第2章 動き出す運命


すえた臭いが立ち込める薄暗い空間。

時折聞こえてくるのは、天井から滴る水滴が地面に落ちた時に生じる音のみ。

 

不健康極まりないその狭い場所に、男はもうずいぶんと長い間幽閉されていた。

老人・・・と呼ぶにはいささか若い。身に付けているのは薄汚れて異臭を放ってはいるものの、元は僧服のようである。

 

男は、湿気の滲み出す石壁に背を預け、瞑想にふけるかのようにじっと目を閉じていた。

 


 

どのくらいそうしていただろうか。

男は、普段とは異質な音が響いてくるのを感じ、静かに目を開いた。

響いてくる音は、どうやら靴音。しかも複数の人間がこちらに近づいてくるようだ。

男はゆっくりと首をめぐらすと、この空間で唯一の出入り口である、鉄製のドアを見つめた。

 

足音が止まる。同時にドア上部の鉄格子のはまった覗き窓から何者かが中を覗き込む。

「・・・まだ生きてやがる。」

「構う事はない、どうせしばらくの間だ、一緒に放り込んでおけとのご命令だ。」

そんなやりとりが聞こえたかと思うと、唐突に鉄のドアの錠が外れる音が響いた。

 

闇の世界だった牢獄の中に松明の光が差す。

現れたのは漆黒の僧衣を身に纏った二人の男だった。

ただの僧衣ではない。

どこか禍々しさを感じさせる意匠が施されたその黒い衣は、着用している男たちが、ありふれた聖職者などではない事を如実に示していた。

 

「・・・おい、この辺に転がしておこうぜ。」

「そうだな。」

二人はそういい交わすと、引き摺るようにしながら何かを牢獄内に放り込んだ。

どうやら、若い娘のようだ。

男たちは更にもう一人若い娘を放り込むと、そのまま無言で室内を後にした。

再び、錠がかかる音がして、靴音が徐々に遠ざかっていく。

 

静寂が戻る牢獄内。

しかし、先ほどまでと異なるのは、彼らが持ってきた松明が、壁面に設えられた松明受けで燃え盛っている事だろう。

すぐにまた訪れる為に残していったのか、あるいは単に忘れていったのか。

 

男は、しばらくじっと娘たちを眺めていたが、やがておもむろに立ち上がると、少女たちの方へと歩み寄った。

随分久しぶりに立ち上がったせいか、身体がひどくふらつき、体のそこら中が軋んだものの、何とか倒れもせずに少女たちの元へとたどり着き、ゆっくりとかがみこんだ。

「・・・スリープの魔法か・・・。」

男は、そうつぶやくと、僧衣の下に隠し持っていた短い木の棒を取り出した。

単なる木の棒でないことは、その表面にびっしりと刻まれた神聖文字を見ても明らかであろう。

男は、その杖を一人の娘の上にかざすと、祝詞を唱え始めた。

「偉大にして、慈悲溢れるものよ。大いなるブラギの御力を、わが身に分け与えたまえ。」男の声がいっそう高まる。

「自然ならざる眠りに囚われし者に、疾く健やかなる風を送り込みたまえ。」

男の掌から、柔らかな光が放たれ、少女の全身を照らし出す。

男は、軽く肯くと、もう一人の娘にも同様の処置を行った。

「・・・これでいい。間もなく目覚めるだろう。」

男はそうつぶやくと、手の中の棒を見つめた。

棒は、見る間に黒く変色し、やがてボロボロに崩れ去った。

「レストの魔法も無くなったか。・・・まあ、杖ではなく、携帯用のワンドではこれが限界か。・・・残るのは回復用のライブのワンド一本だけ。」

 

男が漏らすその言葉が終らぬうちに、二人の少女が軽く呻きながら身を起こした。

「・・・大丈夫かね?」

少女達はハッとして身構えた。そして二人ともが咄嗟に腰に手を伸ばし、そこに剣を帯びてない事に気づくと同時に自分たちが薄手の着物を纏っているだけである事実に愕然とした。

「これって??」

「私は・・・一体??」

ひとしきり動揺した後、少女たちは、ほぼ同時に男が着ている僧衣に刺繍された紋に気が付いた。

「ブラギの聖なる紋・・・。」

「ブラギの司祭様ですか?」

男は、その問いに肯くと、自嘲気味に微笑んだ。

「いかにも。・・・だが、いささか神の僕としては不適格かもしれんが。」

怪訝そうな顔で見つめる少女たちに苦笑すると、男は尋ねた。

「ところで、娘さんたち。・・・君たちはどうしてここに?」

男に促されて、少女たちは記憶を手繰りながら、お互いのここまでの経緯を話し始めた。

すると、細部は違うものの、互いがたどってきた経緯が非常に似通っている事を知って驚いた。

 

互いに住人たちに頼まれて遺跡へとやってきた事。そして、遺跡の中で仲間とはぐれてすぐに、複数のロプトマージたちによって襲撃され・・・そのまま眠らされたらしい。

 

男は、少女たちの話が終るとゆっくりと口を開いた。

「・・・ロプトの信徒どもは、おそらく君たちを何かの儀式に利用しようとしている。」

「利用?」

「どういうことなんです?」

男は、少女たちが身に纏っている薄衣を指差した。

「その衣装は、ロプト教団がロプト神に乙女の生贄を捧げる時に用いる物だと聞いた事がある。・・・まさか実物を見ることになるとは思いもよらなかったが。」

少女たちの顔が青ざめる。

丁度その時に、再び外が騒がしくなり、乱暴に錠を開ける音と共にドアが開いた。

「!?・・・なんで目が覚めてるんだ。」

「知るか!・・・それよりも急げ!!」

室内には10人近い男たちが駆け込んできて、それぞれが剣や槍の切っ先を少女たちに突きつけた。

「抵抗はするな!!この外にも大勢の仲間たちがいる。・・・逃げられはせん!」

少女たちは歯噛みしながらも大人しく立ち上がるしかなかった。

男たちは、手早く少女たちに縄をかけると牢から連れ出そうとした。

 

「待ちなさい!!」

不意に司祭が放った鋭い声に男たちが足を止める。

「急に大声を出しやがって・・・。」

男の声を無視すると、司祭は二人の少女に語りかけた。

「・・・気を強く持ちなさい。君たちは必ず助かる。」

「司祭様・・・。」

「もうしばらくすれば、この場に君たちの仲間がきっとやって来る。・・・その者たちが、必ず君たちを救出するはずだ。」

男たちは司祭を殴りつけた。司祭は湿気た地面に倒れこむ。

「司祭様!!」

「なんて事を!!」

男たちは、はなで笑い飛ばした。

「馬鹿なことを・・・死にぞこないは黙っていろ。」

 

司祭はよろけつつも上体を起こした。

「・・・フ・・・死にぞこないでも司祭の端くれよ。どうやらまだブラギ神はこの愚か者に力を貸してくださるようじゃ。・・・わしには見える。真紅の鎧と青き鎧を身に纏いし騎士たちが馬蹄を響かせて突き進んでくる。」

その言葉に、少女たちが驚きの視線を向ける。

司祭は微笑みながら言った。

「だから安心するがいい。少しの辛抱だよ。・・・彼らにきっと君たちの事を伝えよう。・・・名前を聞かせてくれるかい。」

男は、もう一度司祭を蹴飛ばすと仲間をせきたてて外へと歩き出した。

引き摺られながらも、少女たちは声を張り上げた。

「あたしはアーリア!」

「私はジャンヌです。・・・司祭様!!」

二人は、扉が閉まる前に、確かに司祭が肯くのを見た。

 


 

遺跡内のそこかしこで、怒声と悲鳴が巻き起こっていた。

「何をしている。・・・たかが数人の敵ごときに何を手間取っておるのか!!」

「そ・・・それが、恐るべき騎士たちで、傭兵どもはおろか、ロプトのアサシンでさえ歯が立ちません。」

「それどころか、すでに中央神殿への参道付近にまで迫りつつあります。」

「く・・・おのれ・・・。」

 

時間が経つごとに悲惨な報告が多くなる中、ロプトの高司祭と思われるその人物は歯噛みをした。

「・・・まさか、こんなところでフィンスタニス・メンシェンの作戦が進行しているなんてね。」

あまりこの場に似つかわしくない艶のある女性の声が響く。その声の主を見て高司祭は怯えた様な表情を浮かべた。

「・・ま、まさか、四天王自ら御視察に来られるとは思ってもおりませんでした。」

女性はクスッと笑った。

「そんなに緊張する事は無いわ。・・・私がここに立ち寄ったのはあくまでも偶然。・・・でも、知ったからには、みすみす作戦が失敗するのを見ているわけにも行かないわね。」

女性は、細い指を顎に当ててしばし考え込んだ後で口を開いた。

「・・・首領に、・・・ドンヌ大司教に連絡を取りなさい。・・・この作戦が、大司教が進める再生計画に則ったものであるならば、その成否は今後の活動にも影響するはず。・・・ならば必ずや何らかの助言があるはずよ。」

高司祭は額から汗を流した。

「し、しかし、このような失態が知れれば・・・。」

「叱責は免れないでしょうね。・・・でも、全てがふいになれば、叱責だけではすまないはずよ。・・・間違いなくあなたは・・・。」

「粛清・・・ですね。」

その女性は、再び微笑むと踵を返した。

「それじゃあ、私は行くわね。・・・連絡するもしないも御自由に。」

女性は闇に溶け込むようにその姿を消した。

後に残されたのは、高司祭と数人の側近のみ。

「い・・いかがいたしますか?」

恐る恐る尋ねた側近に、高司祭は諦めたような表情で答えた。

「・・・大司祭に連絡をとる。・・・指示を仰ぐのだ。」

そう言うが早いか、高司祭は一人奥の間へと駆け込んで行った。

 


 

人馬一体となって、遺跡の通路を突き進む騎影が二つ。

一人は、鮮やかな真紅の鎧を纏い、輝く長剣を振るっては、立ちふさがる敵を切り裂く。

もう一人は、こちらも鮮やかな青い鎧を纏い、美しい長槍を縦横にふるって敵をなぎ倒す。

 

彼らの通り過ぎた後には、倒された者の骸が折り重なり、彼らの行く手に立ちふさがる者の士気をくじいていた。

 

少し前までは、策謀によって、互いを殺そうとしていたもの同士である。

しかし、そんな事を微塵も感じさせぬ連携で、遺跡の奥深くへと突き進む騎士達。

二人は、余裕の笑みさえ口元に浮かべているのだ。

 

「・・・しかし、こうしてまた馬を並べて戦えるとは思ってもいませんでしたよ。」

青い鎧を身に付けた、空色の髪の騎士がそう語りかけると、真紅の鎧を着た金髪の騎士が微笑みつつ答えた。

「私もそうだ。・・・ユグドラル一の槍騎士の噂は聞いていたが、共に戦ってみて、その噂の真偽がわかったよ。」

真紅の騎士は敵をまた一人切り倒すと言葉を継いだ。

「噂はやはり当てにならない。・・・大陸一どころか、この世界一の腕だよ。」

その言葉に、青き騎士は微笑を返す。

「私も、アグストリアにおける紅の聖騎士の勇名は耳にしていましたが、こうして共に戦うと実感できます。・・・以前よりも更にお強くなられましたね、ノイッシュ卿。」

「・・・フィン。君もな。」

二人は肯き合うと、更に速度を増して通路を駆け抜けて行った。

 


 

同じ頃、別の方角からやはり遺跡の深部を目指して駆ける二人の騎士がいた。

共に蒼と青の鎧を身に纏った若い騎士だ。

 

トリスタンとカリオンは、まるで古くからの戦友であるかのように、息のあった攻撃で敵を蹴散らしていく。

 

『・・・驚いたな、ゼヴァンとのコンビが最高だと思っていたけど、カリオン卿も素晴らしい騎士だ!』

感嘆するトリスタン同様、カリオンもまた舌を巻いていた。

『何て戦いやすいんだ。・・・彼は、常に私が戦いやすいように敵を裁いてくれている!』

若き二人の騎士は、彼らが尊敬して止まない騎士達よりは遅れるものの、着実に遺跡の奥へと駒を進めている。

と、唐突にトリスタンが馬を立ち止まらせた。

「どうしたんだ、トリスタン卿?」

トリスタンは壁の一つを指差した。カリオンがその壁に近づくと、微かだが壁そのものが揺らめいている事に気づいた。

「幻術・・・なのか?」

「カリオン卿もそうお思いか?」

カリオンは肯くと、ゆっくりとその壁の中へと剣先を突き入れた。剣は何の障害もなく壁の中へと入っていく。

トリスタンは、下馬すると注意深く壁の中へと足を踏み入れた。薄い布をくぐったような感覚の後、彼の目の前にはこれまでとよく似た通路が広がっていた。

緩やかに下っている様なその通路には何かしらの秘密があるようにトリスタンは感じた。

いつしか、隣にやってきていたカリオンは短く尋ねた。

「・・・行ってみますか。」

「・・・行きましょう!」

二人の騎士は、再び騎馬に飛び乗ると、通路の先に向かって疾走して行った。

 


 

「もう、持ちこたえられそうにありません。・・・高司祭様は!?」

「奥の間で、大司教と通信中だ!」

伝令に向かってそう告げた側近の顔にも焦りの表情が浮かんでいる。

『・・・まだなのですか、高司祭様!!』

 


 

奥の間では、中央に設けられた祭壇の前に高司祭が跪き、祭壇上で揺らめく炎を見つめている。

その炎の中で、人の姿をした何かが高司祭を見下ろしていた。

「・・・と言う次第でして。」

怯えたように報告する高司祭に、人影ははっきりとした肉声でもって答えた。

「・・・なるほど。・・・偶然とは恐ろしいものよな。まさかその地に要注意の騎士が・・・しかも数人集うとは。」

人影が炎の中で指を鳴らすと、空中に4つのシルエットが浮かび、それがやがてはっきりとした人の姿へと変じた。

人影は続けて話した。

「アグストリアでわが作戦のいくつかを邪魔した憎むべき男、ノイッシュ・・・。」

真紅の鎧を着た壮年の騎士の姿が揺らめいて消える。

「数少ない、勇者の槍の所有者にして、大陸一の槍騎士、フィン・・・。」

空色の髪の騎士は空中に溶けるように消えた。

「彼奴らの配下であるトリスタンにカリオン・・・、いずれもお前たちの有する戦力では太刀打ちできまいな。」

「・・・。」

高司祭は無言で頭を下げた。

人影はしばし沈黙した後で言葉を継いだ。

「・・・よかろう、これより援軍を送ろう。」

「・・・ありがとうございます!!」

「気にするでない。新しき秘術の成否を確認する意味合いもあるのでな。」

炎の中の人影は、不気味に笑うとその姿を消した。

 


 

遥か遠く離れたアグストリアの地にて、残党ロプト教団の首領であるドンヌは不気味な笑みを浮かべていた。

「丁度よかったのやも知れぬな。・・・さて、どいつを送り込むかだが・・・。」

ドンヌはしばし考え込んだ後で肯いた。

「ノイッシュにフィン・・・か。ならば奴らに相手させるとしよう。」

ドンヌは、側に控えていたロプトマージの一人に耳打ちした。

一礼をしてその場を離れたロプトマージは、しばらくすると二人の騎士を伴って帰ってきた。

 

異様な雰囲気の漂う騎士たちである。全身を隙間無く覆った金属鎧は、悪魔を模したかのような醜悪な装飾が施されている。

だが、何よりも邪悪なる雰囲気を撒き散らしているのは、それぞれが携えた武器である。

一人は剣、もう一人は槍を手にしているが、それぞれの武器から、常人ならば発狂しかねないほどの瘴気を放っているのだ。

その二人の騎士を見て、ドンヌは喜悦の表情を浮かべた。

 

「ふふふ。そうか、邪剣ヴィグリードと邪槍ガクンラードも完成しておったのか。・・・ますます好都合じゃ。・・・お前たちの力、そして邪悪なる武器の力、十分に試してくるがいい。」

ドンヌの言葉に、二人の騎士たちはゆっくりと肯くと、その場に膝を着いた。

「ノイッシュにフィン。この世においては無双の勇者かも知れぬが・・・。さて、この世ならざるものはまた、一味違うぞ。ククク。」

ドンヌはおもむろに呪文を唱え始めた。同時に二人の騎士の周囲に光の魔法陣が出現し、瞬きの内に騎士たちを飲み込むと消え去った。

「術の完成度は6割といったところ。・・・引き際は見届けねばな。」

ドンヌは懐から水晶球を取り出すと軽く表面をさすり、短い呪文を唱えた。

その途端に水晶球は遥か彼方の戦場の様子を映し出した。

「・・・なんじゃ、もう既に中央神殿にまで踏み込まれておるではないか。・・・辺境の一神殿とはいえ情けない事だ。・・・フィンスタニス・メンシェンや、ベルクローゼン共々、鍛えなおさねばならんな。・・・ロプトの精鋭として相応しい兵に・・・な。」

水晶球は、二人の勇者の姿を映し出している。

「・・・さあ、もうすぐ。もうすぐ奴らが到着するぞ。」

ドンヌが見つめる中、勇者たちの前に、魔法陣が出現しようとしていた。

 


 

「こ、これは?」

驚くフィンの目前に一人の騎士が姿を現していた。黒と言うよりは闇そのものといえるような体色の馬に跨り、槍を構えた異形の騎士。

 

「真打登場・・・と言うところかな?」

ノイッシュの前にも同様に、闇色の馬に跨った騎士が立ちはだかった。こちらは瘴気を吹き上げる長剣を構えている。

 

異様な雰囲気の騎士たちを前にして、ノイッシュとフィンは慎重に間合いを測ろうとした。

だが、騎士たちは素早く間合いを詰めて切りかかってきた。

 

「チィ!」

ノイッシュは咄嗟に魔剣で受け止め、逆に切りかかるが、敵騎士もまた自らの長剣でノイッシュの斬撃を容易く受け止める。

斬りかえしと受け止め。攻守を幾度となく入れ替えながら、二人の長剣が激突し火花を散らす。

『・・・これほどの手練とは。』

ノイッシュは、的確に急所を狙って打ち込まれてくる斬撃を紙一重で受け流しながら戦慄を覚えていた。

先ほど、そうとは知らずにフィンと対決していた時に感じたのは闘気であったが、今、彼に向かって必殺の刃を振るう騎士から感じるのは、明確な殺意であり、総毛立つ程の殺気である。

 

『・・・だが、不思議だ。・・・この太刀筋は何処かで?』

ノイッシュは、微かな疑問を抱きつつも、逆撃に転じた。

ノイッシュの魔剣が輝度を増し、青白い残像を残しながら騎士に迫る。

だが、異形の騎士は、まるでその斬撃が打ち込まれる場所を予測しているかのように、正確に自らの剣をもって受け止める。

その剣身から立ち昇る瘴気は、ノイッシュの魔剣が輝度を増すごとに、その輝きに呼応するかのごとく瘴気の濃さを増しているようだ。

 

『・・・あの騎士の剣も魔力を帯びているのか?・・・魔剣?』

「・・・違うな。」

「!!」

ノイッシュは驚いて愛馬を飛びのかせた。

『こいつ・・・私の思考を読んだのか!?』

騎士は、低く篭ったような声で話し出した。

「・・・わが剣の名は『ヴィグリード』。かつてロプトに忠誠を誓う1000人の魔女が、その身を贄として捧げ、その血肉によって鍛えられし邪剣。」

「邪剣・・・?」

ノイッシュはその禍々しき名に、何ともいえぬ不気味さを感じた。

「・・・そして、ロプトの12神器の一つでもある。バルドの聖剣に対抗すべく、ロプト神が、御自らの力を分け与えた剣なのだ。」

「ティルフィングに対抗?・・・そのようなもの・・・聞いた事も無い!!」

ノイッシュは、そう言い放つと斬りかかっていく。

『・・・なんなのだ。この、自分が騎士見習いのときに戻ったような不安感は!?』

ノイッシュの攻撃を、容易く捌きながら、騎士は更に話し続ける。

「・・・当然だ。太古の大戦においては完成が間に合わずに、未完のまま封印され続けていたのだからな。・・・だが、今再び蘇りつつある偉大なるロプトの御力により、完全なる形で、いま我が手にあるのだ。」

騎士は、ノイッシュの微かな動揺を突いて、ノイッシュの攻撃をかいくぐり、その胴に拳を叩きつけた。

「ぐ・・・。」

咄嗟に手綱を握り締め、落馬こそ免れたものの、ノイッシュは、邪剣が自らの身を両断する事を覚悟した。

 

だが、その攻撃は行われること無く、騎士は剣をひいた。

見れば、同様に痛撃を浴びたフィンからもう一人の騎士が槍をひいている。

異形の騎士二人は、ゆっくりと馬首をめぐらすとノイッシュたちに告げた。

「・・・足止めは十分に果たした。」

「生贄の乙女たちは、既にロプトの神殿に移送された。」

その不気味な宣言にノイッシュとフィンの顔が青ざめる。

「何だと?・・・それは一体。」

 

騎士たちの周囲に魔法陣が出現し光を放ち始める。

「・・・助けたければ、お前たちもよく知る『あの』神殿へと来のだな。」

 

「ま、待て!!」

「・・・紅の聖騎士・ノイッシュよ。・・・セリスに伝えよ。いずれ私は、お前の元に立ちふさがる。それまでに精進しておくように・・・とな。」

長剣の騎士はそう漏らした。同様に長槍の騎士が口を開く。

「フィンよ。アルテナ、リーフの両名に伝えよ。我もまた二人の前に立ちふさがると。」

騎士はそういって長槍を一振りした。

「この邪槍・ガクンラードを手に・・・。」

その言葉が終ると同時に二人の騎士は姿を消した。

 

「・・・完全にしてやられたな。」

「ええ。・・・あれほどの強さを誇る騎士・・・今まで見たことも・・・。」

「・・・何だ?」

不意に口を閉ざしたフィンにノイッシュが問いかける。

「いえ・・・実は先ほどの騎士ですが、どこか引っかかりを感じていて。」

ノイッシュは驚いた。

「フィンもそう思ったのか。・・・実は私もあの騎士のことを知っているような気がするのだ。」

二人は、普段では考えられぬような不安げな表情を浮かべると沈黙した。

『・・・そうだ。あの去り際の言葉。あれが余計に不安に拍車をかける。』

「・・・私は、多分あの騎士を知っている。・・・気のせいとか、そういった曖昧なものではなく、きっと間違いなく知っているのだ。フィン、君もな。」

「・・・しかし・・・そんな事が。」

「ともかく今は先に進もう。・・・生贄の乙女とは我々の仲間である可能性が高い。」

ノイッシュは再び馬を駆け出させた。フィンもその後に続く。

「残念ながらそうでしょうね。我々をおびき寄せたあの話が、そもそも作り話であったとするならば。・・・いや、それは間違いないような気がしてきました。」

「目的は、乙女の戦士・・・だが、何故だ?」

「解りません・・・ですが・・・今は。」

フィンに向かってノイッシュは肯く。

「・・・そうだな、考えるのは後回しだ。いまはこの先へと急ごう。」

二人の騎士は、並んで神殿奥へと驀進して行った。

 


 

隠し通路を進んだトリスタンとカリオンは、途中発見した牢屋で一人の司祭を救出した。

「・・・司祭様。大丈夫ですか?」

トリスタンは背後に乗せた司祭に声をかける。

「儂の事は気にする事は無い。それよりも急ぐのだ。君たちの仲間が危険なのだ。」

暗く、長い回廊を突き進む彼らの遥か前方に、出口らしきものが見え始めてきた。

 


 

「アーリアさん!!」

アンナフィルは、また一人ロプトマージを切り倒しながら叫んだ。

アンナフィルの視線の先には、広間の最奥に位置する高台に設けられた玉座のような場所があった。

そこには縛られて自由を奪われたアーリアとジャンヌが転がされ、その周囲では、数人の暗黒司祭が一心不乱に呪文を唱えている。

「・・・くっ・・・どきなさい!!」

アンナフィルは善戦をしているものの、何よりも多勢に無勢、なかなか玉座に到達できないでいた。

身軽で素早い剣士として、それなりの力を有するアンナフィルとはいえ、敵の攻撃を完全にかわすことは不可能で、その体のいたるところには敵から受けた傷が刻まれている。

「・・・このままでは。」

「アンナフィルさん・・・無茶はしないで!・・・一旦退いて、トリスタンたちを。」

「そうは行きません!・・・もう少しで突破・・・。」

「・・!!・・・危ない、後!!」

ジャンヌの悲鳴が響く。咄嗟に振り返ろうとしたアンナフィルに、背後から忍び寄ってきていたロプトマージが魔法を放つ。

完全にはかわしきれずに魔法の余波で吹き飛ぶアンナフィル。

「・・・しまった。・・・右手の握力が。」

負傷した右手から左手に剣を持ち替えたものの、利き腕ではない左手の攻撃では防戦するのが精一杯だった。

その様子を玉座の脇で見ていた高司祭はほくそえんだ。

「ククッ。もう一人生贄が手に入るか。」

アンナフィルは、高司祭をキッと睨み付けた。

「・・・負けるものですか。」

 


 

「トリスタン卿!・・・あれを!!」

カリオンが叫ぶまでも無くトリスタンもその光景を目にしていた。

前方の広間での戦いを、そして囚われた女性たちの姿を。

「アーリア!!」

両名は馬を広間へと駆け込ませていた。

「新手か?・・・だが、もう遅い。呪法は完成する!!」

 

時を同じくして、別の入り口からノイッシュとフィンが駆け込んでくる。

縛られた少女たちは身を起こし叫んだ。

 

「トリスタン!! ノイッシュ卿!!」

「フィン様!! カリオン卿!!」

 

「アーリア!!・・・アーリアーーー!!」

トリスタンの声が響き渡る。

「ジャンヌ!・・・必ず助けに行くから気を強く持つんだ!!」

フィンの声が二人に届くと同時に、少女たちはその姿を消した。

 

「フハハハハ。・・・生贄の乙女は既に本神殿へと送った。・・・これで新たなるロプトの時代が・・・ムゥ!?」

高司祭は、自分の背中から胸へと突き抜けた刃を見た。同時に熱さを伴う痛みがかけめぐる。

「き・・・貴様は??」

高司祭は、剣の柄を握る少女を見下ろして驚愕の表情を浮かべた。

「・・・痛めた腕でも、気配も気づけない相手に突き刺すぐらいなら簡単ね。」

そういって更に剣を突き刺すアンナフィル。高司祭は絶叫を上げた。

「ぎゃぁぁぁぁっ!!!・・・な、何故だ!!」

高司祭はそのまま前のめりに倒れるとアンナフィルの剣をその身に刺したまま、玉座から崩れるように落下して床にたたきつけられた。何かが砕けるような音と共に、首がありえない方向に捻じ曲がる。誰の目にも絶命しているのが明らかだった。

 


 

広間に残っていた敵兵は、一人残らず掃討された。ノイッシュたち4人の騎士がそろった以上、勝てるはずは無い。

だが、勝った筈のノイッシュたちの表情は暗い。

 

「・・・さらわれてしまったか。」

ノイッシュが腕組みしつつ考え込むその向うでは、フィンに詰め寄るトリスタンの姿があった。

「先ほど・・・先ほどあなたは何と言ったのですか!!」

掴みかからんばかりの勢いで迫るトリスタンに、フィンはたじろいでいた。

「君は?」

トリスタンはその声を無視して更に尋ねる。

「先ほど、アーリアと一緒に囚われていた女性に、あなたは呼びかけていたでしょう!!」

「あ、ああ。彼女は私が娘同様に育ててきた騎士で・・・。」

「名前は・・・先ほど、あなたは彼女の名前をなんと言いました!!」

「確かに呼びかけた。ジャンヌと。」

その言葉に、今度は一転して呆然とするトリスタン。その身体がゆっくりと倒れだす。

「!!・・・君!!」

慌ててフィンが支えると。トリスタンは真っ青な顔で呟いた。

「・・・そんな・・・まさか。」

「トリスタン卿!?」

司祭から治療を受けたアンナフィルがトリスタンに駆け寄る。フィンは、ゆっくりとその場にトリスタンを座らせた。

「どうしたんですか?・・・お顔が真っ青ですよ!?」

心配そうに覗き込むアンナフィルにトリスタンは答えた。

「妹なんだ・・・。」

「え?」

「さっきの女性・・・生き別れになった妹かもしれない。」

「そんな・・・。」

絶句するアンナフィルから視線を転じてフィンを見上げるトリスタンの顔にはいくらか赤みが戻ってきていた。

「・・・取り乱してすみません。」

「気にしなくてもいい。」

苦笑を浮かべるフィンにトリスタンは問いかけた。

「・・・先ほどカリオン卿より聞きました。あなた方はレンスターの騎士であると。」

「その通りだ。」

「あのジャンヌと言う騎士。・・・もしかしてラケシス様付き侍従武官の女性が連れていた子供ではありませんか。」

「・・・その通りだ。その女性がラケシス王女と共に旅に出た際に、ナンナ王女と共に私が自分の娘として育てる事になった。」

「・・・やっぱり・・・。」

今度は逆にフィンが問いかけた。

「・・・それでは、君がトリスタン?・・・彼女が言っていた。国元に夫と共に残してきた息子がいると。」

トリスタンは肯いた。フィンはため息をついた。

「・・・運命とは不可思議なものだな。」

 

ノイッシュは、その様子を目の端に捉えながら司祭と会話していた。

「では、彼女らが送られたのはイード砂漠の北に位置するあの神殿ですか?」

「・・・おそらくは。なにやらろくでもないことを企んでおるのだろう。これからどうするのだ?」

ノイッシュは、いつの間にか隣に立っていたフィンを一瞥すると答えた。

「無論、救出に行きます。・・・もとより私たちの目的はあの神殿に向かう事でしたから。」

「私も同じです。・・・ノイッシュ卿と再会した時に感じました。きっと我らの目的地は同じだと。」

司祭は、二人の騎士の表情を見て肯くと懐から何か袋に包まれた丸いものを複数取り出した。

「イード神殿には、石化した勇者たちが眠ると言う。これを持っていくといい。」

司祭はノイッシュに包みを手渡した。

開くと中から宝珠が転がりでる。

「これは?」

「・・・先ほど玉座の裏にある隠し収納から失敬した。石化を解く魔力を秘めた、『キアの魔石』だ。キアの杖の宝珠が崩れ去った時に取り替えるスペアと言う訳だ。」

「それで・・・その杖は?」

司祭は首を振った。

「どこにあるかは知らぬ。・・・また、たとえ見つかってもその杖を使いこなせるものがいるのかどうか。」

「それについては、私にあてがあります。杖も、使い手もね。」

フィンの言葉にノイッシュは驚く。

「・・・随分とあの神殿について詳しいのだな?」

「帝国との戦いの時に、我々もいろいろとあったものですから。」

「その話は、またいずれ聞かせてもらう。・・・トリスタン!アンナフィル!」

ノイッシュは二人を呼び寄せるとその肩を叩いた。

「呆けている暇は無い。・・・我々は、これから直ぐにイード神殿へと向かう。さらわれたアーリアたちを助け出すんだ。」

フィンとカリオンも彼らの元に集まってきた。その様子に微かに笑みを浮かべながら、司祭が口を開く。

「・・・どうやら、わしとブラギ様との縁は途切れておらぬようだ。予知が成就しつつある。・・・光の戦士たちよ。そなたらをイードの神殿へと誘おう。」

司祭は一本の杖を手にしていた。

「ここにこのワープの杖が残されていたのも、ブラギ神のお計らいに違いあるまい。・・・闇を打ち払ってくれる事を祈っておるぞ。」

司祭が魔法を唱えるとノイッシュらの周囲に輝く魔法陣が姿を現す。

「司祭殿。・・・あなたのお名前を!!」

司祭はそのノイッシュの問いに笑みを返したのみで何も語らなかった。

戦士たちの姿が光の彼方に消えると、司祭はその場に腰を落とした。

「・・・名は・・・名は意味を持たぬよノイッシュ卿。・・・地位と名誉の為、なにより命惜しさに、フリージ家の悪事に加担していたこのわしの名など。」

司祭は、そういって苦笑すると、背後に声をかけた。

「・・・さて、お主がわしをあの世へと導く死神かな?」

背後の気配は、真っ直ぐに司祭の下へと近づいてくる。

「・・・裁かれるときが来たのかも知れぬ。・・・最後の最後にブラギの使徒として恥じぬ行為が出来たのだ。悔いは無い。」

背後の足音が聞き取れるようになってきた時、司祭はゆっくりとその眼を閉じていた。


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