FFY
- 5 (リタ-ナ-本部にて)
- 幻獣と人との橋渡し。
幻獣と話をする。
・・・・・そんなことが可能なのだろうかと、ティナはベッドの上の腰をおろして溜息をついていた。
ナルシェではっきりと意識を取り戻す前の事は、ほとんど何も覚えていない。
操りの輪の所為だと、助けてくれた人達は言うが、そうだとしたら、もっと危険なのではないだろうかと、ティナは己の掌をじっと見つめる。
幻獣と干渉したと、彼女をナルシェから連れ出してくれたロックは言った。そこで何が起きたのかを彼は知らない。ただ、ティナの中に、氷漬けになっているという幻獣と接触したとき、なにか、爆発的な力が、己の中で膨れ上がった感覚だけが残っていた。
人としての人格を保っていなかったあの時。
覚えているのは白い光だけ。
でも、今は自分の力で幻獣に接触しようとしている。
(自分から触れて行って・・・・・本当に失くした自分に出会えるのだろうか・・・・・)
リターナー本部の、洞窟をくりぬいて作られた建物の一室で、ティナは冷たい石の床をじっと見つめる。
逆なのではないだろうか。
操りの輪で、自我が無かった自分。
だからこそ、助かったのであって、己から接触を図った時、もしかしたら、自分は粉々に砕け散って、二度とここに戻って来られないのではないだろうか。
そう考えると、背筋に冷たいものが走り、ティナは膝を抱えてベッドの上に蹲る。
駄目だ。
こんな気持ちでは、誰の役にも立たない。
一人で閉じこもり、考え込むから望まぬ答えばかり引き当てるのだ。
そう考えたティナは、のろのろと身体を起こすとそっと扉を開いた。
しん、と冷たい岩の中の廊下をゆっくり歩く。ブーツの音が妙に甲高く響き、ティナは誰かに見とがめられるだろうかとひやひやした。
と、明かりの洩れている部屋を見つけて、そっとドアを押し開く。
こちらに背を向けて座る存在が、ランプの中にぼんやりと浮かんで見えた。ちらりちらりと、オレンジの灯を受けて金髪が光る。
(エドガー?)
そっと中を覗き込むようにすると、かすかにドアが軋んで、気配に気づいた年若い、一国の主がこちらを振り返った。とっさに身を引き、隠れようとするティナより先に、エドガーが彼女に気付いた。
「ティナ?」
「あの・・・・・」
驚いたように見開かれる蒼穹色の瞳に、彼女はどぎまぎする。咎められるのかと、半歩退いたままでいれば、エドガーはちょっとの間の後、「どうかした?」と柔らかい笑みを浮かべた。
「少し・・・・・眠れなくて・・・・・」
とげのない、ふわりとした物言いに安堵し、ティナは伏し目がちにつぶやく。長い睫毛に視線をやったエドガーはちらと時計を見上げて苦笑した。
「お茶を飲むには少し時間が遅いけど、飲んでいくかい?」
一人だと、要らないことを考え出しそうで。
怖くなったティナは、顔を上げると反射的に頷いていた。
眠れない理由はおそらく、これから、についてだろう。
彼女が下した決断は、リターナーにとっては十分にありがたい申し出だった。帝国がどう動くのかわからない現状、明日にでもバナンをナルシェへ連れて行くに越したことはない。
幻獣のことも気がかりだし。
「勉強をしていたの?」
「うん?」
デスクの上に広げられた書物と、書き込まれたノートに視線を落としていたティナの台詞に、温かいミルクに砂糖とレモンを落としていたエドガーは、カップを持ったまま振り返った。
「ああ・・・・・魔大戦とか幻獣とか・・・・・ね」
カップを差し出し、ソファーに座るように促すと、両手でそれを抱え込んだ彼女が、不安そうな眼差しでエドガーを見た。
「何か・・・・・分かった?」
「・・・・・とりあえず、人の愚かさだけはね」
「・・・・・・・・・・そう」
太古の人は誰もが持っていた力、魔導。それが失われてから、もうどれくらいの年月が過ぎただろうか。
普通の人間には、もう残っていない力。
それを、目の前の、金緑の髪の少女はいともたやすく扱う事が出来るのだ。
それはどうしてなのか。
どういった経緯で得た力なのか。
そして、帝国は、どうしてその力を持っていたのか。
「自分自身を知る、良い機会になるかもしれない・・・・・」
彼女の魔導師としての力の根源が何で、そしてどういうルートで帝国がそれを手に入れたのか、そんなことをつらつら考えながら、カップの中身に口をつけていたエドガーは、不意にこぼれたティナの台詞に顔を上げる。
「貴方はそう言ってくれたケド・・・・・本当にそうなるのかしら?」
彼女の、カップを包む掌に、ぎゅっと力がこもる。不安のにじむ口調に、エドガーは考え込むように息を吐いた。
「君と幻獣が反応しあったのは、事実だ。そして、それが事実である限り・・・・・そこに何らかの真実があることは間違いないと思う。」
「・・・・・必ず、何かが起こると、そういうこと?」
彼女の碧緑の瞳が不安げに揺れ、エドガーは苦くうなづくしか出来なかった。
「おそらくは。」
そうなってもらわなくては、困る。
心の片隅に、ちらりとそんな思いがよぎり、視線を逸らしたエドガーに、ティナは何となく、その意図を読み取った。
「・・・・・そうね。そうならなくては、なにも解決しないのよね」
「なにも、すべてがそうだと決まっているわけじゃないよ」
「いいの・・・・・大丈夫。」
言い募ろうとするエドガーの台詞を押しとどめて、ティナはカップの中をじっと覗き込んだ。
そうだ。
自分がここに居る理由を忘れるところだった。
自分に力を貸してくれたロックとエドガー。この力が何なのか、知ればきっと、自分がなんなのかも思い出せる。
それに、必要としてくれるから、傍に居ようと決めたのだ。
でも、それは裏を返せば、己の力故に、ここに居るのだということにもなる。
ティナが、なんの力もない、一帝国の兵士だった場合、彼らは自分をここまで重宝しなかっただろう。
それを忘れてはいけない、とティナは腹に力を込めた。
そうすると、不思議と触れあうのが怖いと思っていた幻獣に対して、恐怖が揺らぐのを感じる。
求められているのだから・・・・・応えなくてはという義務感が、恐怖を潰していく。
なのに、エドガーはそんなティナを見て、切なそうに眉を寄せた。
「・・・・・すまない」
「え?」
唐突に漏れたエドガーの台詞に、ティナは真正面に立つ金髪の国王様を見上げた。
彼は、ことん、と手にしていたカップを近くのデスクに下ろすと、片膝をついてティナの顔を覗き込む。彼の手が、カップを包むティナの手に、そっと添えられた。
「君に、こんな顔をさせるなんて、私も大概情けない」
「?」
首をかしげる彼女の頬に、エドガーはそっと手を伸ばした。少し長めの、ティナの前髪を、彼の細くて長い指がかすめた。
「君が感じている恐怖は正当なものだ。そして、それを押し殺して進んでくれと・・・・・君を促すのは卑怯だね」
「・・・・・・・・・・」
ふっと伏せられたティナの眼差しに、エドガーの胸が痛む。
帝国の切り札。魔導アーマーに乗った兵士50人を3分で皆殺しにした力。
今はもうない、魔導を実践出来る力。
それは、反帝国組織リターナーとしては、喉から手が出るほど欲しい力だった。
そして、もう二度と、帝国側に渡してはいけない力だとも思う。
戦争、という大きな流れの中では至極当然の判断だった。
だから、エドガーは最悪、ティナがリターナーに力を貸すことを拒否した際のシナリオも考えていたのだ。
このまま彼女を解放して、帝国の手に落ちるのなら・・・・・。
そんなエドガーの考えは至極まっとうなものだろう。
一国を預かる身であり、帝国に対抗するために力を蓄える地下組織のメンバーとして当然の判断だ。そうしなければ、再び自由意思を奪われた彼女に、大勢の人間が殺されることになる。
だが、その前に彼女は普通の少女なのだ。
記憶を失い、意思を奪われ、操られ、大勢の人間を手に掛けた。
その記憶が無くても、彼女は大いに苦しんでいる。ナルシェで追われて痛感しているだろうし、断片的に虐殺の記憶がよみがえると、彼女は虚ろな眼差しで漏らした事があった。
細い肩。細い首。しなやかな体格。日の光に金に輝き、闇には深く翠に映る不思議な髪に、ふかい湖のような碧緑の眼差し。
華やかにほほ笑めば、周りが明るくなること間違いないのに、彼女は憂えた笑みしか見せることはなかった。
声を上げて怒ることも、笑うこともしない。沈んだような眼差ししか見たことが無い。
数日間一緒に居て、エドガーは、自分の口説き文句にきょとんとしていた彼女が、普通の少女よりももっと、暗く深い場所に閉じ込められているのだと識った。
その彼女に、これ以上酷な事を、自分はさせようというのだろうか。
「それでも・・・・・分かってほしい」
繋ぎとめるしか、方法が無い。最悪の手段など、選びたくない。
幻獣と接触することが、恐怖でも、エドガーにはそれを促すことしかできないのだ。
彼女の白い手を、そっと包み込むようにして、エドガーは頭を垂れた。許しを乞うような姿に、ティナは苦しくなる。
「いいの・・・・・エドガーが悪いわけじゃないわ」
これは私のことだもの。
きっぱりと告げるティナの台詞に、エドガーは目を伏せる。ぎゅっと、彼女の手を掴む自分の手に、力を込める。
「それなら、私に君を守らせてはくれないか?」
「え?」
彼女は、自分自身の力と、永遠につき合わなくはならない。
今はない力だから、きっとこれから先困難ばかりが待ち受けている。
それが含まれているティナの台詞に、彼は顔を上げた。
己のことは己で。
そう言い切ってしまう、悲しい少女を放ってなどおけない。
「君は、ここに居ることを選んでくれた。代わりに、私が君を守ってみせるし、傍に居よう」
「・・・・・・・・・・」
目を瞬くティナに、告げて心が決まったエドガーはふわりと優しく微笑んだ。
そうだ。
彼女に無慈悲な決意を促すのなら、男として、当然彼女を守るべきだ。
「幻獣に接触して何かが起きても、私が助けよう。だから、安心してくれていい」
ああ、でも、こんな酷な事を強いてる人間が言う台詞じゃあ、ないな。
はは、と軽く笑うエドガーを、じっと見つめて、ティナは言われた言葉を必死で考えている風だった。
「それって・・・・・」
「うん?」
「私が壊れてしまっても傍に居るってこと?」
かすれた声で尋ねるティナの、かすかに揺れる髪の毛に、エドガーは手を伸ばした。そっと掴んで口づける。
「壊しなどしない。」
「・・・・・・・・・・」
「必ず、助けて見せるよ?」
間近に見つめる蒼の瞳に、ティナは蒼穹の空を思い出す。
ナルシェで見上げた、白い雪に映えた透明な空の色。
砂漠で見上げた、濃い色合いの空の色。
コルツ山で見上げた、高い高い空の色。
ゆるゆると、窮屈に膝を抱えていた想いがほどけていく気がして、ティナはほっと緊張を解く。
「エドガー・・・・・貴方ってすごいのね」
「どうして?」
さらり、と彼女の髪の毛から手放す。さりげなく彼女の手を握りしめれば、嫌がるでもなく彼女は笑みを返した。
切なくて、胸の痛くなるような、優しすぎる頬笑み。
「そんな風に言われると、もう、大丈夫な気がする」
「それはよかった」
頬笑み返すエドガーに、ティナはそっと立ち上がった。つられてエドガーも立ち上がる。
「私が何者でも・・・・・絶対に貴方達の味方だから。」
告げて、ティナは額を、エドガーの胸元にこつんと押してた。はっとしたように、男が身を固くする。
「信じてね」
「・・・・・・・・・・」
思わず彼女の細い体に手をまわそうとして、その一言に手が止まる。
その間に、彼女が顔を上げて、エドガーから離れた。
「ごちそうさま。ありがとう」
初めて彼女から憂いのない笑みを見せられて、エドガーはどきりとする。微かに触れた彼女の体温と香りが男をゆっくりと包んでいく。
踵を返して部屋を出ていく彼女に、かろうじて「おやすみ」と声を掛けると、しばし後に、エドガーはがっくりとソファーに腰を落とした。
「・・・・・・・・・・・・・・・」
あの状況で、抱きしめることができなかったとは。持ち上げた腕が、もう少しで彼女を閉じ込めそうだったのに、とちらりと後悔する。
でも、逆にそれでよかったのかもしれない。
「あんまりにも折れそうだったからなぁ・・・・・抱きしめてたら、感情的にどうかしてたかもしれない」
ぽつりと漏らして、エドガーは苦笑する。
信じてね、か。
信じてくれ、は女性に山ほど告げた台詞の一つだが。まさか、女性から言われるとは。
知らず知らずのうちに笑みがこぼれ、それからエドガーは立ち上がってデスクに向かう。
護る、なんてロックが聞いたら卒倒しそうだ。
小さく笑いながら、エドガーは気を引き締めた。
例え、彼女をここに繋いでおくために出た言葉だとしても。
彼女の不安を打ち消すために告げた台詞だとしても。
エドガーにはティナを守る義務がある。
その為に、出来ることを。
夜はゆっくりと更けていき、静かなひとときが続く。
だがそれも、翌朝、サウスフィガロが帝国に占拠されたという通達が飛び込んで、騒然となるのだった。
(2009/08/18)
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