第5章 帝国の将


アグストリアの北にはオーガヒルと呼ばれる島がある。

この島には、いつの頃からか海賊が住み着き、付近の王国の海岸地帯や、島の西部にそびえる聖地・ブラギの塔を訪れる巡礼者を襲うようになっていた。

グラン歴777年。ここアグストリア地方では、複数の勢力が覇を競っていた。

この中で、もっとも大きな勢力が、グランベル帝国からの派遣部隊である。この部隊は、帝国に所属する各公国の連合混成部隊であり、それぞれの将が、表向きは協力しあいながら、アグストリア東部国境地帯及び北部地域の一部を占領していた。その帝国軍に次いで大きな勢力が、オーガヒルの海賊たちである。元来は海賊船を用いて沿岸地域を強略していた彼らが、長引く戦乱をいいことに内陸部にまで勢力を拡大していた。海賊たちは、アグストリア北部の大部分と西部地域のいくつかに砦を設け、付近の人々に対して過酷な圧政を強いていた。


そして、最近にわかに勢力を強めつつあるのが、アグストリア解放軍である。

七将軍と呼ばれる指揮官のもと、すばらしい統率力で、グランベル帝国軍やオーガヒルの海賊、果ては旧諸王国の残党軍までを相手取りながら善戦を続け、確実に勢力をのばしつつあった。


青年は、シルベール城をとおく眺める丘の上に立ち、刻一刻と変わる戦況を、冷静な瞳で見つめ続けていた。彼は、的確に部下たちに指示を与え、時には自らが先頭に立って戦っていた。

まだ若い。だが、その若さをあなどった敵は、ことごとく地獄へと旅立っていった。彼の襟に輝く記章は、彼がグランベル帝国の上級仕官、また指揮官クラスの人間であることを示していた。

そして、今ひとつ、彼の鎧に刻まれた炎の紋章から、彼がヴェルトマー公国の誇る、赤き騎士団「ロートリッター」の一員であることがわかる。

ウエーブのかかった、美しい赤い髪。古参の将兵達からは、皇帝アルヴィスの再来とも呼ばれている。

青年の名はベレノス。このアグストリア派遣部隊の副司令官である。

彼が、アルヴィス皇帝に似ているのには訳がある。彼の父親が、誰あろう皇帝の異母兄弟なのだ。皇帝の父、ヴェルトマー公・ヴィクトルは、女性に目が無く、正妻であるシギュンの他にも、数多くの側室、愛妾が存在した。

ヴィクトル公の死後、嫡男のアルヴィスがヴェルトマー家を継いだときに、ほとんどの異母兄弟・姉妹を処刑及び追放、降格処分とした。その中にベレノスの父も含まれていた。

彼の父親は、処刑こそされなかったものの、身分を子爵にまで落とされ、一地方領主とされた。その後、グランベル帝国草創期の統一戦争において、最前線に送られた彼の父親は、激戦の末に戦死したのだ。

ベレノスは、その後わずか14歳で父の後を継ぎ、その頃からめきめきと頭角を現し始めた。バーハラの士官学校を首席で卒業し、ロートリッターに入団。その後数々の反乱軍鎮圧の功績により、皇帝の親衛隊に編入。やがて、皇帝アルヴィスからも目をかけられるまでになった。

そして、第3次アグストリア派遣部隊が編成されるに当たって、彼は副司令官の地位についたのである。

現在、彼はシルベール城跡地を根城にするオーガヒル海賊の一隊を駆逐するために、部隊を進攻させていた。

「ベレノス副司令官!シレジア王弟軍より伝令がまいっております。」

「わかった、本営のほうへ通してくれ、私もすぐに行く。」

「はっ!!」

ベレノスは前線をチラリと眺めやってから、マントを翻し本営へと向かった。


彼が本営の天幕の中に入ったときに、彼の部下に混じって、小柄な騎士がかしこまっていた。いっせいに敬礼を返す部下に軽く礼を返すと、使者と思しき小柄の騎士に顔を上げるよう促した。

「面を上げられよ。遠路ご苦労である。・・・ブリンディ公はお変わりないかな?」

「はい。」

騎士の顔を見たベレノスは少々驚いた。使者は、まだ若い少女だったのだ。だがそれだけで相手を過小評価しないのがベレノスという男である。ましてやシレジア王国には、大陸に名を馳せる「天馬騎士団」が存在する。・・・いや、存在した。女性ばかりで構成されたこの騎士団は、その機動力をもって、他に比類なき存在であった。それに対抗しうるのは、トラキア王国の「竜騎士団」ぐらいの物であろう。

「君は、ペガサスナイトなのか?」

「いえ。・・・正騎士資格はいまだ得ておりません。」

「すると、ペガサスライダーというわけだね。」

「はい、まだまだ未熟者でありますので。」

「そうか・・・。いや、すまない。くだらぬ質問をした。それで、使者殿の用向きはなにかな。」

少女は一通の書状をベレノスへと差し出した。

ベレノスはその書面に目を通すと、表情を険しくした。

「・・・ブリンディ公が、こちらにお見えになる・・・ということだな?」

少女は肯いた。ベレノスはしばし思案した後、口を開いた。

「了解した。われらが拠点アグスティにて、公をお待ちしている・・・そうお伝え願いたい。」

少女は、幾分和らいだ表情になって肯いた。

「しかと承りました。それではこれにて失礼致します。」

少女は一礼すると天幕より退出していった。ベレノスもその後を追って天幕の外に出た。

少女は表で待っていた自分のペガサスにまたがると、ベレノスに敬礼を送った。軽く返礼するベレノスに微笑を返すと、少女は大空へと飛翔していった。

その様子を見送った後、天幕に戻ったベレノスはため息をついた。

「副司令・・・よろしいのですか?」

「・・・仕方あるまい。ブリンディ公の気紛れは、今に始まったことではないからな。」

「しかし、これより本格的に城攻めに入るという重要な時期に・・・。」

ベレノスは苦笑した。

「・・・城攻めはしばし延期しよう。それから、アグスティに向け至急伝令を走らせてくれ。私も準備が出来次第に、単身アグスティに戻る。貴公らはシルベール城を攻囲したまま、私の帰還を待っていてくれ。それまで一切の指揮を貴公らに託す。」

「了解しました!!」

「くれぐれも無理はするな。・・・なに、2、3日で戻るつもりだ。」

ベレノスが立ち上がると、部下たちも姿勢を正した。

「諸君らの健闘を期待する!」

ベレノスの敬礼に部下たちも敬礼を返した。


ベレノスは、一路アグスティに向け馬を走らせていた。かつて、このアグストリア諸王国連合の首都であったアグスティは、現在は、グランベル帝国からの派遣部隊の居城となっていた。

グランベル帝国軍は、このアグスティを中心に、マッキリー城、ノディオン城と、比較的本国に近い城砦を占領している。

この派遣部隊に対して、前回の第2次派遣の際から協力を申し入れてきたのが、北の大国シレジアの旧王弟派残党軍だった。

彼らは、アグストリア北部の平定に力を貸す代わりに、グランベルがアグストリアを制圧した暁には、自分たちがシレジアの覇権を掴む手助けをして欲しいとの交換条件を持ち出し、グランベル帝国と同盟を結んだのである。

シレジア王国は、現在三派に別れて内戦状態が続いていた。本来の国王であるレヴィン王は、現在行方不明で、その嫡男、セティ王子も消息がつかめていない状況である。留守を預かるのは少数の王国騎士団と魔道部隊のみで、戦力の大部分を傭兵に頼っている状態である。

これを好機と見て、それまで国内で沈黙を守っていた、旧王弟派の残党が蠢動しはじめたのである。

レヴィン王即位以前に、彼の叔父にあたる、ダッカー公とマイオス公が反乱を起こしたことがあった。この反乱は、他でもないレヴィン王自身の手で鎮圧され、ダッカー公、マイオス公の両名は討ち死にし、その一族は追放処分とされた。

残存勢力は、この処分を不服とし、表向きは新王即位を認めつつも、水面下で再軍備を進めていたのだ。だが、ここで思わぬ事態が起こった。

旧王弟派は、決起する段階になって、誰を盟主とするかをめぐって、二派に分裂してしまったのである。

ダッカー公の息子であるムーサー伯爵を陣頭に立てる「シレジア革命軍」と、マイオス公の遺児、ブリンディ伯爵を旗頭とした「シレジア解放同盟」の二つの勢力は、真っ向から対立する形をとり、王国軍との三つ巴の戦いを繰り広げることとなったのである。


ベレノスは、その状況をあらためて思い浮かべながら、アグスティまで、間もなくという峠にさしかかっていた。

「・・・どうやら、予定よりも早くアグスティに入城できそうだな。・・・ん?あれは・・・。」

ベレノスは馬をとめると、地面に降り立った。そしてそこに広がる黒い染みを注視した。

「これは血痕だな・・・しかも新しい・・・。」

ベレノスが周囲を見回すと、点々と血痕が続いている。

「・・・西の方角に続いているな。確か、少し先に小さな泉があったはずだが・・・。」

ベレノスは再び馬にまたがると、地面の血痕を頼りに、馬を走らせた。

「城とは正反対になるが・・・どうも気になる・・・。私の思い過ごしであればよいが。」

どれくらい走っただろう、やがて、前方から獣の咆哮が聞こえてきた。

「!!・・・この鳴き声は。・・・まさかな。」

だが、前方で羽ばたく巨大な影を目にしたとき、ベレノスの予感は確信へと変わった。

「やはり、飛竜か!」

そこでは、三頭の飛竜が、地面にいる人影を襲っていた。竜の背には、騎士の姿が見て取れる。彼らは飛竜を巧みに操ると、人影を翻弄し続けていた。

どうやら、襲われているのは女性騎士らしい。さらに近づいたときに、ベレノスはその騎士に見覚えがあることに気付いた。

「・・・あの伝令か。」

見るとすぐ側で、傷ついたペガサスが横たわっている。

ベレノスは、馬を全力で走らせながら、呪文を詠唱し始めた。

竜騎士たちが、そのベレノスの姿に気付いた時、彼らの一人は燃え盛る紅蓮の炎に包まれていた。

エルファイアーの魔法。炎の中位魔法であるこの魔法は、手練の術者が用いることで、恐るべき破壊力を生み出す。増してや、ベレノスは、傍系ながらも炎の聖戦士・魔法戦士ファラの血を引いている。

竜はそのまま落下し、地面に叩き付けられた。その背に乗っていた騎士は半ば炭化していたのか、その衝撃で一部が崩れ去った。

あまりの出来事に、呆然とする竜騎士たちを無視して、ベレノスは女性騎士のもとに駆け寄った。

「無事か?」

ベレノスの短い問い掛けに、少女は肯いた。ベレノスは微かに微笑むと再び魔法を唱え始めた。

ようやく体勢を立て直した竜騎士たちは、各々の武器を振るってベレノスのもとに殺到した。騎士が放った手槍を、難なくかわすと、ベレノスの手から火炎が放たれていた。

その劫火は、飛竜の翼を貫き、飛竜は主を乗せたまま地面をのたうち始めた。こうなると、その背に乗る騎士は悲惨なものである。竜の暴走に巻き込まれては、助かる見込みはまず無い。

さすがに顔色を失った最後の一人に、ベレノスが問い掛けた。

「このようなところで竜騎士に会うとはな。・・・最近ハイライン城を根拠とする旧ハイライン軍残党が、竜騎士を雇い入れたと聞く。」

「・・・。」

騎士は無言のまま槍を構えた。

「これは、トラキア王国の・・・トラバント王自らの意思なのか?それとも別の意図があるのか!!」

ベレノスは手のひらに炎を纏いつかせながら、竜騎士に近づいていった。

竜騎士は、焦り始めていた。強大な攻撃力と機動性、そして比類なき防御力を誇る竜騎士も、弓による攻撃と、魔法攻撃だけには弱いのだ。


ベレノスは、魔法を放とうとした。だが何処からともなく飛んできた一本の槍が、彼の乗馬を貫いた。

「何!?」

転倒する馬から素早く飛び降りた彼に向かって、次々と槍が放たれる。紙一重の差でその攻撃をかわしながら、ベレノスは何とか体勢を立て直した。

そのベレノスを囲むように上空を旋回する巨大な影があった。そのうちの一つが、唐突に急降下してベレノスの前に降り立った。

先程の騎士たちよりも一回り大きな竜である。その背には、長槍をもった騎士の姿があった。

「・・・俺の部下たちを、可愛がってくれたのは貴様か?」

いつのまにか他の竜たちも、ベレノスたちを包囲するように降り立っていた。

「・・・なるほど、先程の騎士たちはドラゴンナイトではなく、下級騎士のドラゴンライダーたちだったのだな。道理で脆過ぎると思ったよ。」

「口の減らない野郎だ。・・・その服装からすると、貴様は帝国軍の将兵だな。・・・でしゃばって、その女を助けになど来なければ、長生きできたものを。」

ベレノスは口元に笑みを浮かべた。

「その口ぶりでは、まるで私が貴様たちに倒されるかのように聞こえるが?」

「・・・貴様。これだけの数の竜騎士を相手取って勝てるつもりか。」

「さあな。」

不敵な笑みを浮かべるベレノスに、敵軍の将はあきれた顔を返すと、部下たちに攻撃命令を出した。ドラゴンライダーたちは、一度上空に舞い上がって、その後波状攻撃を仕掛けてきた。

ベレノスは、マージファイターである。ただの魔導師に比べ、軽めの鎧で武装しているものの、基本的にはそう打たれ強いわけではない。何気ない一撃で致命傷を負いかねないのだ。

おまけにドラゴンライダーたちは、彼に呪文を唱えさせないように矢継ぎ早に攻撃を繰り出してくる。

圧倒的に不利な状況に陥りながら、それでも3体のドラゴンライダーを屠ったのは、賞賛に値するだろう。だが、幸運はそう長くは続かなかった。一人のドラゴンライダーが放った手槍が、ベレノスのマントを地面へと縫いつけてしまったのだ。そのため彼は、不自由な体勢で転倒せざるをえなかった。

「痛ゥ!」

身体を支えようと咄嗟についた右手から、激痛が走った。折れてはいないようだが、少し強めに捻ってしまったようだ。

ドラゴンライダーたちは、ここぞとばかりに猛攻を開始した。ベレノスの身体に、かわしきれない攻撃が、浅く無い傷を残していく。

「よし!とどめはこの俺が刺してやる。」

敵軍の将、ドラゴンナイトの男が、鞍にかけていた槍を構えた。

「・・・鋼の槍・・・か。」

ベレノスは顔をしかめながら呟いた。

「ククッ。すぐには殺さん。充分に苦痛を与えてからだ。・・・先ずは・・・。」

男は切っ先を女性騎士に向けた。

「!!」

ベレノスの表情が険しくなる。

「女を救えなかったという精神的な苦痛からだ!!」

男は上空に羽ばたくと、女性騎士めがけて急降下した。

「!!」

少女がきつく目を閉じる。だがいくら待っても痛みは訪れない。恐る恐る目をあけると、そこには槍先を抱え込むように彼女の前に立ちふさがるベレノスの姿があった。

「ベレノス様!?」

ベレノスは歯を食いしばりながらしっかりと槍先をつかんで離そうとしない。

「・・・見上げたものだな。・・・だが、往生際が悪いぞ。」

騎士は槍を引っ張ろうとするがびくともしない。

「!?・・・ええい、さっさと放さんか!!」

業をにやした騎士は飛竜から飛び降りると、ベレノスを殴りつける。しかし、ベレノスはうわごとを呟きながらも槍を離そうとしない。

逆上した騎士はベレノスに、容赦ない殴打を加え続けた。そのあまりの激しさに、部下のドラゴンライダーたちも、その場に固まったかのように様子をうかがっている。

騎士は、ついに腰の剣を引き抜いた。

「ええぃ!そんなに死にたいなら貴様から殺してやる。くたばれ!!」

騎士の剣が振り下ろされる。その瞬間、カッと目を見開いたベレノスが、槍の柄でその剣を受け止めた。そして驚愕の表情を浮かべる騎士に向かって左手を突き出した

「なっ?」

「エルファイアー!!」

ベレノスの掌から炎の奔流が放たれる。火炎は僅かに顔をそらした騎士の左頬を焼きながら、背後にいた2名のドラゴンライダーに手傷を負わせた。

騎士は、己の頬に刻まれた火傷を押さえながら、憎悪のこもった眼差しでベレノスを睨み付けた。

「おのれ、うわごとではなく、呪文を唱えていたのか!!」

ベレノスは弱々しく微笑んだ。

「残念だったよ。消炭にしてやろうと思ったのにな。」

騎士は、頬を押さえたまま後ずさると自らの竜に飛び乗った。

「・・・貴様、名を聞いておこうか。」

「ベレノスだ。」

騎士は、飛竜の手綱を取った。

「俺の名はアンガー。・・・貴様の名は忘れん。・・・いずれこの手で血祭りにあげてやる。もの共!!撤退するぞ!!」

竜騎士たちは一斉に飛び上がった。アンガーは最後にもう一度振り返ると叫んだ。

「この俺の顔に傷をつけた報い。必ず受けさせてやるからな!!」

竜騎士たちはそのまま西の空へと飛び去っていった。その姿が視界から完全に消えさったのを確認すると、ベレノスはゆっくりと女性騎士に歩み寄った。

「怪我は大丈夫か?」

少女は大きくかぶりを振ると言った。

「私よりも、ベレノス様のほうが・・・。」

不安そうな表情を浮かべる少女に向かってベレノスは微笑んだ。

「・・・たいしたことは無い。上手く威力をそらせながら殴られたからね。」

彼は竜騎士が飛び去った空を見上げて呟いた

「・・・しかし、あの男・・・アンガーとか言ったか、・・・奴を倒せなかったことが、後々災いにならねば良いのだが。」


ベレノスは、少女と共に再びアグスティ城を目指して歩き出した。少女が乗っていたペガサスも飛行は無理だったため、彼女も徒歩で行くこととなった。

やがて、前方から土煙が上がった。警戒して身構えるベレノス達だったが、やってくる騎兵の顔が識別できるところまで近づいたとき、ベレノスは構えをといて少女に微笑んだ。

「心配は要らない。あれは味方だ。」

騎兵の先頭を走る一騎が、一足速くベレノスに駆け寄ると、馬から飛び降りて敬礼した

「ベレノス閣下。お迎えに上がりました。」

まだ若いその士官にベレノスは敬礼を返した。

「アミッド卿、しばらくだったな。」

「はっ!・・・しかしベレノス閣下そのお姿は一体?」

「そのことについては、後ほど詳しく話させてもらう。」

その言葉にアミッドは肯くと、背後の部下に命じた。

「誰か、ベレノス閣下に馬を!それに、後方の司祭殿に連絡を!」

テキパキと命令を送る少年に頼もしさを感じながら、ベレノスは用意された馬に跨った。

「随分と、頼もしくなったようだなアミッド卿。・・・後で用兵術について語り合いたいものだよ。」

少年は、はにかんだ様な笑みを浮かべた。

「ベレノス卿からそういわれると、恐縮してしまいます。わが軍でサイアス卿に次ぐ用兵家であられるのですから・・・。」

ベレノスは微笑を返すと、少女の方へ歩み寄った。

「すまない、予備の馬がもういないようなのだ。私でよければ城までエスコートさせていただくが?」

少女は顔を赤らめながら頭を振った。

「そんな・・・、恐れ多くてとても・・・。」

「気にしなくていい。・・・君も怪我をしているのだろう?傷ついた女性に山道を歩かせるような非道な真似は私にはできないよ。」

「・・・わかりました。それでは、よろしくお願いいたします。」

ベレノスは肯いて少女を馬上に引き上げた。

「すみません・・・。」

少女は消え入りそうな声で言った。ベレノスは微笑むと語りかけた。

「そういえば、名を聞いていなかったね。」

「フノスと申します閣下。」

「そうか、覚えておくよ。・・・ところで、我々はこのままアグスティに向かうが、かまわないのだね?」

フノスは肯いた。

「はい、私もアグスティ城にまいる途中でしたので。」

「そうか、・・・その途上で先程の竜騎士たちに襲われたのだな?」

「はい・・・。」

「わかった、その話も、後でゆっくりと聞かせてもらう。・・・アミッド卿!」

「はい閣下。」

アミッドはベレノスの隣に馬を寄せた。

「他の将軍たちは、既に到着されているのか?」

「はい。ベレノス閣下が最後のお一人です。」

「そうか・・・。これでは、またタラニス卿に皮肉を言われてしまうな。」

ベレノスは苦笑した。

やがて、彼らの眼前にアグスティ城の城壁が見え始めていた。


アグスティ城。かつて、このアグストリア諸王国連合の首都であり、堂々とした佇まいを見せていたこの城も、度重なる戦乱によって、いまだ修復されていない部分も多く、幾分かくたびれた印象をうける。

城内の会議室には、派遣部隊の主だった面々が顔をそろえていた。

テーブルの上座につき、先程から苛立たしげに指で机を叩いている人物こそ、この第3次アグストリア派遣部隊の総指揮官・テウタテス将軍である。

彼は、帝国の有力貴族・ドズル家に連なる家柄の出自である。無論ただそれだけの理由で総司令官をやっている訳ではない。彼自身が、近隣に名をはせた戦士であるのも事実なのだ。

マスターナイトと呼ばれる上級の騎士は、家柄のみが先行し実力が伴わないものが多数いる中で、彼は異彩を放っていた。

愛用の戦斧を手に、一度戦場に出撃すると、確実にそこは地獄と化すと言われるほど、激しい戦い振りを見せるのである。

そのことから、敵軍のみならず自軍の騎士までもが彼のことを「魔人」と呼んだ。そこには尊敬は無く、畏怖のみがあった。


彼の左右には副司令用の椅子が設けられており、うち一つは空席となっていた。

どうやら、会議はこの席の主人が現れるまで開始できないようである。

と、テウタテス将軍は吠えるように怒鳴った。

「遅い!!・・・ベレノスめ、何をぐずぐずしておるのか!!」

会議室内部に緊張が走る。その中でただ一人、余裕に満ちて口を開いた男がいた。

「テウタテス閣下。先程部下のものを迎えに出しましたゆえ、もう間もなく到着いたすでしょう。」

副司令官の席に座った紫色の髪の男。この男、北トラキア王国から派遣されてきた騎士で、タラニスという。もっとも、彼を派遣した北トラキア王国は既に滅亡しており、現在の彼は、独自の判断で、この派遣部隊にとどまっている。狡猾な用兵家としても有名で、勝利のためならばどのような手段も厭わない。

猪突猛進が信条の総司令官と異なり、自らが前線に出ることは好まない。だが、戦士としても一流であることは、全軍の誰もが知っていた。彼は、自らの力で戦うことよりも、頭脳を使った戦を至上のものと考えているのだ。

「・・・おや、どうやら到着したようです。」

全員の視線がドアに集中した。ノックの後、二人の騎士が会議室内に入ってきた。即座にテウタテスが一喝した。

「遅いぞ!ベレノス卿!!・・・いったい今まで何をしていた!」

ベレノスは総司令に一礼を返した。

「申し訳ありません。・・・ここへの途上で戦闘に巻き込まれたもので。」

「戦闘だと!!」

テウタテスは目をむいた。ベレノスは自分の席につきながら肯いた。

「はい、最近、噂があった竜騎士団のドラゴンライダーと遭遇しまして・・・。」

「竜騎士だと!!・・・フム・・・。」

テウタテスはしばし沈黙すると再び口を開いた。

「タラニス卿!!後のことは貴公と、ベレノス卿に一任する。会議を進めておいてくれ。」

タラニスはあきれたような表情を浮かべた。

「それで、テウタテス閣下はどうなさるおつもりなのです?」

猛将はニヤリと笑った。

「知れたこと、我が部隊に召集をかけるのだ。トラキアの貧乏騎士団に、我が騎士団の恐ろしさを思い知らせてくれるわ。」

テウタテスは、そのままさっさと退室してしまった。タラニスは肩をすくめると、一堂を見回した。

「さて、軍議を続けますか。・・・まずは、ベレノス卿からの急使がもたらしてくれた、シレジアから来られる、例の御仁の件ですな。」

タラニスは皮肉めいた笑みを浮かべ、ベレノスをみた。ベレノスはその視線を軽く受け流しながら、会議室内を観察した。今、この部屋の中には、このアグストリア派遣部隊の指揮官クラスが集合している。ここでは、軍議時の決まり事で帯剣は許されず、供も一人のみという制限が加えられる。このため、どんなに人数が多いときでも10人を超える事はまれである。今回は、総指揮官であるテウタテスが先程退室したために、この部屋には、ドズル公国の騎士はいないことになる。このため室内はさらに閑散とした印象を受ける。


ベレノスは、タラニスとはどうにも馬が合わず、同じ副司令の立場にありながら、なるべくならば関わらないように努めてきた。タラニスが所属するフリージ家は、ドズル家と並ぶ帝国の名家であり、北トラキア地方を領有していたものの、先ごろ行われた、イザーク・レンスターの両解放軍との戦闘において、壊滅的な打撃をこうむった。しかし、本国からの帰還要請をタラニスがはねつけ続けてきたため、この地には、彼が率いる一千騎の騎士団がほぼ無傷で残されている。

彼の真意がどの辺にあるのかは推測がつかないものの、ベレノスは悪い予感がしてならなかった。


目を転じると、落つかなげにキョロキョロと部屋を眺めていた騎士と目が会った。ユングヴィ家から派遣されてきているバイゲリッター隊の将軍・パトリックである。

そしてその横には、傍らに禍々しい形状の鉄仮面の騎士を従えた、ダークビショップのドンヌが不気味な笑みをたたえて座っている・・・。

室内に異様な空気を漂わせながら、軍議が再開されようとしていた。


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