第4話 呪いの人狼
ジョナサンは心に直接語りかけてくる声に戸惑いながらも、絶妙な身のこなしでウェアウルフの攻撃をかわし続ける。ムチによって絡め捕られてなお、その咆哮は衝撃波となって彼を襲う。
『・・・私は・・・、いまお前さんが戦っている怪物を創る材料とされたヴィンド・ヴォルフだ。』
「なんだって?!」
『私は、抽出された霊的因子が意識を留めている・・・いわば霊体のようなもの。・・・この怪物は、霊的因子を失った私の肉体が、人間と融合した姿なのだ。』
「・・・さっき、いけ好かないヤツが、研究成果とか言っていたな。・・・やはり暗黒神官の仕業か・・・。」
『・・・お願いだ、若き退魔士よ。この人間を救ってやって欲しいのだ。・・・この人間は、共に捕らえられた私を、最後の最後まで気遣ってくれた。・・・それに、この人間にはそれ以前から借りがあるのだ。』
ジョナサンは、次々と放たれる咆哮の衝撃波から逃れつつ問い返した。
「事情は何となく解ってきたが、・・・具体的にどうすれば救える?。」
『・・・わからん。』
「おいおい・・・。」
ジョナサンは苦笑を漏らした。見るとウェアウルフは咆え疲れてきたのか、唸り声を上げながらジョナサンを睨み付けている。
『・・・!・・・誰か来る?』
「ん?」
ジョナサンは、ヴィンド・ヴォルフの言葉に、周囲の気配を探った。
ほどなく、咆哮によって壁に穿たれた穴から、人影が姿を現した。
一瞬だけ警戒したものの、ジョナサンはすぐに警戒を解いた。現れたその人物はジョナサンへの敵意が無く、またその人物の鎧には見覚えのある紋章が光っていたからだ。
「・・・彩光退魔騎士団のものか?」
人物は肯くと手にした長剣を構えながらジョナサンの隣に並んだ。
「彩光退魔騎士、アニス・ジェスターだ。」
そう名乗った女性騎士アニスは、ウェアウルフを見据えながらジョナサンに問いかけた。
「人狼か?」
「ああ、そのようだな。」
アニスは横目でジョナサンをみて怪訝そうな表情を浮かべた。
「なぜグズグズしている?・・・その退魔の鞭、貴殿はベルモンドの一族ではないのか?」
「・・・まあね。」
「ならば何故躊躇う?・・・闇の眷属を屠るのが貴公の一族に課せられた使命であろうに。」
「そうしたいのはやまやまなのだが、・・・あのウェアウルフを救うように頼まれてね。」
苦笑するジョナサンに、アニスは呆れたような表情を向けた。
「・・・それは、貴殿の周囲に渦巻いている狼の思念体が依頼したのか。」
「ほう・・・流石は彩光退魔騎士。解るのか。」
ジョナサンは感心したように呟いた。
「当然だ。・・・しかし貴殿も酔狂な事だ。・・・あえて困難な道を選ぶとは・・・。」
「・・・望んで闇に落ちたわけじゃないのならば・・・救えるものなら救いたい。・・・そう思っているだけさ。」
アニスはジョナサンの表情の中に一瞬悲しみがよぎったのを見て視線を逸らせた。
「・・・しかし、どうしたものやら。・・・本当にどうにかできるものなのか?」
「騎士団で人狼退治をした記録には、倒し方の記述はあっても救ったと言う記述は無いな。」
『・・・本心から戦いを望んでいるわけではないはずなのだ。・・・おそらくは、何らかの方法で操られているはず・・・。それがわかりさえすれば・・・。』
「なかなか、つまらない事になってきたな。・・・素体に問題があったのか・・・それとも・・・。」
暗黒神官・ゼータは水晶球で対決が膠着状態に陥ったことに落胆していた。
「拒絶反応も無く、精神支配も完璧だったのだが・・・。やれやれ、ベルモンドの戦闘能力はやはり馬鹿に出来ぬな。」
ゼータは肩をすくめたが、次の瞬間血相を変えてその場に伏せた。
その上を鋭い切っ先が通過する。
素早く床を転がったゼータは間合いを取って斬撃の主と相対した。
「ほう・・・暗黒神官にしては素早い身のこなしだな。」
「貴様・・・!?」
ゼータはその男が、並みの敵ではないことを感じて戦慄した。
全身から滲み出る闘気と気圧されるほどの気品。そして何より、不気味なデスマスク。
突如として暗黒神官の前に出現した男は、顔を覆うデスマスクのうち、唯一露出した口元に微笑を浮かべると問いかけた。
「選ばせてやろう。・・・この場で私に殺されるか。・・・それとも、私が望むものを持っているならば、それと引き換えにこの場は見逃してやるが?」
ゼータは、引きつった顔で尋ねた。
「な、何を望むと言うのだ?」
「・・・貴様も神官の出で立ちをしているからには、魔力を回復できる秘薬を所持しているだろう。」
「魔力を?」
男は軽く肯くと口を開いた。
「そうだな、出来ればマナプリズムがいいんだが。」
男が口にしたのは消耗した魔力を回復させる事の出来る秘薬だった。
「・・・き、貴様にそれが必要か??・・・全身から溢れんばかりの魔力を感じるぞ!?」
男はフフッと笑った。
「質問は無しだ。あるのか、無いのか?」
「も・・・持ってはいるが・・・しかし・・・。」
「では、渡すのか渡さないのか?」
男は一歩ゼータに近づいた。
「わ、解った!!・・・渡す渡す。」
ゼータは懐を探って不思議な色合いの液体が詰まった小瓶を取り出し男に放り投げた。
男はその瓶が目的のものである事を確認すると肯いた。
「確かに本物だな。・・・貴様にもう用は無い。・・・失せろ。」
ゼータはその言葉を聴くと慌てて呪文を唱えこの場から転移して行った。
男は手の中で瓶を弄ぶと呟いた。
「あとは、儀式に必要な人間だが・・・。」
男は、未だジョナサンたちの様子を映し出している。
「どうやら・・・役者は足りているようだな。
男は何事かを呟くと、その身が空中に溶け込むように消えて行った。
「やれやれ、随分とのんびりとしているね、君たちは。」
気配も無く、空中から湧き出るように出現した仮面の男に、ジョナサンたちは驚愕した。
「そんなに警戒しなくていい。怪しいものじゃないから。」
「どこをどうとっても怪しいと思うが?」
アニスの言葉にジョナサンも肯いた。男は笑みを浮かべると、視線を移して、しばしジョナサンを見やった。
「な、何です?」
そう口にしたジョナサンも、男に不思議なものを感じていた。
・・・と、唐突にウェアウルフが咆哮を再開した。
それぞれが思い思いに身をかわしていくなか、男は二人に向かって提案した。
「どうだろう、この後、少しだけ私の手伝いをしていただけるなら、今のこの局面を円満に解決して差し上げるが?」
『解決・・・出来ると言うのか?』
ヴィンド・ヴォルフの問いかけに男はしっかりと肯いてみせた。
「自信があると言うなら解決してもらいたいものだ。・・・手伝う事が悪事でなければ協力させてもらうよ。」
男はジョナサンの言葉に満足そうに肯くと、アニスの答えを待った。
襲い来る衝撃波から身をかわしつつ、アニスも肯いて了承の意思を伝える。
「では、早速片をつけよう。・・・あのウェアウルフは、魔具によって精神を支配されている。その魔具を取り除いてやれば自我が回復するはずだ。」
「そのようなものがどこに?」
そう呟くジョナサンだったが、鞭で絡め捕られたウェアウルフの首に、長い体毛に隠れるように首輪が嵌っている事に気づき叫んだ。
「あの首輪か!」
「その通り!・・・これぐらいすぐに見抜いて欲しいものだけどね。」
男の言葉に、ジョナサンは苦笑した。
「まだまだ未熟者でね。」
「しかし、本当にそれだけで大丈夫なのか?」
不審げなアニスの言葉に男は笑ってみせた。
「慎重なお嬢さんだ。論よりも証拠。やってみればわかるよ。」
男は、そう言うと軽やかなステップで衝撃波をかわしつつウェアウルフに近づき、静かに何事かを呟くと右手を突きつけた。
その瞬間にウェアウルフは硬直して動きを止めた。
「あまり長い時間は動きを封じられないからね・・・。手早く頼むよ。」
「わかった。」
アニスがウェアウルフに近づいて首輪を外しにかかる。が・・・。
「痛っ・・・。」
首輪から電撃が走り、アニスの身体を弾き飛ばす。
「防御結界とは・・・周到な事だ。」
痛みに顔をしかめつつそう漏らすアニスに変わってジョナサンが進みでる。その手には、いつの間にか件の刀、村雨が握られている。
「・・・この剣ならば、あるいは結界ごと首輪を切り裂けるかもしれない。」
アニスは驚いた。
「馬鹿な!・・・首輪だけを切り裂くなど。・・・失敗すればこの人狼は・・・。」
「任せてくれ。・・・大丈夫だ。」
そう言い放つジョナサンに、仮面の男は笑みを浮かべて言った。
「たいした自信だね。・・・チャンスは一度だ。」
「解っている。」
静かにウェアウルフの眼前にまで歩み寄ったジョナサンは右下段に村雨を構える。
そして精神を統一させるかのように目を閉じた。
次の瞬間、素早く切り上げられた村雨の刀身は、薄紙を切り裂くかのように容易く、ウェアウルフの首から首輪だけを切り裂いていた。
ウェアウルフの目から狂気の色が消えていく。
同時に、その長毛に覆われた体が人間の姿へと戻っていく。
「・・・やれやれ、無事に・・・・ん??」
ジョナサンは、完全に人の姿へと戻ったウェアウルフを見てうろたえた。
しなやかな黒髪を肩まで伸ばしたその人物は、まだ若い娘だったのだ。
「・・・女性・・・だったのか?」
女性は数度瞬きをした後で、ゆっくりと前のめりに倒れていく。慌ててその身体を受け止めた。ゆっくりと床に寝かせて、改めて娘に怪我が無いことを確認したジョナサンは、娘が裸身である事を思い出し、やや顔を赤くしながら自らのマントを外してその身体にかけてやった。
『・・・感謝する。退魔士たちよ。』
ジョナサンは、語りかけてきたヴィンド・ヴォルフに尋ねた。
「・・・転生の輪に帰るのか気高き狼よ。」
『・・・いや、私の一部はこの人間と共にある。我もまた、この人間の側に留まり、護り続けたい。・・・この人間の命が尽きるそのときまで。』
「・・・この娘は、普通の人間には戻れないのか?」
アニスの問いかけには、仮面の男が答えた。
「通常、人狼には二通りの種類が存在する。一つは、生まれながらに人狼の古き血を受け継いだもの。もう一つは呪いによってその姿を変異させられたものだ。」
男は横たわる娘の額に手をかざした。
「・・・この娘の場合は、後者だ。しかも、その呪いは決して解けないだろう。」
その言葉にジョナサンが異論を挟んだ。
「待ってくれ。呪いによる変異であるならば、術者を殺し、その呪いの源となる魔物・あるいは魔族を倒す事ができれば、自ずと元に戻れるはず。」
「その通りだ。・・・今回の場合も、術者を始末する事は出来るだろう。・・・しかし、呪いの執行者たる魔族を滅ぼす事は出来ない。」
「何故?」
アニスは手にしたハンカチで娘の額に浮き出た汗をぬぐってやりながら尋ねた。
「・・・この呪いの主は、非常に強力な魔族だ。悠久の時を生きる存在。その強大な魔力は下位の神々さえ跪かせる。・・・何より我々人間の力では決して滅する事は出来ない。夜に祝福されし存在にして、闇の森の支配者。」
ジョナサンは、男の言葉からある魔物の存在を連想し戦慄した。背筋を冷たい汗が流れ落ちる。
「・・・まさか、・・・まさかそのものの名は、鮮血の魔王・・・。」
男は肯いた。
「そう、全てのヴァンパイアの上に君臨する、暗黒の王。」
仮面の男は溜息をつくと告げた。
「ドラキュラ伯爵だ。」