仮面ライダーShadow 2,3,4話を書くに当たって
こんにちは、ハカりんです。
すでに読んでいただいた方にはお分かりになったかとは思うのですが、今回のエピソードは、あるホラー映画への私なりのアレンジです。
その映画とは、ずばり「仄暗い水の底から」です。
私は、第2話をどう書こうか思案しているときに金曜ロードショーでこの映画を見て、この話をアレンジしようと思いたちました。
リングと同じ原作者の短編小説の映画化ということで、ある意味期待していたのですが・・・。
私の評価としては60点ぐらいでした。
凝ってはいるんです、この映画。
終始「雨」「水」の表現にこだわっていますし、その映像は流石!と思わせるものでした。
・・・ただ、ホラー映画とはいえないんじゃないかと。
受け止め方は人それぞれだと思うのですが、少なくとも私はこの映画を見ても怖いとは一度も思いませんでした(だからこそ金曜ロードショー向きだったのかもしれませんが・・・)。
で、私が一番憤りを感じたのは後半からラストにかけての理不尽さ、これにつきます。
前編にわたって「母と娘の愛」をテーマにしているのは痛いほど・・・というよりはしつこいほど良くわかるのですが、「あのラストは何なんだ!?」と思わず叫んでしまいました。
詳しくは、他サイトで取り上げていると思うので、ここではあえて述べませんが、少なくとも私はあの「10年後」以降のエピソードは「蛇足」以外の何物でもないと思います。
せっかくの「悲劇」として盛り上げてきたのだから、最後まで貫いてほしかったです。
どうしても、「その後」を挿入したかったのなら、中途半端に「10年後」「高校生になった娘」を出すよりは、「20年後」「母になった娘(もちろん離婚して娘を連れている)」にした方が、作中で代々続いてきた「離婚」「情緒不安定な母」「寂しい娘」の連鎖がより確かになったのではないかと。
・・・とまあ、そんな訳で、原作と異なるオリジナル満載の映画版を見てしまった後は、「もう、これはハカりん流のアレンジ版を書いてもいいかも」という思いだけが残りました。
丁度、2話目のエピソードがまだ決まっていなかったので、そこにこの映画をハカりん流に味付けしなおして、ライダー物に変えてしまおうと思いたったのです。
で、ライダー物に変える以上、子供は救わなければいけません。それは、主人公サイドの女の子だけでなく、亡霊となった少女も同様にです。
そこで、私が納得行かなかったもう一点である「娘のために自分を犠牲にし、死を選んだ母親」を強引に変えさせてもらいました。
今まさに閉じようとするエレベーター、泣き崩れる少女の横を疾風のごとく駆け抜けてエレベーターをこじ開けるShadow。
「お母さん。ここであなたが犠牲になったとしても誰も救えませんよ。あなたの娘さんも。そして、その子もです。あなたの選んだ道では、何も解決しません!!」
この台詞は、この映画を見たときの私の思いそのものです。
少し話が脱線しますが、私は(CITY HUNTER)の最終回におけるリョウの台詞が大好きです。要約して書くと、
「愛する者の為に自分が犠牲になる・・・そんなのは最低の愛だ。」
「俺は愛する者の為にどんな事があっても生き延びる、そしてどんな事があっても愛する者を守り抜く・・・それが俺の愛だ。」
という内容のことを言っていました
例え、自分を犠牲にして愛する者を守ったとしても、残された者は、自分のせいで愛する者を失ったという思いをずっと持ったまま生き続けなければならなくなる。
リョウはそんな愛しかたにむかって「ふざけるな!」と言いたかった訳なんですが、同感です。
今回、仮面ライダー物に変更するにあたって、映画の中では遂に差し伸べられることのなかった救いの手を、銀の戦士に差し伸べさせました。
きっと、ライダーがあの場にいたらそうしたはずだ、・・・そういう思いを込めて。
また、亡霊となった少女も、至極ご都合主義ではありますが、ああいう形で結末をつけさせていただきました。
話の中で、あの少女によって、多くの母子が殺害されていますが、善悪の判断がつかない幼子に、悪事を強いたゴルゴム残党が悪い!・・・と、そういうことにしておいてください。今回の話では、ある意味あの少女もまた被害者なんです。
あくまで私の嗜好なのですが、私は「一流の悲劇よりは、三流のハッピーエンドを選ぶ」男です。そういった意図を十分に解って頂ける内容だったのではないでしょうか?
それでは!