第18章 祭壇


ドンヌは、笏杖の先端に取り付けられた水晶球を眺めながら喜悦の表情を浮かべていた。

鈍く光る水晶球の表面にはノディオン城の人々の動きが、つぶさに映し出されていた。

そこには、呪法の解呪の為に四方に走る戦士の姿が映し出されている。

「・・・無駄な足掻きをするものよ。四方の祭壇を守護するのはただの人ではない。不完全とはいえ復活した魔将たちよ。聖戦士の血による加護の無いものに果たして勝てるものかな?」

「・・・あまり自分を過信せぬが良かろう?」

彼の目前には、一人の老人が現れていた。その姿は不自然に揺らめいている。

「・・・久しぶりじゃなマンフロイ。イード砂漠で袂を分かって以来か。」

虚像の老人はドンヌに対して顔をしかめて見せた。

「お主何を考えておる?・・・何故、幾度もの召還に応じようとせぬ。忌々しい聖戦士どもの末裔は、帝都バーハラに近づきつつあるというのに・・・。」

「・・・そういえば貴様の孫娘も反乱軍どもに寝返ったそうじゃな。レンスターの王子もなかなかに女を丸め込むのが得意のようじゃな。」

「質問に答えろ!!」

激怒するマンフロイとは対照的に、ドンヌはどこまでも落ち着いていた。

「やれやれ、・・・儂はな、お前たちと違ってロプト帝国の再建など望んでおらぬ。そんな些細な事よりもっと崇高な目的があるのじゃ。」

「崇高だと!?・・・我ら虐げられしロプトの民にとって帝国の再建以上の目的などあるものか!!」

「儂にはある。」

マンフロイは怪訝な表情で問うた。

「その目的とは、貴様が盛んに行っている死霊魔術と関わりがあるのか。」

ドンヌは肩をすくめた。

「さてな。まあいずれ解る日もこよう。もっとも、その日まで貴様の命があることを偉大なるロプト神に祈っておくよ。」

「まて、ドンヌ!話はまだ終わって・・・。」

「残念じゃが、儂は忙しい。ではな。」

ドンヌが片手を虚像にかざすと、瞬時に虚像が消失した。

甲冑を身に纏った老魔術師は、背後を振り返った。

「首尾はどうじゃな?」

背後の闇の中から、一人の男が姿をあらわした。

「生贄たる、聖戦士の血統の娘はここに。」

見ると、男の腕には気を失ったリンダが抱えられていた。

「ご苦労だった、グラント。その娘を主祭壇に縛り終えたら、直ちに作戦の第二段階に移れ。」

「は、・・・では我らフィンスタニス・メンシェンの本隊はマディノ城に移動いたします。」

「行動は迅速にな。・・・儂もすぐ後を追う。」

グラントは少女を祭壇へと拘束した。

「では、マディノにてお待ちしております。」

司祭が肯くのを確認してから、男は漆黒の闇の中へと消えていった。

「・・・さて。・・・もう出てきたらどうじゃ?」

その声に反応するかのように、老司祭の前に二人の人物が姿を現した。

サイアス、ガレスフの二人である。

「・・・やれやれ。マンフロイも耄碌したと見える。見てすぐに気づかぬものかな?あの男の若い頃に生き写しではないか。」

老司祭とは対照的な純白の僧衣を纏った赤毛の青年は叫んだ。

「ドンヌ司祭!直ちに呪法を中止し、その女性を解放しなさい!」

青年の傍らではガレスフが大剣を構えている。その姿をみて、老人は嘲笑めいた表情を浮かべた。

「ガレスフ卿。貴公、帝国に刃を向けるのか?」

「だまれ!他の将軍が不在である事をいいことに、独断で味方ごと敵を葬り去ろうとは・・・。私は、帝国に仇なそうと謀る奸物を誅しようとしているだけだ!」

「独断?・・・それは違うな。これは他の将軍にも了解を得ておる。」

「バカな・・・?一体誰に!?」

「貴公の上官、タラニス副司令官だ。」

「なっ!?」

ガレスフが息を呑んだその隙をついて、老司祭の魔法が放たれた。

 


 

ノディオン城に残ったイーヴ、ホークらは、用意していた救援物資を、市民に対して配布していた。と、同時に先程のドンヌの宣言に怯える民衆を安堵させるよう奔走していた。

 

その甲斐あってか、さしたる混乱も起こらず、順調に城内の掌握が進んでいった。

事態が収束に向かう頃、七将軍のうち、残った面々はノディオン城の玉座の間に集結していた。

「どうも、ここ数ヶ月、ノディオン駐留の帝国軍はそれほど非道を行ってはいなかったようですね。」

ホークが短期間で集めた情報を報告していた。

「・・・紅の貴公子か?」

そう問うエヴァに、ホークは肯いた。

「はい。実際、彼がこの城の指揮官となってからは、帝国軍の暴虐はなりを潜めたようです。彼以前にこの城を統治していたフィンスタニス・メンシェンの騎士は、かなりの圧制と欲望の限りを尽くしていたようです。ですが、ベレノス卿着任と同時に捕らえられて公開処刑されたようです。同様に、彼と共に欲望の赴くまま暴走していた者達も処刑されています。」

「・・・そして、その後は民衆を味方にする為に圧制をひかえ、市民に気を配って統治の体制を固めていたわけだな。」

イーヴの言葉にホークは肯いた。

「・・・おそらく、あと数ヶ月、いえ、一月この城で粘られていたら、我々の勝利は危うかったかもしれません。」

イーヴはため息をついた。

「しかし、解らぬ。・・・これほど我等を苦しめておきながら、何故ベレノス卿は急にこの城を出ねばならなかったのか・・・。」

イーヴは、窓に歩み寄ると、夜空を見上げた。

不気味な光の柱は、依然奇妙な明るさをもってそびえたっている。

 


 

当のベレノスは乱戦の只中にあった。

タラニスによる不意打ちを受けたベレノスら、ロートリッター隊は、戦いの開始直後こそ混乱したものの、すぐに態勢を整えて、迎え撃った。

しかし、タラニスは、ことここに至るまでに、数々の罠を、二重、三重に仕掛けていたようだ。彼の率いるゲルプリッター隊は、巧妙に張り巡らされたそれらの罠にロートリッター隊を誘い込んでいった。

こうして、再び沸き起こった混乱は、いかなベレノスとはいえ、容易に押さえ込むことはできなかった。

ただ、タラニスにとって誤算だったのは、ベレノス隊の練度の高さとそれに裏打ちされた個々の騎士の戦闘能力及び判断力の優秀さをいささか低く見積もりすぎていた事だ。

 

ロートリッター隊は、体制を立て直すことが困難だと判断すると、小隊単位での敵陣からの突破を選択したのだ。

一見無謀とも思える試みだが、彼らの戦闘力の高さからすると、決して無理な事ではなかった。

 

タラニスは、部下たちからもたらされる報告を聞きながら、思わず歯軋りしていた。

「・・・よもや、奴らがここまで善戦するとはな。」

「いかが致しましょうか?」

部下の問いにしばし考えたタラニスは顔をあげた。

「突破しようとする者は無理に阻止せずとも良い。・・・ただし、ベレノス、アルティオ、ルゴスの3名は、いかなる手段をもってしても我が前に連れて来るのだ。生死は問わぬ。」

タラニスは不適に笑って繰り返した。

「生死は問わぬ。」

 


 

「ロートリッター隊の様子がおかしい?」

部下から報告を受けたレイヤは怪訝そうな表情で考え込んだ。

「隊長、引き返したほうがよろしいのでは?」

「待ちなさい。」

エイルの言葉を遮るように杖を手にした賢者が口を開いた。

「我々は予定通り、このままアグスティへと帰還すればよい。」

そのヴェゴ卿に詰め寄ろうとするエイルを片手で制し、レイヤは疑問を投げかけた。

「・・・そういえば、ヴェゴ卿。我々の先発を強固に主張したのは貴公だったな。・・・まさかとは思うが此度の事について何か知っているのではあるまいな?」

ヴェゴはニヤリと笑った。

「・・・やはりそうなのだな。貴様、何を企んでいる!!」

レイヤの詰問に、賢者は相変わらずの冷笑で答えた。

「貴様!?」

「もう遅い。今ごろ彼奴らは血祭りにあげられているであろうよ。」

「何だと!」

ペガサスナイトらと魔道士達の間に緊張が走る。それぞれが御互いのリーダーの動向に注視する。

「・・・大恩あるベレノス卿を謀殺するつもりか!」

レイヤの追及にヴェゴは不思議そうな表情を見せた。

「大恩?それは海賊どもを退じてくれたことについてか?・・・フン、あれは我らの為ではない。奴らの都合よ。」

「何!?」

「・・・そもそも、此度の謀略は私が謀った事ではない。言ってみれば帝国内部のいざこざに過ぎぬ。」

「バカな・・・。」

「信じられぬなら言ってやろう。私に協力を依頼したのは帝国軍の副司令官の一人タラニス卿よ。私はその企てに協力したに過ぎん。」

 

徐々に感情を昂ぶらせ話すヴェゴの言葉を聞きながら、レイヤは逆に冷静になっていった。そして彼女はあることに気づいた。

「貴様の配下の魔道士の数が少ないな。・・・まさか。」

ヴェゴは勝ち誇ったように笑った。

「いかにも、既にタラニス卿の部隊と共にロートリッター壊滅の為に一役買っておるはず。・・・お主らも、命が惜しければ余計な事は考えずにこのままアグスティへ帰還することだな。我らが真に仕えるべきは、シレジア王家であり、あの赤毛の小僧ではあるまい?その事をよく考えるのだな!!」

 

ヴェゴはその言葉が終わると同時に、残った部下ごと魔法で何処かへと移動していった。

 

思わず自らの天馬に跨って飛び出そうとしたフノスをエイルが止めた。

「どこに行く!!」

「ベレノス様の元へ!このままでは・・・。」

エイルはより強い力で妹の腕をつかんだ。

「それを決めるのは、将軍だ!勝手なまねをするな!!」

「でも・・・。」

フノスは、エイルに促されてレイヤの方を見た。

美しき将軍は、意を決したように皆を見た。

「・・・ヴェゴの言うように、我々はシレジア解放同盟の騎士であり、その忠誠は第一にシレジア王家に対して払われるべきだ。」

「お姉さま!!」

フノスの言葉を片手を上げて制すと、レイヤは続けた。

「・・・されど、オーガヒルの一件で、我らが盟主ブリンディ公は、多大なる恩をベレノス卿より受けている。これを反故にするのは、国云々以前に、騎士として恥ずべき行為だ。」

騎士たちは、黙ってレイヤの言葉を待っている。

「また、此度の事は、ヴェゴ卿の独断である可能性が高い。我らがブリンディ公より賜った任務は、ベレノス卿を助けるようにとの命令であり、その命が撤回されない限り我等は騎士として主命に従う義務がある。逆にその命に反する行いをしているヴェゴ卿こそが主命にそむく反逆者といわざるを得ない。」

「それでは!?」

先程までと一転し、希望を湛えた瞳を向ける妹に対してレイヤは肯いた。

「これよりベレノス卿を援護し、逆賊であるヴェゴを討つ!全軍反転せよ!!」

天駆ける騎士たちは、機敏に隊列を反転させると、暗い夜空に飛び立っていった。

 


 

「なあ、何で帝国の騎士であるお前さんが、俺の後ろに乗っているんだ?」

ゼヴァンは、軽くアミッドの方を振り返りながら尋ねた。

「・・・あのまま座して死を待っていては、妹を探す事もできない。・・・俺は、何としても妹を助け出さなくてはならないんだ。ならば、一時的にでも貴公らと手を組んだ方が得策だと思っただけだ。」

ゼヴァンは軽く肩をすくめて見せた。

「やれやれ。ここにもシスコンが居たって訳だ。」

彼は並進する相棒を見やった。

 

「・・・どうかしたのか?」

「別に。」

トリスタンは、そっけない返事を返すアーリアに戸惑っていた。

「そうかい?なんか、さっきからずっと機嫌が悪そうじゃないか。」

「何でも無いったら!それよりもちゃんと前を見て走りなさいよね。」

取り付くしまの無い様子のアーリアにますます混乱しながらもトリスタンは愛馬を駆った。

彼らの目前には、かすかに祭壇らしき影が見え始めていた。

 


 

一番初めに、光の柱のもとに辿り着いたのは、龍馬に跨ったアーダンだった。

簡素な祭壇の前で、一心不乱に呪文を唱える男。その男こそがこの大掛かりな呪法を執り行っている魔道士の一人なのであろう。

 

アーダンは、鞍に吊るした大剣を鞘から抜き放ち、一息に踊りかかろうとした。

「・・・マテ!・・・貴様ノ相手ハ、私ダ!」

いささか不自然な声色と共に、騎影がアーダンの前に立ちふさがった。

 

赤銅色の甲冑に全身を覆われた巨漢の騎士である。その背丈はアーダンよりも更に頭一つ飛びぬけていた。

何よりもアーダンが驚いたのは、その騎士が乗る馬もまた龍馬らしい事だった。

アーダンは自らの龍馬の驚きが伝わってきた。それによって、その騎士が跨る龍馬が、彼の龍馬の仲間であった事を悟った。

 

油断無く剣を構えながら観察すると、どうやら人馬共に正気では無さそうである。騎士の体から立ち上る闘気は、人が放つものとは思えぬ邪悪さを漂わせているし、その馬の瞳は霞がかかったかのように白濁していた。

 

「忌マワシキ、聖戦士ノ走狗ヨ。我ガ剣ノ前ニ、無様ナ屍ト化スガイイ!!」

邪気を刀身に纏わりつかせながら、騎士はアーダンへと切りかかってきた。

アーダンは、その斬撃を盾で受け止めると、つい先日新調したばかりの銀の大剣で切りつけた。

騎士は、その攻撃を素早く引き戻した自分の剣で受け止めた。

連続した金属音が周囲に木霊する。

両者が振るう大剣は、細部は異なるものの、大きさは非常に似通っている。

それぞれ、刀身は人の背丈ほどもあるだろう。

その巨大な剣を、あたかも棒切れでも振り回すかのように、軽々と扱って斬撃の応酬を繰り返しているのだ。

 

傍目からみれば、その素早さ故に、それが超重量の凶器による激戦とは俄かには理解できないだろう。

しかし、実際はどちらかが攻撃を受け損なえば、それが即ち死につながるほどの緊迫した戦闘なのだ。

 

数度にわたる鍔迫り合いの後、ひとまず間合いを取ったアーダンは、かつて無いほどの強敵を前に、微かな焦りを感じ始めていた。

 


 

アーダンに僅かに遅れて祭壇に到着したのはベオウルフだった。彼の目の前に立ちふさがったのは、巨大な戦斧を携えた、覆面の戦士だった。

「やれやれ。お前さんが、俺の相手って訳かい?」

戦士は無言で切りかかってきた。ベオウルフは、軽く馬をジャンプさせてその攻撃をかわすと、自分の長剣を引き抜いた。

その顔が普段からは想像がつかないほどに引き締まっていった。

重そうな戦斧を驚くべき膂力で弾き飛ばすと、態勢を崩した戦士の喉めがけて素早く剣を突き入れた。

 

鮮血を吹き上げながら、そのままあお向けに倒れる戦士に一瞥をくれると、ベオウルフは祭壇に駆け寄って呪文を唱えていた魔道士の首を跳ね飛ばした。声も無く絶命した魔道士を見下ろしたベオウルフは、光の柱が未だ健在であるのを確認した。

「やっぱ、この祭壇を破壊しなきゃダメって訳かい。」

即座に剣を振りかぶったベオウルフだったが、急に殺気を感じて、馬に覆い被さるように身を伏せた。

その上をうなりをあげて戦斧が通過する。

起き上がったベオウルフはおどけたように肩をすくめた。

「おいおい、こいつは何の冗談だ?」

 

彼の視線の先には、首から未だ鮮血を滴らせながら、斧を振りかぶる戦士の姿があった。

 


 

ノイッシュは、祭壇をはさんで剣士と対峙していた。その足元には、体を両断された魔道士の死体が転がっている。

首尾よく魔道士を倒したノイッシュの前に、その剣士は唐突に出現していた。

無駄の無い足運びと、正確で素早い太刀筋から、ノイッシュは、この敵がソードマスターである事を見抜いた。

 

ノイッシュの左肩からは血が流れている。先程の斬撃の際に、この剣士によってつけられた傷だ。

対して、相手の剣士の胴も、大きく切り裂かれていた。ノイッシュの魔剣が、カウンター気味に剣士の胴を払ったのだ。

 

本来であれば致命傷である傷を受けてなお、平然と立つ剣士を見て、ノイッシュは敵の正体を悟った。

「・・・魔将か。」

そのノイッシュの声に、剣士は不敵に笑った。

「・・・イカニモ。我ガ名ハ“ノイン”第9ノ魔将・・・。」

しかし、ノイッシュは、伝説の魔人を前にしても落ち着いていた。

「ホゥ・・・。タイシタモノダナ。我ガ恐ロシク無イノカ?」

ノイッシュは苦笑した。

「確かに、完全体の魔将ならば、平然としてはいられなかっただろうな。」

その言葉に、魔将は眉を吊り上げた。

「・・・何ガ言イタイ?」

「それは貴様が一番よく分かっているのではないか?」

剣士は鬼のごとき形相になると、奇声をあげながらノイッシュへと飛び掛ってきた。

しかし、ノイッシュは冷静に手綱を引いて、馬を後退させると、その斬撃をかわした。

同時に、剣士の死角から左手で槍を突き出し剣士の体を貫いた。

その途端に強烈な腐臭が辺りに漂う。

「・・・やはり、完全に蘇生できた訳ではなかったということか。」

剣士は、地面に串刺しにされながら尚ももがいた。

「・・・オ、オノレ・・。」

ノイッシュは馬上で魔剣を一閃すると、剣士の首を跳ね飛ばした。

しかし、さらに激しく暴れるその体に、嫌悪の表情を向けながら、ノイッシュは周囲の様子を窺った。

「・・・どこかに、魔力の供給源があるはず。」

その視線が、祭壇の上で止まった。

「これか!!」

ノイッシュは地面に刺さったままの槍を引き抜くと、ノインの体ごと祭壇へと投げつけた。

祭壇が破壊されると同時に、凄まじい絶叫が響く。

それは、切断された生首から発せられていた。

しかし、それも長くは続かず、祭壇の破片にうずもれた胴体が朽ち果てるように崩れ去ると、頭部も同様に朽ちていった。

 

ノイッシュは空を見上げた。

光の柱は、徐々に輝きを失い、やがて、完全に消滅した。

「・・・まずは一つ。」

 


 

「・・・何のつもりだ?」

右腕を突き出した姿勢のままドンヌは尋ねた。その首筋には背後の人物が突きつけた切っ先が光っている。

 

サイアスは、ドンヌが放った魔法の直撃を受けたガレスフに回復の魔法を唱えながら、事態の急変にいささか混乱していた。

 

彼の目前では、ドンヌが、長身の戦士によって動きを封じられている。

「・・・それはこちらの台詞だ。このような作戦は聞いていないぞ。」

「ルドラ・・・貴様儂の言う事が聞けぬのか?貴様を四天王に抜擢したのは儂だぞ!」

剣士は鼻を鳴らした。

「そんなものに興味は無い。何なら今すぐ辞めてやろう。・・・俺が望むのはただ一つ。」

ドンヌは、あきれながら聞いた。

「・・・あの小僧か?・・・解せんな、貴様ほどの男が何故あの小僧に拘る?」

「貴様にはわかるまい。・・・あの男はこのような呪法で殺すには惜しいのだ。」

ドンヌは、ため息をついた。

「・・・それほど言うならあの小僧の元に送ってやる。あの小僧はいま祭壇の一つに向かっておる。・・・そこまで転送してやろう。」

「・・・いいだろう。」

ルドラは剣を引いた。同時にドンヌは呪文を詠唱する。

「・・・貴様のようなものを配下にするのも一興かと思ったが、どうも相性が悪いようじゃな。・・・もう戻ってこずとも良いぞ。」

ルドラは凄絶な笑みを浮かべた。

「フッ。刺客を送ってきてもかまわぬぞ?」

「ムザムザ戦力を消耗させるほど愚かではないわ。」

ドンヌは面白く無さそうに言った。そして、笏杖を一振りするとルドラに突きつけた。

その途端に剣士の姿は掻き消えていた。

「・・・やれやれ、とんだ邪魔が入ったものじゃ。さあ、続きを始めるとしようか?」

ドンヌはサイアスらの方に向き直った。

「四方の柱のうち一つは消えた。もう諦めたらどうです!」

「下らん!」

サイアスの言葉を鼻で笑い飛ばすとドンヌは口を開いた。

「この呪法は、一度発動したが最後、全ての祭壇を破壊せぬ限り止む事は無い。まぐれで祭壇の一つを破壊したぐらいでいい気にならぬことだな。」

ドンヌの右手から禍々しい邪気が漂い始めた。

 


 

「何だ!!」

トリスタンらの目前で光柱は消失した。

訝しがりながら祭壇へと駆けつけた彼らは、破壊され尽くした祭壇と、そこに横たわる二体の惨殺死体を見た。

そして、ゆらりと立ち上がる長身の剣士の姿を。

剣士はゆっくりと振り返った。

「・・・ルドラ?」

トリスタンは、驚きと共に剣士の名を呼んだ。

「待っていたぞ。ノディオンの騎士トリスタン!」

トリスタンは、馬から下りると剣士に近づいた。

「・・・これは、あなたがやったのか?」

ルドラはフッと笑うと剣を引き抜いた。

「そういうことだ、誰にも我々の勝負を邪魔されたくなかったのでな。」

「ルドラ・・・。」

「剣を抜けトリスタン!・・・祭壇は破壊した。これで貴様も心置きなく戦いに集中できるだろう!」

「・・・。」

「お、おいトリー・・・。」

声をかけるゼヴァンを軽く片手をあげ制するとトリスタンは剣を抜いた。ルドラは満足そうに肯いた。

「よし。それでいい。」

ルドラは、軽く剣を振った。そこで、思い出したかのように馬上のアミッドに話し掛けた。

「そうだ、貴様の妹はドンヌのところだ。」

「何だと!!」

「この先の主祭壇だ。生贄にするそうだが、今なら間に合うはずだ。」

「・・・あの集団はフィンスタニス・メンシェンだったのか。だが、なぜその事を教えた!」

「契約が切れた今、俺は奴らと何の関わりも無い。俺はこの男との勝負を誰にも邪魔されたくないのだ。いつも不思議と邪魔が入るのでな。・・・さっさと行け。」

ゼヴァンはトリスタンに目で合図を送ると、肯きあった。

「トリー!おれはこいつと一緒にその祭壇に向かう。・・・負けんなよ!」

「ああ!」

アミッドも叫んだ。

「すまない、先に行かせてもらう!」

トリスタンは微笑みかけた。

「頑張ってくれ、きっと妹さんは助かるさ!」

アミッドは肯くと、ゼヴァンと共に森の奥へと消えた。

「女!お前は行かないのか?」

アーリアは馬から下りると言った。

「わたしは、証人さ。トリスタンが勝つところを見させてもらう!」

ルドラは、ニヤリと笑った。

「好きにするがいい。だが邪魔立てすると殺す!」

「そんな必要ないよ。トリスタンは勝つ!」

アーリアはそう言うとトリスタンを見た。トリスタンも少女を見て肯いた。

「・・・では、始めるか。」

「ああ!」

二人は、間合いを詰めると同時に切りかかった。その二人の戦いのさなか、また一つの光の柱が消失した。

 


 

「ふぃ〜。何とか終わったな。」

ベオウルフは粉々になった祭壇と、白骨と化した戦士を見た。そして、祭壇の残骸に歩み寄ると、その中から一振りの手斧を拾い上げた。

 

斬っても斬っても立ち上がってくる不気味な戦士との対決にいいかげん嫌気がさしていた頃、どこからとも無く飛来したこの斧が、祭壇を粉砕したのだ。

同時に絶叫を上げる戦士の脳天にベオウルフの剣が突き刺さった。戦士はそのまま倒れこむと見る間に白骨へと姿を変えたのだ。

横たわる白骨の頭蓋にはその時の傷が刻まれている。

「・・・しかし、一体誰だ?こいつを投げ込んだ奴は?」

耳を澄ますベオウルフの耳には、遠ざかる馬蹄の音が微かに聞こえていた。

 


 

アーダンと、騎士の戦いも終局を迎えつつあった。アーダンの持つ大楯は、その大部分が砕け散り、もはやその役割を果たしていない。対する騎士の大剣も3分の1以上が刃こぼれを起こし、もはや単なる鉄の塊と化している。

 

じりじりと間合いを詰めていた両者が同時に攻撃に転じた。

「何!?」

アーダンは大剣を突き出しながら思わず叫んでいた。騎士は突き込まれたアーダンの剣を抱え込むように小脇にはさむと、そのままアーダンの腕を取って、身を捻りながら地面へと倒れこんだのだ。

当然ながらアーダンも倒れこむ事となり、両者はもつれるように地面に倒れこんだ。二頭の龍馬は、互いを牽制しながら睨み合っている。

 

鋼鉄の騎士二人による激闘は、それぞれの予備の武器をぶつけ合いながら続いた。

アーダンが腰から引き抜いた剣で切りつけると、騎士は背中から戦斧をはずして受け止める。

十数合にわたる斬撃の応酬の末、騎士の斧がアーダンの胴体を捕らえた。

「うぉっ!?」

驚くべき事にアーダンの巨体が吹き飛んだ。そして、そのまま背後の祭壇へと叩きつけられる。彼の長い戦闘の経験の中でも、ここまでの強力の敵は恐らく初めてだった。

うめきながら立ち上がったアーダンは、油断無く剣を構えた。

だが、その時彼は奇妙な違和感を覚えた。

『・・・どういうことだ?奴の方が大きなダメージを受けている?』

奇声を上げて苦しむ敵の姿に驚きながら、ふと祭壇に目を転ずると、その一部が砕けている。

『?・・・・!!・・・そうか。そういうことか!!』

アーダンは瞬時に理解すると、祭壇に剣を打ち下ろし始めた。

「ヤ、ヤメロ!!」

慌てて駆け寄ろうとする騎士の目の前で、祭壇は音を立てて砕けた。

「ギャーーー!!」

のけぞりながら苦しむ騎士の胴にアーダンの剣が深々と突き刺さっている。

徐々に輝きを失う光の柱と連動するかのように騎士の体から力が抜けていった。

そして、柱が完全に消え去ると、騎士は音を立てて崩れ落ちた。転がる甲冑。その中身はがらんどうだった。

アーダンが立ち上がると、彼の傍には龍馬が寄り添っていた。そして、呪縛から解き放たれたもう一頭の龍馬が、悲しげに嘶いていた。

 


 

「四つの祭壇が破壊されたか・・・。確かにいささか過信しすぎたやも知れぬな。」

ドンヌは自嘲気味にそう言うと、攻撃を止めた。

「もう諦めなさい。・・・間もなくこの主祭壇にも皆が駆けつけることでしょう。・・・いかにあなたとはいえ、そう簡単に勝利する事はできませんよ。」

サイアスの呼びかけに、ドンヌはニヤリと笑った。

「・・・やむを得んな。今回はおとなしく引き下がってやろう。計画に大きな支障は無いからな。」

「計画?」

ドンヌは、そのサイアスの疑問には答えずに、ガレスフに話し掛けた。

「ガレスフ卿。貴公はもはや帰るべき所を無くしたのだ。此度の事で、完全に帝国を敵にまわしたのだということは忘れるな!」

「・・・!」

歯噛みするガレスフに冷笑を浴びせながらドンヌはその姿を消した。

 

「・・・行ってしまったようですね。」

完全にドンヌの気配が消え去ったことを確認すると、サイアスは主祭壇へと近づいた。

そして、その上に縛られているリンダの戒めを解くと、優しく抱き上げた。

「う・・・・・ん?」

リンダは軽くうめくとゆっくりと目を開けた。

「サイアス・・・様?」

サイアスは優しく微笑んだ。

「気がつきましたか?」

リンダは、徐々に意識がはっきりしてくると、ハッとした表情になった。

「あの黒づくめの一団は?」

「大丈夫、ドンヌの手下どもは去りました。安心してください。」

「・・・フィンスタニス・メンシェンだったのですか?あの人たち・・・。」

サイアスは肯いた。

「ええ、そしてその暗躍を支援していたのがタラニス卿です。」

リンダは息を呑んだ。が、次の瞬間には顔を赤くして口を開いた。

「あ、あの。もう自分で立てますから・・・。」

サイアスは微笑むと少女を支えながら立たせてやった。そして、ガレスフの方に目をやると、沈痛な表情のガレスフと目が合った。

「ガレスフ卿・・・。」

「サイアス卿、私には何が起こっておるのか、もはや理解の範疇を超えております。全てを・・・全てをお話いただけますな?」

「解りました、・・・その前にあの祭壇を破壊します。」

ガレスフとリンダは肯くと互いに呪文を唱え始めた。

サイアスが放ったエルファイアーが、そしてガレスフとリンダが放ったトロンとエルサンダーが祭壇を完膚なきまでに破壊した。

 

その瞬間この一帯を覆っていた禍々しい気配が完全に消滅した。

「・・・では取り敢えず、ノディオン城に戻りましょう。」

二人が肯くのを確認してサイアスが転移の魔法を唱えようとしたときに、遠くからリンダの名を叫ぶ声が聞こえてきた。

「あれは、お兄様!」

サイアスは微笑すると言った。

「彼らが来てから移動しましょう。」

しばし後、森の中からアミッドとゼヴァンが姿を現した。

 

 

「この数ヶ月で、また腕を上げたようだな!トリスタン!!」

ルドラが打ち込んでくる斬撃を、自らの剣で受け止めながらトリスタンは叫びかえした。

「・・・俺にとって、あなたは越えるべき壁なんだ。この決着は俺にとっても望んでいたもの。そのために剣術を磨いてきたんだ!!」

トリスタンの鋭い突きに、ルドラの髪が数本切れて舞う。

ルドラは心底楽しそうに笑った。

「光栄だな。・・・では全力を持って戦わせてもらおう!!」

ルドラの動きが更に素早く、そして鋭くなった。

だが、トリスタンは苦も無くその動きについていっている。その動きを目で追いながらアーリアは思った。

『・・・きっとトリスタンは勝つ・・・。きっと。』

その動きが目で追えるほどには、彼女も強くなっていた。と、異常な殺気を感じて振り返った彼女の目に、二人を手槍で狙う騎士の姿が映った。

真剣勝負をしている二人は、その騎士に気づいていない。

『邪魔はさせない。』

アーリアは、気配を殺しながらその騎士の背後へと回りこんだ。

 


 

「へへ・・・。あいつの首を上げれば、フィンスタニス・メンシェンでの俺の地位も上がるってもんだ。」

「せこい奴ね。」

騎士はギョッとして振り返った。そこには銀の剣を構えるアーリアの姿があった。

「・・・貴様!?いつの間に!」

アーリアは騎士に冷笑を浴びせた。

「何がおかしい!!」

こめかみに血管を浮き上がらせながら騎士は叫んだ。

「あたしが、回り込んだのにも気づかないくせに、あの二人を倒せるはず無いじゃないか。このままおとなしく帰れば見逃してあげるけど・・・。」

騎士は怒号を上げて斬りかかってきた。

「・・・まあ、こうなるよね。」

アーリアは打ち下ろされた斬撃を、受け止めようとせずに、剣を微妙に傾けて受け流した。

「なに!?」

馬上で態勢を崩してよろめく騎士にアーリアの連撃が浴びせられる。その攻撃は、確実に鎧の継ぎ目や、防具の無いところを狙って繰り出されている。

「くっ!」

体の至るところから血を流しながら、騎士は憎悪のこもった目でアーリアを凝視した。

「まだやる気?最後に聞くけど逃げる気は無い?」

「ふざけるな!!死ね!!」

アーリアは苦笑した。

「そう。しょうがないね。」

騎士が槍を打ち下ろす。アーリアは素早くその一撃をかわすと、その槍を踏みつけて跳躍した。

「な!?」

そしてそのまま空中で身をひねると、騎士の首筋を切り裂いた。

おびただしい血を吹き上げながら落馬する騎士。その返り血を浴びないように気をつけながら、アーリアは地面に降り立った。

「・・・さて、トリスタンは?」

アーリアが決闘の場に駆け戻ると、まだ戦いは続いていた。

「!!」

アーリアは驚いていた。自分がその場を離れたのはわずか数分のはずだ。そのわずかな間に、一体どのような死闘が繰り広げられたのだろう。

地面は両者が流した血によって赤黒く染まり、対峙する二人の戦士は肩で息をしている。

だが、両者ともまだ戦意は衰えておらず、互いを見据えるその両眼には覇気が漲っている。

 

両者が同時に大地をけった。

鋭い斬撃の応酬。傷を負っているにもかかわらず、その攻撃は更に鋭さを増しているようだ。

立ち位置を入れ替えながらの攻撃が続く。切っ先が掠った場所から新たな鮮血が滴る。

 

ルドラは、驚きと共に喜びを感じていた。かつて、これほどまでに彼を追い詰めた戦士はいない。

かつて闘技場で引き分けたあのフィンですら、今目の前に立つ若い騎士ほどではなかった。もっとも、あれからフィンという男がさらに腕を上げていることは十分に考えられるのだが。

『・・・いいぞ!更に俺を楽しませろ!!』

 

トリスタンは、油断無く剣を構えながら思った。

『・・・不思議だ。前回のような焦燥感は無い。ルドラの攻撃が見える!』

蒼き騎士は、自分の内側より沸き起こる昂揚感を実感していた。

自然と笑みが浮かぶ。ルドラを見ると、やはり笑みを浮かべている。

青年はその時、相手も同様の思いでいることを悟った。

 

「・・・そろそろ決めるか?」

「そうだな、勝たせてもらう。」

「ぬかしたな。その意気に免じて、一撃であの世に送ってやろう。」

「それはどうかな?あの世に行くのはルドラ、貴方かもしれない。」

 

二人の間の殺気が急激に高まる。

『・・・次で決まる。・・・頑張ってトリスタン!!』

アーリアは心の中で祈りをささげた。

 

静寂を破って、ひときわ大きな金属音が辺りに響く。その一瞬の攻防は、間違い無く人の限界を超え、神の域にまで達していただろう。

 

その動きは、アーリアの目には捕らえる事ができなかった。

いや、恐らくは誰の目にも捕らえる事はできなかっただろう。

 

徐々に収まる金属音の中、トリスタンとルドラは、ぶつかった姿勢のまま微動だにしなかった。

 

ルドラの長剣は、トリスタンの鎧を貫いて左肩を貫通している。

トリスタンの放った一撃は、ルドラの左脇腹を切り裂いていた。

 

アーリアが見守る中、二人は同時にその場に崩れ落ちた。

「トリスタン!!」

「来るな!!まだ勝負は終わっちゃいない!!」

トリスタンの鋭い叫びに、アーリアは思わず身をすくめた。

「・・・いや、終わった。・・・トリスタン、お前の勝ちだ・・・。」

ルドラのその声にトリスタンは驚いて彼を見た。

ルドラは、傷口を片手で抑えながら立ち上がった。

「ルドラ・・・。」

剣士は、先程までとは打って変わった穏やかな表情で微笑んでいた。

「見事だったトリスタン。・・・まさかこんな短期間でここまで上達するとはな。」

ルドラはそう言うと踵を返した。

「まて、手当てを・・・。」

「無用だ。」

トリスタンにそう告げると、ルドラはゆっくりと歩き出した。

「・・・俺にまだ何か成すべきことがあるなら、天が俺を救うだろう。・・・死ぬならそれは寿命という事さ。」

「ルドラ・・・。」

トリスタンも立ち上がった。

「・・・さらばだ、トリスタン。・・・縁があればまた出会う事もあるだろう。」

トリスタンは立ち去ろうとするルドラに言葉を投げかけた。

「その時はまた勝負だ!!」

ルドラは一瞬立ち止まると、再び歩き出した。

そして、彼の姿は森の奥へと消えていった。後に点々と血痕を残しながら。

トリスタンは、じっと彼が消え去った方向を見つめていた。

「トリスタン?」

蒼き騎士は、心配そうに呼びかける少女の声に振り向いた。

そして、見つめる少女に微笑みかけた。

「帰ろうかアーリア。ノディオンの城へ。」

少女も肯いて微笑んだ。

愛馬に跨り、アーリアを背後に乗せたトリスタンは、最後にもう一度だけ振り返った。

『・・・ルドラ。・・・また会えるよな?』

その心の問いに答えるものはいない。

トリスタンは馬を駆けさせた。左肩の傷が傷むが、彼はかまわず速度を上げた。

やがて、その先に城壁が見え始めてきた。

 

それは、彼の生まれ故郷、懐かしき城の城壁だった・・・。


BACK