第5話 虚ろな刻を重ねて
「・・・一体いつまで待てばよいのです!!」
耳に障る、かん高い声だ。・・・どこかで聞き覚えがある。
「貴公をかくまっているのは、何故なのかを忘れたわけでは無いでしょうね!!」
誰だったのだろう?
「もうしばらくお待ちください。・・・間もなく、間もなく準備が整います。さすれば・・・。」
??・・・おや、この声は。
私は、そこで目が覚めた。
「・・・奇妙な夢だったな。・・・あの男はリュッセンだった。・・・もう一人は・・・。」
私は、軽く頭を振って、奇妙な夢を忘れようとした。
「・・・まさかな。」
私は苦笑を浮かべようとしたが、ふと直感めいたものが閃いていた。
「ありえない話ではないかもしれん・・・。」
しばし考え込んだ後、私は素早く着替え始めた。
イザークから帰国した私は、予定されていた予算会議を無事に終えた後、一緒に戻ってきたスカサハたち、そして留守を預かってもらっていたクローヴィスらと、今後の方針についての細かな打ち合わせを行った。
「滞っていた懸案は、ほぼ片付いた。・・・残る問題は一つだな。」
みな一様に肯いた。
「公子が居られなかった間に、何か仕掛けてくるかとも思ったのですが・・・。リュッセンの所領においても何の動きもありませんでした。」
「・・・リュッセン卿は、既にドズルを離れたとは考えられないか?」
スカサハの言葉にクローヴィスは首を横に振った。
「可能性はありますが、逆に何かを仕掛けようと本国に潜伏している公算のほうが強いですね。」
私は、皆が考え込んで黙り込むのを見計らってから口を開いた。
「・・・イルザベーテ前公妃の館は調査したか。」
私の言葉に座がざわめいた。ややあって、クローヴィスがいささか意表を突かれたような口調で話し始めた。
「ブリアン公の私邸は、確かに調査していませんが・・・、まさかイルザベーテ前公妃がリュッセンを匿っていると?」
「・・・その可能性もあるのではないか・・・と、思いついたのだ。」
「・・・恐れながら、イルザベーテ様は、およそそういった類の謀略とは無縁のお方かと。」
別の臣がそう言ってきた。
亡き兄の奥方であるイルザベーテ前公妃は、確かに世事に疎く、陰謀事が似合う人ではない。・・・だが。
「だれか、グランベル解放後にイルザベーテ前公妃の姿を見たものはいるか?」
臣下の者たちはざわつきながら言葉を交し合っている。
「そういえば、ここしばらくお姿を拝見しておりませんな。」
「確か、病に臥せっていると聞き及んでおりますが。」
私は肯いた。
「そうらしいな。・・・では、館に医師が入っていくのを見たものは?」
みな一様に首をかしげている。
私はクローヴィスに語りかけた。
「早急に、前公妃の館を調査してくれ。・・・なにやら嫌な予感がするのだ。」
「かしこまりました。」
私は、自室に戻ってからも、落ち着き無く部屋中を歩き回っていた。
「・・・時間を与えすぎたかもしれない。」
そんなことを呟いていると、ドアをノックする音が聞こえてきた。入室してきたのは、クローヴィスの側近だった。私は、何かが起こったことを直感した。
「何かあったのだな?」
側近は肯いた。
「はい。前公妃は我々が調査をすることを拒否なさり、ヨハン公子を連れてこいとの一点張りです。我々としても、強硬に調査を敢行するわけにも行かず・・・。」
「分かった。直接私が赴く。」
私はマントを羽織ると、部屋を後にした。足早に歩く私のすぐ後ろにトールトンが続く。
「・・・公妃様は、誰にもお会いになられません。お引取り下さい。」
「残念ながら、これも公務ゆえ調査に協力して頂きたい。」
クローヴィスが根気よく説得しているが、全く取りつくシマがない様子だ。
クローヴィスはどうしようかと思案しながら振り返った際に私の姿を認めたようだ。
「公子!」
私は肯くとクローヴィスに話し掛けた。
「調査が入るのを拒否しているそうだな。」
「はい・・・、調査云々以前に、公子を挨拶にこさせろと・・・。」
私は、閉ざされたドアに向かって声を張り上げた。
「ヨハンだ!扉を開けていただこう!!」
しかし、今度はいくら待っても返事が返ってこない。
「強行突入いたしましょうか?」
静かながらも確固たる意思を込めた声でそう言いながら、トールトンは腰に下げた小型の戦斧を外すと構えた。
「・・・いや、一度引き上げよう。」
私はそう言うとさっさと踵を返した。
釈然としない表情で多くのものが私に続く中、クローヴィスとトールトンの二人だけは、私の成そうとしていることを感じ取ったようだ。
城に戻ると、私はクローヴィスとトールトン、そして丁度城を訪れていたルイージ伯を伴って会議室にこもった。
「・・・しかし、イルザベーテ様が・・・。」
ルイージ伯はその髭をなでつつ嘆息した。
「先ほどのかたくななまでの査察の拒否。・・・間違いなく何かがある。今のドズルにおいてそこまでして隠さねばならぬモノとなれば、そう多くは無い。」
私のその言葉を受けてクローヴィスが肯いた。
「リュッセンを匿っている可能性は十分にありうるでしょうね。確かに、前公妃の館は完全に盲点でしたから。・・・しかし、リュッセンとイルザベーテ前公妃との接点が見えないのですが。」
「そうでもありませんぞ?」
ルイージ伯の言葉にみなの視線が彼の下に集まる。
「イルザベーテ様の父、オリアノ伯は、リュッセン伯とは仕官学校時代からの親友だ。オリアノ伯が早逝した後に、陰ながら前公妃の兄であるボツマス卿を援助したのがリュッセン伯だった。」
私は溜息をついた。
「初耳だな。」
ルイージ伯は苦笑した。
「・・・無理もありますまい。宮廷でも一握りの人間しか知らぬでしょうからな。」
私も苦笑を返しながら肯いた。
「・・・ともあれ、これで、リュッセンと前公妃とが繋がった訳だ。・・・だが、恩義があるというだけで重罪人をかくまうものかな?」
「公子、実は私もその点が一番腑に落ちないところなのです。イルザベーテ妃は生来病弱で、儚いという形容がもっとも当てはまるご婦人でした。」
「私も同感だよ。」
私だけでなくルイージ伯も、トールトンも肯いている。
「・・・一切人に会わぬということは・・・逆を返せばイルザベーテ妃は既に亡き者にされているとは考えられないでしょうか。」
「・・・それならば、まだ良いのだが。」
「は?」
「・・・いや、良い訳ではないが、最悪、もっと陰惨なことになるかもしれない・・・と、思ってね。」
わたしの言葉の意味がわかったのはクローヴィスだけだったようだ。若干青ざめた顔をしている。
「だが、何はともあれ査察はせねばならない。・・・が、強硬手段に訴えるのは最後だ。」
「となると、証拠となるようなものをつかんで、有無を言わせぬ様な状況を作り上げる必要がありますね。」
「有無を言わせぬような状況・・・か。」
私は、腕を組んで考え込んだ。
もともと豪快という国柄のドズル公国では、密偵のような組織はあまり重要視されなかった。
そのせいか、盗賊を雇ったり、大戦中はロプト教団の連中を使ったりしていたようだ。
無論、ロプト色が一掃され、法の下に秩序が構築されつつある現在、前述のような方法はとりようが無いわけで、我々としては手詰まりといっても過言ではない状況だ。
・・・本当にそうだろうか。
「・・・もしも、リュッセンがイルザベーテ妃の館にいるとしたら、・・・奴は一体何を企んでいるのだろうな。」
私の言葉に、皆も顔をあげた。
「本来ならば先の会議でスカサハ殿下がおっしゃったように、ドズルを脱出し、ロプトの残党あたりと結託する方が、リスクは少ないはずです。・・・それをあえて危険を冒してまでこのドズルの城下町に潜んでいる・・・。」
クローヴィスは、顎に手を当てて何事か考えをめぐらせ始めたようだ。
「・・・どちらにせよ、彼奴の所領で何事かの動きがあるかもしれませんな。」
トールトンの言葉に私は肯いた。
「それが陽動にせよ、何にせよ、警戒を怠るわけにはいけないとは思うね。」
そこまで言って、私はふと頭にある考えが浮かんだ。
「ルイージ伯爵。このドズルにおいてロプト教団が、何らかの行動を起こしそうな場所について心当たりは無いだろうか?」
私の突然の問いに、ルイージ伯はいささか驚いたようだが、表情を引き締めると口を開いた。
「ロプト教にゆかりのあるような場所・・・ということですか?」
「ああ。何でもいい。このドズル城周辺、あるいはリュッセンの所領付近・・・おそらくは、そこに何かがあるような気がするのだ。」
ルイージ伯は肯くと立ち上がった。
「分かりました。至急、書物庫に戻り調査いたしましょう。」
「頼む。」
ルイージ伯は一礼すると会議室を後にした。
「トールトン、君は自分の部隊に戻り、ルイージ伯から目ぼしい場所が判明したとの連絡がありしだい、すぐにでも駆けつけられるよう準備をしておいてくれ。」
「・・・御意。・・・ですが、私の部隊は本領に残してきております。急ぎ帰還し折り返したとしても3日はかかるかと。」
「場合が場合だ、宮廷司祭殿に話を通すので転送の魔法を使うといい。これならば一日半ほどで戻ってこれるだろう。」
「了解いたしました。」
「では、司祭殿のもとに向かおう。クローヴィス、君も一緒に来てくれ。」
「は。」
クローヴィスは考えを一時中断すると私の後について歩き始めた。窓の外ではいつしか星が輝き始めていた。
三人で宮廷司祭の下に押しかけると、老齢の司祭は早々に就寝しようとしていたところだった。
だが、我々が用向きを話すと、急に目を輝かせ、長距離の転移魔法の使用を承諾してくれた。
「ホッホッホ。年甲斐も無くワクワクしますな。」
そういって笑う司祭をみて、私は彼もまたドズルの男だと感じた。・・・若い頃は戦士だったのかもしれない。
トールトンを見送った後、私たちは再び、会議室に戻った。
「・・・いささか、時間を与えすぎたかもしれんな。」
私は、先ほど独り言で言ったことと同じような内容を呟いた。
「公子は、イルザベーテ妃が、このドズル公国の権力の座を狙っているとお考えなのですか?」
「・・・その可能性もあると思っている。」
私が真顔でそう答えると、クローヴィスはますます困惑したような表情を浮かべた。
「そうでしょうか?・・・確かに状況的には、イルザベーテ妃がリュッセンを匿っているように思われますが、単に彼に利用されているだけとは考えられないでしょうか。」
「利用はされているだろう。それは間違いない。」
「では・・・。」
「ただし、むりやりに従わせられているならばまだ良いが、・・・問題なのは自発的に彼女自身がリュッセンに協力している場合だ。」
「・・・自発的に!?・・・しかし、リュッセンに組して益するところとは・・・。」
私は、黙ってクローヴィスが答えを導き出す様子を眺めていた。
「・・・普通に考えては分かりませんね。帝国が崩壊し、グランベル王国が再建されようとしている今、あえて危険を冒す必要は無さそうなものですが・・・。」
そこまで言ってから、クローヴィスは、何かに気づいたのか、顔をあげた。
「まさか・・・!?」
私は肯いた。
「そうなんだ。私もそれを危惧しているんだ。」
翌日の早朝、私はルイージ伯が調査をしている書物庫へと足を踏み入れていた。
大量の書物を机の上に並べながら、何人かの文官が、一心不乱に書物を調べている。
ルイージ伯は、私の姿に気づくと、数冊の本を小脇に抱えたまま駆け寄ってきた。
「ヨハン殿下、いくつか目ぼしい場所を絞り込むことが出来ましたぞ。」
私は、驚いた。
「まだ途中ではないのか?」
私はそう言って、背後で作業している文官たちを見やった。
「いえいえ。あちらは別件です。あちらの書物は、ここ数年間の公国の財政についての調べものです。クローヴィス卿から頼まれておりまして。」
ルイージ伯はいささか疲労の色が見える顔で微笑むと、抱えていた書物を開き始めた。
「可能性がある場所は4ヶ所ほど見つかりました。」
私は、いささか不思議に思った。
「・・・4ヶ所?・・・意外だな。もう少し多いかと思ったのだが。」
「確かに。実は、私も最初は公子と同じく疑問に思ったのですが・・・。」
ルイージ伯はそう言いながら書物を開くと、あるページを私に指し示した。
「これは・・・?」
「今からおよそ80年ほど前です。時のドズル公が、シアルフィ公、ヴェルトマー公と協力して、グランベル北西部一帯のロプト教残党の討伐を行っています。・・・この主にドズル地方を中心に展開された掃討作戦によって、ロプト帝国時代からの遺跡、さらに隠れた拠点となっていた洞窟、地下に設けられた寺院などの多くが破壊されたようです。」
私は、そこに書かれた文章に軽く目を通すと肯いた。
「なるほど、このときの破壊を免れ、今日にまで残っていたような場所はそう多くないわけだな?」
「左様です。・・・で、その候補というのが・・・。」
ルイージ伯はテーブル上にドズル地方の地図を広げると、いくつかの場所を指し示し始めた。
「まずは、この国都近郊にある丘陵地の地下洞窟です。」
私は、しばし目を閉じて考えていた。
「・・・地下洞窟?・・・・そういえば、随分と幼い頃に一度だけレックス叔父上に連れられて訪れたことがある。」
私は、顔をあげた。
「あそこは、自然の鍾乳洞だとばかり思っていたが?」
ルイージ伯は肯いた。
「はい。洞窟そのものは紛れもなく、侵食作用によって自然に誕生した鍾乳洞です。・・・こちらの資料をご覧下さい。」
「これは?」
ルイージ伯が手渡したのは、古い宮廷議事録だった。
「50年程前、丁度私が宮廷に上がるようになった頃に、あの洞窟でロプトマージの姿を見たという噂が流れたことがありました。討伐するかどうかで意見が割れたのですが、最終的には、当時軍事部門の総責任者だったランゴバルト公子が却下したために、このまま放置されています。」
「お爺様が?・・・どちらかといえば、嬉々として軍を派遣しそうなものだが?」
私が困惑したような表情でそう答えると、ルイージ伯は苦笑をもらした。
「当時、ランゴバルト公子は、弟君と次期公王の座を掛けて、謀略戦の最中でしたからな。・・・軍を送ったものの誰も居なかったでは、格好がつきませんし、また、慣れぬ洞窟内での戦闘で万が一にでも大きな被害が出ようものなら、政敵につけこむ隙を与えることになる。・・・そう考えられたのでしょうな。」
私は溜息をついた。
「やれやれ。将来の危険より、目先の権力を得ることの方が大事だったわけだ。・・・お爺様らしいな。」
ルイージ伯は曖昧に肯くと、地図の別の一点を指差した。
「二つ目は、リュッセン伯の領地と、この国都との丁度中間点に位置する、朽ち果てた遺跡です。」
「それは、東の森の中に存在する瓦礫のことか?」
私がそう尋ねると、初老の伯爵は静かに肯いた。
「・・・しかし、あれは遺跡とは名ばかりの単なる残骸だと思っていたのだが。」
「確かに、原形は止めておりません。うずたかく積みあがった瓦礫が、森の奥に存在するのみというあまりぱっとしない遺跡ではあります。」
「で、ここもロプト教団と関連があるのか?」
「・・・噂はありますな。」
「噂・・・か。」
ルイージ伯はあくまでにこやかな顔をそのままに口を開いた。
「ただ、私が危惧しているのは、外観が今ひとつさえないことと、足場が悪く瓦礫が崩れたり、足元が崩落したりする危険がある理由から、今にいたるまで十分な調査が行われなかったことなのです。」
「・・・それゆえに、奴らが潜伏している可能性もあるわけか。」
「はい。・・・三つ目は、リュッセン伯の領地内にある円環状石柱遺跡です。」
「・・・知ってはいるが、あれはロプト教と関連があるのか?」
私は、ドズル国内・・・いやグランベル王国内部でも有名なストーンサークルを思い浮かべながら疑問を口にした。
「学者の話や、民間伝承によると、帝国以前の共和国時代に既に存在したとのことだが。」
「仰せの通りです。・・・現在にいたるまで、何のために建造されたのか、また、どういった手段によってあれほど精緻な建造物が設計できたのか。その全てが謎です。」
「では・・・。」
「いえ、本来の目的がどうにせよ、そのシンボル性から、ロプト教団が何らかの儀式を行うことも考えられます。」
「なるほどな・・・。狂信者のやることだ。ありえない話ではないだろう。」
「最後が、この城です。」
その言葉に私はいささか驚いた。すぐには答えることも出来ずに呆然としてしまった。
何とか動揺を押さえてから、ルイージ伯に尋ねた。
「この城内にロプト教団とかかわりがあるような場所があるのか?」
初老の伯爵は肯いた。
「・・・はい。このドズルの城は、もともとはこの地方のロプト神殿跡地に建造されています。かつて十二聖戦士は、ロプトゥスとの壮絶な決戦後、逃走し潜伏したロプトの残党を駆逐するために、ユグドラル大陸の各地に散っていきました。」
私は、黙って彼の紡ぐ話を聞いていた。
「偉大なる斧騎士ネールは、のちに自らの所領となるこのドズルの地に兵を進め、当時この地方の中心的なロプト神殿であり、また砦でもあったこの場所で、大規模な掃討作戦を展開しています。」
「その掃討作戦後に、この城を築城したのか?」
「はい、掃討作戦時に当時の神殿は、ほぼ破壊されましたので、整地しなおしてから新たな城を築いたわけですが、城の北西部にある塔の一部はかつての神殿の中でも比較的損傷が少なかった部分を補修して短期間で完成したといいます。」
「・・・初めて聞くぞ。」
私の溜息まじりの言葉に、ルイージ伯は真顔で肯いた。
「無理もありません。この私とて、以前この書庫の整理中に偶然発見した書物にて知ったのですから。」
「・・・しかし、聖戦士・ネールは何故このような忌まわしき地に自らの居城を建てたのだろう?」
「さて・・・その真意は今となっては・・・。それより、いかがなさいますか。この4つの場所のうち、どの場所に注目なさいますか。」
「そうだな・・・。」
私は、腕を組んで考えた。
どの場所も、疑わしいといえば疑わしい。しかし、目前にアグストリア遠征を控えている以上、大規模な部隊を動かすわけには行かない。
私は、悩んだ挙句にトールトン宛の書状を持たせた兵士を、彼の元へと送った。その書状には、次のようにしたためておいた。
『リュッセンの城の包囲はクローヴィスの本隊に任せ、急ぎ円環状石柱遺跡を調査せよ』
さしあたって、森の崩壊した遺跡と城は候補からはずし、城下近くの洞窟には別の部隊を派遣し様子を見ることにしたのだ。
・・・だが。
事態は急変することとなった。
トールトンとクローヴィスに指示を出した私が、私室に戻ってくると、机の上に封筒が置かれていたのだ。
「一体誰がここに置いたのだ?」
私は、いぶかしがりながらもその封筒を手にとって裏返してみた。
「・・・差出人は書いていないな。」
私は、封を破ると中を覗き込んだ。そこには数枚の手紙と共に何か小さなものが入っているようだ。
「ん?」
注意深く手紙を取り出すと同時に封筒からそれが机に上に転がり出た。
「これは!?」
それは、見慣れたラドネイのイヤリングだった。私は慌てて手紙に目を通した。
その手紙を読み進めていくうちに、徐々に表情が険しくなるのが自分でもわかった。
すべて読み終えた私は、思わず手紙を握りつぶした。
「・・・やられた。」
その言葉が部屋の空気に溶けて消えていった。
と、不意にノックの音がした。
「誰だ!」
私の誰何の声に、ドアの外から声が聞こえた。
「お茶をお持ちいたしました。」
私が入室を促すと、一人の女官がポットとカップを持って入ってきた。
私は、女官が紅茶を注いでいる様子を見ながら、頭の中で考えをめぐらせていた。
カップの中になみなみと注がれていく紅茶。一礼をして立ち去ろうとする女官を私は呼び止めた。
「何でしょうか?」
「今日はラドネイの姿が見えないようだが?」
私の問いかけに女官もあらっ、と言う表情を浮かべた。
「そういえば、今日は朝からお姿を見ておりません。」
「朝から?」
私の問いに女官はうなずいた。
「はい、ラドネイ様は、公子様の護衛をなされる関係上、私ども城詰めの女官と同じ宿舎で寝起きされておられます。私の部屋は、ちょうどラドネイ様のお部屋の隣室にあたるもので、よくお会いするのです。そのたびにご挨拶を致しておりますが今日はまだ一度も・・・。」
「そうか・・・。ありがとう、呼び止めてすまなかったね。下がっていい。」
女官はもう一度礼をすると、退室していった。
私は、女官が出て行くと紅茶を飲みながら、考えにふけった。
まもなく深夜になろうかという刻限。
私は、城下のはずれにある、兄の私邸を訪れていた。
ノッカーを鳴らすと、しばらくするとドアが開き使用人が顔を出した。
「手紙の件で伺った。」
私がそう言うと、男はうなずいた。
「これはこれは・・・。主人より殿下を案内するよう申し付かっております。どうぞこちらへ。」
私は、その男に促されて屋敷内へと足を踏み入れた。
どこか病気なのではと疑いたくなるほど血色の悪い肌をしたその男は、私を先導しながら屋敷内を進んでいく。
私は無言のままその後に続いた。私はその男の様子を見て、自分の予想が現実のものとなるであろうことを半ば確信していた。
「こちらのお部屋です。どうぞ・・・。」
私は鎧を揺らしながらドアをくぐった。
「久しぶりですね。ヨハン。」
「ご無沙汰いたしております、義姉上。」
そこには、確かに私のよく知る義姉の姿があった。以前よりもさらに血色が悪く、まるで青ざめたという形容がふさわしい姿ではあったが、間違いなく義姉だった。そしてその隣にもう一人・・・。
「ご機嫌麗しく。ヨハン殿下。」
そう言って唇をゆがめ笑う男の姿があった。
「リュッセン・・・。」
私は、眼前の男を睨み付けた。そして、その眼光をそのまま義姉に叩きつけた。
「・・・義姉上。貴方はご自分が一体何をなさっているか解っておられるのか?」
「無論、解っておりますとも。」
私は厳しい口調のまま続けた。
「この男はロプト教団と結託し、この国に再び混沌をもたらそうとしているのです。そのような男を・・・。」
「お黙りなさい!!」
義姉は逆に私に向かって怒鳴った。私は、義姉が怒声を発するのを初めて聞いた。・・・と同時に、自分の予想が正しかったことを確信し始めていた。
「・・・私は、お邪魔なようだ。公子、一足先に北西の塔に行っております。そこで、あの娘と共に公子をお持ちしますよ。もっとも・・・。」
リュッセンはそこで言葉を切るとニヤリと笑った。
「無事にたどり着けますかな。」
「リュッセン!!」
私が駆け寄る前に彼は魔法で転移していった。おそらくは城の北西にある古い塔に。
私が再び視線を義姉に向けると、義姉はぞっとするような表情で私を見ていた。
「・・・義姉上。」
その死人と見まがうほどに色を失っている唇から地の底から響くような声が漏れた。
「・・・ヨハン・・・貴方は死ぬべきなのです。」
「・・・。」
義姉はゆっくりと部屋を横切ると、部屋の奥に置いてあるベッドに歩み寄った。
「・・・公王位を継ぐのは、ゴリアルドです。」
「・・・は?」
私は、その人物の名に心当たりは無い。
義姉は、ベッドから何かを大事そうに抱き上げた・・・。その何かを見たときに、私は驚きよりも悲しみが込み上げてきた。
「・・・義姉上・・・。」
「ゴリアルド。・・・可愛い、可愛いゴリアルド。さあ、ごらん貴方の継ぐべき玉座を奪おうとする悪者はすぐにやっつけられますからね。愛しい、愛しい私の赤ちゃん・・・。」
義姉はそう言って腕に抱き上げたものに頬擦りをしている。
私は、やりきれない気分で口を開いた。
「義姉上・・・。貴方に子はいない・・・。」
私の声は彼女に届いていないようだ。相変わらず愛しそうに頬擦りを続けている。痩せた腕に抱き上げられた、・・・赤子の人形に。
ドアが開け放たれ、何人もの兵士がなだれ込んでくる。雑多な鎧を身にまとった戦士風の者も混じっている。おそらくは義姉に仕える兵士と、急遽雇った傭兵の混成部隊なのだろう。その数ざっと十五人ほど。
私は、武器を持って包囲する戦士たちを無視して叫んだ。
「義姉上!!・・・貴方の子供は生まれることなく神々のもとに旅立ったのだ!!・・・悲しいことだとは思う。・・・いや、私ではその悲しみを本当に解る事はできないのかもしれない。でも、現実から目を背けてはだめだ!!ロプトの呪縛に負けてはいけない、目を覚ますんだ!!」
しかし、私の渾身の説得も、彼女の耳には届いていないようだ。うつろに笑いながら物言わぬ腕の中の人形をあやし続けている。
「義姉上!!」
私がそう叫ぶのと同時に、戦士達が切りかかってきた。
「チィッ!!」
私は舌打ちしながら腰に下げていた勇者の斧を取り外し、勢いよく眼前に迫った戦士の横っ面に叩きつける。切るというよりも粉砕されるといった表現がふさわしいだろうか、その場に崩れ落ちる戦士を見ようともせず、すばやく構えなおすと続く第2撃目を背後から迫る戦士の脳天に打ち下ろす。途端に絶叫が響き渡る。むっとするような血の臭気が、部屋中にたちこめる。
私は、一切の感情を締め出すと戦鬼と化し、ただ無心に斧を縦横に振い、屍の山を築きあげていった・・・。