セミ〔2004年8月28日〕

 

仕事で外回りをしていると、セミの声が聞こえる。

パソコンのインストラクターは、屋内での仕事なので、こういう機会でもない限り、日中にセミの声を聞くことも稀だ。

 

セミは幼虫の状態で、7年間という長い時を地中で過ごす。そして、地上に出て羽化し、わずか1週間から10日ほどでその生命を終えるわけだ。

・・・まあ、いまさらいうほどの事でもなく、一般的に知られていることではある。

 

今年の夏、今まさに私の目の前で鳴いているこのアブラゼミは、卵から孵化したのは7年前なのだろう。

 

7年前といえば、私は20歳の夏だった。当時は、声優になるという夢を持ち、その夢に向かって努力し、また、その未来を不安と期待を持って過ごしていた。

成人し、子供ではいられない、かといって大人という実感もわかないまま、ただ、その時を過ごしていたように思う。

 

その時も、同じようにセミは鳴いていた。それは、今鳴いているセミの、親の世代だったのだろう。

 

そのセミが、生まれたのは、更に7年前。

 

さかのぼると、私は13歳ということになる。

この時代の自分が、一番生意気な時期だったように思う。

 

天才肌と言うか、秀才気取りと言うか。学校の成績も上位に・・・と言うかトップに近い位置にいた。

自分が、他人より上にいないと気がすまない性格だったし、人の悲しみよりも、自分の悲しみを優先させていた。

 

まさか、これからわずか一年もしないうちに、体調を崩し、成績も地に落ち、どん底の、地獄のような精神状態になるとは考えもしなかったはずだ。

 

7年という時の流れは、そういった意味では、自分を振り返る一つの節目ともいえるだろう。

 

私のような、他愛も無いような、ちゃらんぽらんな人生を送っている男にも、歴史がある。

それは、万人に共通しているし、全く同じ歴史を送っている人間は、誰一人としていないわけで・・・。

 

プライドだけが高く、そのくせ泣き虫だった少年は、どうしようもない精神状態におちいり、道を踏み外す度胸も無く、かといって未来には不安だけしか抱けない恐怖心だけの日々を送った。それは、なまじプライド高かっただけにその恐怖には果てが無かった。

 

だが、ありがたいことに、こんなどうしようもない私を励ましてくれる人達がいたお陰で、高校時代には立ち直り、将来に対して夢を持てるまでになった。

今でもそのとき、私を支えてくれた人達にはいくら感謝してもし足りない。

 

あれから14年。途中のそういった時期があったお陰で、人の優しさを素直に感謝できる自分、その優しさがどれほどありがたいことであるかを知っている自分、そして人に優しく出来る自分が、今ここに存在しているのだなと、しみじみと考えてしまう。

 

楽しいこともあり、辛い事もあったが、自然では、そんな一個人の歴史など意に介することも無く、緩やかに、だが決して停滞することなく時が流れていった。

 

毎年夏にはセミは鳴き続けている。

来年も鳴いている事だろう。

再来年もまた、鳴いているはずだ。

 

今年の夏のセミ。

その子供の世代が、地中より現れその鳴き声を響かせるのは7年後。

 

その時、私は34歳になっている。・・・生きていればだが。

今と同じ仕事をしているのだろうか?

家族は元気だろうか?

大切な人が側にいるだろうか?

 

青空に浮かぶ入道雲の下で、生命を燃やし鳴いているであろう7年後のセミを見て、私は一体、どんな感慨を抱くのだろうか。


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