第7章 北への進軍 


ヴェルダン王国は、森と湖の王国である。その傾向は王国中央部及び北部に顕著に表れている。

この特異な地形のためか、グランベル帝国が諸国に侵略の魔の手を延ばし始めた時も、ヴェルダンには本格的な軍事行動をおこそうとしなかった。深い森は、土地感の無いものにとっては、自然の迷宮と化す。その迷宮の中から、弓や斧で武装した屈強な戦士がゲリラ戦を挑んでくるのだ。諸国の人々がヴェルダン人を蛮族と蔑む一因はこの点にある。もう一点は、言うまでも無く聖戦士の血をひく王族によって興された国ではないからである。

ともあれ、取り立てて脅威となるような勢力が存在しなかったことも手伝って、帝国軍は積極的な進軍を差し控えていた。このため、帝国は、自国領に程近い城の一つを領有しているに過ぎず、残る地域は地方の小部族が勢力争いを繰り広げる無法地帯と化していた。

 


 

ヴェルダン王国の北西部、アグストリアの国境に近い森の中に、かつての王城であったヴェルダン城が存在する。花崗岩を削りだして築かれたこの城は、優雅さには欠けるものの、その堅牢さでは定評があった。

そのヴェルダン城の一室に、聖騎士ノイッシュの姿があった。

「ジャムカ王子。お元気そうで何よりです。」

ジャムカは相変わらずの愛想の無い顔で軽く肯いた。

「ノイッシュ卿こそお元気そうで何より。・・・ぷっ。クックック。」

堪えきれなくなって笑い出すジャムカに、ノイッシュは怪訝そうな顔を見せた。

「どうされた?」

ジャムカは何とか笑いを収めると、詫びた。

「いや、すまない。・・・実は、貴公にどうしても会わせたい人物がいてな。」

「会わせたい人物?」

「おい、入って来ていいぞ。」

ジャムカに呼ばれて一人の男が姿を見せた。

「よ、よう。」

軽く手を上げ挨拶する男を見て、ノイッシュは彼には珍しくポカンとした表情を見せた。

供として後ろに控えていたトリスタンとゼヴァンも彼がこのような表情を見せるのを初めて見た。それぐらい呆然とした表情だった。

「ベオウルフ殿・・・。」

 ようやく冷静さを取り戻したノイッシュはそう言って絶句した。


別室に移った彼らは、しばし昔話に花を咲かせた。だがその場においても、ノイッシュとベオウルフの二人の会話はぎこちなかった。それが、端から見ているジャムカとアレクには可笑しかった。

かつて、ノイッシュとベオウルフは、同じ女性をめぐって争った、いわゆる恋敵同士だったのである。相手は、ノディオン王国の姫君、ラケシス王女。二人にとって、同様に身分違いの恋であった。

ベオウルフは、ラケシスの兄であるエルトシャン王の旧知ではあるが、流れの傭兵騎士に過ぎなかった。

同様にノイッシュも、エリート騎士団であるグリューンリッターの聖騎士ではあるものの、そう身分の高い騎士というわけでもなかった。

結局、様々な偶然が重なった結果、ノイッシュが見事姫君のハートを射止めた。それから十数年が経ったものの、いまだに二人の間に何かが残っているのだろう。


「そういやぁ。俺の娘たちを助けてくれたんだってな。ありがとよ。」

ベオウルフはそう言って頭を下げた。ノイッシュは苦笑して言った。

「いや、俺が直接助けたわけじゃない。気にしないでくれ。礼ならあとでトリスタン達に言ってやってくれ。」

「・・・お前さんが連れてた、あの若い騎士かい?」

「ああ、若いが将来有望な騎士だ。」

「そうか・・・。後で礼を言うとしよう。」

そこに横からアレクが口をはさんできた。

「しかし、お前の娘だが、可愛い顔をしてるじゃないか。・・・きっと美人になるぜ。」

ベオウルフはニヤリと笑うとアレクを見た。

「・・・やらんぞ。」

アレクは引きつった笑みを浮かべた。

「おいおい、俺はただお前に似なくて良かったなって、そう言いたかっただけさ。」

「ふん。どうだかな。」

アレクは大げさに肩をすくめた。

「おいおい、随分と信用無いんだな。心配するなよ。あの子は俺の守備範囲外だって。」

アレクはそう言って笑った。

『もっとも、後2年もすると、充分守備範囲だけどね』

「ん?」

アレクが気が付くとその場のみんなの視線が、自分に向けられていた。

「な、なんだよ。」

ノイッシュがため息をつきながら口を開いた。

「アレク。お前今、『後2年もすれば守備範囲だ。OK!』とか思っただろ。」

「な、何言ってんだよ。そんなはずないだろ。ハハハ・・・。」

「お前とは付き合いが長いからな。考えていることはお見通しだ。」

ノイッシュにそういわれたアレクはただ乾いた笑いを浮かべていた。

そんなアレクにあきれたような視線を向けながら、ジャムカがベオウルフに尋ねた。

「それにしても、ベオウルフよ、本当にお前と似てないな。」

「何だよ。ジャムカまで。」

「あれは・・・そうだな、どちらかといえばラケシス王女に生き写しだな。」

一瞬、静寂がその場を包んだ。その沈黙を破ったのはノイッシュだった。

「実は、そのことは私も気になっていた。初めてあの娘を見たときには自分の目を疑ったよ。髪が栗色であることをのぞけば、ラケシスそのものだからな。」

ベオウルフは苦笑いを浮かべながら口を開いた。

「まあ、俺に似ていないのは仕方ないさ。なんせあの子と俺は血が繋がっちゃいない。・・・詳しくはまだ言えんが、ある方から託された大事な預かりものなんだ。」

再びその場を沈黙が支配する。

「すまんな。時がくれば必ず明らかにする。それまで少し時間をくれんか?・・・それから、ノイッシュ。俺もお前たちと一緒に戦わせて欲しい・・・かまわんか?」

ノイッシュは無言で肯いた。


ゼヴァンは、待機を命じられていた部屋から抜け出すとヴェルダン城の中を散歩し始めた。

「やれやれ、どうもじっとしてるのは性に合わないんだよな・・・あれ?」

ゼヴァンは前方の角を曲がったのがヴァナであることに気づいた。

「ヴァナさん?」

ゼヴァンは少女を追いかけると声をかけた。

「ヴァナさん、どうしたんですか?」

ヴァナは驚いた顔で振り返った。

「ゼヴァン様・・・。」

ゼヴァンは照れながらいった。

「よ、よして下さい。様なんて呼ばれる柄じゃないですよ。ゼヴァンで結構です。」

「でも、騎士様を呼び捨てになんて出来ませんから・・・。」

「そうですか・・・。それよりどうしたんです?勝手に城の中を歩くとまずいですよ?」

ゼヴァンは自分のことを棚に上げて言った。ヴァナは悲しそうにうつむきながら言った。

「すみません・・・。」

ゼヴァンは慌ててしまった。

「いや、その・・・。まいったな。・・・何か訳があるんですか。」

ヴァナは意を決したように話した。

「人を探しているんです。」

「人・・・ですか?」

ヴァナは肯いた。

「そういえばルクソール卿からお聞きしましたが、ヴァナさんたちはヴェルダンを目指して旅をしてたんですよね。・・・もしかしてその人に会う為なんですか。」

「はい。」

「あの・・・、不躾な質問で恐縮なんですが・・・もしかして恋人さんとか。」

ゼヴァンは自分で言った質問で動揺していた。それがなぜなのかは分からなかったが。

「いいえ。でも大切な人です。・・・私の兄なんです。」

「あ!お兄さん?ああ、お兄さんですか。」

ゼヴァンはホッとした。と同時に疑問がわいた。

「ヴァナさんは、トラキアの出身ですよね。・・・お兄さんはどうして遠く離れたヴェルダンに?」

ヴァナは俯いてしまった。それを見てゼヴァンは慌てた。

「その・・・すみません。いろいろ詮索してしまって。」

「いえ。・・・お話します。私の兄は竜騎士なんです。」

「え?」

ゼヴァンは驚愕した。

「・・・正確には元竜騎士なんです。兄はアリオーン殿下の近衛騎士だったのですが、私の父が国王様のご不興を買ってしまって、その資格を剥奪されてしまったのです。父は投獄されてしまいましたし、兄は仕方なく傭兵の職を求めてヴェルダンへ向かったのだと。」

「そうだったんですか。」

「わたしはここ数年ずっと修道院暮らしだったので、このことを知ったのは大分経ってからだったのですが、兄のことを思うと、いてもたってもいられなくなってしまって・・・。」

「それで、旅を・・・。」

ヴァナは肯いた。と、ゼヴァンはいきなりヴァナの手を取った。そして、驚くヴァナに笑顔を向けた。

「わかりました。俺も一緒に探してあげます。」

「でも・・・。」

「なーに、一人よりも二人の方が早く見つかるかもしれませんよ。・・・えーっと・・・おっ!おーい!!すいませーん!」

ゼヴァンはたまたま通りかかった男に駆け寄っていった。ゼヴァンとそう年の変わらなそうなその男は怪訝そうな顔で立ち止まった。

「なにか?」

そう言ってからその男・ヨハルヴァは、声をかけてきた騎士がアグストリアからきた者であることに気づいた。

「あっ!困るなぁ。あんたアグストリアから来たお客だろ?かってに城の中歩かないでもらいたいね。」

「まあまあ。硬い事言わないでさ。」

「確かに硬い事は嫌いだが・・・じゃなくって!!」

思わず頭を抱えて絶叫するヨハルヴァに対してあくまでマイペースで事情を説明するゼヴァン。ヨハルヴァもその話を聞くうちに納得した。

「なるほどな・・・お兄さんを訪ねてはるばる・・・くっ。俺はこういう話に弱いんだ。」

思わずうっすらと涙を浮かべながら肯いた。

「多分、うちのバカ兄貴と違って良いお兄さんなんだろうな・・・。わかった。今回のことは大目に見ておくよ。」

「お!話がわかるね!!」

「ありがとうございます。」

ヨハルヴァは、礼を述べる二人に軽く手を上げて答えながら、尋ねた。

「で、お兄さんの名前は?この城でも何人か竜騎士の傭兵がいるから・・・まあ元々そんなに数がいるわけじゃないからすぐわかると思うぜ。」

「ルファス。ルファスって言います。」

ヨハルヴァは記憶を手繰り始めた。

「ルファス・・・ルファスねぇ・・・ルファス・・・。・・・ん!?ルファスだって!!」

「ご存知なんですか!!」

勢い込んで詰め寄るヴァナをゼヴァンが引き止める。

「ヴァナさん落ち着いて!」

ヨハルヴァは肯きながら答えた。

「知ってるも何も、彼は今、アグストリアにいるはずだぜ?」

「なんだって!」

今度はゼヴァンが詰め寄りヴァナが引き止めた。

「アグストリアにって、本当なんですか?」

ヨハルヴァは首をぶんぶん振りながら答えた。

「ほら、少し前にアグストリア解放軍の七将軍の一人、ウェイン将軍が戦死したろ?その後任として、残された彼の竜騎士隊を任されることになった男、それがルファスって言う騎士だったと思うけど・・・。」

「それじゃあ兄はアグストリアにいるんですね。」

「多分な、昨日出発したから、丁度行き違っちまったんだな。」

「ありがとうございます。」

深々と頭を下げるヴァナに向かってヨハルヴァは苦笑した。

「いや、いいって。俺は思い出しただけだから・・・。それより、もうそろそろ部屋に戻った方がいいな。俺以外の奴に見つかるとややこしくなるから。・・・そうだな、二人とも部屋まで送るよ。そうすりゃ、まだしも疑われ無いだろうからな。」

「あんた、いい人だな・・・。俺、感動したよ。俺はゼヴァンだ、よろしく!」

そう言って差し出したゼヴァンの手を、ヨハルヴァは握り返した。

「俺もあんたのことを気に入ったぜ、特に騎士らしくない所がいい。ヨハルヴァだ、こちらこそよろしくな。」

ヨハルヴァはそう言って楽しそうに笑った。


「ゼヴァンの奴・・・大人しくしとけとあれほど言ったのに。」

アグストリアからの使者のために用意された部屋では、トリスタンが心配そうにつぶやいていた。

「落ち着きなよ。敵陣にいるわけじゃないんだしさ。そのうち戻ってくるって。」

アーリアはそう言ってゴロンとソファーに横になった。その向かいのソファーではフェミナが座ったまま居眠りをしていた。

トリスタンは、横になったアーリアをまじまじと見つめた。

「な、なんだよ。」

アーリアは少し顔を赤らめながら聞いた。

トリスタンはため息をついて答えた。

「・・・俺は、あまり人のことについて、どうこう口出しするのは好きじゃないんだが。」

「なにさ?もったいぶらずに言ったら?」

「・・・もう少し女の子らしく出来ないか?ソファーの上に寝転ぶのはあまり行儀がいいとはいえないな。」

「!!・・・大きなお世話だよ!!」

アーリアはそっぽを向いた。

「・・・せっかく整った顔立ちをしているんだから、行儀良くすれば多分どこかの姫君といっても通るとおもうのにな。」

アーリアは体を起こすと、ソファーに座りなおした。

「ねぇ。それってあたしがカワイイってこと?」

「えっ!?」

アーリアは立ち上がるとトリスタンに詰め寄った。

「ねぇ。どうなの!!」

「あ、それは・・・。」

トリスタンは思わずあとずさった。その逆にアーリアは前に出る。

「それは?」

後ずさり続けるトリスタンはついに壁際に追い詰められた。

「それは・・・その・・・。」

無言で詰め寄ってくるアーリアに観念したのかトリスタンが口を開いた。

「その、俺は・・・カワイ・・・。」

「よう。無事だったんだな。」

いきなりそう言って飛び込んできたベオウルフは壁際に追い詰められたトリスタンと、そのトリスタンの顔すれすれまで詰め寄っているアーリアの姿を見た。

「わぉ!・・・アーリアおまえやるなぁ。」

ベオウルフは、そう言うとガハハと笑った。アーリアとトリスタンの顔が見る見る赤く染まっていく。端から見た自分たちの姿が、どのように見えるかに思いを致した二人は、にわかに恥かしくなったのだ。

慌てて離れる二人をニヤニヤしながら見つめるベオウルフ。アーリアは拳を握りしめるとベオウルフに歩み寄った。

「親父・・・。」

「ん?何だ?」

「部屋に入るときにはノックぐらいしろってんだ!!」

その台詞とともにアーリアの拳がベオウルフの顎を捉えた。痛みのあまり思わず座り込むベオウルフ。彼は顎をおさえながら、仁王立ちになっている娘を見上げて語りかけた。

「いてて・・・。そんなに怒るなよ。悪かったよ恋人たちのひと時を邪魔しちゃって・・・。」

「そんなんじゃなーい!!」

再び振るわれた拳が、正確にベオウルフの顔面を捉える。

「・・・あのな、わが娘よ。もっと他に言うべきことがあるんじゃないか?無事でよかったとか、心配だったとか。」

鼻血を垂らしながらそう語りかける養父の脳天にとどめの肘鉄が打ち下ろされた。

「自分から迷子になっておいて都合のいい事言ってんじゃない!!!!」

頑健なベオウルフも、ついにその場に昏倒した。

肩で息をする少女を何とか落ち着かせようとしたトリスタンはその時になって初めて、戸口にノイッシュ達が立っていることに気付いた。

「た、隊長・・・一体何時からそこに。」

ノイッシュは苦笑を浮かべながら答えた。

「ベオウルフが部屋に突入したときからかな?」

その時になってようやく目を覚ましたフェミナが寝ぼけ気味に尋ねた。

「ふぁ。・・・なんかあったの?」

トリスタンはただ固まるしかなかった。


一路シルベールを目指していたベレノス達は、ようやくロートリッターが駐留する本陣へと到着した。

すでに通達が伝わっていたらしく、パトリック率いるバイゲリッターとの引継ぎは予想以上にスムーズに行われた。

「それでは、パトリック卿。後の事はお願い致します。」

「・・・了解しました。ベレノス副司令官とロートリッター、そして、アミッド卿とゲルプリッターの御武運をお祈りいたしております。御身に聖戦士の加護があらんことを。」

「ありがとう。・・・よし、出発するぞ。」

パトリックらが見送る中、ベレノス達は港町ノーザンプトンを目指し進軍を開始した。

ベレノスはすぐ隣を騎行していたアミッドに声をかけた。

「海賊共め・・・大人しいものだ。」

「ええ、エイル殿たちに我等の勇姿を見せられなくて少し残念です。」

ベレノスはアミッドに向かって微笑みかけた。

「まあ、そんなに焦らなくても良いだろう。最初に予定していた通り、我々の戦いぶりはシレジアの大地で存分に見ていただくとしよう。」


翌日、先行してノーザンプトンに到着していたガレスフ将軍と合流を果たしたベレノスらはそこで思いもかけなかった話を聞かされた。

「海賊軍が、海上封鎖をかけようとしている・・・本当なのか?」

ガレスフ将軍は肯いた。

「どうも、いずこからか我等の行動が漏れていたようですな。昨日このノーザンプトンを攻めてきた海賊のうち数人を捕虜と致しました。その捕虜が申すことには、2、3日の内にもてる海賊船の大半を持って、海路を封鎖するつもりとの事。」

「いかが致しましょうベレノス閣下。」

アミッドは若い副司令を振り返った。ベレノスはしばし考えた後指示を出した。

「こちらの出発を早める。出発は明日早朝、夜明けとともに出港だ。」

ベレノスは一堂を見回した。

「予定ではこの地に2日ほど逗留し万全の体制を持って出港する予定だったが、情報が漏れているのなら、その裏をかく。ガレスフ将軍!」

「はっ!!」

「軍勢を乗せる船の手配はどうか?」

「は、かねてより建造中だった軍用船が3隻、それと、商人から徴発したものが2隻、以上の5隻は全て帆船です。あとは大小のガレー船が5隻ほどで、全部隊の収容が可能です。」

「よし、直ちに糧食及び物資の積み込みにかかれ、ただし、極力静かに、だが迅速にな。」

「敵に気付かれぬようにですな?」

「そのとおりだ。それから、船を徴発した商人の名を教えてくれ、後で挨拶に向かう。」

ガレスフは驚いて尋ねた.

「副司令官自らが・・・でありますか?」

「無論だ、強引に徴発したのだ、こちらが礼を尽くさねばならない。」

「心得ました。」

ガレスフは頭を下げた。

『なるほど、さすがに切れ者よ・・・。』

ガレスフは心の中で感嘆した。

『・・・それだけに惜しい。』

「アミッド将軍!」

「はっ!」

「貴公は新兵隊の一部を率いて街周辺の警戒に当たれ。敵の方針が決定した今となっては、街への敵襲は無いとは思うが、念のためだ。」

「了解しました。」

駆け出してゆくアミッドを見送ると、ベレノスは、ガレスフを伴って港へ向かった。そこには純白に輝く大型の帆船が停泊していた。ベレノスはその船を見上げ嘆息した。

「これか・・・。」

ガレスフは肯いた。

「左様です。バーハラ級の戦艦です。最新の技術を投入して作られております。船体正面に3×3、計九門のロングアーチを配置。船体側面には左右合わせて14問のカタパルトを設けてあります。これにより長距離の投石が可能です。」

「企画されていた対魔法処理はどうか?」

「残念ながら、完成を急ぎましたので・・・。1番艦は完全なのですが、2番艦及び3番艦は対火炎処理のみとなっています。」

ベレノスは顎に手をやりながら呟いた。

「仕方ないか・・・。」

ベレノスはガレスフに語りかけた。

「いや、よく頑張ってくれた。作業員全員をねぎらっておいてほしい。」

「心得ております。・・・して、これらの艦に呼称を与えませんと・・・。」

「呼称か・・・。」

ベレノスは再び純白の船体を見上げた。

「・・・ナーガ。」

「なんと!」

「1番艦の名はナーガとしよう。」

「閣下。その名はロプト信者を刺激しませんか?」

「構わんさ。今現在はいざ知らず、グランベルは聖戦士が興した国家だ。今回新設される海軍の旗艦にナーガの名を冠したところで文句は言わせん。」

ベレノスは微笑んだ。

「誰にもな。」

ガレスフも笑顔で肯いた。


翌朝、朝日が水平線から姿を表すと同時にベレノス率いる帝国軍は出港した。

船団の一番先で風を切りながら進むのはバーハラ級の2番艦「ヘイム」である。この艦には、ガレスフ指揮下のゲルプリッターを中心とした部隊が乗り込んでいる。

その後ろに旗艦である「ナーガ」が進んでいる。この軍の中核をなす、ベレノス指揮下のロートリッターが乗り込んでいる。

そして、大小さまざまな船団の一番後方に、3番艦「アズムール」、アミッドが率いる新兵を中心とした部隊が航行している。

シレジアから派遣されたエイルの部隊は、戦艦間の連絡の役目を引き受けてくれた。これによって連絡が密になり、より正確な艦隊行動が取れるようになった。

アグストリアからシレジアまで、順調に進めば3日ほどの航海である。

殿を進む「アズムール」のデッキにアミッドが立っていた。

『何事も無く過ぎればよいが・・・』

「兄上・・・。」

アミッドが振り向くと彼の妹リンダが立っていた。

「リンダ、いや、リンダ卿。作戦行動中は兄上と呼んではいけない。」

「いまは、他に誰もおりません。」

そう言って少女はクスリと笑った。

アミッドは頭を掻きながら言った。

「何か用か?」

「お聞きになりましたか?アルスターのことを。」

アミッドは顔を強張らせた。

「・・・聞いた。」

アルスター王国は彼らの故郷である。北トラキア地方の小国であるアルスターは、帝国に占領された際に、人質として王太子と王女を差し出した。それが、アミッドとリンダである。末娘のミランダ王女のみが、まだ乳児であったために人質をまぬがれたのである。

 そもそも、アルスターの王妃エスニャは、北トラキア王国の国王、フリージ家当主である、ブルームの実妹であり、アミッドらも、聖戦士トードの血を引いている。

「イザーク・レンスターの両反乱軍によって解放されたらしいな。」

「それで、ミランダは?」

「・・・無事らしい。レンスターのリーフ王子がいろいろと便宜を図ってくれたようだ。父上、母上もご無事だそうだ。」

「ブルーム伯父様は亡くなられたそうですね。」

「・・・ああ、イシュトー殿下も戦死されたそうだ。」

「・・・あのお優しかったイシュトー兄様が。」

「これが戦争だ。イシュタル殿下がご無事とはいえ、事実上北トラキア王国・・・いやフリージ家は終わりだな。」

「・・・。」

「今やあのヒルダの息のかかった将兵が我が物顔でフリージを操っていると聞く。ヒルダは元々ヴェルトマーの出身だ。いまやゲルプリッターはヒルダの私兵だ。・・・あるいはユリウス皇子の・・・かな。」

「兄上・・・。アルスターへ帰るわけにはまいりませんか?」

「それは出来ない。」

アミッドはきっぱりと言った。

「たとえどのような事情があったにせよ、今の私はゲルプリッターを率いる将軍だ。・・・それ以上でも、それ以下でもない・・・。」

「でも、解放軍にはミランダが・・・。」

「反乱軍だ!!」

アミッドは叫んだ。リンダは黙って俯いた。

「・・・仕方が無いんだ。・・・今の私にはどうすることも出来ない。本来ならアルスターが解放されたときに、見せしめに処刑されるかもしれなかったのだ。それを、ベレノス、タラニス両副司令の口利きで今こうして生きている。・・・ヒルダの手下であるタラニスの意図は解らない。だが、少なくともベレノス閣下は、本心からわれら兄妹を救う為に奔走してくれた。私はこの恩に報いたい。」

アミッドは妹の肩に手を置いた。

「解ってくれリンダ・・・。私は、あのベレノス閣下に賭けてみたいのだ。・・・今は。」

「兄上・・・。解りました。兄上がそこまで仰るのならば私も兄上と共に。」

「ありがとうリンダ。」

アミッドは淋しそうに微笑むと海原を眺めた。

「それにしても、イザーク・レンスター両反乱軍の布陣は日増しに凄くなっていくな。イザーク王国のシャナン王子、レンスター王国のリーフ王子、そして未確認ながら、シレジア王国のセティ王子とノディオン王国のアレス王子も加わっているらしい。」

「それに、シアルフィ・・・いえ、グランベルの光の皇子。」

「セリス皇子・・・悲劇の英雄シグルド公子とディアドラ王女の御子か・・・。」

兄の言葉にリンダは肯いた。

「お会いしたいものですね。」

「・・・叶うならば・・・な。」

二人の頭上を海鳥の群れが飛んでいった。


同じ頃、旗艦「ナーガ」のデッキではベレノスが一人佇んでいた。

「・・・さて、うまくいくのかどうか。」

「これは、智将と名高いベレノス卿の言葉とは思えませんね。」

「・・・エイル殿か。これは失礼。」

不意に現れた女性騎士に、ベレノスは苦笑しながら答えた。

「ベレノス殿でも不安になることがあるのですか?」

エイルはからかい半分に聞いた。その後ろではフノスがしきりに姉の服を引っ張って止めようとしている。その様子を見て微笑みながらベレノスは話し始めた。

「いつも不安ですよ。不安にならないわけが無い。・・・私の指揮一つで戦局が動くのです。ミスはそのまま多くの仲間の死に繋がります。」

ベレノスは海に目を転じた。

「ましてや、今回は私にとって、・・・帝国軍にとって初めての本格的な海戦になるかもしれない。不安になる要素には事欠きませんよ。」

「でも、自信はおありなのでしょう。」

「さあ?どうでしょうね?」

ベレノスは微笑みながら首をかしげた。

フノスも微笑むと踵を返した。

「それでは失礼します。そろそろ定時連絡の時間ですので。」

「よろしくお願いします。・・・今回はアミッド将軍のいる「アズムール」ですね。」

「はい。」

「申し訳ないです。あなた方にはシレジア到着までゆっくりとして頂きたかったのですが。」

「いえ、ペガサスに乗ればすぐですし・・・私の部隊の騎士は、基本的にじっとしているのが苦手な娘たちばかりですので。」

エイルは微笑と共にそう言い残すと去っていった。

「あ、あの。」

後に残ったフノスが頭を下げた。

「すみません、姉が失礼なことを言って・・・。」

ベレノスは恐縮しているフノスに笑いかけた。

「大丈夫。全然失礼じゃないよ。・・・楽しいお姉さんだね。」

「は、はい。」

ベレノスはフノスを手招きした、フノスは緊張しながらベレノスの隣に立った。

「・・・。」

「・・・。」

しばらく黙って海を眺めていた二人だったが、あまりに緊張して固まっているフノスを見かねてベレノスが話し掛けた。

「フノス殿は私が怖い、のかな?」

「えっ?」

「何だかいつも緊張しているようだから・・・。」

「・・・そんな、怖くは無いんです。・・・でも、あの、その、ベレノス様はその、偉い方ですし、あの、だから・・・。」

そんな様子のフノスを見てベレノスは微笑んだ。

「あの・・・うまくいえないんですけど・・・すみません。」

フノスは泣きそうな顔で黙ってしまった。

「フノス殿は、どうして天馬騎士を目指したのです?」

フノスはきょとんとしてベレノスを見た。

「やっぱりお姉さんたちが天馬騎士だったから?」

フノスは首を横に振った。

「もちろんそれもあります。・・・でも一番の理由はお母さんが天馬騎士だったから・・・。」

「お母上も?」

フノスは肯いた。

「私のおかあさ・・・母は、かつてシレジアの4天馬騎士と呼ばれたパメラ将軍なんです。」

「お名前は伺ったことがある。・・・そうか、フノス殿はパメラ将軍の・・・。」

「母は、シレジアの王位継承戦争のときに大怪我を負いました。幸い命は助かったのですが、医師からペガサスには二度と乗れないって言われて・・・。」

ベレノスは黙って話を聞いていた。

「母は、何度も死のうと思ったそうです。・・・でもそんな時におとうさ・・・父と出会って、そして私たちが産まれました。私たち姉妹は母から天馬騎士だった頃の話を聞きながら育ちました。その話を聞いてワクワクしたものです。だから、物心ついた時にはみんな天馬騎士になるために修行をしていたんです。」

目を輝かせて話すフノスを優しく見つめながらベレノスは肯いたり相づちを打ったりしていた。どのくらいそうして話していたのだろう。最初の頃の緊張も解けた頃、フノスは戻っていった。


彼女と入れ替わるように一人の老騎士がデッキに上がってきた。

「ルゴス将軍・・・。」

ルゴスと呼ばれた老騎士は恭しく頭をたれた。

「閣下。装備の点検が滞りなく完了いたしました。」

「ご苦労。」

ベレノスはこの古くからの忠臣に笑顔を見せた。

「将軍、今日は自慢の鎧を着ていないのだな?」

老騎士は苦笑を漏らした。

「閣下。ご冗談を申されますな。いかな私とて、いつもの重装のまま海に落ちれば助かりませんからな。」

ベレノスは微笑を浮かべ老騎士を見た。

ルゴスは、ベレノスの父親の代から彼ら親子を支えてきた歴戦の騎士である。

バロンと呼ばれる特殊な騎士であり、クラス的にはジェネラルのさらに上位に位置する。

ジェネラルと同様に重装甲の甲冑に身を包み、剣・槍・斧・弓の他に魔法まで使いこなすこのクラスは、味方にとって非常に頼もしい存在といえる。

残念な事に、この部隊におけるバロンは、彼のみであり、配下のアーマー部隊も、他部隊に比べると僅かに100名程度と少数である。

「ルゴス、貴卿は此度の戦、どう見ている?」

若き主君の問いに、いささか表情を引き締めながら老騎士は答えた。

「率直に申し上げて、いささか不自然なものを感じざるを得ませんな。」

「・・・やはりそう思うか?」

ルゴスは肯いた。

「なにやら陰謀めいたものを感じます。・・・あのフリージの狐の。」

「タラニス・・・か。」

ベレノスは腕を組むと考え込んだ。そのベレノスを見て老騎士は口元をほころばせた。その様子に気付いたベレノスは怪訝そうな顔を見せた。

「なんだ?」

「・・・いえ。閣下は皇帝陛下の若き頃に似ていると申すものがいますが、私は、いま一人良く似たお方を存じ上げております。」

「それは?」

「閣下の伯父上、アゼル公子です。閣下はアゼル公子に瓜二つですな。」

ベレノスは少し憮然とした表情を見せた。彼の伯父アゼルは優れた魔法騎士として王宮聖騎士シグルドの下で活躍した。その後、シグルド達は反乱軍として討伐隊が差し向けられアゼル公子も行方不明となった。

だが、ベレノスが憮然としたのは、反逆者に似ていると言われた為ではない。彼の伯父は童顔であった事でも有名で、こちらの方がベレノスを傷つけるのである。

ベレノス自身、自らが童顔である事は気にしており、そのため髪を伸ばして少しでも顔を隠そうとしているのだ。

無論、ルゴスはそのことを十分に承知した上でからかっている訳である。もっとも、ベレノスの腹心ともいえるルゴスだからこそ許された戯言ではあるのだが。

「全く、人が気にしていることを・・・」

ルゴスは豪快に笑った。

「閣下。もっと気を楽になさいませ。確かに此度の戦、不安要素は多うございます。されど、我らロートリッター一同、並びに他の帝国兵一同、たとえどのような苦境に陥ったとて、必ずや目的を果たしてご覧に入れまする。」

ベレノスも苦笑をもらした。

「なんだ。先程の話を立ち聞きしていたのだな?」

「は、無礼は承知で。」

「・・・すまない。じい・・・いやルゴス将軍には隠し事は出来ないな。」

老騎士は慈愛に満ちた笑みを浮かべた。

「ベレノス閣下。・・・閣下がご幼少のみぎりよりお仕えしてまいったこの私には、閣下のご心配、よく解りまする。しかし、閣下は恐れず前を向いてお進みくだされ。閣下の後ろにはこの老いぼれめが付き従っております。どうか、その事だけはお忘れなさるな。」

「・・・不安を周りに悟らせないように努めたつもりなのだがな。」

「他の者は気付いておりますまい。・・・それはそれでよいのです。」

二人は顔を見合わせると微笑を交わした。

「すまない。いつまでも面倒をかけるな、私は。」

「なんの。それもまた、家臣としての喜びでもあるのですぞ?」

ベレノスは微笑みながら肯いた。


異変が起きたのはそれから少し後のことである。

先頭を航行していた「ヘイム」のマスト上で、前方を監視していた兵士が、不審な船影を発見したのだ。報告を受けたガレスフ将軍は軽く肯くと口を開いた。

「海賊どもめ・・・ようやく現れたか。」

ガレスフは後方に控えていたペガサスライダーの少女、フノスを振り返った。

「後方のベレノス副司令官に伝令を頼む。『我敵影を見ゆ』とな。」

少女は敬礼をすると答えた。

「了解しました。」

少女が駆るペガサスが「ナーガ」の甲板に降り立ったのは、その数分後の事である。

報告を受けたベレノスは、直ちに各船団へ指令を出した。

「よし。『ナーガ』『ヘイム』『アズムール』はこのまま前進。攻撃能力の無い船は、このまま待機せよ。」

ベレノスの命令を伝えるため、ペガサスナイトたちが四方に散っていった。

「船内の魔法兵は所定の位置に着け。アーチャー部隊は、各バリスタに。スナイパーは正面、超長射程のロングアーチの準備にかかれ!」

ベレノスの命令が次々と出される。

これから初めて起こるであろう海戦に、乗組員間に緊張が走った。


やがて、甲板にペガサスナイトたちが舞い戻ってきた。ベレノスはすぐさま次の命令を下した。

「本艦は、敵船団に対して、突撃を行う。『ヘイム』『アズムール』の両艦は、本艦突撃の際の支援攻撃を頼む。」

再び、ペガサスは飛び立っていった。

「司令官!敵船が有効射程距離に入ります!」

ベレノスは肯くと叫んだ。

「敵船には、こちら以上の長射程攻撃法は無いはずだ。正面ロングアーチ!!遠慮は要らん。存分にこの艦の恐ろしさを教えてやれ!」

ベレノスは右手を上げると振り下ろした。

「撃て!!」

その命令とともに、敵船団に向かってロングアーチから矢が放たれた。

矢といっても、その大きさは槍といっても通用するほどだ。通常のロングアーチは、強力な矢を発射する反面、命中精度に欠ける。

だが、このバーハラ級の戦艦に搭載された9門のロングアーチは新技術が導入され、発射時に起こる反動を大幅に軽減することで、かなりの命中力を誇る。また、9門がそれぞれ交互に発射を行うため、その勢射に隙は無い。間断ない攻撃が敵に襲い掛かるのである。

左右に展開した『ヘイム』、『アズムール』からも、同様にロングアーチの一斉射撃が始まっていた。

「司令官!敵船が長射程魔法の有効範囲に入りました。」

「よし!魔法兵部隊に伝令、各員3交代でメテオ発射!」

「了解!!」

ロングアーチの攻撃から魔法攻撃へと切り替わった。

特大の火球が、敵船へと降り注ぐ。右翼に位置する『ヘイム』からはサンダーストームの魔法が放たれている。左翼の『アズムール』からは、小型のロングアーチ・バリスタの矢が発射されていた。

「・・・さすがはガレスフ卿・・・それにアミッドもなかなかやるな。」

「司令官!!敵船の半数は無力化した模様です。のこる三隻のうち、一隻が逃亡を開始。恐らく敵旗艦と思われます。残る二隻はこちらに突っ込んできます。」

見ると、炎上し、動かなくなった僚艦を残し、船体を回頭しようとする大型船の姿が見える。そして、その援護の為か、突出してくる船が二隻。

ベレノスは肯くと指示を出した。

「『ヘイム』及び『アズムール』に伝達!これより『ナーガ』は敵旗艦の追撃を開始する。両艦は、残存する敵戦力の掃討戦にかかれ。」

「了解!!」

『ナーガ』は帆を一杯に広げて、敵旗艦を追い始めた。敵船はガレー船であるためか、そのスピードはさほど速くは無いようである。『ナーガ』は敵船の間を縫うようにして、旗艦へと迫った。

その頃、後方の『ヘイム』では、ガレスフが命令を出していた。

「敵船に突入する。プリースト部隊は『ワープ』の準備を。」

「すでに、準備が整っております。」

「よし!ならばマージファイター部隊を送り込め。私も出撃する。」

「了解しました。」

「・・・この様な雑魚どもは、軽く片付けて、司令官の援護に向かうぞ!!」

『もしかすると、あの司令官の下で戦うのはこれで最後となるやも知れぬからな・・・。』

敵戦艦に追いついた『ナーガ』も、同様の戦術で敵船内に突入を開始していた。

「マージファイター隊、4番から7番隊の突入完了しました。」

「了解だ。ルゴス!!」

「ハッ!」

「私も出る。後の指揮を任す!!」

「!?・・・閣下自ら・・・でありますか?」

「ああ。」

「危険です。お止めください!!」

「なんの。あれしきの海賊ごときに遅れはとらぬ。心配は無用だ。」

ベレノスは老騎士に向かって自信に満ちた笑みを浮かべた。


「・・・馬鹿な・・・こんな馬鹿なことが・・・。」

海賊はうめくような声を漏らした。旗艦の逃亡を援護すべく特攻した彼らだが、満足に足止めすらできなかったのだ。彼の目前には、長剣を構えたガレスフの姿があった。

「・・・遺言があるなら聞いてやろう。」

その言葉に、海賊はいきり立った。

「なめるなよ。私とて一船を任された男だ。むざむざと負けはせん!!」

海賊は吼えると戦斧を構え切りかかってきた。ガレスフはその攻撃を長剣で受け止めた。

「フン。意気込みは立派だな。・・・だが!」

ガレスフは絶妙な剣さばきで斧を受け流すと、バランスを崩した海賊の胴を薙ぎ払った。

「・・・!?」

驚愕の表情のまま倒れる海賊に一瞥をくれると、ガレスフは手近にいた部下の一人に命令を出した。

「船内の敵戦力を排除した後、船底部の漕ぎ手を解放せよ。・・・また、これ以上船体を傷つけるなよ。」

ガレスフは剣を鞘に収めた。

「・・・上手く修復すれば我が軍の戦力になるはずだからな。」


敵旗艦での戦いも終局に向かいつつあった。ベレノスが突入するまでも無く、大半の海賊は降伏、もしくは倒されていた。

「速やかに、残敵を掃討せよ。」

ベレノスがそう命令を出した直後。

「さがれ!!さがりやがれ!!でないと、この人質の命は無いぞ!!」

と言う怒声が響き渡った。

「何だ?」

ベレノスは訝しがりながら声のするほうへと向かった。そこには、甲板の最前部で、縛り上げられた人質らしい女性を小脇に抱えた巨漢の海賊が凄みを効かせていた。

「・・・あの男が船長か?」

「どうやらそのようです。・・・あの人質は、ノーザンプトンの商人の娘だそうです。」

「確かなのか?」

「さあ。そこまでは・・・。」

他の敵を掃討した部下たちが徐々に甲板へと集まってくる。

「司令官・・・いかが致しましょう?」

「・・・まずいな。」

「は?」

「このままでは、ヤツを余計に追い込んでしまう。・・・そうなれば人質の命が危ないな。」

海賊はヒステリックに叫ぶばかりだ。ベレノスはゆっくりと海賊に近づいていった。

「何だ貴様は!!」

「アグストリア派遣部隊副司令、そしてこの艦隊の司令官、ベレノスだ。・・・おとなしく降伏しろ。人質を解放してな。」

「ふざけるな!!とっととこの船から消えやがれ!こいつを殺すぞ!!」

ベレノスは溜め息をついた。

「・・・ならば、賭けをしないか?」

「賭けだと?」

「そうだ。私とサシで勝負しよう。無論魔法は一切使わん。賭けるのは互いの命。・・・貴様が負ければそれは死を意味する。だが、私が負ければこのまま逃がしてやろう。」

ベレノスの提案に部下たちは驚きの声を上げた。

「司令官!!」

ベレノスは動揺する部下たちを手で制すると。海賊に向き直った。

「どうする?」

海賊は怒号した。

「いい加減なことを言うな!!そんな約束誰が信じる?どうせ貴様が負けても、後ろの奴らが寄ってたかって俺を殺すに決まっている。」

「自分を基準に物を考えるな!!・・・我々は貴様らごとき薄汚い海賊どもとは違う!一度口にしたことを違えるような事はせん!!」

ベレノスの一喝に、あきらかに海賊は気圧されていた。

「・・・本当に、約束は守るのだな?」

「くどい!!」

海賊は、女性を突き飛ばすと斧を構えた。

「・・・よし。その賭け乗ってやる!!」

海賊はそう言うが速いか切りかかってきた。その攻撃をベレノスは素早くかわす。そして、慌てて駆けつけようとする部下たちを制した。

「手を出すな!!・・・この勝負は一対一のルールだ!!」

ベレノスは腰の長剣を引き抜いた。

「ケケッ!後悔するなよ優男!!このデビルアクスは、当たればそんな剣粉々になるぜ。」

ベレノスは無言で敵の攻撃をかわし続けた。敵の猛攻に、攻撃のタイミングを見出せないのか、その長剣は未だ振るわれない。部下たちも、その勝負を固唾を飲んで見守っている。

「・・・これは何事だ?」

突然の声に、部下の一人が振り向くと、そこにはガレスフ将軍の姿があった。

「ガレスフ将軍・・・。」

ガレスフはその騎士の胸倉を掴んだ。

「何故、貴様たちはベレノス司令官だけに戦わせている!何故援護せんのだ!!」

「じ、実は・・・。」

騎士は、将軍に経緯を説明した。その間に到着したアミッドもその説明を聞くと息を呑んだ。

「・・・なんて危険な。」

やや顔が青ざめるアミッドに対してガレスフはあきれたような表情をみせたものの平然としていた。

「なんとも酔狂な話だ。」

「ガレスフ将軍!そんな呑気な!!」

「アミッド!貴公もしやベレノス卿が負けると思っているのか?」

そう逆に怒鳴られたアミッドはハッとして俯いた。

「・・・いえ。」

ガレスフは、腕を組みなおすと再び決闘を見やった。

「ならば、信じて待て。」

アミッドは肯いた。ガレスフは、無言で顎髭をなでた。

『・・・そう。あの男はこのような戦いで死ぬ男ではない。もし死ぬならそれまでの男だったというだけのことだ。』


攻撃をことごとくかわされて、海賊の顔に徐々に焦りの色が濃くなり始めた。

「糞ッタレ!!・・・当たりさえすればそんな剣へし折ってくれるのに!!」

ベレノスは不敵に笑うと言い放った。

「良かろう。その斧、受けてやろう。」

部下たちの間からどよめきが漏れる。海賊は目をむいた。

「貴様正気か!!」

ベレノスは答えずに剣を構えなおした。

「・・・いいから打ち込んで来い。すべて受け止めてやる。」

「なめるな!!小僧!!」

ベレノスは宣言どおりに、その攻撃を自らの長剣で受け止めた。甲高い金属音が周囲に響く。

その金属音は、海賊が斧を振り下ろすたびに響き続けた。その回数が十数回を越えた頃、その音色が変わり始めた。

「クックック。よくもったが、そろそろ限界のようだな。その剣が折れたら、次は貴様の脳天がかち割れる番だ!!」

「・・・御託はいいから、とっとと来い。」

「馬鹿が・・・死ね!!」

海賊は渾身の力を込めて斧を振り下ろした。金属が砕ける耳障りな音が響き渡る。・・・そして。

「・・・あ?・・・あれ?」

海賊の前には長剣をかざしたベレノスが立っている。海賊は己が手に視線を移した。デビルアクスは、斧頭が半ば砕け散っている。そして、一番大きな破片、丁度、刃の大部分は海賊自身の首筋深く食い込んでいた。

「ば・・・馬鹿な・・・・。」

「馬鹿は貴様だ。デビルアクスは悪魔の斧。・・・時には主にさえも喰らいつく。」

ベレノスは冷ややかに言い放った。海賊は憤怒の形相で刺さった斧を引き抜く。その途端におびただしい鮮血が噴出した。

「・・・貴様の負けだ。・・・おとなしくあの世に行け。」

そういったベレノスの表情が怪訝なものに変わった。海賊は死に瀕しながら、不気味な笑みを浮かべたのだ。

「・・・確かに俺は死ぬだろう。・・・だが一人では死なん!!」

そう言うと同時に海賊は人質の女性へと突進した。

「!?・・・貴様!!」

「ケッケッ・・・死ねぇ!!」

女性の顔が恐怖にゆがむ。

その刹那、ベレノスは驚くべき瞬発力で跳躍すると、海賊の前に立ちふさがり、長剣を一閃した。その一撃により切断された海賊の首は、勢いよく吹き飛んで海面へと落ちていった。

同時に歓声が上がる。

ベレノスは人質の女性の戒めを解くと、歓声にこたえて右手を上げた。


グランベル帝国が建国されて初の海戦は、帝国軍の完勝に終わった。この戦闘による帝国兵の死者はいなかった。負傷者さえわずか数人という一方的な戦いとなったのである。

しかし、このとき、アグストリアの地では、一つの悲劇が生まれようとしていた事を、まだ誰も知らなかった・・・。


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