第4話 雨と少女(後編)


晴れた日曜日には、少年野球や、サッカーなどの試合が行われる河川敷のグラウンド。

しかし、今日ここに集まっているのは、いつもの笑顔を浮かべた子供たちではない。

 

降り続く冷たい雨の中、仏頂面をした警察官がせわしなく動き回っている。

グラウンドの中央には、明るめのエプロンを身に付けた女性が横たわり、救急車がやってくるのを待っている。・・・もっとも、もはや自力では救急車に乗る事は叶わないのだが。

 

刑事たちは、苛立たしそうに小声で話し合っている。

「・・・クソッ!これで四件目か。」

「おい、あの女性の子供は?」

「・・・現在確認中なのですが、幼児の様子を見ていたはずの明石と連絡が取れんのです。」

「・・・!!・・・あの馬鹿。何をやっとるんだ。」

 

彼らのイライラが、限界に達しようとしていた時に、近藤が姿を現した。

「よう。・・・またやられたんだってな。」

その声に、刑事たちの顔が少し和らぐ。

「警部補!・・・ええ、やられてしまいましたよ。」

「ガイシャは、護衛対象だった女性か?」

「はい、この近所に住む主婦です。・・・まだ未確認ですが、子供の方もおそらくは・・・。」

「・・・そうか。明石はどうした?」

「それが、先程から・・・。」

その時、一台のパトカーが、滑り込むように駐車場へと入ってきた。そして、その周囲の警官がざわめき始めた。

「何だ?」

数人の警官が走ってくる。

「大変です。明石刑事が重傷です。」

「何だと!」

「ガイシャ宅周辺の路上で、血まみれで発見されました。現在近くの病院で手当てを受けていますが・・・。」

「・・・ひどいのか?」

警官は沈痛な面持ちで答えた。

「医者の話では、意識が戻るかどうかは微妙なところだと・・・。」

刑事たちは、一様に黙り込んだ。

 

彼らを見下ろす土手の上では、野次馬に混じって、信彦たちの姿があった。

その表情は固い・・・。

この場に集う人々の気持ちを吸い込んでいるのだろうか?雨は陰鬱な気を湛えながら、飽くことなく降り続けている。

 

遠くから救急車のサイレンが聞こえ始めていた・・・。

 


 

翌日は、日曜日だった。相変わらず、今にも降りそうな空模様の下、信彦たちは今日もまた、記憶の手がかりを求めて町に繰り出していた。

 

昼過ぎになって、一度アパートに戻ることにした信彦たちは、川沿いの道を並んで歩いていた。空は、いよいよ灰色に染まり、重苦しい雰囲気を醸し出している。

 

信彦たちが、昨日の母子のマンションの前を通りかかると、丁度玄関から、母親の方が飛び出してきた。

信彦たちの姿は、全く目に入っていないのか、鬼気迫る表情で、手にした真っ赤な園児カバンをゴミ捨て場のポリ容器の中へと叩きつけるように投げ入れた。そして、容器の蓋を閉めると、その場に崩れるように座り込んだ。

 

やがて、肩が小刻みに震えたかと思うと、まるで気が触れたかのように泣き叫び始めた。

その異常な様子に信彦たちは、慌てて母親に駆け寄った。

 

なんとかこの女性の名前を思い出そうとしながら、信彦は、その肩をつかんでゆすぶった。

「しっかり!しっかりしてください!・・・松原さん!松原さん!!」

 

しばらくそうしていると、ようやく落着いたのか、母親は信彦の方を見た。

「・・・昨日の・・・。」

信彦は頷いた。

「どうしたんです。・・・何かあったんですか。」

母親は、今度は声を殺したまま泣き始めた。

その涙に呼応するかのように、大粒の雨が滝のように地面を打ち始めた。

 


 

「なんだって?・・・すまん、最近、歳のせいか耳が遠くなってな。」

近藤は、向かい合って座っている若い刑事に聞き返した。

「ですから、殺された4人の被害者ですが、みな一様に怪奇現象に悩まされていたそうなんです。」

近藤警部補は溜息をついた。窓の外の豪雨を眺めながら、あきれたように話し始める。

「・・・馬鹿馬鹿しい。この科学万能な時代に怪奇現象なんてあるもんかい。」

若い刑事は缶コーヒーを一口飲むと、近藤をじっと見つめた。その様子に警部補は肩をすくめた。

「意外だな。お前はこんな話を信じる方じゃないと思っていたんだがな、風杜。」

「私は、警部補が科学万能という台詞をおっしゃったことの方に驚いていますよ。」

風杜と呼ばれたその若い刑事は、逆に聞き返した。

「ぶっ!」

近藤は危うく飲みかけの缶汁粉を吹きだしそうになった。

「・・・痛いところをつきやがって。・・・で、その怪奇現象って奴はどんなことが起こるってんだ?」

「はい、殺害前に被害者たちが周囲にもらしていたことは4人とも共通しています。」

風杜刑事は一呼吸置いて答えた。

「水と、赤い園児カバンです。」

 


 

「怪奇現象ですか?」

少女の母・松原淑子は蒼ざめた顔で頷いた。

信彦は、その表情から彼女が嘘を言っていないことを感じ取っていた。

「・・・ごめんなさいね。・・・まだあまり面識の無い人にこんなことを言って。・・・おかしな女だと思うでしょ。」

信彦はかぶりを降った。

「いいえ。僕にはわかります。・・・あなたは嘘は言っていない。・・・よろしければ、詳しく聞かせていただけませんか?あなたたち親子に、一体何が起こったのかを。」

淑子は、幾分生気を取り戻した顔でぽつりぽつりと、話し始めていた。ここ数ヶ月で、彼女たち親子に起こった奇妙な出来事を。そう、水と、赤い園児カバンの話を・・・。

 


 

「・・・で、風杜。結局お前さんは何が言いたいんだ?」

近藤警部は若い刑事に尋ねた。風杜刑事は直接それには答えずに別の話を切り出した。

「病院に担ぎ込まれた明石ですが、うわごとばかり言っているようです。『怪物が・・・。怪物が・・・。』ってね。」

近藤は、怪訝そうな顔をした。その近藤に、風杜は真顔で聞いた。

「警部補、半年前の大規模テロ事件を覚えていませんか?巨大な獣を使役して、政府転覆を企んだカルト集団のことを。」

警部補は、やれやれという顔をした。

「たしか、ゴムゴムとか言ういかれた連中のことか?・・・おまえ、ありゃ確か内偵を進めていたアジトが崩壊して、自滅したそうじゃないか。」

風杜は溜息をついた。

「警部補。・・・細かいようですがゴムゴムではなくゴルゴムです。・・・一説では自滅ではなく、ある一人の男によって壊滅させられたとか。」

近藤は笑い出した。

「知ってるよ。何でも『仮面ライダー』がやったそうじゃないか。」

「私は、ゴルゴムが完全に壊滅したとは思っていません。一人の英雄の力にはおのずと限界があるはずです。・・・もし、その残党が残っていたら・・・。」

「・・・おいおい、まさか信じてるのか?『仮面ライダー』ってのは俺が若い頃にやってたジャリ番組だぜ?」

「・・・。」

風杜は腕を組んで黙り込んだ。近藤はやれやれといった表情で尋ねた。

「・・・で、お前さんが『仮面ライダー』を信じる根拠は何だ?」

「勘です。」

間髪いれずに答える若い部下に、近藤は笑みを返した。

「言い切りやがったな。・・・いいだろう、俺も付き合ってやるよ。」

近藤は立ち上がった。風杜も立ち上がる。並んで歩きながら、近藤は言った。

「もし、本物の仮面ライダーがいるのなら会ってみたいもんだ。」

近藤はにやりと笑った。

「実は、藤岡弘のファンなんだ。おれ。」

 

彼らの元に、『路地裏で第5の被害者発見される』との報がもたらされたのは、このすぐ後のことだった。

 


 

「いいですか、絶対に一人にはならないで下さい。夕方頃に再びここに戻ってきますから、そうしたらここを出ましょう。それまでは何があってもここにいてください、いいですね。」

信彦の言葉に、松原親子は頷いた。

「繰り返しますが、一人にはならないで下さい。」

信彦は、あゆみの方を振り返ると口を開いた。

「昨日の刑事さんに会ってくるよ。・・・僕が帰ってくるまでこの人たちを頼む。」

「解りました。・・・お気をつけて。」

信彦は頷いた。

 


 

信彦は、近藤警部補を訪ねるため、警察署へとバイクを飛ばした。

しかし、運の悪いことに、すれ違いを繰り返すこととなった。最後に警察署を尋ねたときなどは、丁度行き違ってしまったのか、彼らは、あの親子のマンションへと向かった後だった。時計を見ると、もう4時を回っている。

「・・・まさか、行き違うなんてな・・・。先に、あの親子を安全な場所に避難させたほうがよかったかも・・・。」

信彦は、再びバイクを駆ると、薄暗くなり始めた街を疾走し始めた。

 


 

「残るは、この松原親子だけだな・・・。」

近藤は、ファイルをめくりながら独り言のように言った。

「・・・ええ、他の親子は異常が見られませんでしたからね。・・・ここも異常なければまた一度署に戻りましょう。」

「・・・この親子についてたのは誰だったかな?」

「江田と松浦が張り込んでいるはずです。」

「そうか。」

二人は、足元の悪い川沿いの道を、言葉少なく歩き始めた。

と、その時、背後から猛スピードで、バイクが二人を追い越し、車体を半ばスリップさせながらも急停止した。

近藤は思わず怒鳴った。

「コラッ!!スピード違反で逮捕するぞ!!」

バイクから降りた男は慌てたように小走りで駆け寄ってきた。そして、フルフェイスのメットをはずした。

「・・・!お前さんは!!」

信彦は近藤に駆け寄るとその肩をつかんだ。

「よかった!近藤さん、探してたんですよ。」

「・・・どうしたんだ?一体?」

「実は・・・。」

信彦は、松原淑子から聞いた話を、二人に話した。

話し終えた信彦は、半ば馬鹿にされることを覚悟していた。あまりに突拍子もない話だからだ。だが、二人の刑事の反応は違った。

「危険だな。・・・急いだ方がいいかも知れん。」

「そうですね。」

二人は傘を放り投げると駆け始めた。信彦も慌ててその後を追う。

 

もう少しでマンションというところで、三人の前に何かが投げつけられた。

「!!」

咄嗟に身をかわした三人は、たった今投げつけられたものが、胸板を貫かれ大量の血を吹きだしている男性の死体であることを確認した。

「江田!!」

近藤警部補の悲痛な叫びが響く。その叫びと前後するように、ありえない方向に首をねじられた若い男が、投げつけられる。

「松浦・・・。」

風杜刑事は絶句した。水溜りに叩きつけられた男は微動だにしない。

 

信彦は、キッとした表情で前方を見据える。やがて、薄暗い中を一人のライダースーツの男が歩いてきた。雨にぬれたその顔は、死人のごとく無表情だった。

「・・・やったのはあいつか!」

そう近藤が叫んだのと同時に、ライダースーツの男は駆け出して信彦に体当たりを喰らわせた。そして、あろう事か、その体を数メートルも吹き飛ばしたのだ。

『・・・!・・・こいつは、人間じゃない!!』

ライダースーツの男は信彦に飛びつくと、馬乗りになった。そして、腰に装着されていた一対のナイフを抜き放った。

 

ガーン!

ガーン!

 

二発の銃声が響く。その弾丸は、驚くべき正確さで、男の持つナイフの刃を折り飛ばした。

男は、うつろな瞳で自分の邪魔をした男を見た。

ニューナンブを構えた風杜刑事がそこにいる。その銃口からはまだ、煙が立ち昇っている。

 

「動くな!おとなしく投降しろ!・・・でなければ今度は貴様に当てるぞ!」

男は、無表情のまま立ち上がった。そして、そのまま、風杜刑事に襲い掛かる。

「警告はしたぞ!!」

風杜は続けざまに引き金を引き絞る。

2発の銃弾が男の両足に命中する、しかしその速度は衰えない。

「・・・防弾仕様のスーツか!・・・ならば。」

風杜は男の眉間を狙って銃弾を放った。それは、狙いたがわず男の眉間を貫く・・・はずだった。だが、その銃弾は甲高い金属音とともに跳ね返されていた。

「そんな!」

驚く風杜の鳩尾に男の拳が叩き込まれる。

「ガハッ!?」

その場に崩折れる風杜に目もくれずに男は近藤警部補につかみかかる。

「なめるなよ。・・・でやっ!」

近藤警部は、男の攻撃をうまく裁くと、見事な背負い投げで、男をアスファルトへと叩きつけた。・・・だが。

男は何事もなかったかのように立ち上がると近藤の後頭部に軽い一撃を加えた。

「・・・!」

男は、昏倒する近藤を蹴飛ばすと、信彦の方へと振り返った。だが、その動きが止まる。

彼はそこに、ポーズをとって立つ信彦の姿を見た。信彦は構えを崩さずに叫ぶ。

「ヘ・ン・シ・ン!!」

瞬時に銀色の戦士へと姿を変えた信彦は男に指を突きつけた。

「・・・貴様、サイボーグ・・・いや、アンドロイドか。」

シャドウへと変身を遂げた信彦の目には、男の内部構造がはっきりと見えていたのだ。

男は、無表情のまま右手を顔にやると、勢い良く皮膚を引き裂いた。

本物と見まがう人工皮膚の下からは、人間の頭蓋骨を模した黄金色の頭部が姿を現していた。

骸骨男はシャドウににじり寄ってくる。シャドウはその動きを注意深く見ながら、間合いを計る。

次の瞬間、二人は同時に跳躍していた。

 


 

「淑子さん?」

ベランダに出て洗濯機の中の洗い物を取り込んでいたあゆみは、玄関のドアが開く音を訝しく思い室内へと戻った。

すると、そこには、半べそをかいた少女がいるだけだ。

「郁子ちゃん。お母さんは?」

少女は泣きながら話した。

「・・・お母さん、急に飛び出して行っちゃった。」

「えっ!」

慌てて追いかけようとしたあゆみは頭部に衝撃を受けて前のめりに倒れた。

『・・・何?』

薄れ行く意識の中で、巨大な何かを目の端にとらえた彼女は、それがやがて黄色いレインコートに変化していく様を見た。

『・・・レイ・ン・・・コー・・・・ト・・・。』

そして、完全に意識を失っていた。

 


 

骸骨男とシャドウの戦いは続いていた。完全にシャドウが押しているのだが、相手は痛みというものをプログラムされていないのか、どんなに傷つき、ボロボロになろうとも攻撃の手を休めないのだ。

 

「チッ!!・・・ここで時間を浪費するわけにはいかない!!」

シャドウの拳が緑色に発光する。

そして、飛び込んでくる骸骨男に向かってその輝く拳を叩き込んだ。

 

「シャドウ・パーンチ!!」

 

その一撃は、男の胴を貫き、その体を両断した。その威力のすさまじさに男の下半身は完全に崩壊した。

 

「・・・やったか。」

ピクリとも動かないその残骸に向かってシャドウは近づいた。

「これほどの戦闘力のアンドロイド・・・一体誰が、何のために。」

と、その骸骨男のむき出しとなった胸部に、何かのプレートが溶接されているのが見えた。

思わずかがみこむシャドウ。

 

「そんな!・・・あのマークは!」

その途端、いままで、全く動かなかった残骸がいきなりシャドウに抱きついた。

「な!!」

同時に閃光が走る。次の瞬間には大音響とともに炎の柱が天空へと伸びた。

 

その炎が治まると、傷一つついていないシャドウが立ち尽くしていた。

「・・・ゴルゴム・・・なのか?」

その時、彼の強化された聴覚が、女性の悲鳴を捉えていた。

「・・・!・・・これは、淑子さんか!!」

シャドウは叫んだ。

「ロゥカスト!!」

間髪いれずに跳躍する。その着地地点には、いつの間に現れたのか、赤銅色に輝くバッタ型のマシンが彼を待ち受けていた。

 

跨ると同時にアクセルを全開にすると、シャドウは闇の度合いを増す豪雨の中を駆けていった。

 


 

「・・・ッ痛ぅ!」

あゆみは後頭部を抑えながら立ち上がった。その耳に水音が飛び込んでくる。

「・・・お風呂場?」

彼女はふらつきながら風呂場を覗き込んだ。

「・・・!!郁子ちゃん!!」

そこには、びしょぬれになった少女が咳き込んでいた。

あわててその背をさすると、少女が抱きついてきた。

「・・・もう大丈夫。」

少女は首を振った。あゆみは戸惑ったような表情を浮かべた。

「違うの!・・・ママを・・・ママを助けて。あの子は私じゃない!私じゃないの!!」

「郁子ちゃん?」

「急いで!ママが・・・ママが危ない!!」

あゆみは、少女を抱き上げると玄関から走り出た。

「あれは・・・!!」

 

あゆみと郁子は、突き当りのエレベーターの中で、必死の表情で少女を抱きしめている淑子の姿を見た。淑子は二人に気づいたのか、驚いたかのように自らが抱きしめた幼子を見た。

彼女が抱いている少女もまた、郁子だった・・・。

 


 

疾走するシャドウは、急に不可思議な気配に包まれた。

『これは・・・!始めてこのマンションに来たときに感じた!!』

『ジャマシナイデ!!』

「うっ!」

強烈な思念波がシャドウの脳裏に突き刺さる。

「何だ!!」

『ままハ、ワタシダケノまま。・・・ダレニモワタサナイ。』

その思念と同時に、シャドウにはその思念波の持ち主の記憶が流れこんできた。この思念の持ち主は一度死んでいる。・・・その死に至る事故の顛末をも彼は知った。そして、その持ち主が、何と出会い、どういう状態として復活したのかも悟った。

 

「・・・そうか、・・・そういうことなのか。」

シャドウは歯軋りした。

「・・・人をもてあそぶことをやめないのか、あいつらは!!」

シャドウは、思念波を弾き飛ばすとさらに加速した。

そして、ロゥカストを大きくジャンプさせるとさらにそこから跳躍した。

 


 

「淑子さん!!」

「ママ!!」

駆け寄ろうとする二人に向かって淑子は叫んだ。

「来ちゃダメ!!」

二人の動きが止まる。

 

彼女は覚悟を決めていた。全ては、この腕の中の悲しき少女が巻き起こした事件だったということを悟った彼女は、その悲しみと、生者への憎悪が愛する娘に向けられることをなんとしても阻止しようと考えたのだ。

そして、彼女には自らを犠牲にして娘を救う道しか思いつかなかった。

 

淑子は、その腕の中の少女・・・いまや半ば腐敗した緑の皮膚をさらす少女を抱きしめた。

「・・・そうよ・・・私が・・・ママよ・・・。」

「m・・・m・・・」

少女が聞き返す。

 

「ママ!!」

泣き叫ぶ郁子に微笑みかけた淑子は、あゆみに頭を下げた。

「・・・郁子を、・・・郁子を頼みます。・・・どうか父親のもとへ・・・。」

「淑子さん!!」

「ママ!!」

 

エレベーターのドアが無情にも閉じようとする。涙を流しながらも笑みを浮かべる淑子の姿が徐々に隠れていく。

 

「ママ!!」

あゆみの腕から飛び出した郁子が、駆け出そうとして転倒した。

泣きながらあらん限りの力を声にしてもう一度叫んだ。

「ママ!!」

 

その時、銀色の疾風が駆け抜けた。

 

少女は見た。

今まさに閉まらんとする鉄の扉をこじ開けようとする銀色の戦士の姿を。

幼稚園で男の子たちが言っていた言葉が浮かぶ

「・・・仮面・・・ライダー?」

 

母は見た。

再び開こうとする扉。

そこから現れたのは、銀色に輝く異形の人影だった。

一見すれば髑髏と見紛うその顔。しかし、不思議と恐怖は浮かばなかった。むしろ、奇妙な安堵感が彼女を満たす。

幼き日に、ブラウン管で見たあるヒーローのことを、彼女は思い出していた。

「・・・仮面・・・ライダー?」

 

シャドウは、渾身の力を込めて扉を完全にこじ開けた。そして、驚きの表情を浮かべる母親に諭すように言った。

「お母さん。ここであなたが犠牲になったとしても誰も救えませんよ。・・・あなたの娘さんも、そして、その子もです。あなたの選んだ道では、何も解決しません!!」

「・・・あ、あなたは?」

 

突如、幼児の体から強烈な瘴気が噴出した。その勢いはすさまじく、淑子はエレベーター内の壁に叩きつけられた。

 

幼児の体が徐々に膨れていく。

「ジャマヲスルナト、イッタハズダ!!」

巨大な1対の腕。鋭く尖った口吻。腹部には1対の複足を持ち、異常に筋肉の発達した足で直立したその姿は、ベースとなった昆虫の特徴を残していた。

 

「・・・水棲昆虫、・・・おそらくはタガメ・・・か?」

いまや怪物と化した少女は、シャドウに襲い掛かってきた。頑丈な腕でシャドウを掴むと、そのまま階段へと叩きつける。

「ぐっ!!」

シャドウは、苦鳴をもらしながらも、その攻撃に耐えた。

そして、逆に腕をひねり上げると、怪物を投げ飛ばした。エレベーター脇の壁に激突した怪物は、奇声を上げながら、羽を広げ、飛翔した。

廊下に設けられた手すりから、身を乗り出すと屋上へ向けて羽ばたいたのだ。

「逃がすものか!」

 

シャドウは、エレベーター内で気を失っていた淑子を抱え起こすと、あゆみに託した。

「決着をつけてくる。この人たちを頼む!」

あゆみは頷いた。

「解りました。・・・お気をつけ下さいシャドームーン様。」

シャドウは軽く片手を挙げて応えると、手すりに駆け寄ってそこから上方へと跳躍した。

 


 

雨は、止み始めていた。雲の切れ間から月光が差す。

タガメ怪人は、給水タンクを前にシャドウを待ち構えていた。

シャドウに対し、再び思念波が叩きつけられる。

「ジャマスルモノニハ、シヲ!!」

タガメ怪人が、腕を振るうと、その周囲に、直径1メートルほどの球状の液体が数個出現した。

『水?』

怪人が腕を交差させると、その球体が、一斉にシャドーに襲い掛かる。

 

『・・・超能力が使えるのか?・・・いや、怨霊のなせる業か・・・。』

シャドウの両手が淡く光る。そして、次々に襲い掛かる球体を鋭い手刀で粉砕する。

全ての球体を粉砕したシャドウは、気迫のこもった眼差しを怪人に向ける。

 

しかし、怪人はその眼光にたじろぐことなく、口元を歪めた。

 

『笑った?』

シャドウは、その時月光に照らされて巨大な影がゆらめいていることに気づいた。

 

「しまった!上か!!」

 

空を振り仰ぐと、先程のものの数倍はあろうかという球体が落下してきた。

『よけきれない!!』

球体に包まれたシャドウは、たちまち呼吸困難に陥った。改造人間である彼は、水中でも数分に渡って呼吸せずとも平気であるにもかかわらずである。

 

『・・・そうか!被害者が水死した原因はこれか!!』

シャドウは球体の中でもがく。

『徐々にエネルギーが奪われる・・・。ただの水じゃないな・・・。』

 

膝を屈しようとしたときに、何者かの声が響いた。

『信彦!おまえの力はこんなものではないはずだ!!』

『誰だ・・・?』

『キングストーンの力を・・・。おまえ自身の力を解放するんだ!!』

『解・・・放?』

一瞬、彼の脳裏に黒髪の青年のイメージがよぎった。

『・・・誰だ?・・・知っている?・・・僕は・・・君を知っている・・・。』

 

次の瞬間、彼のベルトから眩いばかりの緑光が溢れ出した。

その光に押されるかのように、音もなく消えていく球体。

 


 

「警部補・・・しっかりしてください警部補!」

若い刑事に支えられながら近藤はふらつきつつも走っていた。

「・・・ちっ。あの若いのはいなくなってるし、後には機械の部品みたいなのが散らばってるだけだし、一体何がなんだか?」

「!!・・・警部補!あれを!!」

風杜刑事が指差す先、そこではマンションの屋上から緑の光が発せられていた。

 


 

「・・・もう、こんな悲しいことは終わりにするんだ。」

シャドウは怪人に話しかけた。

「ウルサイウルサイウルサイウルサイウルサイウルサイウルサイウルサイウルサイウルサイウルサイウルサイウルサイウルサイウルサイウルサイウルサイウルサイイイイイイイイ!」

 

半狂乱になって襲い掛かってくる怪人の攻撃。それはまるで駄々っ子が腕を振回すのに似ていた。

かすりもしないその攻撃を、軽いステップでかわしながら。シャドウの心は深い悲しみで満ちていた。

 

『・・・この子は、まだホンの子供なんだ。・・・善悪の判断ができない、ただの幼い子供。・・・何とか救えないのか?この子供の魂を。』

 

と、シャドウの耳に、階段を駆け上がってくる足音が聞こえてきた。

「何!?」

 

勢い良く屋上の扉が開くと二人の刑事が駆け込んできた、そして、目の前の光景に唖然として立ちすくむ。

 

怪人は、その二人を見逃さなかった。シャドウへの攻撃を中止して、二人の刑事に襲い掛かる。

「やめろ!やめるんだ!!」

その耳に、シャドウの声は届かない。

「シネ!!」

 

シャドウは跳躍した。その両足が緑に輝く。

「シャドーキッーーク!!」

鋭い蹴りは、今まさに刑事たちの首元に鋭い腕をつきたてようとしていた怪人を吹き飛ばした。

給水タンクに叩きつけられた怪人は、そのままコンクリートの屋上に落下して動かなくなった。

 

その姿が徐々に変化していく。巨体はしぼむかのように縮んでいき、レインコートを着た幼児の姿を経て、小さな白骨へと変った・・・。

 


 

「・・・なんなんだ、こりゃ?」

近藤と、風杜は、うつむき加減で立つ銀色の異形と、白骨とを交互に見ながら言葉を失っていた。

 

と、シャドウが再び構えをとった。

 

「何だ?」

かれらは見た。白骨から煙のようなものが立ち上ると、やがてその煙が形を成し、レインコートを着た少女となった。

「・・・あ・・・あの子は!!」

近藤警部補は、その姿に見覚えがあった。・・・いや忘れられるはずがない、その少女は彼が2年以上にわたって探し続けてきた少女なのだから。

少女の口が開く。

 

『コロス・・・ミンナコロス・・・ままハ・・・ワタシダケノモノ。・・・ダレニモダレニモ・・・・・・。』

 

少女は、再びシャドウに踊りかかろうとした。

「やめるんだ!!」

近藤は声の限りに叫んだ。

少女が動きを止める。シャドウも思わず警部補を振り返った。

「警部補?」

呆けたような表情の風杜を残したまま、近藤警部補は宙に浮かぶ少女へと近づいていった。

 

「美津子ちゃん?・・・河合美津子ちゃんだろ?」

警部補の声に少女が戸惑いの表情を浮かべる。警部補のその声に風杜はあっと声を上げた。

「・・・そうか、あの子が行方不明になっていたあの・・・。」

警部補はなおも近づいていった。

「ママに会いたかったんだね。ママはね、ここにはいないんだよ。」

少女の顔から険しさが徐々に消えていく。

「まま・・・、ドコニイル?」

 

シャドウと風杜が固唾を呑んで見守る中、近藤は少女の真下に立った。

「ママはね、ほら。」

近藤は上を指差した。完全に晴れた夜空には、黄金の月が煌々と輝いている。その指先を視線で追った少女の顔に笑みが戻ってきた。

「ホントダ!・・・まま・・・ママがいる。見える、手を振ってる!!」

声質までもが穏やかに変わった少女は、やがて、夜空に向かって上昇して行った。

少女は一度だけ振り返った。

「ありがとう、おじさん・・・。」

近藤は、優しい笑みで頷いた。そして、少女の姿が見えなくなるまでじっと空を見上げていた。

 

「警部補・・・。」

静寂を破ったのは、風杜刑事だった。

近藤はその声にゆっくりと振り返ると小さく呟いた。

「・・・あの子の母親はな、あの子が行方不明になってから間もなくして病気で亡くなったんだ・・・・。」

警部補は、軽く頭を振ると、シャドウを見た。そして、その背後の給水タンクを。

 

「さて、・・・もうなんとなく解ったんだが、行方不明になったほかの子供たちは、そこの給水タンクの中だな?・・・美津子ちゃんが引き込んだんだろう?」

シャドウはゆっくりと頷いた。給水タンクには、怪人が激突した際にひび割れが起こり、その亀裂から水が流れている。その裂け目から青白い小さな手がはみ出ている・・・。

 

近藤は溜息をつきながら口を開いた。

「・・・で、お前さんは何者だ?」

 

シャドウは、やや躊躇ってから応えた。

「・・・シャドウ。」

「シャドウ?」

その時、シャドウの脳裏に先程の松原親子の言葉が蘇ってきた。

「・・・シャドウ、・・・仮面ライダー・シャドウ。」

そういい残すと、シャドウは屋上に張り巡らされたフェンスを飛び越えて、夜の闇へと消えていった。

 

二人の刑事は無言のまま、その姿を見送ると、しばらくその場でじっとしていた。先に口を開いたのは近藤警部補だった。

「風杜・・・。」

「はい?」

「本署に連絡して応援を呼んでくれ。・・・行方不明の子供たちを発見した・・ってな。」

「了解しました。」

若い刑事は走り出そうとした。

「風杜!!」

立ち止まって振り返る風杜に、近藤はにやりと笑った。

「・・・やっぱ、いやがったな。・・・仮面ライダーが。」

 

 

 

信彦は、エレベーターホールへと戻ってきた。その気配に気づいたあゆみが振り返って微笑んだ。

頷いて微笑み返した信彦は、泣きながら抱擁を続ける母子の姿を優しく見つめた。

階段から、若い刑事が駆け下りてくる。

刑事は、彼らに軽く頭を下げると、階下へと再び駆けていった。

 

その後から、階段を下りてくる音が聞こえる。おそらく近藤警部補だろう。

一つの事件はこれで幕を下ろした。・・・だが。

 

信彦の表情が徐々に引き締まっていく。

『・・・ゴルゴム!!』

記憶を失った今、ゴルゴムがどういった組織だったかは断片でしか解らない。

しかし、悲しい少女の心を利用し、さらに多くの悲劇を巻き起こしたゴルゴムに対し、彼は怒りに燃えていた。

『・・・また、僕の前に現れるなら叩き潰してやる。必ず!!』

 


 

「検体ナンバー:00925がロストしました。」

部下からの報告を受けたデルフィムは溜息をついた。

「また、素体成分に問題があったのか?やれやれ、あの少女はお気に入りの一人だったのだが・・・。」

「・・・いえ、00925は研究素体の中でも安定していたΓ−V型をベースにしていました。自然崩壊はまずありえません。」

暗闇の中から男の声が響く。デルフィムは頷くともう一度部下に命令した。

「至急、検体ナンバー:00925について再調査せよ。」

部下はかしこまって礼をした後、退出して行った。

「先日の攻撃実験は私もこの目で見ていたからな。なかなかの逸材だっただけに殺害されたとは考えにくいが。・・・いや、もしや・・・。」

デルフィムは席を立った。

「・・・ブラックサン・・・・仮面ライダーか?」

「・・・その可能性は否定できませんな。・・・これを。」

男は、デルフィムに数枚の書類を差し出した。

「・・・戦闘員計画のCプラン・・・江田島教授の進めているアンドロイドソルジャーの実験報告書か?」

「左様です。・・・奇しくも、検体ナンバー00925がロストする僅か前に破壊されています。しかも今回の実験の目的は、特定ターゲットの護衛、およびターゲットに害をなすと判断された者に対する排除行動の実験でしたな。そして、護衛対象だったのは00925・・・。」

デルフィムは顎に手をやった。

「すると、タイプCを破壊したのと00925を倒したのは同一の存在だと言いたいのか。」

「・・・そう考えるのが自然かと。・・・それだけの戦闘力を有するものとして考えられるのは・・・。」

「・・・仮面ライダー・・・という訳だな?」

「はい。」

 

「フッ!・・・クックック。」

デルフィムは笑い出した。

「デルフィム様?」

デルフィムは笑いを抑えると男の方に向き直った。

「面白いじゃないかね?江田島教授のタイプCは、ライダーの敵ではなかったということじゃないか。・・・まあ、1対1とはいえ、お粗末じゃないかね。果たして本来の運用である集団戦闘をしていたとしても勝てたかどうか疑問だな。」

「おっしゃるとおりで。」

「江田島のパトロンであるグルカムの怒りにゆがむ顔が想像できるな。」

 

デルフィムと男は声を上げて笑った。やがて、デルフィムが男に言った。

「・・・で、君は笑っていられるのかね?」

「Eプランはすでに完成段階に入っています。後は擬似キングストーンの開発が終了すれば、直ちに量産ラインに乗せられます。」

デルフィムは、その言葉に満足そうに頷いた。

「・・・それでこそ、他の幹部連中を欺いてまで君を救った甲斐があったというものだ。」

デルフィムは、暗がりに佇む男に笑いかけた。

「なあ、黒松教授?」

白髪の教授は主の言葉に対して、恭しく頭を下げた・・・。


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