1984

噴煙 第5号 「パソコンシンドローム」

 

 パソコン以外のことについて何か書こうと思ってみたが、どうにもパソコンを離れたことでは書こうという気にもならない。さりとてパソコンの何について書こうかといっても、職員文集にふさわしいような話題となると窮してしまう。学校にパソコンが備えつけられているということのみ知っている人を対象に「パソコンとは何で、何ができるのか」と書いてみても、実際にプログラムを作成している人もいる中では無意味であるし、「パソコン普及に伴なう教育現場への影響」といっても数百字の文では退屈なだけである。
 アメリカはことコンピューターに関しては日本より数年は進んでいるとみられるが、一般社会への普及に伴ないコンピューター・シンドローム、電算機症候群という症状が二、三年前から話題になっている。この最終的病状というのはコンピューター以外興味を示さず、ついに家庭は崩壊というのが一般的なもののようである。金曜日に帰宅すると、地下室にこもり月曜の朝まで出てこない。慢性的睡眠不足でいつも物にとりつかれたような顔をしている。こんな顔つきでは人づきあいも良いわけがなく、世間からは「ネクラ」という形容詞を冠せられるわけである。
 私自身もこの症状に近いようである。以前は色々なことに興味を示し、酒のつきあいもかかさず、何の悩みもない「明るい好青年」であったが、最近では思いつめている顔つきが多くなった.といっても思いつめていることといったら、「あの記号は、Sだったろうか、$、だったろうか」とか「『−』の符号はマイナスを示すのか、長母音を示すのだろうか」などというきわめてくだらないことにすぎないのである。そのあげく「あれはやっぱり、S、だった。よし、S、でためしてみよう。」などという考えにいたると今度は一刻も早くそのことを確かめたくなるのである。こんな小さなことのくり返しが慢性的になると、逆に迷いのない状態が不安になる。かくしてプログラム地獄に又一歩入り込み、症状は進むという次弟だ。
 知らない人がみるとマイコンなんてどこがいいのだ。ということになる。実は私も友人が数年にわたりマイコンはおもしろい是非やれ、と言われつづける間、「金がない」「わかりっこない」「他にやりたいことがある。」とさわりもしなかった。マイコンを喜々としてやっている人間は何か異人種で、あんなものにのめり込んでいく者は自分の人間関係に満たされない変人ぐらいに思っていたのである。現在その中にはまってしまった私としては、内心「自分は違うぞ」ぐらいには思っているのだが、いづれバランスのくずれた人ぐらいに映じているのではないだろうか。
 現在マイコン関係の雑誌の数は非常に多い。生産台数も倍々ときて今年は15〇万台に達するらしい。そんな情報ばかり目にしていると世の中マイコン中心に進んでいるような錯覚におちいる。それに加えてプログラム作りにつかっていると人間、偏らない方が不思議である。最近になってパソコンのもたらす悪影響についてもとり上げられるようになった。テレビのような画面を見すぎると目が悪くなるとか、生まれてくる子供に悪いとか、肉体に与えるものであったり、ゲームと子供の関係だったりする。いったいプログラミングとかかわると生活様式、思考形態にどんな影響を及ぼすのか考えられてもよさそうなものである。もっとも雑誌のお遊び的なものではすでにあることはある。パソコン青年のファッションとか、アンケートにみる花形トップ・プログラマーの横顔といった類である。私は症状だけ一人前で技術はともなわない。30をすぎた身でプログラマーの道をすすみたいとも考えていない。成績処理とか各種統計の整理に利用する実役が少しで、くだらないことで頭を悩ます趣味が大部分である。このような『オジン』はともかく、金のなる木ともなりえるパソコンには若者はますます興味を示し、パソコンとのかかわりを深めていくであろう。木曽の地でのマイコン少年登場増加にはまだ時間はかかるだろうが、将来にはかならずこの症状にかかった教え子を持つことになろう。その時は同病者として傷をなめあうのだろうか、それとも更生者として正しい道を指し示すことができるのだろうか。自分の病気とはいえ、その時が楽しみである。