第2話 儀式の跡


逆さ十字。

普通の十字架を反転させたように、上の部分が下よりも長いこの十字架は、反キリストの象徴である。

 

主として、悪魔崇拝者が儀式を執り行う場合に用いられる。

 

その逆さ十字が設置された部屋は、規模としてはかなりの大きさの空間であるにも関わらず窓一つ無く、明かりも不気味な赤い蝋燭のみで薄暗い。

 

部屋の中央に設けられた台座の上には、薄衣を纏った一人の少女が横たえられている。

金髪の美しい少女だ。僅かに上下する胸から察するに、ただ眠っているだけのようだ。

 

その台座を囲むように数人の男たちが立っている。そのうちの一人が厳かに告げた。

「・・・術は完璧だ。我らの悲願も間もなく達せられよう。」

「主が倒されてより1年・・・。また、同志シャフトが肉体を失ってより1年・・・か。」

「同志シャフトは、すでに活動を再開しておる。・・・我らにとって肉体の在る無しなど些細なことだ。」

男達は一様に頷いた。

 

と、一箇所しかないこの部屋の扉が開いて一人の男が中に入ってきた。

「どうやら、屋敷に招かざる客が訪れたようだ。」

男は、台座に近づきながら、懐から水晶球を取り出した。

 

そこでは、リビングメイルと戦闘を繰り広げているジョナサンの姿が映し出されている。

「退魔士か・・・。先頃も領主の派遣した軍を全滅させたからな。領主が呼んだのかも知れんな。」

「・・・イオタが、悪ふざけでゾンビなど作るからこうなったのだ。」

「いや、どちらにしろ、騒動は大きくなりつつあった、潮時だったのは事実。」

「ベータ!貴様がそうやって甘やかすからあの男が増長するのだ!」

「そう言うな。・・・どちらにしろこの屋敷で成すべき事は終えたのだ。早々に引き上げるとしよう。」

男達は互いに頷きかわすと一人、また一人と部屋を後にした。

最後まで残ったのはベータと呼ばれた初老の男と、もう一人若く見える男だった。奇妙な仮面で顔の上半面を隠したその男に初老の男は問いかけた。

「どうしたゼータ?」

「・・・あの退魔士、ベルモンドの一党かと。」

「何?」

ベータは自分の水晶球を取り出すと呪文を詠唱した。その表面に像が浮かぶ。

「・・・なるほど、退魔の鞭を使う退魔士は多くないからな。・・・だがそれがどうした?」

若い男はニヤリと笑った。

「もし、あ奴がベルモンドの一党ならば、実験体の稼動試験にはちょうど良い相手かと。」

「・・・ふむ。」

初老の男はしばし考えた後頷いた。

「面白いやも知れんな。・・・よろしい許可しよう。」

「ありがとうございます、同志ベータ。」

若い男は、一礼すると部屋から出て行った。それを見送った後初老の男は、台座へと歩み寄った。

「・・・魔力の抽出が完了した以上、このまま放置しても、半日と経たずに死に至ろう。」

男は少女に一瞥をくれると、彼自身もこの屋敷より撤退すべく部屋を後にした。

 

後には、台座の上で眠り続ける少女だけが残されていた。

 

 

屋敷の入り口で戦うジョナサンは、自分の相手にしている敵が、怨念によって蘇ったアンデッド系の敵ではなく、付与魔術によって、偽りの生命を与えられたただの鎧であることを確信した。

「・・・動きが単調すぎるのさ。」

ジョナサンは、鞭を振るうと、二階部分の手すりへと巻き付けて跳躍した。

鎧はその動きに咄嗟に対処できずに一瞬動きを止めた。

「反応も悪い。十人並みの付与魔術師の作品だな。」

ジョナサンは、そう呟きながら、リビングメイルの頭上を飛び越え、振り向きざまに村雨を抜刀するとリビングメイルを垂直に切り裂いた。

 

村雨は淡い輝きを放ちながら、驚くべき切れ味を見せた。

鋼鉄の鎧を易々と両断したその鋭さには、さすがのジョナサンも感嘆した。

「・・・これは凄い!こいつは想像以上の掘り出し物だったかもしれないな。」

 

ジョナサンは、リビングメイルが、ただの鉄の塊と化したことを確認すると、ホールを見渡して、最も魔力が漂ってくる扉へと入っていった。

 


 

ゼータと呼ばれていた男は、この先の通路をジョナサンが歩いてくる気配を感じ取ると、不気味な笑みを浮かべた。

彼は、ゆっくりと振り返った。彼の視線の先、この広間の中央には、巨大な檻がすえつけられている。

「・・・そろそろ、おまえの出番だぞ。」

ゼータが、そう声をかけるとその檻の中から、獣のうなり声が聞こえてきた。

そのうなり声からは、苛立ちと、怒りが伝わってくる。

「そうだ、もっと猛り狂え!・・・その力でベルモンドの一党を血祭りに上げるのだ。」

 

ゼータは、呪文を唱えると檻の錠前を指差した。

カチリという音とともにその錠前が外れて床に転がった。同時に広間から、ゼータは忽然とその姿を消していた。

 


 

「・・・この向こうから、強い力の波動を感じる。」

ジョナサンは、右手にしっかりと村雨を握り締めながら、両開きの扉を蹴り開けた。

真っ暗な部屋の中から獣独特の臭気が漂ってくる。

常人よりも遥かに夜目の利くジョナサンが、部屋の中央に何か箱のようなものがあるのを認識したその瞬間、部屋中のシャンデリアが一気に点灯した。

 

「うっ!?」

急激な明るさの変化に顔をしかめたジョナサンが、再び前方を見据えると、箱型の物体が檻であり、その中にうずくまる人影がいる事に気付いた。

 

その途端に部屋中に男の声が響き渡った。

「ようこそ。ベルモンドの戦士よ!・・・我々は、君を歓迎する。」

ジョナサンは叫んだ。

「いけ好かないな。姿を見せたらどうだ!!」

男の声は、嘲笑の響きを伴いながら、あえてジョナサンの言葉を無視して見せた。」

「君には、実験台になってもらう。・・・私の研究の成果を試す為の・・・な。」

「研究だと?」

 

その時、檻の中の人影が微かに身じろぎすると、うなり声を上げた。ジョナサンは緊張して村雨を構える。

 

声は続けた。

「君もバンパイアハンターならば、聞いたことがあるのではないか?金色の狼の事を。」

ジョナサンは眉をひそめた。

「金色の・・・?それはヴィンド・ヴォルフのことか!」

部屋中に拍手の音が響く。

「ご名答。ヴィンド・ヴォルフ・・・風狼とも、黄金狼とも呼ばれる、特殊な魔力持ちの狼だ。通常の狼よりも大型で、遥かに優れた知能を持つ。そして・・・。」

「・・・吸血鬼を滅する能力を有する。」

ジョナサンは男の後を受けて答えた。

「そのとおり。君もベルモンドの一族ならば、その体に幾分かは始祖バンパイアの血が流れているはず。」

ジョナサンの額にはいつの間にか汗が浮かんでいた。幾分かどころか、彼自身ベルモンドである事に加えて、バンパイアハーフの父親を持つクォーターなのだ。

声はさらに続ける。

「私の研究は、異なる二種間の生物の融合。その傑作のひとつが君の目の前にいるのだ。」

 

その声に呼応するかのように、ひときわ大きな唸り声とともに、檻の中にいた人影が踊り出てきた。

金色の毛並みを持つウェアウルフ。それが人影の正体だった。

「さあ!戦いたまえ。・・・伝説のヴィンド・ヴォルフの力をもつこのウェアウルフと!!」

男の声が消えると同時に、ウェアウルフは遠吠えをした。その遠吠えそのものが、衝撃波となってジョナサンを襲う。

 

「くっ!!」

ジョナサンは咄嗟に身をかわす。衝撃波は、ジョナサンをかすめて、背後の扉周辺を広範囲にわたって破壊した。

「・・・こいつは、久々に骨のある敵だな。」

ジョナサンは、村雨を構えなおした。

 


 

台座の上で眠り続ける少女。・・・彼女以外、誰一人としていなくなったこの部屋に、一陣の風が吹いた。・・・そう、窓一つ無いこの部屋に、確かに風が吹いたのだ。

 

風がやむと、台座の傍らに、長身の男が現れていた。

長い金髪。透き通るような白い肌。

だが、何よりも目を引くのは、その仮面だろう。顔の実に上半分以上を占めるその仮面は、デスマスクの上半分を切り取ったかのような不気味なデザインをしている。

 

男は、少女の額に手をかざすと、ややあって呟いた。

「・・・ほぼ全ての魔力を抜き取られている。惨いものだな、これでは、もって後数時間・・・といったところか。」

男は、ゆっくりと祭壇の周囲を観察した。

儀式を行っていた者たちが、慌しく立ち去った為か、多くの祭器が残されたままだった。

「・・・フム。助けられるかもしれんな。」

男は、一度、少女の様子を窺ってから、再びその姿をかき消していった。

 


 

ウェアウルフの猛攻は、ジョナサンの予想を越えた凄まじさで、彼に反撃の機会を与えなかった。その鋭い爪は、ジョナサンの体を引き裂き。強靭な脚から繰り出される蹴りは、ジョナサンの体を容易に吹き飛ばした。

 

ジョナサンは、迫り来るウェアウルフの四肢が放つ攻撃と、咆哮が生み出す衝撃波から、ただ身をかわし続けるしかなかった。

「このままでは・・・。やむをえない、殺す為に闇の力を顕現させるか・・・。」

 

『待ってくれ!・・・殺さないでくれ!!』

 

突如、ジョナサンの脳裏に、声が響き渡った。

「なんだ!?」

その悲痛な声が響いた瞬間、ウェアウルフの動きがわずかに鈍った。

その隙を突いて、ジョナサンが繰り出した鞭の攻撃が、ウェアウルフの体に巻き、その動きを封じた。

ウェアウルフが、不快気なうなり声を上げる。

ジョナサンは声の主に心で問い掛けてみた。

 

「あんたは、・・・一体誰なんだ?」

『・・・私は・・・・。』

 

声が、再びジョナサンに語りかけてきた。


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