

枝幸町と歌登町の境界から望む山々です。5月末なのに奥の山の頂上には雪が残っていました。

宗谷管内一発目の写真は浜頓別町のクッチャロ湖です。ただ、残念ながらご覧の通りどんよりとしています。
んで、この湖の裏に隣接している温泉でひとっ風呂浴びてきました。



日本最北端の地・宗谷岬です。この日は天気が良くてとても薄っすらとではありますが、肉眼でサハリン(樺太)も望むことができました。
日本有数の観光地なので、観光客も結構いました。
そのあとまた稚内に行ってきて、帰りにライトアップされた日本最北端の地を撮ってきました。風がえらい強くて撮るのに苦戦しました。< 日本最北端の地の写真をクリックすると出ます(2004年4月25日 撮影) >

猿払村の「井の三猿払風力発電所」です。ここら辺は風が強い地域なので、こうした風力発電所がいくつかあります。稚内や浜頓別とかにも当然ながら風車がありました。

道の駅「さるふつ公園」の向かいにある「インデギルカ号遭難者慰霊碑」です。 猿払村のカントリーサインのデザインにもなっています。
この碑の詳しいことについては隣接している碑文を抜粋しましたのでどうぞご覧ください。
『昭和14年12月12日。ソ連船「インディギルカ」号とそれに乗り合わせていた人々に最後の時がやって来た。
「イ」号は、秋の漁場を切り上げて帰る漁夫及びその家族1004名を乗せて、カムチャッカからウラジオストクに向かって航海中、折からの暴風雨に押し流され、乗組員たちの必死の努力も空しく、進路を失い、12月12日未明浜鬼志別岩沖1500mのトド岩に座礁転覆、700余名の犠牲者を出す海難史上稀有の惨事となった。
身をさくような厳寒の海上で激浪と斗かい、肉親の名を叫び続けながら力尽きて死んでいった人々のことと、その救助に全力を注いだ先人たちの美しい心情は、人類のある限り忘れてはならない。
この碑は、北海道はもとより国内の数多くの人々、並びにソ連側の海員、漁夫の善意に基く浄財によって、「イ」号と運命を共にした人々の冥福を祈ると共に、国際親善並びに海難防止の願いを込めて建立されたものであり、台座の石はソビエト社会主義共和国連邦から寄贈された花崗岩である。』

枝幸町の北部にある北緯45度線です。ちょうど北半球の中心地点で、赤道と北極点のど真ん中です。
写真右は北緯45度線上に位置する世界の主な都市が書かれています。
ちなみに、日本海側にも内陸の国道40号線上にも北緯45度線のポイントがあります。