第6話 ドズルを継ぐものとして
荒い息をつきながら、私は手にした斧を一振りして、こびり付いた血糊を飛ばした。
周囲には、切り倒された戦士達が物言わぬ死体となって横たわっている。
「・・・義姉上。」
常人ならば、正視に耐えないような惨状を見ても、今の義姉には何の感傷もわかないらしい。愛しげに人形に頬を寄せる義姉は、既に正気を失っているのかもしれなかった。
「・・・。」
私は、溜息をつくと、踵を返した。
「・・・早く、北西の塔に向かわなければ・・・!?」
突如、何かが私の体にぶつかってきたかと思うと、鋭い痛みが左腕に走る。
「くっ!」
とっさに突き飛ばすと、その人影はたやすく床に転がった。鮮血が溢れ出す左腕を押さえながら、私は床に倒れた人影を凝視した。
「・・・義姉上。」
床の血溜まりを転がったせいだろう。顔といわず服といわず、赤黒い血によって斑模様に化粧されたその人物は、紛れもなく義姉だった・・・。
虚ろな瞳、だらしなく開かれた口元。かつて、淑女の鑑と称された、可憐にして、清楚な美人を、今の姿から見出すのは困難だろう。
ゆらりと立ち上がる義姉の左腕には、相変わらず人形がしっかりと抱きかかえられ、右腕には、いつのまにか鋭い短剣が握られていた。
そして・・・。
「ケェェェェェーーー!!!」
奇怪な叫びをあげながら、信じられないようなスピードで、義姉は私に踊りかかってきた。
「やめるんだ!!」
私の叫びは、その耳に届かないようだ。相変わらず、意味不明なうわごとを呟きながら、時折奇声を発しては、狂ったかのように短剣を繰り出してくる。
腕の痛みに耐えながら、何とか攻撃をかわすが、義姉は執拗に攻撃を繰り返してくる。しかも、義姉には武術の心得がなかったにもかかわらず、その攻撃は巧みで、徐々に私を追い詰める。
「・・・義姉上がこんなに戦えるはずはない。・・・もしや!」
私は、ある考えに思い至った。
「ロプト教団の・・・。おのれリュッセン!!・・・義姉上に何をしたのだ!!」
義姉は私の思いなど意に介した様子もなく、攻撃の手を休めようとしない。
先ほどの雑魚どもとの戦いによって、私の体力も消耗している。防戦一方では、いつかはやられる。
憑かれたかのように短剣を振るう義姉の姿から、私は半ばそう確信していた。
おそらくは、何らかの呪術的な処理をされた義姉は、人間よりも魔に近い存在へと変貌を遂げているのだ。
「・・・時間をかけるわけにはいかない!!」
私は、腹をくくった。
私は、亡き兄の后であったこの女性に対し、別に憎しみを抱いていたわけではない。むしろ、その境遇に同情さえしていた・・・。
義姉と初めて会ったのは、今からもう10年程前になる。
当時は、父であるダナンが、ドズル公国本領から、イザーク王国を直接統治するために移動した時期で、いろいろなことが忙しく行われた時期だった。
グランベル皇帝・アルヴィスは、王制から帝政への移行にあたり、自身の有力な手駒であるドズル家とフリージ家に対して領地の加増を行った。
ドズル家には王族が不在となったイザーク王国を。そして、フリージ家には、北トラキア地方を与えそこに新国家を誕生させるよう指示した。
皇帝は、一流の戦略家としても有名だった。この領地の加増も、一見すれば単なる功績のあった配下への恩賞と見えるかもしれない。
だがその実、新たな領地は両家とも本国から離れた飛び地であり、統治するにせよ、本国と連動し軍事行動を起こすにせよ、容易には行うことが出来ないように巧妙に仕組まれていた。
この為に、ダナンは本国からイザークを統治することをあきらめ、自らがイザークに赴き、本国を息子であるブリアンに委ねたのだ。
父は、あわただしくイザーク国王に即位すると、空位となったドズル公王の座に兄・ブリアンを据えるべく奔走した。
私とヨハルヴァの兄であるブリアンは当時29歳。
父が、若い頃に手をつけたある貴族の姫君に産ませた公子だった。やむなく父はその姫君と結婚したが、そのような結婚が長続きするはずもなく、わずか数年で公爵夫妻は破局を迎える。公妃の不自然な死という結末をもって・・・。
その後添いとして、父に嫁いだのが私たち兄弟の母親というわけだ。
不本意なことだが、ドズル家は、栄光ある十二聖戦士の子孫とはいえ、この数十年というものあまり評判はよくなかった。
それは、祖父・ランゴバルド、父・ダナンと、二代にわたって、ドズル家は女好きの粗野な領主によって率いられた、ならず者の国という印象を与えてしまったせいだろう。
残念なことに、兄にもこの性質は受け継がれていたらしく、十代の半ば頃から、醜聞の絶えない人だった。
手をつけた女官は数知れず、闇に葬り去られた庶子は一体どれぐらいの数になるのか・・・。
父は、兄が公王に即位することを機に、一切の問題を片付けてしまおうと考えたのだろう。正式に公妃を娶らせることにしたのだ。
そしてその白羽の矢が立ったのが、当時・父の派閥の有力な貴族の姫君だった、イルザベーテ姫だったのだ。
内気で、可憐なこの姫君は当時まだ15歳。・・・そう、私と一つしか年の離れていなかった。実際、初めて紹介された時など年下ではないかと思い込んだくらいだ。
新公王の即位と婚礼。全てが丸く収まれば問題は何も起こらないはずだった。
だが、公妃がいるにもかかわらず、兄の素行は変わることはなかった。
むしろ、公妃が大人しいのを良いことに、よりエスカレートしたような感さえあった。
さらに、公妃との結婚以降、兄には子供が誕生しなくなった。公妃との間はもちろん、他の女性との間にもだ。これでますます歯止めが利かなくなった兄を、もう誰も止めることは出来なかった・・・。
最初の赤子を流産してから子供が産めなくなった公妃の落胆振りは酷いものだった。
私は、庭園の片隅で一人涙する公妃の姿を何度も目撃している。
当然だろう、夫は自分を省みず、せめてもの慰めであろう子供すら彼女は永遠に得ることが出来なくなったのだ。
私はよくヨハルヴァと二人で公妃を誘っては遠乗りに繰り出したりして、少しでも彼女の心を軽くしようと努めたものだ。
不思議なことに、彼女と共にいる間は私とヨハルヴァは仲の良い兄弟でいることが出来たものだ。
私には、その時の、優しくも哀しい微笑を忘れることはないだろう。それは、おそらくヨハルヴァも同様だと思う。
今、目の前にいるイルザベーテ妃は、あの時の面影が欠片も残っていない。
私の心の中は、怒りと焦り、そして悲しみが複雑に絡み合っていた。
斬らなければならないことは、理解していた。・・・だが感情が納得できない。
だが・・・。
「すまない・・・義姉上・・・。」
私は、痛む左手で無理矢理勇者の斧を掴み、右手と共に両手でしっかりと構えた。
目の前の狂戦士に、かつての義姉の姿が重なる。
私は不覚にも熱いものが目の奥からあふれるのを止められなかった。一筋の涙が頬を伝って流れる。眼前に迫る義姉の瞳の中の私も、情けなく涙を流している。まるで鏡に映したかのように・・・。
その瞬間、義姉の瞳が揺らいだように見えた。そして・・・。
「な!?」
義姉は自らの胸に鋭い短剣を突き刺していた。
私は、その場に崩れ落ちた義姉に駆け寄りその身体を抱き起こした。
「しっかりするんだ義姉上!!」
姉の胸に突き立った短剣は、心臓を貫いている。・・・助からないのは誰の目にも明らかだった。・・・それでも私は何とか助けようと止血をし義姉を励まし続けた。
義姉は、憑き物が落ちたかのような顔で弱々しく微笑むと、か細い手を伸ばし、私の頬にそっと触れた。
「・・・もう・・・いいのですヨハン公子・・・。」
「義姉上・・・。」
「・・・あの男・・・リュッセンが私の前に現れたときから・・・私の死期は決まっていたのかもしれません・・・。あの呪縛から逃れるには・・・あなたを・・・これ以上傷つけ無い為には、こうするしか・・・。だから、もういいのです・・・。」
義姉は少し顔をしかめたが、すぐにまた笑みを浮かべた。
「馬鹿な・・・あきらめてはいけない!」
義姉は微笑を絶やさずに私の頬を撫でている。
「・・・いつも・・・いつもそうやって私を励ましてくれましたね。あなたは・・・。ヨハルヴァ公子と一緒に・・・。」
「義姉上・・・。」
「ねえ、ヨハン公子・・・。生まれ変わりってあると思いますか?」
「生まれ変わり?」
義姉は肯いた。
「もし・・・生まれ変われるなら・・・今度は・・・ほんと・・・に・・・・きな相手と・・・。」
義姉の声が徐々にかすれてくる。
「しっかり!!」
義姉はその瞳から涙を溢れさせていた。その唇が弱々しく開かれる。
「最後に・・・お願いを・・・聞いてくれますか?」
「・・・何なりと。」
私はそう言うしかなかった。
「・・・名前で・・・名前で呼んでください。・・・義姉・・・上・・では・・なく名前で・・・。」
私は肯いた。
「イルザベーテ。」
私は、耳元で力強くそう囁いた。
義姉は幸せそうに微笑むとゆっくりと瞳を閉じていった。微かに唇が動き、ありがとうという言葉を紡いだ後、義姉は息を引き取った。
私は、義姉の身体をゆっくりと横たえた。
「なんだ・・・やはり失敗ですか。」
私は、ゆらりと立ち上がると、声の主を振り返った。そこには、あの血色の悪い使用人がにやけた笑いを浮かべ立っていた。
「・・・満身創痍ですなぁヨハン公子。・・・リュッセン様の手を煩わせるまでも無い。・・・ここで私が・・・グェ!?」
私は最後まで言わせずに斧を一閃させた。左鎖骨から袈裟懸けに切り裂くと、おびただしい鮮血を噴出しながら男がよろめいた。
「・・・な?・・・そんな。」
次の一閃で首を吹き飛ばす。
私は、ここしばらく抱くことの無かった負の感情に心を支配されていた。すなわち怒りと憎悪である。
一度だけ義姉を振り返り黙祷を捧げると、私は無人と化した館を駆け抜けていった。
ドズル城・北西の塔。この城でも、最も古い建造物の一つであるこの塔の螺旋階段を、私は無言で登っていった。一歩一歩踏みしめるたびに、沸き起こってくる負の感情を押し殺しながら登る。
やがて、突き当りのドアの前に私は立っていた。
両開きの扉を押し開け中へと入る。
幾つもの燭台によって明るく照らされた室内。その一番奥で、リュッセンは待ち構えていた。
「ようこそ、至福の祭壇へ。あなたならきっとたどり着けると信じておりましたよ。」
「・・・リュッセン。」
「時に前公妃はいかがなさいました?・・・フム、愚問でしたな。」
「・・・留置せずに、即座に処刑しておくべきだったと後悔しているよ。そうすれば義姉上は死なずにすんだかもしれん。」
私は、そう言ってから、逆に問い返した。
「・・・いつからだ。」
「はい?」
とぼけるリュッセンに私は叩き付けるように詰問した。
「いつからロプトの走狗となったのだ。」
走狗という言葉に一瞬顔をゆがめたリュッセンだが、すぐにもとのニヤケ顔に戻ると、得意げに話し始めた。
「初めからですよ。・・・公子。あなたはご存じないでしょうが、ロプトの根は深く、そして広くこの王国に根ざしていたのです。表向きは聖戦士どもの王国に従うフリを貫きながらね。・・・いずれ訪れる『約束されし刻』を待ち続けていたのですよ。・・・数百年にわたってね。」
「・・・まさか、聖戦士の御世からの臣の中にロプトの一味がいたとはな・・・。」
リュッセンは、腰の大剣を引き抜いた。私も勇者の斧を構える。私は叫んだ。
「ラドネイはどこだ!・・・彼女は無事なのだろうな。」
リュッセンは唇の端を吊り上げて笑った。
「無事ですとも。・・・さあ、こちらへおいで。」
リュッセンの声に、それまで部屋の隅で微動だにしなかった影が動いた。私は完全に虚を突かれていた。まさかそこに人がいるとは思ってもみなかったのだ。
燭代の明かりに照らされながら、ゆっくりとリュッセンに歩み寄ったのは、間違いなくラドネイだった。漆黒のドレスをまとったラドネイは、意識を操られているのか、まるで人形のようだ。
「どうですか。・・・美しいでしょう?」
そう尋ねるリュッセンに私は口を開いた。
「美しいだと?」
「そうですとも!・・・この娘はなかなかに強情かつ気性が激しく、私の手駒を何人も斬り倒してくれましてね。仕方ないので魔法で意識を操作させていただいたという訳です。」
私は、得意そうに話すリュッセンに尋ねた。
「お前は、このような状態の彼女を見て美しいと思うのか。」
「無論です。この無抵抗な姿を御覧なさい。完全なる従順。沈黙の美。これぞ花の美しさではありませんか。」
陶酔するかのようにそう語るリュッセンを、私は笑い飛ばした。
「何が可笑しい!!」
私は持っていた斧をリュッセンに向けながら叫んだ。
「貴様は花が・・・植物が本当に無抵抗で従順だと思っているのか?だとしたらお前は救いようの無い愚か者だ!!」
「何だと!?」
こめかみに青筋を浮かべ激昂するリュッセンに私はさらに言葉をぶつける。
「確かに、花壇で育てた花や、摘み取ってきた花は無抵抗かも知れぬ。・・・だが、自然に咲く花を見てみるがいい。どのような不毛の地にもしっかりと根を張り、葉を広げ、花を咲かせる。その本質は生命力に溢れた、逆境にも耐える力だ!!だからこそその苦難を越えて咲く花が美しいのだ!!」
「ぬ・・・。」
「花の持つ一面しか見えず、その本質を見抜けぬ程度の男だから、邪教に身を染めるしかなかったのだな。・・・つくづく哀れな奴め!!」
「き、貴様っ!!」
「かかって来い。光栄に思うのだな。私自らその首叩き落してやろう。これまでの罪の報いを受けさせてやる。」
「その減らず口を、すぐにでも封じてくれよう!!」
私は飛び掛ってきたリュッセンの剣を斧で受け止めた。
「一人で攻撃か?小物の貴様にしては珍しくたいした自信だな。」
「ほざくな、そのようなボロボロの姿で偉そうに!・・・死にぞこ無い一人片付けることなど容易いわ!!」
リュッセンは、そう叫ぶと連撃を繰り出してきた。その攻撃は全て受け止めたものの、最前、義姉に刺された左腕から、再び出血してきたようだ。
リュッセンの顔が得意げになる。私は少しよろけていた。
「クックク。どうやら傷口が開いたようですぞ公子?・・・終わりの時は近いですな。」
私は、静かに答えた。
「そうだな・・・。」
リュッセンは不気味な笑みを浮かべながら、大きく剣を振りかぶった。
「死ね!」
「貴様がな!!」
私は勇者の斧をリュッセンに投げつけた。とっさに剣でその斧を払ったリュッセンの眼前に、隠し持っていた短剣を構えた私が肉薄する。
「な!?」
私が突き出した短剣は、狙い違わずリュッセンの喉を貫いていた。
空気が漏れるような音を喉から発しながらリュッセンが倒れる。
「・・・愚かなやつだ。」
私は、そう呟くと止めを刺すためにリュッセンに近づく。首を切断すべく斧を振り上げたまさにその時。
「!!」
私は、強烈な殺気を感じ取って、その場を飛びのいた。
「あれは!?」
私はわが目を疑った。寸前まで私が立っていた場所では、空間が歪み、巨大な斧を持った手が出現していたのだ。
歪みは徐々に大きくなり、そこから巨大な体躯を鎧に包んだ男が出現していた。
禍々しい意匠の鎧によって、完全にその身体を覆い隠した男。男は完全に顔を覆った兜のわずかな隙間から息を噴出した。・・・いや、呼吸と言うよりは体内に溢れる瘴気を吐き出したのかもしれない。
巨大な戦斧を携えたその戦士は、私に一瞥をくれると、無様に倒れて事切れているリュッセンの死体を担いだ。
「ま・・・まて!!」
今の状態のままで、このままこの戦士と戦えば負けるのは目に見えていた。それほどまでに、目の前の戦士から発せられる邪気は凄まじいものだ。
戦士は、私の心の中を見透かすかのように嗤った。
「・・・慌てるな。ヨハンよ。・・・貴様をここで倒すのは容易い。・・・だが、今はまだその時ではない。・・・どうしてもやりたいと言うなら別だがな。」
「・・・。」
私が無言でいると、戦士は不気味な鎧を揺らして嗤うと、完全にリュッセンの死体を担ぎ上げ踵を返した。同時に再び空間が歪み始める。
戦士は軽く私を一瞥すると言葉を投げつけてきた。
「・・・ずいぶんと逞しくなった様だが、まだ不足だな。もっと強くなるがいい。その時こそ私がその首を刈り取ってくれる。・・・フッフッフ。」
不気味な笑い声を残し、戦士は消えていった。
私は塔を後にして、城の中庭を歩いていた。ボロボロになり、使い物にならなくなった鎧は脱ぎ捨ててきた。腕には気を失っているラドネイを抱きかかえている。
しばらく歩くと、ラドネイが微かに身をよじった。私は、歩みを止めると、静かにラドネイの名を呼んでみた。
何度か、呼びかけているうちにラドネイはゆっくりと瞼を開いた。
「・・・ヨハ・・ン?」
「気がついたか?」
「私は・・・一体?」
まだ意識が混乱しているのか、しきりに頭を振っている。そして唐突に私に問いかけてきた。
「そういえばあの男はどうした!あの逃走中だった貴族は!!」
私は、微笑むと答えた。
「心配はいらない。先ほど決着をつけてきた。・・・今頃は地獄の門を叩いている最中だろう。」
「・・・成敗・・・したのか?」
私は肯いた。
「そうか・・・不覚をとってしまった。・・・本来ならこの手で始末したかったものを。」
と、そこまで言ってから、ようやく自分が私に抱き上げられていることに気づいたようだ。
「な・・・何をしている、下ろせ!・・・自分で歩ける!!」
顔を真っ赤にしながら叫ぶように言うラドネイに苦笑を返すとゆっくりと彼女を下ろし立たせてやった。
「まったく・・・不覚だ。・・・このような男に二度も抱き・・・・。」
ラドネイはそこまで言ってからはっとして口をつぐんだ。
「二度?」
「う、うるさい!」
私の疑問を大声をあげてさえぎると、ラドネイは指を突きつけてきた。
「た、助けてもらったことは礼を言う。・・・だが、まだ貴様の命を狙うことを止めた訳じゃないからな!・・・ボロボロのようだから今日は勘弁してやるが、必ずその澄ました顔を無様に歪ませてやるからな!!」
そう言って私に背を向けるとさっさと歩き始める。
私は、苦笑しながらその後を歩き始めた。
操られている時のラドネイは確かに美しかった。・・・だが、やはり今目の前で自分の感情を素直に表し、憎まれ口を叩いてくるラドネイが一番美しいと思う。
そこには、作られた人工の美しさではなく、自然な美しさがある・・・そう思うのだ。
そして、そう思えることを私は大事にしたいと思う。それこそが人間らしい感情だと私は信じたいから・・・。
前方から、騒ぎを聞きつけてクローヴィスたちが走りよってくる。私は彼に向かって軽く手を振ると、どのようにして今夜の出来事を説明しようかと考え始めていた。
それから数日経った。
リュッセン伯が巻き起こした事件は、その全てに一応の幕を下ろすことができた。
結局の所、彼の城に集結していた配下の騎士達も、リュッセンの死を聞くと大人しく投降した。彼らの処分は追って沙汰せねばならないが、とりあえずは各自を謹慎という形で自宅において待機させている。
トールトンに命じて探らせていた遺跡には、結局誰も現れなかった。この点については、私達は、完全にしてやられた形となった。
とはいえ、実害と言えるものは無かったわけだし、兵力が消耗しなかっただけでもよしとするべきなのだろう。
前公妃・イルザベーテの館で起こった事件については、リュッセン伯が魔法によって引き起こした事件であったとされ、その全ての責をリュッセンに帰することが出来た。・・・まあ、私自身がその事件に遭遇した当事者の一人であるので、皆も文句のつけようがなかったわけだが。
イルザベーテ妃も、リュッセンによって殺害されたことになった。無論、リュッセンという重罪人を匿っていた容疑があるわけだが、これもリュッセンに脅されたためやむなく匿ったということになるだろう。義姉はあくまで犠牲者なのだから当然といえば当然ではあるが・・・。
ちなみに、今回の事件で私が単独で動いたことについて、クローヴィスからしつこく怒られた。・・・あの事件の当日など、顔をあわせるたびに小言を言われたものだ。さすがに数日経ったので小言の割合が一日に一回程度と減ってきているのが救いだ。
そして・・・。
会議室には、ドズル公国の中でも私の腹心とでもいうべき臣たちが集まっていた。
その中にはクローヴィス、トールトン、それにルイージ伯の姿も当然ある。
「では、明後日正午を持って、アグストリア解放軍への援軍を派遣する。・・・指揮は、私自らが執る。派遣する軍勢は、グレートナイト、アクスナイトからなる400騎、及びウォーリア、アクスファイターからなる300名の編成とする。また、各部隊は100騎単位で部隊を構成し、それを7名の将軍が統括する。」
私の言葉を、会議に参加している武官、文官は姿勢を正して聞いている。
「なお、アクスナイト部隊のうちの100騎は、私の直属部隊とする。残る将軍は、ジェレイント卿!」
「はっ!」
「ハワード卿!」
「ははっ!」
「トールトン卿!」
「はっ!」
「以上三名が統括せよ。続いてアクスファイター部隊は、イルヴァン卿!」
「はっ!」
「スレンダー卿!」
「はっ!」
「ドアン卿!」
「はっ!」
「以上の三名に任せる。・・・各自、出発の準備を整え、万全の態勢で明後日に望むように。」
武官たちが一斉に敬礼する。私は軽く肯くと言葉を継いだ。
「次に、私が不在の間の公国の内政についてだが、ルイージ伯爵と、クローヴィス伯爵を中心に、各文官、及び国残留の武官が一致団結して望んでもらいたい。ルイージ伯とクローヴィス伯には、それぞれ『紋章の略冠』と『刻印の指揮鞭』を預ける。」
この私の宣言に、会議室内は少々ざわついた。
ドズルの紋章が刻まれたこの二つの宝物は、それぞれ『公国内政の代行者』と『公国軍事の代行者』として、公王不在時に、一切の権限が与えられるのだ。
私は、それだけこの二人を信頼していた。それは、この会議室の様子を見て、さらに強く確信できた。参加者は驚きはしたものの、誰も異を唱えようとしたり、嫌な顔をするものがいなかったからだ。
バーハラ解放後のドズル国内で、順調に新たな秩序が組み立てられてきた証拠といえるだろう。
会議は、その後二、三の事柄を決定してから終わった。
会議終了後の室内には、クローヴィスと私が残っていた。
「いよいよ・・・アグストリア遠征ですね。」
「ああ。」
「・・・本当に私が付いていかずとも良いのですか?」
心配そうな表情を浮かべるクローヴィスを見て、私は苦笑した。
「おいおい、いまさらそれはないだろう。言ったはずだ、君がドズルに残ってくれていると思うからこそ、私は全力で戦えるのだから。」
「しかし・・・。・・・・ふう。解りました。公子は、一度言い出したら聞かないお方ですから。」
そう言って、クローヴィスも苦笑した。私は、クローヴィスを手招きするとベランダへと出た。雲ひとつない快晴だ。私は微笑みながら口を開いた。
「・・・そういえば、義姉上の葬儀だが、見事に執り行ってくれたな。感謝する。」
「いえ。・・・勤めを果たしただけです。」
しばし無言でベランダからの風景を眺めていたが、再びクローヴィスが口を開いた。
「ご無礼を承知で、お聞きしますが、公子はイルザベーテ妃のことをどう思われていたのですか?」
この問に、正直私は面食らった。
「・・・別に。なにしろ兄上の奥方だったわけだし。・・・まあ、嫌いではなかったよ。・・・どちらかというと好意的だったと思う。」
クローヴィスは軽く肯くと話し始めた。
「これは・・・あくまで私の推測です。そのつもりでお聞きください。これまでの噂、それに公子から伺ったイルザベーテ妃の最後のご様子から察すると、イルザベーテ妃は本当は公子のことを・・・。」
私は軽く手をあげて、その言葉をさえぎった。
「・・・今となっては詮無きことだよ。・・・それに、たとえそうだったのだとしても、私にはあの人に応えてあげることは出来なかっただろうから・・・。」
「・・・出すぎたまねをいたしました。お許しください。」
律儀に頭を下げるクローヴィスに微笑みかけると、私は彼を伴って会議室を後にした。
その夜、深夜まで書類に目を通しているとノックの音がした。
「どうぞ。」
私が入室を促すと、ドアをあけてラドネイが入ってきた。珍しいことに今夜は剣を帯びていないようだ。
「どうした?今夜は切りかかってこないのか?」
ラドネイは、少し頬を膨らませながらそっぽを向いた。
「・・・スカサハ殿下からのご命令で、今日で貴様の護衛の任を終えることとなった。」
「そうか。」
「それだけだ・・・。」
ラドネイはそう言うと踵を返した。
「待ってくれ。」
私の声に、ノブにかかった手が止まる。
「ひとつだけ教えてくれないか。」
「・・・何だ。」
ラドネイが振り返った。私は立ち上がるとラドネイに歩み寄った。
「・・・まだ、私を君の友人の仇だと思っているか?」
ラドネイは、じっと私の顔を見ていたが、やがて溜息をつくと口を開いた。
「・・・以前は間違いないと思っていた。・・・だが今は迷っている。・・・少なくともしばらく見てきた限りではそんな風には見えなかったからな。」
ラドネイはそう言って一瞬顔を曇らせた、だが、その後はいつものような挑戦的な表情に戻った。
「・・・以前貴様が言っていたように、遠征中に命を狙うことはやめといてやろう。だが、アグストリアの地に平和が戻った暁には・・・。」
ラドネイはまっすぐに伸ばした指を私に突きつけた。
「必ず貴様を打ち倒してやる!!」
そう言い残すと素早くドアをあけて、美しい女剣士は立ち去っていった。
私は、肩をすくめると大きく伸びをした。
まあ、問答無用で斬りつけられることは、今後少なくなるだろう。それだけでもたいした進歩じゃないか。
と、ドアが急に開いた、私が身構えるとラドネイが隙間から顔を出した。
「??」
私が、驚いた顔をしていると、
「・・・助けてくれて、ありがとう。」
そう言うとすぐにまたドアが閉められていた。
私はポカンとした、おそらくは他人から見れば間抜けな表情をしていたことだろう。
首をかしげながら机に戻ることにした。
『・・・本当に、自分が好きな人以外からの想いには鈍感な方ですね。・・・ヨハン。』
ふと、誰かに名前を呼ばれたような気がした。
私は、二、三度頭を振ると、窓を開けて空を見上げた。
ユグドラル大陸には、間もなく初夏が訪れる。夏に向かっての遠征は、大変になるだろうと、漠然と考えながら頭上を見上げた。
私は、目を閉じると、頭上の星々に、そしてその彼方にいるであろう聖戦士ネールに祈りを捧げた。
「・・・偉大なる聖戦士ネールよ。・・・かの地に住まう者達の為、戦いに赴かんとする我等の頭上に祝福を。邪悪を払い、光を導く力を我等に賜りますように・・・。」
祈りは届いたのだろうか?
頭上で瞬く星々は、あくまで優しい光を投げかけてくるだけだった・・・。