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2 (続・フィガロ城にて)
 ふわり、と己の着ている衣装の、レースの裾が膨らみ、腰のリボンが揺れる。
 金糸を織り込んだ白い衣装は、うっすらと紅がかっていて、影が桜色をしている。広く開いた肩と胸には、銀色の細い鎖のネックレス。ちらちら光る碧い宝石に、しばし呆然と魅入っていたティナは、自分をここまで連れてきた神官長が、重々しく扉を開くのに我に返った。

 歩くたびに、ふわふわとレースが揺れて、衣装の色が白から緋色、桜色、と変わる。

「これはこれは、随分可愛らしく仕上がったね」
 着たこともない、裾の膨らんだ衣装に、目を白黒させていた彼女は、テーブルの向こうで頬杖をついて笑っている存在に目を上げた。

 先ほどとは打って変わって、ラフな格好をした王様が、こちらをみて笑っている。白の衣装に、濃紺の、袖が無い上着を羽織っている彼は、涼しそうで、一つにまとめた長い金髪が、窓際に置かれているランプにきらきらと輝いていた。
 大きい窓からは、砂漠の夜空が良く見え、遠く西の空はまだ、緑色に揺れていた。

「あの・・・・・」
 給仕に椅子を引かれて、差して長くもないテーブルに付く。ご機嫌そうに笑う、国王陛下を前に、ティナはひたすら混乱していた。

 唐突に表れたおばあさんに、神官長と名乗られ、エドガーさまからお世話を申しつかりました、と丁寧に応対され、「お世話?」と首をかしげる傍からひん剥かれて、お湯に放り込まれて、現在に至るのだ。

 それを指示したのが、目の前の男だと知り、ティナは複雑な表情でエドガーをうかがう。

「これって・・・・・」
 テーブルの上に、次から次へとご馳走が運ばれて、並んで行く。何の料理だかさっぱり分からないティナは、にこにこしながらこっちを見ている彼に、眉間にしわを寄せたまま尋ねた。
「どういうこと?」
 椅子に付きながら、でもエドガーの事を不審がるティナに、彼はとっておきの笑みを見せる。
「いや、この城に客人なんて珍しい・・・・・わけでもないけど、君は今夜、この城に舞い降りた女神さまだからね。精一杯おもてなしをしないと」
「・・・・・・・・・・はあ」
 気の抜けた返事、というか、困惑しか滲んでいないそれに、エドガーは続ける。
「それに、こんなに美しい女性がいるのに、一人で食事なんて寂しいからね」
 蒼穹の瞳がこちらに注がれている。だが、受け止める碧緑の瞳は、まるでぴんと来ないらしく、数度瞬きを繰り返すだけだった。
 それでも彼女は彼女なりに、自分と「食事がしたい」というエドガーの考えを理解しようと努めたらしい。
「・・・・・綺麗な女の人と、ご飯を食べるのが楽しいの?」
 数秒後、返された台詞に、エドガーは返答に詰まった。
「どうして?」
 さらに追い打ちをかけるべく、首までかしげて言われて、男はティナから視線を逸らした。
「まあ・・・・・恋愛学的にいえば色々解答を出すこともできなくはないが、一個人として意見をういうのなら、食事を通して会話を弾ませて、君の事をもっと知りたいと思ったから、というのが正しいかな?」
 恋愛学的に言うとどうなるんだよ、というロックの、半眼の突っ込みが聞こえてきそうだが、エドガーは心の声を無視する。
 そんな事はどうでもいいのだ、この際。
「食事中に話をするの?」
 これに対して、ティナが引っ掛かったのは、エドガーが苦心してティナを口説こうとしている部分とは180度違う場所だった。
「え?」
「そんなこと・・・・・許されるの?」
 かすれた声で言い、必死にこちらを見つめてくるティナに、エドガーの冷静な部分が首をもたげる。
「・・・・・・・・・・君にとってそれは、許されないのかな?」
 慎重に尋ねると、ふっと彼女は視線を落とした。グリーンゴールドの髪が、ふわりと睫毛に掛り、濃い緑に髪が輝く。光にあたる部分が金緑にきらきら光っている。
「食事は、燃料補給だと。余計な手間を取らせてはいけないって」
 ずきり、とこめかみのあたりが痛み、ティナは小さく声を上げると額を抑えた。
「誰かが・・・・・そう教えてくれた」

 燃料補給、ね。

 ふと視界に入った神官長が痛々しい顔をするのが見える。軽く唇を噛み、珍しく憤りを見せる彼女に、あとで話をきかなくては、と彼は考えた。

「それはティナが生活していた場所での事だろう?ここは、私の範疇だ。」
 冷たくなりかけた手を握り、目を閉じていたティナが、柔らかなエドガーの声に顔を上げた。
「泥棒と知り合いでも、私は一国の主だ。そしてここは私の国だよ」
 テーブルに肘をついて、手を組む。その上に、顎を載せて笑うエドガーに、「エドガーさま」と叱責するようなばあやの声が飛んだ。
 行儀が悪い、と言外に言われている。
 そちらを見て、肩をすくめるエドガーは、ティナに片目をつぶって見せた。
「ま、王様でも怒られることもあるけどね」
 反射的に、くすり、とティナが笑う。

 はじめて見た笑顔は、それでもまだ憂いを含んでいて。
 ああ、もっと屈託なく笑ってくれたら、もっともっと可愛いのにもったいない、とエドガーは心の中で溜息をつく。
 だが、ティナは、己が笑えた事に驚いたようで、ちょっと目を見開くと、まじまじとエドガーを見た。

「ここは貴方の国なのね。」
「そうだよ」
「・・・・・・・・・・なら、貴方の国のルールに従えば、怒られない?」
「君なら、例えどんなに酷い仕打ちを受けても許してしまいそうだけどね」
「・・・・・・・・・・食事中に話してもいいの?」
「大歓迎だよ」
「・・・・・・・・・・・・・・・あの・・・・・でも・・・・・」

 そこで、困ったようにティナがテーブルの上を見渡した。スープから、鶏肉のロースト。たくさんの果物に、豪華なデザート。ソースで綺麗な模様が描かれた皿から、ロブスターがはみ出しているものまで。それらを一通り見つめて、彼女は上目遣いにエドガーを見た。

「本当に食べていいの?」

 ティナにしてみれば、ここに並んでいる料理は見たことはあっても、決して自分が口にするようなものではなかったのだ。

「だって・・・・・これが全部、私が食べていい物・・・・・じゃないわよ・・・・・ね?」
 おずおずと尋ねるティナに、今度はエドガーが瞬きをする。
 もしかして、思っている以上に、彼女にとっての食事は最悪のものだったのではないだろうか。

(燃料・・・・・なんて言われてるくらいだ。何を食べさせられてたのか・・・・・考えるだけで胸が悪くなるな)

「エドガーさん?」
「エドガーでいいよ」
 そう言って、彼は席を立つと、椅子を持って、ティナの正面から移動してくる。
 そのまま隣に腰を下ろすと、彼女の前に揃えて置かれていたフォークやナイフの一式から、何も考えずに、適当にフォークを取った。
 ばあやが眉間にしわを寄せるのが、見えなくても見える。

「今日は堅苦しいのも形式ばったのも、マナーもなし」
「?」
 ひょいっと皿の上から、綺麗に磨かれたルビーのようなトマトと、一緒に煮込まれていた鶏肉を一欠片掬うと、彼女の口元に差し出した。
「食べてみて。城のコックは超一流だから、おいしいと思う」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「はい、あーん」
 エドガーさま、という叱責の声が今にも聞こえてきそうだが、陛下は無視した。

 おずおずと口をあける彼女は、一杯に広がった食感に驚いたらしく目を見張る。

「どうだい?」
 にっこり笑うエドガーに、彼女は「おいしいわ」とかすれた声で答えた。
「じゃあ、どんどん食べて。ナイフとフォークは・・・・・使えるだろ?」
「なんとなく」

 なんとなく、か。

 黒いものが胸の内に広がるのを感じながら、彼はおずおずと食器を手に取る彼女に、次々と色んなものを取り分けて差し出す。
 中には、ティナの中で「絶対に食べることはないと思われていた」ものも含まれていて、彼女はびっくりすることばかりだった。

 彼女の中での食事とは、どろどろした、液状のものから、噛みきれないほど固い固形物だったから、色とりどりの食材や、繊細な味付けはただただ驚がくするものばかりだった。

 素直に、おいしいと思う。
 というか、「おいしい」というのはこういうことかと、思い直す。

 これはなに、これはどうやってできている、この食べ物は女性にとって非常に重要な栄養素が含まれていて・・・・・ああ、これが気に入ったのなら、君が喜ぶまで、これを作らせよう・・・・・

 エドガーの話も興味深くて、ティナはただ彼に感心するばかりだった。

「エドガーって、凄いのね」
 リンゴのゼリーを掬ったまま、まじまじと言われて、彼は内心苦笑した。
 食事、というよりは、彼女の常識を覆すことに重きに置く事になってしまったが、可愛らしい女の子を間近で見つめて、これもあれもと食べさせるのは非常に楽しかった。だから、そんな風に尊敬のまなざしを向けられると、却って悪いことをしたかな、と反省してしまう。
 もっとも、それも時間に直すと大した時間ではないのだが。
「なにがかな?」
 ほほ笑んで促せば、ティナはまっすぐにエドガーを見つめたまま、「食事がこんなに楽しくなるなんて知らなかったから」と楽しそうに言う。
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「この国は良い国ね。あったかくて楽しくて。ご飯を食べるだけなのに、ここまで楽しくなるなんて、知らなかった。そして、この国の王様がエドガーなんでしょう?」
 だから、エドガーって凄いわ。


 ティナの感じる「国」のイメージはもっと暗くて、冷たくて、鉄の匂いしかしないものだ。
 同時に、「国王」も、逆らうと殺される存在である。

 そこには恐怖しか存在しない。

 それゆえに、エドガーの明るさと優しさは、ティナには非常にまぶしく見えた。
 まぶしすぎて、怖くなるくらいに。

「レディにそう言ってもらえると、本当にうれしいよ」
 にっこり笑って、そっと、テーブルに置かれているティナの左手を取る。
「気に入ってもらえたのならなおさら」
 そのまま瞳を見つめられて、ティナは、間近にある蒼穹に魅入った。

 そこには、柔らかな春の空が広がっているが見える気がする。


 この人は・・・・・信じてもいいんじゃないだろうか?

 そこまで考えて、ティナは見つめるエドガーから、不意に視線を外した。

 信じる・・・・・って、どうすればいいんだったっけ?

 まだ心の一部が凍結していて、なかなか思い出せない。恐怖や不安はすぐにでも足元から忍び寄るのに、こういう感情は戻ってくるのに時間がかかる。
「ティナ?」
 俯いた彼女を、覗き込むエドガーに、ティナはかすれた声で告げた。
「それで、私は何をしたらいいの?」
「え?」
 ちょっと驚いたように目を見張るエドガーに、ティナはまっすぐに顔を上げた。
 いくらか、彼女の頬がこわばっている。
「好意には見返りがつくのでしょう?」

 その一言に、エドガーは明らかに気分を害した。

(帝国は、一体何をこの少女に吹き込んできたのだ?)
 腹の底にどす黒いものを感じる。
 苛立ちが膨らんでくる。

 彼女が悪いわけじゃない。彼女の後ろに透けて見える、彼女を虐げた者たちの姿に腹が立つ。

「見返りなど、必要ない」
 いくらか強い口調できっぱり言われ、びくりとティナの身体がこわばった。
 驚かせただろうか?
 こわがらせた?

 でも、これは譲れないと、エドガーはティナの手を握る手に、力を込めた。まっすぐに、彼女の瞳を覗き込む。

「これは、私がしたくてしたことだ。だから、ティナが気に病む必要は全くない」
 きっぱりと言われて、ティナの碧緑の瞳が、かすかに揺れた。

 相手を信じた時、発生する対価。
 自分が差し出すもの。

 それと交換で、信じる、が成立するのではないのだろうか?

「でも・・・・・なら、私は貴方を信じられないわ」
「信じる信じないに、対価なんて必要ないよ」
「・・・・・・・・・・嘘。何かが無いと、他人はたやすく自分を信じないわ?」
「そんなことはない。」
「・・・・・・・・・・」
 考え込むティナの肩に、そっと手を触れて、エドガーは軽く彼女の体を引き寄せた。
 ぽすん、と彼女の額が、エドガーのシャツに触れる。
「信じるっていうのはね、ティナ。無条件が条件なんだよ?」
 見返りもなく、相手のことを思う事。

 耳元で告げられた台詞に、ティナが眉間にしわを寄せた。

「本当に?」
 尋ねる声音は、いくらかこわばっている。
「本当だとも」
「それは・・・・・この国だけのこと?」
 そっと身体を離し、探るように見上げる碧緑の瞳が、不安に揺らいでいる。

 何と言えばいいだろうか。

 違うといえば、良いのだと、エドガーは理解する。
 でも。
 けど。

 ふとわき起こった、掠めるような、ほんのちょっとの独占欲が、エドガーの口から違う台詞を引き出した。

「私と、ティナの間だけのことだ」
「・・・・・・・・・・」
「私は無条件に君を信じるよ?だから、ティナも無条件で私を信じてはくれないか?」
 見返りや、対価を支払う事はないよ。
「ただ・・・・・そうだね?唯一君に求めることがあるとすれば、それは君が心から笑ってくれること、かな?」
 対価が必要だと思うのなら、それでどうだろうか?

 にっこり笑うエドガーに、ティナはふと眼を細めると俯いた。


 誰かが言っていた。

 誰かを信じることは命取りになるのだと。
 生きたければ誰も信じるな。
 甘言も、誘惑も。
 お前のような存在に、だれも本気で「アイ」を語りはしない。

 覚えておけ。

 お前のようなバケモノは誰にも相手にされないのだと。



「わからない」
 エドガーから距離をとり、ティナは弱々しく答えた。
「それだけの対価で、経験したこともないものを与えてくれるなんて、ありっこないもの」
 だから、貴方の信じるを、私は受け入れられない。

 顔を上げて告げる、その、揺れる碧緑の瞳と、青ざめた頬に、エドガーはきつく唇をかむしか出来なかった。

 帝国は一体、どこまでこんなただの少女を蹂躙し、深く貶めたのだろうか。

「だったら」
 固く握られ、己の胸に添えられているティナの手を取り、エドガーはそっと口づけた。
「いつかきっと、私が見つけて見せよう。」
 そんな対価など必要のない、信じたいと思ってしまうほどの想いを。
「・・・・・・・・・・」

 驚く少女を前に、エドガーは不敵に笑って見せた。


 自身でも気づいていたのかもしれない。
 実は、彼女を口説き落とせなかった事が、随分とプライドを傷つけていたのだと。

 宣戦布告のような台詞。
 でも、ティナは、そこまで自分を考えてくれる「王様」という存在と、「フィガロ」という国にただただ感心するしか出来ないのだった。




(2009/08/19)

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