第3章 古の神殿
薄暗い通路に足音が響く。
足音の主は、年配の女性だ。薄汚れた服を身に纏ってはいるが、その顔は決して気品を失ってはいない。
女性は、水が湛えられた桶を持ち、通路を進んでいく。やがて、広い玄室にたどり着いた女性は、玄室の奥、衛兵らしき武装した男に護られた扉の方へと、ゆっくりと歩を進めた。
衛兵の一人が、女性に気づき声をかける。
「今日も、来たのか?・・・毎日良く続くものだな。」
女性はその声を無視して扉の前に立つ。
「・・・扉を開けていただきたい。」
女性の言葉に、衛兵は下卑た笑みを浮かべた。
「おいおい、頼むんなら、言葉に気をつけな。俺たちゃ、あんたの使用人じゃないんだぜ。」
「そうそう、まずはその場に跪いて無礼を詫びて貰おうか。」
女性は、無言のまま鋭い眼光を男達に叩き付ける。
「何だ!その目は!!」
「・・・すこし痛い目を見るか?ああ?」
そう凄む男たちをものともせず、女性は、あくまで表情を変えない。
「この!!」
「やめないか!!」
急に響き渡った若い声に、衛兵たちは硬直する。
見れば、女性の背後に、若い青年の姿があった。漆黒のごとき髪。そして同様の黒い瞳を持つその若者は、これまた闇から切り出してきたかのような黒い神官衣に身を包んでいる。
ただし、単なる神官ではないことの証に、その腰には細身の長剣が吊るされている。
整った顔立ちをしているが、その表情は氷の仮面の如く、冷たく、刺すような凄みがある。
「・・・ラ、ラゴラ様。」
衛兵たちは、慌てて直立不動の姿勢に戻る。
ラゴラと呼ばれた青年は、無言で顎をしゃくった。衛兵は慌てて鍵を取り出すと、錠を外し、両開きの巨大な扉を開けていった。
ラゴラは、女性を促すと、先に立って扉の中へと入って行った。
そこは、さながら美術館の様相を呈していた。
壁一面を覆う巨大なタペストリー。
そして、立ち並ぶ無数の石像。
ただ、タペストリーも、石像も、悪魔や魔物、そして地獄をモチーフとした、いささか不吉なものが多い。
その中にあって、明らかに他と異なる石像が立ち並ぶ一画があった。
二人は、迷うことなくその一画へとやってくる。
女性は、立ち並ぶ石像のうち、一体の前で立ち止まると、その場に跪いて頭を垂れた。
しばらくして、顔を上げた女性は、持ってきた桶に手ぬぐいを浸し、丹念に石像を拭い始めた。
青年は、その様子をじっと黙ったまま見つめていたが、やがて口を開いた。
「・・・お別れを言いに参りました。」
青年の言葉に女性は手を止めて振り返る。その表情に、僅かながら驚きの色が浮かぶ。
「アグストリアへ・・・。フィンスタニス・メンシェンの正規メンバーとして、アグスティに配属される事となりました。」
「・・・そう。」
女性は青年を真っ直ぐに見詰めた。青年もまた氷のような表情を少し緩めた。
「・・・ここを発つ前に、貴方には礼を言いたかった。・・・孤児として底辺の生活を強いられ、教団に拾われてからは戦士として、また魔道士として、訓練に明け暮れるだけの日々だった私に、・・・貴方は実の子どもに接するように優しさをくれた。」
「・・・。」
青年は淋しげな笑みを浮かべた。
「貴方が私の内に、離れ離れとなった本当の子供の姿を重ねている事は気づいていました。・・・それでも、私にとって貴方は、本来ならば決して得られる事の無かったはずの母であるのです。」
「ラゴラ・・・。」
「おそらくは、もうお会いすることは無いでしょう。・・・フィンスタニス・メンシェンは、闇と共に生きるものたち。・・・その行き着く先は、闇に染まるか、闇に消えるか・・・・。」
女性はラゴラにそっと歩み寄り、その手をとった。
「・・・どうしても、ロプト教団と共に生きるのですか?」
青年は肯いた。
「はい。・・・それが、私の定めであるならば。」
そう厳しい表情で告げた青年は、ややあって、表情を緩めて微笑んだ。
「最後に、一言だけ。・・・今まで言えなかった言葉を。」
ラゴラは手を離して女性を見つめた。
「母上。」
女性の瞳に涙が滲んだ。
「ラゴラ。・・・確かに私には生き別れた二人の子供がいます。・・・でも忘れないで。貴方もまた、私にとってはかけがえの無い子供であるということを。」
「・・・感謝します。」
ラゴラは一礼すると踵を返した。女性はその背に向かって言葉をかけた。
「息子である貴方に、この言葉を送りましょう。定めに殉ずるのも、定めを変えてゆくのも、全ては自分の意思一つであるということを。・・・抗うべきだと思った時には全力で抗いなさい。」
「胸に留めておきます。・・・どうかお達者で。私に、・・・母の温もりを与えてくれた人・・・。」
ラゴラは一度だけ振り返ると深く頭を下げ彼女の前から消えて行った。
女性は振り返ると、石像を見つめた。美しき女性騎士のその石像は、まるで生きているかのような質感を持ってそこに佇んでいる。
「・・・どうか、私の子供たちが、幸せな道を歩む事が出来ますよう・・・どうか、お守り下さい・・・。」
そう呟いた女性は、再び石像を丹念に拭い始めた。
青年は、通路を歩きながら、感傷を振り払うように二、三度頭を振った。
薄暗い通路は陰鬱な雰囲気を湛えている。
『・・・まるで、私のこれからを暗示しているようだな。』
ふと、ラゴラは歩みを止めた。
「??」
耳を澄ますと、この暗黒の神殿には不釣合いな若い女性の怒声が聞こえてきた。
彼は興味にかられて、その声の主を探した。
「いい加減に、食事ぐらい出せったら!!・・・おーい!!」
アーリアは、しばらく鉄格子を叩いて叫んでいたが、やがてその場に座り込んでしまった。
「お腹・・・空いたな・・・。」
そういって俯くアーリアを見て、ジャンヌは思わずふきだしていた。
「??」
怪訝そうに顔を上げるアーリアに、ジャンヌは慌てて謝った。
「ごめんなさい。・・・こんな状況で食事の事を考えられるってスゴイなと思って。」
「・・・それって、遠まわしに馬鹿にしてない?」
若干、不貞腐れ気味にそう訊ねるアーリアに、ジャンヌは頭を振って見せた。
「そんな事は無いわ。・・・なんだかあまり深刻になってないようだから、感心しただけ。」
「・・・まあね。・・・っていうか、あんたも随分落ち着いているよね。・・・何で?」
「それは・・・きっとフィン様が助けに来てくれるって信じているから。」
ジャンヌはそう言ってアーリアに微笑みかけた。
「あなたもそうなのでしょ?」
アーリアは少し照れくさそうに頬を掻いた。
「まあ・・・そうかな。トリスタンならきっと来てくれるって、何処かで確信しちゃってるんだと思う。・・・なにせ、攫われるのも二度目だしね。」
アーリアはそういってからニッと笑った。
「しっかし、驚いたよ。まさかトリスタンの妹さんだったなんて。」
ジャンヌも微笑み返すと訊ねた。
「・・・ねえ、お兄様ってどんな人?」
「どんな人って・・・。」
アーリアは脳裏に生真面目な若者の事を思い浮かべながら口を開いた。
「そうだなぁ・・・。真面目で、融通が利かなくて、結構鈍くて、若いくせに、ちょっと年寄りっぽいとこがあるかも。」
「年寄り?」
「うん。・・・なんていうか・・・こう・・・柔軟性に欠けるっていうか、年寄りじみてるっていうか。でも・・・。」
「でも?」
「・・・スゴク優しい。・・・それに強い。騎士としてっていうだけじゃなくて、心も強いかな。」
いささか顔を赤らめながらそういうアーリアにジャンヌが訊ねた。
「・・・お兄様の事・・・好きなのですね?」
「・・・ッ!?」
傍目に見てもおかしい位うろたえながらアーリアは顔を真っ赤にした。
「えう?・・あ・・いや・・・その・・・なんていうか・・・わた・・・わたし・・・あたし・・・その・・・なんで・・・そん・・・え?」
ジャンヌはクスッと微笑んだ。
「良かった。」
「え?」
「お兄様の恋人が貴方のような素敵な女性で。」
「こいび??!!」
アーリアは慌てて頭を振った。
「ち、違う・違う・・・恋人じゃないよ?・・・・その・・・わたし・・・。」
アーリアは、しどろもどろになりながら、逆に切り替えした。
「その・・・ジャンヌは好きな人がいるの?」
ジャンヌは静かに肯いた。
「ええ、いますよ。」
「もしかして、さっき見かけたあの若い騎士?」
「カリオン卿ですか?いいえ、違いますよ。」
「違うの?」
「ええ、カリオン卿はちゃんと恋人がいらっしゃいますから。」
「そうなんだ・・・。」
「・・・私が好きなのは・・・フィン様です。」
「!!・・・あの大陸一の槍騎士?」
ジャンヌは肯いた。
「・・・えっと、フィン卿って、若く見えるけど、確かジャンヌとは親子ぐらい年が違うんじゃなかったっけ?」
「ええ。・・・と言うか、本当に親子のような関係・・・なんです。」
「?」
「・・・私の母は、ラケシス王女様付きの侍従武官でした。ラケシス様が旅立たれた時に母もまた一緒に行ってしまったものですから、私はナンナ様とともにフィン様に娘として育てられたのです。」
アーリアは黙ってジャンヌの話を聞いていた。
「・・・フィン様はおそらく私の事を娘としてしか思っていないでしょう。・・・でも、私は、いつの頃からかお義父様とは思えなくなった。」
「ジャンヌ・・・。」
ジャンヌは淋しそうな表情を浮かべた。
「・・・お父様の心の中には、今もある女性がいるのではないかと思うの。・・・きっと私が入り込む余地なんて無い。・・・それでも。」
顔を上げたジャンヌは、微笑を浮かべていた。
「それでも、私はフィン様を愛しています。」
アーリアは、ジャンヌの肩をガシッと掴んだ。
「ジャンヌ!」
「は・・・はい!?」
驚くジャンヌにアーリアは微笑んだ。
「応援するから!・・・大丈夫、きっと想いは伝わるよ!!」
「・・・ありがとう。アーリアさん。」
「そんな改まらないでよ。あたしの事はアーリアって呼び捨てて。ね!」
二カッと笑うアーリア。ジャンヌは肩に置かれたアーリアの手にそっと触れると微笑み返した。
「はい。」
「うるさいぞ!!・・・静かにしろ!!」
牢番は、イライラした様子で少女たちを怒鳴りつけた。
「・・・ったく、囚われの自覚が足りないんじゃないのか。お前らは!!」
その怒声に動じた様子も無くアーリアは言い返した。
「どうでもいいから食べ物を持ってきてよ。」
「!!・・・き、貴様ら!!!!」
その時、重い扉の開く音とともに一人の青年が入ってきた。
「・・・やれやれ、騒々しいのは貴様も同じだ。・・・外まで怒号が響いていたぞ。」
青年の姿を見て牢番は直立不動の姿勢をとった。
「こ、これはラゴラ様。」
「・・・捕虜と少し話がある。・・・しばらく外してくれないか。」
「は・・・し、しかし。」
「私の命が聞けぬと?」
ラゴラの目がすっと細くなる。牢番は引きつった表情のまま肯くと、慌てて外へと出て行った。
ラゴラは、牢番の足音が遠ざかるのを確認してから、二人の少女に鉄格子越しに話しかけた。
「・・・なるほど、似ているかもしれない。」
ラゴラの言葉に二人はキョトンとした表情を浮かべる。
「・・・あまり時間がない。ここから出たいか?」
ラゴラの口から飛び出した言葉に、アーリアは驚いて訊ね返した。
「あんた、ロプトの一党だろ?・・・あたしらを助けると言うのか?」
肯きながらラゴラは続けた。
「・・・無論、ただ助けるわけではない。・・・いささか、危険な事を頼みたいのだ。」
「危険な事?・・・それが、悪に加担する事ならば、危険でも安全でも、行うわけにはまいりません!」
ジャンヌの言葉にラゴラはかすかに表情を緩める。
「安心しろ。私はロプトの戦士だが、これから君たちに頼むことは、おそらく道徳に反する事ではない。」
ラゴラの言葉に興味を持ったアーリアは軽く肯いた。
「・・・わかった、話すだけ話しなよ。・・・その上でどうするかを決めるからさ。」
「・・・いいだろう。君たちを牢から解き放つ代わりに、私に協力して、ある女性をここから脱出させて欲しい。」
「??」
「その人は・・・私の母親代わりの女性で・・・。」
ラゴラはそこで一度言葉を区切るとジャンヌを見た。
「・・・君の実の母親だ。」
「え・・・??」
驚愕の表情で絶句するジャンヌに、ラゴラは淡々と経緯を話し始めた。
ラケシス王女とその侍女は、王女の息子が落ち延びたというイザーク王国の辺境に向かい、イード砂漠を北上していた。
その際、砂漠に隠された神殿を守護するロプト教団の襲撃に遭ったのだ。
二人は善戦したものの、当時守備部隊ベルクローゼンの長であった、司祭ベルドの操るストーンの魔法によってラケシスが石化すると、侍女は主の安全と引き換えに降伏し、神殿内で囚われの生活を送ることになる。
「彼女は、砦内を自由に動く権利と引き換えに、ロプトの英才教育を受けることとなる一人の少年を育てる事を義務付けられた。」
ラゴラはそういって軽く顔を伏せた。
「それが、私だ。」
二人の少女は無言でラゴラの言葉を聴いていた。ラゴラは再び顔を上げると、言葉を継いだ。
「・・・さっきも言ったが、あまり時間がない。・・・私は間もなく戦地へと赴く事になる。・・・これまでは、あの方への不当な差別は極力私が防いできた。・・・だが、私が居なくなれば、どんな危険があの方に降りかかってくるかわからない。・・・頼む。私に力を貸して欲しい。」
ラゴラはそういうと、持ってきていた少女たちの武器をその場に放り投げた。
薄暗い通路を、ラゴラを先頭にして、アーリアとジャンヌが続く。今のところ見張りのものに見つからずに進めている。
「本当に、この先に母が居るのですか?」
震える声でそう訊ねるジャンヌに、ラゴラは無言で肯く。
「しっかし、解らないなぁ。なんでロプト教団のあんたが人助けを?」
ラゴラは、振り向かずに答える。
「・・・別に、人助けではない。・・・ロプトの教義の根幹は『己が欲求に忠実であれ』だ。・・・私は、私が最もやりたいと思うことをしているに過ぎない。」
アーリアはその言葉にニヤッと笑った。
「あんた、あんまり悪いやつじゃなさそうだね。」
「・・・善悪なんて、流動的なものだ。ロプトだから悪・・・聖戦士の一党だから善・・・などではないことは、過去の戦争が証明しているだろう?」
聖戦士の血族からも、残忍で姑息な人間が現れる。その逆にロプトであっても全員が全員悪人とは限らない・・・。
「・・・それにしてもおかしい。・・・あまりにも人が少なすぎる。・・・妙だな。」
神殿の中を素早く駆け抜ける複数の人影があった。
彼らと遭遇した暗黒神官たちは、誰何の声を終えるより早く、鮮血を吹き上げて倒れていった。
愛用の勇者の槍を背負い、手にした長剣を鞘走らせながらフィンが小声で話した。
「神殿の最も奥に、勇者たちが囚われた玄室があるはず。・・・私と、トリスタン卿は、攫われたジャンヌとアーリア殿を探します。ノイッシュ卿とカリオンは玄室に向かってください。アンナフィル殿は・・・。」
「私もトリスタン卿、フィン卿とともにアーリアさんを探します。」
美しき女剣士の言葉にノイッシュは肯いた。
「・・・解った。必ず後で落ち合おう。」
戦士たちは二手に分かれると、迷宮のごとき通路を走り出した。
「なに・・?」
靴音が徐々に近づいてくる。侍女は、にわかに外が騒がしくなった事に不安を覚え、身構えた。が、勢い良く開いたドアから飛び込んできたのはラゴラだった。
「ラゴラ!?」
ラゴラは、息を整えつつ微かに微笑むと、口を開いた。
「母上・・・ここを出ましょう。」
「・・・あなた・・・一体。」
「ラケシス王女の石像は、いずれ必ず私が母上の下へ。・・・今はとりあえずここから出ましょう。」
「しかし・・・。」
逡巡する女性の前に、ラゴラはジャンヌを押しやった。怪訝な表情を浮かべる女性に、ラゴラは静かに告げた。
「・・・貴方の娘さんです。」
驚く女性にジャンヌは掠れる様な声で話しかけた。
「・・・は、母上?」
「あ・・・あなた・・・ジャンヌ?」
「母上!!」
「ジャンヌ・・・ジャンヌなのね!!」
駆け寄って抱き合う二人にアーリアが叫んだ。
「はいはい、感動の再会は後回し。・・・来たよ!!」
鉄靴の音を響かせ、剥き出しの殺気とともにこの部屋へと殺到してくる傭兵達がいた。
ラゴラは、頭全体を覆う兜を身につけると、腰の長剣を引き抜いた。
「ジャンヌ!・・・母上にも剣を!・・・ここを切り抜ければ、脱出は間近だ!」
娘から予備の長剣を受け取った女性は、気持ちを切り替えると、全身に闘気を漲らせた。
ラゴラは、その闘気を背後に感じながら、兜の奥で笑みを浮かべた。
「さあ、行くぞ!!」
そう叫ぶと同時に、先頭切って傭兵の一団に斬りかかっていった。
「・・・まさかな、ここで、出くわすとは思わなかった。よく追って来られたものだ。」
ノイッシュは、玄室を守るように立ちはだかった騎士にそう声をかけられ身構えた。
騎士の手には禍々しい気を放つ剣が握られている。
『邪剣ヴィグリード』
先刻の隠し神殿での戦いで、その騎士自らがそう語ったその剣が、持ち主の闘気を増幅しながらゆっくりと引き上げられ、上段の構えの位置で静止する。
ノイッシュもまた、自らの魔剣を鞘から引き抜く。
「・・・先程の決着。・・・ここで着ける!!」
ノイッシュは騎士に対抗して下段に剣を構えた。
一瞬の睨み合いの後、二人の騎士は同時に地を蹴って剣をぶつけ合う。
甲高い金属音が通路に反響する。
『・・・やはり・・・先程も感じたがこの太刀筋を私は知っている??』
ノイッシュは、必殺の斬撃を易々と受け流し、逆に僅かな隙を突いて的確に打ち込まれる眼前の騎士に、奇妙な懐かしさを覚えていた。
『それに・・・先程の戦いのときとは違う。・・・殺気が幾分薄れている?』
ノイッシュは、まるで実践稽古をしているかのような錯覚に陥っていた。
『・・・この騎士・・・一体何者なのだ?』
「どうした?・・・集中しなければ死ぬ事になるぞ?」
騎士の振るう剣が、さらに速度を増してノイッシュに迫る。
その剣に向かって、ノイッシュ自身も、渾身の力で自らの剣を叩き付ける。
「・・・誰かは知らぬが、必ずその兜を引き剥がしてくれる!」
「やってみるがいい。・・・できるのならば!」
両者の斬撃の応酬が、さらに激しさを増していった。
激闘を繰り広げる、ノイッシュ同様、カリオンもまた、複数の暗黒魔道士を相手取ってその剣を振るっていた。
レンスターの解放軍時代から、魔法攻撃に対する高い耐性を持っていたカリオンは、騎士としては珍しく、対魔道士戦において、数々の武勲をあげている。
煌く刀身を持つ長剣、マスターソードが振るわれるたびに、暗黒の使徒たちの鮮血が吹き上がる。
「・・・貴公・・・なかなかやるな。」
転がる魔道士たちの骸を踏み越えて、漆黒の神官衣の上から胸甲を身につけた壮年が姿を現した。ただそこに存在するだけだというのに、全身から溢れんばかりの闘気が漲っている。
「どうやら、雑魚とは違うみたいだな。」
「ふふ、私はこの古の神殿を守護する高司祭・ゼフィリヌス。暗黒騎士団・ダークナイツの団長でもある。」
「暗黒騎士団?」
「左様。・・・さて、死合う前に名を聞いておこうか?」
カリオンは剣を垂直に立ててから、名乗りを上げた。
「新生トラキア連合王国・国家騎士団ランスリッター隊所属、聖騎士カリオン!」
ゼフィリヌスは目を細めた。見事な口ひげを軽くなでると凄みのある笑みを浮かべた。
「ほう、トラキア半島の若き蒼騎士とは貴公のことか。」
「・・・そんな大層な二つ名は、自分で名乗った覚えは無いが・・・。」
壮年の暗黒騎士は、腰に佩びた長剣をゆっくりと抜き放った。
「ふふふ。英雄王リーフには、蒼き槍と蒼き剣が付き従うと聞く。・・・久々に本気で戦えそうだ。」
徐々に闘気を膨らませながら迫るゼフィリヌス。カリオンは自らも闘気を高めながら、長剣を構えなおした。
『アーリア・・・。一体どこに?』
フィンと肩を並べて走りながら、トリスタンは少しずつ焦りを感じ始めていた。既に、いくつかの牢を巡り、捕らわれていた人々を解放したものの、その中に、彼の探す少女の姿は無かった。
次々と切りかかってくる傭兵と思しき一団を切り捨てながら、3人の剣士は神殿の奥へと進んでいく。
いくつもの曲がり角を曲がり、飛び出した先でトリスタンは一人の騎士とぶつかり咄嗟に剣を突き出した。
「!!」
驚くべきことに、その不意を突いた斬撃を、騎士は易々と受け流し、逆に鋭い突きを繰り出してきた。
「クッ!?」
慌てて剣を戻してその一撃を受け止めると、素早く体勢を整えて斬りかかる。
その時・・・。
「ちょっと待ってトリスタン!その人は味方よ!!」
「!?」
不意にかけられた聞き覚えのある声に、トリスタンは驚きながら剣を退いた。
「アーリア!?」
騎士の後ろから駆け寄ってきたアーリアは思わずトリスタンに飛びついた。
「わわわ・・・ア・・・アーリア!?」
その二人を見て、騎士も剣を収めた。
「トリスタン!・・・来てくれたんだ!」
「アーリア・・・良く無事で!」
「コホン!!」
唐突な咳払いの音で二人は現実に引き戻された。
「アンナフィル・・・さん。」
アンナフィルは幾分冷たい視線で二人を見た後でボソリと呟くように言った。
「お二人とも、そういうのは安全なところに脱出してからにしてください。」
「す・・・すみません。」
トリスタンは、そういってから他にも人影があることに気づいた。
「君は・・・。」
ジャンヌがトリスタンに歩み寄る。その目にはうっすらと涙が光っている。
「あなたが・・・トリスタンお兄様・・・なのですね。」
「それでは、君がジャンヌ・・・。」
「お兄様!」
トリスタンはしっかりとジャンヌを抱きとめた。そして、今一人の婦人の姿を見て、さらに驚いた。その婦人には、彼が微かにしか憶えていないある人物の面影が確かに残っている。
「もしかして・・・貴方は・・・。」
女性は微笑を浮かべた。
「トリスタン・・・大きく・・・大きくなりましたね・・・。お父様の若い頃にそっくり・・・。」堪えきれず双眸から涙が溢れ出すその婦人に、トリスタンは万感の思いを込めて話しかけた。
「母・・・上・・・。」
再開した母子の姿を、様々な感慨を持って眺めていたラゴラは、ふとアンナフィルに目を留めた。
『・・・?・・・あの女は??』
「ラゴラ・・・。」
ラゴラは名を呼ばれてハッとして振り向いた。
「ありがとう。・・・私が子供たちと再会できたのは貴方のお陰ね。」
ラゴラは厚い兜のまま頭を振った。
「いえ、・・・こんなにも早く再会が果たせたのは、単なる偶然ですよ・・・。それよりも、早く脱出を。・・・トリスタン卿!」
「はい?」
ラゴラはトリスタンに問いかけた。
「アグストリア解放軍の貴公が何故この地に?・・・まさか、解放軍・・・いやグランベル連合軍の総攻撃がこの神殿に?」
トリスタンは目の前の暗黒騎士姿の男に困惑しながらも答えた。
「いや、ここにはアーリアたちを助ける為に少数で・・・。もっとも、後で解ったのですが、本来の目的地もここだったみたいで。」
「・・・?・・・と言うと?」
「我々は、ノイッシュ卿の供としてこの地へとやってきたのです。その目的は・・・。」
「ノイッシュ?・・・そうか。」
その名を聞いてラゴラは得心したようだ。よく見れば、大陸随一の槍騎士が、婦人と再会の挨拶を交わしている。ノイッシュ、そしてフィン。この二人がこの地にいるのであれば・・・。
「・・・では、貴公らは石化されたあの方を救いに・・・。」
ラゴラの言葉にトリスタンは肯いた。
「ならば、この先に石化した勇者たちが捕らわれている玄室がある。母上・・・。」
そこまで言って一度口をつぐんだラゴラが再び言葉を継ぐ。
「・・・君たちの母君が、その場所をよく知っているはず。ユグドラル大陸一の槍騎士がついているのならば、この先は君たちだけで進めるだろう。」
ラゴラは、皆に背を向けると歩き出した。
「ラゴラ!」
婦人の声にラゴラは足を止めた。そして兜の奥から言葉が漏れてきた。
「・・・今度こそお別れです。私は、追っ手を撹乱すべく通路を戻ります。・・・どうか、いつまでも御壮健で。」
「・・・一緒に行きましょう。」
婦人の声に、一瞬硬直したラゴラは、ややあってゆっくりと頭を振った。
「残念ですが、それはできません。・・・私はロプト教団のダークナイト。光と共には歩めぬ人間です。」
ラゴラは振り向くと一礼した。
「では・・・。」
彼はそのまま走り出した。ついに一度も兜を脱いで素顔を晒すことなく。
トリスタンは、事情がわからぬまま去って行った暗黒騎士の背を思い出した。
『何て悲しい背中なんだ。』
騎士が消えた通路の先を眺め、トリスタンは奇妙な息苦しさを感じていた。
「ラゴラ・・・。」
フィンに促され、玄室への道を案内し始めた婦人は、心の中で祈った。
『私は信じます。・・・いつか、貴方が光の下で生きられる日が来ること。トリスタン、ジャンヌとともに、私の大切な子供として3人の子供たちが、手を取り合って未来を掴んでいく事ができる日が来る事を・・・。』
彼らの進む先から、激しい斬撃の響きが聞こえ始めていた。