第3章 森林の邂逅


葦毛の馬を駆り、少年は森の中を進んでゆく。

端整な顔立ちだが、どこか幼さを感じさせる・・・。この年代特有の爽やかな印象を与える少年だ。

 少年・・・トリスタンの父は騎士だった。それも、ただの騎士ではない。ノディオン王国が誇る精鋭部隊、クロスナイツの聖騎士として、獅子王エルトシャンのもとで戦ったのだ。そして、エルトシャン王が亡くなってからも、グランベル王国の侵略者達と戦いつづけ、その最中に負傷して一線を退いた。

 現在、彼の父親は、アグストリア解放軍の教官として、若い騎士達を指導する立場にある。むろん、トリスタンもその父の訓練を受け、今回の作戦で初陣を飾った。

 ノイッシュの部隊に配属された彼は、急峻な崖を駆け下りるという危険な作戦を難無くこなした。そのことからも彼の非凡な才能の一端を垣間見る事が出来るだろう。

 彼には、幼い頃に生き別れた母親と妹がいる。ラケシス王女付きの侍従武官だった彼の母親は、レンスターへと逃れた王女に付き従い、生まれて間もない娘を連れてノディオンを離れたのだ。・・・その後の消息は解らない。

そのためだろうか、少年はいつの頃からか、母親、そして顔もよく覚えていない妹の事を考え、物思いにふけることが多くなった。


「おい!?・・・・おいってば!!・・・こらトリー!!寝てんのかよ!!」

少年は、自分を呼ぶ声にハッとした。どうやらまた考え事に没頭していたらしい。

「すまない、ゼヴァン。」

「シャキッとしろよ。・・・どうせまた妹の事を考えていたんだろ?」

「・・・ああ。」

トリスタンと並行して馬を走らせていた少年、ゼヴァンは器用に肩をすくめた。

「まったく、おまえのシスコンぶりも最近ますます磨きがかかってきたよな。」

「・・・悪かったな。」

トリスタンは不機嫌そうに顔をそむけた。

「なんにせよ、任務中は気をつけろよ。うっかりして死んじまう事だってあるんだからな。」

「・・・そうだな。」

トリスタンは一つ肯くと苦笑した。

ゼヴァンは満足そうにニヤリと笑うと、前方を指差した。

「もうすぐ、合流地点だな。」

「ああ。幸いこの先には敵影は無かった。次の作戦への障害は無さそうだな。」

トリスタンは先程の偵察行を思い出しながらいった。


と、彼らが進む方向から悲鳴と怒号が聞こえてきた。

「何だ?」

ゼヴァンは手綱を引くと馬を立ち止まらせた。トリスタンも同僚にならって馬を止めると、耳をすませた。

「・・・複数の人間が争っているようだが。」

「どうする?」

ゼヴァンは相棒に問い掛けた。

「もう少し近づいて様子を窺おう。」

トリスタンらはゆっくりと声のする方向へ馬を進ませた。


「やめろ!!放せ・・・放せよ!!」

アーリアは騎士に抱えられながら暴れ続けていた。

「そう暴れるなよお嬢ちゃん。はら、放してやるよ。」

その騎士はニヤニヤしながら、アーリアを乱暴に放り落とした。

咄嗟に受身を取れなかったアーリアは、背中をしたたかに打ち付けて、しばらく息が出来なかった。すぐ傍に、同様に投げ落とされたフェミナとヴァナの姿があった。

二人とも気を失っているのか身動き一つしない。

「お前ら、こんな事をしてただで済むと思うなよ!」

アーリアは彼女達を取り囲む二十人ほどの騎士たちを睨みつけながらそう言い放った。騎士たちは相変わらず下卑た笑みを浮かべたまま少女達を眺めている。

「・・・ほほぉ。ただで済まないならどうなるんだい?」

騎士の一人が小馬鹿にしたように尋ねた。それに対してアーリアは持っていた銀の剣を構えた。騎士たちの間から爆笑が起こる。

「こりゃすごいや。このお嬢ちゃんは俺達と戦うつもりらしいぜ。」

「何がおかしい!!」

アーリアはむっとして叫んだ。だが、騎士たちはアーリアを無視して大声で相談を始めた。

「おい、この娘達。やっぱ隊長がくるまで手を出さない方がいいよな。」

「いやいや、ここは役得ということで、いただいちまおうゼ。」

「おいおい、そいつはまずくないか?隊長に知れたらこれもんだぜ。」

その騎士は右手で首を掻き切る仕草をして見せた。

「なあに。黙ってりゃ気付きゃしないって。」

「そ、そうだな。・・・やるか?」

「聞くまでも無いだろうがよ。」

騎士たちは馬から降りると好色そうな表情を丸出しにして少女達ににじり寄ってきた。

アーリアは全身が粟立つのを感じながらも、気丈に剣を構え続けた。

「来るな!」

騎士たちはかまわず迫ってくる。

「さあ。もうそんな物騒なものは捨てちまいな。」

「俺達と楽しもうぜ。」

アーリアは嫌悪感をあらわにしながら睨みつけた。そして気合とともに斬りつける。

だが、正面にいた騎士は、まともにその剣を受けると、平然とその剣を掴んだ。

「!?」

「お嬢ちゃん。いくら良い剣でも、非力なあんたが振るった所で痛くも痒くもないぜ。」

「クッ!・・・は、放せ。」

「おいたが過ぎたようだな。お仕置きだ。」

別の騎士がアーリアを羽交い絞めにする。

他の騎士たちも、めいめいにヴァナやフェミナのもとに迫る。気を失っていた二人は、その気配を感じて意識を取り戻すと同時に、悲鳴をあげた。

「さあ、観念しな・・・。」

騎士の手がアーリアの体にかかる。

『悔しい・・・。ゴメン二人とも。私に・・・私にもう少し力があれば』

しっかりと閉じられたアーリアの目に悔し涙が浮かんだ。

その時、

「ギャ!」

「ゲッ!!」

「ガハッ!?」

唐突に叫び声が上がったかと思うと、ヴァナとフェミナのもとに群がっていた騎士たちが血飛沫を上げながら倒れ伏した。

「な、何だ貴様ら!?」

その声にアーリアは目を開けた。そこには、ヴァナとフェミナを守る形で、ならず者どもに立ちふさがる若い二人の騎士の姿があった。黄色い鎧を着て、赤毛を風になびかせた騎士が肩をすくめた。

「おい、おっさん達。こういうのは良くないよ。こんなしょうもない事をしているから、そういう悪人面になるんだぜ。」

「なんだと!!ガキが調子に乗りおって。」

腰の剣を抜き放つと巨漢の騎士が若者達に斬りかかった。大剣による横薙ぎの一閃を、青い鎧を着た少年は馬を竿立たせてかわすと、そのまま馬の前足で騎士の頭を踏みつけた。騎士が倒れると同時に、その頭骸骨が割れる鈍い音が辺りに響く。一瞬辺りを静寂が包んだ。その光景がもたらした衝撃のため、騎士たちは少年達に斬りかかろうとしたまま、凍りついたかのように動きを止めた。

「下衆どもが・・・。女性に狼藉を働くとは、もはや騎士にあらず。知性無き獣に等しい。」

吐き捨てるような若い声に騎士たちは我に帰った。

「おい、トリーどうする。こいつら一応帝国兵らしいぜ。」

黄色の鎧の騎士、ゼヴァンが相方に問うた。

「ノイッシュ卿の命令では、帝国兵との戦闘は避けろって事だったけど?見つかっちゃたしなぁ。」

とぼけたように話す相棒に向かって、青い鎧の騎士・トリスタンは馬を進ませながら答えた。

「・・・ここにいるのは、人間じゃない。そいつを斬る事に遠慮はいらない。それに・・・。」

トリスタンは唐突に突進を開始しながら叫んだ。

「皆殺しにしてしまえば、俺達の存在は帝国に漏れないさ!」

「なるほど。」

ゼヴァンは相棒の言葉にポンと手を打つと、騎士達にむかって微笑をして見せた。

「おっさん達。すまないけど、そういう訳だから、俺達のために死んでくれ。」

その言葉に騎士たちは抜剣をもって答えた。

「やっぱり、素直には死んでくれない?」

「ふざけるな!!ガキが!!」

斬りかかってくる騎士の剣を、真っ向から受け止めながら、ゼヴァンは自分の剣を打ち下ろした。少し先では、トリスタンが三人の騎士を相手取って互角以上の戦いを展開している。一撃一撃が豪快な、力技のゼヴァンの剣技。それと対照的なトリスタンの流麗で素早い剣さばき。そのどちらもが、並の騎士の技量を、はるかに凌駕していた。

帝国兵たちは、驚嘆しながらも徐々に追い詰められていった。


「さらばだ。元同僚よ・・・。あの世でシグルドによろしくな!」

イドは勝ち誇ったかのような表情のまま、右手を振り下ろした。帝国兵たちはその合図とともに、一斉にルクソールに殺到する。

『・・・もはやこれまでか。バイロン様、シグルド公子、このルクソール、間もなく御前に参ります。』

観念し、かくなるうえは一人でも多くの敵を道連れにしようと身構えるルクソールに、帝国兵の一人が馬上から槍を突き出した。

 だがその瞬間、唸りを上げて飛んできた槍が、その騎士とルクソールの前の地面に突き刺さった。驚いた軍馬は、鞍上の騎士を振り落として走り去った。

 落馬してうめき声をあげる騎士を除く、その場にいた全員の視線が、槍の飛んできた方向へと集中した。

やがて、森の中から一騎の騎影が姿をあらわした。マントの下に見える真紅の鎧が鈍く光る。美しい金髪、そして同じ色の立派な口髭が目を引く美丈夫である。

 イドは邪魔に入った騎士に対して、苛立ちを隠さずに問いただした。

「おい!貴様一体何者だ。・・・何故邪魔をした!!」

だが騎士は、イドを無視したまま歩みを止めない。イドは腹立たしげに舌打ちをすると、もう一度問い掛けた。

「貴様!我々に一体何の用だ!!」

「・・・別段、貴様などに用は無い。私は、そこの騎士を探していたのだ。」

騎士はイドに一瞥をくれると、ルクソールのもとに歩み寄った。ルクソールは突然の状況の変化に戸惑いながら、近づいてくる騎士を見上げた。騎士は馬から降りるとルクソールに語りかけた。

「ルクソール卿だな?」

「・・・いかにも、私がルクソールだが。貴公は?」

「君の部下達とともに、君を探していた。・・・ケガを負っているようだが、大丈夫か?」

ルクソールは肯いた。

「これしきの傷、どうということは無い。それよりも・・・。」

ルクソールはあごをしゃくった。騎士がその方向に振り返ると、殺気だった帝国兵が二人を包囲しようとしている。イドはこめかみをひきつらせながら、なかば叫ぶように言った。

「愚か者どもが!まとめてあの世に送ってくれるわ!!」

騎士は苦笑をもらした。

「やれやれ、小物ほどよく吠えるものだな。」

ルクソールは軽く頭を下げた。

「すまない。どうやら貴公を巻き込んでしまったようだ。」

その騎士は笑いながら首を振った。

「なに、気にすることは無い。好きで巻き込まれたようなものだ。」

「そう言ってもらえると、少しは救われる。」

ルクソールは微かに笑顔を見せた。

「・・・そういえば貴公の名を伺っていなかったが?」

紅の鎧の騎士は、短く名乗った。

「ノイッシュだ。」

その名を聞いた途端、ルクソールはあまりの衝撃に危うく剣を取り落とす所だった。

「なんと!?・・・まさか、そんな!」

「来るぞ!!」

ノイッシュが警告の声をあげる。ハッと我に帰ったルクソールは間髪いれずに大剣を振るう。すぐ傍に迫っていた帝国兵は、その一撃で致命傷を負った。

徒歩と馬上の騎士が戦う場合では、圧倒的に馬上の方が有利であるにもかかわらず、たった二人の騎士のために、イドの配下は次々と斬り倒されていった。

「おのれ!」

業を煮やしたイドは、自ら馬を駆ってノイッシュへと襲いかかった。

剣を打ち交わすこと数度。イドの剣は主の手を離れて宙を舞った。続いて突きこまれたノイッシュの剣は、しかしイドの生命を絶つことは出来なかった。

 自らの敗北を悟るや、イドは恥も外聞も捨て、いまだ戦う配下すら見捨てて逃走を開始したのだ。捨て台詞一つ残さずに、一目散に駆け去っていく主人の姿に、その部下達までもが悲鳴をあげながら続いていった。

 ノイッシュはそれを見届けると、静かに魔剣を収めた。

「フッ。脱兎のごとくとはよく言ったものだ。」

ノイッシュは呆然と立ち尽くすルクソールの肩をポンと叩いた。ルクソールはようやく落ち着いたのか、片ひざをつき、頭をたれた。

「・・・今の今まで、その紋章に気付かなかったとは、恥じ入るばかりです。」

「ルクソール卿・・・。」

顔を上げたルクソールの目には、涙が浮かんでいた。いつのまにか、彼の部下達もこの場所に集い、ルクソールに倣って、跪いている。

「ノイッシュ卿。このルクソール、事情があったとはいえ帝国に膝を屈しました。せめて、勇名を誇るノイッシュ卿の手によって裁かれたく存じます。」

そして再び頭をたれる。ノイッシュはルクソールに歩み寄ると、その手をとって立たせた。

「・・・ルクソール卿。罪を背負っているのはこの私も同じだ。・・・いや、目の前にいながら、シグルド様を救えなかった私の方が、罪が重いかもしれないな。」

ルクソールは、はじかれたようにノイッシュを見つめた。

「ノイッシュ卿・・・。」

「貴公は、立派にグリューンリッターとして勤めを果たしたとも。彼ら、若い騎士たちを育成してきたではないか。・・・それで十分だよ。」

「・・・ありがとうございます。・・・・その言葉で、この十数年の屈辱が報われました。」

ノイッシュは肯いて微笑みかけた。

「ルクソール卿、貴公に頼みたい事があるのだ。・・・私は今、帝国からこの地を、アグストリアを解放するために戦っている。私と共に戦ってくれないか?その力を私に貸していただきたいのだ。」

ルクソールは力強く肯いた。

「ノイッシュ卿。もちろん私に異存はありません。・・・皆もそうだな?」

背後に控える騎士たちも一様に肯いた。

「では、私についてきてくれ。仲間の所に案内しよう。」

「!!少しお待ち願えませんかノイッシュ卿。」

「どうしたのだ?」

ノイッシュは怪訝そうな顔でルクソールに尋ねた。

「どうかその前に一つだけお頼みいたしたい事があるのです。」

「頼み?」

「はい。・・・実は、負傷した私を救ってくれた少女達が、先程戦った帝国兵の仲間によって連れ去られてしまったのです。・・・それも、他でもない私の不注意によって。」

ノイッシュは黙ってルクソールの言葉に耳を傾けている。

「その恩に報いる為に、すぐにでも救出に向かいたいのです。お願いいたします、ノイッシュ卿。その馬をお貸し願えませんか。・・・彼女らを助けだして、必ずやお返しに参りますので。」

「私の馬をか?」

「はい。そして私が戻るまでのしばしの間、部下たちと共に、ここで待っていていただきたいのです。」

ルクソールは全てを言い終えた後、真剣な表情で答えを待った。ノイッシュも同じく真剣な表情で口を開いた。

「・・・悪いが、馬を貸す事は出来ん。」

「!?そんな・・・。ノイッシュ卿!!」

「ましてや、ここで待つなど、もってのほかだ!!」

愕然とした表情で見つめるルクソールを見やって、ノイッシュは優しく微笑した。

「待てるわけが無いじゃないか。私も行こう。」

「ノイッシュ卿!」

ノイッシュは口笛を吹くと、愛馬を呼び寄せ飛び乗った。そしてルクソールに手を差し伸べる。

「鎧を着てなくて幸いだったな。でないと、二人乗りなど出来ないところだった。」

「・・・感謝いたします。」

「ノイッシュ卿!!我らも一緒に!!」

ルクソール指揮下のソードアーマーたちも全員立ち上がっていた。ノイッシュは肯くと指示を出した。

「よし!私とルクソール卿とで先行する。君たちもなるべく急いで後を追ってきてくれ。・・・もっとも、走り疲れて戦えないというのでは困るがな。」

騎士たちから笑顔がもれる。

「ご心配なく。我らはそれほどヤワではありません!」

「それを聞いて安心したよ。では!」

ノイッシュは愛馬の腹を軽く蹴ると、木立をぬって駆けはじめた。


ほぼ同時刻、トリスタンもまた、森の中を駆け抜けていた。劣勢に陥り、恐慌をきたした帝国兵数人が、アーリアを人質にしたまま馬を駆って逃走したのだ。残りの兵の相手と、少女達の保護をゼヴァンに託したトリスタンは、立ちふさがる兵士を薙ぎ払いながら、全力で駆けていた。

逃げる敵に追いつき、追い越し、斬り伏せる。それを繰り返しながら、ようやく前方に、最後の一騎、アーリアを小脇に抱えた、ひときわ巨漢の騎士を確認した。

騎士もこのままでは逃げ切れぬと悟ったのか、暴れるアーリアに当て身を食らわせ気絶させると、乱暴に地面に投げ捨てた。その騎士の、人を人とも思わぬ扱いに対する嫌悪感もあらわに、トリスタンは一気に間合いを詰め、気合とともに斬りかかった。

「さっき貴様らを獣と言ったが、訂正するよ。・・・貴様らは獣にも劣る!!」

「フン!御託はいい!!そのような戯言は、俺様を倒してから言うんだな。」

巨漢の騎士は鋼の大剣を軽々と振るい、連続してトリスタンに斬りつけてきた。

「クッ!」

わずか数合打ち合ううちに、トリスタンは防戦一方に追い込まれてしまった。鋼の大剣は重量配分が偏る為に、命中率は通常の剣に比べると落ちる。だがひとたび命中すれば、ただではすまないだろう。

元々、敏捷性に優れるトリスタンだが、連戦の疲労は予想以上に体力を奪っていたようだ。少しずつ大剣の切っ先が体をかすめるようになった。と、次の瞬間、かわしそこねた大剣の一撃を、胸甲にまともに喰らってしまった。その恐るべき衝撃によって、トリスタンの体は、鞍上から吹き飛ばされてしまった。咄嗟に受身を取って素早く立ち上がったものの、全身には激痛が走り、胸甲は広範囲に渡ってひびが入っていた。

「ほらほら。さっきまでの威勢はどうした。」

力任せに振るわれる大剣の一撃を完全に受け止めきれずに、トリスタンは吹き飛ばされた。

「・・・っ!」

気力を振り絞って立ち上がる。しかし思った以上にダメージは大きいようだ。間髪いれずに、怒涛のごとく襲い掛かる敵の剣撃を必死に受け止める。だが徐々にダメージは蓄積され、受け止めるその剣も耐久力の限界に達しようとしていた。

「どうした坊や?息があがって来たぜ?」

「まだだ!!」

「往生際が悪いぜ。喰らいな!!」

騎士が打ち下ろした渾身の一撃が、再び彼の鎧に打ち当たり、トリスタンを地面に叩きつけると同時に、その手から剣を弾き飛ばした。

「しまった!」

「ここまでのようだな。・・・せめて一撃でその頭を打ち砕いてやる。」

騎士は残忍な笑みを浮かべながら、倒れこんだトリスタンにゆっくりと近づいてくる。

「とどめだ!死ねッ!!」

大上段に構えられた、鋼の大剣が振り下ろされようとした。その時。

「これを!!」

「何!?」

驚き思わず振り返った騎士は、気絶させた筈のアーリアが、何かを放り投げた姿を目にした。

慌ててトリスタンに視線を転じたと同時に、騎士は己の腹部に鋭い痛みを感じた。

「ガッ!!」

しゃがんだ姿勢から突き出されたトリスタンの手には、アーリアが放った銀の剣が握られ、その切っ先が、鎧の隙間をぬって深々と騎士の体に突き刺さっている。

騎士は、うめき声を一つ残すと、そのまま仰向けに倒れていった。


トリスタンは銀の剣についた血糊を丁寧にぬぐうと、鞘に収めて立ち上がった。少し離れた場所で、アーリアもよろけながら立ち上がっていた。

トリスタンは、辺りを見渡して、落ちている自分の剣をみつけると、拾い上げて腰の鞘に収めた。そして、ゆっくりとアーリアに近づき、銀の剣を差し出した。

「ありがとう。・・・おかげで助かったよ。」

だが、アーリアはうつむいたまま、トリスタンに背を向けた。

「どうしたんだ?どこかケガでもしているのか?」

トリスタンはためらいがちに、少女の肩に手をかけた。すると、アーリアはその手を払いのけ、いきなり駆け出した。

「お、おい君!」

トリスタンは面食らいながらも、疲れた体に鞭打って、少女の後を追いかけた。

そう時間をかけずに、少女に追いついたトリスタンは、その時になって、初めて少女が涙を流している事に気がついた。

「あ・・・。」

戸惑い、口をつぐむトリスタンから顔をそむけると、アーリアは肩を震わせながら、声を押し殺して涙を流し続けた。

しばらく、呆然としたまま立ち尽くしたトリスタンが、ようやく少女に語りかけようとしたそのとき、

「・・・悔しい。」

「えっ!?」

アーリアはキッとした表情でトリスタンの顔を正面から見据えた。

「あっ・・・ええっと・・・。」

「悔しいって言ったんだ!・・・私は・・・あいつらに一撃を与える事さえ出来なかった。」

「・・・。」

アーリアは再びうつむくと言葉を続けた。

「・・・剣には自信があったのに。・・・それなのに、あいつらに傷を負わす事も出来ずに・・・。おまけに皆を危険な目に合わせて・・・。ちくしょう!!」

アーリアは傍の大木に向かって拳を打ちつけた。何度も。何度も。

「やめるんだ!こんな事をしても何の意味もない。」

トリスタンは少女の腕を取って、強引にやめさせた。

「離せ!離せよ!!」

もがく少女に向かって、トリスタンは優しく語りかけた。

「悔しいなら、これから強くなればいいんだ。」

アーリアは驚いた顔でトリスタンを見た。

「・・・これから?」

「そう。誰だって最初から強かった訳じゃない。何度も、何度も、それこそ、嫌になるぐらい悔しい思いをして、それでも諦めずに努力した人間が強くなるんだ。」

そう言ってトリスタンは照れながら微笑んだ。

「・・って。実はある人の受け売りなんだけどね。」

アーリアはトリスタンの言った言葉を何度も頭の中で反芻させているようだ。トリスタンはじっと少女の様子を見守った。少女は何とか気持ちを落ち着けたようだ。

「・・・そうだね。・・・確かにあんたの言うとおりだ。私はもっと強くなってみせる。」

トリスタンは、その少女の答えに優しい笑みを返すと、銀の剣を差し出した。アーリアはその剣を受け取ると腰に差した。

「さあ、君の友達の所に帰ろう。あちらもかたが着いているはずだ。」

アーリアは肯くと、トリスタンと一緒に歩き始めた。先程の戦いの場所に戻ると、トリスタンの馬が二人を待っていた。トリスタンは軽くジャンプすると、愛馬の背に跨り、アーリアに手を差し伸べた。その手につかまって馬の背に乗りながら少女は少年に尋ねた。

「・・・あんたって、変わってるね。・・・なんで見ず知らずの私なんかに、世話を焼いてくれるの?」

トリスタンは馬を走らせ始めると、答えた。

「・・・俺には、生き別れになった妹がいるんだ。・・・どこに居るのかも解らない。生きているのか、それとも・・・。」

トリスタンはちらりとアーリアのほうを振り返った。

「・・・もし生きていれば、君ぐらいの年なんだ。・・・それで何だか放っておけなくてね。」

「ふ〜ん。」

トリスタンたちは、森の中を駆け抜けていった。


トリスタンがゼヴァンの所に戻った時、そこにはノイッシュをはじめとした、多くの騎士が集まっていた。

「ノイッシュ隊長!」

「どうやら、そちらも無事だったようだな。」

ノイッシュは微笑みながらトリスタンを迎えた。

「いや〜。ビックリしましたよ。俺がこいつらを倒し終わった時に急に隊長が現れるんですから。」

ゼヴァンが大袈裟に身振りを交えながら言った。

ひとしきり全員が無事を喜びあった後ノイッシュが口を開いた。

「それで、君たちはこれからどうする?」

「その事なんですが。」

ヴァナがためらいがちに話し始めた。

「もしよろしければ、少しの間ご一緒させていただけませんか。・・・私たちはアーリアのお父様とはぐれてしまって、このままでは先に進むのも困難ですので・・・。」

ノイッシュは苦笑をもらした。

「我々は、アグストリア解放軍だよ?・・・帝国軍は我々を倒す為に躍起になって軍隊を派遣してくるだろう。考えようによっては、我々と共に行く方が危険かもしれない。」

「・・・かまいません。・・・どのみち、先程のような目に会ったとき、私たちではどうしようもありませんから・・・。」

「いいのだね?」

ノイッシュは念を押すように言った。少女達は肯いた。

「わかった。では君たちは、このノイッシュが責任を持って保護しよう。トリスタン!ゼヴァン!」

「「はい!!」」

「お前達二人に、彼女たちの護衛を命ずる。どんな事があっても守り抜くんだ。いいな!」

「「了解しました!!」」

ノイッシュは満足そうに肯くと、ルクソール達に語りかけた。

「我々は今夕、この先のダグルザの砦を攻める。・・・ルクソール卿たちにも、早速戦っていただきたいのだが。・・・傷の具合はどうか?」

「・・・正直、前線で戦うのはまだ少し・・・。」

「そうか、無理はしないでいただきたい。」

「ルクソール隊長の分まで、我らソードアーマー隊が立派に戦ってみせますよ!!」

そう言って気勢をあげる騎士たちを見やって、ノイッシュは微笑んだ。

「期待しているよ。・・・では、味方との合流地点まで急ごう。」

ノイッシュはルクソールを自分の馬にのせ、先頭に立って歩き始めた。その後をルクソール指揮下のソードアーマーたちが続く。フェミナは呼び寄せた自分のペガサスに乗り、ヴァナはゼヴァンが乗せて行くことになった。

最後尾を行くのはトリスタンとアーリア。

しばらくしてアーリアは、トリスタンに話し掛けた

「・・・なあ、あんた。」

トリスタンはため息を一つつくと答えた。

「・・・俺には、トリスタンという名がある。」

「じゃあトリスタン。」

「何だ?」

「・・・私に剣を教えてくれないか。」

「俺が?」

アーリアは肯いた。トリスタンは首を横に振った。

「俺も人に教えられるような腕じゃない。」

「それでも、あたしよりは巧いじゃないか。なっ!頼むよ!」

トリスタンは、しばらく考え込んだ末に答えた。

「そうだな・・・。教えるのではなく、一緒に訓練するというのなら別にかまわないが。」

「ホントか?」

「ああ、ええっと・・・。」

トリスタンに向かってアーリアはニカッと笑った。

「あたし?あたしはアーリア。」

そう言って右手を差し出した。

「これからよろしく!」

トリスタンは苦笑しながらその手を握り返した。

「ああ、俺の方こそよろしく頼むよ。」

ノディオン地方の静かな森の中を、彼らの足音だけが響き渡っていく。

そして彼らの行く先に、解放軍の部隊の姿が見え始めていた。


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