第1話 その名はノイエス


少年は、あまりの異常な状況に呆然としていた。

彼の目の前には、醜悪な怪物が立っている。

凶暴そうな光を湛えた真っ赤な複眼でこちらを見据えるその怪物の姿は、おおよそ現実離れした出来の悪い特撮作品のようだ。

 

だが、あろうことかこれはまぎれも無い現実で、しかも怪物の腕には彼の幼馴染が捕らわれているのだ。彼の頬に付けられた傷。そこから痛みを伴って流れる血が、現実であるということを容赦なく知らしめている。

その傷は、目の前にいる怪物によって付けられたものだ。そして彼がかろうじて軽い傷で済んだのは咄嗟に飛び込んでくれた幼馴染の少女のお陰なのだ。

その少女は怪物の腕の中で気を失ったのかピクリともしない。

 

「・・・こんな・・・こんなことってあるのかよ!?」

「しっかりしなさい!」

凛とした声が、呆けかけていた少年の耳朶を打つ。少年が視線を転じると、そこには肌も露な衣装を身に纏った少女がいる。その豊かな胸には、奇妙な形のノートを大事そうに抱きかかえている。

「あなたの名前を書き込んだわ!・・・今度は大丈夫なはずよ。」

「だ、だけどさ・・・。」

「迷っている暇は無いの。・・・巻き込んでしまって悪いとは思うけど、パワーを使い切ってしまった私には、あなたたちを助ける事は出来ない。・・・あなたが戦うしかないのよ!」

 

少年は、もう一度怪物を見る。少年は自分がその怪物に恐怖している事を自覚していた。

『・・・こんな化け物に・・・俺が太刀打ちできるのか??』

「あの子を救えるのはあなたしかいないの!お願い、もう一度叫んで、あの言葉を!!」

少年は、その言葉に覚悟を決めた。

「・・・あいつを、助けられるのなら・・・。・・・一か八か信じてみる!」

少年は怪物を睨み付けた。

 


 

「紅太・・・、ねぇ、紅太ってば!!」

「・・・ん?」

その声に、少年はゆっくりと目を開けた。その視界に少年を仁王立ちで見下ろす一人の少女が入ってきた。

「さくら?」

その時、少年は少女のスカートの中身まで見えそうになって慌てて視線をそらしながら、身体を起こした。

「まったく、自習時間だったからって、こんなところで寝てるなんて!」

「そんな怒るなよ。」

「いくらもうすぐ夏だからって、屋上で昼寝なんてしてると風邪引いちゃうんだから!」

「はいはい。以後気をつけます。」

「もう!・・・ホラ、早く立って、帰りのHRが始まっちゃう。」

「解ったって・・・。」

堅くなった身体をほぐしながら立ち上がった少年は、少女に背中を押されながら、校内に降りる階段を早足で降り始めた。

「ホラ、急いで!」

「お、おいさくら、そんなに押すなって。危ないだろ・・・うわっ!」

危うく足を踏み外しかけた少年は悲鳴を上げていた。

 


 

数十分後、二人は自転車で並進しながら校門を出ていた。少年の額には大きな絆創膏が張ってある。階段でバランスを崩した少年が勢い余って壁に激突した時にすりむいたのだ。

少年は、仏頂面で、少女は申し訳なさそうな表情で自転車をこいでいる。

 

二人はしばらく無言で自転車をこいでいたが、あまりにもしゅんとした表情の少女の様子に、少年の方が折れた。

「そんなに不景気な顔するなよ。・・・もう怒ってないからさ。」

その言葉に少女はおそるおそる口を開いた。

「本当?」

「ああ、もうあんまり痛くないしさ。」

「ごめんね・・・。」

「いいってば。・・・気にすんな。元はといえばあそこで昼寝してた俺が悪いんだし。・・・親父の言葉を借りれば、『悪には悪の報いがある』・・・ってヤツだよ。・・・だから気にすんな。」

「紅太・・・。ホントごめん。」

少女は幾分元気になったようで、ようやく笑顔を見せた。少年も苦笑を返す。

 

やがて、少年は自分の家に着いた。

フラワーショップ『広野』

そう大きな看板の掲げられた店先では、一人の女性が花の入った大きなバケツを台車に乗せている所だった。女性は少年達の姿を認めると、笑顔を浮かべた。

「お帰りなさい。・・・どうしたのそのおでこは?」

少年は自転車から降りながら答えた。

「なんでもないよ。ちょっと転んですりむいただけ。」

「・・・おでこを?」

「・・・別にいいだろ。それより、今日は配達とか無いの?」

女性は、少年に近寄って、額の絆創膏を軽くつついてから一枚の紙を手渡した。少年は、その内容を見て少し顔をしかめる。

「3軒もまわるの?・・・今日は疲れてるんだけどな。」

「よく言うわ。屋上で居眠りしてたくせに。」

少女の言葉に女性はクスッと笑った。

「あらあら、お父さんが聞いたら怒るわよ。」

「な・・・、さくら!・・・このおしゃべり!」

「なによ。寝てたあんたが悪いんじゃない。ねえ美紅さん。」

美紅と呼ばれた女性は微笑みながら少年の頭を軽くはたく。

「紅太の負けよ。おとなしく配達に行ってらっしゃい。」

少年はしぶしぶと行った表情で家へと入っていく。その様子を見送ってから美紅は少女に語りかけた。

「いつもうちの紅太が迷惑かけてゴメンネ。さくらちゃんがいてくれるから助かるわ。」

少女は慌てて頭を振った。

「そんな!・・・私の方こそ紅太に迷惑かけてばかりで・・・。」

少女の様子に美紅はクスクスと笑った。その様子を見て少女は思わず見とれた。

『・・・美紅さんって、いつ見ても綺麗だな。とても中学生の子供が居るようには見えない。・・・うちのママといい、美紅さんといい、なんでこんなに美人なのかしら。』

少女はため息をついた。

『・・・あ〜あ。私ってどうしてこんなに子供っぽい体つきなのかなぁ。』

美紅は、表情が翳ったさくらの肩をぽんと叩いた。

「美紅さん?」

「さくらちゃん、もしかして少し背が伸びた?」

「え?」

「・・・やっぱり、中学生になると、女の子はどんどん大人になっていくわね。」

「そ・・・そんな・・・私なんていつまでも子供っぽくて・・・。」

「そんな事無いわ。・・・あなたは、自分で気づいてないだけ。もっと自信を持って・・・。」

「美紅さん・・・。」

 

そこに、着替えを終えた紅太が家から出てきた。

「母さん、頼んでたスケッチブック買って来てくれた?」

その言葉に美紅はあらっという表情をした。

「ごめんなさい、すっかり忘れちゃってたわ。」

「しょうがないなぁ・・・。」

「美紅さんに頼らずに自分で買ってくればいいじゃない。」

紅太はさくらにむっとした顔を向けた。

「未来の偉大なメカデザイナーには、時間を無駄になんて出来ないんだよ。・・・それよりなんで、まだ居るんだよ。」

さくらはぷっと頬を膨らませた。

「なによ、折角手伝ってあげようって思ってるのに。」

その言葉に紅太は驚いたような表情を浮かべた。

「ホントか?・・・いやあ、持つべきものは幼馴染だよなぁ。」

「調子いいんだから。・・・配達のメモを見せなさいよ。」

紅太がメモを見せると、さくらは一つだけ方向が違う一軒を指でなぞった。

「じゃあ、私はこの家に配達にいくわ。・・・美紅さん、着替えたら出発しますから。」

「ごめんなさいね、さくらちゃん。・・・ホラ紅太からもお礼を言いなさい。

「感謝感謝!・・・じゃ、俺、行くから。」

「もう、この子は。」

軽く手を振って自転車で走り出す紅太を見送って、美紅は大きくため息をついた。

「さくらちゃん、戻ってきたらおいしいお茶を入れておくわね。」

「はい!・・・じゃぁ着替えてきますね!」

そういって自分の家に駆け込むさくらを見て、美紅は優しく微笑んだ。

 


 

「やれやれ、やっと終った。」

配達を済ませて、家路を急いでいた紅太は、少し先の曲がり角から、さくらの乗った自転車が曲がってきたのを見て手を振った。

「おーーい!」

さくらも、紅太に気づいて自転車を止めた。

何となく並んで走り始める。

しばらく無言で走っていた二人だが、不意に紅太が口を開いた。

「サンキュな。」

「え?」

紅太の口から急に飛び出した言葉に、さくらは目を丸くした。

「急にどうしたの?」

「・・・いや、一応きちんと礼はいっとかないとな。・・・お陰で早く帰れるよ。」

さくらは、微笑みながら肯いた。

「どう致しまして。」

二人は顔を見合わせると、微笑んだ。

「さ、早く帰りましょ。美紅さんが心配するわよ。」

「そうだな、ちょいとのんびり走ってきたし、少しスピードアップしようか。・・・って、なんだ、アレ?」

「何?・・・どうしたの?」

「アレだよ。・・・なんか変だ。」

紅太は自転車を停車させると、前方の電信柱の上のほうを指差す。

さくらがその方向に目をやると、電信柱のてっぺん近くに何か奇妙な揺らぎのようなものが生じている。

それは、まるで生き物のように蠢動しながら、徐々に大きくなってくようだ。

「・・・なに?・・・気持ち悪い・・・。」

二人が見上げるうちにそれは2メートル四方ぐらいにまで大きくなり、ひび割れのようなものが広がり始めた。

・・・と、そのひび割れの中から、何かが押し出されるようにして宙に飛び出した。

 

『・・・何だ?』

それは、そのまま落下して乾いた音を立てた。

紅太は、自転車を降りるとその落下したものへと近づいていく。

「紅太・・・よしなよ。何か危ないものだったら・・・。」

「大丈夫だって。」

紅太は、構うことなく近づくとかがみこんでそれを拾い上げた。

「ホラ、ただのノートだよ。」

紅太はそういって拾ったノートをヒラヒラさせる。

「馬鹿!・・・あんなところから出てきたノートが、ただのノートな訳ないじゃない!」

そう言って空中のひび割れを指差したさくらは、そこからまた何かが出てこようとしているのを発見した。

「紅太!・・・上!!」

「へ?」

言われて見上げた紅太は、そこから人が出現しようとしているのに気づいた。

「な!?」

まるで露出の高い水着のようなものを着た若い女性が空間から押し出されるように現れている。

「お・・・女の人??」

そう思うまもなく、全身が完全に空中へと出た女性は、急に落下を始めた。

「・・・!・・・な、なな?」

丁度真下に居た紅太は、間一髪女性を受け止めた。女性は完全に気を失っているのかぐったりとしている。だが、特に苦しそうではなさそうだ。

『・・・軽い・・・な?』

紅太は、見かけよりもずっと軽い女性に驚いて、まじまじとその全身を眺めた。

淡い水色の髪は、染められた感じではなく、あくまでも自然に見える。

ボーイッシュな感じの短めの髪だが、体型はグラマラスで、女性であることを強烈に意識させる。露出の多い衣装も刺激的だ。

 

だが、何よりも紅太の目を引いたのは、その顔立ちだった。

『・・・何だろう?・・・俺は・・・俺はこの人を知って・・・いる?』

 

その時、咳払いの音が聞こえて、紅太はハッと我に返った。

振り向くと、さくらが眉を吊り上げて拳を振り上げている。

「さ・・・さくら・・・さん?」

思わず引きつった笑みを浮かべる紅太に、さくらはズンズンと足音を響かせながら近づいてくる。

「・・・いつまで、見とれてんの・・・よ!」

振り下ろされた拳は、紅太の脳天を直撃していた。

 


 

「母さん!母さん!・・・おっかしいな。どこ行っちゃったんだ??」

紅太は、とりあえず自転車を放置したままで、女性を抱えて自宅へと帰ってきた。自宅までそんなに距離が無かったとはいえ、誰にも見つからなかったのは幸運だったのか不幸だったのか・・・。

紅太は、女性を居間のソファーに横たえると、タオルケットをかけてやった。

「・・・こんな時に・・・ん?」

紅太は、自分のことを、ジト目で見つめるさくらに気づいた。

「な・・・何だよ。」

「べっつに。」

「別に・・・って言う顔じゃないだろ。」

「じゃあ聞くけどさ。・・・何でこの人を家まで連れてきちゃったのよ?」

そう問われて紅太は顔を曇らせた。その表情に、さくらは単に紅太が下心があって連れてきたのではない事を悟った。

「・・・何かさ。」

「何よ?」

「・・・俺、この人知っている気がするんだ。」

「え?」

言われて、さくらも女性の顔を覗き込む。

そう言われると、さくらにも、なにか見覚えがある気がしてきたのだ。

「・・・ホントだ・・・私もずっと前にあったことがあるような・・・。」

その言葉に紅太の表情が明るくなる。

「!!・・・そうだろ?・・・でも、頭の半分ではあんな出現の仕方するような人、絶対に知るわけが無いって思っているんだ。」

「そうよね・・・。」

二人はしばらく頭を捻っていた。美紅は帰ってくる様子が無い。

時計の針は、5時を回ろうとしている。

 


 

先ほど、紅太たちが女性と遭遇した電信柱。

そこに再び空間の揺らぎが生じると、一人の男が出現した。

優雅な動作で地面に着地した男は、頭を軽く振った。

顔以外を、漆黒のマントで包み隠したその男は、自分が出てきた揺らぎを見上げてニヤリと笑った。

「・・・フン、小娘が。これしきの次元跳躍で我が目を誤魔化せると思ったのか?」

男はそういうと髪をかきあげた。

「まあいい。座標は記憶した。・・・後はパラサイトどもに任せるとしよう。」

男は、懐から試験管のようなものを取り出すと周囲を見渡した。毒々しい紫の薬液が封じられたその試験管がわずかに波打つ。

・・・と、男は何かを見つけたようだ。

「・・・アレにするか。」

無造作に試験管を投げる男。投げつけられた試験管は、狙いたがわずに一匹のドブネズミに命中する。

砕けた試験管から、こぼれ出した薬液がドブネズミの体を塗らすと、ドブネズミは苦しそうにのた打ち回る。

一体どのような化学反応を起こしているのだろう。もうもうと立ち昇る煙が、完全にネズミの身体を覆い隠してしまう。

 

煙が徐々に収まってくると、そこには人よりも一回りは大きい奇怪な化け物が姿を現していた。

男は満足そうに肯くと、その化け物に声をかけた。

「パラサイト・N/Eよ。女王の娘を探せ。・・・そして速やかに『ノート』を奪取せよ。」

化け物は、一声鳴くと、凄まじい勢いで走り去った。

「・・・たかが小娘一人、すぐに見つかるだろう。私は、占領地の事後処理をせねばな。」

男は、いまだに揺らぎ続ける異界への入り口に向けて跳躍した。

 


 

紅太とさくらは、あれやこれやと推測を言い合っていたが、結局はこの女性に聞いてみないと何も解らないと結論づけた。

「・・・で、なんでお前さんはここに居るわけ?」

「それは・・・紅太がこの人に変なことをしないか見張る為よ!」

紅太は、ヤレヤレといった表情で肩をすくめると、先ほど拾ったノートに視線を移した。

「・・・変わった形のノートだよな。」

拾った直後には気づかなかったが、ノートにはペンが付属しているようだ。

「なんかのイベントで配られたグッズかな?」

紅太はノートの1ページ目を開いてみた。どうやら新品らしいそのノートはまだ何も書かれていない。・・・が。

「おっと!」

そこには、古い一枚の紙が挟み込まれており、開いた途端にノートから離れて床に落ちた。

何気なく拾った紅太は、その紙に、何かが書かれているのを知った。

「何だこれ?・・・人?」

「どうしたの?」

覗き込んできたさくらに紅太はその紙を渡した。

「・・・ナニこれ?」

「さあ、薄くなっててよく分からないけど、古いマンガのキャラかなんかじゃないかな?」

紅太は、そう言った後で何かを閃いた。

「下手くそな絵だけど、デザインは悪くないかもしれないな・・・よし。」

紅太はそのノートの1ページ目に、古い紙に書かれたキャラクターらしき絵を描き始めた。

「古臭い部分は、今風にアレンジして・・・っと。」

「ちょっと止しなさいよ。・・・持ち主の人に悪いでしょ。」

「そうは言ってもな、未来のイラストレーターとしては、描かずにはおれないと言うか・・・。」

紅太は、手を止めずにあっという間に絵を描き上げる。

「出来た!・・・こいつの名前は・・・ん?」

キャラクターの隣には、見えにくくなっていたが汚い字でこのヒーローの名前らしきものと、変身の掛け声がかろうじて読み取れた。

「・・・ウイングマン・・・っと。変身のキーワードはチェ・イ・ン・グ・・・っと。」

その翼を持ったヒーローの背には、一対の白い翼が描かれている。

「羽根が生えてるからウイングマンか。・・・単純だな。」

「でも何故かしら・・・初めて聞く名前なのに・・・なんだか懐かしいような気がするけど。・・・ねえ、紅太はそう思わない?」

「まあね。・・・でも、ありふれた名前だからじゃないか?」

「そうかな・・・。」

紅太は、軽く頭を掻いた。

 

その時、寝かされていた女性が身じろぎした。

「おっ?・・・気がついたかな?」

二人が女性の顔を覗き込む。その気配を感じたのか、女性がゆっくりと目を開いた。

女性は、最初怯えたような表情を浮かべたが、何かに気づいたようにハッとしてから、紅太の顔を凝視した。そして、満面に笑みを浮かべると紅太に抱きついた。

「な・・・ななな・・・な?」

さくらがあっけにとられる。

「え・・・・ええ??な・・なな。」

紅太が真っ赤になってうろたえる。

「ノイエス・・・ノイエス!!」

女性はそう連呼しながらますます強く紅太を抱きしめる。

「のいえす?・・・違う!!おれはそんな変な名前じゃない!!」

「ノイエス、ノイエス!」

「違うって言ってるじゃ・・・ハッ!?」

殺気を感じて見上げると、そこには怒気のオーラを身に纏ったさくらが仁王立ちで立っている。

「ま、待てさくら!」

「・・・この・・・スケベ・・・。」

「待ってくれ!これは不可抗力だ!!」

「バカーーーー!!」

渾身のビンタが紅太の頬に炸裂した。

 


 

ほっぺたに、真っ赤なもみじがくっきりと浮き上がった紅太は、ブスっとした表情で尋ねた。

「・・・で、あんたが言った事をまとめさせてもらうとだな・・・。」

紅太は、女性から受けた説明を復唱した。

「あんたは、こことは違う世界『ポドリムス』ってところからやってきたと。『ポドリムス』は女王が統治する平和な世界だったが、突如攻めてきた謎の軍団のせいで大混乱。で、あんたは女王に頼まれてこの3次元へと戦士を探してやってきたと?」

紅太の言葉に、女性はニコニコしながら肯いている。

「で、俺は、女王が言ってた戦士の特長にそっくりだったと。・・・その戦士の名が『ノイエス』・・・。」

「チガウ!」

女性は、妙な訛りのある声で口を挟む。

「『ノイエス』ハ、『アタラシイ』ノ、イミ。『ノイエス』ハ、ツバサヲモッタ、アタラシイ『テンシ』ノコト。」

「新しい戦士で、新しい天使・・・ね。」

女性はニッコリ笑って肯く。紅太とさくらも顔を見合わせて笑顔になる。

「だってさ?」

「だってね?」

そして、3人でひとしきり声を上げて笑ったあと、紅太は真顔で立ち上がった。

「さくら、救急車を呼んでくれ。」

「解ったわ。」

その言葉に、女性が慌てた。

「ワタシ、ショウキ。ドコマワルクナイ。キュウキュウシャ、イラナイ。」

「どこが。・・・大体、なんで『ポドリムス』だとかの人間が救急車を知ってるんだよ!」

「ジョウオウサマカラキイタ。ムカシ、イタ、ジョウオウ、サンジゲン・・・。」

女性の言葉がさらにあやふやになってきた。女性は、もどかしくなってきたのか、いきなり立ち上がると、さくらに近づいてギュッと抱きしめて額と額を合わせた。

あまりのことに、呆然としてしまう紅太とさくら。

ややあって、女性はさくらから離れた。

「よし、これでどう?さっきよりは大分日本語が上手くなったと思うけど?」

「・・・上手くなってるけど・・・さっきまでがわざと変なしゃべりをしていただけじゃ?」

「違うわよ。ディメンションパワーで、さくらちゃんの経験記憶をちょーっと覗かせてもらったの。おかげで僅かに残ってたパワーを使い切っちゃったけどね。」

さくらはぎょっとした。

「き、記憶って!?」

女性は軽く手を振った。

「心配しないで。記憶って言っても、一般的な常識とか、習慣とかいったものだけだから。プライバシーに係わる事は一切覗いてないから。」

女性は、そういってから紅太に呼びかける。

「で、さっきの君の質問だけど、答えは簡単。女王様は、昔、三次元で生活していた事があるの。私は、女王様から娘同然に育てられたから、その辺の話を小さい頃から聞かされていたの。」

紅太は、未だに胡散臭いと言う表情で女性を見ている。

「なあ、あんた・・・。」

「ストップ!」

女性は紅太の言葉をさえぎった。

「何だよ。」

「さっきから、『あんた』って言い方は気に入らないわ。私には女王様に付けていただいた、『ホリィ』って言う素敵な名前があるんだから。」

「・・・知らなかったんだからしょうがないだろ。・・・じゃあ、俺のこともちゃんと『紅太』って呼んでもらうからな。」

「OK。・・・で、何?」

「ホリィはさ、本気で俺のことをその『ノイエス』だと思ってるのか?」

「もちろん。・・・女王様から見せていただいた映像にそっくりだったんですもの。」

そういうと、ホリィは衣装の腰につけていた稲妻形をしたスティックを外し、空中でくるりと回した。すると、そこに30センチほどの大きさの、美しい翼を持った戦士の姿が出現した。

「こいつは!?」

紅太はソファーの上に投げ出していたノートに目をやった。ホリィは肯く。

「ウイングマン。・・・かつてポドリムスが危機に陥った時に、邪悪と戦って人々を救った救世主。・・・そして、その変身前の姿が・・・。」

ホリィが再びスティックを振ると、そこには学生服を着た少年の姿が映し出される。

「・・・この人よ。」

空中に浮かぶ小さな人影は、確かに紅太に似ていなくも無い。

「・・・確かに・・・似て無くは無いけど。」

「髪を短くすれば、そっくりじゃないかしら?」

さくらがそうつぶやいた時、轟音と共に庭に面した窓ガラスが砕け、何かが飛び込んできた。その姿を見てさくらは悲鳴を上げる。紅太もまた、本日何度目かわからない呆気にとられた。

「ネ・・・ネズミの化け物??」

化け物は、牙から唾液を滴らせながら3人に近づく。

「ノード。ノードヲワダゼ!」

「ノード??」

何のことかわからない紅太よりも早く、ホリィはノートを抱え込む。

「ノートよ!・・・あいつらは、このノートを狙っているの。」

「あいつら・・・って、コイツがあんたの国を襲ったヤツらなのか。」

「そうよ!・・・私は、このノートを『ノイエス』に託す使命も帯びていたの。・・・この、勇者を支援する『ν―ドリムノート』を!」

ホリィはそういうとノートを開く、そして表情が輝いた。

「なんだ!もう描いてあるじゃない!・・・いやだなぁ、すっかり戦う気満々ね♪」

「はぁ?・・・何を言ってるんだ!!」

「このノートに書いたものは、現実になるの!・・・詳しい説明は後。早く変身して!!」

化け物は、徐々ににじり寄ってくる。

「さあ!早く!!」

紅太は、混乱していた。

『・・・落ち着け・・・こんな事ってあるはずが・・・。』

「キャア!!」

さくらの悲鳴が、紅太を現実に引き戻した。

「早く早く!!」

紅太は覚悟を決めた。

「くそう!・・・やってやる!!」

紅太は、さっきのキーワードを思い出した。

 

仁王立ちになって、化け物をにらみつけ叫んだ。

「チェイング!!」

 

だが・・・。

 

「何も起こらないじゃないか!!」

怒鳴る紅太。ホリィも青ざめている。

「そんなはずは・・・。・・・!!・・・これって!?」

ホリィが怒鳴り返す。

「あなたの名前が書いてないじゃない!」

「名前!?」

「名前がないと、誰が変身するかわかんないでしょう!」

「そんなこと俺が・・・。」

「危ない!!」

その声と共に、柔らかい体が紅太にぶつかってくる。同時に頬に鋭い痛みが。

床を転げた紅太は、一瞬何が起こっているのか解らなかった。

 

彼の目前には、現実離れした怪物が立ち、その腕には幼馴染が抱えられている。

彼の頬は薄く切り裂かれ血が流れている。

彼女が飛び込んでくれなければ、そんな程度では済まなかっただろう。

 

怪物に捕らわれ、気を失っている少女の姿を見て、紅太の意識が飽和しかける。

「・・・こんな・・・こんなことってあるのかよ!?」

「しっかりしなさい!」

凛とした声が、呆けかけていた紅太の耳朶を打つ。紅太が視線を転じると、そこにはホリィが、その豊かな胸に、ノートを大事そうに抱きかかえている。

「あなたの名前を書き込んだわ!・・・今度は大丈夫なはずよ。」

「だ、だけどさ・・・。」

「迷っている暇は無いの。・・・巻き込んでしまって悪いとは思うけど、パワーを使い切ってしまった私には、あなたたちを助ける事は出来ない。・・・あなたが戦うしかないのよ!」

 

少年は、もう一度怪物を見る。少年は自分がその怪物に恐怖している事を自覚していた。

『・・・こんな化け物に・・・俺が太刀打ちできるのか??』

「あの子を救えるのはあなたしかいないの!お願い、もう一度叫んで、あの言葉を!!」

少年は、その言葉に覚悟を決めた。

「・・・あいつを、助けられるのなら・・・。・・・一か八か信じてみる!」

少年は怪物を睨み付けた。

「いくぞ!・・・チェイング!!」

その言葉と同時に、紅太の身体に変化が現れる、体の周囲を、何かが覆っていく感覚・・・そしてその変化と共に全身に激痛が走る。

「な・・・何だ!!!・・・か、体が・・・裂ける!?」

 

あまりの事態の変化に怪物までもが呆然としている。

だが、異世界の少女只一人だけが、新たなる勇者の誕生を確信していた。

 

次第に、痛みが退き、それと共に、体の奥底から、高揚感が駆け上っていく。

漆黒の身体に白い翼・・・。

紅太は、自然とポーズをとると叫んでいた。

「悪・烈!・・・ウイングマン!!」

だが、名乗ってからふと気づいた。

『・・・これじゃぁ、前のヤツと同じじゃないか。・・・なら、俺は!』

紅太は即興でさらにポーズを追加し叫ぶ。

「ノイエス!!」

 

新たなる翼の戦士「ウイングマン・ノイエス」の誕生の瞬間だった。


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