第12章 加速する刻
暗い森の中・・・。
今宵は満月のはずだが、厚い雲がその光を遮っている。完全なる闇といえるそんな森の中を一人の男が音も無く歩いている。
暗闇を見通す目でもあるのか?
彼の歩みには迷いというものが感じられない。
やがて、あたりに異様な臭気が漂ってきた。・・・強烈な血の匂い。
男の目前には、巨大な生物が横たわっている。
完全に事切れているのか、微動だにしない。
男はその生物の傍らに人影が倒れている事に気付いた。近づいて詳細に見ると、わずかにその胸が上下しているようだ。
男は不気味な笑みを浮かべると、情けない格好で倒れている男を軽々と担ぎ上げて、やって来た道を引き返し始めた。
アーリアを探して、森の中を疾駆するトリスタンは、ようやく彼女を探し当てた。
「やあ!」
笑顔で手を振るアーリアに、安堵したトリスタンは、馬から下りて近づいていった。
「『やあ!』・・・じゃないだろう?俺たちがどれほど心配したか・・・。」
「ゴメン。」
舌を出して悪戯っぽい笑みを浮かべるアーリアに苦笑を返しながら、トリスタンはアーリアに手を差し出した。
が、その手が不意に静止した。
「どうしたの?」
「シッ!」
訝るアーリアを黙らせると、トリスタンは耳を澄ました。
アーリアも同様に耳を澄ますと、彼らの方へと近づいてくる馬蹄の響きが聞こえてきた。
「・・・親父達かな?」
「だといいんだが・・・。」
トリスタンはゆっくりと剣を抜き放った。
「陛下!、前方に人影です!!」
「な、何だと!?・・・もしや奴等、我々を待ち伏せていたのではあるまいな?」
動揺するエリオットに側近は答えた。
「いえ、どうも少数のようです。」
急に視界が開けると、彼の目の前に、剣を構える若い騎士と、その背後に立つ剣士の姿が目に映った。
相手が二人だけだと解ったとたんに、エリオットは強気になった。
「フン!・・・どうやら逃げ損ねた敵兵のようだな。・・・始末してしまえ!!」
「ハッ!!」
部下にそう命じて、再び駆け出そうとしたエリオットだが、ふとその剣士が少女であることに気付いた。
『・・・あの娘!・・・似ている。』
エリオットは側近を呼び寄せると耳打ちした。
「・・・あの娘を生かして捕らえるのですか?」
怪訝そうに聞き返す側近に肯くと、エリオットは何も言わずにその場から駆け去っていった。
「クッ!!このぉ!!」
アーリアは、執拗に迫ってくる敵兵を、見事な剣さばきで返り討ちにしていった。
そのすぐ側では、トリスタンが善戦している。
ハインライン兵達は、たった二人と侮っていた敵が、有数の剣術の使い手であることを身をもって知ることとなったのだ。
「く・・・このままでは陛下の逆鱗に触れてしまう・・・。」
と、そこへ一人の戦士が姿を現した。
「・・・俺がやろう。」
流れるような銀髪の男だ。その背には、片刃の長剣が背負われている。
「・・・おおっ!ルドラ殿。・・・お願い致します。」
ルドラと呼ばれた男は無言で肯くと、背中の剣を抜き放ち一足飛びにトリスタンへと襲い掛かった。
「!?」
その鋭い斬撃を、自らの剣で何とか受けると、トリスタンは逆に斬り込んでいった。だが相手は流れるような動きで、攻撃の事ごとくを受け流した。
『強い!!』
そう思った刹那、斬撃の影で男が放った強烈な蹴りが、トリスタンの胴を捉えた。
「ガハッ?」
「トリスタン!!」
アーリアの悲鳴が響く。ルドラは、間髪いれずにアーリアのもとに移動すると素早く当身を加えた。
「!!」
くず折れるアーリアの姿を視界の隅に捉え、トリスタンは何とか立ち上がろうとした。
アーリアを別の兵に託したルドラは、トリスタンの目の前へと移動した。
「・・・無駄だ。しばらくは立てん。・・・意識があるだけでも見上げたものだ。」
トリスタンは、歯を食いしばりながらルドラを睨みつけた。
「・・・アー・・・リアを、・・・は・・放せ・・・。」
ルドラは、答えずに、長剣を振りかぶった。
しかし、フッと笑うとその剣を収めた。
「・・・?」
「運のいい奴だ。・・・生きていれば、また戦場で会うこともあるだろう。」
ルドラはそう言って踵を返した。
「ま・・・待て・・・。」
ルドラ達は、森の奥へと消えていった。
丁度それと入れ違うかのようにして、複数の騎影が姿を現した。
その先頭を走っていた騎士が慌てて駆け寄ってくる。
「おい!おい坊主しっかりしろ!!」
「ベ・・ベオウルフ・・・さん。」
そこには、ベオウルフのほかにも数人の騎士がいるようだった。
「大丈夫か!誰にやられた!?」
トリスタンはその問いには答えずに、悔しそうにいった。
「すみません、・・・アーリアをさらわれてしまいました。」
「!!」
息を呑むベオウルフの傍らに真紅の鎧の騎士が姿を現した。
「!・・・ノイッシュ隊長!!」
ノイッシュは、肯いて尋ねた。
「トリスタン、アーリア嬢をさらった賊はどんな奴だ?」
「・・・ハインラインの紋章を付けていたようです。・・・首魁の男は顔に深い十字型の傷跡がありました・・・おそらくは・・・。」
「ハインライン王・・・エリオットか?」
トリスタンは肯くと同時に気を失った。
ベオウルフはゆっくりとトリスタンを担ぎ上げた。
「ベオウルフ・・・。」
ノイッシュがそう声をかけると、普段の飄々とした表情が信じられないほど険しい表情をしたベオウルフがそこにいた。
「・・・心配するな、ノイッシュ。いくら俺でも、一人で乗り込むほど無謀じゃねぇよ。」
「・・・しかし、このまま攻城戦になれば、君の娘は確実に巻き込まれるぞ。」
ベオウルフは、苦しげに肯いた。
「解っている・・・解っちゃいるんだが・・・。」
ノイッシュはベオウルフの肩に手を置いた。
「・・・ともかく一度戻ろう。」
ベオウルフは肯くしかなかった。
時は少し遡る。
オーガヒルにて海賊を壊滅させたベレノスらが、ノーザンプトンの港に帰港したのは、昨日の事だった。
ベレノスは、一晩だけ兵士たちを休めると、すぐさま、本拠地であるアグスティへと出発した。
兵士達のほとんどが、凱旋の喜びに浸っている中、二人ほど、浮かない顔の人物がいた。
一人は、ゲルプリッター隊を率いる将軍である、ガレスフだ。
彼は、時折何か考え込むような仕草をしていたかと思うと、溜め息をついている。
普段の彼からは考えられないようなその様子に、部下の騎士たちも声をかけあぐねていた。
もう一人は、シレジアから派遣されてきたペガサスライダーのフノスだ。
彼女の脳裏には、昨日見た光景が何度も繰り返しよぎっていた。
ノーザンプトンについてすぐ、ベレノスら指揮官達は、商人たちのギルドへと顔を出した。
船を借り受けたことへの礼と、ギルド長の娘・アリシアの無事を伝えるためであった。
ギルド長は、大いに喜び、昨夜は、ギルドが主催した晩餐会が開かれたのである。
その宴が終わり、仮宿舎へ帰ろうとしたフノスは、偶然にベレノスを見つけた。
だが、声をかけようとしたフノスは、その姿勢のままで硬直してしまった。
そこには、美しく着飾ったアリシアが、ベレノスにすがり付いていたのだ。
「・・・アリシア・・・さん?」
フノスは、慌てて、陰に隠れるとしゃがみこんだ。
風に乗って、二人の会話が聞こえてくる。
「・・・アリシア?」
「行ってしまわれるのですね。・・・再び、戦場に。」
「それが、私の役目ですので。」
アリシアは、潤んだ瞳で、ベレノスを見上げた。
「・・・あの時・・・海賊の手から私を救ってくれたときから、私の心はベレノス様のもの・・・。」
アリシアは、ベレノスの胸に顔をうずめた。
「・・・お慕い申しております。」
「・・・アリシア。・・・私は・・・。」
フノスは、そこまで聞くと、思わずその場から走り去っていた。
それからというもの、考え事をしているたびにそのときの光景が浮かんでくるのだ。
「どうした?フノス?」
不意に声をかけられて、フノスはギョッとした。そこには、彼女と並進するように空を舞う、姉のエイルがいた。
「お姉さま・・・いえ、エイル隊長・・・。」
エイルは微笑んだ。
「・・・今は、お姉さまでもいいよ。・・・どうしたの?昨夜から元気が無いようだけど?」
フノスは黙り込んでしまった。エイルも何も聞かずにじっと待った。
やがて、フノスが重い口を開いた。
「・・・ねぇ、お姉さま。・・・アリシアさんって、お綺麗でしたよね・・・。」
「えっ!?」
エイルは面食らったが、何となく事情を察した。
「・・・まあ、美人だったね。」
「・・・・。」
エイルは、微笑みながらペガサスを寄せると、沈み込む妹の頭をポンと叩いた。
「お姉さま?」
「・・・元気をだしなさい。確かにあのお嬢さんは美人だけど。・・・あなただって負けてないわよ。」
「そんな・・・。私なんて、まだまだ子供で、・・・満足に戦いのお役にも立てないし・・・。」
「人間なんてね、何がきっかけで人を好きになるのかなんて解らないもの。・・・美人かどうかなんてあまり関係ないと思うな。」
「・・・そう、・・・でしょうか?」
「そう。・・・何にしても、今みたいに沈み込んでる暗い顔じゃ、勝てるものも勝てなくなるわよ。」
エイルはそう言って優しく妹の頭をなでた。
フノスは、ようやく微笑を見せた。
翌日、丁度トリスタンらが、アーリアを探して駆け回っていた頃に、ベレノスらはアグスティへとたどり着いた。
城内では、タラニスが、彼らを出迎えた。
「これはこれはベレノス卿。まずは無事のご帰還お喜び申し上げる。」
ベレノスは、にこりともせずに尋ねた。
「・・・パトリック卿が、行方不明だそうだな。」
タラニスはにやりと笑った。
「これは、お耳が早い。・・・ハインライン軍のまさかの侵攻で、・・・残念なことです。」
「残念と言うのは少し早いのではないか?・・・戦死という報告は聞いていないぞ。」
タラニスは肩をすくめた。
「あれからどのくらいの日数が経ったとお思いか?・・・ま、絶望的でしょうな。」
ベレノスは、キッとタラニスを睨みつけた。タラニスは、軽くその視線を受け流すとにこやかにいった。
「何はともあれ、今日はゆっくりお休みなされ、明日にでも軍議を開かねばならぬでしょうから。」
「テウタテス司令官は、いずこに?」
「南部の反乱軍の鎮圧に出かけられている。・・・速ければ2、3日中に戻ってこられるでしょう。・・・では。」
タラニスはそう言い残すと、立ち去っていった。
その夜、テウタテス司令官率いるグラオリッターが帰還した。
その様子を自室の窓から見下ろしながら、タラニスは不敵に笑った。
「ククッ。早過ぎる帰還だな。・・・とすれば、負け戦・・・ということか?」
タラニスは窓辺を離れると、部屋の中央でかしこまる騎士に顔を上げるように命じた。
「さて、ガレスフ卿。・・・何故お主を呼びつけたかは解っているな?」
「は・・・。」
ガレスフは恐縮しながら立ち尽くしていた。
「・・・シレジア遠征前に、私が命じたのは、少しでも帰還を遅らせるようにせよ・・・そうだったな?」
「・・・御意。」
「ならば!」
タラニスは不意に声を荒げた。
「何故この短期間で、海賊を制圧し、帰還出来たのかを申してみよ!」
ガレスフは、シレジア遠征の全てを詳細に報告した。
「・・・以上です。」
タラニスは、深い溜め息をついた。
「・・・ガレスフ卿。正直失望したぞ?・・・私の命を果たせぬどころか、その報告からはベレノス卿への賞賛の響きも感じられるが?」
ガレスフは肯いた。
「・・・ベレノス卿の采配には一分の隙もございませんでした。・・・あの状況で、あえて引き伸ばしをすれば、かえって不自然で・・・。」
「もういい!!」
タラニスはガレスフの言葉を遮った。ガレスフはうなだれて沈黙するよりほか無かった。
「・・・さがってよい。」
「閣下・・・。」
「さがれと言っている!!」
ガレスフは、一礼すると部屋を辞した。
後に残ったタラニスは、忌々しげに床を蹴った。
「・・・テウタテスの早期帰還は別に予定内だが、ベレノスまでもがかように早く戻ってくるとは・・・。・・・フッフッフ。なんとも遊戯盤のようにはゆかぬものよ。」
タラニスは不気味な笑みを浮かべた。
「・・・仕方あるまい。かくなる上は、事態を加速するまで・・・。」
翌日の早朝から、アグスティ城内の会議室では、諸将を集めた軍議が行われていた。
司令官テウタテス。
二人の副司令官、ベレノスとタラニス。
そして、暗黒司祭のドンヌ司祭の姿がある。
前回はこの中に加わっていたパトリックの姿は無い・・・。
会議ではまず、現在の状況が話し合われた。
シレジアへと遠征したベレノスは、無事目的を果たし、オーガヒルの海賊たちの脅威を取り去った。のみならず、シレジア解放同盟より援軍を派遣してもらうにいたった。
シルベール城の海賊は、ハインライン軍によって駆逐され、同時にシルベール城を攻囲していたパトリック将軍率いるバイゲリッターに痛手を与えた。
バイゲリッター隊は、パトリック捜索の為の部隊を残して本国に引き上げたため、事実上戦力から外れてしまった。
ドンヌ司祭率いるフィンスタニス・メンシェンはガレの砦における戦いで敗北し、砦を早期に放棄するとノディオン城へと戦力を集結させた。
同様に反乱軍の討伐に向かったテウタテスは、反乱軍の策略にかかり、痛手をこうむった。
だが、本人は至って上機嫌で、出発前よりも、むしろ戦意は高いようだ。
「・・・反乱軍もなかなかやりおるわ。相手にとって不足は無い。」
そう言ってのけるテウタテスに苦笑を向けると、タラニスが口を開いた。
「ですが、笑ってばかりもいられませんな。司令の話から考えると、ハインラインに向かった反乱軍は、ほぼ無傷の状態で残されているということ。・・・おそらく純粋な力関係では、ハインライン軍に勝ち目はありますまい。」
ベレノスも口を開いた。
「・・・ガレの砦が落ちた以上、奴らは、ノディオン城攻略への足がかりを得たことになる。・・・ハインライン方面の部隊と合流を果たせば、用意ならざる敵になるだろう。」
タラニスは肯いて地図を広げた。
「そこで、今後の戦略なのですが、ノディオン城を、事実上の最終防衛ラインとします。ここを抜かれると、このアグスティまでは、二、三の城があるのみ。また、ノディオン、ハインラインを奪取されては、アグストリアの3分の1が敵にわたることとなる。・・・これは何としても防がねばならない。」
「で、具体的にはどうするつもりなのだ?」
「ノディオン城の守りを固めると共に、シルベールを陥落させ、余力があればハインラインも狙います。」
テウタテスの問いに、タラニスは即答した。
「ベレノス副司令官によって、北の海賊どもが無力化された今こそ、アグストリアを帝国領とするまたとない好機。」
「フム。」
テウタテスは腕を組んだ。
「確かに、タラニスのいう通りかも知れんな。」
「具体的には、ここ、アグスティは、テウタテス司令官のグラオリッターによって守っていただく。シルベール城攻めは引き続き私が行いましょう。・・・ベレノス副司令と配下のロートリッターは、連戦で申し訳ないがドンヌ司祭とともにノディオン城で反乱軍討伐の指揮をとっていただきたいのだが?」
ベレノスは、軽く肯いた。
「別に異論は無い。・・・それで、シレジア解放同盟からの派遣部隊はどうするのだ?」
「・・・そうですな。・・・このままベレノス卿と共にノディオンの守りについてもらうのがよいと思うのだが?」
「・・・解った、ならば、早速にでも準備に取り掛かろう。」
ドンヌ司祭は立ち上がった。
「・・・終わりかの?・・・ならば一足先にノディオンにて待っておるとするか。」
老司祭は呪文を唱えると、その場から忽然と姿を消した。それを機に他の将軍も順次部屋を後にした。
最後まで部屋に残っていたのは、タラニスだった。
「さて、今回は上手くいくかな?」
そう言い終わるのとほぼ同時に会議室のドアをノックする音が響いた。
「どうぞ。」
ドアが開くと、一人の男が姿を現した。
「ようこそ、・・・どうぞこちらへ。」
タラニスは、笑みと共にその男を手招きした。
ハインライン城に帰還したエリオットは、至急シルベールの駐留部隊へと激を飛ばした、しかし、すぐにそれが徒労であった事を知る。
ハインラインとシルベールを結ぶ街道という街道全てが、帝国軍によって封鎖されてしまい、その行き来は不可能に等しくなってしまったのだ。
現在城内に残る残存兵力は300名程、篭城を行うにも援軍の当ては無いというありさまである。
城内の将校全てが、頭を抱えている中にあって、エリオットだけが一人、笑みを漏らしていた。
「・・・陛下は何処に?」
側近たちが、城内を走りまわっている頃、エリオットは城内の一室にいた。
「おお・・・美しい!」
女官たちによって着替えさせられたアーリアを見て、エリオットは溜め息をもらした。
対照的に、アーリアは不機嫌そうに黙っている。
「・・・そのドレスは、あなたの為に用意させたのだ。お気に召していただけましたかな、姫?」
「姫?」
アーリアは、ポカンとして思わず聞き返した。エリオットは、満面に笑みをたたえて肯いた。
「・・・ようやく、あなたを我が手にすることができた。・・・愛しておりますぞラケシス。」
「違う!!」
アーリアは、思わず叫んだ。
「私は、アーリアだ!ラケシスじゃない!!」
しかし、エリオットにはその声は届いていないようだ。ひとりで、勝手に話し続けている。
「・・・あなたが、あの下賎なものと結ばれたと言う、下らぬ噂を聞きまして、心を痛めておりました。・・・まあ、よく考えればそんなはずはありませんな、姫があのような異国の騎士ごときに、心惹かれるはずがありません。」
『・・・こいつ!?』
アーリアは、目の前の男の瞳が、微妙に焦点がずれている事に気付いた。
『・・・まさか、・・・狂っているのか?』
淡々と話し続けるエリオットの姿に、寒気を感じ、少しでも距離を置こうと後ずさった。
その時、ノックの音がした。
「誰だ?」
「陛下!こちらにおいででしたか。」
ドアが開くと、数人の男が部屋に入ってきた。
「何だ。無粋にも程があろうぞ!」
男達は、構わずに話した。
「無礼は承知。されど、いまは急を要します。」
「・・・何事じゃ。」
「ハッ、ノディオン残党軍が、この城に向けて進軍してきております。」
エリオットは、つまらぬという顔をした。
「それしきの事、お前たちで何とかするがよい。私はラケシスと話があるのだ。」
男達は溜め息をついた。
「・・・陛下、残党軍の中に真紅の鎧をまとった騎士の姿もございます。」
側近にそうささやかれたエリオットの顔が豹変した。
「・・・おのれ、あ奴が・・・。クック・・・あの鎧をあやつの血でどす黒い赤に変えてくれるわ!」
そのまま側近を突き飛ばす勢いで部屋から出て行った。
側近達もその後を追って部屋を出た。
アーリアは、小走りにドアに駆け寄ると耳を当てた。先ほどの側近たちの声が聞こえてくる。
「・・・やれやれ、陛下があのご様子では、この城が落ちるのも、時間の問題かも知れぬ。」
「昨日の敗戦が、よほど堪えたのであろう。・・・気がお触れになられたのだ。」
「・・・竜騎士隊も全滅らしいな。」
「大枚はたいてこの結果とは、笑う気にもなれぬ。」
「あのような小娘をラケシス王女と思い込んで・・・。」
徐々にその声が遠ざかっていく、やがてアーリアは部屋のソファーに腰を降ろした。
「・・・つかまっちゃったな。」
アーリアは、肩を落とした。
「トリスタンは、大丈夫かな・・・。」
顔を上げると、向かいの壁の姿見に、自分の姿が映っている。薄い藍色のドレスを着た、見慣れない姿だ。着慣れた鎧も、銀の剣も、全て取り上げられてしまった。
今の彼女になす術は無かった。
「・・・それにしても。」
アーリアは立ち上がって姿見に近づいた。
「・・・違和感あるよなぁ。」
まるで、どこぞの姫君のような格好に思わず苦笑した。
「・・・囚われのお姫様・・・か。・・・そういえば!」
アーリアは、以前トリスタンとかわした会話を思い出していた。
『・・・せっかく整った顔立ちをしているんだから、行儀良くすれば多分どこかの姫君といっても通るとおもうのにな。』
アーリアは苦笑した。
「まさか本当に、お姫様の格好をすることになるとはね。」
部屋の中を見渡しても、武器にできそうなものは、何も無かった。
「打つ手なし・・・か。」
アーリアはベッドの端に腰掛けた。
「・・・さっきの話だと、ノイッシュ様たちがやってくるみたいだし。・・・仕方ない、囚われのお姫様らしく、王子様の助けを待つとしますか。」
そう声に出して言ってみてから、可笑しくなって吹きだしてしまった。
「う〜ん。笑っている場合じゃないんだけど、やっぱりガラじゃないよね。・・・あいつ、この格好見たら、どんな顔するかな?」
アーリアは、呆然とした顔のトリスタンを思い浮かべた。
「・・・早く助けにきてよね、王子様。」
アーリアは遂にこらえきれなくなって爆笑していた。それは、ドアの前で見張りをしている兵士が驚くほどの笑い声だった。
後に、この兵士は述懐する。
「あの状況で笑えるなんて、只者じゃないなと思いました。・・・今にして思うと、どうとでも切り抜けられるという自信があったんですかねぇ?」
ハインライン城まで、あと少しという場所に、アグストリア解放軍は陣を張った。
目指すハインライン城は、小高い丘の上に築かれた城で、敵を早期発見するのに適している。
既に、接近は気付かれているだろうことを、将軍達は半ば確信していた。
陣中央の天幕の中では、諸将が集まって、ハインライン攻略のための軍議が開かれていた。
「シルベール方面から、援軍が送り込まれることは考えられないか?」
ノイッシュの問いにルファスが答えた。
「偵察を送りましたところ、シルベール方面への街道は、すべて帝国軍によって閉鎖されています。・・・あれでは、一戦交えずにここまで来るのはほぼ不可能でしょう。」
ノイッシュは肯いた。
「ならば、我々が相手をするのは、ハインライン城にいる残存部隊のみという訳だな。」
「そうなるはずです。」
ルファスは、そう断言した。その後を受けてホークが口を開いた。
「ハインラインに残存する兵力は、それほど多くは無いはずです。正攻法で攻めてもなんら問題はありません。ありませんが・・・。」
ホークはそう言って一旦言葉を切った。
「・・・その場合、人質になっているベオウルフ殿のお嬢さんを救出するのは困難でしょう。」
将軍達は黙り込んでしまった。重苦しい雰囲気を打ち破ったのは天幕の外からの声だった。
「トリスタンです。入室を許可願いたいのですが。」
「入りたまえ。」
ノイッシュの許可を得てトリスタンが天幕に入ってきた。
「傷の具合はいいのか?」
ノイッシュの問いかけにトリスタンは肯いた。
「はい、ヴァナ殿の治癒魔法で全快しました。・・・それよりも、お願いがあってまいりました。」
「願い?」
「・・・私を、今回の作戦から外してはいただけませんか。」
「何?」
怪訝そうに見つめる上司の目をしっかりと見返しながら、トリスタンは話し出した。
「ハインラインの攻略戦となれば、人質になっているアーリア嬢が危険です。・・・ですが、たった一人のために部隊全体の行動を制限するわけにはいかないでしょう。」
「・・・その通りだ。ハインラインが弱体化している今が、奴らを壊滅させるチャンス・・・いや、今叩かねば、必ず後に禍根を残す。」
トリスタンはノイッシュの言葉を真正面から受け止め、それでもあえて言った。
「・・・大義のために犠牲を辞さないのも確かに騎士の道でしょう。・・・ですが、」
トリスタンは鎧につけられた紋章を外した。息を呑む他の将軍を横目で捕らえながらノイッシュは訊ねた。
「・・・その行為が、何を意味するか解っているな?」
「承知しております。・・・ですが、たった一人の命を救うために、あらゆる物をなげうつのも、騎士の道だと思います。」
トリスタンは、決意に満ちた瞳で、真っ直ぐにノイッシュを見つめた。
ノイッシュは、ゆっくりと歩み寄ると、トリスタンから紋章を受け取った。そして、不意に微笑んだ。
「・・・わかった。トリスタン、貴公に命じる。今回の作戦では、独立して行動せよ。任務はハインライン城に囚われているアーリア嬢の救出だ。人員は自由に選べ。」
そういって、トリスタンの手をとるとそっと紋章を握らせた。
「ノイッシュ隊長・・・。」
トリスタンは、しっかりと紋章を握り締めた。
「感謝いたします!!」
ノイッシュは肯いたあとで急に表情を厳しくした。
「・・・だが、これだけは忘れるな。救出が成功しようと、失敗しようと、ハインライン城への突入作戦は予定通り開始する。・・・救出のタイムリミットは後6時間ほどだということを。」
トリスタンも表情を引き締めて敬礼を返した。
「・・・心得ております!!・・・では、失礼します!!」
一礼し、天幕を出て行くトリスタンを見送りながらホークが尋ねた。
「よろしいのですか、ノイッシュ卿?・・・優秀な騎士を失うことになるやも知れませんが?」
ノイッシュはホークに笑みを返した。
「トリスタンには、もっと大きな騎士になってもらいたいのだ。・・・決して上からの命令を遵守するだけの騎士にはしたくない。そんな騎士は数多くいるのだから。」
ノイッシュは席に着きながら言った。
「・・・確かに危険な賭けではあるが、私は彼を信じている。・・・彼は、アレス王子帰還後のノディオン・・・いや、このアグストリアに無くてはならないような騎士へと成長してもらいたい。」
「アレス王子存命は確実なのですか?」
ルファスはいささか信じられないといった表情で尋ねた。
「・・・つい先ごろ、ヴェルダンのジャムカ王から書状が届いた。イザーク・レンスター解放軍の軍中にアレス王子の姿を確認。・・・解放軍はトラキア本城を包囲。・・・トラバント王は戦死したそうだ。」
一瞬ルファスの顔が硬直した。
「・・・そうですか。・・・陛下が・・・。」
ルファスは一瞬顔を伏せた。しかし、再び上げた顔には戸惑いの表情は無かった。
「アリオーン殿下が存命ならば、トラキアは大丈夫なはず。・・・あの方は、無為に人の命が失われることをよしとしないお方です。・・・解放軍ともきっと分かり合えるはず。」
「そうだと良いのだが・・・。」
ノイッシュは、そういって、再びテーブル上の地図に目を落とした。
「・・・ともかく、今はハインライン城攻略に全力を注ぎましょう。・・・アレス王子が帰還されるまでに、なんとしてもアグストリア南半分は解放したいものです。」
アルヴァのその言葉に他の将も肯いた。
トリスタンは、十数名ほどの小部隊を編成すると、すばやく作戦の要点を伝えた。全員が作戦を理解すると、彼は夜を待って直ちにハインラインに向けて出発した。
「アーリア・・・必ず助ける・・・。」
そう誓うと、彼は月の光すらない闇夜を疾駆した。
その様子を離れて見守る、一人の男がいた。
「・・・頼んだぜ。坊主。」
「いいのか?・・・共に行かなくても?」
急に掛けられた声に驚くことも無く、男・ベオウルフは肯いた。
「・・・詰まらんことを聞くなよ。俺は、あの坊主を信頼してるぜ。・・・お前もそうなんだろ、ノイッシュ?」
紅の聖騎士は、微笑を漏らした。
「・・・そうだな。」
彼らの期待を背に受けながら、若き騎士は平原を駆け抜けていった。