第13章 鮮血の指揮者


トリスタンらがハインライン城の城郭に辿り着いたのとほぼ同時に、厚い雲に隠されていた月が姿をあらわした。十六夜の月は、煌々と輝き、柔らかな光を地上に投げかける。

「・・・もう少し暗闇であって欲しかったのだが。」

そう呟いたトリスタンは、かなりの高さの城壁を見上げた。

彼が纏っているのは、いつも身に付けている蒼い鎧ではなく、ありふれた皮製の鎧である。

金属鎧よりも、はるかに静かな行動が出来る上に、重量が軽い為、今回のような城壁の登攀には適している。

彼は、同行してきた剣士達のうち、半数の3名を城外で待機させると、残りの人員を率いて城壁を登り始めた。

 

ノイッシュの指揮のもと、あらゆる戦場を想定して訓練をつんできたトリスタンにとって、城壁の登攀などたいして難しい事ではない。

だが、上りきるまでは完全に無防備になる為、油断は出来ない。

 

幸いにも、途中で発見される事無く城壁を登りきった3人は、胸壁上に設けられた通路を注意深く足音を殺しながら走りぬけた。

 

やがて、前方に兵達の詰め所らしき小屋が現れた。トリスタンらは、慎重な足取りでそこに近づく。

そっと、中をのぞきこむと、二人ほどの兵士が、眠そうに見張りに着いている。

『見張りの兵は二人・・・何とかなりそうだな。』

 

と、兵士の一人がもう一人に話し掛けた。

「そういえば、あの捕虜の娘な?」

「ん?」

「おまえがさっきまで見張ってたあの娘だよ。・・・昨日捕虜にした。」

「ああ!・・・あの娘がどうしたんだ?」

「お前がここにいるってことは、今は、だれが見張っているんだ?」

「誰もいないよ。・・・鍵はかけてあるんだし、・・・ノディオンの軍隊が押し寄せようって時に、余分な事している暇はないだろう。」

「・・・そりゃ、そうだな。」

兵士は、ふと眉をひそめて小声で言った。

「・・・それよりも、あの娘、少し妙なんだ。」

「妙?」

「ああ。この状況下で大笑いしてやがったんだ。」

もう一人の兵士は怪訝そうな顔をした。

「捕まっているのにか?」

肯く同僚に薄ら寒そうな顔を向けると、身震いした。

「・・・まさかその娘もどこかおかしいのでは・・・。」

そう言いかけた刹那トリスタンらが詰め所に踊りこんだ。兵士らは誰何はおろか、抵抗らしい抵抗も出来ずに縛り上げられてしまった。

 

トリスタンは、アーリアの見張りをしていたという兵士に切っ先を突きつけた。

「騒がないというなら猿轡をはずしてやるが?」

兵士はぶんぶんと首を縦に振った。トリスタンが猿轡をはずすと兵士は大きく息をついた。

「貴様が見張っていたという少女の下に案内してもらおうか。」

「・・・お、お前らはノディオン軍なのか?」

トリスタンは再び切っ先を突きつけた。

「余計な詮索はするな。・・・案内するのか、しないのか。」

「・・・。」

息を呑む兵士の耳元にトリスタンは囁いた。

「案内できないというのなら仕方ない。その時は、俺が貴様を案内する事になる。・・・あの世にな。」

兵士は、泣きそうになりながら、承諾するしかなかった。

 


 

アーリアは、近づいてくる足音を感じて、ベッドから跳ね起きた。

そして、ドア脇に隠れると身構えた。

鍵を開ける音に続いてドアが開く。人影が室内に入った瞬間に、その顎に向けてアーリアの拳が炸裂した。

一瞬のけぞった人影は、そのまま後ろ向きに倒れていった。

「・・・ひ、ひどい・・・。」

そう呟いて昏倒した兵士の後ろからトリスタンが姿をあらわした。

「トリスタン!」

トリスタンは、苦笑しながら室内へと足を踏み入れた。

「見事なパンチだね。」

トリスタンはそういうと顔を引き締めた。

「無事かい?怪我をしてたりはしないか?」

アーリアは肯いた。

「大丈夫。・・・ゴメンね。心配かけたみたいで・・・。」

トリスタンは微笑を浮かべると首を振った。

「いいんだ。・・・君が無事なら。」

そう言って手を差し伸べた。

「さあ、帰ろう。」

「うん!」

アーリアは肯いてトリスタンの手をとった。

 


 

城の中庭を歩いていた長髪の剣士が、ふと立ちどまり笑みを漏らした。

「・・・鼠が入り込んだか・・・。」

剣士・ルドラは腰に吊るした剣を軽く叩いた。

「この気配は・・・フフ、あの時の騎士だな。」

鮮血のコンダクターの異名を持つ非情の傭兵は、指揮棒ならぬ長剣を手に、月明かりの中を滑るように移動し始めた。

 


 

「・・・うう、何で俺がこんな目に・・・。」

「ぼやくなよ、運が悪かったんだよ俺たち・・・。」

詰め所で縛り上げられた男達は、トリスタンらを先導して、城の警備が薄いところを案内していた。一人は時々アーリアに殴られた顎を押さえている。

この二人は、後にアグストリア解放軍の捕虜となるのだが、その時、この夜の事を振り返ってこう述懐したという。

 

「酷い目に会ったもんだが、よくよく考えてみると、俺たちはまだ幸運だったのかもしれないです。」

「・・・他の連中に比べればね、・・・それぐらいあの夜のハインラインは恐ろしい場所になったのだから・・・。」

「ああ、・・・地獄・・・それ以外言葉が浮かばない・・・浮かばないね。」

 


 

二人の案内で城外へと脱出したトリスタンたちは、城外で待機していた3人と合流を果たした。

捕虜二人は、再び拘束されて馬に乗せられた。

「・・・死にたくなければ、暴れるなよ。・・・いや、暴れてもいいが、落馬しても助けないからな。」

兵士達は無言で肯いた。

トリスタンはアーリアを自らの愛馬の背に押し上げると背後から浴びせられた殺気に総毛だった。アーリアや他の剣士達も同様に殺気を感じたらしく、硬直している。

徐々に近づいてくるその殺気の主が、はっきりと姿をあらわした。

「・・・貴様は!」

トリスタンとアーリアはその男に見覚えがあった。トリスタンを打ち倒し、アーリアをさらった張本人である。

「・・・ルドラ・・・。」

剣士の一人がうめいた。

「ルドラ?」

トリスタンは仲間に問いかけた。

「・・・鮮血のコンダクターだ・・・。ミレトス近辺で勇名を誇った凄腕の剣士だ。」

ルドラは、不敵な笑みを浮かべながら近づいて来る。

「また会ったな。・・・あの時のケリをつけるか?」

馬から飛び降りようとするアーリアを、トリスタンは制止した。

「トリスタン?」

トリスタンはゆっくりと頭を振る。

「その格好じゃ戦えないだろう?・・・それに、あいつとは一対一で勝負をつけたいんだ。」

その言葉に仲間たちはどよめいた。対してルドラは感心したように肯いた。

「・・・ホゥ、いい度胸だ。・・・俺の名を知ってサシで勝負をしようという奴は久しぶりだ。」

ルドラは左手に手に持っていた包みを、トリスタンに放り投げた。

それをつかんだトリスタンは、警戒しながら包みを開けた。

「これは!?」

そこにはハインライン兵によって取り上げられたはずの、アーリアの銀の剣が納められていた。

「その度胸に免じて、返してやる。・・・俺にはこの剣があれば十分だからな。」

トリスタンは、アーリアに剣を手渡すと、無造作に剣を握っているルドラを正面から見据え剣を構えた。

ルドラは笑みを浮かべるとトリスタンに問い掛けた。

「名を聞いておこうか?」

「ノディオンの騎士。トリスタンだ。」

ルドラは、肯いた。

「そうか。覚えておこう。・・・では、トリスタン。待っていてやるから鎧を着けろ。」

「・・・何?」

訝しがるトリスタンを見据えたままルドラが口を開いた。

「貴様は騎士だろう?ならば、騎士として金属鎧をつけての訓練を積んでいる筈だ。潜入に適するように軽装の皮鎧を装着したのだろうが、いつもと勝手の違う鎧では、十分に実力を発揮できまい。」

なおも警戒するトリスタンに向かってルドラは剣を収めて見せた。

「そう警戒するな。・・・不意打ちなどせんさ。俺は、純粋に全力のお前と戦ってみたいだけさ。」

その声に嘘の響きは無かった。トリスタンは肯くと皮鎧を脱ぎ捨て、愛用の蒼い鎧を身につけ始めた。

アーリアも馬から下りてそれを手伝う。

「・・・すまないが、皆はその捕虜を連れて先に本隊に戻ってくれないか。・・・アーリア、君も・・・。」

アーリアは頭を振った。

「・・・私は待つよ。トリスタンの勝負を見届けたいんだ。」

その瞳に、確固たる決意を見取ったトリスタンは、何も言わずに肯いた。アーリアは剣士たちに言った。

「そういう訳だから。・・・親父に無事だって伝えてもらえるかな?」

仲間たちも二人の決意を覆す事が無理であろうことを悟ったのか、互いに肯きかわすと、トリスタンらに一礼して駆け去っていった。

鎧を装着し終えたトリスタンにアーリアはそっと囁いた。

「信じてるから・・・。」

トリスタンはその言葉に笑顔で答えると、雄敵の下に歩み寄った。

「待たせたな。」

「・・・最後の別れはすんだかね?」

「最後になどならないさ。」

トリスタンは、瞬時に間合いを詰めて斬りつけた。

「勝つのは俺だからな!!」

その斬撃を軽く受け流すと、ルドラは満足そうな笑みを浮かべた。

「気迫は十分だな。・・・楽しませてくれよ!!」

両者の打ちかわす鋼の調べが、月下の大地に勇壮なるロンドを紡ぎだしていた。

 


 

ハインライン城の玉座の間では、エリオット王がうつろな笑みを浮かべ何事かを呟いていた。

王以外のほとんどの者が、アグストリア解放軍との決戦に向けて場内を駆け回っている。この玉座の間にも王以外の姿は無い。皆、気の触れた王にかまっている余裕など無かったのである。

 

と、その玉座のすぐそばで空間が歪み始めた。歪みは見る間に大きくなり、渦を巻きやがて弾けた。

そして、そのはじけた渦の中から二人の人物が姿をあらわした。一人は奇怪な仮面で素顔を隠した長身の男。今一人はローブを身に纏った細身の人物である。

「・・・他愛も無いものね。恐慌をきたし、精神に隙がある人間を操るなんて欠伸が出るほど簡単な事・・・。」

ローブの人物は目深にかぶっていたフードを後ろにずらした。艶やかな黒髪がこぼれ落ちる。

妖艶な美女の顔がそこにはあった。

 

美女は微笑を浮かべながらエリオットに近づき、甘い息と共に囁きかけた。

「エリオット、あなたに力を授けてあげる。・・・ノイッシュを殺しなさい。」

エリオットは肯くと繰り返した。

「う・・・ノイッシュを・・・殺す・・・。」

「・・・そう、いい子ね。」

美女はローブの前をはだけた。扇情的な衣装が露となる。美女は大きく開いた胸元から奇妙な液体の入った小瓶を取り出し、その栓を開けた。

途端にむっとする様な異様な臭気が辺りに漂う。

美女はしなやかな指でエリオットの下顎をそっと持ち上げると、だらしなく開いたその口の中に、小瓶の中の薬液を注ぎこんでいった。

彼女はエリオットの額に口付けると、仮面をつけた相棒に目配せをした。仮面の男はゆっくりとした動作で美女の傍らに立つ。同時に美女の唇から呪文の詠唱が響く。

詠唱が止んだとき、玉座の間には王以外の人影はいなくなっていた。

 


 

ハインライン城を彼方に望む、急峻な崖の突端に先程の二人が姿を現していた。

「・・・間もなく、アグストリア解放軍が現れる頃合いね。フフフ・・・見ものだわ。」

「・・・。」

無言で立つ仮面の男に妖艶な微笑を投げかけていた美女の表情が急に引き締まった。

「・・・ドンヌ様。」

『首尾は上々のようじゃな。魔女アンよ。』

美女の頭の中に老司祭の声が無気味に響いている。

「はい、昨日恰好の実験材料が届きましたので、早速薬液を調合しました。」

『ふ、聞き及んでおる。ガヌロンが発見した竜騎士の乗竜であろう?』

アンは微笑んだ。

「左様です。死して間もない飛竜の死肉と血液は、最高の素材となります。」

『・・・そちの魔道の業、とりわけ魔法薬の調合は四天王内でもずば抜けておる。・・・期待しておるぞ。』

「恐縮でございます。朗報をお待ちください。」

『うむ。・・・では、ハインラインの一件を見届けた後に、ノディオン城に終結せよ。』

「・・・ノディオンに?」

『ガヌロンにも同様の命を下した。・・・事態は加速しておる。近々われらの予想を越える局面が訪れるやもしれん。』

「予想を・・・越える?」

『今一人の四天王も、近くにおるはずじゃ。見つけ出してノディオンに向かわせるのだ。』

「・・・承知いたしました。」

アンは、老司祭からの思念が途切れるのを感じ、フードをかぶりなおした。

「四天王を集結するつもりなの・・・。」

アンの呟きに答えるものは無かった。

 


 

トリスタンと、ルドラの戦いは続いていた。

ルドラが繰り出してくる嵐のような攻撃を受け止めながら、トリスタンは実力の差というものを実感していた。

致命的な攻撃こそ受けてはいないものの、浅手は幾つか被っていた。

ルドラには、隙というものがほとんど無かった。この為、トリスタンの繰り出す攻撃は決定打にならず、ことごとく弾き返されてしまうのだ。

『・・・焦るな!・・・焦れば相手の思う壺だ・・・。』

そう念じながら、諦めずに剣を振るう。

 

必死の形相のトリスタンとは対照的にルドラは終始薄笑いを浮かべ続けていた。

彼は純粋に戦いを楽しんでいるのだ。

『・・・久しぶりだ、これほど楽しめた戦いは。』

突きこまれて来るトリスタンの剣を絶妙なステップでかわしながら、彼は記憶をたどっていた。

『数年前に、ターラの闘技場で出会った槍騎士以来か・・・。何といったか・・・。・・・そう、確かフィンといったか。私が引き分けたのは、後にも先にもあの男だけだったな』

ルドラはわずかによろめいたトリスタンの首筋めがけて斬撃を放った。しかし、トリスタンは素早く剣を立てると、その一撃を受け止めた。

『・・・昨日よりも、はるかに出来るようになった。・・・これほどの伸びを見せる男には、いまだ会った事は無いな・・・。』

ルドラは、いま少しの間、この戦いを楽しむ事に決めた。

 

アーリアは銀の剣を握り締めながら、トリスタンの戦いを、固唾を飲んで見守っていた。

普段の彼女を知らぬ第三者が、今の彼女を見れば、愛しき者の戦いを見守る姫君のように見えたであろう。それほどまでに、今のアーリアは美しく見えた。

『・・・頑張って、トリスタン。』

 

終局は唐突に訪れた。驚くべき事に急にルドラが剣をひいたのだ。

「・・・よくよく、邪魔が入るな、貴様と戦っているときには。」

肩で息をしているトリスタンにも、彼が剣をひいた訳が解った。トリスタンの、そして、アーリアの耳にも聞こえてきたのだ。大地を震わす大軍の馬蹄の響きが。

ルドラは、剣を収めると踵を返した。

「ルドラ!」

トリスタンの声に、ルドラは一度だけ振り返った。

「ノディオンの騎士・トリスタン!・・・勝負はお預けだ。・・・次に会った時が決着の時となるだろう。」

「・・・次に・・・。」

ルドラはニヤリと笑った。

「更に強くなった貴様と戦える事を楽しみにしておくぞ。」

トリスタンは、ルドラが完全に見えなくなるまで、その後ろ姿を見送った。

馬蹄の響きは徐々に大きくなってくる。おそらくは、アグストリア解放軍だろう。

いつの間にか、アーリアが傍に立ってやはりルドラが消えた方を見つめている。

やがて、遠くから、彼ら二人を呼ぶ声が聞こえてきた。お互いに顔を見合わせて微笑むと、どちらともなく手をとって歩き出した。彼らが進む先からは、数騎の騎士が駆けて来る。

その中には、ノイッシュやベオウルフの姿もあった。

かくして、アーリアの救出を確認した解放軍は、そのままハインライン攻城戦に突入する事となった。

 


 

「ノディオンの残党どもが、大挙して押し寄せてくるぞ!!」

見張りからのその報告は、城内にいるハインライン兵を恐怖させた。

シルベールの援軍が期待できぬ以上、300名ほどの兵で、10倍は差のあろうかという敵軍を迎え打たねばならない。

城攻めに限らず、防衛拠点を攻撃する際には、攻撃側は、防御側の3倍の戦力が必要だとされている。

無論、一般論のため、必ずしもそうだとは言い切れない。

 

現に、過去においては、かの英雄シグルド公子率いる連合軍は、少数の部隊で大軍がひしめく砦や城を落としている。

また、遠くトラキア半島のレンスターでは、自軍に数倍する兵力で押し寄せるフリージ軍を、わずかな兵力で撃退し、見事に城を守りぬいた槍騎士・フィン卿の武勇伝もある。

 

だが、ハインライン軍の中にはフィン卿ほどの実力者もいなければ、彼ほどの勇気を持ち合わせた者もいなかった。

 

絶望的な状況を前にして、ただ、嘆き、罵り、右往左往するばかりであった。

そのように混乱を極める城内において、ただ一人、エリオット王のみが、陶然とした表情を浮かべて窓辺に佇んでいた。彼が見下ろす先、そこにある城壁と城門の付近では既に戦闘が始まっていた。

 

「何としても食い止めるのだ!!・・・ここが抜かれれば我等に勝ち目はなくなるぞ!!」

そう叱咤する将軍の視界に、長髪の傭兵の姿が飛び込んできた。

「!・・・おおっ!!ルドラどの。・・・ここは一つ、貴殿の力をお借りしたい。」

ルドラは、冷ややかな表情で口を開いた。

「・・・契約の期限は昨夜まで。・・・新たに私を雇うかね?」

「な!?」

激昂して叫ぼうとする将軍を手で制すると、ルドラは続けた。

「・・・契約を更新するなら5万で手を打とう。」

「5万だと!!」

平然と肯くルドラに将軍は怒りよりも驚愕の表情を浮かべた。

「貴様正気か!?」

「・・・無論。」

「わかった。」

将軍が指を鳴らすと数人の騎士がルドラを包囲した。

だが、ルドラはさして驚いた様子も無く、静かに問い掛けた。

「何の真似だ?」

「知れたこと。不届きな傭兵風情を成敗しようとしているのだ。」

口の端を吊り上げている将軍に、ルドラは改めて問うた。

「では、金を払うつもりは無いのだな?」

「当たり前だ。」

「そうか・・・。」

ルドラは、ゆっくりと自分の剣を引き抜いた。同時に将軍の部下たちが斬りかかる。

城内に絶叫が響き渡った。

 


 

アグストリア解放軍は、4人の将軍がそれぞれの部隊を率いてハインライン城を包囲していた。

アルヴァ将軍率いる傭兵部隊は、城の正面、正門側から攻撃を開始していた。破城槌等を用いて城内の兵士に対し、揺さぶりをかけている。

 

ルファス将軍率いる竜騎士隊は、上空より攻撃を行っている。一糸乱れぬ完璧な連携攻撃で、城壁上にいる弓兵達を一人、また一人と倒して行く。

 

ホーク将軍の率いる騎兵中心の部隊は城外で待機している。機を見計らって、一気に突入を開始するためである。

 

そして、ノイッシュ率いる少数の精鋭部隊は、トリスタンらとの合流を果たした後もその場に留まっていた。

彼らが、いる場所は、ハインライン城の裏手に広がる平原である。

視線の先にはハインライン城の土台となっている急斜面の丘が見える。

 

彼らは待っていた。

ノイッシュらの予想が的中すれば、間もなくそれはやってくることだろう。

 

ノイッシュは、部隊の先頭に立ち、丘を眺めていた。・・・そこにベオウルフが馬を寄せてきた。ノイッシュはまっすぐに正面を見据えたまま尋ねた。

「娘さんが無事でよかったな。ベオ。」

「おかげさまでな。・・・坊主には感謝しているよ。」

ノイッシュは微笑んだ。

「トリスタンか・・・。」

「お前さんの秘蔵っ子なんだろ?・・・いい筋してるぜ。」

「彼の父親も優秀なクロスナイツだった。・・・血かもしれないな。」

ノイッシュは、ちらりと部隊の後方に目をやった。そこには、装備を整えたトリスタンらの姿がある。

 

トリスタンは愛用のラウンドシールドを手に、前方を見据えていた。すぐ隣にはドレスを纏ったままのアーリアがいた。と、アーリアが小さなくしゃみをした。

「大丈夫か?」

そう問い掛けてくるトリスタンに苦笑を返しながらアーリアは肯いた。

「平気、平気。」

トリスタンは、自分が羽織っていたマントを外すと、アーリアの肩にそっとかけた。

「トリスタン・・・。」

「もう間もなく夜明けだけど、秋の夜にそんな格好じゃ寒いだろう。」

「・・・ありがとう。」

「いいさ。・・・それより、もっと後方にさがっていたほうが良いんじゃないか?」

だが、アーリアはきっぱりと頭を振った。

「それはダメ。・・・見とどけたいんだ、この戦いの全てを。」

「しかし・・・。」

「大丈夫、いざとなったら何とか切り抜けるから。それに・・・。」

「な、何?」

トリスタンは、急に身を乗り出してきたアーリアにどぎまぎした。

「ホントにヤバイ時は助けてくれるんでしょう?」

「あ、ああ。」

ぎこちなく肯くトリスタンの背中をアーリアは軽く叩いた。

「頼りにしているからね。」

 


 

隊の先頭で、そんな二人のやり取りを見ていたノイッシュとベオウルフは互いに顔を見合して苦笑していた。

「若いってのはいい。・・・そう思わんか?」

ベオウルフはしみじみと問い掛けた。

「そうだな・・・。」

「あいつらを見てると、なんだかこっちまで気恥ずかしくてな。」

ベオウルフのその言葉に、ノイッシュは笑みを浮かべた。

「親として心配じゃないのか?」

ノイッシュのからかい半分の言葉に対して、ベオウルフは肩をすくめて見せた。

「俺は、子供達の恋愛には一切干渉しない主義でね。・・・アーリアが好きになっちまったんなら自由にさせるさ。」

「そうか。」

「俺には、息子もいるんだがな、・・・あいつも今ごろどっかの娘を追いかけてるかもしれんなぁ・・・。」

「息子も傭兵を?」

「ああ。若い頃の俺に似て、腕は立つんだが惚れっぽいのが珠に傷でね。」

ベオウルフは苦笑した。

「まあ、坊主とは対照的かもな。それだけに、俺は、あの坊主の事を気に入ってるのさ。若いがなかなかの腕だし、第一礼儀正しいやね。」

ベオウルフはニヤリと笑った。

「あの坊主を選ぶってんなら、アーリアはなかなかに男を見る目がある。」

そう言いながら腕組みをして何度も肯くベオウルフをみてノイッシュは吹きだした。

「フ・・・。娘さんよりも、お前の方がトリスタンに惚れこんでいるみたいだな?」

ノイッシュはそう答えつつ静かに目を閉じた。その脳裏に、若き日の自分が浮かび上がってくる。

 

アーリアと瓜二つの彼の妻、ラケシス王女は、その美貌もさることながら、ある意味突拍子も無い行動力の持ち主で、常に周囲の人間をハラハラさせていた。

 

若い騎士たちの多くは、彼女に憧れていたが、その中でも中心的な3人の騎士がラケシス王女を巡る闘いの最先鋒にいた。

 

ノイッシュは、過去の自分、ベオウルフ、・・・そして今一人、空色の髪の騎士を思い浮かべて、しばしの感傷に浸った。

 

目をあけると、ベオウルフも懐かしそうな表情を浮かべている。不意に、ベオウルフが口を開いた。

「なあ、あいつ今ごろどうしているかな?」

その一言で、ノイッシュは、ベオウルフもまた、過去に思いを馳せていたことを悟った。

「彼なら大丈夫だろう。私たちの中で一番若かったが、実力はたいしたものだった。」

ベオウルフも肯いた。

「だよなぁ。俺も少し前まではトラキア半島の辺りをうろついてたんだが、なんでも帝国軍相手に大活躍らしいじゃねぇか。」

「そうだな。大陸一の槍騎士の噂は、私も聞いている。リーフ王子を盛り立てて、頑張っているようだ。」

「また、会えるかな。・・・あいつとも。」

ノイッシュは、力強く肯いた。

「必ず会えるとも。・・・全ての決着がついた時に・・・。」

 


 

崖の上で、眼下を見下ろしていたアンは、背後に現れた気配に振り返った。

「・・・相変わらず、無愛想な人ね。」

そこには、剣士・ルドラが巨岩にもたれかかっていた。アンは、微笑を浮かべながら剣士の傍らに歩み寄った。

「仲間である私たちにまで、気配を消して近づくことはないでしょう?」

ルドラは、アンに刺す様な視線を向けた。大袈裟にアンが飛びのく。

「まあ!怖い人・・・。」

ルドラは大儀そうに口を開いた。

「別に貴様たちと馴れ合うつもりはない。」

アンはクスクスと笑うと唇に手をやった。

「フィンスタニス・メンシェンの四天王の一人だというのに、単独行動ばっかり。・・・ホント困った人ね。」

「・・・俺は、別にロプト信者でもなければ、帝国がどうなろうと関係ない。金さえもらえれば何でもしてやるさ。・・・その代わり自由に動けるときには勝手にやらせてもらう。」

ルドラはそう言ってアンを見据えた。

「それが、お前たちのボスとの契約だ。」

「解ってるわ。・・・そのボスからの命令よ。四天王は全員ノディオン城に集結する事。」

「ノディオンに?」

ルドラは尋ね返した。アンは微笑を絶やさずに言った。

「ええ。あの城には、今フィンスタニス・メンシェンの大部分が集まっている。・・・反乱軍との決戦に備えてね。」

「・・・了解した。」

踵を返し立ち去ろうとしたルドラをアンが呼び止めた。

「まあお待ちなさいな。もうすぐ面白いものが見えるの。・・・ノディオンに向かうのはそれからでも遅くなくてよ。」

「面白いものだと?」

怪訝そうに振り向くルドラに、アンは肯いて微笑んだ。

 


 

東の空が朱に染まりつつある。夜と朝との狭間。

斥候として送り込んでいた騎士がノイッシュの元に報告をもたらしたのは、そんな時だった。

 

「申し上げます!」

「・・・動いたのか?」

騎士は肯いた。

「ハッ!エリオット及び側近と思われる20人ほどの騎影が、城裏手の抜け道を通り逃走。間もなく、こちらに到着するかと思われます。」

「ご苦労!!」

ノイッシュは騎士を下がらせると全軍を振り返った。

「皆も聞いての通りだ。思えば、ハインラインの王族は、エルトシャン王在世の頃より、幾度となくアグストリアの平穏を乱してきた。」

彼は、腰の魔剣を引き抜くと頭上にかざした。

「今日、ここで、ハインライン最後の生き残りであるエリオットを討ち、禍根を断ち切るのだ!」

 

その言葉が終わると同時に、曙光が魔剣を、そして紅の鎧を輝かせた。

「獅子は、猛きものを狩るときも、自分より遥かに劣るものを狩るときも、常に万全の態勢で全力を尽くすという。敵を少数と侮るな。聖戦士の加護があらん事を!!」

「「「聖戦士の加護があらん事を!!」」」

部隊の全員が唱和し、ノイッシュは、勢い良く魔剣を振り下ろした。

「全軍突撃!!」

喚声と馬蹄の響きも勇ましく、戦士たちは徐々に明るさを増す暁の空の下を駆け抜けていった。


BACK