第21話 海魔と乙女(中編)


一の章 忌み子と皇子

 

海辺の道を、少年が一人歩いていく。と、海から吹く風が少年の髪を揺らしていった。

少年は、わずかに足を止め、海を眺めやった。

 

優しげな眼差し。・・・だが、その瞳はどこか淋しげでもある。

少年は軽く頭を振ると、再び歩き始めた。

 


 

少年が砂浜に足を踏み入れると、少し先の岩場に人だかりが出来ていた。

怪訝そうな面持ちでその人だかりに近づく。

そして、そこから聞こえてくる音が何であるかに気づいた少年は駆け寄った。

人だかりの中から聞こえてくるの打撃音。まぎれもなく人が殴打される音だった。

 

「・・・!・・・なんとひどい事を。」

そうもらした少年の声に、人々が思わず少年を振り返る。

 

「・・・な、鹿島の若君。」

思わず離れて跪く人々を一瞥すると、少年は呻きながら蹲っている人物に歩み寄る。

見れば、少年と同年代ぐらいの痩身の若い男である。

少年は周囲の人々に詰問した。

 

「いかなる理由で、この者を傷つけたのだ!?」

人々は互いに顔を見合わせていたが、やがて、うちの一人が口を開いた。

「・・・そいつは、忌まわしの洞に棲む、忌み子だ!俺たちはただ忌み祓いをして追っただけだ!」

「そうじゃ、そうじゃ!」

 

「忌み祓い?」

少年は地に伏す同年代の少年を見、その周辺に拳大の石が幾つも転がっているのを見た。

 

「・・・あなた方が言う忌み祓いとは、ろくに抵抗も出来ない痩せ衰えた子供を石で打つことか?殴る蹴るの乱暴を行うことか!?」

 

「・・・。」

気まずそうに押し黙る周囲の大人たちを無視すると、少年はキツイ表情のまま、血だらけの少年に肩をかし立ち上がらせた。

そしてそのまま無言で浜辺を歩み去っていった。

 

後に残った大人たちは、あるものは戸惑いの表情で、またあるものは怒りの形相でその場を後にし始めた。

最後まで残ったのは、一際強面の大男だった。

 

「・・・ふん、都から落ち延びてきた、隠れ皇族の子倅が偉そうに。」

大男は憎憎しげにそう吐き捨てると、足元の砂を蹴飛ばした。

 


 

少年は、忌み子と蔑まれていた少年に語りかけた。

「・・・大丈夫かい?・・・もう少しすれば館に着く。そしたらきちんと傷の手当てをしよう。」

「・・・。」

 

半ば引き摺られるようにしながら歩く少年はようやく口を開いた。

「・・・あんたは、俺を汚いと・・・忌まわしいと思ったりしないのか?」

「当たり前じゃないか。」

少年はきっぱりと答えた。

「人が人を蔑むのなんて間違っている。」

少年は自分とそう歳の変わらない少年のその言葉に皮肉めいた笑みを浮かべた。

「・・・御立派な言い様だ。・・・でもそれは、あんたが『お貴族様』だから出てくる言葉さ。」

「そうかな・・・。」

「あんたには、空腹で気が狂いそうになるような経験なんて無いだろう?飢えと寒さで、己の身を呪いながら夜を明かした事なんて無いだろう!・・・人として扱われずに獣として扱われる・・・そんな悔しさを・・・。・・・だからこそそんな綺麗事が言えるんだ!!」

少年の叫びに、少年は優しそうな笑みで答えた。

「・・・これからは、そんな思いはさせない。・・・君は今日からは人として生きるんだ。」

「人として・・・??」

あっけにとられる少年に貴族の少年は優しく肯きかけた。

 


 

二の章 四人の乙女

 

時が過ぎること数年。

忌み子の少年は、貴人の少年を護る、護衛役となっていた。

 

名とて無かった少年は、貴人の少年が住む山間の宮殿からとった『ミヤマ(宮山)』と名づけられ、恩人であり、また時を重ね親友となった貴人の少年に誠心誠意仕えていた。

 

子の貴人の少年『鹿島の皇子』は、皇族である父とともに都を追われ、ごく少数の供の者を連れてこの人里離れた離宮でひっそりと暮らしていた。

大半の日々を離宮内で暮らす皇子であったが、時折里へと降りていく事がある。

 

その日もまた、皇子は里に降りる事を告げるべく、父の居室を訪れていた。

「・・・父上、今日はあのお客人が来られる日ゆえ、私は海を見に行ってまいります。」

「うむ・・・。」

皇子は、言葉少なく返事をする父を心配そうに見やった。この離宮に居を移してから、父の顔色はいつも冴えない。特にある人物がこの宮を訪れる時には、さらに生気を失うかのようだ。

皇子は、一礼して父の前を辞した。

 


 

皇子はミヤマとともに山道を下って行った。その途中前方から来る一団に気づき立ち止まった。

一団もまた立ち止まると、その中から一人の男が前に進み出てきた。

「これはこれは、鹿島の皇子、しばらくでしたな。」

皇子は軽く頭を下げた。

「・・・たまには、お父上だけでなく若君とも話をしてみたいものですな。」

「父から、お二人の話の邪魔をせぬように仰せつかっておりますので・・・父の許しが出ましたら是非に。」

そう答える皇子に微笑を返すと、男は一団を伴って坂道を登って行った。

皇子は、しばらくその一団の後姿を無言で見送った後、ミヤマを促して里へと歩き始めた。

 


 

二人は里を通り抜けて海辺へとやってきた。

しばし砂浜を歩き目的地となる岩場へと向かう。

と、ミヤマが微笑みつつ皇子に話しかけた。

「若君、いつもの御方達が既にお待ちのようですぞ。」

ミヤマが指し示すまでも無く皇子もまたその人物の姿に気付いていた。

岩場には4人の少女らの姿があった。少女らも皇子たちの姿に気付き手を振る。

皇子は笑顔で岩場に歩み寄ると、比較的平らな岩場を選んで腰掛け、懐から横笛を取り出した。

やがて、海辺に穏やかで美しい音色が響き始める。少女らはその旋律に耳を傾けている。

ミヤマは邪魔にならぬように少し離れた場所で周囲を警戒する。

笛の音は、その場にいる者たちを包み込むように優しく流れて行った。

 


 

少女の一人、吾妻の姫は、その音色を聞きつつ皇子との出会いのことを思い出していた。

この地方の有力豪族の姫として生まれた少女は、質実剛健を旨とする父のもとで、贅沢ではないものの不自由なく過ごしていた。

少女が少数の供を連れて彼女の叔父の屋敷を訪ねるべく海辺の道を進んでいたとき、彼女の一族と対立する豪族の手のものに襲撃された事があった。

次々に斬り殺される供の者たちを見て、死を覚悟した少女に救いの手を差し伸べたのが、鹿島の皇子とミヤマだった。

九死に一生を得た少女は、自分を救ったのが噂に聞く、都を追われた皇子であることを知り、純粋に興味を持った。その興味は、いまや思慕の念へと変わりつつあった。

 

四人の娘の中で一際身なりの良い少女、錦野の姫は、皇子とその父が住む離宮の持ち主・この地方を領有する皇族の、一人娘である。

父親同士が盟友であり、都を追われた皇子の一族は、彼女の父を頼りにこの地へと落ち延びてきたのだ。

皇子の優しい人柄に惹かれた少女は、皇子の住む離宮を頻繁に訪れては、彼の吹く笛の音に耳を傾けていた。

一目惚れという言葉の通り、出合ったそのときより皇子のことを愛するようになった少女は、皇子が離宮を離れて海辺で佇む時も、可能な限りその側にいることを望んだ。

今日のように、供も連れずに飛び出してしまう事も度々あり、周りをほとほと困らせていた。

 

快活そうな印象の大柄な少女は、豪商の娘だった。多くの使用人を抱え、名品や食材を商う彼女の父は、離宮へも品物を納めている。

ある日、父に同行して離宮へと赴いた彼女が、父たちと離れて庭内を散策中に、誤って池に転落しかけたのを救ったのが皇子だった。

それは些細な出来事。しかし、少女にとっては忘れ難き出来事として心の中に刻まれた。

彼女もまた、皇子がしばしば海辺を訪れる事があると知ってからは、その場を訪れるようになった。

 

最後の一人は、この地の農民たちを統べる、豪農の娘だ。皇子の元に他の娘たちが集うようになるよりも前から、少女は皇子と共にこの岩場で皇子から笛を教わっていた。

少女は、皇子を兄のように慕い、皇子が浜を訪れる時には、まるで子犬がじゃれつくかのように纏わりついていた。

皇子もまた、少女を実の妹のように可愛がり、歌や、笛などを教えていった。

 

少女たちは、身分の上下こそあれ、みな一様に皇子の事を愛していた。

 

 

ミヤマは、離れた場所に畏まって笛の音を聞きながら、わずかに表情を緩め、若き主君たちの幸せを祈っていた。

 


 

三の章 染み広がる闇

 

離宮では、皇子の父と来客の男が話し合っていた。

父の顔は暗く、対照的に客は笑みを浮かべている。

 

「・・・どうしても・・・どうしても皇子を?」

搾り出すようにそう漏らした父親の言葉に客の男は肯く。

「皇子も今年十五になられた。・・・早すぎるという事は無いでしょう。」

客の言葉に父が苦渋の表情を浮かべる。

「されど・・・先代、そして私の二代に渡って、その申し入れはありませなんだ。何故、我が皇子に?」

客はついと立ち上がると微笑を漏らした。

「皇子は、貴方の一族に生まれた男子の中で、最も強い因子を持っている。その強さはここ数代の長子の中では、始祖に並ぶほどだ。素晴らしいとは思いませんか?」

父皇の表情はより翳っていく。

男は、苦笑をもらすと無言のままその場を立ち去った。

後に残された父皇は眉間の皺をより深くしながら考え込んでいた。

 

 

時を同じくして、錦野の館を、強面の男が訪れていた。

錦野の当主が男に頭を下げる。

男は、当主を一瞥すると、不機嫌そうに鼻を鳴らした。

「貴殿、自分の使命を忘れてはおらぬだろうな?」

当主の背筋を冷たい汗が流れ落ちる。

「無論・・・そのようなことは・・・。」

「貴殿は、あの男の企みを阻止する為の楔だ。・・・儂は気が長くは無い。一族郎党皆殺しの憂き目にはあいたくあるまい?」

当主はさらに低く頭を下げる。

「重々承知致しております。・・・されば、あと五年お待ちくだされ。」

「五年?」

「左様。さすれば我が手勢のものも準備をすべて整えまする。」

「・・・二年だ。」

「は?」

「それ以上は待たぬ。・・・覚えておけ。手駒は貴殿だけではない。二年後にまだ渋るようであれば・・・。」

男は不気味な笑みを浮かべた。その口には人とは思えぬ鋭い歯が並んでいる。

「貴殿の愛娘から喰ろうてやろう。」

 


 

四の章 終焉と始まり

 

皇子は焼け落ちる離宮を憤怒の形相で見つめている。彼の傍らには、瀕死の重傷を負ったミヤマが倒れている。

追っ手を退け、峠の境を越えた二人は、そこに待ち構えていた包囲網によって捕らわれてしまった。

 

皇子も、ミヤマも十七と言う年齢からすれば、ずば抜けて優秀な剣士であった。

しかし、彼らを襲い、先刻館に火を放ち、父皇を殺めた襲撃者の力は、人というものを凌駕していた。

「化け物どもが・・・。」

襲撃者たちは無表情のまま、皇子達を切り刻んだ。

 

「・・・おのれ・・・この仕打ち・・・冥土に行っても忘れぬ。父への裏切り・・・友の無念・・・。必ず悪鬼となって蘇り・・・錦野の一族を祟り殺してくれるわ!!」

皇子は、切れ切れの息の中でそう呪詛の言葉を漏らした。

襲撃者達は、さして感銘を受けた様子も無く、無言で刃を振り下ろそうとした。

皇子は覚悟を決めて目を閉じた。

 

・・・

・・・・

・・・・・・・

 

しかしいくら待っても、その一撃は振り下ろされない。

皇子が眼を開くと、そこには襲撃者の姿は無く、一面に飛び散った鮮血と肉塊の光景の中、一人佇む男の姿があった。

「・・・あ、貴方は・・・。」

皇子は、そこに見知った男がいたことに驚いた。父を訪ねに頻繁に館を訪れていた貴人。その男が微笑を浮かべて佇んでいる。男は手にした剣を鞘に収めると、皇子の元に歩み寄った。

「・・・父君は残念な事をした。私が気づくのが遅かった。許されよ。」

「貴方は一体?」

男は、その問には答えずに逆に尋ねてきた。

「仇を討ちたいか?」

「無論だ!」

皇子は迷うことなく即答した。

「・・・人の身を捨てることとなっても悔いぬか?」

皇子は肯いた。

「構わぬ!・・・錦野の一族を根絶やしにする為なら、喜んで鬼にもなろう!!」

男は微笑むと皇子とミヤマの額にそっと触れた。

次の瞬間、彼らの姿は忽然と消え去っていた。

 


 

数日後、錦野の館では宴が行われていた。

だが、浮かれているのは家臣の者たちだけで、当主とその姫の表情は晴れない。

姫は硬い表情のまま傍らの父に問いかけた。

「・・・私は父上をお怨み致します。何故あのお方のお命を奪ったのです。」

当主は無言だった。姫は父に蔑んだ視線を向けると、無言で宴の席を辞した。

姫の姿が視界から消えると、当主は勢いよく酒を煽った。

 

姫は、寝所へと入ると、その場に崩れ落ち落涙した。

「・・・皇子・・・。」

どれぐらいそうしていたのだろう。不意に姫の肩を誰かが包み込むようにして抱きしめた。

驚き振り返る姫の瞳に、死んだはずの愛しき皇子の姿が映った。

「・・・姫。」

その声は、紛れも無く愛する男の声であった。姫は再び涙を流しながら、皇子を抱きしめた。

「生きて・・・生きておられたのですね。」

皇子は微笑を絶やさぬまま、姫の首筋に手刀を叩き込む。気を失った姫をその場に横たえると笑みを漏らす。・・・その笑みは以前の彼は決してしなかったであろう邪なものを湛えていた。

「・・・死んでたまるものか。我は永劫を生きる。・・・そなたも共にな。」

 


 

館中を、悲鳴と怒号、絶叫と断末魔がこだまする。

老若男女、身分の貴賎を問わず、そこかしこに惨殺された死体が転がる。

殺戮者はたった一人・・・いや、物の怪が一体。

 

かつてミヤマと呼ばれていた男は、全身を硬質の鱗に覆われた異形の姿と化していた。

「・・・主の名により、錦野の一族を滅ぼす。」

館の奥から、あの夜、離宮を襲撃した者達と同様の無表情な武人たちが姿を現す。

ミヤマは唇の端をつりあがらせると。呟いた。

「ククク。今は私も貴様らと同じだ。あの夜のようなわけには行かぬぞ。」

ミヤマは低い笑い声を響かせながら、その姿をさらに変えていく。

顔が変形し、髪の毛が抜け落ちる。

背中が不自然に隆起し、皮膚が弾け飛ぶと同時に甲羅が姿をあらわす。

両の腕が鋭利な鰭と化し、双眸が真っ赤に染まった。

巨大な海亀の化身となったミヤマは、手近な相手の首を切り飛ばした。

咆哮を上げながら、その巨体に見合わぬ素早さで踊りかかるミヤマの前に、新たな死体が積み重ねられて行った。

 


 

急の知らせを受けて、吾妻の当主が手勢を引き連れ到着した時には、既に館には生者の姿は無かった。どこを探しても当主父娘の姿は無く、襲撃者の手がかりも何一つ残されていなかった。

 

「・・・錦野の一族は滅んだか。」

吾妻の当主は呟いた。そして、手勢に向かって叫ぶ。

「よいか皆の者!・・・この地を治めるべきものが絶えた今、儂が、この地を統べる王となる!・・・他国の兵を寄せ付けぬように心せよ!」

手勢の者たちから歓声が巻き起こった。

 


 

さらに2年の歳月が流れた。

その日、吾妻の屋敷では、数日間行方をくらませていた当主が、ふらりと戻ってきていた。

心配げに駆け寄る臣下の者に微笑みかけると、当主は手にしていた不可思議な肉塊を差し出した。

「・・・今宵は宴を催そうぞ。これなるは、世にも珍しき『人魚の肉』なり。・・・一族のものを集めよ。我が、王となりてより、二年の節目の大宴じゃ!」

 

・・・この日を境に、吾妻の一族は姿を消す事となる。

この夜、一体何事があったのかは定かでは無いが、近隣の村人は、屋敷から海へと行進する異形の集団がいたことを目撃している。

それが、吾妻の一族であったかどうかは解らない。

確かなのは、無人の屋敷のみが残されたという事実のみだ。

 

一説によると、数年後にひどくやつれた吾妻の姫が、数人の供の者たちを従えて、海岸沿いを歩いていたのを、漁民が匿ったというが、その真相は闇の中である。

 

この時期、この地方では神隠し多発し、多くの娘や幼子たちが二度と帰らなかったという。

その中には、かつて皇子とともに安らかなる時を過ごした二人の娘も含まれている・・・。

 

 

 

 

 

・・・時は流れて明治38年晩秋。

旅行で小浜を訪れていた西九条家の老夫婦が、海岸に倒れていた一人の少女を救う。

少女は、自分が『咲夜』という名である事以外、あらゆる記憶を失っていた。

 

老夫婦は由所ある華族の家柄であったものの、子供に恵まれていなかった為、この少女を養子とし溺愛した。

 

翌年、この一家が謎の失踪を遂げる。数ヶ月後に老夫婦のみが無残な姿で発見された。娘の姿はついに発見される事無く、いつしか人々の記憶からも消え去って行った・・・。

 


 

終の章 闇に身をおきし者

 

どこまでも続く闇の世界。

その只中に、青年が佇んでいる。

数百年に及ぶ時を、殺戮と憎悪、狂気の中で過ごしてきたその青年は、口元を歪めると哄笑した。

 

「・・・人間とは、救いがたき生き物だな。何十年、何百年と時を経ても、精神の進歩が全く見られない。愚かなものよ。」

青年は蔑んだ表情のままで瞳を閉じた。

「出来損ないは、早々に処分されるべきだ。・・・そう、我らの手で滅ぼしてくれる。」

・・・。

・・・・。

・・・・・・・・・・・・・・。

 

『本当にそれでいいのか?』

「!?」

青年の耳に、微かな言葉が響く。

 

『・・・それは、本当に望んだことなのか?』

 

「・・・なんなのだ・・・・これは?」

青年は苛立ちとともにそう呟いた。

 

『・・・心を偽ってはいないか?・・・本当はこんな事を・・・。』

「!・・・そうか・・・貴様か。」

 

青年は閉じていた瞳を開いた。

 

青年のすぐ目の前に、一人の人物が佇んでいる。

服装こそ違うが、誰あろう青年自身がそこにいた。遥かなる昔、彼が身に纏っていた衣装のまま、哀しげな表情で青年を見つめている。

 

『・・・彼女たちを犠牲にして、それで事を成し遂げて満足なのか?』

「犠牲?・・・むしろ新世紀の神になれるのだぞ。・・・そう、新たなる神々を生み出す地母神に。」

 

『それは、彼女らの意思ではない。・・・あの子達は、そんなものを望んじゃいない。』

「・・・意思など、どうとでも捻じ曲げてみせる。・・・私が貴様を捻じ伏せたようにな!」

青年は唇の端を吊り上げた。

「大体、今になって貴様が表層に現れたところで、積み重ねてきた歴史は、もはや修正できない。・・・この手で行ってきた、血の歴史はね。」

『いや違う!・・・過去は変えられずとも、これから先の未来まで、同じ血の歴史を積み上げる事は無い。・・・今ならば踏みとどまる事も・・・。』

「無理だね!!」

青年は過去の自分が紡ぐ言葉をさえぎって叫んだ。

 

「私は、栄光あるゴルゴムの戦士だ。そしてまた、父が避け続けていた、深き一族としての使命を自覚した海原の化身だ。・・・今更貴様が出てきたところで、躊躇いがあるものか。・・・彼女たちは、私のこの手で再誕させる。・・・・崇高なる四柱の女神へと。」

 

突き刺すような青年の視線。・・・しかし、古の姿をした青年はその視線を真っ向から受けとめると、逆に穏やかな視線を返してきた。

 

『気づいていないのか?・・・私がこうしてここに現れたと言うこと。・・・それがすなわち、迷いが生じていることのなによりの証明である事を。』

「・・・なんだと?」

 

『・・・よく考える事だ。・・・時代は変わっていく。新たな時代は、新たな人間たちのものだ。ゴルゴムの栄光など所詮はまやかし。奴らによってもたらされる肉体も生命も、所詮は紛い物でしかない。』

 

「紛い物だと!?」

『偽りの生にしがみついたものは、結局は死人と同じだ。・・・黄泉路に背を向けて、どれだけ遠くに逃げようとも、亡者は亡者でしかない。・・・決して明るい太陽の下を行くことは出来ない。』

「ならば太陽までも造り替えてみせる!」

『・・・愚かな・・・、太陽に挑んでも燃え尽きるのが落ちだ。・・・もっとも、太陽の高みにまで登ることも出来まい。せいぜい、その欠片に滅ぼされよう。』

 

「ほざくな!!・・・私は、貴様であって、貴様ではない。・・・過去の残影ごときに、大いなる力を得た今の私の何が解る!」

 

青年は激昂すると過去の自分に歩み寄り、その首に手をかけた。しかし、その手が虚しくすり抜ける。

過去の青年は、その輪郭を徐々にぼやけさせながら、その瞳により深い悲しみの色を湛えた。

 

『・・・どんなに時が過ぎても、・・・・どんなに強大で、人を凌駕した力を手に入れたとしても、・・・脆弱な精神は変わっていない・・・。』

 

「脆弱?・・・この私が!?」

 

『・・・そう・・・どこまでも・・・過去の・・・悲劇・・を・・・引き・・・・・摺って・・・いる・・だ・・・け・・・・・。過・・・去に・・・しがみ・・・つき・・・前を・・・・・見ることを・・・・放棄・・した・・・・弱・・き・・・・心。』

 

「・・・。」

 

『・・・・忘れ・・・るな。強く・な・ど・・・・なって・・・・いない・・・と。・・・・時・・・代を・・・経ても・・・進歩・・・・していないのは・・・・自・・分だと・・・いうこと・・・を』

 


 

「馬鹿な!」

 

青年・仲嶋は自らの怒号で目を覚ました。

軽く頭を振って意識をはっきりさせる。見慣れた自室の調度が目に入る。どうやら部下たちに指示を出した後、少し眠り込んでいたようだ。

だが、思いのほか眠りは深かったようで、状況を把握するまで時間を要した。

全身には不快な汗をかき、彼には珍しいことに小刻みに震えている。

 

「・・・今更・・・・今更私にどうしろと言うのだ。」

仲嶋は顔を歪めながらそうつぶやくと、勢い良く立ち上がった。

 

「・・・もうすぐすべてが終る。・・・いや、新たに始まるのだ。・・・迷う事など無い。」

仲嶋は手早く着替えると、部屋を出るべくドアへと歩み寄った。

そしてノブに手をかけたときに少しだけ俯いた。

 

だがすぐに、いつものような人を見下した表情を浮かべると勢い良くドアを開けた。

自ら、戦場の只中へと赴く為に・・・。


BACK