔を俯ける。

 結局茜は、振り上げた拳を、とん、と響也の胸に押し当てるしか出来なかったのだ。

 会場全体を覆いつくし、揺れる音の波動の中、それを貫いて良く通る響也の声が響いてくる。
 力を込めて歌うその姿と、視線。それがたびたび茜に当たり、彼女はいたたまれなくなるのだ。

 何故、殴らなかったのか。
 嫌いだと大声で言わなかったのか。

(あああああもう、あたしのバカーっ!!!!)


 The heart of the person is gray
 It covers the truth


「・・・・・・・・・・・。」
 歌う響也の、その声に魅了されながら、茜は「本当にその通りよね。」と小さく呟くのだった。



 彼の熱愛報道を前に、ちくりと胸が痛んだことを、覆い隠して。


(2008/07/29)

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