第6章 激動への序曲
アグスティ城を、夕陽が染め上げてゆく。城の中庭では、テウタテスが配下の騎士達を集合させ、演説を振るっていた。その声は風にのり、会議室の中にまで響いてきた。
その声を聞き、肩をすくめながら、タラニスは口を開いた。
「我らの司令官殿にも困ったものですな。・・・さて、シレジアからのお客人のことですが。」
タラニスはそこで言葉を切るとニヤリと笑った。
「今回、その会談の全てを、ベレノス副司令に一任したいのですが。」
ベレノスは面食らった。そして、怪訝そうな表情でタラニスに問い掛けた。
「少し待って頂きたい。諸卿もご存じの通り、私は目下、配下のロートリッターと共に、シルベールにおいて攻城戦を行っている最中です。早々にも部隊に帰還したいのですが?」
タラニスは、その問いかけを予想していたかのごとくすぐに返答した。
「その御心配にはおよびません。貴公と貴下のロートリッター隊には新たな任務についていただく。」
「新たな任務?・・・タラニス卿、それはどういうことだ。我々にシルベール城の攻囲を解けとおっしゃるのか!」
そのベレノスの発言に続いてパトリック将軍が口を開いた。
「ベレノス卿のおっしゃる事、もっともの事だ。何ゆえ今この時期に新たな任務が必要なのですかな?何よりもシルベール攻めはいかがなされるおつもりか?」
タラニスは平然として肯いて見せた。
「お二人のご意見、いちいちごもっとも。されど、ご安心めされよ。シルベール攻めは続行いたす。」
タラニスはパトリックを見据えた。思わず視線をそらすパトリックに、嘲笑めいた薄笑いを浮かべながらタラニスは告げた。
「パトリック卿。貴公にベレノス卿の後任として、シルベール攻めの指揮官となっていただきたい。」
「なんと・・・。」
パトリックは、思わず立ち上がりかけ、あわてて腰を落とした。
「ベレノス卿には、ブリンディ公との会談後に、任務を引き受けていただく。」
ベレノスは鋭い瞳でタラニスを見据えた。
「・・・タラニス卿。貴公もしや、ブリンディ公が今回、アグストリアにやってくることを知っていたのではあるまいな。・・・いや、それどころか、その用向きまで知っているのでは・・・。」
「クックック・・・。」
タラニスは不気味に笑った。
「さすがは、帝国で五本の指に入る戦略家・・・。お見通しですか。」
「茶化すな!・・・一体何なのだ、ブリンディ公の用とは。」
「それは、ブリンディ公に直接聞かれるのがよかろう。・・・ともかく、この件は万事ベレノス卿にゆだねます。・・・くれぐれもよろしくお願いいたしますよ。」
ベレノスは無言でタラニスを睨み付けた。だが、タラニスは意に介した様子も無く、さっさと次の議題をきりだした。
「・・・次に、最近活発化している、西部、及び南部の反乱軍どものことですが。」
タラニスは、手元の資料をめくった。
「先だってのベレノス卿の報告により、旧ハイライン残党がトラキアの竜騎士団を雇い入れたのは明確なようですな。」
「・・・確認したわけではないが、そう大部隊ではないと思う。・・・トラキア半島では、イザーク・レンスターの両解放軍とトラキア王国の間で小競り合いが始まったと聞いた。そのような状況下で、他国に傭兵を派遣している余裕が、あの国にあるとは思えない。」
「ベレノス卿、細かい所ではありますが、解放軍ではなく反乱軍ですぞ。」
ベレノスは、些細なことで揚げ足を取られムッとした。
「まあ、良いでしょう。私もベレノス卿と同じ結論に達しましたよ。この件に関してはこれまでと同じく、ドンヌ司祭指揮下のフィンスタニス・メンシェン【闇の人々】(ロプト教信者を中心とした傭兵部隊)に攻略を続行していただきたい。」
それまで無言だった老人が軽く肯き口を開いた。
「・・・相手が竜騎士となれば、我が魔道の技は必要不可欠であろう。・・・了解した。他に用が無ければ、退室したいのだが?」
タラニスは資料に目を通してから肯いた。
「結構です。司祭とフィンスタニス・メンシェンの活躍を期待しております。」
「・・・世辞は不要。」
老司祭は傍らの騎士に向かい軽く手を振った。その合図に従い奇怪な甲冑の騎士はゆらりと立ち上がった。
「それでは、お先に失礼する。」
老司祭は、不気味な同席者と共に会議室から立ち去っていった。
「残るは、南部の反乱軍ですな。」
「確か、南部の守りを固めていたのは、グリューンリッターの部隊では?」
ベレノスの問いにタラニスは不敵な笑みを漏らした。
「左様、もっとも指揮官代行のルクソール卿は行方不明、彼が守備していたザンガ砦は陥落したようですな。」
「何!?それは本当か!」
「おや?ベレノス卿はご存じありませんでしたかな?つい10日程前のことだが?」
「私のもとにその連絡は届いていないぞ!・・・タラニス卿!シルベールへの遠征前に、あれほど連絡は密にするようにと言付けておいたではないか。」
「ベレノス卿のお怒りはごもっとも。以後は気をつけよう。」
こればかりは、素直に頭を下げた同僚を見て、多少怒りを押さえ込んだベレノスは、気を取り直して呟いた。
「しかし・・・あのルクソール卿を倒すとは・・・。」
「それはいささか正確さに欠けますな。」
「どういうことだ?」
「まず一点目に、決戦当時、砦の指揮を取っていたのはルクソール卿ではなくダークマージのフギン導士だった。」
「それは何故だ?」
「さて、正確な所は解りかねるが、・・・まあ、大体の想像がつく。」
「・・・あの魔道士め、ルクソール卿を殺害して、勝手に指揮をとったということか。」
「じつは、そこがもう一つの指摘する点でもある。ルクソール卿は死んではいない。」
「・・・何だと。」
「生き残った兵士達の話、及び、増援部隊として送ったイドの話から想像すると、あのダークマージによって負傷はしたものの、助かったようだな。・・・だがその後が良くない。」
「もったいぶらずに話せばどうだ。」
「どうも、反乱軍に寝返ったようなのです。」
答えたのはタラニスではなくパトリックである。タラニスは冷笑を浮かべながら肯いている。
「・・・そうか。・・・彼を敵に回すとなると、こちらも気を引き締めねば。」
ベレノスはふと疑問を口にした。
「しかし何故だ。・・・何が彼を反乱軍へと走らせたのか・・・。」
タラニスはため息をつくとベレノスに向かって言った。
「貴公も聞いていよう、紅の聖騎士の話を。」
「・・・ああ。シルベール近辺でも噂を聞いた。・・・おそらくアグストリア全土で知らぬものはいないと思うぞ。」
「その騎士の正体・・・、どうも旧シアルフィ騎士団、あのグリューンリッターの生き残りのようだ。」
「・・・確かなのか?」
「解らぬ。何しろ命からがら逃げ帰ったイドの証言だからな、どこまで当てになるのか・・・。」
「だが、それなら納得がいく。ルクソール卿はかつての仲間のもとに・・・そういうことなのだな。」
ベレノスは腕組みをしたまま考え込んでしまった。
「私も、タラニス卿からお聞きして、妙に気になったので記憶をたどってみたのだが、一人心当たりのある騎士がいるのです。」
パトリックは薄ら寒そうな表情で語った。
「紅の鎧を着た、金色の髪の騎士。・・・かつてシグルド公子の側近として勇名を誇った三人の騎士の一人・・・。」
ベレノスはあっという顔をした。
「そうか!・・・聖騎士ノイッシュ・・・。なるほど、それならば納得できる、彼の騎士としての実力、そして指揮能力の高さ。それに、確か彼の奥方はノディオンの王女・・・。」
「そこまでにしておきましょう。」
タラニスはベレノスの発言を制した。
「・・・重要なのはルクソール卿が敵陣営に寝返った事。敵陣営には油断ならぬ実力を持った恐るべき騎士が存在する事。そして・・・。」
タラニスは二人の同僚を交互に見ながら言った。
「反乱軍はいくつもの砦を落とし、着実にノディオン城へと近づきつつあるということだ。」
軍儀は、夜半近くまで続けられた。ベレノスは精神的な疲労感を感じながら、会議室を後にした。自分に割り当てられた寝室へ向かう途中、何気なく中庭を見下ろした彼は、馬小屋のほうに向かう影を発見した。
「?・・・賊・・・とは思えんが。」
ベレノスは腰の剣を確認すると、中庭へと向かった。その途中、夜間の警戒をしていたアミッドと出合った。
「これは、ベレノス卿。・・・どうしたのです?そんなに急いで・・・。」
「アミッド卿か、・・・実は中庭で人影を見かけたものだから。」
「!!では、すぐに応援を呼び・・・。」
「いや、私の気のせいかもしれない。だが、とりあえず用心のために確認しようと思ってね。」
「そうですか、ならば私もご一緒しましょう。」
二人は薄暗い中庭を、足音を消しながら移動した。用心しながらそっと馬小屋を伺うと、そこにはあのシレジアの騎士見習い、フノスがいた。フノスは、ペガサスの怪我の様子を見に来たようだ。しきりにペガサスに語りかけながら傷の具合を確かめている。
ベレノスとアミッドは顔を見合わせて苦笑した。
その声に驚いたようにフノスは身を硬くしたようだ。
「誰!」
ベレノス達は姿をあらわした。
「ベレノス様・・・それにアミッド様。」
「驚かしてしまったようだね。すまない。」
「いえ・・・。」
「ペガサスの様子が気になったのか?」
「はい・・・。それもあるのですが、シレジアにいる姉上たちが心配しているだろうなって・・・。そのことを思うとなかなか寝付けなくて。」
「そうか・・・君には姉上がいらっしゃるのだね。」
フノスは肯いた。そんなフノスを安心させるようにアミッドが言った。
「大丈夫ですよ、夕刻にブリンディ公への迎えの使者を派遣しました。その使者にフノス殿が無事である事を伝えるようにと申し付けておきましたから。」
「という訳だ。安心してほしい。」
フノスは笑顔で頭を下げた。
「ありがとうございます。おかげでよく眠れそうです。」
ベレノス達もつられて笑顔になった。
「では、ベレノス卿。私は見回りを続けます。・・・そうだ。ここの兵士達の中にはならず者も多いですので、フノス殿を宿舎まで送っていただけませんでしょうか。」
「わかった、来客用の四番棟だな。」
「はい。」
「そんな・・・あの、大丈夫ですから。」
恐縮するフノスに笑顔を返すと、
「遠慮する事はない。・・・そうだ、四番棟には私の妹が寝泊りしている。何か困った事があれば妹に言ってくれればいい。丁度良いので紹介しておこう。」
「では、フノス殿、ベレノス卿、失礼いたします。」
アミッドは一礼すると去っていった。
「では、我々も行くとするか。」
「は、はい。」
四号棟は、北の城壁に接した練兵場の近くに建っている。ここには、城詰の女性騎士や、女官、そして女性の来客などが宿泊している。ベレノスは入り口で門番に用向きを告げた。
しばらくすると、建物の奥から一人の少女が姿を現した。
「まあ、お兄様。このような遅くにどうなさったのですか?・・・それにお兄様はシルベールに遠征中だったのでは?」
「ああ、今日帰還した。もっとも、またすぐに出発しなければならないが・・・。」
「そうですの・・・。ところでこちらの方は?」
「シレジアからの使者で、フノス殿だ。シレジアからブリンディ公の一行が来られるまでの間、お前にフノス殿の手助けをしてもらいたいのだが。」
少女はにっこりと微笑んだ。
「解りました。」
ベレノスは、フノスに妹を紹介した。
「妹のアルティオだ。」
「初めまして。フノスさん。よろしくお願いしますね。」
フノスは緊張しながら頭を下げた。
「こ、こちらこそよろしくお願いします。」
ベレノスはクスッと笑った。
「しかし、うちの妹は結構おっちょこちょいだからね。逆にフノス殿に迷惑をかけるかもしれないな。」
「あっ、お兄様それは無いんじゃないですか。」
そう言ってアルティオも笑った。フノスはその二人の雰囲気にいつしか緊張を解いていた。
「それでは、アルティオ、後の事は頼んだぞ。」
「はい。お兄様。」
ベレノスは満足そうに肯くと宿舎を後にした。
翌日は、朝早くから曇天で、今にも雨が降りそうな雰囲気を漂わせていた。
シレジアから、ブリンディの一行が到着したのは、予定より少し早く、彼らが到着するのとほぼ同時に大粒の雨が降り注ぎ始めた。
一行のうち、主だったメンバーは、アグスティ城の会議室へと通された。
ベレノスは、先に会議室に入り、彼らを待ち受けていた。やがて、数人の部下を伴い、ブリンディが姿を現した。
ブリンディは満面の笑みでベレノスに握手を求めると、口を開いた。
「これはベレノス殿、久しいですな。」
「遠路はるばる、よくお越しくださいました、ブリンディ公。」
ベレノスが席を勧めると、ブリンディはどっかと腰を降ろした。
「・・・いやいや、雲行きが怪しくなってきたので大急ぎでやって来たのだが・・・間一髪と言うところだな。」
その後、一言二言やり取りがあった後に、ベレノスが話を切り出した。
「して、今回のご訪問ですが・・・。」
ブリンディは軽く肯いた。
「実はなベレノス卿、貴公に折り入って頼みたいことがあってまいったのだ。」
「・・・!?アグストリア派遣軍ではなく、私個人にですか?」
「左様。グランベル帝国軍において、五指に入る用兵家の貴公と、その指揮するロートリッター隊にだ。」
「・・・伺いましょう。」
ベレノスは幾分身構えながらブリンディに続きを促した。
「貴公も知ってのとおり、現在わが国では、3勢力がシレジアの覇権を巡り抗争を続けておる。・・・特に、我がシレジア開放同盟の最大の敵と言えるのが、ムーサーの率いるシレジア革命軍だ。」
「存じ上げております。」
「そのシレジア革命軍なのだが、我々が極秘に入手した情報によると、近々、ムーサー自らが遠征に出ることがわかったのだ。」
「・・・遠征?このような時期に一軍の大将が、本拠地から離れると言うのですか?」
「そうなのだ、我々も始めは陽動かと思ったのだが、どうやら、そうではないらしい。・・・実は貴公らの母国、グランベル帝国が一枚噛んでいるようなのだ。」
「・・・今なんとおっしゃられた?」
表面上は冷静さを装いながら、ベレノスは尋ねた。
「ムーサーは、グランベル帝国のドズル家・・・というよりは、現ドズル家当主・ブリアン公と、独自に同盟関係を結んでいるという話だ。今回はそのブリアン公の要請で、出陣ということになったようだな。」
「なるほど・・・。それで、どこに向けて出兵されるのですかな。」
「聞いたところでは、トラキア半島に向けての出発とか・・・。何でも、イザーク・レンスターの反乱兵どもが、トラキア王国に向けて進軍中とか。恐らくは、進軍する、反乱軍の後背から襲撃させるつもりなのだろう。」
ベレノスは、素早く考えをめぐらせた。
『・・・なるほど、あのブリアンならば、考えられぬ話ではないな。イザークは、ドズル家が領有する地。そこに潜伏していた反乱軍が、いまや一大勢力となりつつある。このままではブリアンの立つ瀬が無いと言うものだ。』
ベレノスは口を開いた。
「それで、ブリンディ公は、この機に乗じて、シレジア革命軍を殲滅するおつもりなのですね。」
ブリンディはニヤリと笑った。
「さすがはベレノス卿。・・・ムーサーの奴め、恐らくシレジア平定にドズル家の力を借りるつもりなのであろうが、その前に、奴の帰る場所を無くしてくれようと思ってな。」
「・・・それで、私に力を貸せと仰るのか?」
ブリンディは無言で肯いた。
会談が終了した後、ベレノスは疲れた様子で会議室を出た。それを待ち構えていたかのようにタラニスが現れた。
「会談は無事に終わったようですなベレノス卿。」
薄笑いを浮かべるタラニスに一瞥をくれると、ベレノスは静かに口を開いた。
「・・・どういうつもりだ。」
「はて?何のことですかな?」
「とぼけるな。此度の事、最初から貴公が仕組んだことなのだな。」
「さあ?仰ることがよく分かりませんが。」
「・・・まあいい、貴公の思惑通り、シレジアに行ってやろう。・・・ただし、配下のロートリッターはすべて連れてゆく。」
「どうぞご自由に。」
ベレノスはそのまま立ち去ろうとした。
「ベレノス卿!」
タラニスが呼ぶ声にベレノスが振り向いた。
「シレジアへの援軍の件、我がゲルプリッターからも2部隊をお供させましょう。」
「・・・何?」
「ガレスフ将軍と、アミッドの部隊を連れてゆくといい。すぐに手配させよう。」
ベレノスは無言のまま歩き去った。
自室に戻ったベレノスは、バイゲリッターの指揮官・パトリック将軍を呼んでシルベール城攻めの任務の引継ぎを行った。
「正直に言って、私にベレノス卿の後任が勤まるとは思えません。」
話し合いの後、侍従が持ってきた飲み物を口にしながら、パトリックが自信なさそうに話した。
「何を弱気なことを・・・。パトリック卿、大丈夫ですよ。シルベールには、もう抵抗できる部隊はそう残ってはおりません。」
「それは・・・。そうなのですが。」
「何より、今回我々がシレジアに向かうのは、シレジア開放同盟の後方の憂いである、オーガヒル・パイレーツの居城を壊滅させることにあります。これは、ひいては我が軍のためにもなる。何しろアグストリアに残存する海賊勢力の補給路及び援軍を断つことができるのですから。・・・まあ、タラニスが裏で暗躍しているのが気に入りませんがね。」
「そうですね・・・。」
パトリックは、ため息をついて、頭を抱えた。
ベレノスは微笑みながら口を開いた。
「そういえば、パトリック卿は、ユングヴィで開かれた弓術大会で、上位に入賞されたことがあるとか?」
パトリックは顔を上げた。そしてかすかに笑みを浮かべた。
「ええ、もう20年近くも前になりますか・・・。」
「何でも、当時最年少の入賞者だったとお聞きしております。」
「いやぁ・・・昔の事ですよ。あの時はまだ13歳だった。私は地方貴族の出身なんです。父は公国の国立資料館の館長をしておりまして、・・・あまり争い事は嫌いな人でした。」
「ご父君は今もご健在なのですか?」
「ええ。父も、母も。実は母が弓の名手でして、私も幼い頃から母に教え込まれたのです。」
「そうですか。なるほど、それで・・・。」
「ええ、いつの間にか弓術が好きになっていました。もっとも、大会で入賞できるぐらい上手いとは思ってもみませんでしたよ。」
パトリックは微笑した。
「・・・その大会が縁で、さる大貴族の目にとまって、その貴族の7人目の姫君と結婚することになって、・・・今ではこの黄金の鎧を着ることになってしまった。」
「マスターナイトの鎧ですね。」
「マスターナイトと言っても、すべての能力を持った最強の騎士なんて、一握りしかいないのです。大抵は単なる名誉称号なのです。・・・私もそのご多分に漏れていませんよ。」
パトリックはそういって淋しそうに微笑んだ。
「パトリック卿。もっと自信をお持ちください。あなたならできますよ。」
「いえいえ。私は父と同じで戦いが嫌い・・・いや、怖いのです。何の因果か、一軍の将として、このアグストリアの地にやってきていますが、他の将軍方と違って、力があるわけでもなく、知略に長けているわけでもありません。今でもこの人事が間違いだったのでは・・・などと思ってみたりしますよ。」
「パトリック卿・・・。」
「はは・・・すみませんベレノス卿。遠征に出られる貴公に不安を残すようなことを言ってしまいましたね。・・・自信をもって大丈夫とは言えませんが、貴公が帰ってこられるまで、何とか戦ってみますよ。」
パトリックは、先程よりも幾分和らいだ表情を残して、ベレノスの自室から去っていった。
その後も、しばらく書類の整理をしていたベレノスはノックの音に机から顔を上げた。
「どうぞ。」
「失礼します。」
そう言って、部屋に入ってきたのは、シレジア解放同盟の軍装に身を包んだ女性騎士だった。長身の騎士である。おそらくはベレノスと同じぐらいの背丈だろう。
騎士は一礼すると名乗った。
「初めまして。私はシレジア解放同盟・天馬騎士部隊第3中隊の隊長で、レイヤと申します。」
ベレノスは騎士に椅子を勧めた。
「それで、私にどういった御用ですか?」
ベレノスの問いかけにレイヤは答えた。
「お礼を申し上げに参りました。」
「礼・・・ですか?」
「この度は、妹が大変お世話になったそうで・・・本当にありがとうございました。」
ベレノスはハッと気付いた。
「それでは、あなたがフノス殿の・・・。」
レイヤは肯いた。
「そうでしたか・・・。」
「妹は、今回が騎士見習いとしての初めての任務でした。ベレノス卿に使者として向かわせた後、折り返しアグスティへの使者を申し付けておりました。」
「そうでしたか。その途上でドラゴンナイトたちに・・・。」
「妹の命を救っていただいたばかりか、いろいろと良くして頂いたようで、本当にありがとうございました。」
レイヤはそう言って深々と頭を下げた。
ベレノスは微笑しながらレイヤに頭を上げるように行った。
「どうか、気にしないでいただきたい。騎士として当然の振る舞いをしただけです。・・・フノス殿には、もうお会いになられましたか。」
「いえ、まだ会ってはおりません。使者の方より事情を伺いまして、まずはお礼にと・・・。」
「そうですか。では、早く妹君に会いに行ってあげてください。部下に案内させましょう。・・・フノス殿は姉君に心配をかけることを気にかけていたご様子でした、どうか安心させてあげてください。」
「重ね重ねのお心遣い、感謝いたします。」
ベレノスは微笑むと、部下を呼び寄せ、案内を命じた。レイヤは一礼すると退室していった。
翌日の早朝、シレジアからの訪問団はアグスティを出発することとなった。同時に、ガレスフ将軍及び、アミッドに率いられたゲルプリッターも先発する事となった。
「それではベレノス卿、シレジアの地にてお待ちしておりますぞ。」
ブリンディはそう言って握手を求めた。ベレノスもそれに応じながら答えた。
「ブリンディ公も、道中お気をつけて。」
「ふふ、なにご心配には及ばん。・・・そうだ、案内役兼連絡要員として我が天馬騎士団から何名か同行させよう。・・・レイヤ将軍!」
「ハッ!」
「人選は貴公に任す。至急何名か選び出すように。」
「了解いたしました!」
「それでは、ベレノス卿。これにて・・・。」
「お心遣い感謝いたします。」
ベレノスは、そういって軽く頭を下げた。ブリンディは満足そうに肯きながら馬車の中に消えていった。入れ替わるように現れたレイヤが口を開いた。
「ベレノス卿、我が部隊からエイル指揮下の小隊を同行させます。どうかよろしくお願いいたします。」
20名ばかりのペガサスナイトの小隊のようだ。その中にはフノスの姿も見える。
「了解しました。シレジアの地にて再びお会いしましょう。」
「・・・よいな。全て手はずどおりに。」
「心得ております、タラニス副司令殿。」
アミッドが、出撃の挨拶にタラニスの部屋を訪れた時、中には先客がいたようだ。
アミッドがノックするとしばし間が空いてから誰何された。
「誰だ。」
「アミッドです。出撃準備が整いましたのでご報告に参りました。」
「・・・入れ。」
「失礼します。」
アミッドが室内に入ると、タラニスのほかに、巨漢の騎士が立っていた。
「これは、ガレスフ殿・・・。」
「遅いぞ!アミッド卿!!出撃準備ごときに一体何時間かけておるのだ!!」
「申し訳ありません。」
「まあまあ、良いでしょう。アミッドは今回がはじめての本格的な戦となる・・・。それで、貴公の揮下全部隊の招集が完了したのだろうな?」
「もちろんですタラニス副司令。・・・ですが、妹・・・いえ、リンダ卿揮下の新兵部隊まで派遣するのでありますか?」
「・・・不服か?」
「いえ、・・・ですが。」
「不服が無いのであれば命令に従え。それとも、妹を危険にさらすのは不本意かね?」
「・・・いえ、決してそのような事はありません。」
アミッドはいささか表情を硬くしながらもそう答えた。
「結構。では当初の予定を変更し、新たな命令を伝える。アミッド、貴公の部隊はベレノス副司令官に同行し、ロートリッター部隊と合流後、港町ノーザンプトンを目指せ。ガレスフ卿は予定どおり先発し、周囲の海賊どもの警戒に当たれ。」
「は!了解しました。・・・行くぞアミッド卿!!」
「は!失礼いたします。」
ガレスフ、アミッドの両名は敬礼をすると退室していった。タラニスは誰もいなくなった室内をゆっくりと横切って窓辺へと近づいた。見下ろす中庭では、出撃を待つ兵士がひしめいている。
「・・・さて、思うようにことが運ぶかどうか・・・。まあ、楽しみにするとしよう。」
アグスティ城の会議室では、遠征部隊の主だった将が最終の確認を行っていた。
「それでは、最後に行軍の確認を行う。」
ベレノスはそう言って地図を広げた。
「まず先発隊として、ガレスフ将軍率いるゲルプリッター隊がノーザンプトンまで先行する。そして、周囲の海賊軍を警戒しつつ進路を確保。」
「お任せください。」
ガレスフは肯いた。元々髭が濃く、その巨漢とも相まって熊に例えられることの多いこの将軍だが、その外見に反して、緻密な計算に基づいた作戦を行う事で定評がある。
「頼む。・・・パトリック将軍、アミッド将軍。」
「ハッ!」
「ハッ!」
「両名は、私とともに一度シルベールへと向かう。そこでパトリック将軍は、私に代わってシルベール攻略の指揮を取っていただく。」
「承知しました。」
昨日よりも力強く答えるパトリックに、微かに笑みを返すと、アミッドに向き直った。
「アミッド将軍の部隊は新兵が多く配備されているので、あまり無理な作戦行動は控えるように。・・・実戦の空気を掴むだけでよい。」
「心得ました。」
「最後に、シレジアから派遣されたエイル殿の一隊は・・・。」
「それについては提案があるのですが。」
ガレスフが挙手をして発言の許可を求めた。
「ガレスフ将軍、何か?」
「当初の予定では、シレジアの派遣部隊は編成に入っておりませんでした。」
「そうだな。」
「そこで、この際ベレノス副司令と同じ部隊として行動していただき、シルベール経由でノーザンプトンまで行く・・・というのはいかがでしょうか。」
「何故だ?」
「アグストリア領内では、案内は不要であります。ならば、シルベールにおける我が軍の状況を実際に見ていただき、その強さの程を知っていただくのも良いかと。」
「・・・視察を兼ねる・・・という訳だな。」
「御意!」
ベレノスは即答を避けると、エイルに意見を求めた。
「エイル殿、どうだろうか?」
「もしよろしければ、そうさせて頂けますか。我々としても噂に名高いロートリッター部隊の戦いぶりを見てみたいものです。」
「・・・シレジアにて、いくらでも見ていただけると思うが・・・。それに、うまく戦いの場に遭遇しないかもしれませんぞ?」
「かまいません。その場合は、ベレノス副司令官がおっしゃるようにシレジアにて存分に戦いぶりを拝見いたします。」
ベレノスは肯いた。
「それでは、エイル殿にはシルベール経由の部隊と共に来ていただこう。出発は本日正午。各将軍は準備を怠らぬように。解散。」
ベレノスの合図とともに全員立ち上がった。各自立ち去っていくなか、ベレノスは、ふと思い出したかのようにアミッドを呼び止めた。
「アミッド卿!」
「はい、何でしょうか。」
「今回のシレジア遠征だが、アルティオも同行させることにした。」
「・・・アルティオ様を?」
「ああ。本来なら私が面倒を見るべきなのだが、遠征部隊の責任者としては、妹の世話ばかりを焼くわけにはいかんので・・・。」
アミッドは肯いた。
「なるほど、それなら、リンダ卿指揮下の新兵部隊でお預かりいたします。あの部隊は、ゲルプリッター以外にも他部隊からの新兵が何人か集まっていますので。・・・私もできうる限り気をつけさせていただきます。」
「すまない。よろしく頼むよ。」
アミッドは微笑みながら敬礼すると退出していった。ベレノスもその後について退出しようとしたが、まだ室内にエイルが残っていることに気付いた。
「何か?」
「いえ、昨日、姉からも申し上げたかと思いますが、私からもお礼をと思いまして。」
「礼?」
「はい。妹を助けていただき、ありがとうございました。」
ベレノスは驚き、尋ねた。
「すると、あなたもフノス殿の姉君なのですか?」
エイルは肯いた。
「まさか、三人姉妹とは思っても見ませんでした。」
ベレノスはそう言って苦笑した。エイルは微笑みながら口を開いた。
「シレジアでは、あまり珍しくは無いのですよ。・・・最も三人ともがペガサスの乗り手というのは珍しいですが。」
「そうでしたか・・・。いや、気になさらないで下さい。それほどたいした事をしたわけではありません。」
ベレノスも微笑みながら答えた。
「ありがとうございます。それでは部隊の編成がありますので、これで失礼致します。」
ベレノスは肯いた。
「此度の遠征、道中よろしくお願い致します。」
エイルは敬礼をもってベレノスに答えた。