第4章 流浪の王者


薄暗い森の中を、銀髪を振り乱しながら一人の青年が駆けてゆく。

「チッ!・・・せめて馬があれば・・・。」

と、周囲の闇から複数の人影が現れ、青年の前に立ちはだかった。全員が揃って覆面に黒いローブといういでたちである。進路をふさがれた青年は怒鳴った。

「道をあけろ!!」

「そういうわけにはいかん。貴様はここで骸と化す定め・・・。」

「ふざけるな!」

青年は腰間の長剣を一閃すると、有無を言わさず斬りつけた。ローブの男達は、素早く青年から間合いを取ると、それぞれ、呪文を詠唱し始めた。

「闇よりいでし、暗黒の言霊よ・・・。」

「愚かなる、聖戦士の末裔に、禍をもたらせ。」

「「禍をもたらせ」」

ローブの男達の詠唱が重なる。その瞬間男達の掌から無形の邪悪な気が放たれた。

「くっ!」

青年は何とか身をかわそうとするが、いかんせん数が多すぎた。全身に数発の魔法を喰らいながら、それでも倒れこまなかったのは賞賛に値するだろう。

「いいかげんに、観念しろ。・・・地獄で祖父君が待っているぞ?」

薄笑いを浮かべながら近づく魔導師の顔が、驚愕にゆがんだのは次の瞬間だった。

青年はただ立ち尽くしていたのではない。魔導師たちが、近づくのを見計らいながら、呪文を唱えていたのだ。

「いかん!!すぐに散開し・・・。」

魔導師の言葉が終わる前にまばゆい光が闇を貫いた。その光の柱は、とっさに逃れた一人を除くすべての魔導師を薙ぎ払っていた。雷系の強力魔法・トロン。青年が使える、最大の攻撃魔法である。

黒焦げになった仲間たちを凝視する魔導師の顔が憎悪に歪んだ。

「小僧が!!少々油断しておったわ!!」

青年は痛みに耐えながらも不敵に笑って見せた。

「貴様たち、ロプトマージが何人束になろうが、所詮はこの程度というわけだ。」

「ほざいたな小僧!!・・・その深手でトロンを放つとは、さすがは魔法騎士トードの末裔。トールハンマーが使えぬ不肖の王子とはいえたいしたものよ。」

青年の身体がわずかに揺らめいた。もう立っているのも限界なのであろう。その様子を、冷笑を浮かべながら魔導師が見つめる。

「・・・どうやら、あれが、最後の抵抗だったようだな。・・・だが楽には死なせんぞ。仲間たちのうらみ、存分に味わってもらおう。」

魔導師は、いきなり青年の顔を殴りつけた。たかが魔導師の力とはいえ、深手を負った青年にはこたえた。思わず剣を取り落としてしまう。魔導師はなおも殴り続ける。

やがて、青年は痛みを感じなくなっていた。

朦朧とする意識の中で、青年は最愛の女性に詫びていた。

『・・・すまないライザ。君を助けることが出来なかった。』

魔導師はいい加減殴りつかれたのか、青年をその場に放り出すと、森に消えた。だが、青年にはもう逃げ出すだけの力も残されてはいなかった。

やがて、魔導師が一頭の馬を連れて戻ってきた。そして、青年の両腕を縄で縛ると、縄の片端を馬の鞍に結わえ付けた。

「さて、これからわれらが神殿に戻るが、それまで命がもつかな?運良く生きておれば、貴様の恋人と再会できよう。・・・もっとも、たとえ死んだとしてもすぐにあの世で再会出来るであろうがな。」

魔導師はそういって哄笑すると、馬に飛び乗って鞭を振るった。疾走を始める馬に引きずられながら青年は今度こそ観念した。やがて森を抜けると、馬は公道を走り出す。

突如、鋭い羽音が響き渡ったかと思うと、青年と馬を結ぶ縄が断ち切られた。青年はそのまま倒れこむ。勢いのまましばらく走った後、魔導師は、馬首をめぐらせて周囲を見渡した、しかし見晴らしの良い平原に、人影はない。と、頭上を巨大な影がよぎった。

驚いて見上げる魔導師の目に、この世のものとは思えぬ怪鳥の姿が映った。

「あれは!・・・まさか伝説のロック鳥!?ヴェルダンを守護する聖なる鳥・・・か!?」

魔導師はその巨鳥の背に人影があるのを見た。が、ほぼ同時に、その眉間を正確に射抜かれて落馬した。地面に落ちる前に既に絶命している。

青年は、呆然としたままその光景を見つめていた。巨鳥が舞う上空から地上まで、一体どのくらいの距離があるのだろうか。驚くべき正確な射撃と弓勢である。

青年は巨鳥がゆっくりと降りてくるのを目の端に捕らえながら、そのまま意識を失っていった。


『・・・?・・・ここは?』

青年はぼんやりとした意識の中で、そこが、どこかの城の中なのだろうと感じていた。青年は空中から見下ろすようにその場所を眺めている。

『見覚えがある・・・。』

と、その眼前を当の青年本人が歩いてゆく。今の青年より幾分か若い。まだ少年といっていいほどだ。

『・・・ああ。夢なのだな。』

青年はそう頭のどこかで知覚した。青年が見下ろす中、少年は城内の一室に入っていった。

『あそこは、父上の私室・・・。』

その部屋の中では、神経質そうな顔立ちの壮年が机についていた。

「来たか・・・。」

「何か御用でしょうか?」

「うむ・・・。」

壮年の男は苦渋に満ちた顔で一通の書類を手渡した。少年はその書面にさっと目を通した。そして父親に怪訝そうな顔を向けた

「・・・メルゲン城に、ですか?」

「そうだ。」

壮年は立ち上がると少年の傍らに立った。

「おまえも15歳になった。辺境の城の城主ぐらい勤められるだろう。」

「・・・は。」

少年は釈然としない顔で短く答えた。メルゲン城は、北トラキア地方の西のはずれに位置する、国境の要衝である。決して父の言うような辺境の小城というわけではない。それを何故、王子とはいえ自分のような未熟者に任せようというのか。少年は父王の考えがつかめなかった。

その様子を見て、父王は、いま一通の書類を差し出した。こちらは命令書であった。その内容を見た少年は顔色を変えた。そして、しばしの逡巡の後に父王に向かって尋ねた。

「父上、この命令書に書かれている、ある人物の護衛命令とは、もしや叔母上の事では?」

父王はゆっくりと肯いた。

「それでは、叔母上をメルゲン城へ移すのですか。」

「そうだ。」

「ですが、叔母上の病状はおもわしくないと聞きます。そのような時に長距離の移動は無理かと。」

父王は苦渋の表情で口を開いた。

「・・・ティルテュは、もう長くない。せめて、最後の時ぐらいは、あれの手の届かぬ所で、静かに過ごさせてやりたいのだ。」

少年はそれ以上何も言う事が出来なかった。

父王が言う「あれ」とは、誰あろうこの国の王妃であり、少年の実の母であるヒルダ王妃の事なのだ。王妃は、王の妹であるティルテュ公女(現王女)を徹底的にいびりぬいたのである。そのため、心労から病にかかった彼の叔母は、長く寝たきりの生活を余儀なくされていた。

「・・・ティルテュには、苦労ばかりをさせてしまった。・・・わが父レプトールが加担したあの戦で、愛する夫と死別し、そして息子とも引き離してしまった。・・・誰あろう、この私が無理にシレジアより連れ去ったゆえな。」

「・・・父上。」

「出来る事なら、息子と再会させてやりたかった。・・・だが今にいたるまで行方がわからぬ。」

「・・・。」

父王ブルームは息子の手をとった。

「イシュトーよ。お前だけが頼りなのだ。・・・この城には、ヒルダの息のかかった将兵が多すぎる。・・・メルゲンまでの道中、また、向こうについてからも、どうかティルテュを守ってやってくれ。」

「・・・承知いたしました。」

父王はようやく少しだけ笑顔を見せた。

「・・・情けないものだな。・・・・信じられるのは肉親であるお前だけだとはな。」

「父上・・・。」

ブルームは軽く手を振ると息子に退室を促した。イシュトーは一礼すると国王の私室から退室した。

扉が閉じられると、ブルームは再び椅子についた。

「・・・これは罰なのか?・・・ロプトの跳梁を許してしまった我々の・・・。貴様はどう思うのだ、アルヴィスよ。」

無論その独り言に答えるものはいない。

「われらが揃って罰を受ける日は、そう遠くないかも知れんな。・・・聖戦士の名を汚した罰を・・・。だが!」

ブルームは拳を握り締めた。

「汚名を被ってまで手にいれたのだ。最後まであがいてみせる。」

そして、息子が出て行った扉を見つめた。

「・・・イシュトーよ。お前が次の国王だ。それまでは・・・。」


イシュトーは、足早に城内を進んでいた。父が下した命令とはいえ、母が知ったら必ず横槍を入れてくるだろう。そうなる前に一刻も早く準備を整えて出立しなければならない。

彼が中庭に差し掛かったときに、その出来事は起こった。

数人の若い兵士に少女がからまれているようだ。しかも彼らは、ただの兵士ではなく、エリート部隊である、「ゲルプリッター」の候補生らしかった。

『またか』

イシュトーは心の中で舌打ちをした。最近若い兵士達、とりわけエリート層の子弟達の素行がよくないことは城内でも問題になっていたからである。

困り果てている少女と目線が会った。

『ほうっておくわけにもいかないか』

イシュトーは兵士達に声をかけた。

「おい!そこで何をしている!!」

イシュトーの声に兵士達が振り向く。

「!!・・・これは、イシュトー殿下。」

「くだらない事をしている暇があったら、もっと剣や魔法の修行に励め!ゲルプリッターの記章が泣くぞ。」

「は・・・。」

兵士は一様に頭を下げた。イシュトーは少女に目で立ち去るように促した。少女は一礼して立ち去った。少女の姿が完全に消えたのを確認してからイシュトーも踵を返した。

ほとんどの兵士達はかしこまったままイシュトーを見送ったが、何人かの兵士が囁きあう声をイシュトーは聞き逃さなかった。

「チッ!小僧が、王子だからといっていい気なもんだぜ。」

「おい止せよ。聞こえるぜ。」

「かまうもんか。俺達はゲルプリッターの中でもヒルダ様の直属の部隊だぜ。」

「その通り。トールハンマーも扱えない出来損ないごとき恐れるに足らぬ。」

最後の一人はわざと聞こえるように喋った。イシュトーは歩みを止めると振り返った。

「・・・なかなか言ってくれるな。・・・名を聞いておこうか。」

「・・・。」

「どうした?名を名乗るのが怖いのか?安心しろ、貴様らと違って姑息な報復をしたりはせんよ。」

イシュトーの皮肉に黙りこくる兵士の中でただ一人、紫色の髪の男が名乗った。

「タラニスと申します、殿下。」

イシュトーはその声から、先程聞こえよがしに悪口を言ってのけた男であることを知った。

「タラニスか・・・。覚えておこう。」

男は、イシュトーが立ち去るのを、薄笑いを浮かべながら見送った。


「・・・トールハンマーも使えぬ、・・・か。」

「殿下。」

不意に声をかけられて、イシュトーは慌てた。いつの間に現れたのか、一人の少年が背後でかしこまっていた。

「ラインハルトか・・・。」

そこにいたのは、イシュトーの妹、イシュタル王女の守役である騎士、ラインハルトだった。少年は顔を上げた。

「小人の申す事などお気になさいますな。愚者には殿下の器の大きさは理解できぬものです。」

「ラインハルト・・・。」

イシュトーは寂しげに微笑んだ。

「ありがとう。・・・しかし情けないものだよ。このフリージ家の長男に生まれながら、聖戦士の証たる雷の超魔法・トールハンマーを扱えないなんて。」

「殿下・・・。」

ラインハルトは諭すように言った。

「殿下のご先祖であられる魔法騎士トードが、何故民衆から英雄と讃えられたかお解かりですか?」

「何?」

「魔法騎士トードは、神々より与えられたトールハンマーを使えたから英雄と崇められた訳ではありません。ロプト帝国の圧政より、人々を解放しようと立ちあがり、それを成し遂げたからこそ英雄となったのです。トールハンマーはあくまでその手助けとなっただけです。その事をお忘れなきよう。」

「そうか、・・・そうだな。」

「殿下は、殿下のなさりたい事をなさればよいのです。それが、民が求めるものと同じであるならば、人々は決して殿下を見放したりしません。」

そして優しく微笑んだ。

「無論、このラインハルトも、どこまでも殿下と共に。」

イシュトーは思わず涙がこぼれそうになった。それを何とか耐えながらやっと口を開いた。

「ありがとう・・・、ラインハルト。」

ラインハルトは肯くと立ち去ろうとした。

「待ってくれ、ラインハルト。」

「何でしょう殿下?」

イシュトーはラインハルトに近づくと耳打ちした。

「陛下からの勅命を受け、私はメルゲン城に城主として赴任する事になった。・・・同時に叔母上もメルゲンに移すこととなる。」

ラインハルトはそれだけで全てを理解したようだ。

「それで、護衛の部隊は既にお決まりなのですか?」

「いや、これから急遽編成するつもりだが。」

ラインハルトは姿勢を正すと敬礼した。

「それでは、私の中隊がお供仕ります。平時ゆえ中隊規模の部隊でも問題ないかと。」

「しかし、それでは本来の君の任務である妹の警護は・・・。」

ラインハルトは微笑みながら言った。

「ご心配には及びません。何も部隊全員がお供するわけではございませんから。私が留守の間、イシュタル王女の護衛は私の妹に任せることにいたします。」

「君の妹?・・・確かオルエンといったかな?」

「御意。・・・イシュタル殿下とは年齢も近いことですし、よき遊び相手となるかと。」

イシュトーは納得して肯いた。

「わかった。では君に道中の護衛を頼みたい。」

ラインハルトは首を横に振った。そして、いぶかしむイシュトーに向かって言った。

「殿下、お命じくださいませ。私はこのフリージの騎士なれば、主君の命に否があるはずございません。」

イシュトーは苦笑した。

「公私の別は厳格にせよということだな?」

「御意!」

「では、ラインハルト卿。貴公にメルゲン城までの護衛の任を命じる。」

「心得ました。」

ラインハルトは完璧な礼をもって応えた。

「おそらく、母上が気付かぬうちに出立することになるだろう。今夜中に準備を整えておいてくれ。」

「はっ!!では失礼致します。」

ラインハルトは再度敬礼すると立ち去っていった。

イシュトーは、かすかに微笑むと、叔母の病室に向かうため歩き出した。


翌日の夜明け前、イシュトーは、城外に整列した兵士たちの前に立っていた。幸いなことにヒルダ王妃は王都バーハラに召喚され、昨日の午後にこの地を発っていた。

兵士たちの前で挨拶を終え、叔母が乗り込んでいる馬車の様子を見にいったイシュトーは、そこに父・ブルームの姿を見て驚いた。

「父上!?」

「ティルテュは落ち着いているようだ。今は眠っておる・・・。」

「は・・・。」

「頼むぞイシュトー。・・・それから、この子達も共に連れて行ってやってくれぬか。」

ブルームが手招きをすると二人の子供がやってきた。

「この子達は、一体?」

「昨日アルスターより人質として送られてきた、王子と王女だ。」

「!!・・・では、エスニャ叔母上の子供たち。」

「そうだ。ティルテュの娘、ティニーと同様、お前の従兄弟というわけだ。・・・ここに置いておくとヒルダがまたよからぬことを企むやもしれん。」

「父上・・・。」

「・・・ティルテュ母娘ともども、お前が守ってやってくれ。」

イシュトーは、辛そうにそう告げた父をみて、黙って肯くしかなかった。

「兄のアミッド王子と、妹のリンダ王女だ。・・・さあお前たち、あの馬車に入りなさい。」

子供たちは幾分緊張した面持ちで一礼すると、ティルテュの乗る馬車へと乗り込んでいった。

なんともいえぬ重苦しい沈黙が父と子を包むその場に、文官の一人が現れた。

「申し上げます。」

「何だ!」

「は、マンスターのレイドリック男爵が謁見を求めておられますが。・・・いかが致しましょう。」

ブルームは露骨に嫌な顔をしながら告げた。

「すぐ行く。しばらく控えの間にでも待たせておけ。」

文官は了解の意を表すと城内へと戻っていった。

「・・・まったく、コノートの裏切り狐めが!・・・たかだか男爵の身でありながら伯爵気取りか!」

ブルームは吐き捨てるようにそういった。

「父上・・・。」

「・・・もう行け。ぐずぐずしているうちに、あれが戻ってくるやもしれぬ。・・・元気でな。」

「父上もご壮健であられますよう。」

ブルームは肯くと踵を返した。

その姿を見送るイシュトーの傍らにラインハルトが歩み寄ってきた。

「殿下。・・・出発の前に、どうしても殿下にお会いしたいというものを連れてまいりました。」

「・・・私にか?」

ラインハルトは肯くと、背後にいた人物に声をかけた。ためらいがちに前に進み出た少女に、イシュトーは見覚えがあった。

「君は確か・・・昨日の。」

少女は頭を下げた。

「魔法騎士団・士官候補生のライザと申します。・・・昨日はありがとうございました。・・・ただ、それだけを申し上げたくて、ラインハルト様にお願いいたしたのです。」

イシュトーはその名を聞いて驚いた。

「ライザ・・・!聞いているよ。フリージ士官学校きっての才女だとか。そうか、君がライザか。」

「はい、殿下。」

イシュトーは怪訝そうな顔をした。

「おかしいではないか。その君が何故昨日、あのような連中にからまれていたのだ?」

その言葉を聞いて、唇をかんで沈黙する少女に代わり、ラインハルトが答えた。

「殿下、小人であればあるほど、才幹のある人間に対する妬みは大きくなるものです。ましてや、それが見目麗しい女性となればなおのこと・・・。」

イシュトーは、はっとして少女を見た。そしてその表情からラインハルトの言葉が真実である事を悟った。

「・・・昨日のような事はよくあるのか。」

少女の沈黙が、質問を肯定していた。イシュトーは、しばし思案した後、少女に尋ねた。

「ライザ。君の所属は決定しているのか?」

ライザは、その問いに不思議そうな表情を浮かべながら答えた。

「いえ。・・・いまだ辞令はありません。」

「わかった。ならば君は今日より、私の魔道戦士隊の小隊長になってもらおう。」

「えっ!?」

突然の事に呆然とする少女に、間髪いれずにイシュトーは命じた。

「ライザ卿。王太子イシュトーの名において命ずる。本日、只今をもって、貴公を正式な騎士に任じ、同時にわが直属の騎士とする。」

イシュトーは言い終えると微笑みながらラインハルトを見た。

「どうだろう?ラインハルト。」

ラインハルトは微笑み返しながら答えた。

「殿下の御意のままに。」

まだ信じられないといった面持ちのライザにラインハルトが語りかけた。

「ライザ卿!何をぼさっとしている。我々は1時間後には出発する。それまでに準備をすませてここに集合だ。」

「は、はい!」

即座に駆け出したライザだったが、敬礼を忘れた事に気付いて慌てて敬礼をした。そのライザに敬礼を返し、駆け去る少女を見送りながら、イシュトーはラインハルトに問い掛けた。

「どう思う?本当にこれでよかったのか・・・。」

ラインハルトは爽やかな笑みと共に答えた。

「殿下のお好きになさいませ。・・・ブルーム陛下も、たかが部下の騎士一人の事で叱責はなさいますまい。・・・それに、このまま本城においておけば、数十年に一人という逸材を、みすみす失う事にもなりかねません。私としては、殿下のなさったことは、現時点での最良の選択であったと考えますが。」

「そうか。」

「もっと自信をお持ちください殿下。殿下が過ちを犯したと判断した時は、不肖このラインハルト、一命をかけてでもお諌めいたします。」

肯くイシュトーの横顔を昇り来る朝日が暁色に染めていった。

『・・・そうだ、・・・これがライザとの出会いだった。』

イシュトーの目の前で、景色が揺らぎ、溶けるように消えていった。・・・しばらくすると、再び目の前が揺らぎ、新たな場所を映し出していた。

全身に包帯を巻いたイシュトーが、粗末なベッドに寝かされている。

『ここは?』

横たわるイシュトーの傍らには緑の長髪が似合う、長身の男が立っていた。

『そうか!・・・ここは・・・。』

イシュトーが見下ろしていると、横たわるイシュトーが目を覚ました。


「ここは?」

「気がついたようだな。」

男はイシュトーに語りかけた。

「三日三晩、意識が無かったのだ。・・・さすがにもう助からんと思っていたのだが。」

イシュトーは痛みに耐えながら半身をおこした。

「・・・あなたが、助けてくれたのか。」

男は無言で肯いた。

「・・・そうか、・・・・よけいな事を。」

イシュトーは言いながら次第に激昂していった。

「よけいな事を!!どうして私を死なせてくれなかった!!・・・何故、先に逝ったライザのところに行かせてくれなかったのだ!!」

男はただ黙ってイシュトーを見つめていた。イシュトーの叫びは、いつしか嗚咽に変わっていた。

「・・・ライザ。・・・ライザ。」

「!!・・・殿下?」

イシュトーはその声にハッと顔を上げた。涙でかすむ目を乱暴にぬぐって賢明に目を凝らす。

水の入った桶を持った、平服のライザがそこにいた。

「・・・ラ、イザ?」

ライザは桶を落とすと、口に手をやった、必死に涙を堪えている。

「ライザ!!」

ライザは思わず駆け出すと、そのままイシュトーに抱きついた。イシュトーは全身の痛みを堪えて、しっかりとライザを抱きとめた。

「殿下・・・殿下・・・。」

「・・・無事だったんだな!・・・よかった。」

その時、咳払いの音がして、イシュトーは男の事を思い出した。

「・・・感動の対面中に申し訳ないのだが。」

イシュトーは男を改めて観察した、緑の長髪、シレジア地方の人間に多い特徴である。この北トラキア地方にいるシレジア人・・・。しかも戦地の只中に・・・。イシュトーはふとある人物を思い出した。

「・・・まさか、シレジアのレヴィン王!?」

男は意外そうな顔をした。

「ほぅ・・・光栄だな。私の名を知っていてくれたとは。」

イシュトーは姿勢を正すと問い掛けた。

「・・・ライザを助けたのもあなたなのですか。」

レヴィンは黙って肯いた。

「何故です!・・・あなた方、反乱軍・・・そちら流に言えば解放軍にとって、我々は敵のはずです。」

「・・・君には解らないだろうが、君も、そして君の恋人も、ここで死ぬ定めの人間ではない。・・・だから、助けたまでだ。」

そういってレヴィンは前髪をかきあげた。

「もっとも、助かるかどうかは五分五分といった所だったがな。」

「・・・死ぬべき定めではない?」

レヴィンは答えずに傍らの荷物を手にとった。

「いずれ、解る事もあるだろう。・・・それよりもこれからどうするつもりなのだ?」

「どうと言われても・・・。」

イシュトーは口ごもった。

「アルスター、コノートは既に解放軍が制圧した。・・・もはや君達に帰る場所は無い。」

「コノートが落ちた!?では、父上は?それにイシュタル、ラインハルト達は!!」

興奮して詰め寄るイシュトーに向かって、レヴィンは淡々と事実を述べた。

「ブルーム王は最後まで堂々と戦い、戦死された・・・。イシュタル王女は、ユリウス皇子が現れて連れ去った。・・・おそらくは帝都バーハラにいると思う。」

「父上が・・・戦死・・・。」

「・・・王自ら一騎打ちを所望されてな、・・・解放軍の魔道士と戦い敗れたのだ。」

イシュトーは信じられないという顔をして呟いた。

「そんな・・・。父上が・・・、トールハンマーの魔道書が・・・。」

「ブルーム王は、トールハンマーを持っていなかった。」

「何ですって!」

「イシュタル王女に魔法を託し、自らは通常の魔道書を持って戦ったのだ。」

「・・・そうだったのか。・・・それで、父の一騎打ちの相手とは?」

レヴィンはわずかに顔を曇らせて告げた。

「解放軍の魔法騎士で、名を、アーサーという。」

「アーサー・・・。」

イシュトーは納得した。アーサー。彼の従兄弟で、叔母・ティルテュの息子の名である。

『・・・父は、彼の手で倒される事を望んだのかもしれない。・・・罪滅ぼしとして。』

心配そうに肩に手をかけてくるライザに、寂しげな微笑を返しながら、イシュトーはレヴィンに続きを促した。

「・・・騎士ラインハルト卿は、リーフ王子率いるレンスター解放軍と戦って・・・。」

「まさか!ラインハルトも!!」

レヴィンは必死の形相のイシュトーを見て苦笑をもらした。

「いや、戦いはしたのだが、妹のオルエン卿の働きで、両者の間で対話がもたれた。結果として両者は停戦、・・・今、彼はフリージ公国の残存勢力の調停に尽力しているようだ。」

「・・・そうか。」

イシュトーは、安堵のため息を漏らした。

「ラインハルトなら、上手くやってくれるだろう。彼の名声はフリージ国内でも知らぬものがない。・・・混乱もきちんと鎮めてくれるだろう。」

「そうだな。・・・彼の努力と、セリスの出した投降者を虐待せぬようにとの布告により、ことのほか上手く事態が収まりつつある。」

イシュトーは肯いた。

「・・・そうか。・・・それでは、私はこのまま死んだ事にしておくほうが、フリージのためかも知れんな。」

「・・・殿下。」

「いまだ抵抗を続けているものたちを刺激したくはない。・・・これ以上の戦いは無意味だからな。」

イシュトーはライザの手をとった。

「・・・すまないな、ライザ。・・・せめて君だけでもフリージに帰るといい。」

「いいえ。」

ライザはきっぱりと首を横に振った。

「私は、イシュトー殿下と共に・・・。」

「ライザ・・・。」

レヴィンはそんな二人を見て僅かに微笑をもらした。

「では、二人ともフリージには帰らぬのだな?」

イシュトー達は肯いた。

「行くあてはあるのか?」

「・・・いや。」

レヴィンは肯くと一通の手紙を取り出し、イシュトーに手渡した。

「これは?」

「ここからはるか西のヴェルダン王国に、古い知人がいる。彼なら、君達を匿ってくれるだろう。」

「本当か?」

「ああ。・・・『大鷲』という男を探せ。私の名を出してこの手紙を見せればきっと力となってくれるだろう。」

レヴィンはそう言うとドアをあけて外に出て行こうとした。だが、もう一度二人を振り返った。

「・・・そうそう、傷が癒えるまではここで過ごすといい。今のままでは長旅は無理だろうからな。それから・・・。」

レヴィンはフッと笑うと

「・・・別にずっと死んでいる必要はないさ。混乱が収まり、すべてのケリが着いたら、再び生きられる日も来るさ。」

そういい残して、本当に消えていった。


『・・・そうだ。それからしばらくして、ようやく動けるようになったので、ヴェルダンを目指したのだった。』

イシュトーは不意に怒りが込み上げてきた。

『ヴェルダンに入ってすぐだ。あいつらにライザをさらわれてしまった。ロプト教の狂信者共が・・・


狂信者共が!」

イシュトーは自らの叫び声で目がさめた。

「気がついたかい?」

イシュトーは強烈な既視感に襲われながら、焦点の合わない瞳で傍らの人物を見ようとした。

「おいおい。まだ動くなって。プリーストの魔法で傷はふさがったとはいえ、まだ意識もはっきりしないはずだぜ。」

「・・・君は?・・・・!!」

ようやくはっきりとしてきた瞳に飛び込んできたのは、まだ若い少年の顔だった。イシュトーはその少年に見覚えがあった。

「ヨハルヴァ公子?・・・だが、君は死んだはずでは??」

ヨハルヴァはバツの悪そうな表情をしてそっぽを向きながら言った。

「生きてて悪かったな。・・・ヨハンの兄貴め、わざと急所を外しやがった。・・・派手に出血したものの、命に別状はなかったってわけだ。で、動けなかった俺を、酔狂なある方がひろってくれた訳さ。もっとも・・・。」

ヨハルヴァは意地の悪い笑みを浮かべていった。

「世間ではあんたも死んだ事になってるぜ。イシュトー王子。」

ヨハルヴァ・・・。この少年はフリージ家と並ぶ、帝国の重鎮、ドズル家の三男で、数ヶ月前の解放軍との戦いの最中に戦死したと伝えられる人物である。

「ヨハルヴァ公子。・・・君もレヴィン王に救われたのか?」

ヨハルヴァは肩をすくめた。

「いや、俺を助けてくれたのは『大鷲』さ。」

「なに!?」

「だから、『大鷲』って通り名の戦士だよ。」

イシュトーは思わずヨハルヴァの襟首をつかんで揺さぶった。

「お・おおっ??」

「その人は、・・・『大鷲』はどこにいるんだ」

「お、落ち着けって。」

「なんだ。騒々しい。」

大騒ぎをする二人のそばに、いつのまにか一人の男が立っていた。白いターバンを頭に巻きつけ、矢筒を背負った精悍な表情の戦士だ。その鋭い双眸と、しなやかで無駄のない足運びから、見る者に豹のような印象を与える・・・。

男はイシュトーを見すえると口を開いた。

「俺が『大鷲』だ・・・。で、フリージの王子が、この私に一体なんの用だ?」

イシュトーは懐から一通の手紙を取り出し、『大鷲』に渡した。

「何だ?」

「シレジアのレヴィン王からあなたに渡すようにと。」

「レヴィンが?・・・・・・・・・・・・ほぅ・・・・・?」

『大鷲』は手紙に簡単に目を通すと、イシュトーに尋ねた。

「大まかな事情はわかった。・・・だがこの手紙には、君ともう一人を頼むとかかれているのだが?」

イシュトーは唇を噛み、しばし沈黙したあと、搾り出すように言った。

「・・・ここにくる旅の途中でさらわれました。」

「・・・先ほど、ロプト教団のロプトマージに襲われていたみたいだが、君の連れをさらったのも奴等か?」

イシュトーは悔しそうに肯いた。

「そうか。・・・しばらくここで休んでいろ。・・・すぐに君の連れと再会させてやろう。」

イシュトーは驚いて『大鷲』を見た。

「・・・我々はこれからこの地方のロプト教団の支部を叩く。・・・さっきはその途中で君を見つけたのだ。」

イシュトーは男が背負った矢筒と、携えた銀の弓を確認して尋ねた。

「では、先程上空から私を救ってくれた射手はもしや・・・。」

男は静かに肯いた。

それを聞くとイシュトーは立ち上がって、『大鷲』に言った。

「先程はありがとうございました。・・・ご無理を承知でお願いしたいことがあります。」

「・・・言ってみろ。」

「・・・私もロプト教団との戦いに連れて行ってください。」

「ホゥ・・・。我々だけでは不安かね?」

「いえ。」

イシュトー決意のこもった目で『大鷲』を正面から見据えた。

「ライザは、私の手で助け出したい!・・・ただ、それだけです。」

「・・・戦いが始まれば、負傷している君にまで手を貸す余裕はなくなるぞ?」

「かまいません。自分の身は自分で守ります。」

「・・・死ぬかも知れんぞ。」

イシュトーは微笑んだ。

「死にません。・・・ライザを助けるまで、・・・絶対に。」

男はその台詞に笑みをもって応えた。

「・・・好きにするがいいさ。」

「ありがとうございます。・・・あの、お名前をお聞かせ願えませんか?」

男は短く名乗った。

「ジャムカだ。」


同じ頃、ロプト教団の拠点の中、地下に設けられた牢屋の中で、ライザは目を覚ましていた。

「・・・?・・・ここは、・・・私は一体。」

そして、自分がロプトマージによってさらわれてしまった事を思い出した。

「そうか・・・さらわれたのね・・・。」

「よう!気がついたかい、お嬢ちゃん。」

不意に声をかけられて驚いたライザは、慌てて声の主を探す。声は、向かい側の牢の中から聞こえてきた。

「大丈夫かお嬢ちゃん?ずっと気を失っていたからどっかケガでもしてるのかと心配したぜ。」

ライザは面喰らいながらも、その男を観察した。暗くてよくは見えないが、初老の男だ。薄汚れた金髪に、伸ばし放題の無精ひげ、その体格と筋肉のつき方からすると戦士なのだろう。身体のあちこちに、打撲による痣が数多くあるものの、本人はいたってケロリとしている。

「あの・・・。」

「ん?」

「あなたは、どなたですか?・・・牢につながれているところを見ると、教団の人ではなさそうですが。」

男は自分を指差し、一瞬後には爆笑した。

「あ、あの・・・。大丈夫ですか?」

男は笑いながら手を振って見せた。

「悪い悪い。いやいや、こんな状況でも礼儀正しいお嬢ちゃんがおかしくってな。いや、ホント悪かった。」

男はようやく笑いを収めると、礼儀正しく頭を下げた。

「俺の名はベオ・・・。いや、『東の森の隠者』とでも呼んでくれ。いやなに、皆そう呼ぶもんでね。」

「東の森の隠者・・・ですか?」

「長いなら『隠者』でもいいよ。」

男は呵呵と笑った。

「いや、情けない話なんだ。俺は娘たちと一緒に旅をしていたのだが、はぐれてしまってね。娘たちを探してうろうろしてる内にあいつらにつかまってしまったって訳だ。」

「・・・はあ。」

ライザは男の一挙一動に唖然としながら、話を聞いた。

「あいつら、俺の身ぐるみを剥いだうえ、好き放題殴りやがった。すぐにでも殴り倒して脱出しようと思ったんだが、なにしろ向こうは大勢。おまけに俺は昔の戦で足をいためてあまり上手くは走れないときてる。何とかやつらの警備が手薄になる頃を狙って逃げてやろうと思ったんだが・・・。」

男はライザを見てニヤリと笑った。

「お嬢ちゃんが連れてこられたんで、どうせなら一緒に逃げようかと思ってな。」

「私が気付くまで待っていてくれたんですか?」

男は肯いた。

「でも、どうやって逃げるんです?しかも、武器も無いんですよ?」

男はニヤリと笑って立ち上がった。何をするのかと見守るライザの目の前で、男は鉄格子をつかんだ。そして、いとも簡単に鉄格子を曲げて外に出てしまった。

呆気にとられるライザにかまわず、ライザの牢も同様にこじ開けると首をコキコキッと鳴らし、屈伸を始めた。

「・・・じゃあ行こうか?武器は・・・そうだな、誰かから失敬するとしよう。」

男は驚き硬直しているライザを手招きしながら、不思議そうに天井を見上げた。

「それにしても変だな?さっきから一度も見回りが来ないし?いくらなんでも妙だ。・・・罠でもなさそうだが?」


その頃、地上では、地下牢を気にするどころではなかったのである。

なぜなら、ジャムカ率いる討伐隊によって、拠点の各所で戦闘が行われていたのである。

イシュトーは、討伐隊の一人、緑色の鎧をまとった騎士と共に、拠点に突入していった。

「・・・坊や。ケガのほうは大丈夫かい?」

「ぼ・・・坊や?・・・ええ大丈夫です。」

「そうか。・・・しかしお前さんもやるねえ。惚れた女のために命を賭けるか・・・。」

「・・・。」

「ん?・・・ああ、悪い悪い。からかったわけじゃないんだ。」

押し黙ったイシュトーを見て、壮年の騎士は、謝った。

「・・・いいですけどね。」

「そう怒るなよ。俺はお前さんを気に入ってるんだぜ。・・・真っ直ぐなところが、俺の昔の相棒に似てるんでな。」

イシュトーは左右の敵を切り倒しながら、改めて騎士を眺めやった。波打った癖のある長髪を、真っ白いターバンで包んでいる。騎士は右手に持った長槍を自在に操って、次々に敵を倒していった。

イシュトーと騎士は、並んで拠点の奥へと突き進んでいった。


「ったく!一体何人居やがるんだ。」

ヨハルヴァは、愛用の戦斧を打ち振るいながら、アクスファイター達の先頭に立って戦っていた。

その後方からは、ジャムカ直属のボウファイター達が続く。さすがにジャムカが鍛え上げた生え抜きの部隊である。無駄に外れる矢が少なく、的確に急所を捉えて、敵の戦闘力を奪っていった。

ジャムカ・・・彼は、このヴェルダン王国の正当なる後継者である。

先王バトゥの直系の孫でありながら、両親が早逝したため、祖父バトゥの養子とされる。前大戦の初期に起こったヴェルダン王国によるグランベル王国への侵犯事件においては、敵として英雄シグルドと対決する。その後、彼の同志となり、王国に巣食った邪悪な魔導師を倒した。

以降、常にシグルドと共にあり、バーハラの戦いにおいて行方不明とされていた。

だが、彼は生きていた。荒れ果てた故国を再建するため。また、亡き友シグルドの無念を晴らすため、ジャムカは仲間と共に立ち上がったのだ。

「ヨハルヴァ!・・・油断するなよ。やつらの中には、ダークビショップも何人かいたはずだ。・・・なにやらとんでもない魔法を使ってくるかもしれん。」

ジャムカは前方を行く少年に注意を呼びかけた。

「分かってますよジャムカ王子。・・・何せ俺たちは魔法に関してはからっきしですからね。」

「・・・突入部隊の様子はどうか!」

ジャムカは伝令の兵士に尋ねた。

「先刻、内部への突入に成功したとの連絡がありました。ですが、その後は連絡がありません!」

「まさか、やられちまったってオチじゃないだろうな?」

「ヨハルヴァ!!」

ジャムカは大声で叱責した。

「す、すみません。」

「・・・向こうには魔導師を何人か配属しておいた。それにあのイシュトー王子も魔法の使い手と聞く。心配はいらん。・・・それに奴もいることだしな。」


イシュトーらが拠点内に突入したほぼ同じ頃、牢を脱出した男とライザは、運良く武器庫を見つけ、自らの武器を取り戻していた。

男は自らの鉄の大剣をニ、三度振ると、そのまま担いで大股に歩き出した。その後を、魔道書を携えたライザが続く。ちょうど三度目の角を曲がったときに、拠点の魔導師と鉢合わせた。

「・・・!?貴様、地下の牢・・・」

「おりゃー!!」

男は相手が言い終えるよりも早く大剣を一閃させた。驚愕の表情を浮かべたまま、魔導師の身体は両断されていた。

「ふう。ああ、すっきりした。」

男はそういって豪快に笑った。呆気にとられるライザだったが、正気に返ると男に言った。

「あの、もう少し静かに行った方がいいのでは?相手に気付かれてしまいます。」

「いいって、いいって。」

「でも・・・。」

「ほら。」

男は廊下の先を指差した。ライザがそちらを見ると、怒りもあらわに駆けてくる魔導師たちの姿があった。

「な!もう気付かれてるって。」

男はそう言って再び豪快に笑った。


「・・・状況は、思わしくないようだな。」

拠点の奥、ロプト神を象った神像の前で、漆黒の僧衣の男が言った。

その前で平伏する魔導師が面目なさそうに肯いた。

「申し訳ありません。ドンヌ高司祭がお越しになられた、このような大事な日に、かくも醜態をさらすとは。すべて部下どもの不始末。日ごろの精進が足らなかったのでしょう・・・。」

ドンヌと呼ばれた僧衣の男は、片手を挙げて男の発言をさえぎった。

「言い訳はいい。・・・今お前がすべきことは言い訳ではないはず。・・・無事に、この事態を収拾してみせよ。」

「ははっ!!」

魔導師は平伏しながら、チラリとドンヌの様子をうかがった。しかし、フードの奥にある彼の顔を確認することは出来なかった。

ドンヌは魔導師を見下ろして口を開いた。

「私は、これより軍議があるゆえ、あとの事はここの責任者である貴公に任す。・・・首尾よく事態を収拾できれば、教団における貴公の地位も上がろう。」

「ははっ!!」

ドンヌは軽く肯くと呪文を唱えた。すると、溶け込むようにその姿が掻き消えていった。


一体、幾人の敵を倒してきたのだろう。遭遇する敵をすべて斬り伏せ、又は魔法で蹴散らしながら、イシュトーと騎士は進んだ。

いい加減、剣も刃こぼれしてきた頃、前方から、喧騒が聞こえてきた。

「何だ?」

「さあ、なんでしょう。」

彼らが用心して進むと、突如前方から男が吹き飛んできた。

「??」

慌てて避ける二人を飛び越し、男は壁に激突した。

「これは一体??」

その時前方から声が聞こえてきた。

「ほらほら。次はどいつだ?俺に殴り殺されるのがいいか?それともこっちのお嬢ちゃんの魔法でやられるか?」

「お嬢ちゃんはやめてください!」

「ん?ああ、悪い悪い。」

二人は、それぞれが声に聞き覚えがあった。

「おやぁ?この声って・・・。」

「あれ?まさか・・・。」


男は刃こぼれした剣を棍棒代わりに振るいながら、また一人を吹き飛ばした。その傍らから、ライザの雷の魔法・エルサンダーが放たれる。

彼らを取り巻く魔導師の数は当初の半分以下に減っていた。

魔導師たちは、あきらかに戦意を失いつつあった。

「あいつら、人間じゃねぇ・・・。」

「偉大なるロプト神よ・・・御慈悲を!」

そんな様子の敵を見て、男はボリボリと頭を掻いた。

「お〜い。来ないのならこちらから行こうか。ん〜。」

魔導師たちは思わず後ずさった。と、

「ライザ!!」

そう叫びながら、イシュトーが駆け込んできた。その姿を見てライザも叫んだ。

「イシュトー殿下!!」

男とライザが、一瞬そちらに気をとられたその隙に、魔導師たちは男に殺到した。

「チッ・・・ドジったぜ。」

そしてそのままの勢いで・・・逃げていった。

敵が逃げ去った先を見つめ、思わず大口を開けたままポカンとする男。その横ではイシュトーとライザが再会を喜び合っていた。

「・・・なんだったんだ?」

ようやく気を取り直して頭を掻く男。その肩を誰かがぽんと叩いた。

「?」

振り向く男の目に、鮮やかな緑の鎧を着た騎士の姿が映った。その騎士を見る男の顔が徐々にほころんでいった。

「よう!久しぶりだなアレク!!・・・生きていたのか!」

「それはこちらの台詞だ。・・・よくもまあ生きていたものだなベオウルフ!」

「フン。なんだなんだ、相変わらず若い野郎だ。派手な鎧を着てまあ・・・。相変わらず女を泣かせているのか?」

「ぬかせ!貴様はずいぶんと老けたな。もっとも、昔から老け顔だったが。」

「うるさい。俺は2人も子供を育てなきゃならなかったから苦労したんだよ!」

二人は再会を喜び合って肩といわず背中と言わず叩き合った。

「それで、お前の相棒は・・・、ノイッシュは一緒じゃないのか?」

「ああ、あいつはな・・・。」

その時、背後から急に声をかけられた。

「おい、お喋りは城に戻ってからにしたらどうだ。」

ギョッとして振り返る二人の前に、ヨハルヴァを連れたジャムカが現れた。

「こいつは、たまげた。ジャムカまでいるとは・・・。」

ジャムカは肩をすくめた。

「相変わらず白々しい奴だ。大方ある程度の予測はしていたのだろう?でなければ、お前ほどの騎士が、簡単に捕らわれる訳が無いからな。」

ベオウルフはニヤリと笑った。

「さあな?」

そのやり取りを見ていたイシュトーがヨハルヴァに尋ねた。

「ところで、ここの指揮官は倒したのか?」

今度はヨハルヴァが肩をすくめた。

「手下がやられたとたんに、さっさと降伏しやがった。」

「そうか・・・。」

「皆、聞いてくれ。この拠点も無事制圧した。駐留部隊として何人かを残して、それ以外のものはひとまず城に戻る。・・・いくぞ。」

ジャムカはそういうとさっさと歩き始めた。その後を追ってイシュトーたちも続いた。ふと、ジャムカがベオウルフに問い掛けた。

「ベオウルフ、お前ノイッシュが気になるか?」

「別に・・・気になるって程じゃねえが・・・。」

複雑な顔をするベオウルフに、ジャムカは彼にしては珍しく意地悪そうに笑った。

「なあに、すぐに会えるぞ。先程伝令があった。まもなく城にやってくるそうだ。」

「・・・そうか。それじゃあ俺はここで・・・。娘を探さないとな・・・。」

「まあ待て。伝令の話では、砦制圧の最中に少女3人を保護したそうだ。」

「なんだって?」

ベオウルフは額から大粒の汗を流しながらひきつった笑みを浮かべた。

その様子をイシュトーらは不思議そうに、アレクとジャムカは可笑しそうに眺めた。

「・・・また一つ、あいつに借りを作ったなベオ?」

「ほっとけ!!」

愉快そうに笑う大人たちを見ながら、イシュトーは、どこと無く安らぎを感じている自分に軽い驚きを覚えた。その様子を悟ったのかヨハルヴァがイシュトーの肩を叩いた。

「・・・俺は、ジャムカ王子に借りがある。それを返すまでは彼に協力する気でいる。だがな、ここの雰囲気の中で過ごすうちに、最近じゃあ、ここが俺の居場所じゃないかと思い始めている。・・・イシュトー。あんた達にとっての居場所もどこかにあるはずだぜ。・・・そいつをゆっくりと探してみたらどうだい?」

イシュトーは曖昧に肯くと、傍らのライザを見た。彼にとっての最愛の女性は穏やかに微笑んで彼を見つめ返している。ライザに微笑を返しながら、イシュトーは、ある決意を固めていた。

上空では、いつの間にか雲が晴れ、若者たちの頭上に輝く太陽が姿を現していた。


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