第18話 刻を越える絆(中編)
濃密な殺気と闘気が交じり合い、空気を変質させる。
現世でありながら、一種の異空間と化した浜辺を、銀色の風が駆け抜ける。
そして、その後を追うかのように真空の刃が地面にいくつもの穴を穿つ。
シャドウは、眼前の敵がこれまでの怪人達とは明らかに違う戦士である事を実感していた。
そしておそらくは、まだその実力の半分も見せてはいないであろう事も。
「・・・っ。強い。」
シャドウは連続して襲い掛かってくる衝撃波をかわすことこそできるものの、そこから反撃へと移る隙を見出せずにいた。
「ふ、フハハ!どうした、そのたいそうな姿は単なるこけおどしか?」
馬鹿にしたような笑みを口元に浮かべながら、ロカリスは大剣を肩に担ぎ上げた。そして無造作に振り下ろす。
轟音を立てて地面へと突き刺さったその切っ先から、鈍い音と共に地割れが走る。
シャドウは、そのエネルギーの凄まじさを感じて戦慄した。
「・・・小細工は無意味か。ならば!!」
シャドウは、ベルトの前で拳を付き合わせ叫んだ。
「キングストーン・フラーーーッシュ!!」
瞬時に眩い緑光が放出される。
「む?」
ロカリスは僅かに目を細めた。その目に跳躍したシャドウの姿が映る。ロカリスは笑みを浮かべると剣を立てて構える。
緑の光を纏ったシャドウの拳がその輝きを増す。その光に呼応するかのようにロカリスの刃が怪しい紫のオーラに包まれる。
そして両者が激突した。
「・・・馬鹿な??」
シャドウは驚愕の表情を浮かべた。彼の渾身のシャドウパンチは、ロカリスの構える剣に届くことなく、その寸前で紫のオーラに絡みとられるように静止していた。
「オイオイ。どうした?」
「チッ!」
シャドウは、素早く飛び退ると、今度はパワーを両足へと集中させる。
「・・・無駄な事を。」
不適に笑うロカリスに向かって、シャドウは必殺技であるシャドウキックを放った。
「同じ事だ。」
ロカリスはそうつぶやくと、再び剣を構える。再び沸き起こった紫のオーラは、シャドウの緑光を蝕むかのようにして打ち消していく。
「ふん!」
「うわっ!?」
ロカリスが力を込めると、シャドウはそのまま吹き飛ばされてしまった。
地面に叩きつけられて呻くシャドウを、不敵な笑みを浮かべたまま見下ろしたロカリスは肩をすくめて見せた。
「おいおい、お前さん本気で向かってきてるのか?・・・こんな情けない奴が剣聖を切り捨てたなんて信じられんぜ。」
「何!!」
立ち上がったシャドウはロカリスを睨み付ける。ロカリスは笑った。
「ハハ。怒るだけの勢いはあるようだな。・・・しかし、この程度では話にならんな。これなら、怪人どもを300匹ほど殺して回る方がまだ楽しめそうだ。」
「怪人を殺す!?・・・お前は仲間を殺すと言うのか?」
「そんなに変か?貴様とて同じゴルゴムの同類を殺しているのだろう?」
その言葉に憤りを感じたシャドウは即座に否定した。
「僕はゴルゴムとは違う!・・・僕は、・・・僕はゴルゴムと戦うものだ!」
ロカリスはニヤリと笑うと大剣を担ぎなおした。
「そうか、ゴルゴムと戦うものか。・・・フフ、フワッハッハ!!」
ロカリスは豪快に笑うとシャドウに大剣の切っ先を突きつけた。
「ならば、俺達もゴルゴムと戦うものだ!」
「何だって!?」
シャドウはロカリスの全身を眺めやった。
そこから発せられる闘気は、明らかに邪悪な気配を伴っている。
口を閉ざしたシャドウにロカリスはニヤリと笑いかけた。
「無論、ゴルゴムを倒して平和な世界を・・・なんていうことにはこれっぽっちも興味はない。」
ロカリスは剣を持たない左腕を大空に向け掲げて見せた。
「我々が覇権を握った暁には、狂気・快楽・暴力が支配する、新たなる帝国が誕生する事になろう。」
「!?・・・そんな事をさせるものか!・・・それにそれは、ゴルゴムと変わらないじゃないか!」
「そりゃ、そうだ。・・・俺達もまた、まぎれもないゴルゴムだからな。」
ロカリスは平然とそう言い放った。
「・・・一体どういうことなんだ!!」
「まあ、おしゃべりは戦いながらでも出来るさ。・・・いくぞ!!」
猛然と切りかかってくるロカリス。先程とはうってかわって、衝撃波ではなく剣そのものでシャドウを両断しようと迫る。
シャドウは二度、三度と攻撃をかわし、逆に素早く踏み込んで肘打ちを叩き込む。
「ククッ・・・いいぞ。こうでなくてはな!」
ロカリスは体勢を立て直すべく半歩下がろうとした。
だが、シャドウは何処までも追いすがり、間断ないパンチを叩き込む。
『間合いを離されればこちらが不利だ。ならば攻め続けるのみ!』
気合の声と共に叩き込まれる連打を、余裕の笑みを浮かべたまま剣で受け続けるロカリスは、深い満足感を覚えていた。
『・・・なるほど、コイツは面白い奴だ。スタミナは減っているハズなのにパンチのキレが良くなって来ている。・・・だが、まだまだ未熟だな。・・・まあ、久々の運動にはなったか。』
「さっき、お前は俺達と言ったな。」
「だったら何だ?」
「ゴルゴムでありながら、ゴルゴムと戦う・・・一体何故だ!」
「簡単なことだ、実にな。」
ロカリスは笑みを浮かべたまま答えた。
「ようするに、ゴルゴムは一枚岩ではないと言うことさ。」
シャドウはその言葉の意味するところを悟った。
「・・・派閥抗争があると言うのか・・・ゴルゴム内部で。」
「愚かな人間共を排して、統制の取れた怪人による理想郷を築こうとする者。自らが新たなる神となろうと企むもの。自由気ままな混沌の世を望むもの。何を考えているのか解らない奴らもいるな。」
「・・・。」
ロカリスは口元をゆがめた。
「そうそう、貴様のようにゴルゴムを躍起になって倒そうとしている奴もいるのだな。・・・なかなかに多彩じゃないか、ゴルゴムは。」
「黙れ!・・・何度も言わせるな、僕はゴルゴムとは違う!!」
激怒するシャドウに対し、ロカリスはあくまで平然としている。
「そうかい?・・・まあ、別に何でもいいがね。」
その言葉と同時に、ロカリスはカウンター気味に剣の柄でシャドウの胸部を強打した。
「グ・・・!?」
思わず蹲るシャドウを見下ろすと、ロカリスは踵を返した。
「・・・今日のところはこんなところにしておこうか。いい運動になったぜ。ありがとよ。」
「ま、待て・・・。」
ロカリスは振り返らずに軽く手を振った。
「焦るな、焦るな。・・・そう遠くない日にまた戦おうや。・・・その時までには、もう少しマシに戦えるようになっておけよ?」
ロカリスの姿が徐々に薄れ消えていく。その姿が完全に消え去ると同時に、周囲の音が戻ってきた。
蝉が一斉に鳴き始める。
その声を耳にしながらシャドウは信彦の姿へと戻っていった。
「・・・・。」
信彦は、固く拳を握り締めると思い切り地面に叩きつけた。肘の辺りまで地面に突き刺さった腕を引き抜くと、信彦はゆっくりと立ち上がった。
「剣魔・・・ロカリスか。」
信彦はそうつぶやくと、強敵が消え去った方向を凝視し続けていた。
「愛美さんのお陰で、いろいろと楽しかったです。本当にありがとうございました。」
綾乃はそう言って頭を下げた。愛美は微笑むとそっと綾乃の手をとった。
「ううん。私の方こそとても楽しかった。こんなに楽しかったのは久しぶりだったわ。ありがとう綾乃ちゃん。」
愛美はそう言うと、自分が持っていた白い帽子を綾乃に手渡した。
「・・・名残惜しいけど、お別れね。この帽子、よかったらもらってくれないかしら。私たちが、確かに時間を共有したという証に。」
「いいんですか?」
驚く綾乃に、愛美は肯きかけた。
「ええ。綾乃ちゃんにもらって欲しいの。」
「解りました。ずっと・・・ずっと大事にしますね。」
愛美はその言葉に嬉しそうに肯いた。
「・・・これから、恋人さんを探しにいくんですね。」
「ええ。・・・きっともうすぐ会えると思うわ。」
「ボクも・・・お二人が会えるように祈ってます。」
「ありがとう。綾乃ちゃん・・・。」
二人の間に沈黙が訪れた。
二人は、互いに半身が分かれてしまうかのような寂しさを感じていたのだ。
やがて、二人が佇むバス停にバスがやってきた。綾乃が乗り込むのを見つめる愛美。そして窓から身を乗り出した綾乃が手を振る。愛美は微笑みながら声を出した。
「さよなら、綾乃ちゃん。・・・元気でね!」
バスで遠ざかる綾乃もまた叫ぶ。
「さよなら!・・・さよなら愛美さん!!」
愛美は、バスが見えなくなるまでずっと見送っていた。
そして、うつむくとバス停から海への小道を歩き始めた。
どれぐらい歩いたのだろう。唐突に立ち止まった愛美は、うつむいていた顔を上げると口を開いた。
「いつまでそうやって後をつけてくるつもり?」
愛美の声が消え去るより早く、何者かが姿を現した。サングラスをかけた長身の男だ。
「・・・邪魔をしてはいけないかと判断しましたので。」
愛美は唇を噛むと男を見据えた。男はサングラスを外した。その下から現れた双眸は、ネコ科の猛獣を連想させる。
「デル・・・いや、内藤の手のものか?」
その問いに男は肯いた。
「主の命により、お迎えに上がりました。」
「内藤は?」
「主は、すでに例の場所に。・・・あの方も御一緒です。」
その言葉に、愛美は自分の身体がよろめいたように感じた。
だが実際は毅然とした表情と態度を崩さずに身じろぎもしていなかったのだが。
「御案内いたします。こちらへ。」
愛美は男の後について歩き始めた。
「ごめん下さい。」
「はい、ただいま・・・。」
奥で横になっている孫娘を案じながら玄関にやってきた老婦人は、そこに立つ女性を見て驚いていた。
「・・・まさか、そんな。」
驚く老婦人に軽く頭を下げると、女性は口を開いた。
「どうやら、あなたは私のことについて御存知のようですね。」
老婦人は驚きが去った後は、一転して悲しそうな表情になった。
「・・・はい。・・・しかし、あなたがここに現れたという事は・・・やはり沙代子が預言書に記された『転生の乙女』なのですか?」
女性もまた悲しそうな表情を浮かべた。
「それは・・・。ともかく沙代子さんに会わせて頂けませんか。おそらく、事態は私たちの予想を遥かに越えた速度で・・・しかも加速しつつあります。」
老婦人は、その言葉に肯くと、女性を伴って沙代子が横になっている居間へとやってきた。
沙代子は、祖母と一緒にやって来たのが先程助けてくれた女性であることに気づいた。
「あなたは、さっきの・・・。」
青ざめた表情の少女に祖母は語りかけた。
「沙代子・・・落ち着いて聞いて欲しいの。これから話す事は、あまりにも現実離れしている。・・・でも、全て事実。それを、あなたは理解しなければならない。」
「・・・お祖母ちゃん?」
祖母の様子にただならぬものを感じた沙代子は、身を起こすと正座をした。沙代子が少し落ち着いたのを見計らって、女性が口を開いた。
「改めて自己紹介するわね。私の名は那須美月。・・・あなたとは因縁がある人間よ。」
「因縁・・・ですか?」
沙代子は、祖母が立ち上がり、仏間へと向かうのを目の端に捉えながら訊ねた。
「何なんですか、因縁って。」
美月はどう切り出そうか思案した末に口を開いた。
「説明するのは難しいのだけど・・・。沙代子ちゃん、あなた途方も無く海が恋しくなる事ってないかしら?」
沙代子はその言葉に驚いた。
「・・・どうしてそれを・・・?」
その時、祖母が仏間から戻ってきた。その両手には、紐で綴じるという古びた装丁の1冊の書物を大事そうに携えている。
「沙代子・・・。これをご覧。」
祖母が開いたその頁には、4人の女性が描かれていた。奇妙な事に、随分と古い書物であるはずにもかかわらず、驚くべきリアルさで描写されている事だ。まるで・・・。
「写真・・・?」
沙代子が思わずつぶやいてしまうほど、その絵には現実味があった。更に驚く事にはその絵の人物に沙代子は見覚えがあったのだ。
「・・・この絵の女性は・・・美月さん?・・・それに・・・。」
沙代子は震える指で一人の女性を指差した。
「・・・そんな・・・これは・・・これは・・・私?」
そこに描かれている少女は、鏡で見る自分の姿にそっくりだったのだ。身体を小刻みに震わせる沙代子に、悲しげな表情を向けながら、美月は語りだした。
「その本が制作されたのは西暦670年。壬申の乱が起こる2年ほど前のこと。」
沙代子は信じられないと言うような表情で訊ねた。
「・・・まさか。飛鳥時代の書物だと言うんですか?・・・だって、こんな絵の描き方があるわけ・・・。それに何でそんな書物がお祖母ちゃんの家にあるの?」
祖母は俯いたまま黙っている。替わりに美月が話しはじめた。
「馬鹿馬鹿しいと思わずに聞いて欲しいの。これから話す事は全て事実だし、あなたをからかおうともしていない。落ち着いて、頭の中で整理しながら聞いて。」
その表情に真剣なものを感じた沙代子は肯いた。
「解りました・・・。」
「じゃあ、話すわね。遠い過去のことよ。この小浜にね、4人の少女達がいたの。・・・一人目は貴族の姫君。丁度、この絵に描かれているこの人物。」
美月が指差したのは、美しさの中にも芯の強さを感じさせる、淡い栗色の髪の少女だった。
「二人目はこの地方の豪族の娘。・・・まあ、姫君と言えなくも無いわね。この人物よ。」
次に美月が指し示したその人物は、長く美しい黒髪を持った、たおやかな印象を受ける少女だった。
「三人目は、商人の娘。・・・この人物。」
彼女が指し示したのは、指差した彼女自身にしか見えない少女だった。
「最後の一人は、この辺一体の農民を束ねる長の娘。・・・この女性ね。」
美月はそう言うと、沙代子に瓜二つの少女を指差した。
「・・・この4人は、身分の違いこそあれ、とても仲がよかったの。・・・共に語らい、共に遊び、共に学び・・・。そして、同じ男に恋をした。」
美月が頁をめくると、そこには身なりのよい、一人の青年が描かれていた。
「え?・・・この人は昼間の・・・。」
沙代子はそう言い掛けて口をつぐむと、眉根を寄せた。
「・・・違う・・・昼間の人に似てるけど、この絵の人の方がずっと優しそう。」
「そうね。・・・この絵の頃の彼はまだ、穏やかな心と慈しみの心を失っていなかった。・・・でも、ある日を境に彼は豹変してしまったの。」
「豹・・・変?」
沙代子の問いかけに、険しい顔で肯いた美月は、思い出すかのように目を閉じた。
・・・そう、まるでその時の事を鮮明に思い出そうとしているかのように。
美月は再び目を開けると、忌まわしげに話を続けた。
「ここが・・・空印寺。」
小浜藩主の菩提寺として一部で有名なこの寺には、ある伝説が残されている。
岡崎刑事は、その伝説について、タクシーの運転手から話を聞いていた。だが、話よりも、この場所へと近づくにつれて強く感じ始めた感情を、努めて押さえ込もうとした結果、伝説の話を上の空に近い感じで聞く事となった。このため彼は伝説の細部を憶えてはいない。
彼の内面を支配した感情。その感情とは『恐怖』である。
『・・・この感じは、2年前の一家族が皆殺しにされた現場でのモノを遥かに凌駕している』
岡崎は、軽く頭を振って、恐怖感を吹き払おうとした。
と、その時。
『!!・・・!?』
強烈な寒気に反射的に振り向いた岡崎の目と鼻の先に、一人の少女が佇んでいた。
・・・美しい少女である。淡い栗色の髪。気品に満ち、整った顔立ち。
だが岡崎は、その少女がこの世ならざるものである事を確信していた。
少女は、その身に薄衣一つ帯びておらず、均整の取れた眩い裸身を惜しげもなく晒している。思春期の只中の少女らしい、幼くも無く、かといって完全に成熟しているわけでもない、微妙なラインを描くその裸身は、膝の先ぐらいから、周囲の空気に同化し消えている。
美しい大き目の瞳からは涙が溢れ、何かを訴えるかのように岡崎を見つめている。
『・・・??』
岡崎は、少女の悲しみの感情が、まるで暴風のようになって自分を貫いていくのを感じ、冷たい汗を流した。
少女は、ゆっくりと腕を上げると、一つの方向を指差した。
そして、悲しみの表情を浮かべたままで、ゆっくりと、辺りの景色に溶け込むように消えて行った。
少女が消え去ると同時に、岡崎はその場に膝を着いた。
「・・・なんて凄まじい悲しみの念なんだ。」
岡崎は、大きく息をついてから、ふらつく身体を何とか立たせると、少女が指差した方向に向かってゆっくりと歩き始めた。
「確か・・・この方角だったな。」
岡崎が進む先には、一つの洞窟らしきものの入り口と、その傍らに建つ石像のような物が見え始めていた。
「八百比丘尼入定洞・・・ん?」
岡崎は、その洞窟の前に誰かが倒れている姿を見つけた。
慌てて駆け寄ると、体中いたるところから血を流した老人が、苦しそうな息をしている。
「お爺さん、しっかり!!」
岡崎の声にうっすらと目を開いた老人は切れ切れに言葉を紡いだ。
「・・・う、海の・・・魔女・・・。・・・深海よ・・・り・・・来・・・たる魔人のいくさ・・・びと・・・が・・・。」
「喋らないで。・・・すぐに救急車を・・・。」
そう言った岡崎の背後から、奇声を上げて何者かが襲い掛かった。
咄嗟に、老人を抱えたまま飛びのいた岡崎は、そこに不気味な怪物の姿を見た。
「お前は!!」
全身を覆う、青緑色の鱗。棘とも鰭ともつかぬ突起がいたるところに隆起したその怪物は、映画に出てくる半魚人を思わせた。
だが、岡崎はその姿に脳裏にひらめくものがあった。
「ゴルゴムか!」
岡崎の叫びに、半魚人が唇の端を奇妙に歪めた。・・・笑ったのだ。
「イカニモ。・・・ソレヲシッテイルナラ。マスマス、ニガスワケニハイカンナ。」
半魚人は、口から唾液を滴らせながら岡崎と老人に迫った。
「・・・さっきのお客さん、車内にこんな忘れ物されても困るってば。」
この道15年の、ベテラン運転手である水木は、先程乗せたお客が忘れた鞄を届ける為空印寺にやってきていた。
「・・・??・・・やけに騒がしいな?」
水木運転手は、その騒音に導かれるように、八百比丘尼入定洞に向かった。
「・・・へ?」
そこに繰り広げられている光景は、彼の理解を超えていた。全身をヌラつかせた醜悪な怪物が、先程の乗客に馬乗りになっている。・・・そのすぐ傍らには、血まみれの老人が横たわっている。
「こ・・・これは一体?????」
岡崎は、視界の端に運転手の姿を認めると、即座に叫んだ。
「運転手さん!・・・そのおじいさんを連れて早く病院に!!」
「え?え?」
瞬間判断に迷う水木運転手。その耳に、再び岡崎の叫び声が響く。
「早く!!」
その叫びに、弾かれたように駆け出した水木運転手は、老人を担ぎ上げると一目散にこの場を逃げ出した。
「グッグッグ。・・・ムダナコトヲ。ワガスガタヲミタモノハ、ヒトリトシテ、イカシテハオカン。・・・ゴタイヲヒキサキ、ゾウモツヲマキチラシテクレル!!」
そういって不気味に笑う怪人の顎に、渾身の力で拳を叩き込む岡崎。
押さえ込む力が幾分緩んだのを見計らって岡崎は半魚人の戒めから逃れた。
間合いを取って立ち上がる岡崎は、半魚人をにらみつけながら、ベルトのバックルを軽く触った。
そして、凛とした声で叫んだ。
「変身!!」
瞬時にバックルから光が発せられ、岡崎の身体をコンバットスーツが包み込む。
「ナンダト!?」
驚く怪人の目の前で、変身した岡崎の身体が消えていく。
「バカナ?・・・キエル??」
辺りをキョロキョロと見回す半魚人の背後から空を切り裂く音がする。
慌てて振り向く半魚人の胸元に、一筋の傷が刻み込まれる。
「ギッギェーーーッ??」
その傷口が広がると同時に勢いよく鮮血が吹き上がる。
「オ、オノレ・・・ドコダ・・・ドコニ??」
耳を澄ますと、微かに大地を蹴る音が聞こえる。しかし、その音に反応するよりも早く、斬撃が襲い掛かる。
満身創痍といった観を呈してきた怪人の前に、空気から滲み出るように岡崎のC・スーツが姿を現す。
岡崎は、半魚人に向かって指を突きつけた。
「・・・一体お前たちは、ここで何をしようとしているんだ?・・・何故、あの老人を襲った!」
半魚人は、憎憎しげに岡崎をにらみ付けると口を開いた。
「・・・アノオイボレハ、ヒミツニセマリツツアッタ。・・・アルジノケイカクヲハバムモノ・・・ソノハイジョハ、ワレラガシメイ。」
「計画とは何だ!」
「・・・キサマガシルヒツヨウハナイ。・・・4ニンノオトメ。VICTIMノギシキノタメ、トキヲコエテPIECEハソロッタ。」
半魚人は恍惚の表情を浮かべてそう言うと、唐突に岡崎に飛びついてきた。そして、不意をつかれ逃げそこなった岡崎にしがみつく。
「アルジノ、イダイナルケイカクノタメ、キサマハ、ワタシトトモニシヌノダ!!」
岡崎は苦笑を浮かべた。
「お断りだ。」
「・・・?・・・ゲヤァツ?!」
C・スーツの一部が変形し、銛のようになったその切っ先が半魚人の胸板を貫いた。
断末魔の叫びを上げる半魚人が最後に見たものは、陽光を反射して迫る鋭利な刃物だった。
胴体から切断された首が宙を舞う。その首が地面に落ちるのと同時に怪人の死骸が激しく燃え上がり、瞬く間に全てを燃やし尽くすと灰となって崩れ去った。
岡崎は怪人の成れの果てが風に飛ばされていくのを目で追いながら変身をといた。
「VICTIMの儀式・・・。4人の乙女?・・・奴らは一体何をしようとしているんだ?」
岡崎は、再び怖気を感じ視線を転じた。
洞窟入り口の上方。そこから、悲しげな表情を浮かべた先程の少女が岡崎を見下ろしている。
「・・・君は誰なんだ?・・・何故そんな顔で私を見る?」
少女は、微かに口を動かした。
「・・・タスケテ。」
「え?」
「・・・オネガイ。・・・ワタシタチヲ・・・ワタシタチヲタスケテ。」
少女は涙を流しながら再び消え始めた。岡崎は慌てて叫んだ。
「待ってくれ!・・・君は・・・君は一体!?」
少女が消え去る寸前に少女の名が岡崎の意識に滑り込んできた。
「西九条・・・咲夜?」
岡崎は、しばし呆然と少女の消えた空中を見上げていたが、気を取り直して寺への道を引き返しだした。
「あの老人は助かっただろうか・・・。」
先ほどは動転していた為失念していたが、彼こそが岡崎の探していた浦田老人に間違いなかった。
「きっと、あの老人ならば何か知っているはず。・・・助かっていてくれよ。」
岡崎は、そう祈るような気持ちで走り出していた。
吾妻美里は、善蔵老人を伴って、再び浜辺へとやってきていた。
そこには、当然のようにあの男、仲嶋正成が佇んでいる。
身構える善蔵を軽く制すると美里は口を開いた。
「・・・どうしたのです。今日は連れ去ろうとはなさらないのですか?」
仲嶋は苦笑を浮かべた。
「君が連れ去って欲しいならそうする事はやぶさかではないがね。・・・ひどいじゃないか、あんなボディガードを連れているなんて。」
「・・・何のことです。」
仲嶋は意地の悪い笑みを浮かべた。
「とぼけるつもりかい?・・・秋月信彦だよ。・・・よもや奴の素性を知らないとは言わせないよ。」
「・・・。」
表情を変えずに無言で仲嶋を見据える美里に、仲嶋は肩をすくめて見せた。
「・・・まあ、いいさ。しかし、我々は相手が秋月信彦であろうと遠慮するつもりは無いよ。・・・こちらも着々と人員は揃いつつあるんだ。・・・いずれは、君も・・・他の二人も私の手に落ちるさ。」
仲嶋は勝ち誇ったような表情で美里を見つめる。
「咲夜と同じようにね。」
その言葉に美里は微かに眉を動かしたものの揺るぐことなく仲嶋を見据え続ける。
「・・・まあ、そう睨むなよ。今日は引き上げるさ。・・・まあ、近いうちに昔馴染みで宴が開けると思うけどね。」
「邪悪な宴など願い下げです!」
「・・・君も・・・いい加減事実を認めなよ。・・・過ぎた過去は戻らない。思い出の時間は二度と・・・。」
その一瞬だけ、仲嶋の表情に悲しみの色がよぎったように思えた。
だが、再び顔を上げたときには、いつもの人を見下した表情に戻っていた。
「じゃあね。・・・また会おう。」
仲嶋はそう言って踵を返すと二人の前から立ち去って行った。
無言でその姿を見続ける美里。
しばらくしてから、善蔵は躊躇いがちに声をかけようとして美里の顔を覗き込んだ。
そして、慌てて元の位置に戻り口をつぐむ。
美里の瞳からは涙が溢れていた。
夕闇が迫る中、浜辺に佇む主従の姿は、砂浜にひどく寂しげな影を作っていた。
嫌味でない程度に上品な別荘。白系の色調でまとめられたその別荘の一室で、一人の男がくつろいでいた。
夕日が、水平線に沈む様子を目を細めて眺めながら、口元にティーカップを運ぶ。
「・・・全く、奇跡そのもののような星だな、この地球は。」
男が、そういって微妙な表情を浮かべた。
それは、ゴルゴムの神官の一人として、数々の陰謀をめぐらせるこの男にしては、珍しい表情でもあった。
ドアをノックする音が室内に響く。
男、デルフィムはいつものような表情に戻ると、入室するように声をかけた。
メイドに案内されて部屋に入ってきたのは、愛美だった。
デルフィムは、笑みを浮かべると自分の真向かいのソファーを勧める。
彼女が腰を下ろしたと同時に、デルフィムは口を開いた。
「ようこそいらっしゃいました。長旅で・・・。」
口上を述べようとしたデルフィムをさえぎると、愛美は問いかけた。
「無駄話をする気は無い。・・・早く会わせてもらおう。」
デルフィムは、肩をすくめると、ゆっくりと立ち上がって愛美を手招きした。
愛美が立ち上がるのを見届けると、デルフィムは先にたって歩き始めた。
別荘の地下には、外観からは想像も付かないような施設が広がっていた。
まるで、病院か研究所のような印象を受ける長い廊下を歩くと、突き当たりにいくつかのエレベーターが姿を現した。
デルフィムは、迷うことなく一番端のエレベーターに乗り込む。愛美もその後に続いた。
デルフィムと愛美は一言も言葉を交わすことなく無言のまま下降する鉄の箱に身をゆだねている。
どれぐらい下降したのだろうか。
軽い振動と共にエレベーターが停止すると、ゆっくりとその扉が開いていく。
「・・・まっすぐ行った、突き当りの部屋です。私は邪魔をしませんので、どうぞごゆっくり。応接室でいますので対面が終ったらお越し下さい。・・・では。」
デルフィムは一礼すると、再びエレベーターの中へと消えて行った。
愛美は、それを見届けると、ゆっくりと廊下を進み始める。
その歩みは、徐々に早くなり、最後には駆け足に近い速度で正面のドアの前に立った。
いささか震える指でドアノブをまわす。
呼吸を整えながら室内に入ると、後ろ手にドアを閉じた。
愛美の視線は、室内に入る時から一点を見つめたまま動かない。
部屋の中央には、大きな細長い箱が置かれている。
愛美は唇を震わせながらその箱に歩み寄る。
「・・・やっと。・・・やっと会えた。」
愛美は、愛撫するかのように箱をなでると、その箱に頬を寄せた。
「・・・永かった。・・・この日を・・・この日をどんなに待ち望んだ事か。」
愛美の手が触れるたびに、その箱は淡く発光していくようだ。
何とも形容しがたい空気が狭い室内を満たしていった。