第20章 終息の訪れ


両軍の動きが、静から動へと転じたその瞬間、空間そのものまでが震えたようだった。

 

必殺の気合を込めた、戦士たちの攻撃が、戦場の方々で繰り広げられている。流麗なる剣技による連撃が閃く向こうでは、破壊力に長けた大型の戦斧がうなりを上げている。

 

春遠い、寒風吹き抜ける大地は、戦士たちの流す鮮血で赤く染まり、その臭気は、風に乗って遥か彼方にまで漂った。

 

両軍共に、これまで数々の激戦をくぐり抜けてきた精鋭同士である。その勝敗は、容易に決するものではなかった。

 

正午頃に、開始された戦闘は、日が傾き始めてからも終わる気配を見せなかった。両軍共に疲労は極限まで達しようとしていたが、誰一人として、刃を引こうとはしなかった。

 

やがて、太陽が地平線に沈もうかという頃になって、双方の指揮官は一時退いて陣形を立て直すことを決断し、実行に移した。

 


 

テウタテスは、味方陣地内を駆け回って、戦士たちを激励していた。

「・・・皆、よく戦ってくれた。緒戦の結果としては、まずまずといってよいだろう。」

騎士たちは、彼の声にじっと耳を傾けている。

「明日こそは、決戦となろう。ドズル騎士として、後世に恥じぬ戦いをしようではないか!」

 

騎士たちは、気合の叫びをあげた。テウタテスは軽く片手を挙げた。

「また、本日の戦いにおいては、二百余名の勇敢なる騎士たちが、惜しくも散っていった。天に召された彼らの為に、祈りをささげようではないか。」

テウタテスは、兜を小脇に抱えるとひざまずいた。

「・・・偉大なる聖戦士。斧騎士ネールよ。雄雄しく戦い、散っていった、ドズルの戦士達の魂に安らぎを・・・。」

他の騎士たちも将軍に倣い戦友の為に黙祷を捧げた。

 


 

同じ頃、解放軍の陣地では、主だった騎士が集って明日の戦いの為の軍議が行われていた。

「・・・テウタテス、噂とは違い、なかなかに粗暴なだけの男ではないようだな。」

エヴァは、ため息混じりに呟いた。その言葉にホークが肯く。

「ええ。・・・どうしても、その戦い方の苛烈さにばかり目がゆきがちですが、相当な用兵家でもあるようですね。今回の戦闘でも、自分は特定の敵と勝負しようとはせずに、常に自軍のもっとも手薄なところを目指して移動し続けていたようです。・・・結果として、討ち取った敵の数は二百名ほど、・・・対するこちら側の損害は百五十名を越す戦死者と、九十余名の重傷者を出してしまいました。」

 

重苦しい沈黙がその場を包む。トリスタンは特務部隊の副隊長としてこの場に同席していた。その脳裏には、昼間の戦闘で、偶然にも急接近した敵将テウタテスの戦いぶりが浮かんでは消えていた。

『・・・あれは、猛り狂う龍だ。・・・今回の戦死者のうち、半数はあの敵将自身の手で血祭りに上げられたようなものだ。』

ふと横を見ると、ゼヴァンも難しそうな顔でうつむいている。恐らくは、彼も同様のことを考えていたのだろう。

「・・・戦闘は、場数だからな。戦いの駆け引き、退く、進むの呼吸なんかは、どれだけ戦場を経験したかによって決まるもんだ。」

ベオウルフの言葉に、場の全員が彼に注目した。

「確かに、奴は強い。まともにやりあって互角に戦えるものはそうはいないはずだ。・・・だがな、どんなに強力な戦士だったとしても、たった一人の武勇によって勝敗が決せられるほど、戦場は甘くない。」

 

ノイッシュは肯いた。

「・・・そうだな、いささか沈みがちになってしまったようだな。・・・グラオリッター隊の要は、テウタテス。・・・という事は、逆に彼を討ち取る事ができれば、流れは一気にこちら側に傾く。・・・明日は、私と直属部隊とで奴の足を徹底的に止めてみようと思う。・・・その分、指揮は各将軍の独自の判断に任せる事となるが、よろしく頼む。」

 

すると、それまで一言も話さなかったアルヴァが口を開いた。

「戦闘を回避する事はできないのでしょうか?」

将軍たちは思いもかけないその提案に、一斉にアルヴァを見た。

「・・・回避?」

エヴァは面食らったような顔で問い返した。アルヴァは真顔で肯いた。

「このまま、戦っても双方の損害は増すばかりでしょう。・・・ならば、ダメでもともと、彼に兵を引くように説得してみるのです。」

「・・・しかしなぁ。」

ベオウルフは首をかしげた。

「皇帝が死んでなお、戦いを挑んできている相手だからなぁ。難しいと思うぜ。」

「・・・どうなさいますか、ノイッシュ卿。・・・もし説得に行くならば、私が敵陣に赴きますが?」

 

ホークのその言葉を聞きながら、ノイッシュは考え込んでいた。みなの視線が、今度はノイッシュへと集中する。

 

やがて、ノイッシュはゆっくりと顔をあげた。

「・・・アルヴァ卿の提案はやってみてもいいかもしれない。戦いを避けれるに越した事は無いからな。だが、ホーク卿。貴公ひとりではあまりにも危険すぎる。」

ホークは微笑を浮かべた。

「ご心配には及びません、私の部隊の者を何人か引き連れてまいります。」

「そんなら、俺たちがついていってやろう。並みの兵よりは強いと自負してるんだがどうだ?」

そう言って力こぶを作ってみせるベオウルフに、ノイッシュはあきれたような視線を送った。

「・・・とか何とか言って。本当は面白そうだから行ってみたいだけじゃないだろうな?」

「・・・おまえ、人を嬉しがりみたいに言うなよ。」

その二人のやりとりに一同から苦笑が漏れる。ノイッシュは肯いた。

「・・・それでは、準備が整い次第に出発してくれ。説得役はホーク卿に任せ、護衛として、ベオウルフ卿と・・・。」

「自分が行きます!」

トリスタンは名乗りをあげた。ノイッシュは肯く。

「では、トリスタン卿に行ってもらう。彼らに万が一のことがあった場合は、ホーク卿の部隊の指揮はアルヴァ卿に任せる。」

「了解しました。」

「特務部隊の場合はゼヴァン卿に任せる。」

「わ、私がですか?」

「そうだ、副隊長だからな。・・・言ってみればこういう事態が起こったときの為に副役職はあるのだ。」

戸惑うゼヴァンにベオウルフが笑いかける。

「ま、心配するなよ。無事に戻ってきてやるから。」

「は、はい!」

ノイッシュは微笑みながらその様子をみていたが、表情を引き締めると立ち上がった。

「では、解散!各自警戒は怠らないように!!」

将軍たちはその号令の下、各自の部隊へと戻っていった。

 


 

「なに?反乱軍から使者が来ただと?」

「ハッ!3人の騎士が総司令に面会を求めています。」

「フム・・・・。」

テウタテスはしばし腕組みをして考え込んだ。しかし、再び腕を解いたときには、その強面の顔に笑みを浮かべていた。

「よかろう。その騎士とやらに会ってみよう。ここに通してくれ。」

「了解しました!」

 

やがて、グラオリッターの一人に案内されて、解放軍の騎士、ホーク、ベオウルフ、トリスタンの3名がテウタテスの前に姿を現した。

テウタテスは、挨拶を述べようとしたホークを軽く手で制すると、ニヤリと笑った。

「挨拶は不要。用件だけを述べてもらいたいものだな。」

ホークは、一瞬面食らったような表情を見せたものの、すぐに微笑を返し、用件を述べ始めた。

「・・・では、単刀直入に用件を申し上げる。これ以上の戦闘は、両軍にとってあまりにも無意味。お互いに兵を引き、休戦にするわけにはいきませんか。」

「いかんな。」

テウタテスはこともなげにそう答えた。

「・・・何故です?」

腑に落ちない表情のホークにテウタテスは言った。

「無意味な戦闘など百も承知。・・・我々はな、いってみるならば戦馬鹿なのだよ。」

「戦・・・馬鹿?」

テウタテスは頷いた。

「そう、戦馬鹿。言い換えるなら、戦場でしか自己というものを認識できない人種・・・そう言ってもいいだろう。・・・だから、貴公ら解放軍にとっては、はなはだ不本意ではあると思うが、我々の戦に付き合ってもらう。」

ホークは呆気に取られた。そんな彼に代わってベオウルフが口を開く。

「あんたの気持ち、なんとなく解るような気がするぜ。・・・言ってみるならば戦士としてのプライドって奴だな。」

テウタテスは満足そうに頷いた。

「その通りだ。・・・貴公、名はなんという?」

「ベオウルフだ。」

テウタテスは再び頷いた。

「勇名は聞き及んでいるよ。・・・これはますます楽しい戦いになりそうだな。」

ベオウルフは肩をすくめて見せた。

「よせやい。男に喜ばれても嬉しくともなんともない。」

テウタテスは笑みを漏らした。

「ふっ。これまで儂に対してそのような口をきいた敵将はおらぬ。貴公、儂が恐ろしくないのか?ここは敵陣の只中で、儂が命令すれば一斉に兵士がなだれ込んでくるのだぞ?」

ベオウルフは不敵に笑った。

「なあに、そん時は3人で囲みを斬り崩してオサラバするだけのこと。少々骨が折れんこともないが、まあ、なんとかなるだろうさ。」

その言葉にテウタテスは呵呵大笑した。

「ふわっはっはっは!!・・・愉快な奴だ!気に入った。気に入ったぞ!・・・誰か!!誰か酒をもってこい!!」

ややあって数人の兵士が樽酒を担いで天幕へと入ってきた。あまりの成り行きに固まっているホークとトリスタンをよそに、テウタテスとベオウルフは酒を酌み交わし始めた。

次々に杯を飲み干していく両者を呆然と見守っているホークらに、テウタテスが話しかけてきた。

「お主らも遠慮せずにやってくれ。心配せずとも毒など入っておらぬぞ?」

それは、見れば解る。両者ともお互いの杯を気にせずに・・・と言うよりも交互に交換しながら同じ樽酒を飲み続けているのだから。

ホークは苦笑いをしながら辞退したが、トリスタンは恐る恐る座につくと、差し出された杯を飲み干した。その様子を見てテウタテスが相好を崩した。

「ほう!見かけによらずなかなかイケるようだな。・・・若いの、名を聞こうか。」

「ノディオンの騎士・トリスタンです。」

「トリスタンか。」

テウタテスは、再び杯を酒で満たすとトリスタンに差し出した。

「その名を覚えておこう。アルスター産の良質の酒だ。存分に楽しんでくれ。」

 

こうして、その奇妙な酒宴はおよそ2時間にわたって続けられた。

最後の方では、ホークも無理やり飲まされていたが、彼自身隠れた酒豪であることが発覚することとなった。

 

アルスター産の酒は、とことんまで酔えるが、醒めるのも早い。使者として訪れた3人が帰還する頃には、その酔いはすっかりと消え去っていた。

 

「明日は、全力をもって戦わせてもらう。・・・貴公らも知略・武勇の限りを尽くして挑んでくれ。それこそが、我らグラオリッターの全将兵が望むことなのだ。」

3人は頷くと、陣地を後にした。

 


 

「・・・そうか。説得は無理だったか。」

ノイッシュは、結果をある程度予測していたのか、その声に落胆の響きはなかった。

「はい。・・・彼らにとって、この戦争の行く末などはもはやどうでもいいのでしょう。ただ、闘争本能に従って、好敵手と戦い打ち負かしたい。・・・その思いだけが此度の進軍につながっているように見受けられました。」

ホークの報告を聞きノイッシュは頷いた。

「解った。明日は渾身の力を込めて打って出ることにしよう。・・・3人ともご苦労だった。夜明けまでまだ充分に時間がある。ゆっくりと休息をとって明日に備えてくれ。」

3人はノイッシュに敬礼を送ると、それぞれの部隊に帰っていった。

ノイッシュは、腕を組んで考え込んだ。

『・・・戦士のプライド。・・・戦士の意地・・・か。』

 


 

翌日は、朝から灰色の雲が空を覆っていた。

両軍は、身を切るような寒さを燃え上がる闘争心で吹き飛ばしながら、戦闘開始より激しい攻防を繰り広げていた。

 

やはり、数の差というものはいかんともしがたいのか、徐々にではあるがアグストリア解放軍がグラオリッター隊を押しはじめていた。

正午を過ぎる頃には、上空から冷たい雨が降り始めていた。

地面を彩る赤い色彩を、まるで洗い流すかのような雨の中、両軍は微妙に縦長の陣形になりながらマッキリー峡谷に差し掛かった。

 

「おかしい・・・。」

ノイッシュは馬上から戦場を眺めながら、奇妙な違和感を感じていた。グラオリッター隊は取り立てて壊走しているわけではない。その戦闘ぶりも、昨日と同様に勇猛果敢なものである。

『昨日と同じ・・・。本当にそうだろうか?』

ノイッシュは、微妙な違和感が頭の片隅で鎌首をもたげ始めていた。

『・・・何なのだ?』

それは、マッキリー峡谷が近づくにつれ、よりはっきりとした形をとろうとし始めていた。

 


 

解放軍中に、いまひとり、奇妙さを感じている将軍がいた。

ホークは、配下の部隊に命令を下しながら、漠然とした不安を感じていた。

『・・・悪寒めいたものを感じる。・・・誘い込まれているのではあるまいか?』

 

見ると両軍ともに、もうかなりが峡谷の中に踏み込んでいる。

「・・・まずいかも知れんな。」

彼がそう呟いたときにどよめきが起こった。

「遅かったか!」

彼の背中を冷たい汗が滑り落ちた。

 


 

だが、どよめきをもらしたのは解放軍ではなく、グラオリッター隊だった。

「何事だ!!」

いささか、恐慌状態に陥っていた最後尾に向かい、テウタテスが馬を飛ばす。

「!!」

彼は、そこにありえない光景を見た。

「・・・これは!?」

 

峡谷の両側のがけが崩れ、まるで強固な城壁のごとく街道を遮断していたのだ。

「・・・馬鹿な?・・・たかがこれぐらいの雨で土砂崩れなど・・・。」

テウタテスはそう呟きながら気づいた。見上げる崖の上方には、何か強力な力で岩塊を削り取ったかのような傷が、広範囲にわたって刻み付けられていた。

「・・・!!シューター部隊は!?」

彼は、この峡谷に敵軍を誘い込んだ後に、峡谷上に伏兵として配置したシューター部隊の攻撃で大打撃を与える作戦を展開していたのだ。

 

 

突如、一条の雷鳴が響き渡った。季節外れのこの稲妻は、峡谷上で黒こげとなったシューターの残骸と、倒れ伏す兵士の骸を浮かび上がらせた。

 

その瞬間、テウタテスは全てを直感した。

「・・・まさか、狐・・・か?」

彼がそう呟いたとき、上方から嘲笑が響いてきた。テウタテスは歯軋りした。嘲笑は続く。最前線からは、むなしく散っていく兵士たちの叫びが聞こえてくる。その声は徐々に多くなっていくようだ。

テウタテスは叫んだ。

「おのれ!タラニス!!・・・貴様、われらの戦いを邪魔するのか!!」

獣が咆哮するかのような激しい叫びに、嘲笑交じりの返答が帰ってきた。

「・・・新たな時代が来るのですよ司令官殿。・・・その新たな時代にあなたの居場所はない。・・・そういうことです。」

「・・・!・・・貴様!!」

「せいぜい頑張って敵軍を消耗させてください。新しき時代のためにね。」

テウタテスは吼えた。

「おのれ!貴様はロプトの犬に成り下がったのか!!マンフロイの走狗に!!」

「マンフロイ?」

その台詞に続けて、さもおかしそうな笑い声が響く。

「何がおかしい!」

崖の上にタラニスが姿を現した。

「マンフロイなど、すでにこの世にはおらぬ。」

「何だと?」

「冥土の土産・・・と言うのはいささか陳腐な表現だが、まあよいか。」

タラニスは、不敵に笑うと、驚くべきことを話し始めた。

 


 

「間違いないのか!!」

イーヴは、バーハラより訪れた使者に駆け寄っていた。

「はい。帝都バーハラは、セリス皇子らの手によって解放されました。また、マンフロイ大司教をはじめ、ロプト教団の主だったものは戦死し、ユリウス皇子もまた同様に打ち倒されました。」

「・・・そうか。」

イーヴは、広間に集まった一堂を見渡した。皆、一様に感慨深げである。使者は続けた。

「現在、帝都・・・王都バーハラの混乱を鎮める為に解放軍の主要メンバーは奔走しておりますが、一段落すれば、各国に帰還されることでしょう。」

イーヴは肯いた。

「それで、・・・エルトシャン王の御子は?・・・アレス王子は御無事なのか?」

「はい。おそらくは数日中にはアグストリアに帰還されることでしょう。・・・既にサイアス司祭を通じてノディオン王国が解放されたことは、アレス王子も御存知です。大変お喜びになられておりました。」

「そうか・・・。いや、取り乱してしまい申し訳ない。遠路はるばるご苦労でした。ゆっくり休養をとってから、バーハラにお戻りください。」

「ありがとうございます。」

使者は一礼すると退室して行った。

イーヴはしみじみと呟いた。

「・・・アレス王子がお戻りになられる。」

 


 

「・・・という訳だ。帝都の主だった教団幹部は死に、ユリウスも死んだ。マンフロイも時代の流れを見誤ったのだ。」

テウタテスは、タラニスが告げた帝都陥落には差して痛痒を覚えなかった。

だが、事実を淡々と語るタラニスに、得体の知れぬ気味悪さを感じていた。

「貴様・・・一体何をするつもりなのだ?・・・今の話だと解放軍の勝利はもはや揺るぐまい。・・・いずれは貴様も滅ぼされよう。にもかかわらず、貴様はこの状況を望んでいたかのようではないか!」

タラニスは手のひらから電光を放った。紫電は猛将をかすめ、地面に突き刺さる。

「・・・私の心配など無用。・・・それに、私の意図など、これから時代の幕間に消え行く貴公が知ったところで意味もあるまい。」

「タラニス!!」

タラニスは踵を返した。

「出番の終わった役者は、潔く舞台を降りるべきですよ。総司令官殿。」

峡谷に嘲笑を響かせながら、タラニスはその姿を消した。

テウタテスは、怒りにわが身を震わせながら呟いた。

「・・・奴は・・・殺しておくべきだったかも知れぬ。」

「総司令官・・・。」

不安げに彼を見つめる部下たち。

テウタテスは顔を上げた。その表情から悔恨と憂いは消え去っていた。

「・・・全軍に告ぐ。作戦は破綻した。これより全力を持って敵・解放軍に攻勢をかける!」

将兵の顔にも覇気が戻ってきた。

「命を惜しむな。後世に恥じることのない、ドズル騎士の死に様を見せてやろうではないか!!」

グラオリッター隊から雄たけびが上がる。

「我に続け!!」

雨はいつの間にかあがっていた。疾駆するテウタテスに負けじと、グラオリッターの将兵が怒涛の勢いで追従する。

 

それまで、押しまくっていた解放軍は、徐々に後退を余儀なくされた。

何とか進撃を阻止しようと努めるものの、その勢いはとまらず、峡谷から、平原へと再び主戦場を移すこととなった。

 

既に死を覚悟して狂戦士のごとく突き進むグラオリッター隊の攻撃は凄まじいの一言に尽きた。

 

斧の一撃はやすやすと兜を砕き頭蓋に食い込む。跳ね飛ばされた首が中を舞う。強烈な一撃を喰らい落馬した騎士は、馬蹄に踏み潰される。

凄惨極まりない光景がそこかしこで展開される。

 

それは、この世に地獄が現出した瞬間だった・・・。

 

だが、数多くの戦死者を出しながらも、解放軍はその統率を乱すことはなかった。

嵐のごとき猛攻を防ぎながら、辛抱強く反撃の機会を待った。

 

「今は防ぐんだ!必ず逆撃に転じる一瞬がある!!」

エヴァ将軍が叫ぶ。

 

「頑張れ。この猛攻もそう長くは続かないはすだ。」

ホーク将軍が味方を励ます。

 

「もう少し、もう少し耐えればきっと・・・。」

アルヴァ将軍が部隊の先頭に立って剣を振るう。

 

「無理にぶつかろうとしなくていいぞ。受け止めるより受け流すんだ。」

ベオウルフが兵士らに助言を与える。

 


 

ノイッシュは、戦場を巡りながら、敵将の姿を捜し求めていた。

「・・・居た。」

彼の眼前には、鎧を返り血でどす黒く染めながら、戦斧を振るう猛将の姿があった。

ノイッシュは、一瞬の迷いもなくテウタテスに向けて駆け出していった。

 

テウタテスもまた、駆け寄ってくる紅の鎧を目に捉えた。その顔に喜悦の表情が浮かぶ。

彼は、刃がボロボロに欠けた斧を放り出すと、従者から新たな戦斧を受け取った。

 

『マスターアクス』

 

数少ない業物の一つである。彼は、ノイッシュを雄敵と認めたのだ。

そしてまた、この戦いの終息の時を、その肌で感じていたのかもしれない。

 

ノイッシュもまた、愛用の魔剣を構えなおした。

一般に、剣と斧とで戦闘を行う場合、その重量と命中率の差によって剣に軍配が上がる場合が多い。

だが、目の前の猛将は、そのような常識を吹き飛ばしかねない実力の持ち主のようだ。

 

テウタテスは、ゆっくりとノイッシュに近寄る。ノイッシュはそれを待ち受けていた。

その距離が一定にまで近寄ったとき、両者の耳からは周囲に満ちた、戦いの喧騒が消えていった。

 

ノイッシュが口を開く。

「グランベル帝国、アグストリア派遣部隊総司令官、テウタテス卿だな。」

テウタテスが肯く。

「いかにも。・・・その真紅の鎧。アグストリア解放軍・七将軍の一人、紅の聖騎士・ノイッシュ卿に相違ないな?」

ノイッシュも肯いた。

 

二人の周囲ではその空気さえも密度を増していくかのようだ。

 

「・・・最後に今一度尋ねたい。・・・兵を引く気はないのだな?」

テウタテスは顔に笑みを浮かべた。

「解りきったことを聞く。せっかくの気分を台無しにしてくれるな。」

テウタテスは戦斧を振りかざした。

「・・・いざ勝負。」

ノイッシュも剣を垂直に立てて礼を返した。

「・・・受けて立とう。」

次の瞬間、両者の体から必殺の気が放たれた。

両者の技量は、ほぼ同等に思われた。

 

しいて言うならば、体格・力に優れたテウタテスに対し、技量と剣速に秀でたノイッシュ。

 

その優劣は、容易に判断できうるものではなかった。

 

テウタテスの放った一撃が、ノイッシュを捉える。驚くべきことに、ノイッシュは後方に向かって愛馬にステップを踏ませながら、正面に盾を掲げてその一撃を受け止めた。

 

左腕に、なんともいえない衝撃が伝わる。大音響の破壊の調べが響き渡る中、盾は粉々に砕け散った。

 

「チッ!」

 

握りだけとなった盾を放り投げると、ノイッシュは両手で魔剣を構え鋭い突きを繰り出した。

その攻撃は、テウタテスの想像を超えるスピードで彼の肩当てを斬り飛ばした。

「なんと!?」

瞬時に体勢を立て直し、正確な突きを繰り出してきた騎士に、テウタテスは感嘆の声を漏らした。

 

 

一組の騎士は、互いに間合いを計りながら、次の攻撃を繰り出すタイミングを計った。

 

「でやっ!!」

「どりゃ!!」

 

気合のこもった声とともに両者がぶつかり合う。

互いに素早い連撃を繰り出しながら、戦場を駆けぬけた。

 

不思議なことに、両者が駆け抜ける空間は、まるで、潮が引くかのように両軍の兵士が退いて道を作っていた。

 


 

一体、何十合、いや何百合、その刃を打ち交わしたのだろうか。

両者は、その間の疲れなど感じていないかのように激闘を繰り広げていた。

 

いまだ決着の見えない両者の周囲では、全体での勝敗が決しはじめていた。

 

多くの屍を野に晒しながらも、アグストリア解放軍はその手に勝利を収めようとしていた。

少々の小競り合いはいまだ続いているものの、もはやその勝利は揺るぎなくなりつつあった。

 

各部隊の将軍たちは、流石に無傷とは言えぬものの、皆戦死することもなく集結しようとしていた。その中にトリスタンも駆けつけた。

 

剣の刃はこぼれ、蒼い鎧は返り血に染まり、盾は既に無くしてしまっている。

それでも、深刻な傷は一箇所として負っていない。彼が着実に成長してきた証と言えるだろう。

 

トリスタンは、将軍たちの輪の中にベオウルフの姿を見つけた。ゆっくりとその傍に近寄る。

ベオウルフが、チラリとトリスタンを見て肯く。トリスタンも肯き返した。見ると、ベオウルフの影にはアーリアの姿もあった。

 

トリスタンの姿に気づいたアーリアは、青年の傍らに移動してきた。

若き騎士は少女に向かって微かに笑みを浮かべてから、いまだ激闘を繰り広げる主将同士の戦いに目を転じた。

 

驚くべきことに、両者の攻防は一向に衰えたような様子を見せない。

それどころか苛烈さを増しているかのようだ。

 


 

だが、形あるものはいつかは壊れる。この世に永遠というものがない様に、この戦いにも終わりの時が近づいていた。

 

両者が再び間合いを取った。

その殺気が、今まで以上に高まった。

 

次の瞬間に行われた斬撃を、目で捉えることができた兵士が一体何人いただろうか。

 

ほとんどのものは、何が起こったのか理解できなかったに違いない。

テウタテスの必殺の攻撃が繰り出された刹那、ノイッシュはさらに加速してその攻撃を回避したのだ。斧ではなく、テウタテスの腕がノイッシュの左肩を叩く。

 

激痛に顔をしかめながらも、突き出されたノイッシュの魔剣が、テウタテスの胴を貫いていた。

 

静寂が訪れる。

 

誰も微動だにできなかった。

 

テウタテスが笑みを浮かべる。

「・・・見事だ・・・・。」

大量の吐血とともにそう言い放ったテウタテスは馬の背よりずり落ちていった。

その巨体が地面に叩きつけられた・・・。

 


 

地面に横たわるテウタテスの周囲には、解放軍の将軍たちが集まっていた。

テウタテスの体を刺し貫いた傷から噴き出す血の勢いが、徐々に弱まっていく。

誰の目にもその死が近いことがあきらかだった。

 

「・・・ノイッシュ卿。・・・最後に戦士として・・最高の・・・・戦いができた。・・・感謝する・・・。」

「テウタテス卿・・・。」

テウタテスは蒼ざめた顔に笑みを浮かべた。

「・・・満足だ。・・・もう・・・思い残すことはない・・・・・・・・。・・・いや、一点だけ、貴公に言い残しておきたいことがある。・・・と言うよりは願いだ。・・・聞いてくれるか?」

ノイッシュは肯いた。

「何なりと。」

テウタテスは体を起こそうとした。トリスタンが、駆け寄ってその体を支える。

「・・・すまんな、トリスタン卿。」

トリスタンは軽く首を振った。テウタテスは、正面にかがみこむノイッシュに真剣な表情で告げた。

「帝国は・・・崩壊した。・・・セリス皇子らの手によって帝都は解放されたようだ。」

「・・・何と!」

驚きがさざ波のように広がる。テウタテスは続けた。

「・・・だが、全てが・・・・終わったわけでは・・ない。ノイッシュ卿・・・タラニスに・・・、フィンスタニス・メンシェンに・・・きを・・・つけ・・・。」

テウタテスの体から急速に力が失われていった。

「テウタテス卿!!」

テウタテスは焦点の定まらない目を必死にノイッシュに向けようとした。

「暗黒からの解放・・を・・・・ユグドラルに・・・平・・和・・・を・・・・・・・。」

 


 

猛将は、その言葉を最後に息を引き取った。

将軍たちは、それぞれがこの強豪の戦死に対して弔いの祈りをささげた。

 

彼らは、テウタテスの言葉がなかったとしても、ある意味悟っていたのだ。

これで全てが終わったわけではないことを・・・。

 

彼らの脳裏には、勝利の歓喜はなかった。

むしろ、今後への漠然とした不安が、その翼を広げようとしていたのだ・・・。

 

 

 

そして・・・。

 


 

マッキリー峡谷の戦いより数週間が過ぎた。

 

ここ、ノディオンの地では、全住民、及び全騎士が、その人物の登場を今か今かと待ち構えていた。

 

黒馬に跨った、その人物が視界に現れたときに、歓声が巻き起こった。

 

アレス王子。

 

ノディオンの、そしてアグストリアの民が待ち望んでいた、聖戦士ヘズルの末裔にして、英雄エルトシャンの王子。

 

数奇な運命に翻弄され、故郷を遠く離れていた王子が、今ここに帰還を果たしたのである。

 


 

長らく真の主を得る事ができなかった玉座に、若き黒騎士が着いている。玉座の隣に位置する席には、アレス王子の恋人であるリーン公女が座っている。

 

この玉座の間に集った人々は、在りし日のエルトシャン王と、グラーニュ王妃を思い起こしたことだろう。

 

この場には、アグストリア解放軍の主だったメンバーが集っていた。

イーヴ、エヴァ、アルヴァ。

ホーク、ルファス、アーダン、ベオウルフ。

 

そして、ノイッシュ・・・。

 

若き王子は、彼らを前にして、まずは頭を下げた。

 

「・・・諸卿の活躍は、サイアス司祭から聞き及んでいる。・・・父亡き後、また、私が不在の間、帝国の暴虐からアグストリアの民を守ってくれた事、感謝の言葉も無い。」

 

アレスは席を立つと、跪く諸卿に歩み寄り、自らもしゃがみこむとイーヴの手をとった。

「また、本来ならば、私が率先せねばならなかったノディオン城の奪還まで成し遂げてくれた。・・・すまなかった。」

 

イーヴは若き日の主君に生き写しの王子の言葉に熱いものがこみ上げてきた。

「・・・もったいない、御言葉・・・。」

そう言うのがやっとであった。

 

アレスは、肯くと、皆に立つよう促した。

「今後は、私もアグストリア解放軍の一員として、諸卿たちと共に戦う!・・・未だにこの地に巣食う、ロプトの邪教徒、及び帝国残党、盗賊どもを一掃しようではないか!!」

全員が片手を突き上げて若き王子の言葉に賛同の意を表した。

 

その後、アレスは各将軍達に、一人一人声をかけていった。

最後に、真紅の鎧を身につけた騎士の前にアレスは立った。

 

「・・・ノイッシュ卿。これまでのあなたの活躍。本当に感謝します。」

アレスは、他の将軍よりも丁寧な口調でノイッシュに語りかけた。戦友であるデルムッド、ナンナ兄妹の父であるこの騎士は、彼にとっては叔父にあたる。また、亡くなった彼の父にどこか似ていると、シャナン王子やオイフェ卿から聞かされていたアレスには、彼との邂逅は、特別な感慨があったのだ。

 

アレス王子の供として、ノディオン入りしたデルムッドも、久しぶりに再会した父をまぶしそうに見つめている。

 

「・・・私は、自ら課した誓いを果たしただけです。気になさるな。」

紅の聖騎士は、そう言って微笑んだ。

 


 

その夜は、盛大な祝賀会が催される事となった。それに先立って式典が行われ、多くの騎士見習いが正騎士に任じられた。

また、正騎士の中でも、特に勲功著しい騎士が、聖騎士・パラディンへと昇格する事が決定した。

 

その中には、トリスタンと、ゼヴァンの姿もあった。

真新しい、聖騎士の鎧を身に纏った若き騎士は、ノディオンの、いやアグストリアの新たな息吹を象徴しているかのようであった。

 


 

夜半を過ぎても、宴は終わる気配を見せなかった。

城下町でもまた、市民たちの歓声が絶えることが無かった。

 

いま、その城下町を見下ろす胸壁上に、真紅の鎧を身につけた一人の騎士の姿があった。

なんともいえない柔和で落ち着いた表情を浮かべた騎士・ノイッシュは呟いた。

 

「・・・これで、一段落だな。」

「一段落だ。」

突然かけられた声に、別段驚いた風でもなくノイッシュは振り返った。

そこには、両手にワイングラスを持ったイーヴの姿があった。

彼は、黙って一つを差し出した。

「すまないな。」

ノイッシュはそう言うとグラスを受け取った。二人は軽くグラスを掲げると、その中身を飲み干した。

 

しばし無言で、風に乗ってくる歓喜の声に耳を傾けていた二人だったが、やがて、イーヴが口を開いた。

 

「・・・行くのだな。」

ノイッシュは肯いた。

「ああ。」

 

再び無言で佇む二人。彼らのマントを夜風がはためかせた。ノイッシュが空を見上げて呟くように言った。

 

「・・・アレス王子が帰還された。・・・それに間に合うように、このノディオン城も取り戻す事ができた。・・・今の段階で私がアグストリアで成すべき事は全て終わったよ。」

彼はそう言うと踵を返した。

イーヴは、その背中に向かって声をかけた。

「・・・姫様のこと、・・・頼んだぞ。」

ノイッシュは、振り返らずに軽く右手を上げただけでイーヴの言葉に応えた。

 


 

城内に足音が響く。ノイッシュの鉄靴が反響した金属的な音だ。

と、柱の影から一人の人物が姿を現した。

「・・・父上。」

「デルムッドか。」

 

親子は、ようやく話す機会を得たのだ。にもかかわらず、ノイッシュがかけた言葉は短かった。

「大きくなったな・・・。」

「父上も・・・お元気そうで。」

ノイッシュ微笑んだ。

「ナンナも元気らしいな。・・・なんでもレンスターのリーフ王子と・・・。」

デルムッドは苦笑した。

「ええ・・・。まあ。」

ノイッシュは息子の肩を軽く叩いた。

「・・・アレス王子のこと、よろしく頼むぞ。」

デルムッドは肯いた。

「父上も・・・どうかお気をつけて。」

ノイッシュは、肯くと、そのまま歩み去って行った。その後姿を見送った後、デルムッドは踵を返した。

 

イーヴも、デルムッドも、ノイッシュが成そうとしている事を、敏感に感じ取っていたのだ。

 


 

夜明け前、喧騒も落着いて、城内も、城下町もともに静まり返る中、一騎の騎影が、街道を東進していた。

 

ゆっくりと、だが着実に東へと進んでいく。

ややあって、地平から曙光が差し始めた。その黄金の光を浴びて、騎士のまとう鎧が燃えるような紅色に輝く。

 

騎士は、目を細めて行く手から登ってくる太陽を眺めた。確認するかのように腰に手をやると、そこには幾多の死闘を潜り抜けてきた、無銘の魔剣が吊り下げられている。

 

騎士は、気合の声とともに愛馬を駆けさせた。

短くそろえられた黄金の髪が、朝焼け空に映えながら風になびく。

 

かすかに馬蹄の響きをのこして、騎士は地平の彼方へと駆け去っていった。

 

 

・・・かくして、王子の帰還に沸くノディオン城より、一人の騎士が姿を消した。

そして、彼が再び歴史の表舞台に現れるまでに、しばらくの時間を要することとなる。

 

大陸に名を馳せる、名うての騎士。

閃光のごとく魔剣を振るう、紅の聖騎士・ノイッシュ・・・。

彼が、再びこのアグストリアの大地に戻ってくるとき、それは、ユグドラルを揺るがせる大事件の幕開けとなるのだが・・・。

 

 

それはまた、別の物語である。


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