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無自覚な口説き文句
 いない間に溜まった書類を前にして、エドガー・ロニ・フィガロは溜息をついた。
 好きであちこちを回っていたわけではなく、この国を憂いての行動であったのに、どうして通常業務がたまるのだろうかと、半ば八つ当たりのように思う。
 だが、国王陛下、という立場を誰も肩代わり出来ないのは事実で、ここにある書類の決裁はすべてエドガーが担当すべきもので。

「やりたくないと言っても、どうにもならないのだから仕方ない」
  ほったらかしておいても、永遠に片付かない。
 分かっているから、エドガーはちょっとだけ自由を謳歌する弟の事を恨めしく思いながら、腕まくりをした。


 灼熱の砂漠とは打って変わって涼しい場内を、ゆっくり歩いていたティナは、ふと足を止める。少しだけ扉の開いたその部屋は、この国の王様の執務室だ。
 扉があいているという事は、エドガーがいるのだろう。

 ちょっと期待を込めて、そっと覗いてみると、机に座ったエドガーの仏頂面が見えた。
 上半身の半分を隠す勢いで、書類が積み重なっている。復興に関するものから、隣国への対応。
 技術師団からの要請やら、新しい機械の開発に関するものまで。

 その一つ一つに目を通さなければならないから、恐ろしく時間がかかる。

 それでも、とっとと終わらせたくて、夢中になっていたから、エドガーはティナがそーっと部屋の中に入ってきたことに気付かなかった。

 そのまま彼女は、まるで此方に気付かないエドガーを、おもしろそうに眺めたまま、そっとソファーに座りこんだ。

 頬杖を突いたり、渋面で唸ったり。口元を手で覆って真剣に考え込んだり。

(王様をやってるエドガーを見るのは初めてかもしれない)
 自信家で、皆を引っ張っていって、冷静な意見も言って、でも女の人にはとてつもなく甘い人。
 そんなエドガーと、今のエドガーは全然違っていて面白い。

 なんというか、ちょっとカッコいいかもしれない。

 そう考えて、ティナはちょっと赤くなった。
 エドガーはいつでもカッコいいけど、今日はなんかちょっと違うな。

 ぎゅっと傍にあったクッションを抱え込んで、一人でぼーっとエドガーを見つめていると、不意に視線に気づいたのか彼が顔を上げた。
 上げて、ぎょっとしたように目を見張った。

「ティナ!?」

 一体いつから居たのだろうか。全然気がつかなかった。

 手にしていたペンを落として、思わず立ち上がるエドガーに、「ごめんなさい」と慌てたようにティナが言う。
 こちらも立ち上がっていた。

「いつからそこに?ああ、いつだって君なら大歓迎だけど、気付かないなんて、私もどうかしてたね」
「邪魔したくなかったから・・・・・あの・・・・・戸もあいてたし」
「今日は随分日差しがきついからね。開けておくと風通しがいいんだよ」
 それでも、声くらい掛けてくれればよかったのに。

 そう言って、彼は足早にティナに近づくと手を取った。
 慌ててティナは距離を取る。逃げるように身体が動くのに気付いたエドガーは、ぐ、と手首を掴む手に力を込めて、ティナに顔を寄せた。

「どうして逃げるの?」
 そっとささやかれて、「だって」とティナが視線を外したまま、口をとがらせた。
「お仕事、溜まってるし」
「ああ、あれ。」
 ちらっと書類を見つめるティナに、エドガーは苦笑した。
「確かに溜まってはいるが、ティナがいるのにやる事でもないよ」
「そんなわけないわ」
 それに、ティナが顔を上げた。真剣なまなざしでエドガーを見つめる。
「だって貴方・・・・・見たことないくらい真剣だったもの」
「・・・・・・・・・・私はいつでもどこでも真剣なつもりなんだけど」
 思わず告げるエドガーに、「違うの」と彼女はまっすぐな眼差しを向ける。

「エドガーがカッコいいのは知ってるわ。でも、いつもの貴方とは違うの。もっと別の・・・・・国王陛下らしくて・・・・・なんか、普段と違って、カッコよかったから」
 あ、でも普段も素敵よ?

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」


 真顔で真剣に、何を言うんだろうか、この娘は。


「エドガー?」
 首をかしげる彼女を、思わずぎゅーと抱きしめて、エドガーは目を閉じた。
「ティナ・・・・・あんまり可愛いことを言わないでくれ」
「でも・・・・・本当にそう思ったから」
「だから、駄目だ。」
 す、と彼の手が背中を滑り、ティナは心臓が跳ねるのを感じた。
 急に自分の体温が上昇する。

 いきなりぎこちなく、腕の中で固まったティナに気付いたエドガーが、彼女の首筋に触れるか触れないかの位置に唇を寄せた。

「そんな風に言われたら、君のことを帰したくなくなるだろ?」
 いいの?このまま知らない所まで連れ込まれても。
「し・・・・・知らない場所って?」
「行ってみたい?」
 身体を放したエドガーの瞳の中に、ちらりと光るものを見た気がして、ティナは思わず後ずさった。
「貴方となら、行ってみたいけど・・・・・多分、今は駄目な気がする」

 なんでか知らないが、顔が熱い。

 それを自覚しながら、必死に言われたティナの台詞に、エドガーは手を放すしかなかった。

「いつならいい?」
 未練がましく聞いてみれば、目を瞬いた彼女が、頬を染めて視線を逸らした。
「もうちょっと大人になってから」


 それまで待てない気がする。


「ごめんなさい。私・・・・・まだその・・・・・男女の『アイ』が分かってないの」
 子供たちと接して、母親としての・・・・・護ろうとする想いの『アイ』は理解できた。
 だが、それ以外に、たった一人の人に抱く、特別な感情はまだまだよくわからないのだ。

 だから、それが分かる「大人」になるまで。

「分かったよ。私となら行ってみたいと言ってくれた言葉だけで良しとしよう」
 うなだれるティナの額に口づけを落とすと、はじかれたように顔を上げた彼女が、ぱっと両手で額を抑えた。
 耳まで赤い。
「こ・・・・・こういうのは・・・・・あの・・・・・」
「こんなのただの親愛の証見たいなものだよ?」
「そ・・・・・そう・・・・・よね?」

 あわあわする彼女に、口付けたら一体どうなるのだろうか。

「男女の口付けはね、ティナ」
「あ、あの・・・・・エドガ・・・・・それは・・・・・」
「知りたくない?教えてあげるよ?」
「し・・・・・知りたいけど・・・・・また今度で・・・・・」
「どうして?」

 鼻の頭が触れそうなほど近くで見つめられて、ティナは、その蒼穹の瞳に眩暈がした。

 この人の眼差しには魔力がある。
 絶対そうだ。

 アイをまるで知らなかったころから、この人に見つめられるとティナは天地が消えうせる感覚を覚えるのだ。

「だって・・・・・」

 逃れられない。触れる手も熱いし、この胸に倒れこんだら、私はどうなるのだろうかと、怖い中に切望してしまう思いが生まれる。
 でも、それを見ないふりして、ティナは目を細めた。

「もうちょっと国王陛下な貴方を見てたいもの」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」



 ああもう、なんという殺し文句だろうか。


「分かったよ。レディのお望みに応えよう」

 色んなものを殺さざるを得ないエドガーは、溜息と共に彼女から手を放した。机に向かいながら、ちらと後ろを振り返れば、腰を抜かしたティナが、はーっと深い吐息をこぼしてクッションを抱きしめている。
 赤くなっている彼女に、かすかに意地の悪い気持ちが湧きあがり、エドガーは「ねえ、ティナ」と綺麗にほほ笑みながら告げた。

「今日の仕事が終わったら、残りの時間を私と一緒に過ごしてくれるかい?」
「ええいいわ」

 エドガーと一緒に居られたら、それはそれで嬉しい。

 素直にそういうと、「ありがとう」とエドガーはこれまた完璧な笑顔で返した。

「覚悟してくれよ?」
「?」
「一気に大人になりたい気分にさせてあげるから」
「・・・・・・・・・・・・・・・!?」

 にこにこ笑うエドガーが書類と向き合う。ティナは真っ赤になったままその場に固まった。

 どうしよう。

「あ。あの・・・・・ええっと・・・・・エドガー?」
「楽しみだな、ティナといちゃいちゃ出来るの」
「い・・・・・っ!?そ、それって具体的にどういう・・・・・」
「後でのお楽しみ」



 何がこれから待っているのかわからないが、何かとんでもないことになるのではないだろうかと、ティナは真っ赤になったまま考える。

 ここから逃げ出そうという選択肢が一つも浮かばないまま。

















 両想いだけど、ちゅーも出来ない陛下の話でした(笑)





(2008/08/24)

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