第14章 魔薬


「・・・逃げ切れるのか?」

エリオットの側近は、焦燥感にかられていた。城内で未だ戦う同胞を見殺しにしての逃走である。彼らは何が何でも逃げ切らねばならなかった。

 

彼の隣には、薄笑いを浮かべながら馬を駆る主君がいる。その瞳には霧がかかり、その頭脳は本来の役割を放棄している。

 

しかし、このような主君とはいえ見捨てるわけにはいかなかった。

いや、正確には「まだ」見捨てるわけにはいかなかったのである。

王自身は気が触れて使い物にならなくとも、その「血統」は意味をなすのだ。

ハインライン王家の生き残りは既にエリオットしか存在せず、その血を絶やすわけにはいかない。

 

どのような手段を用いても世継ぎとなるべき王子、あるいは王女を誕生させねば、彼らハインラインの残党に明日はない。

 

『・・・世継ぎさえ誕生すれば陛下の役目は終わる。・・・無難に病死でもしていただくとしよう』

 

側近がそのような考えに浸っていたとき、先を行く騎士が叫んだ。

「ノ・・・ノディオン軍だ!!」

ギョッとして前方を見た側近は、そこに準備万端待ち受けるノイッシュ指揮下の騎士団の姿を確認した。

 

「・・・く、紅の聖騎士か・・・!?」

側近は、自分たちの命運が尽きた事を知った。同行する多くの騎士達も、同じ気持ちだったのだろう。皆一様に絶望の表情を浮かべている。

 

その時、彼らの頭上を越えて一頭のペガサスがノイッシュの傍らに降り立った。そのペガサスを操っていた騎士が何事かをノイッシュに耳打ちする。

ノイッシュはその騎士・フェミナにねぎらいの言葉をかけると、単騎でハインライン騎士達へと近寄ってきた。

 

「な、なんだ・・・?」

警戒して身構える彼らから少し離れたところで馬を止めたノイッシュは声高く叫んだ。

 

「ハインライン軍残党に告ぐ。城内で戦っていた君達の同胞は既に降伏した!」

 

その言葉に彼らはどよめいた。ノイッシュはその様子を窺ってから言葉を継いだ。

 

「我々は、無益な戦いを好まない。この戦いの元凶である、エリオット王の身柄をこちらに引き渡してもらえるならば、君達の安全はこのノイッシュの名において保障しよう。」

 

その言葉に戸惑いつつも側近は尋ね返した。

「我々を殺さぬというのか?」

ノイッシュは肯いた。

「そのとおり。・・・ただし、エリオット王を引き渡すならば・・・だ。」

側近は声を震わせながら再び問うた。

「もし拒否すれば?」

 

ノイッシュは腰の魔剣を抜き放った。

「全軍をもって、君達を討ち取ることとなる!」

 

ハインラインの騎士達は震え上がった。見たところ、ノイッシュの率いる騎士達は城の包囲部隊に比べれば少数のようだ。だが、ゆうに自分たちの十数倍の規模である。

それでなくとも、「紅の聖騎士」の武勇は敵である彼らこそが身にしみて実感しているのだ。

 


「どけ。」

「は?」

不意にかけられた声に、側近は一瞬反応ができなかった。

「どけ。」

もう一度かけられた声によって、それが主君の声だと気付くと同時に彼は腹部に熱さを感じた。

「へ、陛下?」

側近は自分の身体につきたてられた長剣と、その持ち主である主君とを交互に見つめた。そして、事態が理解できぬままに、ゆっくりと前のめりになると地面へとずり落ちていった。

 

「どけ、どけ、どけどけどけどけぇぇぇえぇぇえぇぇぇえひゃひゃひゃはぁぁぁ。」

奇っ怪な叫び声をあげながら、エリオットは周囲の味方に斬りかかっていった。

ハインライン兵たちは、突然の出来事に対応できずに、次々と斬られてはのけぞっていった。

 

周囲に無事な兵が一人もいなくなると、エリオットは、狂気がちらつく瞳をノイッシュへと向けた。

「フフフ・・・。覚えているぞ。・・・・覚えているぞその顔は!!」

エリオットの叫び声に、眉一つ動かさずにノイッシュは立っている。

 

「愛しきラケシスを私から奪い、あまつさえ、この私の顔に、醜い傷を刻みつけた!!」

エリオットは、血に染まった剣を振り上げるとノイッシュへと突進した。

「こ、ココ・・ころ・・殺・・し、コロシテヤル!!」

 

駆けつけようとする騎士達を片手で制すると、ノイッシュは魔剣を構えた。エリオットの攻撃は、既にしてまともな攻撃ではなかった。

ただただ剣を振り回すだけで、型も何も無い。狂気と怒りにより、焦点も定まらぬのか、空振りばかりを繰り返している。

先ほど、騎士達を惨殺したのが、まるで冗談のように思えるほどである。

いつしか、エリオットの表情は怒りから呆けたような笑顔へと変わっていた。

 

「・・・哀れな奴だ。」

ノイッシュは、痛ましそうな表情を見せると、凄まじい速さで魔剣を一閃した。

甲高い金属音とともに、エリオットの手から長剣が弾き飛ばされる。

 

事態を理解できないのか、笑みさえ浮かべるエリオットに、ノイッシュは鋭い突きを放つ。

喉の中央部を貫き通されたエリオットは、陶然とした表情を浮かべたまま、地面に落下していった。

 


 

「さて、始まるわ。」

高所よりその様子を眺めていたアンはクスリと笑った。

ルドラも腕組みをしたまま見下ろしている。

「・・・さあ、目覚めなさい。あなたの出番が来たのよ。」

アンは囁くように呪文を唱え始めた。

 


 

「!?」

ノイッシュは、奇妙な違和感を覚えた。彼の目は地面に這い蹲るエリオットの死骸を見つめている。

徐々に収まりつつあった死体の痙攣が、再び大きくなってきたのだ。

 

いや、痙攣などという、生易しいものではない、のたうつという表現が相応しいほどに、その体が不気味に蠢いている。

 

「これは・・・。」

 

ノイッシュが見つめる中、その動きはさらに激しくなり、それに伴って喉の傷口から、勢い良く血が吹きだす。

 

唐突にエリオットが立ち上がった。その瞳は白濁し、土気色をした肌からは生気を感じられない。

 

と、その体から、禍々しい気が発せられ、一瞬にして戦場を包み込んだ。

『これは!?・・・瘴気か!』

絶妙な手綱さばきでエリオットから間合いを取りながらノイッシュは味方を振り返った。

味方の大部分が、地に伏して、身震いや、嘔吐を繰り返している。

 

辛うじて立ってこちらに向かってくるのは、ベオウルフとトリスタンの二名だけだった。後方ではアーリアが友人であるフェミナを介抱している。どうやら彼女も瘴気に耐えたようである。

 

彼が再びエリオットに目を転じると、その身体は醜く膨張を始めていた。

「なんだなんだ?こいつは一体どういうこった?」

ノイッシュの隣で剣を構えるベオウルフは、薄気味悪そうな表情でそう呟いた。他の騎士達が青い顔をして苦しんでいるのと対照的に、いたってケロリとした顔である。

「・・・魔物・・・なのですか?」

若干顔色が悪くなっているものの、しっかりとした口調で話すトリスタンにかすかに笑みを向けるとノイッシュは一歩踏み出した。

 

「さてな?私には魔物の知り合いはおらぬのでなんとも言えんが、少なくともエリオット王は普通ではなさそうだぞ。」

「おいおい。まともでないのは見たら解るぜ。」

ベオウルフは呆れたように言った。

 

彼らが話している間にも、エリオットは変貌を続け、遂には常人の3倍はあろうかという巨体に姿を変えた。

 


 

「・・・アーダン様?」

ルクソールが病室を訪ねたとき、そこはもぬけの空だった。慌てて、駆け出したルクソールは、厩の方前で話し声を耳にした。

 

「アーダン卿!貴公、自分が何を言っているのかわかっているのか?」

問い詰めているのは七将軍の一人であるイーヴ将軍だ。

「・・・もちろんです。イーヴ卿。」

イーヴは溜め息をついた。

「では、貴公はその馬が話し掛けてきたというのだな?」

アーダンは肯いた。

「左様です。・・・声というよりも心に直接響く・・・そんな感じです。」

彼は、自らの愛馬の首をぽんと叩いた。

「・・・操られていた頃の・・・というよりも、バーハラの戦い以降の記憶ははっきりしないのですが、何故かこの馬のことだけは覚えているのです。」

アーダンは真剣な表情でイーヴに詰め寄った。

「ノイッシュに危機が迫っているのです!!・・・どうか・・・どうか私を援軍として派遣してもらいたい!!」

「しかし・・・。」

「何も大軍を率いてとは申しません。私単騎だけで結構です。親友の命を救うためなのです。・・・どうか!」

イーヴは再び溜め息をついた。

「・・・確かに貴公とは昔会った事がある。しかし、それだけだ。共に馬を駆り、この十数年を戦ってきたノイッシュ卿とは違う。」

「・・・。」

「操られていたとはいえ、敵将として向かい合った貴公を、そう簡単に信用する訳にはいかん・・・それはわかってもらいたい。」

うなだれるアーダン。

しかし、救いの声は思わぬところからやってきた。

「行かせてやったらどうだ兄上?」

声の主はエヴァ将軍だった。彼は様子を窺っていたルクソールの肩を軽く叩くと二人の元へとやってきた。

「エヴァか・・・。」

「俺も兄上と同じで、アーダン卿のことはよく知らん。・・・でもな、あれを見てみろよ。」

エヴァがそう言って指差す先には、まっすぐにこちらを見つめる龍馬の姿があった。

「俺は、あんな表情をする馬を見たことが無い。・・・嘘は言ってないさ。」

「しかし・・・。」

エヴァは、イーヴの発言を遮るとアーダンの方を向いた。

「もちろん、俺もアーダン卿のことを完全に信用したわけじゃない。・・・だが、本当にノイッシュ卿が危機に陥っているのだとしたら、見過ごすわけにもいかないからな。」

「エヴァ卿・・・。」

「だから、見張りをつけさせてもらう。・・・そうだな、俺の息子をつける。一緒に連れて行ってくれ。それが条件だ。」

「エヴァ!」

兄の声を片手で遮ると。エヴァはアーダンに歩み寄った。

「ノイッシュ卿と一緒にもう一度ここに戻って来い。・・・それが何よりの証明となる。」

アーダンは深く頭を下げた。ルクソールも同様に頭を下げていた。

 


 

「ななな・・・なんて速さだ!!」

ゼヴァンは、必死でアーダンにしがみつきながらそう呟いた。気を抜くとすぐにでも振り落とされそうになる。

 

アーダンとゼヴァンは、ハインラインへの道を疾走していた。

完全装備の騎士二人を乗せているにも関わらず、龍馬は、驚異的な速度で大地を駆け抜けてゆく。

「・・・こいつは、馬を置いてきて正解だったな。とてもじゃないけど一緒に走れるわけが無い。」

 

何かとぶつくさ呟いているゼヴァンの声を聞き流しながら、アーダンは巧みに龍馬を操っている。

彼の脳裏には、不吉な映像が浮かんでは消える。それは、ハインラインに近づくにつれ、ますますその度合いを増していった。

 

『・・・只の騎士との戦いであれば、ノイッシュがそう遅れをとるはずが無い。・・・なのに何なのだ、この押しつぶされそうな不安感は。』

そのアーダンに呼応するかのように、龍馬もいななく。

『やはり、不安なのだなお前も・・・。』

アーダンは、龍馬の首筋を優しくなでると、より速く龍馬を駆けさせていった。

 


 

異形の姿へと変貌を遂げたエリオット王は、獰猛な唸り声を上げながら、ノイッシュらに襲い掛かっている。

 

ノイッシュ、ベオウルフ、トリスタンの三人は、見事な連携でエリオットを翻弄しているが、いかんせん、有効打が与えられるのはノイッシュの振るう魔剣のみであった。

 

エリオットの身体を覆う褐色の鱗は、ベオウルフの攻撃にも傷一つ付かず、トリスタンの斬撃も、甲高い音と共に弾き返してしまうのだ。

 

また、丸太のような腕の先には、鋭く尖った爪を光らせており、その刃のごとき10本の凶器は、三人を切り裂かんと風を切って繰り出される。

 

エリオットから発せられた瘴気は凄まじい威力で、その影響を受けた者達は、いまだ立ち上がれずにいた。

 


 

・・・一体どれほどの時間が経過したのであろうか。無尽蔵に力が湧き出てくるかのように、全く衰えを見せないエリオットと対照的に、ノイッシュらの顔には、徐々に焦りの色が見え始めていた。

 

ノイッシュにしろ、ベオウルフにしろ、近隣に名の知れ渡った戦士である。相手が人間であるならば、どうとでも切り抜けられる自負がある。

 

だが、相手は得体の知れぬ化け物である。明らかに疲労の色が濃くなってきた三人に比べて、一向に疲れを見せないエリオットに、ノイッシュでさえも普段の余裕が無くなりつつあった。

 

「うわっ!?」

エリオットの拳が唸りを上げてトリスタンの盾に炸裂する。完全にその威力を受け止めることができなかった若き騎士は、そのまま愛馬の背から弾き飛ばされた。

 

「トリスタン!!」

ノイッシュの声にトリスタンは弱々しいながらも返事を返した。二、三度頭を振ると、再び剣と盾を携えて、怪物へと肉薄した。

 

ノイッシュと並んで剣を振るっていたベオウルフが口を開いた。

「・・・おい、ノイッシュ。坊主を下がらせたほうがいい。・・・ありゃだいぶ足にきているぞ。」

ノイッシュも肯いた。彼らと並んで剣を振るえるというだけでもたいしたものだが、まだその技術は成長途中だし、経験も二人にははるかに及ばない。おまけに、先ほど受けた打撃は、トリスタンの体内に衝撃を与えたのか、普段の機敏な動きがいささか鈍ってきている。

 

エリオットも、そのことに気付いたのか、攻撃をトリスタンに集中させる気配を見せた。大ぶりな攻撃でノイッシュらを牽制しながら、素早い連撃をトリスタンへと浴びせる。

ともすれば吹き飛びそうになる盾を、懸命に握り締めながら、トリスタンは歯を食いしばりながらその攻撃に耐えていた。

 

苦境に陥ったトリスタンを救おうとするノイッシュとベオウルフだが、そのタイミングを計れずにいた。

 

そうこうする内に、フェイントで放たれた足払いがトリスタンを転倒させる。

「しまった!!」

痛恨の表情を浮かべながら見上げるトリスタンの目に、醜悪な顔を無気味にゆがめて笑うエリオットの姿が映った。

 

その腕が振りかぶられる、その恐るべき拳が振り下ろされた。

だが・・・。

 

 

「!?」

その拳は、トリスタンに触れることは無かった。彼をかばうように身を投げ出した人物、ベオウルフの背に打ち下ろされたのだ。

「ぐ・・・。」

「ベオウルフ殿!!」

トリスタンに覆い被さるようにして崩おれたベオウルフは、苦痛のうめきを漏らすばかりである。内臓を痛めたのか、いつも不敵な笑みをうかべるその口元から一筋の血が流れている。

 

「ぐるるるるるぅぅぅぅ。」

不満げに唸るエリオットは、身動きの取れない二人を踏み潰そうと駆け寄った。

 

「させるものか!!」

「ぐるっ??」

振り向いたエリオットは、愛馬の背から跳躍したノイッシュの姿を見た。次の瞬間、閃光と共にノイッシュの剣がエリオットの顔面を切り裂く。

 

絶叫を上げて怒り狂うエリオットは、その瞳に憎悪の光を揺らめかせながら、狂ったようにノイッシュを追いまわす。

 

ノイッシュは、絶妙な足運びでその攻撃をかわしながら、負傷した二人のもとからエリオットを引き離した。

充分にエリオットをひきつけてから、ベオウルフらの方を見たノイッシュは、二人のもとにアーリアが駆け寄るのを見た。

二人の事は心配だが、しばらくはアーリアに任せるしかないだろう。

ノイッシュの眼前には、三人がかりの攻撃でも決定打を打ち込めなかった、人外の輩が唸り声をあげている。

『・・・守勢に入っては負ける。』

そう決断を下すと、ノイッシュは猛然と切りかかっていった。

 


 

「・・・ノイッシュ卿たちから連絡が無い?」

ホークは投降した兵士達の武装解除を完了した時にその報告を受けた。

「は。先ほど確認に向かわせた兵も戻ってまいりません。」

ホークは眉をひそめた。

「・・・ノイッシュ卿のことだ、脱出した少数の兵ごときに、万が一にも敗れるなどということはあり得ん。・・・まさかとは思うが、帝国兵から攻撃を受けたのか?」

ホークはしばし考えた後に歩き出した。

「将軍?」

「誰か私の馬を用意してくれ、少々気になるからな。」

「将軍自ら行かれるおつもりですか?」

ホークは肯いた。

「ルファス将軍とアルヴァ将軍に伝えてくれ、事後処理は任せる、私はノイッシュ卿の様子を見に行ったと!」

ホークは、従者が曳いてきた馬に飛び乗ると城門から外へと飛び出した。と、その目前を、巨大な黒い塊が通過した。そして、その際にその塊から何かが転げ落ちた。

 

「な、何!?」

驚き暴れる馬を何とかなだめたホークは転げ落ちたものを覗き込んだ。そこではぶつけた腰を押さえながらぶつぶつ呟く若い騎士の姿があった。

「・・・痛ってー。ここにきてまだスピードをあげるか?」

「貴公は!?」

「へ?」

不意にかけられた声に顔をあげたのは解放軍の騎士ゼヴァンだった。咄嗟に現状が理解できなかったのはお互い様だったようだが、ゼヴァンが一瞬速く理解したのか慌てて立ち上がった。

「こ、これはホーク将軍!」

その声で、ホークもゼヴァンのことを思い出した。

「ゼヴァン卿か?ノディオンにいるはずの貴公が何故ここに?」

「実は・・・。」

ゼヴァンは、ここにきた経緯をホークに話し始めた。

 


 

ノイッシュの猛攻によって、体のいたる所に浅手を負いながらも、エリオットは構わずに暴れ続けた。

対するノイッシュは、それまでの疲れと、三人がかりで押さえていた怪物を、たった一人で相手するという緊張感で、かつて無い窮地に追い込まれていた。

 

あまりにも異常な事態に徐々に思考能力も低下してくる。

『・・・まずいな。』

そう思った時には遅かった。勢い良く突き出されたノイッシュの魔剣は、的確にエリオットの右掌を貫いた。だが、驚くべきことにエリオットはそのまま魔剣を握り締めたのだ。

「な!」

ノイッシュは咄嗟に引き抜こうとしたものの、びくともしない。

「危ない!!」

アーリアの悲鳴が響くと同時に、唸りをあげてくりだされたエリオットの左拳が、ノイッシュの胴体に突き刺さる。

「・・・!!」

おもわず剣から手を離して声も無くうずくまるノイッシュ。その耳に、勝ち誇ったようなエリオットの声が聞こえてきた。

「グッグッグ・・・シネ!」

エリオットは右手に刺さった魔剣を、無造作に抜き取って投げ捨てた。そして、両手を組んで振り上げると、ノイッシュめがけて打ち下ろそうとした。

 

しかし、急にエリオットは動きを止めた。

「・・・なんだ?」

苦痛をこらえながら、訝しそうに見上げるノイッシュだったが、やがて彼の耳にもその音は聞こえてきた。

まるで地鳴りのような・・・いや地鳴りそのものだろうか。現に地面も微かながら振動している。

その音が急速に近づいたと思った刹那、ノイッシュの眼前からエリオットの巨体が吹き飛ばされていた。

 

「・・・!!」

そこには、エリオットと入れ替わるようにそびえたつ、一人の騎士がいた。

漆黒の巨馬に跨った、重装甲の騎士。

緑の長髪をなびかせながら立つその騎士は、誰あろう彼の旧友であるアーダンだった。

 

「・・・あ、アーダン」

アーダンは、ノイッシュを見下ろすとゆっくりと肯いた。

兜こそかぶっていないものの、そのいでたちは操られていた時と全く同じだ。

 

只一つ、決定的に異なるのは、先日の濁った沼のような瞳が、今は深く澄んだ湖水のように輝いている。

 

「遅くなってすまない。・・・やっと帰ってきたよノイッシュ。」

アーダンはそう言って腰の大剣を引き抜いた。そして、友をかばうかのようにエリオットの前に立ちはだかった。

「・・・お帰りアーダン。」

ノイッシュは、微笑みながらそういうと、旧友の横に立った。

「傷は平気なのか?」

アーダンはノイッシュに気遣わしそうな視線を送った。ノイッシュは笑顔で肯いた。

「大丈夫。・・・せっかく駆けつけてくれた君の前で、無様な真似はできないからな。」

そして、ノイッシュは龍馬にも微笑みかけた。

「君にも感謝するよ。」

Gooooo・・・。」

龍馬は満足そうに嘶いた。

「じゃあノイッシュ。一緒に暴れるとするか!」

「ああ、反撃開始だ!!」

ノイッシュは愛馬を呼び寄せると、その背に飛び乗った。

二人は一つ肯くと、同時に駆け出していった。そして、左右からエリオットを挟み込むかのように、嵐のような斬撃を見舞う。

 


 

「チッ!・・・あんなのを見せられちゃあ、寝てるわけにもいかんな。」

口の端から流れる血を手の甲でぬぐうと、ベオウルフは立ち上がった。

「親父・・・!」

ベオウルフは娘に微笑みかけると愛用の大剣を担ぎ上げた。

「お前は、坊主の事を見ていてやりな。・・・いつもいつも迷惑かけてんだからな。」

「大丈夫なのか?親父。」

ベオウルフはニヤリと笑った。

「元々頑丈にできてるからな。」

トリスタンも起き上がろうとした、慌ててアーリアが支える。

「・・・俺も行きます。」

ベオウルフは頭を振った。

「無理はするな。俺よりも坊主の方がダメージがでかかった筈だぜ?・・・ま、ここは大人の仕事さ。お前さんの出番はこれからいくらでもある。今回はおとなしく見物してろや。な?」

「ベオウルフ殿・・・。」

ベオウルフは豪快に笑った後、口笛を吹いて愛馬を呼び寄せた。

 


「よう!楽しそうだな。俺も混ぜてもらうぜ。」

ノイッシュ、アーダン、ベオウルフ。

かつて、シグルド軍で勇名を誇った三人の騎士に斬りたてられた事によって、事態は再びわからなくなった。

 

エリオットの全身に刻まれた傷は、常人であるならば動けなくなっていてもおかしくないほどのものである。

にも関わらず、より猛り狂いながら攻撃の手を休めることはない。

再度、膠着状態に陥りつつあった戦場。

しかし風に乗って聞こえてきた声が、その均衡を打破した。

「エルウインド!!」

強い風が、刃となってエリオットの身体を引き裂く。

ホークが、ゼヴァンとともに戦場に到着したのだ。

続けざまに唱えられた魔法に、さすがのエリオットものけぞった。

 

その機を逃さず、アーダンの大剣がエリオットの背中を深く切り裂いた。

「いまだ!ノイッシュ!!」

怪物の攻撃をひきつけていたベオウルフが叫ぶ。

 

ノイッシュは愛馬を全力疾走させると、すれ違いざまに渾身の力をもってエリオットの胴を薙ぎ払った。

エリオットは、長い絶叫を上げると、その場に倒れた。

激しい痙攣が起こる。・・・そして、徐々にその体が縮み始めていた。

そう、丁度先ほどの現象が逆転しているかのように・・・。

 


 

「・・・まだまだ、改良の余地がありそうね。あの薬にも・・・。」

アンはそう言って嘆息した。いつの間にか、背後にいたルドラは、その姿を消していた。

「全く・・・。本当に愛想の無い人だわ。」

苦笑しながらアンは呪文を唱えた。次の瞬間には傍らの男とともにその姿がかき消えていた。

 


 

いまや、徐々にその身体がもとに戻りつつあるエリオットは、よろめきながらも立ち上がった。そして、ふらつく足取りでアーリアとトリスタンの下へと歩いていく。

まるで、それ以外の人間は目に入っていないかのようだ。

 

エリオットの行動を警戒しながら、アーリアは腰の銀の剣に手をかけた。

 

「・・・!!」

ホークは、再びエルウインドの魔法を唱えようとした、しかし、ベオウルフとノイッシュが左右からそれを止めた。

「・・・ノイッシュ卿?」

ノイッシュはゆっくりと頭を振った。

 


 

「ら・・ケしす・・・ラケしす・・・。」

ほぼ人間の姿に戻ったエリオットは只その言葉だけを繰り返しながらアーリアに近づいて行く。

やがて、アーリアまで数歩というところでその歩みを止めた。

アーリアが剣の柄をきつく握り締めた、いつでも抜剣できるようにだ。その隣には同様にトリスタンが構えている。

 

「ラケシス・・・。」

アーリアを見つめるエリオットの瞳から一筋の涙がこぼれ落ちる。

そしてそのまま前のめりに倒れるとそれきり動かなくなった。

 

己の野望の為に生きた乱世の王。その王がまた一人、野望とともに燃え尽きていった。

 

「・・・私は・・・・私はラケシスじゃ・・無い。」

アーリアのその言葉が、平原を渡る風の中へと飛ばされていった。

 


 

「ここにいたのか?」

不意にかけられた声に、アーリアは顔をあげた。そこには、身体に包帯を巻きつけたトリスタンの姿があった。二人はいま、ハインライン城にいる。

他の部隊との合流を果たし、事後処理を手伝ううちにいつの間にか日が暮れようとしていた

「トリスタン・・・。」

トリスタンは城壁上の通路から下方に広がる草原を眺めた。夕暮れに赤く染まった草原は、まるで絨毯のようである。

「いい眺めだな。・・・これならば接近してくる敵軍もいち早く察知できる。」

アーリアは無言で何かを考え込んでいる。トリスタンは黙ってその傍らに立った。

彼女は、まだドレス姿だった。慌しさの中で、着替えることもできなかったのだろう。

いささか埃にまみれ、薄汚れてはいるものの、その美しさはやはり目を見張るものがあった。

『・・・綺麗だ。』

素直にそう感じたトリスタンは、しばしその横顔に見入っていた。

 

ふと、アーリアが顔をあげた、そしてトリスタンを正面から見つめた。トリスタンは何となく心の中を見透かされそうな気がしてどぎまぎした。

 

「・・・あの人・・・。」

「え?」

アーリアの唐突な言葉にトリスタンは間抜けな声を出した。

「あのエリオットとか言う人、なんだか少し可愛そうだったね・・・。」

トリスタンは真剣な顔をして答えた。

「・・・それは、どうなのかな。俺たちが勝手にそう判断することは、結局は驕りじゃないかな?・・・判断を下せるのは本人だけだよ・・・きっと。」

「・・・そっか。・・・そうだよね。」

二人はもう一度、暗くなりつつある草原を見つめた

「・・・あの人さ、・・・きっと、すごくラケシスって人のことが好きだったんだね。」

トリスタンは、複雑そうな顔で肯いた。

「・・・そうだろうね。」

「ラケシス姫ってさ、ノイッシュ卿の奥方様だよね?そんなに私と似てるのかな?」

トリスタンは苦笑した。

「さあ・・・。俺も会ったことはないからなぁ。・・・でも古参の騎士たちから聞いた話ではすごい美人だったそうだよ。」

アーリアは少し眉間に皺を寄せた。

「それって、遠まわしに私とは似てないって言いたいわけ?」

トリスタンは慌てた。

「そんなこと無いさ。君も美人だよ。それに・・・その、とても似合ってるよそのドレス。」

「・・・な!?」

「まるで、本当の姫君のようだよ。」

おもわず絶句するアーリアの前に跪くと、トリスタンはアーリアの手をとってその甲に口づけた。

「・・・トリスタン。」

トリスタンは立ち上がると、耳元まで真っ赤になっているアーリアにウインクして見せた。

「なんてね?」

何となくからかわれたような形になってアーリアはむっとした。トリスタンはクスクス笑いながら城壁から降りる階段へと歩き出した。

「そろそろ寒くなってくるよ?風邪をひかないうちに中に入ったほうがいい。」

そう言って歩いて行くトリスタンに、何とか仕返しをしてやろうと考えたアーリアは、小走りにトリスタンに駆け寄った。

「トリスタン!!」

そう呼ばれて振り返ったトリスタンの頬に、アーリアは素早く口づけた。

「!?」

唇が触れた場所を押さえたまま、呆然と立ち尽くすトリスタンを追い抜いてアーリアはさっさと階段を降り始めた。

「ア、アーリア?」

ハッと正気に返ったトリスタンは足をもつれさせそうになりながらアーリアに呼びかけた。

アーリアは踊場でくるりと振り返ってトリスタンを見上げた。

「さっきのお返し。・・・それと、助けてくれたお礼・・・かな。」

そして、最高の笑顔で微笑んだ。

「ありがとう、トリスタン。」

トリスタンはぎこちない笑顔を返しながら、階段を下りると、二人は並んで松明の灯り始めた城内を歩いていった。


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