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- 7 (ナルシェ・ケフカ戦直前)
- 東の山から吹き下ろす風に乗って雪が飛んでくる。空は凍りつき星は、澄んだ空気の中で瞬かず、ひっそりと散らばっていた。
あちこちの家から蒸気の噴き出すナルシェの街で、ティナは膝を抱えてソファーに座りこんでいた。
ひっそりと静かな居間には誰もいない。
ロックはエドガーと細かな打ち合わせをしているし、バナンはナルシェの長老をどうやって説得するべきかリターナーの面々と相談をしている。
河に落ちたきっかけで知り合ったドマの将軍は、ガウと呼ばれた少年が雪の中はしゃいでいるのを見かねて、ついて回っている。
「・・・・・・・・・・・・・・・」
ちらと炎のはぜる暖炉を見やり、ティナは溜息をついた。
金色の髪の女性。
すらりとした手足と体躯を持ち、このナルシェの空気のように張りつめた表情をしていた彼女は、ロックが連れてきた、帝国の将軍だという。
帝国。
機械の上げる悲鳴と、真黒な煙が空を焦がし、漂うスモッグで空は赤黒く濁っていた国。
上から見下ろした家々には、この街のような温かさは一欠片もなかった。
そこに、自分は居た。
帝国の兵士として。
なら、将軍の彼女は私のことを知っているのかもしれない。
「・・・・・・・・・・・・・・・」
何を知っているのだろうか。
それを考えると、ティナの手足はしびれたように冷たくなる。ここに居られないような、とんでもない事実が、自分の中に眠っているのではないだろうか。
自分が、悪魔の化身なのではないかという、事実が。
膝を抱え込み、己を抱きしめるように両手を回す。と、何気なく見た窓の外を、明かりを受けた金髪がきらめくのを見つけた。
マント一枚羽織った女性が、窓明かりを避けるようにして木張りの通路を奥に歩いていく。
どこに行くのだろう。
時計を見れば、そろそろ日付が変わろうかという時刻だ。
帝国の将軍。
何となく放っておけなくて、ティナはそっと立ち上がると勝手口に向かった。
雲の切れ間から覗く真っ白な月。それを見上げて、セリスは詰めていた息を吐いた。真っ白に凝った吐息が、身を切るような風に飛ばされていく。
握りしめていた手を開く。両手を開いて、掌を見つめて、セリスは唇をかみしめた。
手首にはまだ鎖の跡が残っていた。暴行を受けた傷は癒えておらず、鈍い痛みがそこここに残っている。殴られた顔は、助けに入った泥棒があまりにもうるさく言うから、治療の魔法をかけて、すっかり綺麗になっている。
ただ。
ずきりと心の奥が痛み、セリスはそれを払うように空を見上げた。
「これはこれは、月の女神が舞いおりたのかと勘違いしそうな光景だ」
不意に後ろから声をかけられて、はっとしたように彼女が振り返る。暖かそうな、裏地のあるマントを羽織った金髪の男が立っていた。
エドガー・ロニ・フィガロ。
砂漠の一国を納める、若き国王だ。
「口がうまいな」
意識して固い口調でいえば、エドガーは笑みを浮かべる。
「正直な賛辞を述べたまでだ」
あっといまに距離を詰め、男は冷たい空気にさらされて芯まで冷えた彼女の髪に指を絡めた。
「細くて綺麗な金糸だね?」
口づけると、取りかえすように彼女が自分の髪を抑えて一歩離れる。
「月光を集めたようだ」
「それはどうも」
冷やかにいえば、エドガーは楽しそうに笑った。
「つれないな」
「一国の王様が、こんなところに居るのは女性をもてあそぶためか?」
鋭く切りかえす。色素の薄い、水色の瞳が冷たく彼を射っている。
「それもあるかも」
適当な物言いに唖然とし、眉間にしわを寄せるセリスの顔を、エドガーは覗きこむようにして背をかがめた。
「そういう君は何のためにここにいるのかな?」
笑顔だが、その蒼穹の瞳の奥が笑っていない。
常勝将軍、とよばれるだけあるセリスは瞬時に、この若い国王陛下が一筋縄ではいかないのを識った。
「何のことだ?」
「ロックは単純だからね」
ああ、それはそうかもしれない。とセリスは自分を助けた男の、あけっぴろげな笑みを思い出した。
彼の瞳の奥にはなんの打算も計算もなかった。
目の前の男と違って。
「あなたは単純じゃなさそうだな」
口の端を上げて言えば、エドガーはちょっと目を見開いて吹きだす。
「単純では一国を治められない」
相変わらずの笑顔だ。
だが、その奥にともっている光を観て、セリスは腹に力を込めた。
「大変だな、国王陛下は」
直々にこんなところまで来て、指揮を執るような立場じゃないだろうに。
皮肉をこめて言えば、「緊急事態だからね」と男はあっさり言う。
「それに、大変なのは君の方じゃないのかな?」
「どうして?」
挑戦的に男を見上げれば、距離を詰めたエドガーが、彼女の耳元に唇を寄せた。
「ロックは甘いよ。けど、俺はそうはいかない。」
「何がだ?」
「一人にはならないほうがいい。余計な詮索は君にとっても不本意だろうし、迷惑だろう?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ご忠告ありがとう」
無表情でそう切り返し、セリスは己を抱きしめるかのように近づく国王をすり抜けて、板張りの回廊を歩いていく。
手首についた鎖の跡。
腹に残る蹴られた跡。
顔の怪我はもう、すっかり消えている。
鈍い痛みが全身を覆っているが、それよりもなによりも心の奥が痛かった。
ロックのあけっぴろげな笑顔が、嬉しくもあり珍しくもあり・・・・・辛くもある。
だから逆に、エドガーの台詞はセリスを冷静にさせ、皮肉にも心の痛みを中和してくれていた。
ぴりぴりとした緊張感を伴うやりとりは嫌いじゃない。
仮にも自分は将軍だったのだ。
あの、帝国で。
冷たい空気にさらされた雪は、踏みしめると固い音がする。厳しい表情のまま、セリスは明るい室内へとためらうことなく歩を踏み入れた。
明かりのともる室内に足を踏み入れた瞬間、セリスは、戸の傍に立ちつくしているグリーンゴールドの髪の少女を認めた。
黄色いランプの光を受けて、彼女の髪の毛は金色に近く輝いている。その髪の下の顔色は青ざめていた。
「どうかしたのか?」
雪の舞いこむ扉を閉めて、眉間にしわを寄せて尋ねる。
「一人で行動すると疑われるぞ」
先ほど受けたばかりの忠告を、皮肉を持って使用する。気づいたように、少女はドアを見つめ、セリスを見つめ、「ごめんなさい」と小声で謝った。
「別に私に謝ることじゃない」
そっけなく言って、セリスは彼女の横をすり抜ける。きらきらと、金色の髪が揺れて、ティナはきゅっと唇を噛んだ。
「・・・・・・・・・・立ち聞きする気はなかったの」
応接室に戻ろうと、きりきり痛む心を抱えて考えていたセリスは、か細い台詞に振り返った。
良く見れば、彼女のスカートに雪の欠片が残っている。
「うたがわれてる・・・・・の?」
そっと振り返るティナの夏の海のような、碧緑の瞳に影が差している。
微かに震えた彼女の台詞に、セリスはくるりと背中を向けて、肩をすくめた。
「ここは反帝国の組織だ。そこに帝国の人間が居る。」
考えれば分かるだろう?
吐き捨てて、セリスは再び歩を進める。
そうだ。
無条件に受け入れられるわけがないのだ。
自分は常勝、と呼ばれる将軍だった。
国を守るために・・・・・帝国の為に・・・・・そう信じてのし上がった人間こそが、将軍の地位にまで上り詰めることが出来る。
上層部に信頼されなくて、何が将軍だ。
その将軍が、忠誠を誓っていた帝国を裏切るには「それなり」どころか「それ以上」の理由が必要になる。
なのに、ロックは「帝国のやり方に嫌気がさした」というセリスの理由に一も二もなく賛同してくれた。
たったそれだけの理由で、自分をここに引き入れてくれた。
だが、ロック一人が信用してくれても、どうにもならない。
ここで皆に信用されるには、疑わしい行動をとらないに尽きる。
「うたがわれてるのね」
ぽつりと漏らすティナの台詞が耳に届く。セリスは苛立ったように溜息をこぼした。
「だからどうだというんだ?疑われたくないなら、それなりの忠誠を示せ」
リターナーに認められるような行動をとって。
「私はそうするつもりだ」
きっぱりと言い切り、廊下の奥に消えるセリスを見送り、ティナは途方に暮れたようにその場に立ち尽くした。
疑われている、なんて夢にも思わなかった。
カイエンに「帝国に居ました」と宣言した時も、ロックがかばってくれたように、皆そんな風に思ってくれているのだと思っていた。
けれど、そうじゃない人間もいるし、それがエドガーかもしれないのだ。
セリスを追いかけて、扉の前まで来た時、外に出ていくエドガーを見かけた。
二人で話をしているの気付いて、なんとなく声をかけるのがためらわれて、ティナはドアの陰に立ち尽くしていた。
そこで、二人の会話を耳にした。
いつもは優しく笑ってくれるエドガーの雰囲気がどことなく厳しいもので、ティナは混乱した。
彼の口調は冷たく、答えるセリスも冷ややかだった。
逃れるように戸の奥に戻り、今のは何だったのだろう、とぼんやり考える内に、不意にエドガーに言われた言葉を思い出したのだ。
信じるっていうのはね、無条件が条件なんだよ?
「・・・・・・・・・・」
あの時自分はなんと言っただろうか。
そんな「信じる」はあり得ないと言わなかっただろうか。
でも、もしかしたらどこかで、そういうのもあるのかもしれないと思っていた。
エドガーとの間にだけは、対価も見返りも必要ない「信じる」が。
でも、本当は?
エドガーは帝国の人間を疑っている・・・・・?
急に足元が崩れるような感覚に陥り、ティナの身体がふらつく。思わず壁に手をついて、きつく目をつむっていると、深い深いどこかから、何かがティナの中に忍び寄ってくるような感覚がよみがえってきた。
固く閉ざしていた、心の奥の開けてはいけないドアが、開こうとする。
おまえのような存在をだれも「アイ」しはしないのだ。
だから、覚えておけ。
おまえはだれも「アイ」さない。だれの甘言にものらない。
おまえが唯一忠誠を誓うのはこの―――
ばたん、と扉が開く音がして、はっとティナが我に返った。
「砂漠・・・・・育ちに・・・・・氷点下はきっつい・・・・・」
真っ白な息を吐き出す、真っ白に凍ったマントの存在に、ティナは目を見開いた。厚手の手袋が雪まみれだ。
「エドガ・・・・・」
ずきり、と胸の奥が痛み、顔をあげた彼の視線が見られない。
「ああ、ティナ・・・・・丁度いいところに・・・・・」
ばふばふ、と裾の凍ったマントから雪を払い、エドガーはぶつくさ文句を言う。
「雪は振ってないのに、風が酷い。屋根から吹き下ろしてくる地吹雪で、吹きだまりの中に埋もれそうだったよ」
バルブは凍ってるし、水蒸気でぬれた所は端から凍っていくし。
「見てくれ、この髪の毛。」
「え?」
唐突に、自分の束ねてある長い金髪を持ち上げて、エドガーはティナの前に広げる。
「モロに水蒸気をかぶった所為で、ばりばりになってしまった」
情けない顔で言うエドガーに、ティナは目を瞬いた。
さっき、同じ場所でセリスと冷たいやりとりをしていた人物とは思えない。
「どうか・・・・・したの?」
思わず尋ねれば、柔らかい春の空を写したような蒼穹が、ティナをとらえた。
「そこの部屋の暖房設備が故障しててね。どうやら、外にあるボイラーの問題らしくて、ちょっと修理に」
「・・・・・・・・・・王様が?」
「王様が」
にっこり笑うエドガーは、右手で工具箱を持ち上げて見せた。
「・・・・・・・・・・それってエドガーの仕事なの?」
「仕事じゃない」
あっさり答えて、男は「ただの趣味」と言い切った。
「しゅみ・・・・・」
「そう。で、ティナ・・・・・悪いんだけど、そこの暖房のある部屋に行ってつくかどうか確認してもらえないかな?」
私はちょっと火にあたってくるから。
少しよろけた足取りで、エドガーは廊下の奥に向かう。すれ違う時、マントが擦れて、しゃりしゃりと凍った音がして、ティナは無意識のうちに掌を彼の背中に向けていた。
「っと!?」
瞬間、彼が廊下の壁に飛びのき、放たれた弱い火炎が一瞬、エドガーの居た位置でぱっと燃えあがって消える。
「あ」
ちらと、冷たい眼差しがティナを射、瞬間、己がとった行動が的外れだった事に彼女は気付く。
「ご、ごめんなさい」
寒そうだったから、つい・・・・・
「ああ・・・・・成程、溶かしてくれようと?」
ちょっと・・・・・驚いたな。
複雑な顔で自分を見下ろすエドガーに、ティナは急に心の奥が暗く固くなっていくのを感じた。
口いっぱいに苦いものが広がっていく。
ほらね。
やっぱりそうだ。
無条件に誰かを信じるなんて、ありっこない。
「本当にごめんなさい」
消え入りそうな声で呟き、ティナは両手を握りしめる。
セリスが言った。
帝国の人間でも、この場所に受け入れてもらうには、「働き」しかないと。
そういう対価を支払って、得られる「信頼」なのだと。
忘れていた。
この場所に居たいがために、ティナは魔導の力を使って、エドガーやロックや、みんなについて来たのではなかったろうか。
それが、エドガーと一緒だと、そんなもの必要ないような気になっていて。
そんなわけ、なかったのに。
「私、もう、大丈夫だから」
「え?」
エドガーの声を聞きながら、ティナは顔を上げることができない。
「きっと、幻獣と話をしてみせる。帝国は片っ端から潰していく。もう、」
顔を上げる。
ティナは碧緑の瞳に、強い光を込めてエドガーを見た。
「力を使うのを迷わない」
きっぱりと言い切り、ティナは微かに青ざめた頬に、無理やり笑みを浮かべると踵を返した。
「暖房、みてくるね」
「ティナ!」
軽い足音が遠のき、エドガーは彼女を追えないまま、その場に立ち尽くした。
ぐしゃりと前髪を握りしめる。
「どうしようもないな、私は」
ティナやセリスを、ロックのように何の問題もなく信頼できればいい。
でも、そうしたいと望みながら、心のどこかがそれを冷ややかに見つめていた。
彼女達は帝国の切り札だ、と。
重要な位置に居た人間が二人もここに居る。
おかしくはないか?なにかあるのではないか?ここ最近、リターナーの動きは筒抜けじゃないか?
疑惑は、信じたいエドガーの行動を、どんどん冷静にしていく。
ティナが保護されて、それと同時期に、あの「常勝将軍」が手元にある。
絶対におかしい。
偶然だと笑い飛ばす人間に同調は出来ない。自国の運命が掛っているのだ。
背後から放たれた炎の気配に、咄嗟に身をよけたが、それが却ってティナに余計な思いを抱かせた。
だが、ティナの身体に帝国の魔力が及んでいるのだとしたら、甘んじて受けるわけにはいかなかった。
彼女が本気でなかったのだとしても、彼女の意識は操られた経験がある。
何かのはずみで、あの輪がなくても操られる可能性があるのではないだろうか。
たとえば、あの将軍殿の命によって。
だから、自分がとった行動は最善だったと言えるだろう。
なのに、気持ちが沈んでいくのはなぜなのか。
まるで人間じゃないと言われたような気になるのはどうしてなのか。
「無条件が条件、か。」
我ながら良く言ったものだ。
そんな信頼が、ティナと自分の間に結べれば、どれだけ良いだろうか。
無条件に信頼出来る相手が現れるなんて、本当に自分の生涯にあるのだろうか。
あの時ティナに言った台詞は、心から本心だった。
「今の俺では無理だな」
去って行った少女の固い頬笑みが、エドガーの足取りを重くさせる。
それでも、自分たちは行かなくてはならない。
帝国に反旗を翻したその時から、国を守るためには犠牲も厭わないと決めたではないか。
「最低だな」
ぽつりともらして、エドガーは悲しそうに笑うと、芯まで冷えた身体を抱えて、自室へと足を進めた。
(2008/09/01)
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