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 微調整、愛のさじ加減
 開け放した大きな窓。テラスから吹き込んでくるのは、熱風。ふわりと揺れるカーテンを見つめて、ソファに腰を降ろして本を読んでいたティナは、それを置くとぼうっと窓の向こうを見た。

 永遠と続く砂丘が、白い太陽に照らされてきらきらと輝いている。空は蒼く、大気が揺らめき、黙っていると汗が噴き出してきそうだ。
 だが、今、ティナが座っているところは風通しがよく、心地よい。
 このままソファに横になって転寝をしてしまいそうだ。

(エドガーはまだかしら・・・・・)

 客人としてこの城に滞在して早一週間。聡明な王様は忙しく、なかなか時間が取れない。ちゃんと会話をしたのは、三日前だったろうか、と彼女はソファに寝そべってぼんやり考えた。
 本当にすまない、と彼が情けない顔で告げてきたのは昨日のことだ。
 今日は休みが取れそうだから、一緒に過ごそうと言われた二時間後に、急遽出なければならない用が出来たと告げられた。

 必ず夕方には帰るとそう告げて、出て言った彼は、丸一日たっても戻ってこない。

 会議が長引いているのだと、メイドはフォローしてくれたが、ティナはなんとなく心が浮かなかった。

 傍にいなくても平気だった。
 少なくとも、つい最近までは。

 恋心、というものがどういうものか判らないが、それなりに・・・・・本当に、ティナなりに、彼が気になり始めている。
 約束を楽しみにして、エドガーと二人で過ごす時を心待ちにしている。

(それって・・・・・愛なのかしら・・・・・)

 その割には何か違う気がする。
 愛っていうのは、ロックとセリスの間にあるような物の気がしている。
 自分とエドガーの間にあるのは、もっと違うような・・・・・。


 そうやって、ぼんやり色んな事を考えているうちに、ティナはソファの上で眠ってしまった。
 ひやりとした風が肩を撫でるのに気付いて、彼女ははっと目を開ける。砂漠の上には夜が落ち、ティナが過ごしていた客室は真っ暗だった。
 今は何時だろうか。
 日が落ちてだいぶ立つのだろうか。昼間の熱を急速に失った空気が冷たい。

「・・・・・・・・・・・・・・・」
 肩からずり落ちていた薄いヴェールを羽織直し、ティナは開け放たれた窓による。

 薄く暗い藍色の空に、白い星が光っている。


 エドガーの居ない夜。二日目の夜。

「夕方には戻るって言ったのに」
 溜息をついて、ティナは窓を閉めようと手を伸ばした。
「ティナ」
 と、その瞬間、その手を後ろから掴まれて、ティナは固まった。
 あっと思う間もなく引き寄せられて抱きしめられる。
「すまない・・・・・夕方はすぎてしまったね」
「・・・・・・・・・・二日目の夕方、よ?」
 声が固い。ティナのその様子に彼女を抱きしめたエドガーは「そうだね」とかすれた声で答えた。

「遅いわ」
「言い訳はしないよ」
「・・・・・・・・・・しないの?」

 そっと腕を解いて、薄暗い部屋の中、エドガーはティナを見た。むくれたように視線を逸らす彼女がそこにいて、微かに彼は目を見張った。
 とがっている唇は無意識なのか違うのか。

「してほしい?」
 ちょっと試すようにそう言うと、ぴくりと彼女が反応した。うかがうようにエドガーを見上げるティナの、その、温かな海のような色の瞳が揺れていた。
「・・・・・・・・・・ねえ、エドガー」
「ん?」
 自分が約束を破っていることを、綺麗さっぱり忘れて、エドガーは彼女を後ろから抱きしめたまま、ソファに腰を下ろした。腰にまわした腕をゆるく組んで、彼女の首筋に顔を埋める。ふわふわしたグリーンゴールドの髪が、柔らかくエドガーの首を撫でた。
 絹糸のようで、触っていると気持ちいい。
「私・・・・・待ってたのよ」
「すまない」
「本当にそう思ってる?」
「もちろん」
「だったら」

 彼にもたれかかり、ティナは目を伏せる。

「もうちょっと・・・・・言い訳をするものじゃないのかしら」
 先ほどまで呼んでいた本。セリスが「一度読んでみたら?」といって進めてくれた恋愛小説だ。
 泣く子も黙る、帝国の将軍だった頃、壊れそうな心を唯一慰めてくれたのが、その恋愛小説だと、彼女は恥ずかしそうに打ち明けてくれた。

 もちろん、ロックには内緒ね、と釘を刺されている。
 言えば、天然ボケの盗賊さんは「将軍でも恋をするんだ」などと本気で感心しかねなく、そんな状況はどう考えても勘弁してほしいと、彼女は切実に訴えていた。

 その恋愛小説の一説に、浮気をした男が、必死に己の行動を弁解しているシーンがあった。
 疑われたくない、嫌われたくない、という心理からの弁解劇だが、ティナにはそれが良くわからなかった。

 そもそも、疑われるような行為をしているのだ。
 それを弁解するくらいならしなければいい。
 嘘はいけない、嘘は。

 そんな男の、必死に愛を説く台詞はどこまでも甘ったるく、ティナには理解出来そうになかった。
 そもそも、浮気している時点で間違いで、そんな男を許して、一緒に居ようとする女の正気を疑ってしまうのがティナだった。

 だが、彼女は今回のエドガーの遠出を別に、浮気だと思ってはいない。
 純粋に仕事だと信じ切っている。

 だから、言い訳をされたところで意味などないのだが・・・・・。

(なんとなく面白くない)
 子供のように、むくれてしまう。自分の反応が、「幼い」と言う事をそれなりに理解しているが、ティナは面白くなかった。

 そのティナの様子に、エドガーは笑いをこらえるのに必死だった。
 可愛い反応がたまらなく嬉しい。

「言い訳がましい男は、嫌いじゃないのかな?」
 そっと耳元でささやかれて、ティナは自分の身体の芯が、じん、と熱くなるのを感じた。どきん、と心臓が高鳴る。
「・・・・・・・・・・なんとなく、だけど」
 自分の腹の下あたりに回されている彼の腕。そのシャツをちょっと握ってティナは掠れた声で言う。
「大事にされてない気がする」
 どうしてだかは、判らないけど。

 振り絞るような声音で言われて、エドガーはこらえきれず笑みを漏らした。密着した身体に感じる、小さな震え。男が可笑しそうに笑っていると気付いたティナは、目を吊り上げて男を見た。
 すぐ間近。唇が触れそうな位置に、国王陛下が居る。

 綺麗な空色の瞳が、じっと自分をとらえている。

「君からそう言ってもらえるとは、光栄だな」
「・・・・・・・・・・どういう意味?」
 眉間にしわを寄せて言えば、「愛情のバランス」とエドガーは意味不明な事を口にした。
「愛情のバランス?」
「そう。ティナにはもうちょっと時間を掛けて、ゆっくり落とした方がいいのかなと思っていたから」
 そういうのは嫌かと思ったんだ。
「?」
「ああ、でも・・・・・もうちょっと攻めてもいいのかな?」
 さじ加減が難しいね。

 くすくす笑うエドガーの、言っている言葉の意味が判らない。目を白黒させるティナの髪に、指を滑らせて持ち上げ、エドガーは口づけを落とした。

「すまない。君に寂しい思いをさせてしまったね」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「私も・・・・・身動きが取れなくてね。でも、離れている間、ずっと君のことを考えていたよ」
 今、彼女は何をしているだろうか。一人で寂しく思っていないだろうか。私のことを、考えていてくれるだろうか・・・・・。
「だから、今日は一晩中傍にいてくれるね?」

 ぎゅっと抱きしめる腕に力がこもる。最後には甘く囁かれて、ティナは真っ赤になった。

「ひ・・・・・一晩中は駄目よ」
 かすれた声で、ティナが返す。
「どうして?」
 首筋に唇を寄せて言う。触れるか触れないか、と言う所で、彼女が大真面目に答えた。

「夜は寝なくちゃならないじゃない」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 下から見上げる、その海色の瞳は真剣そのもので。ちょっと頬が赤いが、かわす為に言われた台詞には見えない。

 本気も本気でそう言っている。

「・・・・・・・・・・・・・・・難しいな」
「え?」
 はうーっと溜息をついて、エドガーは彼女の肩口に顔を埋めた。
「え?え?」
 変なこと言ったかしら、と首をひねるティナに、エドガーは小さく笑う。
「でも、さじ加減一つで変わるのだから、文句は言えないか」
 今は、ここでやめておこう。

 ちう、と頬に口づける。熱を帯びたそこに、ティナは手を当てて目を伏せた。

 どくんどくん、と心臓が騒ぐのを感じ、エドガーの言葉をリピートする。


 一晩中傍にいる。
 それを承諾したら、どうなるんだろう?

 一日くらい徹夜しても死にはしないわよね?

 そう思うと、勿体ない事をしたのだろうかと、彼女は真剣に考えて、ちょっぴり後悔するのだった。

 彼と、長い間一緒にいられるのを、心待ちにしていたのに。





(2009/10/22)

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