第1章 紅の聖騎士
ユグドラル大陸西部に位置する、草原と森の国・アグストリア。
かつては、複数の王国が集まって連合国家を形成していた、この地が、混乱を極めて久しい。
アグスティ王家、最後の王にして、もっとも愚かな国王となったシャガールが、悲劇の英雄シグルドによって討伐された後、国土は急速に荒廃した。
だが、不思議とシグルドを非難する声は少ない。シグルドは最後まで友好的な姿勢を崩さなかったばかりか、アグストリア諸王国連合のため、尽力していたのは誰の目にも明らかであったし、全てを狂わせたのはシャガールの愚かな野心にあることはいまや誰一人信じて疑わない。
しかし、シグルドが、故国であるはずのグランベル王国から追われ、この地を離れてからと言うもの、事態は悪化の一途をたどった。
グランベルから派遣されてくる、治安維持を建て前とした圧制者たちは、民衆からあらゆる希望を奪い去っていった。
そして十数年・・・。
アグストリアは、連合成立以前の戦国の世に逆戻りし、旧来からの諸勢力が覇を競い、血で血を洗う戦いがいつ果てるともなく繰り返されていた。
さらには、王国から帝国へと急成長を遂げ、より強大となったグランベル帝国までもが軍を派遣し混迷の度を深めるありさまであった。
かつて、民衆が指導者にと望んだ、ノディオン家のエルトシャン王は、シャガール王の手により亡きものとされ、その嫡男アレス王子も行方不明。
人々は絶望の日々を送るしかなかった。
だが最近、にわかに巻き起こったある噂があった。
いわく、真紅の鎧を身にまとった聖騎士が、グランベル帝国の兵士や、野盗どもから、民衆を救っていると。
いわくその騎士はかつて大陸最強と謳われたノディオン王国・国家騎士団クロスナイツをも従えていると。
人々は様々に憶測した。
ある者は単なる噂であると。
またある者はエルトシャン王が死の世界より舞い戻ったのだと。
そしてある者は、かの騎士こそ、行方不明のアレス王子その人であると・・・。
やがて、その噂は、虐げられてきたアグストリアの民にとって、一筋の希望となりつつあった。
アグストリア−ヴェルダンの国境付近に小規模の砦が存在する。
北方は急峻ながけが迫り、東は川が流れ、南方と西方は見晴らしのいい草原が広がっていた。
現在、この砦に駐留しているのは、グランベル帝国から派遣されてきた兵士達である。
重装騎士であるソード・アーマーを主体とするおよそ200人からなる部隊は、この砦を守るには十分な戦力と言える。
その砦の中が、ここ数日前から緊張に包まれていた。突如として現れた謎の部隊が、南の正門を急襲し、そのまま500メートルほど離れた場所に陣を構えたのである。
派遣部隊の隊長は、すぐさま砦の正面に部隊を配置するとともに、味方部隊へと伝令を走らせた。隊長は砦の見張りやぐらに立ち、舌打ちをしながら部下に怒鳴った。
「遅いではないか!!・・・伝令を送ってはや5日が経つ。増援は何故やってこぬのだ!!」
部下は恐縮しながら、無言で立っているしかなかった。
「くそっ!!・・・正門での緒戦において50余命の死者・重傷者を出したのだ、・・・これ以上の失態をすれば、あの方のお怒りを買ってしまう・・・。」
と、そこに兵士が駆け込んできた。
「申し上げます!」
「援軍が到着したのか!?」
「いえ!敵軍が撤退を開始しました!!」
「何だと??」
慌てて隊長が前方に目を凝らすと、確かに、敵の部隊が退いていく様子を見ることができた。
「妙だな?」
一人首をかしげる隊長に部下が勢い込んで進言した。
「隊長!!この好機を逃さず、一気に打って出ましょう、先の雪辱を晴らすのです!」
「たわけが!!」
隊長は一喝した。その声の激しさに部下が思わずへたり込みそうになる。
「奴らのあの引きのよさ、おかしいとは思わぬのか!!」
「し、しかし見たところ敵軍は雑多な兵の寄せ集めの模様。内部でいさかいがあったのやも・・・。」
隊長は大きく手を振ってその部下の言葉を制した。
「仮に、あの撤退が罠でなかったとして、我らはアーマー部隊が中心の編成だ。騎兵主体の敵軍に追いつけると思うておるのか!!」
「・・・おそれいりました。」
部下は一礼すると引き下がった。隊長は一人になった途端にため息をつくと、再び敵陣に目を向けた。
「・・・情けない。かつては精鋭揃いと言われた、このシアルフィ国家騎士団『グリューンリッター』も、守るべき主家を失った今となっては、こうも無能揃いになるとは。」
隊長は腕を組み考え込んだ。
「先の大戦でバイロン公を守りきれず、シグルド公子をお救いする事も出来ずに、仇敵の手によって生き長らえているとは皮肉なものだな・・・。」
隊長は自嘲した。
「せめて、オイフェ卿が健在であれば、主君と仰ぐ事が出来たものを・・・。」
「ルクソール卿。」
不意に背後から声をかけられた隊長は、思わず抜剣して振り返った。声の主は冷笑を浮かべ、暗灰色の僧衣を身に纏った若い男だった。
「貴様は!!・・・フギン・・・!」
僧衣の男は無言で笑みを浮かべ続けた。隊長は苛立たしげに問うた。
「教団から派遣された貴様が、何用があってここに来たのだ!」
男は薄笑いを浮かべたまま隊長を指差した。
「聞きましたぞ。・・・先の言葉、汝に叛心ありと見てよろしいのですな?」
「なに!?」
「ク・・・クックッ。所詮は食い詰めのシアルフィの落ち武者ふぜい。われら偉大なる帝国への忠誠を求めた所で、詮無き事よ。」
男はついに哄笑を抑えようともしなくなった。
「おのれ、ダークマージごときがほざくものよ。貴様こそマンフロイめの犬にすぎぬではないか!!」
隊長にそう罵られた魔導師の顔からスゥッと笑みが消えた。
「不心得ものが!よりによって猊下を呼び捨てにするとは!!」
フギンは素早く両手で印を結び呪文の詠唱を開始した。ほぼ同時にルクソールの剣が唸りをあげてフギンに迫る。
だが、紙一重の差でフギンの魔法が発動した。
「喰らえ!ヨツムンガンド!!」
無形の邪悪な気の塊が、ルクソールの着ている鎧を、いともたやすく打ち砕く。そのあまりの勢いに、ルクソールは物見やぐらから空中へと吹き飛ばされた。
無念の叫びと共に落下してゆくルクソール。
その死を確認する為に、フギンはゆっくりとやぐらの縁へ歩み寄った。
と、不意に下から腕が突き出され、慌たフギンは大袈裟に飛びのいた。やぐらの縁から、全身傷だらけになったルクソールが姿をあらわしたのだ。
「この死にぞこないが!!」
それに答えず、ルクソールは大剣を一閃した。フギンの僧衣が薄く切り裂かれる。なおも迫る斬撃を、寸前でかわしながら、フギンは再び魔法を唱えた。
再度炸裂した魔法には耐え切れなかったのか、ルクソールはよろめき、そのまま胸壁をのりこえて、落下していった。間をおかずして大きな水音が聞こえた。
フギンは荒い息をつくと呟いた。
「東の川に落ちたか・・・。だが、あれだけの深手。よもや生きてはおるまい。」
その頃になってようやく兵士達が駆けつけてきた。
「隊長!!何事ですか!?」
しかし彼らが見たのは僧衣姿の男だけであった。
「これは、フギン導師。・・・何事があったのです。隊長は・・・。」
フギンは慌てずに答えた。
「ウム、ルクソール卿が、急な発作を起こされてな。苦しさのあまり足を踏みはずして、川に転落してしまったのだ。」
「何ですって!?」
「丁度、お前達を呼びに行こうとした所だったのだ。事は一刻を争う。ルクソール卿直属である、旧グリューンリッターに卿の捜索にあたらせろ。・・・私は卿不在の間、この砦の指揮を取る。」
「わ、わかりました。至急捜索に当たらせます。」
「うむ。・・・時にこの砦のグリューンリッターの数は30人であったか?」
「いえ。20名ですが?」
「ならば、その分を差し引いても残り130名の兵がいる事になるな。砦が手薄になる事もあるまい。・・・グリューンリッターは全員捜索に参加するように指令を出すのだ!」
「かしこまりました!」
兵士達は、敬礼をすると駆け去っていった。
その夜になっても、ルクソールは発見されず、捜索部隊は一度帰還した後すぐさま捜索を再開し、闇の中へと消えていった。
いまや、この砦の最高指揮官となったフギンは、敵の再度の来襲に備えて、部隊の大部分を正門前に集結させると、満足して眠りについた。
兵士達も、敵がいなくなった安堵からか、警戒はするものの、どこか気が抜けた様子で任務にあたっているようだ。中には居眠りをして同僚に小突かれている者までいる。
が、間もなく明け方というときに、静寂を破って、にわかにときの声があがった。
「何事だ!」
慌てて飛び起きたフギンが目にしたのは恐慌を来たし右往左往する兵士の姿だった。
「も、申し上げます!」
「落ち着け!何事だ!」
「て、敵襲です!!」
「敵襲だと?」
「はい、北からの敵襲にございます。」
フギンは訝しげな顔をした。
「馬鹿な・・・。北は崖だぞ!」
「その崖からの奇襲にございます。50騎程の騎兵が断崖を駆け下りて北門より攻め寄せたのです。」
「・・・!?」
フギンは絶句して一瞬思考が停止した。
(馬鹿な・・・そんな馬鹿な、あの崖を・・・。)
フギンは我に帰ると、すぐさま命令を下した。
「すぐに、正門の警備隊を北門に回せ!!」
「はっ!!」
兵士が駆け出そうとしたその途端、
「申し上げます!」
別の兵士が慌てふためきながら跪いた。
「今度は何だ?」
フギンは語気荒く吐き捨てた。
「はっ。正門より、敵兵出現、現在交戦中です。」
「・・・なんと。挟撃されたか。」
フギンは思わず歯軋りをした。
城内・城外を問わず、激しい戦闘が繰り広げられていた。その激戦の中を、一人脱出しようと試みている男の姿があった。ダークマージのフギンである。
「おのれ、これしきの事でへこたれはせんぞ。必ず再起してみせる。」
間もなく場外への抜け道というところで、フギンは人の気配を感じ、ギョッとして振り返った。
そこには真紅の鎧を身に纏った、一人の騎士が立っていた。
「き、貴様は誰だ?」
流れるような金髪、その口元には見事な口髭がたくわえられている。
騎士は無言のまま近づいてくる。
「おのれ!!」
フギンはヨツムンガンドの魔法を放った。ルクソールに重傷を負わせた必殺の魔法は、無造作に振り下ろされた、騎士の剣の一閃によって消し飛んでしまった。
「!!・・・魔剣か!!」
騎士は歩みを止めずにやって来る。石造りの廊下に鉄靴の音が反響する。
「その金髪に、魔剣・・・。貴様、もしや獅子王!!」
騎士は歩きながら初めて口を開いた。
「・・・いや。私はエルトシャン王ではない。」
甲高く足音が反響する中、壁にかかったたいまつの明かりを受け、真紅の鎧が輝く。
「く、紅の鎧?・・・そうか、貴様が愚民どもが噂していた、紅の聖騎士か!!」
「・・・そう呼ばれているらしいな。」
騎士はさらりと言ってのけた。フギンの顔がひきつる。落ち着きなく瞬きをしていた目が、騎士の鎧に刻まれた紋章に釘付けになった。
「シアルフィ公国の紋章、・・・それに真紅の鎧。そうか解ったぞ、貴様の正体が。」
騎士は歩みを止めない。砦内の喧騒は収まりつつある。決着が近いようだ。
「シグルド公子、腹心の三騎士の一人。ノイッシュか!!」
「いかにも。わが名はノイッシュ!貴様が人生最後に聞く名だ。この名を魂に刻んで、迷わず地獄に落ちるがよい!!」
騎士は跳躍した。同時にフギンがヨツムンガンドを放つ。
驚くべき事に、騎士は暗黒の魔法を素手で払いのけた。驚愕の表情のまま凍りつくフギンの頭上に騎士の剣が打ち下ろされた。
砦は、わずか数十分の戦闘で陥落した。紅の聖騎士、ノイッシュが率いた奇襲部隊が、勝敗を決したと言ってもいいだろう。何しろ崖を駆け下りるという危険な作戦において、ただの一人も落伍者を出さなかったのだから。
いまノイッシュの傍らに一人の騎士が立っている。歳はノイッシュと同年代。燃えるような赤い髪の騎士である。
「作戦成功だな。ノイッシュ卿。」
「ああ。ことのほか順調に進んだので拍子抜けしたくらいだ。」
「確かに。・・・ここの主将はなかなかの戦上手と聞いていたのだがな。」
「・・・噂とは当てにならんものさ。」
ノイッシュは苦笑をもらした。
「それよりイーヴ卿、私はすぐさま偵察に出かける。」
イーヴと呼ばれた騎士は心配そうな表情を浮かべた。
「おいおい。少し休んでからにしたらどうだ?奇襲作戦で、貴公も部下達も疲れているだろう?」
ノイッシュは頭を振った。
「私は大丈夫だ。それに多くの供はいらない。何よりも、早くこの先に行かねばならない、そんな気がするのだ。」
「虫の知らせか?」
ノイッシュは肯いた。イーヴはしばらく考えてから肯いた。
「解った。だが無理はしてくれるなよ。貴公は、我々にとって欠かせぬ人材である事を忘れないでくれ。」
「解っている。では後の事は任せる、イーヴ卿。」
正門に向かって歩き出すノイッシュの背中にイーヴは語りかけた。
「合流は明日の正午、例の場所で!」
ノイッシュは軽く手を上げて了解の意を表すと、近くにいた二人の若い騎士を呼んだ。
「トリスタン! ゼヴァン!」
二人の若い騎士はノイッシュの前に来ると直立不動の姿勢をとった。
「これから偵察に向かう。二人とも付いてくるか?」
ノイッシュはどこか優しい調子で二人に尋ねた。
二人の若者は互いに目線をかわすと、同時に答えた。
「「お供いたします」」
ノイッシュはその答えに微笑みながら肯くと、二人を伴って愛馬のもとに向かった。
三人の騎士たちに、旭日が、金色の光を投げかけていた。
時に、グラン暦777年。
戦乱のアグストリアを舞台に
騎士たちの戦いが
静かに、だが着実に
始まろうとしていた・・・・。