第23話 歪なる潮流(前編)


「先生!・・・助けて!!・・・センセーイ!!」

幼い子供たちの絶叫が響く。辺りには血の匂いが満ち、悲鳴と怒号が交錯する。

 

「・・・ヤ・・・メロ!・・・生徒に・・・子供たちに手を出す・・・な!」

絞り出すような声をあげながら、青年は上体を起こそうともがく。その視界には剛毛に覆われた怪物の足が映る。

青年の声に、怪物は哄笑でもって答える。

 

よろめきつつも立ち上がった青年の眼前には、幼児の頭部を片手で鷲掴みにしたまま笑い続ける、異形の怪物・・・狼のような頭部を持った怪人が仁王立ちになっている。

 

「・・・ゴルゴムの・・・化け物め!!」

青年は、世間を恐怖に陥れている謎の殺戮集団の名を、吐き捨てるように叫んだ。

怪人は、大きく裂けた口元を、奇妙に歪めた。

 

「チガウナ。・・・ワレワレハ、ゴルゴムトハコトナル。ヨリ、キョウフノ、“コンゲン”ニ、チカイソンザイ。」

どこかいびつな発音でそう言いながら、怪人はその手に力を込める。

 

「痛い!!・・・痛いよ!!・・・先・・・生・・・助けて!!!!!!」

「ヤメローーーー!!」

青年は絶叫を上げつつ怪物に飛び掛る。

怪人は青年を片腕一本で易々と吹き飛ばすと、さらに幼児を掴む手に力を加える。

 

「た・・・す・・けて・・・先・・・・・・せ・・・。」

這うようにして怪人に迫る。その耳に何かが砕ける音と、怪人の哄笑が木魂する。

 

「うわぁーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!」

 


 

大勢の観光客で賑わう駅前の通りを、どう見ても観光客とは思えぬ風体の男達が歩いていく。

真夏だと言うのにもかかわらず、揃いの黒いベストを身につけたその一団は、肯き交わすと、方々へと散って行った。

ある者は、駅構内へ、またあるものはタクシーを拾い・・・。

最後に二人の人物が残った。

その内、長身の男が小声でもう一人に呼びかけた。

「・・・身体に変調は無いか?」

その問いかけに、もう一人は肯いた。

「今のところは・・・。」

「そうか。・・・疑似キングストーンの入替え、加えて更なる再誕手術など前例が無い。・・・本来ならば、もう少し休んでいてもよかったのだぞ。」

「・・・ありがとうございます、森住隊長。ですが、今回の任務だけは外すわけには行かなかったのです。そう、絶対に。」

「そうか。・・・手術の翌日にもかかわらず強引に参加を主張したのだ。よほどの理由があるのだろう・・・。」

森住は、それ以上は何も聞かずにゆっくりとかけていたサングラスを外した。

「ただし、無理はするな。異常を感じたら、すぐに連絡をするのだ。・・・お前は我が部隊に・・・いや、ゴルゴムに欠かせぬ人材である事を忘れるなよ、織田副長。」

ゴルゴムのE型戦闘員・織田は、軽く肯くと駅構内へと入って行った。

 


 

東博士の、丸2日に渡る真剣な説得によって、江上は覚悟を決めていた。

もともと、資産家の息子と言うこともあって、若隠居をしても十分に生活できるだけの余裕はあった。

『・・・忌まわしい思い出のある東京から離れさえすれば。・・・そう思っていたのにな。』

 

だが、一度巻き込まれた運命の渦からは、そう簡単に逃れられそうも無い事を、彼は痛感していた。

『ゴルゴムは滅びていない』

 

過去の事件同様、その魔の手がいつまた彼ら家族に掴みかかろうとするか解らない。

『組織が存在する限り、私たちに安息の日は訪れないだろう。・・・組織が欲する私の技術力・・・。師の大門博士から学んだ技術。それは、裏返せばゴルゴムに対する脅威にもなりうるはず。・・・結局は組織に利用されるか、脅威として葬り去られるか・・・。』

 

ならば・・・。

 

「解りました。・・・協力しましょう。」

「江上さん。」

「私が、師から受け継いだ技術の全てをかけて、最高のマシンを作り上げて見せます。かつて作った、『ヘルシューター』よりも、はるかに高性能のマシンを!」

江上はその場に座る、今一人の人物、真剣な面持ちで自分を見つめるその少年に微笑みかけた。

「君がその身を預けるに足る、素晴らしいマシンを作って見せるよ。」

「お願いします。・・・ゴルゴムを完全に滅ぼす為に。」

少年・鷹志は、そういって頭を下げていた。

 


 

その夜。

鷹志は、宿泊している旅館を後にして、土手沿いをあても無く歩いていた。

眼下には、四国三郎の別名で呼ばれる吉野川が流れている。

もともと、小さな田舎町である。午前2時を回れば、頭上に輝く月以外には光源となるようなものは何も無い。

 

鷹志は、ゆっくりと土手を川原のほうへと下りて行った。

そして、周囲に人気の無い事を確認すると、その身を変身させていた。

濃緑色の飛蝗型の怪人・・・。ゴルゴムの技術で改造されたタイプE型サイボーグ。

 

「・・・やはり、気のせいじゃない・・・。」

そう呟いた鷹志は、ゆっくりと元の姿に戻った。

 

そして、大きく深呼吸をすると、今度は以前グルカムと戦った時同様に、独特の変身ポーズをとって叫んだ。

「変・身!!」

 

鷹志の腰に出現したベルトが、眩いばかりの蒼い閃光を放つ。

その光が収まった時、鷹志は鮮やかな薄緑色の光沢を放つ、硬質の装甲を備えた異形の戦士へと、その姿を変えていた。驚くことに、その姿は以前の戦いのときよりも身体を覆う装甲部分が多くなっている。

 

「・・・間違いない。ポーズをとっての変身なのに、あの疲労感と、虚脱感を感じない。それどころか、凄まじいまでの力の奔流を感じる・・・。」

鷹志は、先日列車の中で感じた不思議な感覚を思い出していた。

 

『多分・・・あのときに変化が起きたんだ。・・・何故そうなったのかは解らないけど・・・。』

ホークは、ゆっくりと空を見上げた。

「とにかく、パワーアップした事は事実なんだ。・・・必ず、ゴルゴムの野望を挫いてみせる!」

 


 

翌日の昼過ぎに、江上は東と鷹志を伴って娘が通う小学校へと向かった。途中、歩道橋を通過するときに、鷹志は視線を感じて立ち止まった。

「どうしたんだ!?鷹志君?」

立ち止まって周囲を警戒する鷹志に、東が緊張気味に尋ねる。

鷹志はしばらくした後ため息を漏らしてから答えた。

「・・・いえ、たぶん気のせいです。」

「脅かさないでくれよ。」

三人は再び歩き始めた。

 

「・・・タイプEインフィニティ。・・・彼がなぜここに?」

建物の影に身を潜めていた織田は、小声で傍らの人物に話しかけた。

「偶然だろうな。」

長身の男は短くそういうとサングラスをはずして小学校へと歩いていく三人を眺めた。

「・・・報告しますか?ターゲットランクDの江上氏も一緒だったようですが。」

「放っておけ。・・・デルフィム様はインフィニティは自由に泳がせておくよう指示している。それが撤回されぬ限り、いかなる報告も無用だ。」

「はい・・・。」

「・・・それよりも、予想よりも速くターゲットの足取りがつかめそうだ。」

「秘密結社TELLER・・・」

「まさか、いまだにその残党が残っていたとはな。」

「・・・。」

 


 

轟音が響く。雪山の斜面を巨大な氷塊が滑り落ちていく。爆音が雪崩を誘発させているのだ。

山の斜面を吹き飛ばすかのような爆音が断続的に起こる。

その様子を離れた場所から見据える冷徹な瞳があった。戦闘服を身にまとったその人物はただの人間では無かった。

猫科の猛獣・ジャガーの頭部を有したその怪人物は、かすかに口元をゆがめた。

「・・・どうやら作戦は成功のようだな。」

爆発の中から、十人ほどの人影が現れた。その先頭を歩く男は、初老の男性と思しき生首を無造作にぶら下げて歩いている。

男たちは、ジャガーの怪人の前で整列した。先頭を歩いていた男は、手にした生首を無造作に放り落とすと敬礼をした。

「報告します。TELLERスイス支部の大幹部、『DOCTOR』を抹殺。スイス支部を壊滅させることに成功いたしました。」

「ご苦労。」

ジャガーの怪人は変身を解くと、戦闘服のポケットからサングラスを取り出して装着する。

「撤収する。」

 

数分後、彼らは移動する輸送ヘリの中にいた。

「・・・今回もほとんどNo.11が一人で片付けたようなもんだな。」

「あいつ、東南アジアでの戦闘でも『AMBASSADOR』を片付けたらしい。」

「猛毒の牙に噛まれながら、彼奴の頭蓋を粉砕したとか。」

同僚の半ば嫉妬にも似た視線を受けながら、青年は無言で座り続けている。

と、前方のドアが開きサングラスの男が入ってきた。

皆が緊張し一様に黙りこくる中、青年は変わらず俯き気味に微動だにしない。サングラスの男は青年のそばに腰を下ろした。

「・・・胃の中のものは出尽くしたか?」

青年は小声での問いかけに微かに震えた。

「無理はするな。・・・お前はまだ人の『死』に、・・・『殺しの現場』には慣れていないのだろう?」

しばらく無言の時が続いた後で青年は口を開いた。

「・・・死の現場・・・弱者が理不尽に殺される様なら、見てきました。」

「・・・。」

サングラスの男はややあってから問いかけた。

「・・・名は?」

「No.11・・・。」

男は苦笑した。

「違う、お前の名前だよ。」

青年はいささか驚いたような表情で男を見た。男は促すかのように肯く。

「織田・・・和也・・・。」

「そうか。」

サングラスの男はそれだけを聞くと立ち上がって再びドアの向こうへと消えていった。

 

彼らがTELLERの最後の拠点と目された中近東支部を壊滅させたのは、それからわずか3日後のことだった。

 


 

「最後の大幹部『KERNEL』を倒したのも、副長だったな。」

「・・・ええ。五体を引き裂き、命乞いをする奴の心臓を貫いたのは・・・確かにこの僕です。」

憂いを含む青年の表情から一転、鬼気迫る修羅の形相になった青年にサングラスの男は苦笑を漏らす。

「・・・昔の顔に戻ってしまったな。・・・何があったかは聞かんが『復讐』に固執すると命を落とすぞ。」

驚きの表情を浮かべた青年にサングラスの男は背を向けて歩き出した。

「森住・・・隊長・・・?」

「何か分かったら連絡を送る。・・・お前は無理をするな。何度も言うが体に異変を感じたらすぐに連絡しろ。」

男はそういい残すと青年の視界から姿を消した。

 


 

「『復讐』に固執・・・・。」

織田はその言葉を噛み締めながらガードレールに腰を下ろした。その視線の先には、小学校のグラウンドがある。しばらくぼんやりと眺めていると、鷹志たちが女の子を伴って校門からでてきた。

『・・・江上氏の娘・・・か。』

織田は彼らが視界から消えるのを目の端で捕らえながら思考の淵に沈んでいった。

『そういえば、あの子もゴルゴムの人質にされたことがあった・・・はずだ。』

剣聖ビルゲニアによる誘拐。母と共に攫われた少女は、父親がビルゲニアのためのマシンを作る人質として捕らわれたのだ。

『・・・ブラックサンによって救出された・・・。』

青年はふと理不尽な怒りに駆られた。震えるように声を漏らす

「だが、『あの子達』の前には『仮面ライダー』は現れなかった・・・あの子達の未来はあの時・・・。」

 

「織田・・・先生?」

青年は不意に名前を呼ばれ顔を上げた。

そこには青年と同年代の女性が驚いた表情で立ち尽くしている。その顔が徐々に微笑みに変わる。

「やっぱり、織田先生!」

青年はゆらりと立ち上がると呆然とした表情で女性を見つめる。

「塚森・・・先生?」

「どうして徳島に?・・・いいえ、それよりもお体はもう大丈夫なのですか?」

「・・・ええ、おかげさまで。・・・塚森先生は・・・。」

織田は彼女と小学校を交互に見やった。

「塚森先生は『あの教育実習』の後・・・教師になられたんですね。」

織田の言葉に女性の表情が一瞬翳った。

「ええ・・・。『あの子達』の為にも、私ができるのは『教師』になることだと思って・・・。」

「そう・・・ですか・・・。強いですね、貴女は。」

「そんな・・・。」

織田は優しく微笑んだ。しかしその胸中では悲しみの激流が渦巻いていた。

『私は・・・違う選択をしてしまったんです・・・。』

 


 

小雨の降る中を青年はぎこちなく傘を差して病院の中庭を歩いて行く。退院だというのにその顔に喜びは無く、まるですべての感情を無くしたかのように虚ろだ。

 

「気の毒にねー。207号室の織田さん。」

「ホント、両腕とも治る見込みは無いんですってね。」

「例の殺人事件で犯人に両腕を砕かれて・・・。」

「目の前で教育実習の受け持ち生徒全員を殺されたそうよ。」

「・・・精神科のコにも聞いたんだけど、事件の後遺症で夜中にフラッシュバックが起こっているって。」

「・・・まだ学生さんなのにねー。実習を終えたら採用試験、そして憧れの教師・・・なんて道が待ってたはずなのに・・・。」

看護婦達の声は織田には届いていない。・・・そもそも、あの事件以来、まともに周囲の声など聞こえはしないのだ。

 

織田は、いつしか廃ビルの屋上へとやってきていた。

「・・・。」

虚ろな瞳にフェンスの一部が破れているのが映った。

「・・・。」

織田は傘を離した。落ちて水しぶきを上げるその傘を見ることも無く、ゆらりと隙間に体を滑り込ませる。

屋上の縁に立って眼下を眺める。身を乗り出そうとしたそのときに、織田は自分の隣に腰をかけた男がいるのに気づいた。

 

小雨の中、傘も差さずに廃ビルの屋上、しかもフェンス外の縁という危険な場所に腰をかけ遠くを眺めているスーツ姿の男。

 

織田は軽く息をつくと再び身を乗り出しかけた。

 

「死ぬのかい?」

男は唐突に言葉を発した。

「・・・。」

無言の織田に、男は微笑みかけた。

『・・・どこか危険な感じのする笑みだ』

 

織田はぼんやりとそう感じた。

「そのまま死んじゃあ・・・犬死だね。」

男の言葉にもさして心を動かされた風でもなく、織田は再び眼下へと視線を移した。

 

「秘密結社TELLER。・・・大幹部KERNEL・・・。」

その次の言葉が織田の精神を現世へと引き戻した。

「君の生徒たちを惨殺した男の名だ。」

驚愕の表情で男を見る織田。男はクスッっと笑った。

「やっと目に光が戻ったね。」

「・・・あなたは・・・一体?」

 

男はそれには答えずに立ち上がった。

「私は、君が望むなら、君に復讐の為の力を与えることができる。」

男は笑みを浮かべたまま尋ねた。

「どうする?」

織田の顔が憎悪に歪む。

「・・・復讐!?・・・できるのならば果たしたいさ。・・・だが、・・・私の腕は・・・もう・・・。」

織田は絶叫した。

「くそーーーーー!!・・・この腕が自在に動きさえすれば・・・・そうだ・・・あの化け物と同じ力があれば、憎むべきあの化け物の四肢を引き裂き、心臓を・・・臓物を引きずり出して・・・。」

 

織田のその言葉に男は満足そうに肯く。

「OK、OK。合格。合ー格ですよ。織田和也君。」

男は勝手に織田の腕をつかむと先に立ってフェンスをくぐり、屋上から降りる階段を歩き出す。織田は慌ててその後を追いかける。

「あなたは・・・誰なんです?」

男は階段の途中でぴたりと足を止めると織田を振り返った。

「我が名はデルフィム。・・・秘密結社ゴルゴムで神官の地位にあるものだよ。」

織田の顔が引きつる。

「ゴルゴム・・・?・・・あの殺戮集団??」

デルフィムと名乗った男は肩をすくめた。

「一般的認識ではそうなるなぁ・・・。」

デルフィムはニッと笑った。

「で、どうする?私はゴルゴムの幹部だが、君に復讐の為の体を与えることができる。・・・無論、このまま普通の生活に戻るのも自由だ。」

織田は険しい表情でデルフィムを見下ろした。

「ゴルゴムも・・・ゴルゴムも子供を傷つける・・・。」

デルフィムは腕組みをしたまま織田の言葉を聴いている。

「・・・私が復讐の為の力を得る・・・その見返りとしてあなたは何を望むんです?」

「私が望むときに、我が兵士として働いてもらいたい。」

しばしの時間が流れる。織田は激しく葛藤していた。その間デルフィムは根気強く答えを待った。

「・・・我が身をあなたとゴルゴムに捧げよう・・・。」

「いいのだね?」

「ただし・・・条件がある・・・。」

「条件?」

 

「力を得ておいてあつかましいとは思っている。・・・だが、一つだけ条件を・・・。」

デルフィムは肯いた。

「言ってみるといい。」

「兵士として扱われることに異存は無い。だが・・・私は・・・私は、子供や弱者を傷つけるような作戦があるのならば、これには参加しない。」

デルフィムはため息をついた。

「ずいぶんと虫のいいことを言うね君は?」

「・・・」

デルフィムはフッと笑みを漏らした。

「わかった、わかった。・・・その条件のもうじゃないか。・・・その代わり危険な任務には優先して就いてもらうぞ?」

そういって唇の端をゆがめて笑う。

「TELLERの壊滅・・・とかね。」

「それは、望むところだ!」

その表情に微笑を返すとデルフィムは道化じみたお辞儀をした。

「ようこそゴルゴムへ。織田君、我々は君を歓迎する!!」

 


 

「織田・・・先生?」

織田はハッとして意識を過去から引き戻した。

見ると、自分と女性を囲むようにいつしか子供たちが輪を作っている。

「先生、この人誰ー?」

「もしかして、先生の彼氏?」

塚森の顔に微かに朱が差す。

「ちがいます!・・・この人は先生のお友達です。」

「えー?ホント?」

「先生、赤くなってるし?」

「なってません!!」

生徒たちと塚森のやり取りに織田は苦笑した。・・・と、急にズボンの裾を引っ張られた織田は視線を落とした。そこには小さなスコップを持った男の子が立っている。

「ねえ、お兄ちゃんも花壇のお手入れ手伝ってよ」

「カケルくん、急に何を言い出すの!?」

慌てた様子の塚森に微笑みかけると織田はしゃがみこんで男の子と目線を合わせた。

「よーし、お手伝いさせてくれるかな?」

歓声を上げる子供たち。

「織田・・・先生?」

「良いですか?私が手伝っても?」

塚森は微笑を返した。

「もちろんです。ようこそ西麻植小学校へ。歓迎します、織田先生。」

 


 

鳴門の渦潮。

鳴門海峡の複雑な潮流が生み出す自然の産物である。

 

その渦潮を臨む空中に一人の男が腕組みをしたまま静止していた。スーツ姿のその男は眼下の渦潮を見て嘆息した。

 

「・・・美しいな。・・・広重の浮世絵よりも実物はなお美しい。」

男はそうつぶやくと、口元にやや不敵な笑みを浮かべた。

「すばらしいショーだな。・・・もっとも・・・。」

男は肩をすくめた。

「地上の人間たちが、私のこの姿を見れば、私のほうが見世物だな。」

男はさらに上昇していく。そして雲を突き抜けたところで上昇をやめた。

 

「このまま回転でもすれば、人間たちは新たなUMA(未確認生物)として騒いでくれるかな?」

 

男は、スーツのポケットからこぶし大の球体を取り出すともてあそび始めた。

「さて、術式は成功した。・・・後は織田君が無事に適合してくれればいいのだが。」

 

男はそういうと再びポケットに球体を仕舞い込んだ。そして、何かに気づいたようにふと背後を振り返る。

「おやおやいつの間に・・・。」

 

男の視線の先には深紅のローブを身にまとった不気味な人影が存在していた。この男同様にごく当たり前のように空中に浮遊している。

 

「・・・ヨクモ・・・ヤッテクレタモノダ・・・。」

不気味な発音でローブの人物が語りかけてくる。男は冷笑を浮かべながら尋ね返した。

「はて?・・・一体何のことでしょう?」

「・・・トボケルナ。Messenger。・・・ソレトモ、デルフィムト、ヨブベキカ?」

 

男・デルフィムはお決まりのポーズとなった肩を大げさにすくめる仕草をしてから答えた。

「そうですね・・・。好きに呼んでもらって結構ですが、ここ最近はデルフィムか内藤と呼ばれることが多かったですかね。」

デルフィムはそういってウインクをして見せた。

「・・・ワガケイカクヲ・・・。」

その言葉をさえぎるようにデルフィムは手を振って見せた。

「すみませんが、聞き取りにくいので普通にしゃべっていただけませんかね?」

 

ローブの男はしばし口をつぐんでから、声質を変えて再び口を開いた。

「・・・我らが進める計画をことごとく邪魔しおって。・・・どういうつもりだ?」

デルフィムはその言葉に声を上げて笑った。

 

「何を言い出すかと思えば、そんなことを言う為だけにあなたがここに現れたのですか?」

そしてクスっと笑う。

「秘密結社TELLERの大首領ともあろうお方が。」

 

ローブの奥からくぐもった歯軋りの音が聞こえる。ローブの人物がかなり激昂している様子が、表情は見えなくとも伝わってくる。

デルフィムは苦笑をもらした。

 

「そんなに怒らなくとも。ねえ Nothingness。」

「ごまかさずに答えろ!」

「・・・やれやれ。」

ローブの男から殺気が膨れ上がる。

「我が組織の拠点を次々に襲っているのは、ゴルゴムの構成員の中でも、特に貴様の息のかかった者たちばかりではないか!」

「・・・だから、何だというのです。」

「クッ・・・貴様!?」

デルフィムは冷笑を浮かべつつローブの人物に接近した。

「あなたこそ、どういうつもりなんです?・・・やることの本質を見失っているんじゃないんですか?」

「何だと!」

デルフィムの声が少し、ほんの少しだけ低くなる。

「どうも、長く人間たちの間に身を置いていたせいで、『千の一』としての本当の存在意義が薄れているんじゃないですか?」

「・・・・・・馬鹿なことを。」

「即答ができなかったことが既にそれを証明していませんかね。」

デルフィムの目がスゥッと細められる。この男にしては珍しい表情だ。

「存在意義から逸脱したのならば、私はゴルゴムの神官デルフィムではなく、『千の一』のMessengerとしての本分を遂行せねばなりません。すなわち・・・。」

デルフィムはニヤリと笑った。

 

「一を送還して、新たな一を召喚する」

ローブの人物は沈黙した。対して虚空にデルフィムの笑い声が響く。

「今一度、御自分の立ち位置を見つめなおすことですよ。大首領殿。」

 

その言葉を最後にデルフィムの体は空中に溶け込むように消えていった。

後には深紅のローブの人物だけが残る。

 

ローブの人物はしばし空中にとどまっていたが、やがてデルフィム同様に霧のように掻き消えていった。


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