FF�Y

4 (リターナー本部にて）

　せっかく買ってもらったけれど、これからの事を考えると持ってはいけない気がする。

　そう言って、ティナはエドガーからもらったガラスのモーグリを、リターナー本部の青年に預けた。
　複雑な顔をして、「でも･････」と言い淀む青年に、ティナは、「壊れたら困るし」と真顔で切り出す。

「でも･････これ、フィガロ国王から頂いたもの･････なんですよね？」
「ええ」
「･･････････」

　手が早くて有名な、あの陛下が、女性に上げたプレゼントなのだ、これは。
　それを預かる･････のはどう考えてもハイリスクだと思う。

　眉間にしわを寄せて、半ば泣きそうな顔で箱をつっ返す青年に、ティナは困惑した。
「どうして駄目なの？」
「とにかく、陛下が女性に差し上げたものなんですから、あなたが持っているべきなんです」
「でも･････壊れたら･････」
「なにやってんだ？」
　押し問答を繰り返すティナと青年の間に、ひょっこりと現れたのは、初対面で「クマ」と表現された、フィガロ国王の双子の弟だった。
「マッシュさん」
「マッシュでいいよ」
　助かった、とティナが押しつけてくる箱をマッシュに押しやり、「とにかく、僕は受け取りませんからね」と早口に言って駆けていく。
　明らかに落胆するティナの顔を覗きこんで、「これ何？」とマッシュは軽い箱を振って見せた。
「それ･････エドガーに買ってもらったの」
　サウスフィガロで。
　溜息交じりに答えるティナに、蓋をあけたマッシュは、中から小さな青いガラスのモーグリをつまみだして、「へー」と声を上げた。
「モーグリ、好きなのか？」
「ええ。」
　ふわふわしてて、もこもこしてて、可愛い。
　にっこり笑うティナの言葉を反芻して、マッシュは、己の掌にちょこんと座る、青モーグリをしげしげと眺めた。

　ふわふわでももこももでもない、つるっとした手触りの、ガラスのモーグリ。
　しかも真っ青。
　目は針金見たいだ。

「可愛いか？これ･････」
「可愛いの！」
　そう言って、マッシュの手からモーグリを奪い返そうとして、ティナは、こんな会話をどこかでしなかったろうか、と首をかしげた。

「ああ、そう。それ、エドガーも言ってたわ」
「兄貴が？」
　返して、と背伸びをするティナの額に、こつん、とモーグリを押しあてたマッシュが、眉を上げた。
「私がショーウィンドーを覗いて、可愛いって言ったら、可愛いかな？って」
　自分の手に碧いモーグリを取り戻して、ティナはおかしそうにマッシュを見上げた。
「あー、双子だからな。趣味が似てるのかも」
「そういうものかしら？」
「ロックは何だって？」
「もっと高いの頼めば良かったのに、って」
　ダイヤのモーグリとか。
　真顔で答えるティナに、マッシュは思わず噴き出した。
「トレジャーハンターの言いそうな台詞だな」
　豪快に笑うマッシュを不思議そうに見上げて、それからティナは溜息をついた。
「でも･････私もダイヤのモーグリにすればよかったって、今では思うわ」
「え？」
　意外な台詞に、ちょっとマッシュが驚いた。だが、価値の問題ではなく、ティナはもっと別の問題でダイヤが良かったのだ。
「やっぱりティナも宝石なんかが気になる？」
「違うわ。ダイヤだったら壊れないでしょう？」

　せっかくもらったのに。持って歩いていたら取り上げられるか壊されるわ。

　ふう、と溜息交じりに出た台詞に、マッシュはちょっと引っ掛かった。

　取り上げられる、って誰に？

「どうしよう･････誰かに預けたいのだけど、みんな嫌だっていうの。ねえ、マッシュ。そんなにエドガーって意地悪なの？」
　不服そうに尋ねるティナに、「別に兄貴が意地悪なわけじゃないよ」とマッシュはからっと言う。
「ただ、女に対していい加減な所もあるかと思うと、妙な独占欲を発揮したりして、女絡みで関わるとロクな事が無いって知ってるからだよ」
「･･････････？」

　なんとか、マッシュの言った事の意味を理解しようと眉間にしわを寄せるが、ティナには半分も理解できない。

　女に対していい加減･････ってどういうこと？
　妙な独占欲って？？
　ロクな事が無いって、どんなことになるのだろう？？？

　顎に手を当てて、必死に考え込むティナに、「なんだ、ティナは男女関係に疎いのか？」とマッシュが笑う。
「･･･････････････多分。」

　「アイ」とやらが何か知らない。どんな感情なのかも。
　男女関係、っていうのは、世界には男と女しかいなくて、この二人がいなければ子供は生まれないのだ、という事くらいしか分からない。
　でも、それってどういうことなのだろうか。

「ふ〜ん･････ま、知らなくても生きていけるから問題ないさ」
　あっけらかん、と言われて、自分の欠けている部分に焦りを感じていたティナはぽかんとした。
　まじまじと見上げた先には、エドガーと同じ顔なのに、日焼けして、ガタイも大きくて、なんとなく太陽を思わせるような風貌の男の豪快な笑顔だった。
「問題ない･････の？」
　おずおずと尋ねるティナに、「ないね」とあっさり言いきる。
「大体、ティナが男女の事に興味しんしんだったら、一も二もなく兄貴に喰われてるよ」
「･･･････････････喰われる？」
「ああでも、な〜んにも知らない女の子のほうが案外」
「マ　ッ　シ　ュ」

　笑いながら言葉をつづけようとしたマッシュは、続く妙に明るい兄上の声に、びき、とその場に固まった。
「一体何の話をしてるのかな？是非私も混ぜてもらいたいんだけど」
　やあ、ティナ。今日も綺麗だね。
　にこにこ笑ってティナに挨拶するエドガーの目が、冷たくマッシュに注がれる。
「で？その人聞きの悪い事をべらべらしゃべる口を、お兄様が直々に縫って差し上げようか？」
　明るいのに低温な声音に、「いえ･････結構です」とマッシュは両手を上げて答えた。
「遠慮するな？私のソーイングマシーンは優秀だよ？一秒間に針が30回も振動して、どんなに頑強な皮だって一瞬で」
「だー、いいっ！いいですっ！！！俺が悪かったよ！！！」
　ティナ、さっき言ったことは綺麗さっぱり忘れてくれ！
　詰め寄る兄上から必死に逃れるように身を引くマッシュが、ティナに手を合わせて頼んだ。

「さっきって･････男女のことを知らなくても生きていけるってこと？」
「―――マシアスくん。後でゆっくり話を聞きたいんだが」
　本名で呼ばれて、マッシュの血が、さーっと引いていく。
　にっこり笑うエドガーに、マッシュは言い知れない恐怖を感じた。
　笑顔なのが怖い。とびきり良い笑顔なのが、とてつもなく。
「いや･････あの、兄貴？別に悪気があったわけじゃ･････」
　うろたえるマッシュを余所に、エドガーはくるりとティナを振り返ると柔らかい笑みを浮かべた。
「男女のこと云々は、いずれ必ず分かる時が来るよ、ティナ」
「･･････････そうなの？」

　どうしてマッシュがこんなに慌てふためいているのかわからないティナは、混乱する頭を整理しようと頑張っていた。その矢先にそんな風に言われて、いくらか不安そうに男を見上げた。

「ああ。その時の相手が私なら、これほど嬉しい事はないよ」
「エドガーと？」
　首をひねるティナは、手を取って見つめてくるエドガーの台詞がぴんとこない。

「エドガーは、私と男女の関係になって、子供が生まれるのがいいの？」
「････････････････････まあ、概ね間違ってはいないし、そうなったら･･････････どうなんだろう」
　私とティナが？
　結婚？？
「なんで真剣に悩むんだよ」
　思わず突っ込むマッシュを振り返り、エドガーは「今は黙ってろ」と無言の圧力をかけた。
「違うの？」
　「アイ」ってそういう事じゃないのだろうか。

　何か間違っているのだろうかと、見上げてくるティナに、エドガーは掛ける言葉に迷った。彼女の手を取ったまま、神妙な顔をする。

「確かに、そういう愛が一番まっとうで、一番正しいんだろうね。でも、一人一人の恋愛や愛情の形は人それぞれだ。だからその･････私とティナがそうなるのが一番正しいとは言えない」

　うまく逃げたな、とマッシュは肩で溜息をつく。
「兄貴〜、その気もないのに口説くのはどうかと思うぞ〜」
　一応遠くから突っ込んでおくが、「外野は黙っててくれ」と今度は笑顔の圧力をかけられた。

「そうなの･････なら、貴方はどれが一番正しいのか、分かってる？」
　期待を込めた眼差しで見つめられて、エドガーは困ったように笑った。
「それは私にもわからない」
「･･････････そうなの」
　しょんぼりするティナの、伏せられた目を覗き込んで、かがんだエドガーが熱心に言う。
「それはね、ティナ。私だって分からない。」
「え？」
「お互いの事を知る時間が今は足りない。これから一緒に居て、色々見て、聞いて、触れていけば、きっとその先に分かることなんだ」
　だから言ったろう？いつか分かる時が来るって。
「･･････････本当に？」
　見上げる彼女の瞳が、かすかにきらめく。

　自分に欠けているものがあるのなら、それを取り戻したい。
　早く早く。己が消えてしまいそうな今こそ、それが欲しい。
　じゃないと、まっとうな人間になれない。

「時が経って、エドガーと一緒に居る時間が増えたら、『アイ』が何なのか分かるようになる？」
　そうなったら、エドガーと男女の関係になるの？

「男女の関係に当てはまるのが、私だったらいいな、ってことだよ、ティナ」
　耳元に唇を寄せて、囁くように告げる。ふわりと、オレンジの香りがして、ティナはまたいつかの眩暈を感じた。感覚がふわりとおぼつかなくなる。思わずしがみつくティナに、エドガーはちょっと目を見張ると、緩やかにほほ笑んだ。

「大丈夫？」
　背中に大きな掌を感じて、ほっとしたようにティナが吐息を漏らした。

「平気。なんだか･････世界が反転したような気がしただけだから」
「そう？」
「ねぇエドガー」
　そっと両足で大地を踏んで立ち、彼女は顔を上げた。
「男女の関係が、エドガーじゃない場合って、どんな場合？」
「･･･････････････」

　何となく、脳内がそれを考えるのを拒否する。
　当然だ。
　他の男といちゃいちゃしているティナを、どうして自分が想像しなくてはならないのか。

「それはティナ。ティナにしか分からないことだと思うぜ」
　ゆっくりと不機嫌になるエドガーに代わって、マッシュがのんびり答えた。
「相手が兄貴じゃないのなら、兄貴には想像のしようがないよ」
　なあ？

　明るく振られて、エドガーはちっともわらっていない、完璧な笑顔をマッシュに向けた。

「さすが私の弟だね。一々腹の立つ所を踏んでくれてありがとう」
　えええ？俺何か間違ったこと言ったか！？

　最初に独占欲が強い、と己の兄貴を評していたのに、エドガーの痛いところを無自覚に突くマッシュに溜息をつき、「確かにマッシュの言ったことが一番の真実だ」と認めたうえで、ティナに視線を戻す。

「男女の仲っていうのは、当人にしか分からない、特別な事なんだ。」　
　だから私は、その特別な感情を私に抱いてもらえたら嬉しいなと思ったんだよ。
「とくべつ･････」

　やっぱり、まだ分からない。

　ぎゅ、とエドガーの服を掴むティナの肩に、腕をまわして、ふわりと軽く男は彼女を抱きしめた。

「いいんだよ。ゆっくりでね」
　少し彼女を放して、頬に指を伸ばした所で、ドアが思いっきり開いてロックが飛び込んできた。

「作戦開始は予定通り！俺は一足先にサウスフィガロに戻るから･････って、エドガー！お前･････手が早いのもほどほどにしとけよ？どーせ城に恋人の三人や四人いて、帰ってきて泣かれるぞ？」

　どいつもこいつも、俺の周りにはこんなのしかいないのか！？

　ひき、とこめかみに青筋を立てるエドガーを無視して、ロックはいかだの準備ができたから、早々に脱出してくれ、と言い残して去ろうとする。
　ただ、ふとドアの所で振り返って、「恋人が三人四人？」とどういう事なのかを考え込むティナに、片目をつぶって見せた。
「ああそう、ティナ。手の早いどっかの王様には気を付けるんだぜ？」
　そんな風に傍に居たら、頭から喰われるぞ〜

　怖い怖いと、あわただしく出ていくロックを見送り、ティナは、エドガーから身体を放して複雑な眼差しで彼を観た。

「皆がそういうから･････やっぱり私は貴方の傍に居ないほうがいいみたい」
「ティナ！」
　そろそろと彼から離れ、青いモーグリの入った箱を持って通路を行く。
「ティナ、それを一体どうする」
「川に捨てるらしいぜ？」
　マッシュがにやにや笑いながら言い、「はあ！？」とエドガーが目を丸くする。
「ちょ･････ティナ。それはあんまりじゃないか？いくら私が軽率でも、好きでもない女性に物を贈るなんてこと･････ない･････とは言えないが、でも」
　ないって言えないのか、と一人遠い目をするマッシュを、くるりと振り返ったティナが視界に収めた。
「マッシュ。やっぱりこれ、私、持ってるね」
　それから、ちらとエドガーを見て視線を逸らす。
「･･･････････････大事なもの、だし」
　それから、怒ったようにくるりと踵を返して、彼女は走り出す。


「なんだ？」
　走り去る彼女に向かって、伸ばした手のままに、エドガーが目を瞬く。
「川に捨てるんじゃないのか？」
　振り仰ぐ兄上に、マッシュは肩をすくめた。
「まあ、これからの川下りで、落とさないことを祈りたいな」

(2008/08/23)

designed by SPICA