第15章 凍てつく風の中で 〜ノディオン城の攻防 (前編)〜


ノディオン城・・・。

十二聖戦士の一人、黒騎士ヘズルの血を濃く受け継ぐ、ノディオン王家の居城である。

 

もっとも、現在のこの城の主は、グランベルから派遣されてきた、帝国軍人たち、そして役人たちである。

彼らの多くは、治安維持の名目のもと、公然と無法を繰り返し、その私服を肥やしてきた。

先王である、エルトシャン王がこの世を去って十数年あまり・・・。

ノディオンは常に搾取の嵐に見舞われていたのだ。

 

しかし、グランベル帝国の圧政に苦しんできた人々にとって、ようやく希望の光が見え始めていた。

 

それは、長らく行方不明となっていた、ノディオン王家の生き残り、アレス王子の消息が確認されたことである。

 

「エルトシャン王の嫡子である、アレス王子は、イザーク・レンスターの両解放軍と共に、打倒帝国を目指して、進軍中である。」

 

その報は、瞬く間に、アグストリア全土を駆け巡った。

この、アレス王子存命の知らせは、ノディオン王国はもとより、アグストリア各地の民衆にとっても希望となったのである。

何よりも、民衆を喜ばせたのは、アレス王子が魔剣ミストルティンを操っているとの情報である。それは、とりもなおさず、父王・エルトシャンがそうであったように、アレス王子もまた、聖戦士の血を強く受け継ぐ何よりの証拠であるからだった。

 

『黒騎士ヘズルの末裔にこそ、アグストリアを治めて欲しい』

 

それは、アグストリアの民にとって、究極の願いであるのだ。

 


 

もう一点、民衆を歓喜させている出来事があった。

『アグストリア解放軍』である。

 

かつては、噂の域を出なかったこの部隊が、いまや目に見える形となって、侵略者から故国を解放している。

 

その事実が、どれほど民衆を勇気づけたかは、想像に難くないであろう。

 


 

ハインライン城陥落、そしてエリオット王の死より3ヶ月余りが経とうとしていた。

 

勢いに乗るアグストリア解放軍は、その大半の勢力をもって、ノディオンへと進路をとった。

後背の憂いであった、ハインライン残党軍が無力化した今、彼らの行く手を阻む者は存在しないかに見えた。

 

しかし、大半の予想を覆して、ノディオン王国奪還は難航していた。

 

現在、ノディオン城に駐留する帝国軍の指揮官は、ベレノスである。

彼は、細心の注意を払いながら作戦を立案し、実行に移していた。それは、教本どおりの堅実なものであったり、時には誰もが想像もしえないような大胆なものであったりと、常に解放軍を翻弄した。

 

解放軍側にも、知将と謳われ始めたホーク将軍をはじめ、イーヴ、ノイッシュという歴戦の勇士が居た為に、壊滅的な打撃を被る事こそなかったものの、逆に思い切った攻略戦を仕掛けられないでいた。

 

この為に、小競り合いを繰り返すも、一種の膠着状態に陥った両軍を尻目に、時間だけがただ過ぎていった・・・。

 


 

いつしか、吐息が白くなり、兵士達も鎧の上から防寒具を羽織り始めた頃、アグストリア解放軍の陣地内で、一つの式典が催されようとしていた。

 

マルクァス将軍の離反後、長らく空位となっていた七将軍の席に、新たな将軍が着任することとなったのである。

 

「これより、新たなる七将軍の任命を行う!」

肌を切るような寒風の中に、イーヴ卿の声が響く。と、イーヴ卿の傍らに立っていたノイッシュが口を開いた。

「アーダン卿、前に!!」

ノイッシュの言葉に、巨漢の騎士が歩み出た。そして、イーヴ卿の前に立つと礼をした。

イーヴは、ノイッシュから、七将軍の記章を受け取ると、アーダンの鎧に取り付けた。

アーダンは、再びイーヴに一礼すると、居並ぶ諸将、騎士、兵士達に向き直った。

同時に、割れんばかりの歓声が轟く。アーダンは、その声に答えるべく軽く右手を上げた。

参列者たちから、更なる歓声が沸き起こった。

 

それは、ノディオン城に届くほどの大歓声だった。

 

今回の、七将軍任命に関しては、いくつかの意味がある。

 

一つは、形式的なもので、七将軍というポストが、解放軍初期からある役職である為、その座を長く空位にはできなかったのだ。どちらかといえば、名誉職的な意味合いが強い称号ではあるものの、その名前がもたらす効果は、味方、敵の双方に少なくない影響を与えるのだ。

 

もう一つは、アーダン卿を、正式に解放軍の一員と位置付ける為である。

先の、ハインライン戦において、ノイッシュ卿の危機を救ったことや、その後の帝国軍との戦いにおいての活躍で、指揮官クラスの騎士達は、誰一人として彼を悪く言うものはいなかった。

しかし、操られていたとはいえ、一度は敵将として対峙した為に、アーダン卿に信頼を寄せない兵士がいたことも事実である。

その数は、決して軽視できないほどの人数だったのである。

今回、こうして彼を七将軍の一人とすることによって、それらの者たちの疑心を晴らす一つのきっかけとなれば・・・そういった希望が込められているのである。

 

最後の一つは、戦略上の意味合いである。

ノディオン城攻略戦に入って、すでに3ヶ月という月日が流れた。

解放軍結成初期ならいざ知らず、このところ快進撃を続けてきた彼らにとって、今回のような長期にわたる攻防戦は初めてといってよい。

敵の巧みな戦術と、長期戦からくる疲労によって、徐々に兵士達の士気が下がり始めていたのだ。それは特に、傭兵を中心とした部隊や、ノディオン以外のアグストリア諸国出身の騎士たちに顕著に表れていた。

士気の低下は、全軍の命運を左右する。

今回の新七将軍任命式は、味方の士気を鼓舞する為の、またとない機会となったのだ。

 

式典では、引き続いて、部隊の再編成が行われた。

七将軍が新たに任命されたとはいえ、その配下の騎士までが補充されたわけではない。

アグストリア解放軍における七将軍は、一人がおよそ千人の戦士を取りまとめている。

とはいえ、これはあくまでも形式上のものであり、七将軍の全てが千人の部下を持っていた訳ではない。

 

その良い例が、ルファス将軍率いる竜騎士部隊だろう。

トラキア王国からの傭兵や、何らかの事情でトラキア王国を出奔した騎士達からなるこの部隊は、現在のところ50名ほどの小部隊である。

もっとも、最近ではトラキア王国陥落の混乱に伴い、かの国より兵士の流出が相次いでいる為に、最終的には100人規模の部隊になると予想されている。

とはいえ、その多くは、下級騎士であるドラゴンライダーであり、ドラゴンナイトの数はルファスを含め十人に満たない。

ただ、空戦能力のある数少ない貴重な部隊である為、その戦力は他の部隊と比べてもなんら劣るところはないのだ。

 

イーヴ将軍、エヴァ将軍、ノイッシュ将軍は、各々がほぼ千騎の騎士を率いている。

彼らが率いるのは、そのほとんどが、旧ノディオン王国の騎士達であり、また部隊の大隊長クラスは、クロスナイツと呼ばれる聖騎士・パラディンである。

その戦闘力は凄まじいもので、このアグストリア解放軍の主力は彼らであるといっても過言ではない。

 

アルヴァ将軍が率いるのは傭兵部隊で、数はおよそ八百名程。その陣容は常に変動し、一定しない。また、兵種そのものにも統一性がなく、戦略を立てるのも難しい部隊である。

しかし、アルヴァ将軍は、これらの雑多な部隊を上手くまとめて、その力を十二分に発揮させる稀有な能力を持ち合わせていた。

何より貴重なことに、本来ならば、金銭による付き合いのみと割り切って考えることが普通である彼ら傭兵達から、損得抜きに戦おうとする気持ちを芽生えさせる特殊な才をもっているようである。

事実、解放軍結成当初より、長年にわたって部隊に居続ける傭兵も少なくないのだ。

 

ホーク将軍が率いるのは、魔道士、司祭を中心とした500名程の部隊である。この為、後方での支援が主任務と取られることが多い。

だが、そのことを軽んじて攻撃してきた者は、例外なく手痛い打撃をこうむった。

確かに、一般に魔道士、司祭といった兵種は、騎士達や剣士達のように、真っ向からのたちあいには向かないとされている。騎士たちの何気ない一撃が、そのまま致命傷になることも珍しくない。

だが、魔法を操るものが皆一様に打たれ弱いと考えるのは早計である。

上級兵種である魔法戦士・マージファイターや、魔法騎士・マージナイトに代表されるように、直接戦闘においても、騎士や剣士と代わらぬ実力を発揮するものも存在する。

また、回復・治療一辺倒と思われがちな司祭の中でも、高司祭クラスになれば、攻撃用の魔法を操れるのだ。

無論、ホークの部隊にもこれらの上級兵種が配属されている。

 

このように、必ずしも千人単位で部隊編成がなされていないが、それ故に弱小な部隊が存在するということはないのだ。

 

ただし、今回アーダンが指揮する部隊は例外である。

マルクァスと共にその部下が離反した為に、アーダンが直接指揮できる部隊はルクソール揮下のソードアーマー部隊20名程しかいないのだ。

また、解放軍としてはこれ以上傭兵を雇うほどの財政的な余裕もなかった。

だが、編成に苦慮するイーヴら七将軍に思わぬ朗報がもたらされたのは、つい昨日の事だった。それは、ヴェルダン王国のジャムカ王子からの増援であった。

ジャムカ王子が、兼ねてより試験的に訓練を行っていた重装弓騎士・ボウアーマーの一部隊を派遣してくれたのである。その数50余名。

これに、アルヴァ将軍揮下の傭兵隊から、アーマー・ナイトとアクス・アーマーの兵を振り分けた結果、総勢200名程となり、何とか部隊としての形を整えることができた。

とはいえ、攻城戦における重装兵の戦場は最前線。充分な数とは言い切れないのが辛いところではある。

 

式典は、終盤へと差し掛かった。

 

各部隊で、顕著な戦績を上げたものが昇格の辞令を受け取って行く。

その中には、ルクソール卿の姿もあった。

帝国からの帰順後、ノイッシュの配下として、そして今はアーダンの配下として、数々の戦功をあげてきた彼は、今回、アーダンが七将軍になることに伴って、上級兵種であるジェネラルへとクラスチェンジを許されたのである。

真新しい鋼の大楯を持ち、より厚みを増した甲冑を身に纏った彼の目には、覇気が漲っていた。

 


 

「では、最後に、今回新設される特務部隊の任命を行う。」

イーヴの声に座が静まる。

「特務部隊隊長、ベオウルフ卿!」

「は!」

ベオウルフが進み出る。イーヴから記章を受け取ると一礼して七将軍の居並ぶ末席に立つ。

 

特務部隊。

それは、七将軍のどの部隊にも属さずに、遊撃部隊としての役割を担う部隊である。

各部隊から選抜された少数の精鋭から組織され、通常戦闘よりも、より特殊な任務をこなすことを求められる。

ベオウルフが立った場所から考えると、特務部隊隊長は立場上では七将軍と同等の役職・・・ということなのだろう。

 

「次に、特務部隊副隊長、トリスタン卿!」

「は!」

「ゼヴァン卿!」

「は!」

若い騎士二人は、幾分緊張しながらもしっかりとした足取りで前に進み出てそれぞれ副隊長の記章を受け取った。

彼ら二人は、ハインライン戦以降の戦いにおいて、まずまず活躍といえるほどの戦功をあげ、その技量に磨きをかけてきた。部隊の中でも、どちらが速く昇格するかという話題で持ちきりである。

今回は、残念ながら昇格を見送る形となったものの、彼らが聖騎士となるのもそう遠くないかもしれない。

 

式典の締めくくりとして、七将軍の筆頭であるイーヴが激を飛ばした。

「・・・ノディオン城の攻囲を開始して、既に3ヶ月。これから本格的な冬が訪れる。・・・そうなれば、城塞に拠って戦う帝国軍の方が有利となる。」

居並ぶ騎士達は、沈黙したままイーヴの言葉を待った。

「敵、帝国軍の指揮官は、知将の誉れ高い紅蓮の貴公子ベレノス卿だ。この3ヶ月は、彼の為に苦戦したといっても過言ではない。」

イーヴは、壇上から騎士達を見渡した。

「・・・しかし、本日、新たなる七将軍として、アーダン卿が就任し、また、ヴェルダン王国のジャムカ殿下からの増援も到着した。我が軍の陣容は、ますます厚く、そして強固になっている。・・・何を恐れることがあろうか!・・・諸君!今日よりは、今まで以上に苛烈に攻め、また、より勇敢に戦いぬこう。そして新たなる年が訪れる頃には、あのノディオン城の城郭に、必ずや我ら解放軍の軍旗を掲げようではないか!!」

怒濤のような歓声が沸き起こる。

その歓声は、止む気配を見せなかった。

 


 

ベレノスは、ノディオン城の物見の塔に立って、解放軍陣地より聞こえてくる歓声に耳を傾けていた。

「微かとはいえ、ここまで届くとは。・・・敵の戦意は高いようだな。・・・まあ、当然といえば当然か。」

ベレノスは苦笑をもらした。彼は、アグストリア解放軍の中核が、旧クロスナイツであることを知っている。ノディオン王国の遺臣である彼らにしてみれば、故国奪回の戦でもあるこの攻城戦は、他の戦場の何倍もの執念で挑むことは当然であろう。

 

ベレノスは、城壁内の町並みへと目を転じた。

このノディオン城は、本城の周りに巨大な濠が巡らされ、その外側には城下町が広がっている。そのさらに外側に耕作地と練兵場があり、それら全てを守るかのように城壁が取り囲んでいる。

その敷地面積は、アグストリアの王城である、アグスティの城よりもはるかに大きい。

それどころか、城としての規模は、ユグドラルでも一、二を争うのである。

 

エルトシャン王を遡ること三代前のノディオン王が設計を指示し、以降80年の月日を経て完成した、巨大な城塞なのである。

有事の際には、東西南北にある城門の全てを閉ざすことで鉄壁の守りを敷き、また、内部に町だけでなく耕作地も抱えている為に篭城にも強い。

それは、過去幾多の戦いにおいて証明されている。

 

建国以来、その鉄壁が破れたのは一度だけ、エルトシャン王死後の混乱に乗じてグランベル軍が攻め寄せた時だけである。それも、半ば強引に無血開城させられた為であるから、真っ向からの戦いにおいて、落城したことは一度たりともないのである。

 

「・・・守るに易く、攻めるに難き・・・か。」

「左様です。ベレノス閣下。」

ベレノスは背後から声をかけてきた老騎士の方を振り返った。

「ルゴス将軍・・・。」

老騎士は恭しく頭を下げた。

「会議室にて、諸将方がお待ちです。」

「わかった、すぐに行く。」

ベレノスは、もう一度耳をすました。歓声はいまだ風に乗って彼の耳に届いた。ベレノスは表情を引き締めると、物見の塔を後にした。

 


 

ノディオン城の会議室は、アグスティのそれとは趣を異にしていた。過剰な装飾が施されていたアグスティの会議室に対して、ノディオン城の会議室は、殺風景という表現しかできない。あるのは、テーブルと椅子だけである。

そのテーブルを囲むように、主だった指揮官が着席していた。

 

フィンスタニス・メンシェンの指揮官である、ドンヌ高司祭。

シレジア解放同盟から派遣された賢者・ヴェゴ卿。

同じく解放同盟の天馬騎士隊隊長であるレイヤ将軍。

そして、ベレノスの腹心であるルゴス将軍の姿もある。

 

さらには、シルベール攻めが一段落したタラニス将軍からの援軍として先頃に到着した、ガレスフ将軍とアミッド将軍の両名が並んで座っている。

 

その中において、妙に浮いた存在に見える二人の男がいた。

 

一人は、シアルフィ公国から派遣された騎士で、名をイドという。かつて、ルクソール卿の同僚であった、あのイド卿である。さして秀でた所が無いと評判だったこの男だが、タラニス将軍に同行してシルベールに赴いて以降、どういうわけか数々の手柄を立て、今では、派遣部隊のグリューンリッターを総括するまでになっていた。

ただ、体から醸し出す雰囲気は、居並ぶ他の将軍とは比べ物にならない。二十歳以上年下と思われるアミッド将軍のほうが、まだ威厳がある。

それは、彼の手柄話はタラニスの作り上げたでっち上げで、タラニスが巡らす策略の為の何らかの布石であるという噂を暗に肯定しているかのようだ。

 

もう一人は、驚くべきことにマルクァス卿だった。

同志を裏切り、帝国軍に取り入ろうとしたこの男だが、どうやら、無事に帝国軍に合流できたようである。

もっとも、大半の部下を失った彼は、イド卿の部隊と共同戦線を張ることで、何とかその体面を保っていた。かつて、ノディオンの大貴族として、また解放軍においては七将軍の一人として、それなりに名声があった彼としては、現在の状況には歯軋りするばかりである。

しかし、ことこうなった以上は、帝国軍と共にアグストリア解放軍を殲滅し、憎むべきノイッシュの首を刎ねる他、彼には進むべき道が無い。

『やがて待つ、栄光の玉座の為ならば現在の屈辱も耐えられぬものではない。グランベルの連中もやがて跪かせて見せる。このノディオンの王マルクァスの前にな』

彼は、そう念じながら胸中の暗い炎を燃え上がらせていた。

 


 

『我が軍のなんと雑多なことか・・・』

指揮官であるベレノスは頭を抱えたい気分だった。ここに居並ぶ将軍達のうち、一体幾人が本当の意味での仲間と呼べるのだろうか?

腹心であり、忠臣でもあるルゴスはよいとしても、それ以外の将軍には完全に腹の内を明かすのは難しそうだった。

 

ドンヌ司祭は、忌むべきロプト教団の重鎮である。ユリウス皇子の勅命があればこそ共に戦っているものの、傍系ながらも聖戦士の血を受け継ぐベレノスには我慢しかねる部分もあるのだ。

 

シレジア解放同盟のヴェゴ将軍もつかみ所の無い男である。普段から表情というものが無いこの男も、内心でどのような策略を巡らせているのかわかったものではない。

 

レイヤ将軍は、騎士としても優れた将軍ではあるが、客将である以上、過度の期待をする訳にはいかない。

 

ガレスフ将軍は、シレジア遠征の折でもわかったように、優秀な将である。しかし、同時にベレノスの潜在的な敵であるタラニスの息がかかった武将でもあるのだ。

 

アミッド将軍も、最近実力をつけてきたとはいえ、負担を掛けすぎるわけにはいかない。

 

残る二人に関して、ベレノスは、はなから戦力としては考えていない。

 

堅牢なノディオン城の城壁、その内部はその城壁ほどには堅牢とはいえそうに無かった。

『・・・この3ヶ月を乗り切ったのが不思議なぐらいだ。だが、この先乗り切れるかは微妙なところだな』

ベレノスは厳しい表情で席につくと、ドンヌ司祭が口を開いた。

「・・・全員揃ったようじゃな。ベレノス卿、今日会議の招集を依頼したのは他でもない。そろそろ、外の反逆者どもを駆逐するべきではないかと思うての。そのための方策を話し合いたかったのじゃ。」

マルクァスとイドが、追従するかのように肯く。ベレノスは、やや呆れたように口を開いた。

「駆逐と簡単に司祭殿はおっしゃいますが、敵軍はなかなかに精強。・・・それ故に膠着状態が続いているのです。」

「無論心得ておる。」

「ならば、この現状を打開する案が、司祭にはおありなのですか?」

「・・・ある。」

その司祭の言葉に、諸将からどよめきの声が漏れる。ベレノスも虚を突かれたかの表情でおもわず聞き返した。

「・・・ある・・・とおっしゃるのか?」

「左様。」

ベレノスは、姿勢を正すと司祭をじっと見た。

「・・・うかがいましょうか。」

老司祭はフードの奥からくぐもった笑い声と共に驚くべき提案をなした。その提案に、ベレノスを含む何人かが唖然とした。

「・・・市民を殺せと?・・・見せしめの為に?」

平然と肯く司祭に、ベレノスは思わず叫んだ。

「我々に、そのような卑怯な振る舞いをせよとおっしゃるのか!」

「・・・別に貴公が嫌なら、我が配下のものにやらせてもよいが?」

「そういう問題ではない!・・・国の礎は、騎士でも王でもない、彼ら市民あってこその国であり王なのだ。・・・これまで我々が行ってきた、人心を安堵させるための努力を、無にせよとおっしゃるのか!!」

「・・・落ち着かれよ、ベレノス卿。ドンヌ高司祭の提案、悪い話ではありますまいに。」

「・・・マルクァス卿!?・・・貴公はそれで良いのか?仮にもかつて、いや今後貴公が治めるべき民を、いたずらに殺害しても良いと言うのか!」

マルクァスは平然として肯いた。

「大儀の為には、多少の犠牲はつきものだ。」

ベレノスは怒りを通り越して呆れた。その様な仕打ちを受けた民が、どうして横暴な領主に従うだろう?

この男には、最低限度の想像力を働かせることもできないのだろうか?

「確かに、無駄に市民を殺すのは感心しませんな。」

ベレノスは、反論したその声の主を見て驚いた。ヴェゴ卿は、どちらかといえば、賛成派だと思っていたからだ。しかし、ヴェゴが発した次の言葉に、ベレノスは凍りついた。

「意味も無く、挑発や恫喝の為に市民を殺すのはあまり意味がありませんな。どうせ、市民がどうでも良いなら、いっそ敵軍を城内に招きいれ市民を巻き添えにしながら魔法なり弓なりで殲滅すれば簡単にケリがつくでしょうな。」

「・・・本気でそう御考えか?」

ベレノスの声が低くなった。ただならぬ雰囲気に、将軍達の間に緊張が走る。

普段あまり表情を見せないヴェゴでさえ冷や汗を浮かべている。

長年、ベレノスと共にあったルゴスには、主君の怒りが大きいほどその声が低く冷淡になる事を知っていた。

この状況で、平然としていられたのはドンヌ司祭ぐらいのものである。

「・・・い、いや、・・・私はあくまでも一つの提案として・・・。」

「ならば却下だ。」

ベレノスはそう言い放った。息を呑んで黙り込むヴェゴを眺めやりながら老司祭は苦笑をもらした。

「ベレノス殿。・・・そろそろ奇麗事を言っていられる状況では無くなりつつあるのではないですかな?」

「どういうことです。」

「我が配下のものに探らせたところ、反乱軍は、新しき将軍を任命したり、軍の新編成を行ったりと、その士気は高い。さらには、城内の市民どもにも反抗の兆しが見える。」

老司祭は、そこで一度言葉を切ってニヤリと笑った。

「・・・まあ、いたしかたあるまい。愚民どもにとっては、彼奴らは解放者じゃ。古きよき時代を夢想するもの達にとっては、すぐにでも救ってもらいたかろうよ。」

ベレノスは、反論できなかった。

ドンヌ司祭の指摘は、ベレノス自身が痛感していたからだ。ノディオンの民にとって、帝国はどこまでいっても侵略者なのだ。いかに兵達の無法を戒め、租税を安くし、よき指導者たろうと努めても、その事実は動かしようが無い。

 

民衆が決起すれば、この戦いの均衡が破れかねない、というよりも、恐らく帝国軍は敗北の坂を転がる事になるだろう。

しかし・・・。

 

「確かに、人心は敵軍側に傾いております。・・・万一反乱が起こった場合には鎮圧せねばならないでしょう。だが、反抗の気配というだけで、市民を弾圧するわけには行きません。」

 

「・・・甘いのではないかな、指揮官殿?」

ドンヌの言葉にベレノスは肯いた。

「そうでしょうね。ですが、こちらが不当に市民を迫害すれば、それは必ずより大きな憎悪となって返ってくるでしょう。結果的に、市民の決起を促す事になり、外の反乱軍には、さらなる大義名分を与える事になる。」

ベレノスは、周囲を見渡した。

「改めて諸将に確認するが、我々の目的は、反乱軍のこれ以上の跳梁を阻止する事。・・・無論、殲滅できるに越した事は無いが、それを急ぐ必要は無い。」

ベレノスは立ち上がった。

「反乱軍は、その勢力の大部分をこのノディオン城攻略の為に集結させた。それは即ち、それ以外の方面に対する攻撃はひかえられているということだ。よって、敵の足止めという意味では我々は十分に目的を果たしている。さらに、我々にとって幸いな事には、まもなく本格的な冬が到来する。そうなれば、堅固な城塞を有し、物資を大量に備蓄した我が軍のほうが有利だ。敵の補給路が雪に閉ざされでもすれば、一時的にでもその攻囲を解かねばならぬ事態が起きるかもしれない。・・・その時こそ攻めるべき好機。」

ガレスフ将軍が肯いた。

「なるほど、ベレノス指揮官のおっしゃる事、私も同感です。この地を帝国領として永く統治する為には、いたずらに民衆を刺激するべきではないでしょう。」

こうまで言われては、さすがにドンヌも口を閉ざすしかなかった。だが、その顔から不気味な笑みが消えることは無かったのだが・・・。

 


 

結局今回の軍議は、各将軍の守備配置の確認と、来る冬に向けての諸注意事項の確認にとどまった。

ベレノス指揮下のロートリッター隊は、解放戦線の本陣と向き合う南門周辺の城郭に。

ガレスフとアミッドの指揮するゲルプリッター隊は西門側の守備に。

ドンヌ高司祭率いるフィンスタニス・メンシェンは東門を。

そして、最も防備の固い北門側には、ヴェゴの率いる魔道部隊が陣を張った。

また、急遽作られた、南東方向の外郭には、マルクァスとイドの混成部隊が布陣している。

これ以外に、フノス揮下の天馬騎士隊は、偵察・連絡以外に、後方撹乱もできる空戦部隊として流動的に扱われることとなった。

 


 

その夜、自室で書類を作成していたベレノスは、弾かれたように唐突に顔をあげた。

部屋の中で急激に魔力が高まっていく・・・。それが、収まったときに、部屋の中に長身の若い男の姿があった。その男を見て、ベレノスは驚愕の表情を浮かべた。

「あ、貴方は・・・。」

「久しぶりですね。ベレノス卿。」

長身の男は、微笑むと見事な赤毛の長髪を揺らしながら、ベレノスに歩み寄ってきた。

ベレノスは、慌ててその場に跪いた。男は戸惑ったようにベレノスに立つよう促した。

「お立ちください、ベレノス卿。騎士たるお方が軽々しく跪くものではありませんよ。」

「いえ、恐れ多いことです。」

「どうか、お立ちください。」

ベレノスはようやく立ち上がると、深々と頭を下げた。

「ご無沙汰いたしております、サイアス様。」

サイアスと呼ばれた男は、軽く首を振った。

「およし下さい。私はただの司祭に過ぎません。」

「いえ、帝国一の軍師にして、高位の聖職者。そして・・・。」

サイアスは首を振った。

「それ以上は・・・。」

「しかし、殿下・・・。」

サイアスは淋しそうに微笑んだ。

「ベレノス卿。今の私は、ブラギ神に仕える身。それ以上でも、それ以下でもありませんよ。」

ベレノスはもう一度頭を下げると、サイアスに椅子を勧めた。司祭が椅子につくのを確認すると、ベレノスは問い掛けた。

「それにしても、何故「リワープ」の魔法にてお越しになられたのです。ご連絡いただければ、お迎えする準備もできましたものを。」

「突然、このような形で訪れる事となり申し訳ない。・・・ですが、城の周囲はアグストリア解放軍によって攻囲されておりますので、止むを得なかったのです。」

何気ない言葉の中に、普段のサイアスらしからぬ微妙な声の響きを感じたベレノスは、司祭が、何か重要な事を話そうとしている気配を感じた。

「・・・サイアス様、もしや帝都バーハラに何か重大事が起こったのですか。」

サイアスは、静かに首を振って、否定の意を示した。

「いえ、・・・ですが重大事には変わりありません。」

サイアスはベレノスの目をしっかりと見据えたまま、驚くべき事を告げた。

「・・・皇帝陛下が崩御なさいました。」

「・・・え・・・。」

サイアスは息を呑むベレノスに、ゆっくりと繰り返した。

「アルヴィス陛下は戦死なさいました。」

ベレノスは思わず椅子から腰をあげ司祭の方に体を乗り出した。

「では、バーハラが落ちたのですか?」

「いえ、陛下はシアルフィ城にて解放軍と戦い、セリス皇子の手で討ち果たされたのです。」

しばし無言のまま混乱する思考をまとめようとしていたベレノスだが、意外に落ち着いた様子のサイアスに苛立ちと共に疑問をぶつけた。

「何故そんなに平然としていられるのです!・・・陛下が亡くなられたのですよ!!」

無言で座っているサイアスにベレノスは畳み掛けるように言葉を継いだ。

「陛下は・・・。アルヴィス陛下は、あなたのお父上ではありませんか!!」

 

アルヴィス皇帝には、皇妃ディアドラとの間に二人の子供がいる。

皇子ユリウスと皇女ユリアである。

しかし、彼がまだグランベルの諸侯の一人、ヴェルトマー公国の当主であった頃に誕生した、いま一人の公子が存在した。

公にされること無く、まるでその存在を消し去るかのごとく極秘とされたその公子は、母親のもとで密かに育てられた。

その公子こそ、サイアスその人なのだ。

ベレノスは、その事実を知る数少ない人物の一人である。

それ故に、父親が討たれたというのにもかかわらずきわめて落ち着いて見えるサイアスに対して苛立ちを感じていた。

 

やがて、サイアスが静かに口を開いた。

「・・・私は今、解放軍に身をおいています。」

ベレノスはその言葉に心臓が凍りつくような衝撃を受けた。

寒風が吹きすさぶ屋外に勝るとも劣らない冷気が、部屋の中を、そしてベレノスの心の中を満たしていった・・・。


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