1987

噴煙第8号 パソコンシンドローム 

 教師となって10年が過ぎようとしている。ただいたずらに年ばかり重ねて、まことに恥ずかしいのだが、そんなことにはおかまいなしに、年だけはとってきた訳だ。(ちょっとなまぐさいが) 昨年の年度末のようだ職員会議を経験すると、「俺も年をとったわけだから、もっとはっきり態度を決めなくては。」とつくづく思う。この二、三年心のどこかにひっかかっていることに、「自分の居所を確保する」ということがある。どういうことかというと、いつまでも無限の可能性などという生徒向け進路講話のような広々とした教師社会に身を置くのではなく、自分の守備範囲を決めて、その社会にどっぷりつかってみたらどうかということである。

 一口に教師、教員といってもその守備範囲はさまざまだ。「守備範囲」という言葉は、ちょっと違うかもしれない。自分が教師であることのどこにカをカれて、どこの集団、社会を自分の居場所と感じ、考えるかということである。ある人はクラブの指導を自分の居場所と考えているでしょう。私もかつて、吹奏楽なるものの顧問をしたことがあるが、そうすると、長野県吹奏楽連盟を背負ってたっている先生に毎年何回かお会いすることになる。そういった先生方に接していると、この先生方の教師としての居場所はここなのだなと感じる。私は自分の指導力と音楽性の限界にはやばやと降参し、今はそういった先生方を眩しい思いで思い出すのみである。

 組合活動でお目に掛かる先生方もいる。最近の私達を取り巻く状況は実に厳しい。単なる枕詞としてでなく本当にそう感じる。確かな目で見て、考えたならば、この現実に目を背けるのはやはり非法であると思う。しかし、一組合員として日常の行動に参加し、持ち回り制で役員をやらせてもらう以上には、どうも組合活動に深くかかわることには気が進まない。理由は割愛する。

 教師である以上担任であることが至上の喜びであるといわれる人もいる。私も、掃除とかショートホームルームとか、生徒がいうことを聞かないとか、面倒なこともあるが担任冥利につきるという場面を経験したこともある。しかし、自分のホームルームの体験をプリント三〇枚とか四〇枚といった形でぶつけるほど、自分の体験に自信もなければ、生徒にそれほどに影響を与えたともどうしても言えない.


  高校教師は、教科で勝負。私もそう思って高校教師を選んだ。義務のような生徒とベタベタした関係では私のような教師が相手では生徒にとってけっしてよくないだろうと思って「教科で勝負」の高校教師になった。ところが、英語教師に徹することも存外難しい。

 一口に英語教師といっても、色々なタイプがある。教授法に没頭すること。これも大切だと思う。いつまでも、高校時代に教わった先生の真似ばかりしていてもだめだろう。「先生に教わって英語がわかるようになり、楽しくなった」といわれるのもまんざらではない。しかし、去年は「英語教育」なる雑誌を9年購読した後、やめた。日々、教授法の変革を求めて授業するのもよいが、やはり、小さな工夫はあっても、教授法に没頭して、やたらアンケートをとったり、成就率の計算とグラフでは頭も疲れる。教授法を語る先生の発表が余り、魅力的でなかったりするのも多少関係する。

 文法、語法に打ち込むというもある。これは語学教師らしい。しかし、この道の大家というのは、それこそ、何千冊という原書を読み、何十万枚という語法カードを蓄え、日夜、こういう時にはどういうのだろうか、今のいい方はおかしいのではないだろうか、ということに大変な気配りをなされる。抜群の記憶力も必要だ。自慢ではないが、はじから忘れてしまう、日本語だっておぼつかない。自分の身のまわりの固有名詞の欠如はもう重症でこれでは内心語学教師は勤まらないと感じている。

 英書を鑑賞し、文学から迫る。それも英語教師らしい。しかしそれは始めから私の守備範囲ではない。他の言語の習得に励む。これもすばらしい。たとえ、母国語でなくとも、一五年も毎日、毎日やっていれば、少しは得意になる。そのうちに、自分は最初から英語ができた、などという錯覚に陥ったりする。そうではないということを身をもって知るには他言語の学習がすこぶるよろしい。しかし、動機のない学習は本当の語学好き以外にはやはり耐えられなかったりするのである。それと、生徒も同じだろうけど、「私はやはり賢くない」という厳粛な事実とはあまり向き合いたくもない。

 通訳というのもよろしい。実は五年ほど前までは、さしあたって目標もなかったので、会議通訳の検定を受けたりした。通訳士補なる資格ともなんともいえないものをいただいたが、次の通訳の試験は受ける前にあきらめた。同時通訳をせよというのだが、私の日本語、語彙、反応ではとても同時通訳などできないと、挑戦する前に辞めてしまった。

 と消去法で教師であることの「居場所」を求めていくと、どうもこれだといえるものがないのが現在のところである。いや、もう一つありました。目標として、管理職になることを設定すること。これほど、形に見える目標の設定も他にあるまい。管理職になるための方法論を研究し、人脈をたどり、事例研究する、ということになれば、これなども居場所を定めるにはすこぶる適所がもしれない。
 しかし、これにも大きな前提がある。それは、「管理職になるには、その人の器などというものは問わない、管理職になるのにも、方法論がある」と信じることである。

 これ以上書くと「あいつは本気か」と言われかねないので止める。

 もう一つ付け加えることがありました。この文のタイトルとの関係です。一口にパソコンといっても色々ありまして、そのパソコンのどの分野を趣味にするかという問題は「教師の居所」を決めるくらい困難であります。パソコン仲間などといっても、その中身はてんでばらばら、スペイン語を勉強する人と、ロシア語を勉強している人が、両方とも語学をやっているといってもかなり、興味の方向が違うのと同じようにパソコンの分野だって多種多様なのです。そこで、私なども、「プログラミングをちょっと」とか「英単語のデータベiス作成のためなんです」などと言えた頃はよかったんですが、3〇づら下げて、「新作のゲームは-…」などということになってしまった昨今では趣味の居場所というのも本業同様すこぶる難しくなってきたのです。人問態度を決める、居場所を決めると言うことは実にむづかしい。たぶん八割から、九割の方々は、教師であることの総合性をかんがみて、私の分類のどれにも身を置いておられないと思いますが、さて、私の教師としての人生、そして、趣味としてのパソコン、三〇代を半ばにして、定まる所なく、やはり人生とは大変だとつくづく感じるのです。