第10章 壁となる者
早朝の森。一種神聖な空気が漂っている。本来ならば、静寂な時を刻むはずのその空間に、金属同士がぶつかり合う、甲高い音が鳴り響いている。
やや肌寒い朝の空気の中、一組の剣士が剣を打ち合わしていた。
一人は蒼いブレストプレートアーマーを身につけた青年。いま一人は、軽装の皮の鎧を身にまとった少女だ。
互いに素早い斬撃を繰り出している。
どれぐらい経っただろう。二人はどちらとも無く剣を引いた。
「今日は、これぐらいにしておこう。」
青年はそう言って剣を納めた。よく見ると、その蒼い鎧には、真新しい紋章が取り付けられている。それは、伝統あるノディオン王国の紋章である。彼はつい先日その紋章を胸にすることを許されたのだ。
青年・トリスタンは口笛を吹くと、自らの愛馬を呼び寄せた。そして、背負わせていた荷物からタオルを2本取り出すと、一つを少女に手渡した。
「・・・まだ、時間はあるんじゃない?」
少女・アーリアは受け取ったタオルで汗をぬぐいながら言った。
トリスタンは苦笑しながら愛馬の背を軽く叩いた。
「いや。明日はいよいよ作戦決行の日だ。・・・今日はゆっくり休んで、英気を養った方がいい。」
「そっか・・・そうだね。」
トリスタンは微笑を浮かべると愛馬に飛び乗り、アーリアに手を差し伸べた。少女はその手につかまって馬上へと身を移した。
トリスタンは、手綱をとると、愛馬を歩き出させた。
「しかし、随分と体力がついてきたんじゃないか?最初の頃はすぐに息切れをしていたのが嘘みたいだ。」
アーリアはニッと笑った。
「伊達に毎朝剣の特訓をしてきたわけじゃないからね。・・・ありがとう。トリスタンのおかげ・・・だね。」
「そんなに改まって言われると・・・。」
トリスタンは少し赤くなりながら言った。
「あれ?もしかして照れてる?」
「い、いや、そんなことは無いよ。」
トリスタンは少し馬の歩を速めるとそれっきり黙ってしまった。
二人が野営地に戻ったときそこには何人かの人が集まっていた。
眠たそうな顔で大あくびをしていたベオウルフは、二人の姿を見かけるとゆっくりと近づいてきた。
「よう、お二人さん!早朝の逢引は楽しかったかい?」
ベオウルフの台詞が終わりきらないうちに馬上からのアーリアのとび蹴りが、ベオウルフの顔面に炸裂した。
「剣の練習だっていってんだろ!」
仰向けに倒れるベオウルフを見ようともせずにアーリアは大股で行ってしまった。
トリスタンは慌てて馬から降りるとベオウルフに駆け寄った。
「だ、大丈夫ですか?」
ベオウルフはニ、三回頭を振ってからニヤリと笑った。
「いやぁ。いつもの事だからな。まぁ、ちょいと過激な挨拶ってとこだな。」
「挨拶・・・ですか?」
「そうそう、挨拶。」
よっこらせと立ち上がるベオウルフを見て呆気にとられるトリスタンだった。
トリスタンは、気を取り直して周囲を見ると、皆思い思いに時間をつぶしていた。作戦開始を明日に控え、彼自身はいささか緊張していたのだが、どうやら緊張しているのは、彼と同年代の若い兵士達だけらしい。
本営の天幕の前では、七将軍の一人ホークと、天馬騎士見習のフェミナが何か話している。
トリスタンは、この二人が兄妹であることをつい先日知った。
驚く彼の傍らで、相棒のゼヴァンは嘆息したものだ。
「うちの部隊には、再会する兄と妹が多いのかねぇ・・・。」
ゼヴァンが言うには、竜騎士のルファスとヴァナも兄妹らしい。たしかに、不思議な巡り合わせと言えるだろう。
そのゼヴァンは、父親であるエヴァ将軍と何やら打ち合わせをしているようだ。
相棒の姿を見ながらトリスタンは、自分の父親のことを考えていた。解放軍の拠点のひとつで、若い騎士の訓練をしている父親の事を。そして、いつしか、生き別れになった妹のことを考えていた。
『・・・そういえば、ここのところ妹の・・・ジャンヌのことを考えることが少なくなってきたような気がする。』
ぼんやり、そんなことを考えていたトリスタンの視界にいきなりアーリアが飛び込んできた。
「どうしたの?」
急に覗き込まれて仰天したトリスタンは、苦笑いを浮かべた。
「いや、ちょっと考え事を・・・ね。」
「ふ〜ん?」
アーリアは、首をかしげると、天幕の中に入っていった。
ほっと一息ついたトリスタンの肩を大きな手がぽんと叩いた。振り返るとベオウルフが立っている。
「すまんな坊主。・・・うちの娘がいろいろと迷惑をかけてるみたいだな。」
トリスタンはベオウルフに微笑を返した。
「いえ、迷惑なんて思っていませんよ。・・・俺にとっても剣の修行になりますから。」
ベオウルフはニヤリと笑った。
「そう言ってくれると助かる。・・・が、お前さんの技量じゃ、ちょっと物足りないんじゃないかい?」
彼はそういうと、背中の大剣を引き抜いた。
「どうだい?ここは一つ手合わせしてみんか?」
トリスタンは笑顔で肯くと、自らの長剣を引き抜いた。
「歴戦の勇士、傭兵騎士ベオウルフどのと手合わせできるとは光栄です。」
ベオウルフは微笑むと剣を構えた。
「・・・いい貌だ。」
「では!!」
「おう!!かかって来い!!」
森の中に再び金属音が木霊し始めた。
グランベル王国が帝国と名を変え、皇帝アルヴィスが即位してから、それまで裏の世界に身を置いていたロプト教団が、急速に表の世界に姿を現し始めた。
そしてその傾向は、帝国の実権を、皇太子ユリウスが握るようになってからますます加速している。
皇帝アルヴィスは、いまや名前だけの存在であり、ユリウス皇子とその補佐役マンフロイがユグドラル大陸の命運を左右しているといっても過言ではない。
さて、ロプト教が表立ってくるに従い、新たにロプト教団に入信するものが出始めていた。
これまで、禁教として人々から忌避されてきたロプト教が、いまや一大宗教への道を歩みつつある。
それは、心ある人々にとっては、忌まわしきロプト帝国の復興を予感させていた。
そして、新たにロプト教団の構成員となった人達の中から、特に強硬な武闘派が私設軍隊のようなものを結成した。
当初は、小規模な武装集団に過ぎなかった彼らだが、ロプト教団の中でもマンフロイと並んで長老格と呼ばれているドンヌ高司祭の下で再編成され、より洗練された軍隊へとその姿を昇華させていった。
人々は、恐怖と憎悪の念を込めて、「フィンスタニス・メンシェン【闇の人々】」と呼ぶようになった。だが彼らは激怒することなく進んでその名を部隊名とした。
彼らにとって闇とは至高のものなのだ。
ノディオン城から南に数キロという地点に、数年前に完成した真新しい砦がある。他の砦と大きく異なっているのは、その敷地内にかなりの規模のロプト寺院が存在する点である。
そもそも、この砦は熱狂的なロプト信者たちの寄進によって建設された砦であり、帝国内でも特殊な砦と言えるのである。
ガレの砦。
彼らが尊敬する、偉大なるロプト帝国皇帝の名を冠したこの砦に、各地に散っていたロプトマージや、フィンスタニス・メンシェンのメンバーが、続々と集結していた。
「・・・しっかし、すげえもんだな。前金だけで1000Gとは・・・。」
「な?言ったとおりだろ。俺達傭兵にとっては、今回の兵員募集は狙いめだって。」
大勢の戦士たちがごったがえす砦の中庭で、いかにもといったいでたちの傭兵数人が、かたまって雑談していた。
「しかし、フィンスタニス・メンシェンといやあロプト教のガチガチの信者だろ?俺達のような普通の傭兵を集めるなんて珍しいよな?」
「・・・なんでも、反乱軍の大規模な攻勢があるんだとよ。」
「ああ、なるほどな。」
「でもまあ・・・ここで手柄を立てれば帝国に仕官するのも夢じゃないそうだ。」
「グランベル王国時代には冷遇された俺達だが、ようやく幸運が巡ってきたわけだ。」
「おうよ。ユリウス皇子に感謝しなくてはな。」
と、
「!?・・・なんだ??」
不意に地響きが感じられて、男達は顔を見合わせた。
地響きはだんだんと大きくなり、揺れもひどくなってくる。
「地震か?」
そう呟いた仲間の言葉を別の男が否定した。
「ち、ちがう!あれだ!!」
男が指差す方を彼らは凝視した。
「・・・何なんだ・・・あれは・・・。」
いつしか中庭から喧騒が引いていった。そして、全員の視線が一点に集中する。
彼らが見つめる先には、一騎の騎士の姿があった。その騎士が馬を進めるたびに地響きが巻き起こっている。
「・・・なんて・・・なんて大きさだ・・・。」
誰かがかすれるように言った言葉。それがその場にいた全員の意見を代弁していた。
不気味な甲冑を着込んだ騎士だが、何よりも目を引いたのは彼が跨る馬である。
大きい。
ゆうに並みの馬の数倍の大きさがあるだろう。騎乗した騎士自身も堂々たる体格だがその巨馬と比較すると、小さく見えるほどだ。
誰もが息を飲んで見守る中、その騎士は厩舎の方角へと消えていった。
地響きも徐々に小さくなっていく。それと共に再び中庭は騒然とし始めた。
「見たか?あの巨馬を!!」
「あんなもん、見えないほうがどうかしてるぜ。」
「何たる巨躯・・・。あれでも馬なのか。」
ふと、一人の男がポツリともらした。
「龍馬・・・。」
「リュウバ?・・・なんだそりゃ??」
男は額に汗を浮かべて語りだした。
「・・・昔、村の古老から聞いたことがある。・・・トラキア半島の遥か南の海上に、無人島があるそうだ。」
「それで?」
「そこには、数多くの野生馬が生息しているらしい。・・・その中でも特異な馬が龍馬だ。」
「どう特異なんだ?」
「なんでも龍馬は、太古の昔に龍と馬との間に生まれた動物らしい。それが一つの種として定着した。・・・龍馬は例外なく巨躯で、おまけに並みの馬よりずっと速く走れる上に持久力もある。」
男は感心した。
「すげえじゃねぇか。・・・でも、何でそんなに凄い馬をみんな捕まえようとしないんだ?」
「・・・龍馬は龍の性質を受け継いでいる。・・・主と認められるのはよほどのことで、万一龍馬に気に入られなかったら・・・。」
「気に入られなかったら?」
男はしばし沈黙した後、搾り出すように言った。
「・・・喰われてしまうらしい。」
男達は、みな一様に黙りこくってしまった。
噂の龍馬の主。不気味な甲冑の騎士は、愛馬を厩につなぐと寺院へと向かった。
おどろおどろしい彫刻が施された両開きの扉の前では、ロプトマージのローブをまとった男が恭しく頭を下げた。
「お帰りなさいませバロール卿。奥でドンヌ高司祭様がお待ちです。」
騎士は無言で肯くと寺院内へと入っていった。
寺院最深部の祭壇の前で、ドンヌ高司祭は騎士を待ち構えていた。
「ご苦労だったな。・・・報告を聞こうか。」
騎士は精気の無い声で淡々と語り始めた。
「・・・反乱軍、明朝、進軍の気配あり。」
「それで?」
「部隊は2部隊。一つはハインラインへ。もう一つはこの砦に。」
ドンヌは満足そうに肯いた。
「ふふ。情報どおり。・・・あの男の言うことゆえ、半信半疑であったが・・・。どうやら、あやつも覚悟を決めたとみえるな。」
騎士は無言でドンヌの言葉を聞いていた。
「バロールよ。お前は自らの部隊を率いて東の森の中に待機せよ。反乱軍どもが攻め寄せてきた際にその側面を突くのだ。・・・なあに、あの男が便宜を図ってくれよう。」
邪悪な魔道士は低い、まるで呪詛を唱えるかのように言った。騎士は機械的な動作で肯くと、踵を返し、寺院より立ち去っていった。
「・・・さて、・・・ゲイズ、ゲイズはおるか?」
「おそばに控えております。」
ドンヌの背後に細面の騎士が姿を現した。
「・・・バロールから目を離すな。・・・今のところ術は完璧だが、いつ拒絶反応が起こるかわからん。」
騎士は肯いた。
「承知いたしております。」
ドンヌはフードの奥で不気味に微笑んだ。
「お前は、わしの弟子の中でも特に優れておる。・・・ベルドも良い弟子であったが、レンスターの小僧に倒されてしまった。」
「・・・聞き及んでおります。」
「エリート部隊・ベルクローゼンは魔道の技にこだわったゆえに、多岐にわたる活躍はできなんだ。・・・フィンスタニス・メンシェンはその反省のうえに成り立っておる。・・・解るな?」
「はい。高司祭の期待を裏切らぬように努力いたします。」
「よろしい。では行け。ロプト神の加護を。」
騎士は恭しく頭を下げると退出していった。
アグストリア解放軍は、予定どおり2部隊に分かれて進軍していた。ハインライン城を目指す部隊の指揮をとるのは七将軍の一人、賢者ホークである。
普段から愛想というものと無縁のこの男であるが、今日は一段と眉間の皺を深くしていた。しきりに首をかしげるホークを見て側近が声をかけた。
「ホーク将軍?いかがなさいました。」
「・・・なにやら違和感があるのだ。」
「違和感・・・ですか?」
「ああ・・・。」
側近は苦笑した。
「今のところ特に問題なく進軍しております。・・・考えすぎではありませんか?」
側近の声を聞き流しながらホークは全軍に停止するように命令を下した。
「将軍?」
そこは、見晴らしの良い平原の中ほどである。停止命令を不審に思った他の将軍が集まってきた。
「どうしたのです?ホーク将軍・・・。」
アルヴァはそう言いかけてやはり怪訝な顔をした。
「アルヴァ将軍も気付かれたか。」
「・・・何やら変な雰囲気ですね。・・・まるで、何者かに監視されているようだ。」
上空からルファスも舞い降りてきた。
「飛竜たちが落ち着きません。・・・この先、何かありますね。」
三人の男達は得体の知れぬ気配に、彼ららしからぬ漠然とした不安を感じていた。
同じ頃、ガレの砦に向け街道を北上していたノイッシュらは、砦を遠望できる丘に布陣していた。
「状況はどうだ?」
ノイッシュは傍らにいるトリスタンに尋ねた。
「マルクァス将軍の部隊がやや遅れている以外は、順調のようです。」
その答えを聞いてノイッシュは怪訝そうな顔をした。
「マルクァス将軍の部隊が?・・・何故だ?」
「詳しい報告は何も・・・、ですが予定の範囲内ですが?」
ノイッシュは答えずに考え込んだ。
「・・・まさかな。」
「隊長?」
「トリスタン、後方のエヴァ将軍とイーヴ将軍に連絡を。周囲の様子に充分に気を配るようにと!」
ノイッシュのいつに無く厳しい声に戸惑いながら、トリスタンは一礼して駆けていった。
その様子を見ながらノイッシュは呟いた。
「・・・私の思い過ごしならばよいのだが。」
「マルクァス卿の部隊が遅れている?」
イーヴもその知らせを受けて渋面をつくった。
「・・・妙だな、特に遅れるような理由も考えつかんが・・・。」
そこに、トリスタンが駆けつけてきた。
「ノイッシュ将軍よりの伝令です。」
「ご苦労。」
「周囲の状況に充分に気を配るようにと。」
「周囲に?」
イーヴはしばし考え込むように腕を組んだが、弾かれたように顔を上げた。
「・・・まさか!?」
その時、部隊の前方からにわかに喚声が聞こえてきた。
「ノイッシュ卿!!」
イーヴは配下の部隊に全速で前進するように指示した。
「各員、全速をもって前進せよ!!・・・トリスタン、貴公も共に来い!!」
「は、はい!」
ノイッシュの部隊は街道の東より急襲を受けていた。完全に浮き足立つ兵たちを、何とか落ち着かせると、自ら、敵部隊に向け駆け出した。
どうも、敵と最前で戦っている兵たちの様子がおかしい。いかに奇襲とはいえ、彼らも生え抜きの強兵である。すぐさま、反撃の態勢を整えられるはずである。・・・そう普段であれば。
最前線にたどり着いたノイッシュは、そこで信じがたい光景を目にした。
たとえるなら、地獄とはこのような場所の事を指すのだろうか。
異常な巨体を誇る馬に跨った、異形の騎士が、人の背丈ほどもある巨大な剣を振り回している。
その剣に触れたものは、切断されるというよりも、半ば砕けるようにして吹き飛ぶのだ。
まさに、悪夢のような光景が繰り広げられていたのだ。
ノイッシュは、驚きが去った後は、自分でも驚くほど冷静に騎士の前に馬を進めた。
異形の騎士がノイッシュの姿を認めゆっくりと馬首を巡らす。
先に出ようとする部下を下がらせると、ノイッシュは腰の魔剣を引き抜いた。
異形の騎士も、自らの大剣を振りかざす。主の戦意を受けてか、巨馬がいなないた。
刹那!
騎士二人の剣が激突した。
エヴァは、思わず歯噛みしていた。部隊の左翼後方を行軍していた彼の部隊は、ロプトマージによる奇襲を受けて半ば孤立してしまっていたのである。
先刻の喚声からも前方で何かが起こったのは明確ながら、その行く手をさえぎられる形となって、無為に時間を消費していく。
「チッ!!ロプトの狂信者どもが!!」
「将軍!いかが致しましょう。」
エヴァは即答した。
「やむをえん。前方の異変は兄貴たちの部隊に任せよう。イーヴ兄貴と、ノイッシュ卿のことだ。むざむざやられたりはせんだろう。」
エヴァはさらに声を高めた。
「俺たちは俺たちにできることをする!・・・とりあえずは、あのロプトマージどもを片付ける!!・・・全騎突撃を開始せよ!!」
「「心得ました!!」」
そう唱和して駆け出す騎士の中で、一際、力強くかけていく騎士がエヴァの目に止まった。
「あの騎士は誰か?」
その問いに側近は苦笑した。
「あれは、ご子息のゼヴァン卿です、閣下。」
そう言われて慌ててもう一度見ると、確かにゼヴァンのようである。
「・・・あの馬鹿め、無茶をせねば良いが。」
側近は再び苦笑を浮かべた。
「何をおっしゃいます。あれは閣下の若い頃に瓜二つでございます。」
エヴァも苦笑を浮かべながら頭を掻いた。
ノイッシュの元へと急ぐイーヴたちの部隊。その前に立ちはだかったのは、味方であるはずのマルクァスの部隊であった。
「イーヴ卿。そんなに慌ててどこに行かれる?」
口の端を吊り上げて笑うマルクァスを見て、イーヴは全てを悟った。
「・・・マルクァス、貴様どういうつもりだ?」
「はて?・・・おっしゃる意味がわからぬな?」
飄々と言ってのけるマルクァスに向かってイーヴは叫んだ。
「惚けるのも大概にしろ!!・・・あまりにも敵の動きが的確、かつ迅速なのでおかしいとは思ったが、貴様、我々を売ったのだな!!」
「売ったとは人聞きの悪い。・・・いささか取引をしたまでのこと。」
「取引だと?」
マルクァスは得意げな表情で肯いた。
「左様、貴様たち反乱軍の機密を流す代わりに、グランベル帝国にノディオン王国の自治を認めていただいたのだ。」
イーヴは唖然とした。
「貴様、正気か?・・・グランベル帝国の支配下で、アグストリアの自治を認められたとて、それに何の意味がある!」
マルクァスは、さも可笑しそうに哄笑した。
「クックック、ファッハッハ!!」
「貴様・・・。」
「イーヴよ。私にとっては支配者が誰であろうとかまわん。・・・ましてや、アグストリアの他の国々がどうなろうと知ったことではないのだ。」
「な・・・!」
「そうとも、アグスティ王家がグランベル帝国に代わったとてたいした問題ではない。帝国は、ノディオンの王としての地位を、この私に約束してくれたのだ。・・・これ以上何の不満があろう。」
マルクァスは配下に攻撃の指示を出した。
「貴公は、古い友人だが、・・・まあこれも運命というやつだ。ここで死んでもらおう。」
「ふざけるな!!」
叫んだのはイーヴのすぐ後ろに控えていた若い騎士だった。
「何だ?小僧?」
若い騎士、トリスタンはマルクァスをキッと睨みつけた。
「俺たちは・・・祖国の解放のため、人々の笑顔を取り戻す為に戦ってきたんだ。貴様のように私利私欲のために同胞を売るような男に国王が勤まるものか!!」
マルクァスはこめかみに青筋を浮かべた。
「・・・ホークといい、ルファスといい、近頃の若造どもは礼儀というものを知らんらしいな・・・。」
「貴様のような悪辣な輩に、礼儀を云々言われたくはない!」
「小僧!!言わせておけば・・・。」
「トリスタンの言うとおりだ。」
イーヴは自慢の槍を一振りすると前に進み出た。
「子供狩りを公然と行うような腐った陣営に尻尾を振るような男に、友人とは言われたくないものだな。・・・己の愚かさを自らの死によって償うがいい!!」
「ぬかしおったな!!・・・フフ、まあいい、どの道貴様ら反乱軍は今日をもって消滅する。・・・ハインラインでも今ごろは・・・。」
「・・・どういうことだ。」
マルクァスは、狡猾そうな顔を歪めて勝ち誇った。
「・・・どうせ知ったところでどうすることも出来まい。今ごろハインラインに向けて、テウタテス司令官率いるグラオリッターが進軍中だ。・・・ハインライン残党と戦い疲弊した反乱軍を掃討するためにな!」
トリスタンの顔が怒りにゆがんだ、そして次の瞬間、その脳裏をアーリア達の顔がよぎった。
『そうだ!!・・・彼女達は今、ベオウルフ殿と共にハインラインに・・・。』
「トリスタン!」
イーヴの冷静な声に、トリスタンは弾かれた様に顔をあげた。
既に周囲では戦闘が開始されている。
「・・・貴公の馬術は、わが軍の中でも屈指の腕前だ。」
「・・・?」
イーヴは若い騎士を振り返った。
「今となっては間に合うかどうかわからぬが、ハインラインにいる別働隊に急を知らせてもらいたい。」
「イーヴ将軍!!」
「グズグズするな!!・・・ここは我らが死守する。ノイッシュ卿も心配あるまい。行け!」
「・・・解りました。・・・行きます!!」
イーヴは肯いた。
「頼んだぞ!・・・アグストリア解放のための希望の光を、こんな所で消させるわけにはいかないのだ。」
「心得ております。では!!」
駆け行くトリスタンを一瞥すると、イーヴは敵の只中に飛び込み、猛然とその槍を振るい始めた。
ノイッシュと、鉄仮面の騎士との戦いはいつ果てるともなく続いていた。
幸いにも、敵方の一番の使い手であろうこの騎士をノイッシュが引き受けた為に、味方の部隊は混乱を静め、初期の劣勢を挽回しつつあった。
既に何度剣を打ち交わしたことだろう。ノイッシュは、一向に疲れた様子を見せず剣を振るうその騎士に驚愕していた。
その騎士の得物は、人の背丈ほどもある大剣である。それを片手で振るう膂力もさることながら、その持久力も並ではない。おまけに何度か打ち込んでみて解ったのだが、騎士が纏っている鎧も、通常ならばアーマーナイトやジェネラルといった重装騎士が着用するものである。浅い打込などいとも簡単に弾き返してしまうのだ。
普通であれば、そのような重装備の騎士は到底馬に乗れるはずもない。だが彼が跨る巨馬は、重装備に大盾まで携えた騎士を乗せてもまだ余力があるように見えるのだ。
「・・・まさに、モンスターだな。自らも鋼鉄の鎧で武装し、かつ、あのような騎士を乗せてもこんなに俊敏に動けるとは。」
ノイッシュは、長引くと不利になると悟った。一気に決着をつけるべく今までになく鋭い斬撃を見舞った。
襲いくるその攻撃を、受け流し、かわし、受け止める・・・。鉄仮面の騎士は、徐々に防戦一方に追い込まれていった。しかしその装甲は侮りがたく。決定打が与えられない。
しかし、幾度目かの攻撃が、騎士の仮面に付いた飾り角を斬り飛ばしたとき、思わぬことが起こった。
まるで、悪魔のように仮面の両側面に突き出した角のうち、右側の角が切断されたとたんに、鉄仮面の騎士は頭を押さえて苦しみだしたのだ。
そのあまりの急変ぶりに、ノイッシュは唖然とした。
「いかん!!」
バロールが苦しみだす様子を目の端に捉えたゲイズは、思わず叫んでいた。ドンヌ高司祭から、バロールの監視を命じられていた彼だが、まとわりつくように攻撃を仕掛けてくるアーマーナイト相手に、苦戦を強いられていたのだ。
ゲイズは思わず舌打ちしていた。
「チッ!・・・たかがアーマーナイト風情が、いいかげん地獄に落ちろ!!」
ゲイズは剣を左手に持ち替えると、右手から暗黒魔法ヨツムンガンドを放った。だが、アーマーナイトは俊敏な動作でその邪悪なる気をかわした。
「何だと!?」
アーマーナイトは驚くゲイズの隙を突いて、その大剣を素早く突き出していた。慌てて馬をさおだたせ、その一撃を辛くもかわしたゲイズに、そのアーマーナイトは感心したような声を漏らした。
「ホゥ・・。あの一撃をかわすとは、なかなかやるではないか。」
ゲイズは歯軋りしながら叫んだ。
「それは、こちらの台詞だ!あの距離でヨツムンガンドをかわすアーマーナイトなど聞いたこともない。」
「・・・なに、暗黒魔法には以前痛い目に合わされたことがあるのでな。二度と食らいたくないと体が勝手に動くのさ。」
そのアーマーナイト、ルクソールの人を食ったような答えに逆上したゲイズが怒りの叫びと共に切りかかろうとしたとき、金属が砕け散るような大音響が戦場に響き渡った。
そのあまりの音に、思わず敵味方の攻撃の手が止まったほどである。
彼らは、一様にその光景を目撃した。
ノイッシュの放った稲妻のような一撃は、鉄仮面の騎士の兜を弾き飛ばしていた。その下から深緑色の長髪がこぼれる。騎士の厳つい素顔があらわになった。
ゲイズはうめいた。
「・・・しまった。」
ルクソールはその騎士の顔に見覚えがあった。
「・・・まさか、・・・そんな・・・。」
ノイッシュは止めを打ち下ろそうとした姿勢のまま凍りついたかのように動きを止めていた。
ルクソール同様、ノイッシュもその男を知っていた。そしてその衝撃は彼以上だっただろう。
ノイッシュはかすれたようにつぶやいた。
「・・・アーダン・・・?」
巨馬に跨る騎士は、うつろな目で紅の聖騎士を見つめていた。